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連帯オール沖縄・東北北海道コミュの「前向きにやるしかねえべ」に背中押され 大熊町移住 復興支える

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2019年11月18日 東京新聞朝刊
イチゴ栽培工場で、収穫した実を手にする佐藤栄記さん=福島県大熊町大川原西平で
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 東京電力福島第一原発が立地する福島県大熊町の一部地区で避難指示が解除された四月、滋賀県守山市出身の佐藤栄記(しげき)さん(34)はこの地に移住し、未経験のイチゴ栽培に携わるようになった。職を転々とし、縁もゆかりもない町に行き着いたのは、「前向きにやるしかねえべ」という町民の言葉に背中を押されたからだ。 (福岡範行)

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 原発の南西約七キロ。常磐道近くに高さ約五メートルの白いビニールハウスが並ぶ。町が農業再生と雇用確保のために造った栽培工場「ネクサスファームおおくま」(大熊町大川原西平)。広さは約二万八千八百平方メートルと、サッカーコート四つ分の工場に最大十五万株のイチゴの苗を植える。

 年間を通じて収穫できるイチゴは、洋菓子店向けの業務用と県内のスーパー向けの小売り用がある。四月に栽培を始め、予定より一カ月遅れの八月に初出荷にこぎ着けた。

 佐藤さんは週五日、午前八時〜午後五時に実を大きくするために花をつんだりして、手入れを欠かさない。「毎日、新鮮で楽しい」

 パートも含め十六人で作業を良くするアイデアを出し合う。実ったイチゴの見逃しを防ぐため台車を使って栽培台の下から確認する方法や、温度を感知できるゴーグルで探す方法など、新しい手法を積極的に検討する。

 二〇一〇年に立命館大を卒業したものの、就職活動に力が入らなかった。滋賀県の臨時職員やアルバイトをしたが長続きせず、実家を追い出されたこともあった。

 転機は一四年二月。大学の先輩に誘われ、NHK福島放送局で取材班の音声担当となり、大熊町を含む浜通り地域を取材で駆け回った。農地を除染し稲作を再開しても、風評被害で米の販売をあきらめる人がいるほど、被災地の農家は苦しんでいた。

 一方で、食物でないトルコギキョウなどの観賞用の花で利益を目指すなど、農業再開に励む人たちにも出会った。「耕作地を広げ、まずは県内で売りたい」。放射性セシウムを吸収しにくいエゴマを栽培する浪江町の女性が楽しそうに語る姿に、「農業って面白そうだ」と心を動かされた。

 昨年夏にイチゴ工場の求人に応募。町で暮らすことにも、ためらいはなかった。町内には仮設の三店舗しかないが、通信販売を利用することで、一人暮らしには不便は感じない。

 避難指示解除前の大熊町では、町が荒れないように見守る町職員OBらのグループ「じじい部隊」を取材した。いつも笑顔で草刈りなどをし、「前向きにやるしかねえべ」と語る声が、今も耳に残る。町民はまだ百人余りだが、弱音を吐かず前を向く大熊の人たちの姿に「武士のように気高く生きている」と感じる。

 避難指示解除後、当初は原発作業員のバスばかりが目立った町で、最近は乗用車をよく見かけるようになった。将来、イチゴ工場で働き続けるか、独立するかは分からない。それでも「町民として貢献していきたい」と、大熊町でずっと暮らすことは決めている。

<大熊町の現状> 東京電力福島第一原発事故で全町に出された避難指示が今年4月、町南西部の大川原、中屋敷の両地区で解除された。町は大川原地区に町役場新庁舎や公営住宅を整備。11月1日時点で町内には、事故時の人口の1%に当たる119人が住む。新庁舎そばの商業施設は整備が1年遅れ、21年2月の開業を目指す。中心部だったJR大野駅は20年春の避難指示解除を予定している。

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