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みんなのしあわせコミュの支配者にこそ必要な因果律の法と目指すべき本当の愛

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人間がもしいろいろなロボットを作って、その中に同じ意識ある人間を合意
もなく強制的に投げ込み、ロボット同士が生き残るためには、互いに戦い
相手を破壊しなければならないように設定した演劇場をつくり、
破壊に伴い中の人間は、痛みや苦しみや恐怖を感じることになっていて、
それを見世物として観衆たちにのぞき窓からのぞけるように
してある仕組みを作り、それを実行したら、まぎれもなく犯罪と
判断されるであろう。

誰もそんなことが、許されるとは思わない。

が、同じようなことを、食い合い自然生態系として生み出し、
そこに合意なく意識魂を投げ込み、影から観衆に、そこで
苦しみ、痛み、悩み、のたうち、恐怖する様を覗き見させている
としたら、それはすでに実行されていることであるが、
なぜそれが問題とされない?
非難されない?
おかしいんじゃないか?
自然なら、同じような残酷劇をすき放題にしても自然だから許されるのか?

そんなはずはあるまい。

そこに大きな根本的な違いはない。

ロボットか、生命肉体か、それは大きな違いではない。

それは創られたもの、何者かによって計画的に創られたものであり、
その点で同じだ。

なぜ人間がそうしては犯罪となり、自然を生み出したものならそれでいい
とされるのか?

考えてみたことがあるだろうか?

裁かれるべきは、人間ではなくロボットではなくそのシステムの作り手
であろう。

僕たちは、無意識に自然に心や身体エネルギーまで支配されて、
自然なら、なんでもそれでいいと考えるように心や体を操作支配されて
いるのではないか?

人間には残酷なことをするものもあるが、自然だってそうだろう?
人間には思いやりある行為をするものがいるが、
自然管理者はそれ以上に思いやりある配慮をしているのだろうか?

ただ、自然ならば、なんでもいいのだという価値観が妙に広がっている
ように感じるが、その価値観は、おかしいんじゃないのか?

人間がそもそも科学技術を使うようになったのは、自然状態で安心して
暮らせなかった、、という理由も多分にあったのではなかったか?

暑さ、寒さ、嵐、雷、虫たちの攻撃、肉食系の獣への恐怖、小動物による
被害、衣食住を得るための苦労と苦痛、降りかかる病、、、
人間の多くは、自然と人間たちを支配するものたちによって、
多くの苦しみを受けてきた。
そんな苦しみがない世界にだってこの星や意識世界の支配者たち一同が、
本気でそう願えばできたのだ。

自然なくば生きれない、、、たしかに今はそうだろう。
だが、自然は人間が、自然なくても生きれるように目指す心すら、
否定しているのではないか?
自立しようとする鳥たちが、自然という巣から飛び立てないようにする
おかしな親鳥のように。

そべて自然の一部として生きるがいいと、思ってはしないか?

だが、私は、それを受け入れるつもりはない。

なぜか?

自然そのものの設定そのものが食い合いやいじめが不可欠となる
ような残酷さに染められているからだ。
それをどうにかするのは自然のままでは不可能だからだ。

なんで、そんな自然に単純に戻ってそれでいいとできようか?

人間を支配するものたちは、自然以上に人間を苦しめてきた。
そうは思う。
だが、自然もそんなによい世界ではないと思う。
そもそも、自然とは何なのかすら、ちゃんと説明するものはいないでは
ないか?
どこからどこまでが自然で、どこからが自然でなく、なぜ自然でなければ
いけないのか?
ちゃんと説明されていない。
なぜ人工的な肉が自然ではないと否定されるのか?
その理由はどこにある?
それがいけないと、感じる本当の理由は、どこにある?

それがいけないというものは、自然の仕組み、食い合いの強制の
この生態系の仕組みを、よく見てみるべきだろう。
そして、その仕組みのどうしようもない痛みや苦しみや悲しみの強制こそ、
いけないと思うべきではないか?

それが人間らしい心ではないか?
良心的な魂が持つべき心ではないか?
自然教の信者として魂、命をささげることがすばらしいこととは思えない。

それは、大きないじめとしか見えない。

地球温暖化問題、そして気象異常、地震、、、実は、自然管理者支配者の
自作自演のやらせではないか?

そこに本当の愛など感じれない。
支配者たちの都合のいい価値観で人間や動物を裁こうとする姿勢しか。
無差別大量破壊兵器を良心的な人が巻き込まれるのを承知で
使うことと、本質的な行為の責任の違いはあるのか?

だが、その人間や動物の肉体を生み出したのも、また自然創造者や、
進化管理者やそして人間支配者たちであろう。

個々人としての人間、固体としての動物たちの幸せや安全を、本気で考えて
いるとしたら、どんな愛で、どんな幸せを考えてくれて、こんな世界を
創造し、進化させてきたのか?
自業自得を人間に言う前に、食い合い自然生態系や今までのとんでもない
文明支配行為の本当の責任者たちを問題にしなければならないだろうに。

自己否定になる本能や欲望や社会システムや不当な価値観を植えつけられ、
強制された哀れな人間やさらに哀れな動物たちを、助けようと本気で
取り組む姿勢が感じられない。
そういう不自由な状態に人間がされていると熟知していて、その不自由さ
から生じてしまう行為を理由に人間を否定し裁く。。。みっともなくはないか?

否定されるような本能や欲望を一方の手で植えつけておいて、もう一方の手で
欲望に負けるな本能に負けるなとせっつく、、、強くなれと求める。。。
誰のためにだ?
欲望の犠牲者、本能の犠牲者を救うためか?
ならば、その欲望や本能やを与えている手を自ら引っ込めるがいい。
あるいは、引っ込めさせるがいい。
そのような設定がされている世界で、弱さは、裁くべき罪ではない。

自然にも、人間支配者にも、それを見ている神にも、さらにその上の支配者
にも、これは、伝えたいことだ。

天にあり地にありすべてに遍く支配者たち一同が持っている愛とは、
どんな種類の、愛なのかね?
それぞれに、因果律で自分を否定しないどんな尊い愛をお持ちなのかね?

持っているなら、現実世界でそれを見せるといい。
人間は弱いが、あなたがたは圧倒的に強く現実を創造する力を持っている。

これから見せてくれるのであろう。

因果律の名において、それが尊い愛なのかどうか、しっかり
見せてもらおう。

真実の理解と動機と行為の意味において、因果律をもって公平に判断しよう。
まあ、自然管理者の一部は、ある意味とんでもない役目を与えられて、
それが大事と思い込まされた犠牲者でもあるのかもしれないがね。
人間支配者にしても、そう支配したくなるような状態に悲しい現実によって、
「された」犠牲者でもある存在もあるだろう。。。
だが、その全体から生じることよく熟知したうえで、自作自演のこの
食い合いいじめ支配競争地獄を創造した存在は、これは、もう犠牲者とは
いえないだろうな。

今後、自業自得、因果応報が支配者たちの行為に応じて作用してしまう可能性が
あることを、あるいはそれが後に解消されるべきカルマとして記録されることを、伝えておく。

自ら与えしそのすべての体験や強制を、すべて自分が体験することが確実
として、このままの世界や現状でいいのか?と。
また、これからなそうとする人類への試練?(破壊的現実操作)を計画しているのなら、
その覚悟のうえでそれを行うのか?と。
この世界に必要なのは、存在する誰でもが自分自身であってもいいと思える安心で安全で合意が尊重される楽しく生きれる世界にしようと意志する本当の愛ではないのか?
その愛が、現実にまだはっきりと感じられないのが、悲しいよ。

今後のみんなに期待して、これを、伝えておくよ。

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