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日本観光情報<日本の旅と温泉>コミュの■ 07【福島県】私の観光地情報。

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■ 自分で行ったことのある観光地の情報を、自分の言葉で書き込みするトピです。情報誌的情報や、美味しかった店、お土産、穴場の道などを書き込んで下さい。

コメント(40)

先日、福島行ってきました(^-^)/
行ったとこゎ、猪苗代湖、磐梯山、五色沼、不動滝、檜原湖、中津川渓谷、スカイライン、吾妻小富士などです☆他にもたくさんたくさん自然があって本当に素晴らしかったデス(ノд`)☆
特におすすめしたぃのゎ、吾妻小富士です!!他のとこも本当にすごかったですが、吾妻小富士ゎ何とぃぅか、言葉に出来なぃ感じで圧倒されました。
福島に行こぉと思ってぃる方居ましたら本当にぉすすめしたぃです☆☆
てか福島最高でした!!自然が本当にたくさんあって本当にィィとこでした(´▽`*)ノ
ちなみに五色沼でゎ是非ボートに乗ることをォススメします(^-^)/
キレイでしたょ(●^▽^●)
[ドライブ宿泊情報]そのエリアで廉価でおすすめの宿。
■福島県
福島市
●[福島市北部桑折地区国道4号すぐ近く]こおり温泉うぶかの郷○朝食付エ4500TEL024-582-4500
土湯峠
●[横向温泉]中の湯旅館○素泊エ3400TEL0242-64-3341
猪苗代町・磐梯高原
●[猪苗代湖]国民宿舎翁島荘○2食エ6615TEL0242-65-2811
●[磐梯高原桧原湖]民宿えんどう○2食エ7000(早稲沢温泉)
● [磐梯高原桧原湖]ゆ乃宿湯流里○2食エ7000(早稲沢温泉)
二本松市
●[岳温泉]岳の湯○素泊エ3350TEL-243-24-2139
郡山市周辺
●[長沼町]やまゆり荘○2食エ7150TEL0248-67-3431(藤沼温泉)
白河市周辺●[泉崎村]泉崎カントリービレッジ○2食エ6500TEL0248-53-4211(泉崎さつき温泉)
奥会津
●[柳津温泉]柳津町つきみが丘町民センター○2食エ6450(休前日エ6950)TEL0241-42-2302
●[三島町]宮下温泉ふるさと荘○2食エ6608TEL0241-52-2049
いわき
●[いわき市南部]国民宿舎勿来の関荘○2食エ6620TEL0246-65-5111
●[いわき市南郊外]田人おふくろの宿○2食エ7665(休前日エ10290)TEL0246-68-3321
■福島県相馬市松川浦鵜の尾岬の潜水艇支援調査船へりおす慰霊碑。  
■福島県相馬市の郊外に松川浦がある。ここは福島県立自然公園で、太平洋と浦を分ける砂州が延びている。かつてはこの岬は行き止まりだったが、いまでは道路も整備され、トンネルと、松川浦大橋によって立派な周回道路になっている。鵜の尾岬には 遊歩道が敷かれ、百体地蔵も設置されている。この鵜の尾岬には、また潜水艇支援調査船へりおす慰霊碑がある。
このへりおすは初航海で母港清水を1986年6月16日朝に出て、北海道羽幌港に向かう途中、翌日夕刻、相馬沖で荒天に遭遇、沈没した50t、全長26mの小型船。乗員は松本直美船長(38歳)、佐々木豊蔵機関長(36)、樋口勝年一等航海士(37)、藤井正文一等機関士(39)、それに田中利治(26)、土屋正弘(33)、鈴木英彦(27)、小林弘明(27)、片岡淑人(28)の各海洋調査員の9名。後日、230mの深海から引き上げられたが、これは画期的であったとのこと。この時の様子は多少日時に間違い記述があるが、「日本の重大海難(昭和60年代)http://www.mlit.go.jp/maia/08monoshiri/maiahist/60s.htm」に詳しい。また翌年の国会の運輸委員会でも討議が行われている。そして「明日を翔べ―遺された者たちの「へりおす」沈没事故 」という著作が小林弘明氏の母親小林弘子氏によって1993年中央書院から刊行されてもいる。こうした歴史もまた観光情報には必要だと思われる。
<写真は高湯温泉あったか湯、旧伊達郡役所>

■207.2.25快晴の日曜、福島県高湯温泉に行く。

■土曜夕方から13時間眠り続け、2/26日曜朝8:30、名取市閖上港の朝市に行く。この冬一番といわれるほど寒気の日で、手がかじかんだ。それなりに物を購入。家に戻り、再眠。それから12:00近く起きて、出発。暖かい日差しをフロントガラス正面に受けて、国道4号を南下。福島市内で14:00頃遅い昼食を摂る。

一旦阿武隈川を渡り、国道115号、フルーツライン経由で高湯温泉に向う。すこぶる快晴の日で、雪を戴いた吾妻小富士が吾妻山系の一角で凛とした姿を見せていた。
高湯温泉付近にもほとんど雪がない!どうなっちゃってんだろう今年は? 2007年ほど、暖冬どころか異常気象を意識した年はないんぢゃぁなかろかね。
と思いながら、高湯中心部のあったか湯へ。結構人出があって、駐車場2台目待ち。玄関近くの1台分の身障者スペースは空きのまま。「そこに入れさせろ」と整理係に交渉したが、あっけなく断られる。融通がきかねぇ野郎だぜぃ、とも思ったが、そんなことをすれば彼がゼッタイ当局に叱られてしまうだろうな。
それでも5分後、駐車スペースに案内される。ごめんな。

自動販売機で、大人250円。あったか湯は、露天風呂しかない湯船で、いっぱいだった。30分ほどじっと湯船に浸かる。地元客と話をしていた隣の御仁は胸まで浸かり、右手で左の二の腕にタオルで湯を掛ける。まぁタオルは許そう。しかしねぁ、腕を動かす度に、湯が揺れ、熱い湯が押し寄せてくる。それが何度も何度も、幾度も幾度も。我慢できる熱さではあったので、まぁ、いいのだが、寒けりゃ、浸かりやがれ!てなもんだ。この非常識親父が!

ほどなくして、上がり、脱衣場の壁にどこかの婦人が、「入浴の非常識」についていろいろ例を挙げながら投稿していた文章があったので、服を着ながら読んだ。
浴槽への給湯口で入れ歯を洗っているジジイのことなどは、当然であるが、タオルを浴槽の縁に置いておくと、湯が触れてまた浴槽に戻り、結局、軽く浴槽につけるのと同じになるのでやめて欲しい、というのはなるへそとも思った。
一番面白かったのは、(混浴でなく婦人浴場で)必要以上に体を隠していたご婦人がいた。誰も見ているわけではないのに、見ている方が、意識させられて、周りの方が恥ずかしくなるほどの隠しようの一連の行動続き。そんなに恥ずかしいなら、なんでみんなの利用するお風呂に入ってくるのよ!という感想。もっともだわい。

高湯温泉の湯は薄い白濁の含石膏酸性硫化水素泉、温泉街を貫ぬく県道を走っていても、あの茹で玉子臭の、いかにも温泉に来たという香りが漂っている。温泉宿のテレビは6ヶ月で腐食とのことである。
あったか湯の湯上がりの際に、足にかゆみが生じた。皮膚方面は頑丈なのに、この痒み。ん?効くのかこの湯!という感じがした。

国道13号をトラバース、飯坂温泉を経由して、桑折の旧伊達郡役所の建物を見て、国道4号を北上、白石市で郊外スーパーに立ち寄って夕方、帰仙した。
<写真は飯坂温泉>   

■福島県の温泉1

飯坂温泉郷

●所在地 
福島市飯坂町、伊達市
●交通
○飯坂温泉は東北道福島飯坂ICからR13-県道2号で3km。穴原・天王寺温泉は12km。公共交通=福島駅から飯坂線に乗換、飯坂温泉駅まで20分○こおり温泉は国見IC-R4-市道で5km。
●問合せ
飯坂温泉観光協会024-542-4241/福島市観光課024-525-3722

●飯坂温泉の歴史は古く、景行天皇の皇子・日本武尊が東征の折りにすでに入湯したと伝えられ、当時は「鯖湖の湯」と呼ばれていたともいう。その後、西行法師も訪れ、「あかずして別れし人の住む里は、左波子の見ゆる山のかなたか」と詠んでいる。元禄時代には、俳聖松尾芭蕉が元禄2年(1689)にこの地を通過している。芭蕉は飯坂温泉の南にある医王寺を参拝し、源義経の忠臣として名高い佐藤継信・忠信兄弟の墓に参った。その時に謳った「笈も太刀も五月に飾れ帋幟」の句は医王寺の本堂の前と、飯坂温泉駅前にある芭蕉像の横にも立っている。その夜、飯坂温泉に宿泊して、「土坐に莚を敷て、あやしき貧家也。…蚤・蚊にせせられて眠らず」と、当時の侘しい宿の様子を芭蕉は「奥の細道」で描写している。当時の飯坂人は芭蕉に冷たかったのかも。しかし当時の旅人に対する対応というものはそのようなものだったりもしたであろう。

飯坂温泉へのアクセスは、車も公共交通機関もすこぶるいい。東北道福島飯坂ICからは5分ほど、鉄道ではJR福島駅から福島交通飯坂線に乗り換えて、小刻みに停まる駅の終着11番目の駅で、時間は20分ほど。飯坂温泉は駅の終点で駅前からすぐに温泉街が始まっている。飯坂温泉は昭和19年7月の大火で全焼したが、その後、発展を遂げ、現在に至っているもの。一時、高級ホテルからひなびた旅館まで種類もさまざまに百軒近くあった旅館が、現在は80軒ほど。飯坂温泉のホテル・旅館は阿武隈川支流の摺上川の流れを挟んだエリアと、地内を走る小路などにびっしりと並んでいる。駅前から赤川橋に抜ける道筋に飲食店、土産物店の他、射的場、演劇場などもあり、東北でも珍しく歓楽色濃い雰囲気が残されている。
また街並の中に、風情たっぷりの木造建築の鯖湖湯初め、いくつかの共同浴場がある。鯖湖湯は飯坂温泉の発祥地といわれているが、源泉はこの他、透達湯、波来湯筋、滝の湯、赤川筋にもある。泉質は48〜78度の芒硝泉・単純泉で、無色透明の温泉は、リュウマチ、婦人病の他、胃腸病、皮膚病、脚気に効果がある。飯坂温泉は宮城県の秋保温泉、鳴子温泉と共に奥州三名湯に数えられる。

飯坂温泉から摺上川の上流、北西へ2キロさかのぼった奥十綱橋近くの渓谷沿いに閑静な心安らぐ雰囲気が漂う穴原温泉と天王寺温泉がある。
穴原温泉は摺上川で渓谷美も見られる自然溢れるところにある。10階建ての近代的な大型リゾートホテルなど大小6軒の宿がある。昔、大蛇に姿を変えた弁財天から頼まれた大百足を退治した若者が、お礼に温泉を教えられたという伝説があり、61度の弱アルカリ性単純泉と芒硝泉が湧く。
一方、天王寺温泉は穴原温泉の対岸部で宿が2軒。ここには天王寺穴原湯という共同浴場が1カ所あり、61度の単純泉。
奥飯坂といわれる穴原温泉・天王寺温泉の先の上流は白い岩肌に新緑や紅葉が映えて見事な渓谷美が連なる摺上峡が始まる。
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福島市の北に隣接する桑折は仙台の伊達藩発祥の地としても知られ、また藩政時代には、奥州街道と羽州街道の分岐点にあたる桑折宿があったところ。明治時代には伊達郡役所が置かれていて、その建物は今でも残っている。桑折の中心部と東北本線・新幹線を隔てた反対側の丘陵地にこおり温泉・うぶかの郷がある。蔵屋敷風のしゃれた建物で、公共の研修施設になっていて、会議の他、日帰り入浴と低料金での宿泊に利用できる。26度の硫酸塩泉を浴用加熱していて、動脈硬化・皮膚方面に効く。客室は和室4,洋室2と小規模。
■福島県の温泉2

高湯温泉

●所在地 
福島市町庭坂高湯、信夫温泉=福島市桜本木通沢
●交通
東北道福島西ICから12kmで信夫温泉、その先3kmで高湯温泉/公共交通=福島駅西口から高湯温泉行きバス30分で信夫温泉、40分で高湯温泉
●問合せ
吾妻高湯観光協会024-591-1125/信夫温泉024-591-1212/福島市観光課024-525-3722

●新緑・紅葉の美しい山岳道路である磐梯吾妻スカイラインは高湯温泉から土湯峠までの全長29キロを走る。ドライブのルート上には吾妻小富士や浄土平などのビューポイントが続く。その北側の入口にある高湯温泉は、標高750mに位置する風光明媚な温泉地。眼下に福島盆地が広がり、遠く霊山の山並みまでが見渡せる。
アクセスは東北道福島西ICから、あるいは福島飯坂ICから、フルーツライン方面に向かい、県道70号・福島吾妻裏磐梯線の交差点からを坂道を上りはじめると、4キロほどで信夫温泉の脇を通過して、さらに3キロで高湯温泉に到着する。瀟洒な建物の宿が県道に沿って並んでいる。ここは山あいのひなびた温泉地といった感じがする。硫黄の匂いが漂い、いかにも温泉に来たと感じさせる雰囲気がある。宿数は8軒と少なめだが、眺めのいい露天風呂を持つ宿が多く、日中は吾妻の大自然を、夜には満天に輝く星と福島市街地の夜景を眺めながら温泉に浸かることができる。

高湯温泉は、天文年間(1540年代)に開湯されたとも、慶長年間(1596〜1614年)に宍戸五右衛門という狩人が発見したともいわれている。長く湯治場として利用され、蔵王温泉・白布温泉とともに「奥羽三高湯」の一つに数えられている名湯で、45〜60度の含石膏酸性硫化水素泉の乳白色の湯が溢れている。湯の質が似ているところから「東北の草津」とも称され、高血圧や動脈硬化症、アトピー、胃腸病、痔疾、糖尿病、水虫などに効くほか、どんな頭痛でも3日入浴すると治るともいわれている。薬効成分の含有量が特に多い温泉地として知られていて、入浴の注意事項に「浴室の窓を閉め切って入浴しないこと」などとあるのは、湯に体に効く成分が多く含まれているこの温泉地ならではのことである。テレビも6ヶ月で腐食するともいう。高湯温泉の中心地にあったか湯という共同浴場がある。一般向きには露天風呂のみの設置で大人250円。一部を除いて各宿で日帰り入浴も受け付けていて、この名湯を楽しむことができる。
GW、夏休み、新緑・紅葉時期は大いに混雑する。冬場は吾妻スキー場が開設するが、積雪のためスカイラインは通行止めになる。高湯温泉のあるエリアは自然の宝庫で、温泉街の周辺には国指定天然記念物で福島県花のヤエハクサンシャクナゲ、可愛らしい花を咲かせるヒメサユリやミズバショウの群生地があるほか、近くを流れる渓流にはイワナが生息している。また、温泉街からスタートする約2キロの遊歩道を30分ほど歩いた所には、30mの高さから水しぶきを上げて流れ落ちる不動滝もある。途中は硫黄鉱山跡地で、ここからも不動滝が見られるほか、福島市街地も一望できる。硫黄鉱山跡地そばまでは道が舗装されているので、気軽に散策を楽しめる。なお、県道をそれたすぐ近くには高湯平があり、別荘地になっている。

信夫温泉は高湯温泉に向かう途中、3キロほど手前の県道から、わずか小道に入り、駐車場に車を置いて、須川に架かる吊り橋を渡れば、すぐ正面に見える。橋の下は峡谷になっていて新緑・紅葉の頃はひときわ見事。宿は信夫温泉旅館の1軒だけで周回する廊下があるユニークな造り。36・5度の湯を浴用加熱、美肌効果のあるアルカリ性炭酸泉・単純硫化水素泉の透明な湯が浴槽に溢れている。飲用もできる。
■福島県の温泉3

土湯温泉

●所在地 
土湯温泉=福島市土湯温泉町/微温湯温泉=福島市桜本
●交通
○土湯温泉は東北道福島西ICからR115で12km。公共交通=福島駅から土湯温泉行きバスで40分。○微温湯温泉=福島西ICから県道126で17km。公共交通=福島駅から土船行きバスで20分、水保下車、送迎車で20分。
●問合せ
土湯温泉観光協会024-595-2217/微温湯温泉旅館二階堂024-591-3173/福島市観光課024-525-3722

●土湯温泉は神代の昔、オオムナチノミコトが陸奥国に下る際、立ち寄ったこの地で、「ここに温泉がある」と荒川のほとりを鉾で突いたことから、「突き湯」と呼ぶようになり、それが後に「土湯」に変化したといわれている。また用明2年(587)、聖徳太子が、病に倒れた父親の用明天皇の回復祈願と仏教普及のため、東国に秦野川勝というものが遣わされた。しかし、川勝も病に伏してしまった。その時、聖徳太子が夢枕に現れ「岩代国の突き湯に霊湯あり。そこで治療せよ」とのお告げがあったという伝説も残っている。地内には聖徳太子堂もある。
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R115からはずれて土湯温泉の方に降りていくと、途中の高台から土湯温泉の全景を眺めることができる。東吾妻山中腹、幕滝などから流れ来た荒川を挟んで、広い谷あいに17軒の旅館
・ホテルが並んでいる。温泉街にはまんじゅう、コンニャク田楽を売る店や、サルノコシカケなど深山の漢方薬や山菜を軒先に並べる店、こけし工房、共同浴場などがあり、散策するだけでも十分に温泉街情緒を味わえる。また土湯温泉は伝統こけし発祥の地としても有名で、始祖といわれる惟喬親王と薬師如来を祭ったこけし堂もある。土湯こけしは、細胴・小頭・大前髪が特徴。共同浴場として地内に「中ノ湯」、日帰り入浴施設の「樹泉」、それに温泉街から少し離れたR115沿いに「こけし湯」がある。土湯温泉は、主要な源泉は1カ所で、58度の単純硫化水素泉と含重曹食塩硫化水素泉だが、独自の源泉をもつ宿もあり。また土湯奥・土湯峠(別掲)を合わせれば、10種という豊富な泉質がある。温泉郷全体では自慢できるほど湯の感触が柔らかい単純泉の他、茶褐色の沈殿物があり貧血に効く鉄泉、中毒、糖尿、便秘など幅広い効能がある硫黄泉、そして重曹泉など多くの泉質が楽しめることで知られる。「土湯十楽、飯坂九楽」と謡われたように、永い歳月を経て人々から親しまれ栄え続けている。
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土湯温泉の先には、奥土湯温泉と呼ばれる4つの一軒宿がある。不動湯温泉、川上温泉、東海温泉、小滝温泉で、それぞれ個性的だ。

不動湯温泉は温泉街のはずれから山道を30分ほど登るか、林道で10分ほど回り込んだ標高530mの山中にある一軒宿。大正10年の創業。玄関が谷に面した古い木造の2階建てで、館内は半上がり、下がりの階段などもある。お風呂は内湯が4つと、露天風呂が1つ、全部で5つある。玄関の下には鉄錆色をした単純炭酸鉄泉の湧く常盤の湯があり、神経痛にいい。長命段と名付けられた階段を下ると、羽衣の湯という桧でできた湯小屋がある。中には澄んだ単純泉が湧く。温度の違う2つに浴槽があり、筋肉痛・リューマチに効く。さらにその下、不動沢の傍らに白濁した硫黄泉が湧く、岩を穿った小さな露天風呂がある。その他女性専用の単純炭酸鉄泉と明礬泉の風呂がそれぞれ1つある。渓間にあり、秋は紅葉がみごと。

川上温泉は日本秘湯の会に属する一軒宿。源泉を荒川上流の旧鳩花温泉跡から引湯していて湯量豊富。珍しい山肌をえぐった大きな自然石を利用した半露天風呂の天がん風呂がある。幅4m、長さ10mの長方形をした混浴の大浴場は万人風呂と呼ばれ、壁には「土湯讃歌」の歌詞が書かれている。隣には女子浴室もある。

東海温泉は鉄筋3階建ての本館と別館のある近代的だが和風色の濃い宿で、背後の小山から流れ落ちる小滝がみえる日本庭園が美しい。

小滝温泉は、荒川渓谷に小滝が見えるためにこの名がある。この滝が見える露天風呂は内湯とつながっていて、貸切利用もできる。

春には奥土湯の先の山中にある男沼・仁田沼・女沼一周散策路周辺と、峠方面に少し走ったところにあるR115沿いのビッキ沼周辺に水芭蕉が群生する。つつじ山公園も女沼近くにある。そして、土湯温泉が最も賑わうのが紅葉シーズン。10月から11月が見頃で、磐梯吾妻スカイラインの山々の彩りや土湯温泉を流れる荒川の水面を染める落葉が美しい。

なお、土湯温泉の手前、フルーツライン付近から県道126号で吾妻山をめがけて上って行くと7キロほどで微温湯温泉に着く。フルーツロードからの案内もあるが、そちらの道はすごい山道になっている。ここは吾妻小富士の東麓、標高910mの地で、今は行き止まりだが、かつては鳥取越えという間道が通っていた。一軒宿である旅館二階堂の創業は享保3年(1718)で、現在の建物は戊辰戦争で焼失した後、明治10年頃再建の、豪壮な農家造りの茅葺き屋根。眼病や皮膚疾患に卓効の34度の酸性明礬緑礬泉が湧く。浴場棟の下には大きな温泉の池があるという。ぬるい源泉にそのまま、時間をかけて入浴する。体は温まるが、ポリ浴槽に加熱湯もあるので、交互に入浴できる。眼病のためには湯口からの透明な湯で目を洗う。目には刺激が強いが、それがいかにも効きそう。最初、目やにがでても大丈夫。それから治っていくという。最近秘かにブームになっている「隠れ家」のような宿である。夜通しで、長時間入浴する永湯のことを一夜湯、あるいは夜詰湯というが、もしかしてここがそれにふさわしいかも。湯治客も多いが、冬期は11月下旬から休業し、5月1日から再開する。
■福島県の温泉4

土湯峠温泉郷

●所在地
福島市土湯温泉町
●交通
東北道福島西ICからR115-県道20で野地温泉で30km、新野地温泉31km、赤湯温泉・鷲倉温泉32km、幕川温泉36km。○横向温泉は磐越道猪苗代磐梯高原IC-R115で23km。
●問合せ
土湯温泉観光協会024-595-2217/野地温泉0242-64-3031/新野地温泉0242-64-3624/赤湯温泉0242-64-3217(冬期)024-595-2353/鷲倉温泉0242-64-3224(冬期)024-591-3218/幕川温泉吉倉屋0242-64-3617(冬期)024-546-4054/幕川温泉水戸屋0242-64-3316(冬期)024-595-2218/福島市観光課024-525-3722

●新野地温泉、鷲倉温泉、赤湯温泉、幕川温泉の2軒の「日本秘湯を守る会」に所属している温泉の他、野地温泉、横向温泉などが土湯温泉の上部の峠筋にある

○野地温泉は、鬼面山の中腹に、等高線にほぼ沿って並ぶ土湯峠温泉郷の、最も福島寄りにある一軒宿。広々とした駐車場に、「く」の字形に鉄筋3階建ての建物がある。館内には、サウナ付きの大浴場である男性用・剣の湯、女性用・扇の湯の他、露天風呂天狗の湯、それに鬼面の湯、入替制の桧風呂の千寿の湯、女性専用羽衣の湯がある。天狗の湯は内湯からそのまま移動できる造り、それに岩積の鬼面の湯は緑も間近に野趣溢れる。この露天風呂は3時間毎の入替制。桧風呂の千寿の湯は桧造りで3種類の温度に区切った自噴の源泉が湧く。一番奥側が高温で、源泉が打たせ湯のようにおとされている。福島市街との夜景を遠望できる。

○新野地温泉は、土湯峠温泉郷にある胃腸の名湯として知られている宿。標高1200mの高所で、北側に開けているため福島市街地も見え、夜景が特に印象的。宿の前を走る県道はかつての国道115号線で、温泉を目的にやってくる人が多い。玄関を入ると、右手に別館となる鉄筋4階建ての建物があり、こちらには男女別の内湯と、女性用浴室だけに露天風呂が隣接している。また、玄関から左手に進んで行くと、階段の下に素朴でシンプルな湯小屋がある。中には男女別の風情のある木造りの浴槽がある。さらにその外に出た、広い荒野に木の道が設置され、右手上に女性専用、左手下に男性用の野趣豊かな露天風呂がある。

○赤湯温泉・好山荘は旧国道115号から500m下ったところにある。旅館部と自炊部があり、周囲はブナの自然林だが開けた環境で陽当たりもよく明るい。標高は1150m。昭和18年に営林署の小屋ができていたが、昭和42年に旅館営業を開始した。胃腸病・貧血症に効く鉄分を含んだ58度の重曹炭酸鉄泉の赤錆色の湯から温泉名がついている。近年浴場に露天風呂を併設した。庭先にある半露天風呂の単純硫黄泉は野地温泉から引湯しているもの。赤湯温泉から湿原植物も見られる荒川渓谷までは30分の下りになる。冬期休業。
○新野地温泉の先に鷲倉温泉がある。窓を大きくとったタイル張りの大浴場と露天風呂には85度の硫黄泉が、もうひとつの浴槽には無色透明の45度の酸性緑礬泉が湧いて、胃腸・神経痛に卓効。鷲倉温泉の標高は1230m。宿の南になる裏山には硫気活動を盛んな沢がある。側には近くの土湯峠遊歩道入口に水芭蕉の群落もある。

○一方、幕川温泉は土湯峠の手前から山道を4キロほど北に向かうと見えてくる。一本道なので迷う心配はあまりないが、カーブも多くあり、注意して走りたい。ブナ原生林に囲まれた水戸屋旅館と吉倉屋旅館の2軒の宿にはともに70〜80度の単純泉が豊富に湧いている。水戸屋は鉄筋3階建て、岩造りの露天風呂がある。73度の単純泉。吉倉屋はモルタル2階建て、内湯には単純泉が湧く。単純硫黄泉の湧く露天風呂はオープンな場所に丸い湯舟がしつらえてあるもの。周囲をブナ林に囲まれていて、ちょっと風変わりな感じがする。宿の600m先には落差40mの幕滝がある。遊歩道も整備されていて散策にはピッタリだ。なお幕川温泉からスカイラインに通じる歩道もある。

○横向温泉は土湯峠を越えて、猪苗代町に入ってすぐのところにある3軒の宿。横向温泉の発見は後三年の役を鎮定した八幡太郎義家が、弓で射た目を岩の割れ目からの湯で治す蛇を見て発見したという伝説がある。千年近く前の話である。上の湯と呼ばれているホテルマウント磐梯は洋風の外観で「会津八湯」と名付けられ、かぶり湯・寝湯など8種類の浴槽が人気。その下にある中の湯は、自炊専門の一軒宿。浴場は、男性用は仕切が水面下の仕切があり、手前が普通の温度で、奥の方はかなりぬるめ。わずかに白みを帯びた透明な湯が溢れている。壁で仕切られているものの女性用浴室とは、いつも開け放たれているので、半混浴といってもいいくらいおおらか。下の湯の滝川屋旅館は谷あいにある和風旅館。寛文元年(1661)に発見され、開湯は文久年間(1861〜63)。玄関から下っていった源泉に近い場所に設置された桧風呂の浴槽は、ほぼ湯面で2つに仕切られている。浴槽の底は岩になっていてそこから42度の源泉がそのまま湧きだしている。泉質は重炭酸Na・硫酸Ca泉。この3つの宿は、かつて吾妻連峰の峠を越えて福島に下る街道筋だった。一番新しいホテルプルミエール箕輪は箕輪スキー場を持つリゾートホテルで外観も館内もヨーロピアン。
<写真は岳温泉>   

■福島県の温泉5

岳温泉他

●所在地
二本松市岳温泉、大玉村
●交通
○岳温泉=東北道二本松ICからR459で9km、塩沢温泉は14km、奥岳温泉は12km。くろがね温泉は奥岳温泉からゴンドラ・徒歩で2時間。○大玉温泉=本宮IC-R4-県道30-村道で12km(安達郡大玉村大山字大皿久保110-5)、新大玉温泉はその先1km、あだたら温泉はさらにその先2km。
●問合せ
岳温泉観光協会0243-24-2310/二本松市観光課0243-23-1111/奥岳温泉=0243-24-2246/くろがね温泉090-8780-0302/大玉温泉0243-48-2929(金泉閣)/新大玉温泉0243-48-2026

●岳温泉は、乳首山の別称がある安達太良山の東の中腹部・標高600mに湧く高原の出で湯で、かつては陽日温泉と呼ばれていた。歴史は古く、およそ1200年前の延暦年間に、征夷大将軍の坂上田村麻呂が東征の時に発見したと伝えられている。その後、安達太良山の噴火や戊辰の役の戦火によって4度の移転を繰り返し、今の場所に落ち着いたのは明治39年(1906)のこと。岳温泉は温泉効果の高いお湯として知られる58度の酸性緑礬泉の湯で、水戸黄門が難病で苦しんでいる元禄年間に、何度も足を運び、病気を癒したと記されている。源泉は10キロほど離れた、安達太良山の山頂付近にある旧火口から引湯している。湯は途中で揉まれて肌触りが優しくなる。安達太良連峰の山並みが連なる麓に湧く岳温泉は、眼下には二本松や本宮の平野が広がっている。高村光太郎の妻・智恵子の生家が二本松市の隣・安達町にあり「智恵子抄」にもある「あどけない話」にも謳われた、青い「ほんと(う)の空」がどこまでも続く抜群の自然環境にある。高原に位置するため夏でも涼しく、避暑地として利用する観光客も多い。温泉街は「ニコニコ共和国」の名で昭和57年に独立宣言しており、現在でも宿や土産物店共通で利用できる専用紙幣「コスモ」を発行し、大統領がいたり、観光協会は国会議事堂の看板を掲げていたりと、ユーモアあふれる温泉独立国を続けている。メインストリートの「ヒマラヤ大通り」と呼ばれる坂道には、小川を挟んで道路両側に宿や土産物店が軒を連ね、華やいだ雰囲気が漂う。岳温泉のなかにはホテル・旅館が13軒、公共の宿が5軒、温泉を引いていないが、民宿が3軒、ペンションが3軒、プチホテル1軒が建つ。泉質は単純酸性泉でやけど、切り傷、リューマチ、神経痛、あせもなどに効能がある。共同浴場の「岳の湯」は国会議事堂の向かい側にあり、素泊まりもできる。周辺には、周囲600mの鏡が池があったりと、静かな大自然に包まれている。豊かな自然に囲まれていて、現在では保養地として、GWや夏休み、紅葉の時期はもちろん、また登山、スキーの拠点としてもシーズンを問わず賑わっている。また春はワラビ、ジダケ狩り、秋はモミジ狩り、冬はキジ、ヤマドリといった山の幸にも恵まれている。近年「岳温泉十二支めぐり」という散策路が設定された。

奥岳温泉は、岳温泉からさらに5キロほど上ったところにあるあだたら高原富士急ホテルの一軒宿。ここは標高1000mで、スキー場のゴンドラ駅乗り場そばに鉄筋3階建てのホテルがある。ここもくろがね温泉の近くの安達太良山旧火口から引湯している。

岳温泉の北にある塩沢温泉は、湯川荘、青木荘、塩沢山荘の3軒。42度の単純泉が湧き、59年に開業された新しい宿で、周囲は赤松林になった静かな環境にある。そばを流れる湯川渓谷は安達太良山への急坂の登山路が併走している。

くろがね温泉は標高1700mの安達太良山の中腹の1400m地点、鉄山の麓にあたるところにある。硫黄臭のする白濁した65度の酸性緑礬泉が湧き、それに沢水を加えて湯温調節している。今でこそ温泉付きの山小屋といった素朴な一軒宿・県営くがね小屋だが、硫黄鉱山のあった江戸時代には遊女もいる歓楽郷だった。部屋は相部屋になるが、風呂は男女別。岳温泉・奥岳温泉にはすぐそばの安達太良山旧火口から湯を下ろしている。安達太良山の登山コースは、岳温泉上の奥岳温泉登山口からあだたらエクスプレスで薬師岳の8合目まで上がり、安達太良山頂・峰ヶ辻を経由して2時間ほど。比較的緩やかなため初心者でも登れる。あるいは塩沢温泉の登山口から屏風岩を経て2時間半というちょっとだけハードな湯川渓谷沿いのコースもある。この2つのコースは周回になっている。冬季もくろがね温泉は営業している。
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岳温泉から県道30号線を南の本宮町方面に走ると、大玉村に入ってすぐ県民の森入口のバス停がある。ここを右折するとすぐ大玉温泉・金泉閣が、また道なりに進んでいくと県民の森に入ってから新大玉温泉がある。大玉温泉は、1986年に開業した、松林に囲まれた、全10室の純和風の一軒宿。源泉61・8度の肌がツルツルになる重曹泉が湧く大浴場と下駄履きで歩いた先に大岩を配した露天風呂もある。湯量豊富。館内は中庭のついた囲炉裏の間、畳の上がり間などもあり、落ち着ける。

また新大玉温泉は村営の日帰り入浴・宿泊施設であるアットホームおおたま。本館の上部にコテージが8棟あり、こちらも人気がある。敷地内にはテニスコート・ゲートボール場もあり、県民の森も含めていこいのゾーンになっている。そして県民の森の一部がフォレストパークあだたらで、鳥獣保護センター・森林館の他、本格的オートキャンプ場がある。この中のビジターセンターにはあだたら温泉の浴場があり、55・8度の炭酸水素泉が湧く。石造りの浴場と林を前にした露天風呂がある。
<写真は磐梯熱海温泉>   

■福島県の温泉6

磐梯熱海温泉

●所在地 
郡山市熱海町
●交通
磐越道磐梯熱海ICから県道24号経由で3km。公共交通=郡山駅からJR磐越西線で15分、磐梯熱海駅下車すぐ。
●問合せ
磐梯熱海温泉観光協会024-984-2625/磐梯熱海温泉旅館協同組合024-984-2182/郡山市観光協会024-924-2621

●郡山の奥座敷といわれる磐梯熱海温泉は南北朝時代、京の公家の娘・萩姫が、不治の病にかかった時のある夜、夢枕に立った不動明王の「京の北方、数えて500本目の川岸に霊泉がある。その湯に浸かれば快癒する」とのお告げで、都を出て、目指す川をこの地に見つけ、治癒したという伝説がある。この川を五百川という。温泉発祥の伝えにちなんで、毎年8月には駅前をメイン会場として、温泉の繁栄と恵みに感謝する萩姫まつりを開催している。南北朝時代の衣装を身につけたミス萩姫による古式ゆかしい献湯祭や万灯パレード、などが行われ、温泉街はお祭り一色になる。

熱海という地名は、文治5年(1189)、源頼朝が奥州平泉を征伐後、ここ安積郡の領主となった伊東祐長が、故郷・伊豆半島を懐かしんで熱海と名付けたものだ。車の往来が激しかったR49は今は街の北側をバイパスで迂回して、温泉街は比較的静かになった。駅前と、旧R49、平行する市道に沿って、湯治場的ムードの漂う老舗旅館や趣向を凝らした大浴場を持つホテル、広大な庭園に離れの客室を持つ高級旅館、近代的な大型ホテルなど様々なタイプの宿計30軒がある。ほとんどの宿の客室または浴室から山の緑を楽しむことができ、街の賑やかさもありながら、自然も満喫できる。

共同管理されている温泉はアルカリ性単純泉で、泉温は54度。無色透明の湯は、皮膚の角質を軟化し、溶かして肌をすべすべにする働きがあり、漂白作用によってシミやソバカスをとり色白になると評判の美肌の湯。神経痛の疾患にも特効があり、皮膚病、胃腸病などにも効くという。なおこの単純泉の他、20度の単純硫化水素泉や38度の単純泉も湧出していて、こちらは地区、あるいは宿独自で所有している。かつては駅周辺を磐梯熱海温泉といい、現在のR49旧道の走る五百川沿いは高玉温泉と称していた。今は一括して磐梯熱海温泉と呼んでいる。

プール、スケート場なども充実した郡山ユラックス熱海という総合レクリエーション施設もある。それぞれ露天風呂のある和風の「岩の湯」と洋風の「萩の湯」は、日帰り入浴も賑わっている。浴場はクア的設備もあり、25m温水プールもある。

JRの磐梯熱海温泉駅前は飲食店や土産物店などが建ち、華やいだ雰囲気の歓楽街を形成している。地内には昔ながらの手打ちそばの店や、手作りの大福を売る和菓子屋などもある。温泉地南側の五百川の渓流沿い蓬山には「かほりの遊歩道」という散策路があり、ツツジや野草が生い茂る緑の中を歩くと、表通りの喧噪を忘れそうなくらいの静寂さが広がっている。
<写真は藤沼温泉>

■福島県の温泉7

郡山・阿武隈エリア

●所在地
郡山市、須賀川市、長沼町、三春町、田村市船引・大越、小野町
●交通
○バーデン温泉は東北道郡山南ICから4km、月光温泉は、5km。○源田温泉は郡山南IC-県道55-県道6で15km、休石温泉はその先1km。○守山温泉は須賀川ICから5km。○芹沢温泉は須賀川ICから3km、藤沼温泉は19km。○要田温泉は三春船引ICから1km、馬場の湯温泉は4km、斎藤温泉は10km、大越温泉は西に20km。
●問合せ
郡山市観光協会024-924-2621/須賀川市商工観光課0248-75-1111/長沼町企画調整課0248-67-2122/三春町市街地整備課0247-62-2111/田村市観光交流課0247-81-2136/小野町観光協会0247-72-6938

●福島県の交通上の要地である郡山市は、経済活動も盛んな賑わっている都市。桜の名所の開成山公園、開拓資料を集めた擬洋風建築の開成館、安積歴史博物館などの他、レジャー施設の郡山カルチャーパークも郡山南IC近くにある。
そのカルチャーパーク至近の田園の中にホテルバーデンがある。1996年開業の鉄筋6階建ての新しいビジネスホテルだが、地下600mから湧出する45度の食塩泉は毎分1屯にもなるためホテルの浴場や客室も温泉が引かれている。また建物南側にクア的施設に東屋付きの岩組みの露天風呂もある日帰り入浴施設・バーデン温泉を併設している。
その南、R4のバイパスを分岐する付近、笹川地区には月光温泉クアハイムがある。ここは日帰り入浴もさかんな一軒宿。44・4度のアルカリ性単純泉が湧く。浴場はクア的設備と庭園風の露天風呂も設置されている。
郡山市街地の中央部から真西に走る県道6号を進むと三森トンネルを抜けて、猪苗代湖の南岸に出る。その途中、標高540mまで上った付近に源田温泉への案内看板が見える。温泉名の「源」は奥州侵攻をした源義家にちなむ。ここは1877年開業の熊田屋の一軒宿であるが、敷地面積は3万5千坪もある。敷地内には桜が咲き、広大な庭がいまだ造られつつある。風情のある旧館の東側に、1994年の新館ができた。清潔な浴場に20度の単純泉を浴用加熱、湯量豊富で気持ちがいい。胃腸病・神経痛などに効く。
源田温泉のすぐ西、県道から少し下って休石温泉がある。ここは明治創業の太田屋旅館の一軒宿。ここも名称は源義家が休憩で腰掛けた石があるということに由来する。敷地は余裕があり、立体的で、宿の建物に向かう下部には、笹原川そばに花見や芋煮会もできる広場がある。30度の塩化土類食塩泉。太田屋旅館の鯉は評判。郡山市街地からR49をいわき市方面に向かうと、水郡線磐城守山駅前を通過するが、その駅の南西部、須賀川と三春を結ぶ県道54号から少し入ったところに守山温泉がある。温泉の歴史は古く、南北朝時代に鉱泉利用がされていたという。2軒ある内、元湯の七海荘の開業は新しく1953年。鉢植えの置かれた浴場にある切石造りの浴槽も1つある家族風呂も大きくはない。源泉14〜21度の含ラジウム単純泉は効き目がありそう。もう一軒は白水館でこちらは新しい。
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郡山市の南にある須賀川にも温泉がある。芹沢温泉は須賀川郊外にある一軒宿の和風旅館。41度の単純重曹泉が合わせて12の浴槽に引かれている。浴場は計250坪で、サウナも6つ、特に露天風呂の広さは特筆物。温泉は飲泉もでき、胃腸方面・火傷・痔疾・尿酸結石・痛風などに効く。岩渕地区の丘陵地の高台に須賀川温泉・米屋という離れ形式の別館をもつ高級和風旅館がある。露天風呂も開放感溢れる。なお、同じ名前の須賀川温泉が市内茶畑町にあるが、こちらは日帰り入浴専門施設。

須賀川市内からR118を西に走ると、須賀川市長沼に入る。ここは中世には城下町として栄え、藩政時代にも石岡藩松平氏の陣屋もあって、道路にも城下町の風情を残している。城跡もある中心部を通り過ぎた先に案内板があり、藤沼湖自然公園「水と緑のふれあいランド」に入っていく。ここには潅漑用の人造湖である藤沼湖と、オートキャンプ場、それにコテージ村がある。それに付随して藤沼温泉・やまゆり荘という宿泊もできる日帰り入浴施設があり、人気だ。やまゆり荘は湖水を松林の間に眺めながらのんびり入浴できる露天風呂もある。源泉は毎分120立湧出の46・9度のアルカリ性単純泉。蛇行した坂道にレイアウトされたコテージは全部で10棟ある。R118はこの西の江花地区で猪苗代湖方面に向かうR294とクロスして、羽鳥湖の北岸を経由して湯野上温泉へ向かう。
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そして北東部にあるのが高柴デコ屋敷で、かつては三春藩からの保護を受けていた人形職人の集落。ここから車で数分という境にある三春は阿武隈山地の裾に開けた盆地の町。かつて秋田氏の城下町だったところで、今でも当時の名残りが旧家が並ぶ町中に感じられる。標高410mの城山の山頂一帯が田村ー松下ー秋田氏と続いた城跡で本丸は今、公園になっている。また江戸時代の三春城内にあった藩講所の表門が三春小学校に残されている。他に三春には真照寺、法蔵寺、高乾院、馬頭観音堂など歴史的建造物も多い。また三春町の見所としては郷土人形館・ファームハーブガーデン、ダム資料館・田園生活館などがある。毎年春、桜のシーズンに町内に梅も杏も咲く花いっぱいになる。とりわけ見事な桜を咲かせる国の天然記念物の滝桜は有名で、岐阜県の淡墨桜・山梨県の神代桜とともに日本三大桜のひとつに数えられ、樹齢1000年以上、目通り9・5mの枝垂桜が文字通り滝のように流れる桜花の枝を垂らす。三春町役場の南、小高い丘の上に馬場の湯温泉がある。大正時代創業だが、1998年の改築、和風リゾート旅館の一軒宿。珍しいラジウム泉は神経痛・リューマチなどに卓効の湯。また三春町の南部、ファームハーブガーデンの近くに上の湯、下の湯という2軒の宿からなる斎藤温泉がある。斎藤はここの地名。1901年発見された。11度の放射能泉はリュウーマチ・神経痛にかなりの効能を示し、療養には真剣そのもの。規定通りに入浴しなければといわれる。3日目いると効果があるといわれる。

三春町の東に隣接する田村市船引には、要田駅近く、船引三春ICからも近い便利なところに要田温泉・あぶくま保養センターがある。神経痛や腰痛に効く、27度の単純鉄泉が湧いたのが1980年頃でまだ新しい温泉だ。建物は改築されていて新しい。宿泊も低料金で可。
船引東部の田村市大越南東部、鍾乳洞のあぶくま洞の少し上、大滝根山中腹にあるのが大越温泉で、大型コンベンション施設のあるあぶくま高原ホテルに隣接して、大越温泉健康ランドという本格的な温泉施設。32度の単純泉を浴用加熱し、クア的設備と、自然あふれる岩造りの露天風呂もある。この辺りの標高は730mと、阿武隈山地の高所になっている。
田村市船引の南にある小野町にはリカちゃんキャッスルがあり、メーカーらしく関連グッズが豊富で、製造の様子も見学できる。また建物の西洋の城のような外観がユニーク。小野町の東に隣接する滝根町は阿武隈山地のほぼ真ん中、盆地になっている、星空の美しい町。好天で条件がいいと肉眼で7等星まで観察が可能。ここには星の村天文台があって、日本最大級の650ミリ反射式天体望遠鏡が設置され、天文ファンに人気がある。また仙台平という高台南麓にあるあぶくま洞は、延長600mが整備・公開され、年間を通して気温14度、湿度98度という環境にあって、入口から入ると竜宮門
・こうもりの窟・竜宮殿・月の世界などと名付けられたポイントを見る。中でも滝根御殿は30mの高さの大空洞で見事。あぶくま洞の少し北側には入水鍾乳洞があるが、全長900mで、奥は電灯もないというワイルドさは案内人が必要なほど。他に、鬼穴という坂上田村麻呂に征服された大多鬼丸の伝説の地も小野町にある。この他、周辺では、田村市常葉にレジャー施設のこどもの国ムシムシランド、自然観察園カブトムシ屋敷がある。
■福島県の温泉8

猪苗代・磐梯周辺の温泉

●所在地 
耶麻郡猪苗代町・北塩原村・磐梯町
●交通
沼尻・中ノ沢温泉=磐越道猪苗代磐梯高原ICからR115-県道24号で17km/猪苗代駅から中丿沢温泉行きバスで30分。○猪苗代温泉は猪苗代磐梯高原IC-R115-県道203で5km○はやま温泉は猪苗代磐梯高原IC-R115-県道7で4km、表磐梯温泉は7km、磐梯清水平温泉は10km。○西久保温泉は猪苗代磐梯高原ICから6km、押立温泉は7km、同様に翁島温泉も7km、西の沢温泉は隣接。○川上温泉は猪苗代磐梯高原ICから13km、土湯沢温泉はそこから山中に1km走る。五色温泉は16km。○大塩裏磐梯温泉IC-R121-R459で24km。○その他のエリアは猪苗代磐梯高原IC・磐梯河東IC・会津若松ICなどを利用。
●問合せ
沼尻温泉旅館組合0242-64-3422/中ノ沢温泉旅館組合0242-64-3449/裏磐梯観光協会0241-32-2349(北塩原村)/磐梯町企画調整課0242-73-2111

●安達太良山の西麓にある沼尻温泉は、中ノ沢温泉から少し北に走り、沼尻スキー場に向かう道を上って行くと、ほぼ2キロの間に、ペンション、木造2階の素朴な旅館あるいは鉄筋3〜4階のホテルなどそれぞれタイプの異なる宿が連続する。標高はこの辺りで800〜880m。沼尻温泉は文禄年間(1592〜96)に平近平という人によって、安達太良山旧火口下に湧出しているのが発見され、そこから引湯している。かつて湯小屋があった湯元では今でも湯の華を採取している。57度の酸性緑礬泉は毎分1万立と湯量豊富なため、どの宿の浴場にも湯が溢れていて清潔感いっぱいだ。沼尻温泉はかつて湯治場で、近在の人に親しまれていた。労働で塩を取り過ぎた農民が、稲の取り入れ作業のあと、体の塩分を調整するためにこの湯に入って、「塩抜きの湯」とも呼んでいた。
沼尻温泉の奥3キロのところには雄大な風景の中、向いの山の150mの絶壁に温泉の湯を硫黄川に落とす白糸の滝がある。グリーンシーズンは新緑が美しく、ここは安達太良山への西側の登山口にあたっている。頂上までは7キロ、3時間の行程で、途中には沼の平という爆裂火口の跡が荒涼とした平原になっている。

一方、標高730mの高所にある中ノ沢温泉は、古くから胃腸に効く湯として有名だった山間の温泉地。明治20年に沼尻温泉からの引湯工事を終え、中丿沢温泉は開湯した。当時は共同浴場もあり、湯治場として栄え、大正2年の沼尻硫黄鉱山への私設軽便鉄道敷設で宿の数も増えていった。猪苗代の川桁から沼尻までの16キロの鉄道は戦後復興期に名曲「高原列車は行く」(丘灯至夫作詞・古関裕而作曲)のモデルにもなり、1968年まで運行されていた。現在、温泉街をわずか離れて公共の宿が1軒ある他は、多くの宿がほぼ直線の県道に沿って、土産店なども整然と並んでいて、街道に面していた昔の宿場町のような雰囲気がある。温泉内には広い日本庭園がある和風旅館、鉄筋4階建てのホテルなど、それぞれ個性的な露天風呂を持つ宿も多く、沼尻温泉と同じ黄緑色をした酸性緑礬泉の美しい湯は飲用によって胃腸にも効く。中ノ沢温泉で売られている笹団子は有名で、笹団子発祥の地だという噂もある。また遠刈田・土湯系の中丿沢こけしも人気。頭部が大きく、赤ら顔で、鋭いどんぐり眼なので他の温泉地のこけしとの違いがすぐわかる。中丿沢温泉の奥の達沢川上流には不動滝がある。中ノ沢・沼尻温泉とも、福島・郡山・磐梯高原・会津などへのアクセスもよく、宿泊基地になっていて、このエリアのスキーヤーにも利用されている。
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猪苗代町・磐梯高原エリアにはこの他、多くの温泉がある。猪苗代町には猪苗代温泉、はやま温泉、表磐梯温泉、川上温泉、土湯沢温泉、押立温泉、翁島温泉、西の沢温泉、西久保温泉、中の湯温泉、北塩原村の磐梯高原には五色温泉、休暇村温泉、裏磐梯小野川湖温泉、早稲沢温泉、喜多方方面に走って、桜峠温泉、大塩裏磐梯高原、さらに磐梯町の磐梯山清水平温泉などである。

猪苗代温泉はリステル猪苗代という大型リゾートホテルで、川桁地区にある。館内にはクア施設もあり、スキー場、ハーブ園も併設している。ここは敷地内の地下1200mからの単純泉。はやま温泉は1994年に開湯した新しい温泉で、78度の食塩泉が湧出する。磐梯山中腹の猪苗代スキー場にある温泉保養施設のふるさと交流センター幸陽の杜と、周辺のペンション・民宿の10軒ほどにも引湯されている。表磐梯温泉は猪苗代町中から県道7号を喜多方方面に走り、緑の村・昭和の森方面に上っていった京急猪苗代リゾートスキー場下にある高級和風リゾート旅館・静楓亭の一軒宿。11の客室は平屋の離れ形式で、全室露天風呂付き。敷地内に50度の食塩泉の湯が毎分400立も湧く。押立温泉は磐梯山西南麓、標高650mのところにあり、開湯は安政3年(1856)で150年近くの歴史をもつ。押立の名称は猟などでの獣を「追い立て」たことからきている。含重曹弱食塩泉が湧く3軒の宿がある。創傷も含めて皮膚病一般に効く。その内、山形屋根旅館は明治初期の茅葺きの曲がり屋。今はトタンで屋根を覆っている。ここはアルツ磐梯から引湯している。

翁島温泉は磐越西線翁島駅近くにある玉の湯という一軒宿。天正年間(1573〜1591)に発見され、現在の宿は昭和初期に営業開始したもの。39度の含食塩重曹硫黄泉を浴用加熱している。
すぐそばにある西の沢温泉はたなべの湯という木造2階建ての一軒宿がある。22度の含重曹弱食塩泉で湯治客向き。
翁島温泉からR49に出るところにある西久保温泉も一軒宿の亀宿旅館で、17・5度の単純硫黄泉が湧く。
中の湯温泉は磐梯山頂上の下部2キロ地点で、80度の硫黄泉の湧く山小屋風一軒宿だが現在は休業中。
猪苗代町の中心部から北に向かうと、まず最初の川上温泉は猪苗代戸磐梯高原を結ぶR459沿線、五色沼入口の南にある旅館・民宿合わせて8軒の温泉で39度の単純泉。
土湯沢温泉は川上温泉のさらに少し南、国道から離れて看板に従って、砂利道を500mほど走ると見えてくる土湯沢温泉旅館の一軒宿。明治末期に発見され、現在の宿は1954年の開業。45度の弱食塩泉が湧く。飲泉も可で、温泉水を宅配販売もしている。
北塩原村の五色温泉は五色沼入口にある裏磐梯ロイヤルホテルという洋室147・和室76・和洋室4という大型リゾートホテル。創傷・火傷・動脈硬化に効く49・5度の含食塩石膏泉が湧く、自然の中の露天風呂がある。
休暇村温泉は2001年に開業した新しい温泉リゾートの休暇村磐梯高原に湧く44度のNa硫酸塩泉で、こがねの湯とも称している。裏磐梯小野川湖温泉は湖畔荘というキャンプ場隣接の一軒宿。早稲沢温泉は桧原湖北東岸、西吾妻スカイバレー入口付近にある民宿の16軒の内の15軒に温泉がある。47度の石膏泉が湧く。冬は湖上のワカサギ釣りで賑わう。
磐梯高原の最も賑わいをみせる桧原湖遊覧船乗り場近くにある裏磐梯湯平山温泉・猫魔ホテルは47度の塩化物硫酸塩泉が湧いている。
この磐梯高原からR459を喜多方方面に走ると、ラビスパ裏磐梯という大型アクアリゾート施設を併設した日帰り入浴施設がある。岩造りの露天風呂もあり、人気がある。ここは桜峠温泉という。
その先には国道沿いに旅館・民宿が7軒並ぶ大塩裏磐梯温泉がある。ここはかつて会津若松ー塩川ー熊倉ー大塩ー蘭峠ー檜原(湖底)ー舟坂ー米沢と結ばれていた会津街道(米沢街道とも)の検断所があって、寛文5年(1665)には98戸の家もあり、賑わっていた。弘法大師の発見伝説があり、かつては湯治場でもあったが、現在はこのエリアの観光拠点になっていて、名前通り51度の含土類強食塩泉が湧く。温泉神社には「右ハいなわ志ろ、左はよねざわ道」と、道標がある。1967年には大火に見舞われ、100戸余りを焼失した。

このエリアでは磐梯町域になるが、アルツ磐梯スキー場のカジュアルリゾートホテルのアルツ磐梯とその付帯施設であるスパアルツおおるりは磐梯山清水平温泉と称している。アルツ磐梯はメゾネットのファミリールーム含め洋室のみのホテル。スパアルツおおるりはすぐ近くで。レストラン・温水プールを併設したクア的日帰り入浴施設。仮眠室もある。猪苗代湖を眺め下ろす雄大な岩造りの露天風呂がいい。ともに98度の食塩泉の湯。
<写真は東山温泉>   

■福島県の温泉9

東山温泉

●所在地
会津若松市東山温泉
●交通
磐越道会津若松ICから7km/会津若松駅から東山温泉行バスで20分
●問合せ
東山温泉旅館協同組合0242-27-7051/会津若松市商工観光課0242-28-1111

●会津松平氏23万石の城下町として栄えた会津若松市。福島県を代表する温泉地である東山温泉は、その市街地から4キロほど東に位置する会津若松の奥座敷的存在。天平年間(729〜749)に行基菩薩が会津巡錫の際、この地で不思議な羽の色をした三本足の烏に導かれて発見したという伝説や、天寧寺を訪れた旅の僧がこの地を通っていたとき、発見したという説もある。そのため近在の人たちからは「天寧寺の湯」とも呼ばれていた。城下町に隣接するところから、蒲生の時代から江戸時代まで、武将たちの湯治場として重宝がられた。新撰組の土方歳三をはじめ、戊辰戦争の負傷者がこの温泉で傷を癒した歴史も残っている。山形のかみのやま温泉、湯の浜温泉と並び奥州三楽郷とも呼ばれた。近代になり、横山大観、竹久夢二や与謝野晶子なども滞在し、数多くの作品を残した。現在でも彼らが宿泊した宿にはゆかりの品々がある。
山間を流れる湯川沿いに30軒近くの宿が建ち並ぶ。高層の近代的ホテルの他、格式のある重厚な雰囲気の数寄屋造りの和風旅館も多い。きらびやかなネオン街はないが、会津若松の奥座敷にふさわしい、夕暮れに芸妓がそぞろ歩くなど華やかさが漂う。15箇所の源泉から湧出する単純泉・含食塩石膏泉は湯量豊富。泉温は45〜68度。一般的適応症の他、胃腸病、火傷、皮膚病に効果が高い。共同浴場はなく、日帰り入浴を受け付けている宿もいくぶん高めの料金。なお湯川の上流、東山ダムまでの間に伏見滝、向滝、原滝、雨降り滝があり、東山温泉にある多くの宿名の由来になっている。近年、飲食店や土産物店が減少して、街自体が寂しくなってきたこともあり、98年より本格的に温泉街づくり事業をスタートさせ、2003年まで続く。昭和30年代の一番華やかだったころを再現する試みで、飲食店や夜店の増加をはじめ、空き店舗を利用してのギャラリーや郷土資料の展示、露天風呂の共同浴場や彫刻の演出、観光スポットのライトアップ、散策道づくりなどが予定されている。タヌキのキャラクターを決め、夏には毎週土曜日と休日に、温泉神社の境内で村祭りが開催される。温泉街の上には標高823mの背炙山の峰続きの羽黒山646mがある。その中腹の羽黒山湯上神社には高さ27・2センチの金銅製の本地仏聖観音立像が鎮座している。温泉街からは1200段の階段散策路がある。
東山温泉は鶴ヶ城や飯盛山といった会津若松の観光スポットへのアクセスがよく、会津観光の拠点としても便利だ。
■福島県の温泉10

芦ノ牧温泉

●所在地 
会津若松市大戸町
●交通
磐越道会津若松ICからR118で19km/会津鉄道芦ノ牧温泉駅下車、車5分。会津若松駅から芦ノ牧温泉行バスで40分
●問合せ
芦ノ牧温泉観光協会0242-92-2336/会津若松市商工観光課0242-28-1111

●城下町・会津若松市の中心部からR118・121、別名日光街道を南下すると、緑豊かな山並みに囲まれた県立公園大川ラインに至る。この大川ラインの渓谷沿い20キロほど走ったところにあるのが芦ノ牧温泉で、東山温泉とともに会津若松の奥座敷といわれている。電車の場合は会津若松駅を北の始点とする会津鉄道の5つめの駅・芦ノ牧温泉を過ぎた後、険しい山峡を走る電車が大戸岳のトンネルに吸い込まれるあたりが温泉地になる。芦ノ牧温泉は1200年の昔、行基によって発見されたという伝説がある。その後、11世紀中ほどに集落ができ、神社も祭られた頃には、河原から温泉が溢れる光景が見られたという。治承四年(1180)、源義経が兄・頼朝と黄瀬川で再会を果たした後、この温泉に立ち寄ったという伝説も語り継がれている。1902年に大洪水があるまでは河原に天然の大露天風呂があったという。再建を望みたい。無色透明の含食塩石膏泉の58・8度のお湯は、湧出量も多く、地区で共同管理されている。胃腸病、皮膚病の他、特に脚気と眼病に効くとされ、江戸時代には湯治場としても大いに賑わった。鶴沼川とも呼ばれた大川の右岸の街道沿いを、かつては芦ノ牧温泉、左岸を小谷温泉と区別して呼んでいた。昭和初期まで渓谷の河原で砂風呂も楽しめたという。戦後、特に温泉観光が盛んになった時期に大いに発展を遂げた。現在のような近代的なホテルや旅館が建ち、賑わいを見せる温泉場となったのは日光・鬼怒川方面への広域観光ルートが整備されてからのこと。
芦ノ牧温泉は、新潟県では阿賀川と呼ばれる大川が大きく蛇行し、渓谷美が一層雄大さを増すロケーションにある。中心街は芦ノ牧橋を渡った右側。「芦ノ牧温泉」という大きなゲートが目印で、会津乗合自動車の芦ノ牧車庫・郵便局・銀行のある旧国道の通りで、温泉神社・金精神社の下に近代的なホテル・旅館が建ち並び、その間に土産店・劇場・スナック・商店・食堂などもあり、歓楽ムードある温泉街を形成している。大川に面した宿は峡谷に沿って、眺めのいい露天風呂を持つ宿もある。一方、芦ノ牧橋の南側脇にある観光案内所の反対側にも、旧道に沿う形でホテルが並び、こちらは全て大胆な渓谷を借景とする。また芦ノ牧橋の北寄りにはドライブイン・土産センターが国道沿いに並び、温泉付貸し別荘なども道路下にある。毎年8月1日に行われる夏まつりの花火は、音が谷間に反響して見事。シーズンには鮎釣りの太公望たちが、大川に釣り糸を垂れている姿が眼下の川原に見られる。
■福島県の温泉11

湯野上温泉

●所在地
南会津郡下郷町
●交通
湯野上温泉は磐越道会津若松ICからR118(121)で29km。東北道西那須野塩原ICからR400-R121で80km。/会津鉄道湯野上温泉下車すぐ。○弥五島温泉は会津若松ICからR118(121)-R121で32km。/会津鉄道弥五島駅下車すぐ。
●問合せ
下郷町観光協会0241-68-2920/下郷町企画観光課0241-69-1144

●かつて会津と日光そして江戸を結んでいた会津西街道は関東方面の呼称で、会津藩は下野街道あるいは南山(南会津郡)通りと、地元南会津では日光街道と呼んだが、いずれ重要な街道であった。豊臣秀吉もかつて天正18年(1590)奥羽仕置のため通過している。当時は現在のR121よりも西側の山間を通っていた。昔の面影をとどめている大内宿はその宿駅の一つで、若松・田島間での重要な役割を果していた。今は主要道路が中心を通っている湯野上温泉そのものの歴史は古く、奈良時代に猿の発見伝説がある。大内宿に泊まっていた旅人が、湯野上まで足を延ばしていたといわれている。たどり着くためには断崖にへばり付くような険しい道を進まなければならないことからも、当時は「猿の湯」または「山の温泉」とも呼ばれていたという。明治時代中期に入って現在の国道ができ、また会津鬼怒川線が開通した後、街道の交通が盛んになり、訪れる人々が増えた。こうした賑わいを一方でもちながら、落ち着いた温泉街の風情を、今にいたっても保ち続けている。茅葺き屋根の湯野上温泉駅舎に象徴されるような長閑かな温泉地だ。それでも湯野上温泉の北隣りにある芦ノ牧温泉、東山温泉とともに、もうひとつの会津若松の奥座敷として賑わいを見せている。
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会津若松から、R118を南下、芦ノ牧温泉を過ぎて、さらに南に走ると下郷町に入る。大川ラインを上流へ7キロほど遡ったところで、R118を須賀川方面に分けた後、R121の表示に戻ってすぐ、数百mで湯野上温泉に到着する。会津若松からは32キロの距離にある。湯野上温泉の宿はR121沿いと、湯野上温泉駅前、国道とほぼ並行する町道沿い一帯、さらに川向こうの県道沿いに分かれて建っている。宿は渓流沿いの高級旅館、わずか数室のもてなしを大事にした宿、茅葺き屋根の民宿など、それぞれ素朴ながら個性ある宿が揃うが、ホテルや大型旅館はなく、中小規模の旅館10軒、温泉民宿十数軒などあわせて30軒ほどの宿から構成されている。国道が南北を貫いているけれども、これといった温泉街もなく、山間にひっそりとある、ひなびた温泉といった言葉がよく似合う。温泉地内に日本の典型的なふるさとの光景が見られるといってもいい。ほとんどの宿に露天風呂があり、のんびりさが周囲の山々に溶け込んでいる。
大川の川底から自噴する温泉の泉質は無色透明のアルカリ性単純泉で、温度は63〜67度と熱め。上ノ湯・猿湯・館湯・切湯・箱湯・新湯などの源泉が現在8ヶ所あり共同管理されている。湧出量は合わせて毎分2200立と豊富。胃腸疾患、神経痛、皮膚病・リウマチなどに効く。大川の河原にある共同浴場は、脱衣場もなくワイルドそのもの。浴槽はひとつでもちろん混浴、さらに浴槽を遮る塀さえもない、野趣あふれるコンクリート造りの露天風呂だ。入浴するのに女性は勇気が必要だろう。目の前に渓流が流れ、見上げれば吊り橋が見える、開放感いっぱいのこの無料の露天風呂は、湯野上温泉の名物にもなっている。照明がないため、入浴は日没まで、また毎週木曜日午前中は清掃にあてられている。湯野上温泉の近くには養鱒公園の他、中山風穴特殊植物群落地、奇勝・塔のへつりなどの名所がある。特に塔のへつりは、侵食された岩の庇の下を歩くことができる断崖の道で、必見。
会津鉄道の弥五島駅近くに、弥五島温泉・郷の湯がある。全くの個人運営の日帰り入浴施設で、温めのアルカリ性単純泉が湧いている。胃腸病にいい。
■福島県の温泉12

西会津エリアの温泉

●所在地 
喜多方市、会津坂下町、会津美里町
●交通
エリア全域は磐越道会津若松IC・会津坂下IC利用。○会津神指温泉は会津若松IC-R121-R49-県道72で4km。○喜多方温泉は会津若松ICからR121で19km、蔵の湯は20km、大森温泉は21km、熱塩温泉は24km、日中温泉は少し脇道にそれて27km。○洲走温泉は会津坂下ICから2km、坂下温泉は4km、津尻温泉は6km、高郷温泉は16km、相川温泉は23km、一ノ木温泉は28km、飯豊鉱泉は33km。○西会津さゆり温泉は西会津ICから5km。○新鶴温泉は会津若松ICから11km、会津本郷温泉は20km。
●問合せ
喜多方市商工観光課0241-24-5200/西会津町地域振興課0241-45-2211/会津ばんげまつりセンター0242-83-2111/会津美里町0242-56-2111

●磐越道会津若松ICからR49に走り、新潟方面に向かうと、5分ほどで左手に見えてくるのが会津神指温泉・サンピア会津。神指はここの地名で、50・9度の食塩泉が湧く厚生年金福祉施設の公共宿。1991年開業で、本館には客室の他、会議室・宴会場が、奥に温泉棟・スポーツ棟、そして屋外にはプール・テニスコートなどもある。浴場には寝湯・低温サウナ・露天風呂もあり、日帰り利用もさかん。
ラーメンで知られる喜多方から米沢へ向かうR121は熱塩加納地域を迂回するバイパスが予定されていて途切れている。大峠道路の日中トンネルの手前までは県道333号になっている。途切れる交差点には道の駅ふれあいパーク喜多の郷に蔵の湯という日帰り入浴施設がある。道の駅はかなり大型で、この入浴施設の47度の単純泉の湧く大浴場も、露天風呂もかなりの広さがある。
また県道333号を北に向かうと、熱塩加納村地区中心部にも夢の森という日帰り入浴施設がある。ここは大森温泉といい、林に面した石造りの露天風呂は自然いっぱいだ。熱塩温泉は、さらにその先、米沢方面に1キロほどのところで右手に見えてくる。
熱塩温泉はその名通り、65・5度の含土類食塩泉が湧く。源泉は温泉地内の最奥部にある示現寺山門正面の湯小屋にあり、ここでは毎年1月4日には湯殿入りという行事が行なわれ、寺宝アカザの杖を源泉に浸す。このアカザの杖は永和元年(1375)に熱塩温泉を発見したといわれている玄翁心昭和尚愛用の杖だ。熱塩温泉は江戸時代も湯治場として大いに栄えていた。皮膚病やリュウーマチに効き、目洗い湯とも呼ばれていた。熱塩温泉の近くには日中線記念館がある。日中線は栃木県今市と米沢を結ぶ東北縦貫鉄道野岩羽線の一部で、昭和13年、喜多方熱塩間が開通、昭和59年の廃止されたもの。当時の熱塩駅舎が残っている。

熱塩温泉の先、大峠道路に入る手前、日中ダムの下に、日本秘湯を守る会に所属している日中温泉・ゆもとやの一軒宿がある。40度の含土類弱食塩泉が、大浴場と露天風呂に湧く。日中温泉は江戸時代末期、金を掘ろうとして桧沢左五衛門という人物が発見したのもで、その子孫が今も経営する。その後、潅漑用ダム工事のため休業したが、1993年に現在地に移転・再開した。近くには村の花・ヒメサユリの咲く山がある。
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喜多方の西隣の山都地区は蕎麦の里である。山都中心部からR459を北に向かうと、右手に相川温泉が見える。ここは22度の単純泉を浴用加熱している滝富温泉旅館の一軒宿。また、ここからさらに北に向かった一ノ木地区は北西部の宮古地区とともに蕎麦の里になっているグルメゾーン。ここには公共温泉の一ノ木温泉いいでのゆがある。西側の山手高台の斜面を利用して宿泊施設と浴場、それに食堂・売店が縦長にレイアウトされている。源泉は59・6度の含芒硝食塩泉で、地下60mから自噴する。岩風呂には源泉を適温にして褐色のまま注いでいるが、鉄分などを濾過して無色透明にした湯の浴槽と露天風呂もある。露天風呂は「青空星空風呂」という名があるが左様に眺望がいい。

一ノ木温泉のさらに先、少々心細くなる県道を一ノ戸川沿いに、北に向かって進み県道からも離れ4キロほどで川入集落に着く。そのすぐ先、沢分かれするところにあるのが飯豊鉱泉。19度の硫黄泉。飯豊鉱泉の先には御沢キャンプ場があり、いずれも飯豊連峰の登山基地になっている。

山都と南西に接する高郷地区にふれあいランド高郷という日帰り入浴施設がある。特産の荻野石を使った浴槽には、高郷温泉の毎分580立・58度のアルカリ性単純泉が湧き、岩造りの露天風呂、薬草ふろ、打たせ湯、サウナも設置されている。

新潟県に最も近い西会津町の役場北付近で阿賀川が蛇行しているが、そこにさゆり公園がある。その河畔近くに公共の宿である西会津さゆり温泉・ロータスインがある。宿泊棟がはっきり分かれていて、気軽に日帰り入浴できる浴場はクア設備が整い、ミニ庭園風の露天風呂もある。ここには54・5度の食塩泉が湧く。

会津坂下町を貫流する阿賀川が大きく流れを変えて、只見川と合流する手前に津尻温泉がある。ここは100年近く前に発見された温泉で、29度の弱食塩泉。滝の湯旅館の名前は源泉の上部に2本の滝が落下しているからである。敷地内にはゲートボールコートもある庶民的な宿。前庭の池には鯉が泳いでいる。
すぐ近くの高台に糸桜里の湯ばんげという日帰り入浴施設がある。坂下温泉黄金の湯と称する54度の弱アルカリ性単純泉が湧く。大浴場には、ハーブ湯、寝湯、打たせ湯、サウナも完備、また青空星空風呂となづけられた露天風呂は眺めもいい。また町内の西方に只見川が流れているちょうどそのあたりに洲走温泉がある。森を背にした洲走の湯という宿名の木造2階の建物は田園の中のちょっと大きめの家という感じで、里山のよう。洲走は地名だ。13度のアルカリ性硫黄泉は肌がすべすべになるし、飲泉も可。

位置的には会津若松の西、只見線会津坂下駅の南に新鶴駅がある。その南西部2キロのところに新鶴温泉・ほっとぴあ新鶴がある。小高い丘陵地の上に建つ立派な宿泊研修施設で、棟続きにギリシャ神殿風の建物をしたミニクア施設の健康センターがあり、日帰り利用も多い。45・6度のアルカリ性単純泉が湧き、飲泉も可。

会津美里町新鶴の近くに焼き物の町・会津本郷がある。R121と併走する会津鉄道、さらに北に流れる阿賀川の左岸河畔に、町営の日帰り入浴施設・湯陶里がある。切り妻屋根の2階建てのこの地方にふさわしい建物。会津本郷温泉といい、57度の硫酸塩泉が湧く浴場には黒御影石造りの浴槽と、庇の架かる眺望のいい露天風呂がある。
■福島県の温泉13

奥会津エリアの温泉

●所在地 
柳津町、三島町、金山町、昭和村、只見町、、檜枝岐村、南会津町
●交通
磐越道会津若松IC・会津坂下IC利用。関東方面からは東北道西那須野塩原ICからアプローチする。○柳津温泉は会津坂下IC-R252で6km、西山温泉は県道32号に入ってICから17km○宮下温泉は会津坂下IC-R252で12km、早戸温泉は22km。○玉梨・八町温泉は会津坂下IC-R252、川口からR400に入り38km、昭和温泉はその先で47km。○湯倉温泉は会津坂下IC-R252で38km、大塩温泉は50km、滝沢温泉は53km、只見温泉は61km。只見町からR289に入って、深沢温泉は会津坂下ICから71km、片貝温泉は98km、さかい温泉は99km、山口温泉は104km、古町温泉は108km、小豆温泉120km。○尾瀬檜枝岐温泉は会津坂下ICから125km、東北道西那須野塩原ICからだとちょうどR352を南下、15km先で脇道に入り駐車、徒歩50分○木賊温泉は会津坂下IC-R252-R289-R401-R352-村道で124km、湯ノ花温泉は、R352から県道350号に入る。会津坂下ICから125km、たかつえ温泉は会津坂下ICから131km、会津高原温泉は143km。
●問合せ
会津高原観光情報センター0241-62-8686/柳津町観光案内所0241-42-2346/三島町企画課0241-48-5533 /金山町企画観光課0241-54-5222/昭和村企画課0241-57-2116/南会津町0241-62-6200 /只見町観光協会0241-82-5250/尾瀬檜枝岐温泉観光協会0241-75-2432

●奥会津はドライブしながらどこかの温泉で入浴できる、という温泉地豊富で広大なエリア。
会津若松からの時計回りのルートと、会津坂下ICから只見川沿いに反時計回りに、柳津ー只見ー檜枝岐ー会津高原ー田島ー下郷ー会津若松と回るルートがある。途中、田島から南郷へ抜けるR289、それに南会津町田島と金山町を結ぶR400のコースもあるため、全ルートを一筆書きで回るというわけにはいかない。それぞれの季節に何度か訪れて、踏破したいエリアだ。
柳津温泉を出発点として、R252を只見川沿いに走る。西山温泉は一時山中への立ち寄りになる。R252はそのまま西に向かい、三島町の宮下温泉と早戸温泉を過ぎて、金山町の中心部の会津川口に着く。ここからR400を南下すれば八町温泉・玉梨温泉を経由で、昭和温泉のある昭和村に入る。R252は湯倉温泉・大塩温泉・滝沢温泉と過ぎ、只見町になる。町中に只見温泉、少し南に走った高台に日帰り施設・宿泊施設の並ぶ深沢温泉がある。その先、ほぼこのR289沿いに南郷の片貝温泉・さかい温泉が見える。南郷中心部でR401と分岐するが、東方向の田島方面にはすぐ山口温泉が沿道にある。南下したR401は南会津町伊南の古町温泉そばを通り、やがてR352に合流、南の尾瀬方面は、小豆温泉を経て、檜枝岐村に入って、尾瀬檜枝岐温泉という一大温泉エリアになる。なお燧ヶ岳北東部の山中に渋沢温泉がある。R352を東に走ると、南会津町舘岩を通過するが、南に走って、湯ノ花温泉と木賊温泉がそれぞれ別のラインで、北の会津高原にたかつえ温泉がある。中山トンネルの先に会津高原温泉があり、その後R121と合流、北の南会津町田島、下郷町、会津若松市へというドライブになる。
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只見川のほとりの柳津温泉は、大満虚空蔵尊(茨城県東海村)、能満虚空蔵尊(千葉県天津小湊町)と並んで、日本三大虚空蔵尊のひとつになっている福満虚空蔵尊を祀る圓蔵寺の門前町として栄えたのが始まり。町の中心部に、旅館と民宿が合わせて13軒あって、のどかな温泉街も形成している。また丘の上につきみが丘町民センターという公共の宿が建っている。かつては町内の12キロ離れた西山温泉から引湯していたが、1987年に毎分320立の46・8度の弱食塩泉が湧出した。湧出地の圓蔵寺は今でも年間100万人近くが参拝する。特に1月7日の夜、行なわれる奇祭・裸まいりは人気がある。役場近くに斎藤清美術館、観光物産館清柳苑、高台に柳津森林公園があり只見川を俯瞰できる。その只見川ではライン舟下りも行なわれる。
柳津町中心部から只見川支流の滝谷川を10キロほど遡ると山あいに西山温泉がある。西山温泉は8つの源泉がある。この内、老沢ノ湯は不明だが、下ノ湯・神ノ湯は養老元年(717)、荒湯は寛永2年(1625)、新湯は安永元年(1772)などと次々に発見された。他に滝ノ湯・中ノ湯・福ノ湯がある。西山の地が賑わいを見せたのは、1897年に廃山になったが、かつて軽井沢銀山があったため。源泉は90度と高温で、含食塩重曹芒硝泉、食塩泉など、それぞれ異なる泉質を持つ6軒の宿がある。特に老沢温泉旅館は男女混浴の、3つの浴槽がある浴場内に温泉神社があることで知られる。飲用でも痰切りに効く。温泉街から離れたところに町営の日帰り入浴施設せいざん荘があり、ここには荒湯が引かれている。そばには地熱発電所が稼働している。湯量も豊富で、ここの砂子原と五畳敷の2つの集落は全戸に温泉がある。

会津桐で知られる三島町には宮下温泉と早戸温泉がある。宮下温泉は自噴する56度の食塩泉で、只見川の河畔に2軒の宿と日帰り施設桐の里倶楽部と町営の宿泊施設ふるさと荘がある。ふるさと荘はかつて赤岩荘という日帰り入浴施設だったが、1976年、公共の宿として開業した。桐の里倶楽部は只見川岸にあり、眺めがいい。すぐそばには物産館もある。三島町の西端、只見川至近に2軒の宿がある早戸温泉は鶴の発見伝説があり、かつては「鶴の湯」とも呼ばれていた、宝亀2年(771)に温泉が湧出した記録文書がある千年以上の長い歴史のある温泉。52度の赤土色の含芒硝食塩泉で、打撲・骨折・創傷に効く。

金山町にも湯倉・大塩・滝沢・八町・玉梨などの温泉がある。湯倉温泉は水面に赤い屋根を写す鶴亀荘の一軒宿。小さな露天風呂もあり、皮膚方面と痔疾に卓効の60度の塩化物泉が湧く。ここは本名ダムのダム湖畔になっている。川っぷちの共同浴場もある。ここは混浴。対岸にはかつて橋立温泉の共同浴場があったが、温泉の湧出が止んで今はなくなっている。只見の川底に湧く38度の茶褐色の含重曹芒硝食塩泉を集中管理で与熱後、配湯している大塩温泉には旅館が1軒ある。共同浴場を風呂に利用する民宿も1軒あって、釣り客の利用が多い。その集落管理の共同浴場は只見川の傍らにあって、旅人は200円を箱の中に入れて利用する。鉄分を含んでいる温泉は飲用すれば宿便が取れるなど胃腸に卓効だが、飲み過ぎに注意。只見川が大きく蛇行する滝ダム近くにある滝沢温泉は、無人で入湯の際に協力金を支払うシステムの混浴共同浴場もある。

一方、只見川に注ぐ支流の野尻川に沿って、R400が南会津町田島方面に走るが、5キロほど行くと八町温泉と玉梨温泉がある。八町温泉は脱衣場は分かれているが混浴になっている共同浴場があるのみで、土類食塩泉が湧く。ほぼ浴槽で満たされている浴室には成分・効能書が大書している。この地区の30戸が管理している。玉梨温泉は、国道側の川縁に恵比寿屋旅館、赤い弁天橋を渡った対岸には、旅館玉梨がある。また日帰り入浴施設の町営の国民保養センターせせらぎ荘、それに大きくはない男女別の昔からの共同浴場がある。玉梨温泉は源泉は中井湯・大黒湯・亀湯という45度の淡褐色の炭酸水素塩泉。野尻川上流にはさらに、昭和村に入って昭和温泉しらかば荘がある。ここは黒鉱探査の際、52度の弱食塩泉が毎分80立も湧出し、1972年に開業させた村営の宿。浴場設備などは普通の宿泊施設だが、低料金で利用できる。なお、R400は西那須野町を経て、茨城県水戸市まで走っている。

滝沢温泉の先、只見川を上流方向にR252を進むと、只見町中心部着き、ここには日帰り入浴施設・保養センターの只見温泉がある。只見町から道はR289になる。これを南下すると、10キロほどの高台の丘陵地に深沢温泉の季の郷湯ら里という公共の宿が建っている。ここは1996年に開業した24室の客室をもつ、新しい和風リゾートホテル。45度の含芒硝食塩泉で、鉄分を濾過している。別棟の浴場「季の湯」「郷の湯」にはジャクジー、ミストサウナ、それに周囲の山々を眺めながら入る露天風呂がある。敷地内に日帰り施設のむら湯もできている。源泉は同じだが、こちらは赤茶色のまま使用している。

深沢温泉の先、南会津町南郷地区に入ってすぐの所にあるのが片貝温泉・ホテル南郷。さいたま市の保養施設だが、一般利用もできる。1997年に60度の食塩泉の掘削に成功、露天風呂もある。ホテル南郷の前を流れる川の対岸高台にさかい温泉さゆり荘がある。鉄筋5階建ての三セクの宿。浴場は渡り廊下でつながれた向かい側のさゆり会館の1階にある八角形の展望風呂。源泉の69度の硫酸塩泉は褐色だが、これを濾過している。ながめのい露天風呂もある。片貝もさかいも所在地の地名。群馬県沼田市からきているR401はさゆり荘の先の新鳥居峠を越え、昭和村を経由、さらに博士峠を過ぎ、会津美里、会津若松市へ向かう道だが、両峠とも冬期は通行止めになる。なおすぐ近くの高清水公園はヒメサユリの群生地。

一方、さかい温泉を南下したR289とR401の合流する三叉路のすぐ西側、トンネルのすぐ左手道路沿いに山口温泉きらら289がある。ここは68度の食塩泉が湧く町営の日帰り入浴施設で、1998年に開業した。男女日替わりで、洋風のリンドウの湯と和風の山桜の湯で、それぞれ岩造りの露天風呂がある。

南会津町伊南にも古町温泉の赤岩荘という町営の共同浴場施設がある。赤銅色の48度の食塩泉が湧く。山と川を眺める露天風呂がある。また、檜枝岐村の村境近くになったスノーシェッドの途中からアプローチする小豆温泉という日帰り入浴施設である窓明の湯は、52度の単純泉。浴場は、バイブラバス・寝湯・サウナの他、円形の石造りの露天風呂がある立派な物。隣接して公共の「花木の宿」という高級和風旅館がある。
尾瀬の入口である尾瀬檜枝岐温泉は、村の全戸に温泉が引かれている湯量豊富な温泉。といっても、この温泉は、大津岐発電所建設でトンネル工事をしていた際、1968年に偶然に発見された全く新しいもので、現在、旅館7軒と47軒の民宿がある。52〜65度の単純泉で、湯量豊富なため村の全戸に温泉がある。共同浴場的施設はクアハウス的な設備の整ったアルザ尾瀬の郷、駒の湯、それに新しくできた燧の湯がある。燧の湯は2階に展望風呂がある。アルザ尾瀬の郷はクア的施設の温泉ゾーンと、水着着用のプール施設からなる。また登山者向きの渋沢温泉が尾瀬の北、燧ヶ岳の北麓、ブナの原生林の中にあり、含食塩重曹泉が湧いている。尾瀬にも温泉小屋がある。

南会津町舘岩地区には温泉が多い。木賊温泉は、集落が戸数40ほどという山奥の小さな山村になっているが、旅館4軒と民宿が11軒ある。それに木賊温泉共同浴場と広瀬の湯という共同浴場の2箇所がある。特に渓流沿いの木賊温泉共同浴場の露天風呂は野趣溢れる造りで、混浴ながらここを目的に訪れる人もいる。木賊温泉の発見は治暦元年(1065)で、源泉は49度の単純硫黄泉が湧いている。木賊は当て字で、この辺りに自生しているシダ植物の「砥草」からきている。集落の南にある尾根越えの整備されたルートを使うと檜枝岐温泉からの短絡路になる。また標高1971mの田代山への登山口にもなっている。

同じ舘岩地区の湯岐川沿いの湯ノ花温泉には旅館6軒、民宿・ペンションが14軒ほどある。発見は700年ほど前とも、天文3年(1534)ともいわれているが、開湯は1879年の明治初め。43〜60度の含土類石膏弱食塩泉と単純泉が湧く。また共同浴場が立派な建物の弘法の湯、川のすぐそばにある石湯、橋のたもとにある天神の湯(以上は混浴)、男女別浴の湯端の湯の4箇所がある。湯端の湯はとても熱かった。いずれも200円。登山客や釣り客に人気がある。
リゾートフルな会津高原のたかつえ温泉はホテル1軒と16軒のペンション・民宿がある。ここは戦後、開拓された土地であるが、たかつえスキー場がオープンして以来賑わいをみせてきた。1986年に湧出した47度のアルカリ性単純泉が会津アストリアホテルと、そばにあるログ調の日帰り入浴施設・白樺の湯に引かれている。

田島方面にR352を走り、中山トンネルを過ぎ、南会津町田島エリアに入った、会津高原駅の先に、日帰り入浴も兼ねている会津高原温泉・夢の湯という宿がある。
■福島県の温泉14

白河周辺の温泉

●所在地 
岩瀬郡天栄村、西郷村、石川町、棚倉町、塙町、矢祭町
●交通
主に、東北道須賀川ICもしくは白河IC利用。○天栄温泉は白河IC-R4-R118で23km、岩瀬湯本温泉は40km、二岐温泉は45km。○羽鳥湖高原温泉は白河IC-R4-県道37号で25km。○新甲子温泉は白河IC-R4-R289で20km、甲子温泉は25km。○金勝寺温泉は白河IC-R4で4km。○あゆり温泉は矢吹ICから2km。○母畑温泉は須賀川IC-R118で20km、猫啼温泉は21km、片倉温泉も21km。○きつねうち温泉は白河ICから20km、R118を南下する棚倉温泉・向山温泉は29km、県道方向にそれた谷川温泉は37km、志保の湯は42km、新湯岐温泉は45km、湯岐温泉は46km。○東舘温泉は須賀川IC-R118で40km、滝の沢温泉は41km。
●問合せ
天栄村観光情報センター0248-36-2221/天栄村産業課0248-82-2117/白河甲子高原温泉観光協会0248-36-2221/白河観光協会0248-22-1147/東村企画調整課0248-34-2111/石川町商工観光課0247-26-2111/棚倉町商工観光課0247-33-2111/塙町観光協会0247-43-2112/矢祭町産業課0247-46-3131

●白河市周辺には、派手さこそないが、情緒ある温泉地が点在している。北西部には、天栄温泉・羽鳥湖高原温泉・岩瀬湯本温泉・二岐温泉、そして、西に向かうと、新甲子温泉・甲子温泉、市内には、金勝寺温泉、そして、南に下ると、猫啼温泉・片倉温泉・母畑温泉・棚倉温泉・向山温泉・谷川温泉・志保の湯・湯岐温泉・湯岐温泉・東舘温泉・滝の沢温泉と連続、あるいは点在している。
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天栄村のR118鳳坂峠の手前、国道からそれて少し下った林間にある天栄温泉は、明治初年の開湯で、客室10というこぢんまりした一軒宿の天栄湯。浴室の外には桜の木があり、花見の頃ひときわ見事。11度の石膏泉を浴用加熱しているが、一般的適応症の他、動脈硬化症、高血圧症、痛風、そして特に胃腸病に効果がある。飲泉でも胃腸病・痛風に効く。静かさが魅力の宿で、じっくりと温泉を楽しみたい人におすすめだ。

羽鳥湖の北から西岸を通って羽鳥湖高原に向かう。ここはペンションビレッジや、ゴルフ場、スキー場などの他に、青少年旅行村やレジーナの森という一大アウトドア施設がある。ここには羽鳥湖高原温泉の56・8度のアルカリ性単純泉が湧く「天翔の湯」という日帰り施設があり、キャンパーなどに喜ばれている。

その先、さらにR118を西に向かった鶴沼川の傍にあるのが岩瀬湯本温泉。国道から少しだけ脇道に入っているので、静か。周辺は四方を山に囲まれたのどかな田園風景で、ひなびた風情は一見、普通の集落のようだ。ここは9世紀の始め、平安時代に病気に罹った嵯峨天皇のために名湯を探して求めていた星右京之進、若狭之助、丹波の三兄弟がこの地で発見したという故事がある。地内にある温泉神社にはそのため今でも菊の紋がある。現在も、その末裔の宿がある。今でも現役の茅葺き屋根で重厚な造りの宿もある。共同浴場があるが、これは地元民のためのもので、一般旅行者はちょっと入浴は難しい。但し岩瀬湯本温泉の宿泊者は入浴が許可されている。48度の含土類石膏食塩泉は胃腸病・皮膚方面・糖尿病に効く。中心部から少し離れたところに、吊り橋のある宿、集落内から新しく移転した宿もある。

岩瀬湯本温泉から南に向かう道は天栄村営スキー場になるが、さらにその先に二岐温泉がある。二俣川の渓流沿いに宿が建ち並んでいる山中の温泉地で、ここも開湯は1200年以上前までさかのぼり、後に平家の一門が隠れ住んだと伝えられる秘湯。宿のほとんどが源泉を持ち、50〜60度の石膏芒硝泉が湯量が豊かに湧出する温泉地だ。川の傍の露天風呂が自然そのもの。

白河市の西隣りにある西郷村には甲子温泉と新甲子温泉という2つの温泉がある。新甲子温泉は那須高原へのドライブルート上にあり、通行量も多い。レジャー施設・キョロロン村が傍にあり、ファミリーなどで賑やかなポイント。コテージや日帰り入浴施設ちゃぽランド西郷もある。ここは46度のアルカリ性単純泉を利用した一般入浴の大浴場の他、水着着用の本格的スパガーデンがある。温泉は甲子温泉から引湯した炭酸Ca泉と、みやま荘・五峰荘のもつ独自源泉の63度の硫酸塩泉。露天風呂を持つ宿も多く、春は新緑、秋は紅葉を楽しみながら入浴することができる。近年スパリゾートあぶくま温泉館という会員登録もできる温泉宿泊施設もできている。近くには雪割橋などの景勝地もある。

甲子温泉は新甲子温泉からさらに4キロほど西、山間にひっそりと佇む一軒宿。甲子の名は600年前、州安という旅の僧がここを発見した至徳元年(1384)が甲子の年だったからといわれる。ここは阿武隈川の源流部でもあり、周囲を手付かずの自然に囲まれ、秘湯ムードたっぷり。源泉は湯量豊富な43度の無色無臭の炭酸Ca泉。白河藩主で田沼意次失脚後、寛政の改革を行なった松平定信もこの温泉を愛して、ここに勝花亭という別荘を造っている。その建物は今でも残る。対岸の混浴(女性占有20〜21時)の大岩風呂は旅館内からトンネルで対岸に渡る。そばには温泉の湯を使った夏期営業の屋外プール、女性専用の風呂もある。
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白河市の北東に隣接する泉崎村にはさつき公園というスポーツレジャーゾーンがあって、ここには泉崎さつき温泉・泉崎カントリーヴィレッジという設備の整った公共の宿がある。静かな林に囲まれて、環境も抜群。

また、その北にある矢吹町には町営の共同浴場、矢吹町健康センターあゆり温泉がある。庭園風の露天風呂には大きな岩を配置していて、人気がある。52・7度のアルカリ性単純泉が湧く。

白河市内、北郊外に金勝寺温泉の一軒宿があり、放射能鉱泉が湧く。白河市東地区には、きつねうち温泉という公共の温泉がある。「きつねうち」は地名の狐内からで、35度のアルカリ性単純泉を浴用加熱している。日帰り入浴も利用されているが、館内に普通の客室の他、敷地内にコテージもある。

石川町にある猫啼温泉は平安時代の歌人和泉式部の愛猫がこの地に取り残されて、得た病気を治すためにこの温泉に浸かったという伝説が名前の由来。すぐ近くにある片倉温泉は、地名ではなく片倉製紙という企業名からこの名がついたもの。
さらにその北東部にある母畑温泉は八幡太郎伝説が残る古湯。傷を負った兵馬が谷川の水で治したという。近くの光国寺に歌人・和泉式部堂が設置されていて、その生地ともされている。源泉は29度のアルカリ性単純弱放射能泉。全国でも数少ない泉質で、海外輸出もされていたほどで、「母畑の三日湯」といわれる卓効の湯。湯は上・中・下の湯と3つある。現在大小6軒の宿と母畑温泉健康センターからなる。健康センターは日帰り入浴の本格的施設で、寝湯・庭園風露天風呂、超音波エステコーナーなどの設備がある。

白河市から南へ走るR289に沿えば、棚倉町の中心部近くに棚倉温泉・ルネサンス棚倉という一大レジャースポーツ体験ゾーンがある。乗馬、テニス、アーチェリーなどがあり、ハーブ園・遊園地・バーベキューガーデン・コテージも併設された施設で、ホテル棟に隣接して、クアハウスがある。浴場にも気泡浴・箱蒸し・寝湯など10種類の浴槽があり、26度の弱アルカリ性単純泉が浴用加熱されている。インドア施設も温水プールフィットネスなどが充実している。またすぐそばに向山温泉がある。ここはR289沿いの2軒の宿。25度と17度の単純泉をそれぞれ浴用加熱している。

棚倉町からさらに南に走った塙町の町中心部から離れた山形吉の目地区の里に一軒宿の谷川温泉がある。15度の単純泉を浴用加熱しているが、特に痔疾に効くといわれている。また志保の湯という一軒宿が木野反地区にある。29度の単純泉を浴用加熱する。県道の南には新湯岐温泉という31度単純泉が湧くせせらぎの湯・湯岐山荘の一軒宿がある。さらに湯岐温泉は3軒の宿、山形屋・和泉屋・井桁屋の3つの旅館がある。天文2年(1533)に猟師が狩りの途中で発見したという歴史のある温泉で、源泉が共同浴場にある花崗岩の割れ目から湧き出していることが温泉名の由来。39・8度のアルカリ性単純泉は水虫と中風、それに高血圧など心臓・血管方面に効く。湯はかなりなめらかで、和泉屋では36度の温めの湯の混浴浴場があり、ゆっくりと入るのが原則。この辺りは標高500mの高所で、茨城県境に近いということもあり、水戸藩の湯治場として利用されてきた。近くには散策用の遊歩道もある。
湯岐温泉の先、R349との交点に湯遊ランドはなわという日帰りも受け入れる宿がある。源泉は湯岐温泉の干泥の湯から引湯している。大浴場には遠赤外線低温サウナを併設、岩造りの大きな露天風呂からは日本庭園を眺められる。建物は標高450mにあり、眺望も抜群。すぐ西は矢祭町域になる。

その先の矢祭町には役場近くに東舘温泉・ユーパル矢祭という町営の施設があり、日帰り入浴にも大いに利用されている。源泉34・4度のアルカリ性単純泉を浴用加熱している浴場にはサウナ・打たせ湯・超音波風呂・露天岩風呂などがある。隣接してスインピア矢祭というウォーターパークがある。また滝の沢温泉が役場の真西の久慈川近くにある。ここは14度の単純泉。
<写真はいわき湯本温泉さはこの湯>   

■福島県の温泉15

いわき湯本温泉

●所在地
いわき市常磐湯本町
●交通
常磐道いわき湯本ICから4km/常磐線湯本駅下車すぐ。
●問合せ
いわき湯本温泉旅館協同組合0246-43-3017

●いわき湯本温泉の歴史は1600年前、12代景行天皇の時代に始まるといわれる。地元の農民が狩りの途中、傷を負った鶴がお湯で体を癒していたのを発見したという言い伝えがある。古墳時代を経て、10世紀末の文献に現在の兵庫県・有馬温泉、愛媛県・道後温泉と並んで、日本三古泉と記述されている。また、既に平安中期の「拾遺和歌集」にこの地を「佐波古の湯」として載せている。現在でも、佐波古の名は、温泉神社社司の佐波古氏や、三函という町名に残る。浜街道が整備された江戸時代には、湯治場の他、唯一の温泉宿場町として多くの遊客で賑わったといわれる。戦前、この近くには日本有数の石炭産出量を誇った常磐炭鉱があり、炭鉱内に湧く含塩化土類泉を引湯していたこともある。北茨城に生まれた童謡詩人の野口雨情が事務員として炭坑事務所に勤めていた。今でも当時住んでいた家が三函町に残っている。いわき湯本温泉は、常磐道いわき湯本ICからわずか1キロ、いわき市の中心部である平からはR6を南に走り、石炭化石館前からJR常磐線を渡ってすぐのところにある。現在、温泉の入っている宿は34軒。その他個人宅でも引湯しているところがある。泉質は無色透明で滑らかな良質な硫黄泉で毎分5000立、泉温は45〜60度。いくつかの源泉を共同管理されているが、現在利用されているのは70%ほど。硫黄成分が多く、慢性皮膚病、婦人病、リュウマチ、切り傷に動脈硬化症、そして神経痛、筋肉痛、病後回復期など多くの効能がある。歓楽街がある温泉地は珍しい部類に属するが、いわき湯本温泉はメインストリートの温泉通りに古い湯宿が軒を連ね、昔ながらの面影が残っている。その一角から路地に入ると、山門の寺や勝行寺など江戸時代の歴史を目の当たりにすることもできる。近年、江戸建築様式を再現した純和風の建物の日帰り入浴施設さはこの湯ができた。1階にある岩造りの浴場は男女が1日交替、その他、家族風呂もある。2階は温泉資料を展示していて、3階は大きな休憩室になっている。入浴料は150円と廉価。
湯本駅の東側にいわきゆったり館という市の健康・福祉施設がある。ここには水着着用のクアハウスと、露天風呂、サウナ、圧注浴設備のある浴場、トレーニングルームなどがある。洋室・和室それぞれ8室ある客室も低料金で利用可。日帰り入浴も人気だ。
一方、少し離れたところ、南西部にある白鳥温泉は、春木屋とパームスプリングクラブの2つの宿がある。白鳥温泉は、大同2年(807)に徳一大師によって、あるいは文久2年(1862)に小次郎という人物によって発見されたといわれているが、春木屋は明治期の開業。56度の食塩硫化水素泉13度の塩化土類食塩泉が湧く。岩造りの露天風呂が建物から離れた林間にある。自然豊かで梅や、見事な桜の木が敷地内で咲く。
また、いわき湯本ICのすぐ近くには大規模な全天候型巨大ドームのあるレジャープール施設などをもった宿泊施設のスパリゾートハワイアンズがあり、賑わっている。水着着用のスプリングタウンと裸でのスプリングパレスゾーンに分かれていて、世界一に認定された広さ300坪の露天風呂・江戸情話与市がある。
広い市域のいわき市内には国宝・白水阿弥陀堂、灯台のある塩屋埼、マリンタワーからの眺望が抜群の三崎公園など観光地も多い。また小名浜が近いこともあって、新鮮な海の幸も期待できる。名物料理はアンコウ鍋、メヒカリ揚げなど。温泉旅館ではオリジナルの調理方法で旬の食材を味わわせてくれる。交通が便利で、しかも冬でも暖かいという気候なので、四季を問わずに賑わいを見せる温泉地だ。
<写真は、はらまちユッサ>   

■福島県の温泉16

浜通りエリアの温泉

●所在地
相馬市、南相馬市、浪江町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町、いわき市
●交通
ほぼR6沿い。○鹿狼鉱泉は相馬市街地からR113で10km。松川浦温泉は相馬市街地から東へ6km、蒲庭鉱泉は県道74号経由で11km。○風穴の湯は鹿島町中心部から7km、川子の湯鉱泉は県道120で3km。○新田川温泉は原町市街地から県道12で10km。○不動の湯は浪江町中心部から4km。○玉の湯は大熊町役場から県道251-県道35-R288で7km。○岩井戸鉱泉は富岡町役場から町道で3km。○さくらの湯温泉は広野ICから15km○天神岬温泉は広野ICから4km。○目の湯鉱泉は広野町R6折木交差点から県道246で3km、折木温泉は町道に入り、その先1km。○入間沢鉱泉はいわき久之浜から県道246で3km、谷地鉱泉はその先3km。○白岩温泉はいわき四倉ICから1km、玉山温泉は3km、いわき藤間温泉は5km。○さわの湯鉱泉はいわき駅からR399経由で1km。○成沢鉱泉はいわき駅からR49経由で10km。○入の元湯はいわき湯本ICから西へ3km。○神白温泉はいわき湯本ICから東へ11km、三崎温泉は13km、新舞子温泉は18km。○川部鉱泉はいわき勿来ICから2km、銅谷温泉は20km。
●問合せ
相馬市観光協会0244-36-3171/南相馬町市0244-22-2111/浪江町地域産業課0240-34-0245/大熊町企画開発課0240-32-2111 /富岡町企画課0240-22-2111/楢葉町商工観光課0240-25-2111/広野町産業振興課0240-27-4163/いわき市観光協会0246-27-2871

●浜通りには鉱泉あるいは浴用に加熱を要する温度の温泉が多く存在する。まず、新地町の鹿狼鉱泉は、丸森町との境近く、標高430mの鹿狼山登山口にある冷鉱泉。Ca分を多く含む15度の単純泉で、創傷・神経痛に効く。浴室は桧風呂と岩風呂で男女交替になる。また予約すれば近くから入手できる搾りたてを使った牛乳風呂がある。ここは手長明神という神様がいて、この山に腰掛けて長い手を太平洋に伸ばして貝を食べていたという伝説がある。鹿狼の名前はその明神が鹿と狼を連れていたからとか。なお、宿の上部にある高台のどんぐりという展望棟のある大型建物の食堂は蕎麦が美味しい。

松川浦温泉と称しているのは相馬市の松川浦を眺め下ろす高台にある飛天という和風リゾート旅館。蒲庭鉱泉は、相馬の松川浦の南、蒲庭海岸近く、明るく開けた高台にある一軒宿の蒲庭館。12度の鉱泉で、塩化土類食塩泉は高血圧に効く。敷地内にかつて来訪した徳富蘇峰を記念した蘇峰園という庭園がある。

南相馬市鹿島地区の上真野川そばにあるのは明治25年創業の風穴の湯。20度の単純泉を浴用加熱する。また鹿島と原町の境にある川子の湯鉱泉は鉄泉が湧く。神経痛とリューマチに効く。
南相馬市の西部、新田川沿いの山の手に新田川温泉はらまちユッサという日帰り施設がある。林を眺める岩造りの露天風呂は広さも十分。浴場にはエステバス・ローリングバスなどクア的設備もある。特にソルティサウナという塩を体に塗って入るサウナが人気。

南相馬市小高地区を通り越して、県道120号線で浪江町に入ってすぐあるのが不動の湯。ここは日帰りだけだが、15度の単純緑礬泉を浴用加熱している。

双葉町の南、大熊町の町中からR288で西に向かった野上川沿いに玉の湯元湯旅館がある。26度のアルカリ性単純炭酸鉄泉が湧き、かつて相馬藩主の湯治場だった歴史がある。近くの三森山は桜の名所。

富岡町には山の手に3軒の宿からなる岩井戸鉱泉がある。白鳥の発見伝説があり、11度の単純炭酸鉄泉が湧く。かつては相馬の湯とも鶴の湯ともいわれていた。飲泉で胃腸にも良い。また同じ富岡町には1998年開業の公共の宿であるさくらの湯温泉・リフレ富岡がある。館内には温泉・本格的なプール・トレーニングルーム・レストラン・宿泊施設がある。浴場にはサウナ・薬湯もある。温泉は42・8度の含石膏食塩泉。宿泊施設は和室とツインルームもあるホテル。すぐ近くは東北を代表する名所のひとつで、夜桜のトンネルも美しい夜の森公園がある。桜は2千本以上。

楢葉町には、ならは天神岬温泉しおかぜ荘が海岸部にある。浴槽は展望風呂と屋根掛けの露天風呂、ともに太平洋が眺められる。源泉は33・4度のNa塩化物炭酸水素塩泉。そばには食事・宿泊も可能なサイクリングターミナル、スポーツ公園がある。また新しくできた「道の駅ならは」は塩化物泉の湧く日帰り入浴施設を併設している。

広野町には折木川上流部に折木温泉の2軒宿の若松屋旅館と元湯鶴屋がある。それぞれ単純炭酸鉄泉と酸性緑礬泉を浴用加熱している。すぐ近くには目の湯鉱泉があって、単純炭酸鉄泉が湧き、名前の通り眼病に効き、温まりの湯でもある。
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広野町からいわき市に入る。いわき市内にはいわき湯本温泉・白鳥温泉の他に、20ヶ所以上の温泉がある。
大久町に谷地鉱泉、入間沢鉱泉、久ノ浜温泉、四倉町に玉山鉱泉、白岩温泉、四倉舞子温泉、平の海岸部にいわき蟹洗温泉、いわき藤間温泉、新舞子温泉、平にはさわの湯鉱泉、成沢鉱泉、吉野谷鉱泉、遠野町に中根の湯、内郷に高野温泉の入の元湯、南部地域に、銅谷温泉、小名浜に三崎温泉、神白温泉、原木田温泉、相子島温泉、勿来町に白米温泉、川部鉱泉。他に、地切温泉、カンチ山温泉、下川ノ湯温泉、蟹洗温泉、中ノ湯、錦温泉、吉野谷温泉などがある。勿来町の熊ノ湯は2001年クローズした。
谷地鉱泉はいわき市の北部、広野町との境近くのアンモナイトセンターそばにある一軒宿の石川屋。周辺を山々に囲まれて、自然いっぱいの故郷の家のよう。18度の弱アルカリ性単純泉で、創傷・痔疾に効き、飲泉も可。浴槽もタイル張りで家庭的。
入間沢鉱泉入間沢鉱泉は、いわき市の北、クビナガリュウが発見された大久川の支流、入間沢川にある一軒宿・叶屋。15度の重炭酸土類泉が自噴する。江戸時代に鹿による発見伝説がある。入浴では皮膚病・創傷・打ち身・痔疾に、飲泉では胃腸方面に卓効。海竜の里センターが近くにある。
白岩温泉はいわき市北部、常磐道四倉IC近く、県道35号沿いにある一軒宿・金波旅館。神経痛に効く17度の酸性明礬泉の鉱泉が裏山から湧く。湯治旅館として1932年に開業した歴史ある建物。周辺に松の山があり、松茸狩りもできる。
玉山温泉も、常磐道四倉IC近く、四倉町玉山地区湯の口というところにある3軒の鉱泉。藤屋・石屋・玉屋という3つの旅館がある。開湯は延享元年(1744)、当時の平藩主内藤守政の内室宝麗光院が夢で掘ったことからという。19度の単純炭酸泉・重曹泉が湧く。毎年2月11日と9月11日には温泉神社で例祭がある。
いわき蟹洗温泉はいわき市北部四倉の海岸部、R6沿いある24時間営業の太平洋健康センター。17・5度の弱アルカリ性泉を浴用加熱している。1階は大浴場にサウナと、太平洋に面した海水露天風呂、同じく海に面して、ラウンジ・レストラン、2階もサロン・ビアレストラン・宴会場は眺望抜群になっている。
いわき藤間温泉は、海岸部にある公共の宿・いわき簡易保険保養センター。新しい施設で、低料金ながら高級リゾートホテルのようで、周辺には高い建物がないため、全て太平洋に向いている客室からの眺めは最高。毎分168立の43・8度の食塩泉が湧く。本館に浴場棟・くじらの湯が隣接していて、浴場内には打たせ湯・超音波湯・エステバスの他、岩造りの露天風呂もある。
いわき藤間温泉の少し南、滑津川河口にある新舞子温泉は、同様に新舞子ハイツという公共の宿。3階にある展望浴場からは海を眺めながら入浴でき、日帰り入浴も人気がある。40・5度の食塩泉が湧く。敷地内には別棟に本格的な屋内温水プール施設もある。また海岸のすぐそばなので潮風に吹かれながらの散策もいい。
さわの湯鉱泉は、平のいわき駅を北に回り込むR399磐城街道を北上すると胡摩沢地区にある一軒宿。弘法大師伝説のある単純泉の鉱泉。かつてはそばにある磐城高校の下宿でもあった。今でも下宿人がいる家庭的な宿。
成沢鉱泉は、いわき市からR49で郡山方面に走り、好間町大利の成沢入口から入った山道沿いにある成沢の湯の一軒宿。15度の弱アルカリ性単純泉は創傷・打ち身・毒蛇・骨折・リュウマチに効くと宿の看板に書かれているが、アトピーなど皮膚病に効く。素朴な浴槽は1つのみなので、男女同浴になっている。
入の元湯は、常磐線内郷駅から県道66号でR49に抜ける内郷高野町にあって、以前は中の湯と、出戸の湯と入の元湯の3つを合わせて高野温泉と呼ばれていたが、出戸の湯は今はクローズしている。中の湯の少し北側に、入の元湯・神泉亭の一軒宿がある。宿の名前は大山巌元帥が来訪の際に名付けたというが、温泉そのものはかつての平藩主もこの湯に浸かったといわれている。建物は180年ほど経た三角屋根の合掌造りの堂々としたもの。23度の重曹炭酸泉を浴用加熱している浴場には男女別の浴槽と広いガラス張りの岩造りの露天風呂がある。薬泉太陽風呂という黒御影石造りもある。またぎ焼きという囲炉裏端での料理もある。
銅谷温泉は、いわき市植田町と遠野町を結ぶ県道20号の途中から3キロほど山手に入ったところにある同名の旅館の一軒宿。ここは江戸時代後期文政年間(1818〜1830)に鑛野儘太郎という山師が発掘した。解毒・化膿止め・アトピーなどに効くアルカリ性単純泉を浴用加熱している。建物の横に鯉の泳ぐ池がある。
三崎温泉は1998年にオープンした公共の宿・国民年金健康センターいわきのこと。地下1200mからの食塩泉は37度。館内3階には展望大浴場、地下1階には屋内温水プールもある。
神白温泉は小名浜にある国元屋の一軒宿。浴用加熱される12・4度の芒硝重曹食塩泉は肌をツルツルにする。飲泉も可能で、胃腸に効く。
川部鉱泉はR6の勿来から鮫川村方面に向かうR289に入り、いわき勿来ICを過ぎたところが川部地区で、ここに一般住宅のような川部鉱泉がある。ここは雉による発見伝説があり、かつては湯倉沢の湯と呼ばれていた。男女別の浴槽にアルカリ性重曹炭酸泉を浴用加熱、湯は創傷・火傷・皮膚病に効く。
なお、川部鉱泉の先、田人町旅人には「田人おふくろの宿」という公共の宿がある。温泉ではないが、木造りの建物・内装で素朴ながら清潔感も溢れている。
■私の知っている、福島県相馬市松川浦にある斎春という食堂兼宿では、お寺のミニ本堂というような雰囲気の普通の部屋で食事を出しています。

その店先で炭火で土産用にいろいろな魚を焼き、客にもその魚を食事でも出すということで、焼き立てでも好評です。

食材も満足できる美味しさですが、しかし、少しだけ値段が高いのです。毎週行くという気にはならない。
例えば1900円メニューのものが1400円と、今より全体的に一律500円安ければいいのだがという人もいます。蟹の姿造りは3500円です。

それで、その斎春では全ての定食にびっくりするほどの大きなアサリの味噌汁をつけています。ある人の言によれば、あれがあるからまぁ、何となく納得できる価格になっているかな、ということらしいのです。

つまり、予想外のことがあれば、人はある不満を解消でき、あるいは満足を得るということです。

食事処、宿の食事で、普段ないもの、普段ないことを(アサリ汁のように、実はそれほど仕入れ費用をかけなくてもいい食材で)行なうと、印象がグンと良くなり、記憶に残り、口コミで広がります。

さらに言えば、この「普段ないもの、普段ないこと」の効果は全ての分野に当てはまります。

<写真は斎春の店先と、その定食。これは恐らく、ツボ鯛と、ニシンのセット。手前にあるのがそのアサリ汁。これだけでも単品300〜400円でも納得するサイズ>
■磐梯山を猪苗代湖上空のヘリコプターから。
■御衣黄の咲く場所。
御衣黄は、晩春に咲く被子植物門双子葉植物綱バラ目バラ科サクラ属サトザクラ種の品種で、学名はPrunus lannesiana Wils. cv. Gioiko <桜-里桜- 命名者Ernest Henry Wilson (1876-1930)- cultivated variety(園芸品種)の頭文字>。なおWilsonは、この他イズザクラ、カワズザクラ、ゴショザクラ、イチョウ、アズマニシキ、セツゲツカなども命名している。
御衣黄は、かつて貴人が好んで着用した鶯色の気品のある衣のこと。江戸時代初期、サトザクラとヤマザクラを交配したオオシマザクラの一種で、京都の仁和寺で最初にできた。八重桜のような12枚前後ある緑色の花弁は葉緑素から変化したもの。似たような黄色の花弁の場合は鬱金(ウコン=ターメリック)桜である。

●会津若松市東山温泉・会津武家屋敷●春日八郎記念公園●郡山市熱海町荒町・磐梯熱海温泉●梁川町内山・やながわ希望の森公園管理事務所そば●白河市南湖公園近く・フラワーワールド

の他、県(都道府)内で見られる場所がありましたら、教えて下さい。
■会津若松の会津村、飯盛山、日新館です。
■福島市の医王寺について。
■医王寺は、平安時代末期の武士で奥州藤原氏の郎党である信夫庄司・佐藤一族の菩提寺。真言宗で、山号は瑠璃光山。佐藤一族の本拠は、医王寺のすぐ北にある大鳥城で、築城の際、白鳥を埋めて守護神としたことからこの名がある。現在、舘の山公園。
源平合戦で源義経の身代わりとなって最期を遂げた義経の家臣・佐藤継信、忠信で知られる。境内の最奥、鯖野薬師堂の裏手に、佐藤継信忠信、佐藤基治・妻乙和など佐藤一族の墓が並んでいる。
佐藤基治は。源義経に従って出陣する際に、2人の息子を父基治は白河の関付近、現在の「庄司戻しの桜」の地で見送った。
【なぜ?白河の関で】白河は佐藤基治の警護地であった。
2人の息子を失った老母のために嫁である楓と初音が、武将の姿で慰めたとの話が残る。福島市の北にある宮城県白石市には田村神社甲冑堂があり、甲冑姿をした2人の像が安置されている。
【なぜ?田村神社に】田村神社は文亀年間に佐藤継信の末裔・左衛門亮信治が建立した。なお楓は継信の妻で関東川越太郎の娘、初音は忠信の妻で相馬小高城主行方五郎の娘。
また奥州に逃れる途中、義経は佐藤兄弟を弔うためここを訪れ、遺髪を葬り、厚く供養した。
のち、元禄2年「奥のほそ道」の途中、松尾芭蕉は医王寺を訪れ、義経ファンだった芭蕉はその忠臣である佐藤兄弟を偲び「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」と詠んでいる。
義経とともに逃れてきた弁慶が奉納したその笈は寺の宝物殿である瑠璃光殿に展示されている。
【お得情報】第1駐車場、第2駐車場の案内看板が200m前にあるが、直近の門前にも駐車場があり、閑散期にはそこに駐車できる。いずれも無料。
■2008.10.22福島に行った。伊達あたりの国道筋は柿が鈴なりだった。
■2008.10.29郡山へ。これは郡山市街地南部にある五百淵公園です。この五百淵公園は灌漑用の溜池で、江戸時代に造られたとのことです。ここは桜の名所になっています。写真は、西日があたっている淵の2景と、淵に沿う散策路を散歩する人たち。
■2008.10.31郡山の帰りに伊達市保原の高子沼へ寄った。このあたり一帯は昔、金鉱山があったらしい。伊達政宗がこの領地を失う際、この地にあった製錬所をこの沼に沈めたという。遊歩道の敷かれた沼の畔は秋の西日を受けて黄金色に輝いていた。
■書き込み28の写真の細長い形の、梁川地区一帯に栽培されている柿は、蜂屋柿という品種らしいです。地元ではあんぽ柿として出荷しています。
■[福島県の廉価な宿]
お勧め度★★★★☆●伊達町・うぶかの郷(朝食付4500円)
お勧め度★★★★★●岳温泉・岳の湯(素泊り3350円)
お勧め度★★★★☆●横向温泉・中ノ湯(素泊り3400円)
お勧め度★★★☆☆●奥会津三島町・森の校舎カタクリ
0241-48-5577。鉄筋3階建。夏は25mプールもある。1泊素泊まり3150円(高・大生2625円、中・小生2100円)、夕食2100円・朝食840円・夕食1050円。大沼郡三島町西方字上原3580
お勧め度★★★☆☆●奥会津・森林の分校ふざわ
0241-86-2747。旧町立明和小学校布沢分校。18畳・24畳の各1部屋。 5名以上からの受付。1泊2食4500円(小人3500円、幼児2000円)、素泊まり3000円(小人2500円、幼児1500円)
■「自分の結婚式で配りたい、センス良いわ!と喜ばれるだろう引き出物の東北の土産+郷土料理」福島県版

○福島の「太陽堂のむぎせんべい」○飯坂温泉「ラジウムたまご」○福島の「桃」○「いもくり佐太郎」

○郡山柏屋「薄皮饅頭」「くるみゆべし」「かしわわっふる」「檸檬」○かんのやの「ゆべし」○郡山酪王の「酪王のハイカフェオレ」○三万石の「ままどおる」チョコ味もある。「エキソンパイ」「三千里」○郡山市近江屋本店の「花いかだ」

○猪苗代地ビール○猪苗代湖のビルゴ洋菓子店「ケーキ」○会津若松市「黒糖饅頭」」○会津若松市にある会津葵「かすてあん会津葵」、「小法師」○会津の太郎庵「チーズ饅頭」○会津の駄菓子○白虎飴○「喜多方ラーメン」○喜多方市「10円まんじゅう」○金山町の「栗ドラ」

○「相馬きゅうり」○南相馬の「凍天」○みよし「じゃんがら」○いわき市かねまん本舗の「かまぼこ」○「メヒカリの一夜干し」○「メヒカリチョコ」○いわき「塩辛」○メヒコの「カニピラフ」○白土屋の「ジャンボシュークリーム」

○「ももどら」○二本松玉嶋屋の玉羊羹○「揚げまんじゅう」○須賀川市「一口まんじゅう」○「かりんとう饅頭」○「紅葉漬」○太郎庵の「天神さま」○矢吹町の柴田屋「せんべい」○白河大黒堂の「だるま最中」「生チョコケーキ」○白河南湖公園「南湖だんご」○「しそ巻」○白河のえんどうの「シュー」○鮫川村の「かぼちゃの焼酎」

○「くまだぱん」○「ほまち饅頭」」○ゼリーの家の「ゼリー」○ごまばっかし○さかいの「かりんとうまんじゅう」○花風堂のあげまんじゅう○「」コーヒーまんじゅう○玉川村の「しぼりトマトジュース」○どら屋製菓の「どら焼き」

○飯坂温泉照井「円盤餃子」○白河ラーメン○あんこう鍋○「赤べこ」○「絵ろうそく」
■<資料>東北地方近道情報
ドライブ途中に、ショートカットすれば早く到着できるルートは各地にある。東北地方で知られている近道の情報。慣れない道でだからこそ事故と、突然の交通違反取締りには注意したいですね。文中の町村名は行政名でない場合があります。ほかにもあります?

福島県

●飯坂温泉-土湯温泉/国道13号線から県道5号線フルーツラインを利用すると土湯温泉への短絡ルートになる。

●会津若松迂回/国道49号線で、会津若松を通過する場合、河東町高塚を直進した県道33号線を走った方が早い。

●喜多方・塩川-猪苗代町/塩川町から県道7号線を走ると猪苗代町まで短絡する。

●福島市-磐梯高原/福島市から磐梯高原方面には高速道路を使用するより国道115号線が早い。近年、道路もよく整備された。男

●いわき市勿来-白河/いわき市南部から白河に行く場合は国道289号線を利用すると早い。途中かなり狭い道もあるが、通行量が少ないので早く着く。
■会津和若松市から国道121号線を南に走った下郷町にある奇勝地、国の天然記念物・塔のへつりです。阿賀野川にそそぐ阿賀川上流部が浸食によって削られ、その後隆起して、川岸の崖が凹みになったものです。手前の藤見公園の側に鰐口岩がありますが、藤見橋を渡った対岸の屋根部分に舞台岩があり、見上げる高見には下流から順に屏風岩、烏帽子岩、虚空蔵尊岩、護摩塔岩、象塔岩、尾形塔岩、九輪塔岩、櫓塔岩、第二尾形塔岩、獅子塔岩、鷲塔岩と並んだ奇岩が見られ、フジの花、新緑・紅葉の名所にもなっています。対岸の窪んだところは通路になっていては人が歩くことができます。
■福島市の高湯温泉から浄土平を経て土湯峠に走る磐梯吾妻スカイライン。写真は土湯峠→国見台→天風鏡→湖見峠と過ぎて、大きなヘアピンカーブのある双竜の辻付近の光景です。磐梯吾妻スカイラインは、有料道路でしたが2013年夏に無料開放されました。
■福島県の猪苗代湖です。湖の東岸から北を望むと、遠くに磐梯山が見えます。この日本第4位の広さを持つ湖は、標高500mの地にありながら、その広々とした景色が、普通の高さの平野部だと錯覚させます。会津若松や郡山に向かうには、どちらも長い坂道を下っていくことになります。
■山形県の米沢と福島県磐梯高原を結ぶ山岳道路の西吾妻スカイバレーです。米沢側から走って行くと茅葺き屋根の旅館も並ぶ白布温泉、天元台高原スキー場入口、滝展望台を過ぎ、県境の白布峠越えて、東鉢山七曲りというヘアピンカーブを下ってしばらく走ると、磐梯高原桧原湖に到着します。2003年からは無料になりました。写真は、すべてが紅葉している10月中旬の白布峠から見た元台高原スキー場方面の眺望です。
■福島県南会津郡下郷町の湯野上温泉に天然記念物「中山風穴地特殊植物群落」があります。その先にある展望台から国道121・118号線が俯瞰してみえます。
■鶴ヶ城のある会津若松市内では、毎年、「会津秋祭り」が開催されます。城内では白虎隊剣舞が少年たちによって披露されます。ある年の9月23日の会津秋祭りの様子です。その後、鶴ヶ城は化粧直しされました。

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