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連帯オール沖縄・東北北海道コミュの<ふくしまの10年・詩になったアナウンサー> (3)浜通りに通い詰め

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2020年3月14日東京新聞 朝刊
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津波の影響で、横転したJR常磐線の車両=2011年3月12日、福島県新地町のJR新地駅で、本社ヘリ「おおづる」から

 ラジオ福島のアナウンサー大和田新(あらた)さん(64)あてにリスナーからファクス三枚の手紙が届いたのは二〇一一年四月二日。通常放送に戻り始めたころだった。

 「相馬市磯部地区で、足の悪い人が竹の棒一本で娘を捜していた。娘さんは自転車でお年寄りを助けに行ったといい、男性は『せめて遺体でも』と。とても『頑張ってください』とは言えなかった。大和田さん、浜はまだ何も進んでいない。そのことをあなたに知ってほしかった」。居ても立ってもいられなくなった。

 休みを取ることのできた五日に、浜通り(沿岸部)の新地町、相馬市、南相馬市を回って首長に会った。

 新地町の加藤憲郎町長(当時)はベランダに出て海の方を見ながら話してくれた。「あそこの(新地)駅に電車が止まっていたんで踏切の遮断機が下りていた。海側から逃げてきた人たちが踏切で止まっている。そこに津波が来た。『逃げろー』と大きな声を出したんだが…」。何台もの車が流されるのを町長は見た。

 相馬市の立谷秀清市長にはいきなり怒られた。「マスコミってのは何だ。現場から逃げない勇気と、住民を救うという使命感だろう」。新聞もテレビも逃げたと非難した。大和田さんは「それはあなたの仕事でしょ」という言葉をぐっとのみ込んだ。それから毎週のように浜通りに通ってリポートしている。

 今年一月、驚くことがあった。南相馬市小高区での講演でファクスの話をしたところ、涙を浮かべて新地町の消防団長が近づいてきた。

 「相馬市でお年寄りを助けに行った女性は、私の友人です。彼女はいまだ見つかっていません。お年寄りは百歳で、近くの梨畑で遺体で見つかりました」

  ◇

 「原発のない国へ」ホームページで読むことができます。ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

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