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連帯オール沖縄・東北北海道コミュの日の丸下ろし、火を付け…50年前に憧れた日本「全部裏切られた」

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日の丸下ろし、火を付け…50年前に憧れた日本「全部裏切られた」
動画あり 遠藤孝康 宮城裕也 社会速報沖縄
毎日新聞 2022/4/20 05:30(最終更新 4/20 12:34)
https://mainichi.jp/articles/20220419/k00/00m/040/204000c?cx_fm=mailhiru&cx_ml=article&cx_mdate=20220420

動画https://www.facebook.com/mainichimovie/videos/2944035475900975
3分21秒

 1987年10月26日、国民体育大会ソフトボール競技の会場となった沖縄県読谷(よみたん)村の野球場は騒然としていた。開始式の途中、スコアボードに上った男性が、掲揚されていた日の丸を引き下ろして燃やしたのだ。

 器物損壊罪などで起訴されたのは当時39歳だった知花昌一さん(73)=読谷村。公判で「日の丸、君が代の押しつけは戦争につながるもので、どうしても譲れない」と主張した。


 10代の頃の知花さんは「日の丸少年」だった。戦後、日本本土から切り離されて米国統治下に置かれた沖縄では人権も自治も厳しく制限された。日本への復帰を訴えるデモ行進が村に来ると、日の丸の小旗を振って出迎えた。「平和憲法があり、自治が認められている日本は憧れの的だった」

1987年の国体で掲揚された日の丸を燃やした知花昌一さん=沖縄県読谷村で2022年3月2日、喜屋武真之介撮影拡大
1987年の国体で掲揚された日の丸を燃やした知花昌一さん=沖縄県読谷村で2022年3月2日、喜屋武真之介撮影
 だが、72年に復帰を果たした沖縄の姿は、理想とはほど遠いものだった。「米軍基地も残されたまま。自衛隊も新たに来る。何のための復帰か」と失望した。


 83年、知花さんは読谷村の自然壕(ごう)「チビチリガマ」で沖縄戦の時に起きた集団自決の調査に加わる。太平洋戦争末期の45年4月、米軍は読谷村の海岸から沖縄本島に上陸。ガマに避難していた住民は米軍に捕まることを恐れ、家族同士で殺し合い、83人が亡くなった。

 「捕虜になれば、男は戦車でひき殺され、女は辱めを受ける」。日本軍があおった米軍への恐怖心が住民を死へ駆り立てたことを、知花さんは生存者への聞き取りから知った。「人間を変えてしまう教育の恐ろしさを見た」


 時を同じくして沖縄の教育現場は「日の丸・君が代問題」に揺れる。文部省(当時)は85年、入学式や卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱の徹底を通知。地上戦を経験した沖縄は実施率が1割以下と特に低かった。県教育委員会は各学校に実施を迫ったが、公立高校では卒業生が式をボイコットしたり、壇上の日の丸を持ち去ったりする騒動となった。

日の丸への思いを語る知花昌一さん=沖縄県読谷村で2022年3月2日、喜屋武真之介撮影拡大
日の丸への思いを語る知花昌一さん=沖縄県読谷村で2022年3月2日、喜屋武真之介撮影
 そうした中で迎えたのが87年の国体だった。「僕らが『日の丸は人を戦争へと動員する道具だ』と言った結果、子供たちはあのような行動に出た。今度は大人が問われていると。過激と言われるかもしれんが、僕なりのけじめのつけ方だった」。知花さんが選んだのが、日の丸を下ろし、火を付けるという行動だった。


 「沖縄戦の歴史や集団自決の調査を通じて日の丸に否定的な感情を有するに至ったことは理解できないわけではないが、民主主義社会において容認しがたい逸脱した行為と言わざるを得ない」。知花さんには93年3月、那覇地裁で懲役1年、執行猶予3年の有罪判決が言い渡され、その後に確定した。

 一方、教育現場では県教委の指導で入学式や卒業式での日の丸掲揚が進み、実施率は100%に。99年には日の丸、君が代を法的に国旗、国歌と位置付ける国旗・国歌法が成立した。沖縄県教職員組合は「教育現場での強制につながる」と反対したが、大きなうねりとはならなかった。

 当時、県教職員組合の委員長を務めた新垣仁英さん(81)=宜野湾市=は「教育現場では80年代以降、行政側の圧力でなし崩し的に日の丸が掲げられ、県民も慣れてしまった」と悔しがる。時が進み、本土化が進む中で、日の丸の問題は後景に退いていった。

 復帰から半世紀。沖縄の人々が憧れた「祖国」は今、県民の反対を押し切る形で米軍基地の県内移設のために海を埋め立てている。基地が集中する過重な負担は変わらず、軍事力を強化する中国に対抗するため新たな自衛隊駐屯地が島々に造られている。知花さんは言う。「50年前に日本に憧れていたものは全部裏切られた。何も変わらなかったということですよ」

 愛着、憧れ、失望、嫌悪……。白地に赤い丸の向こうにさまざまなものを見てきた沖縄。中学生の頃に購入し、今も自宅にしまってある日の丸の大きな旗を手に、知花さんは未来に思いを巡らせた。沖縄はどうなっていくのか、と。【遠藤孝康、宮城裕也】

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