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連帯オール沖縄・東北北海道コミュの【永岡浩一さん:「災害と防災を考えるネットワーク1・17」 東日本大震災、命の授業のこと】

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 永岡です、災害と防災を考えるネットワーク1・17 第1094回、今週も毎日放送アナウンサーの千葉猛さんと、フリーアナウンサーの野村朋未さんの司会で放送されました。

 先週の帰宅困難者、リスナーより、帰宅困難、今は何が起こるか分からないというもので、先週の廣井さんのお話は時間差で行くのが2次災害を防ぐもの、東京のリスナー、東日本大震災時は大阪にいて、東京の同僚は会社に泊まり、震災時のハンドブック、地図、応急手当のことが駅で無料配布、関西ではこのようなものはなく、広がればと言うものの、一時滞在施設は知らず、安全のためにすぐ帰宅したらいいのではないことを知ったという声がありました。帰宅困難者は東京で700万、大阪で300万人想定されています。

 今週は東日本大震災、命の授業のことです。
11月11日(東日本大震災の月命日)に、大阪府堺市の小学校でいのちの授業があり、東日本大震災で当時25歳の息子さんを亡くされた田村孝行さん、息子さんは銀行にいて、高台に行けば助かったのに、支店長の指示で銀行の屋上に避難して全員流されて、裁判でも銀行の責任は認められず、田村さんの災害に関するお話を千葉さんが取材されました。堺市の学校、体育館で6年生と5年生120人、ほぼ同数の保護者と講演を聞いて、災害時の命の守り方、田村さんの息子さんは女川町、大津波に襲われて、建物の高さは10m、しかし女川町は20mの津波に襲われて、地球が壊れるようなもの、銀行の方は一人だけ助かり、4人亡くなり、8人行方不明、高台になぜ逃げなかったのか、高台はゆっくり歩いても避難で来て、津波の襲来まで30分あり、女川町で、海から100mのところに銀行があり、高台を千葉さん実際に取材されて、目の前、千葉さんは走るのが苦手でも、歩いて3分で避難で来て、高台は町の避難指定場所で、銀行では高台に避難することになっていたのに、2009年に、銀行の屋上が避難場所に指定されて、田村さんのお話で、奇跡的に生き残った方の証言で、息子さんは高台に避難すべきと主張して、高台は山の中腹、そこに4階建ての病院もあり、そこへの避難も可能、山をさらに上ると神社もあり、女川町の方もそこに避難して助かった例もあり、しかし10mのところに避難してしまい、給水塔に登っても、12,13mで20mの津波には無力。

 慰霊碑があり、銀行の制服の職員のもの、田村さんが作られて、遺族はなぜ、高台に避難しなかったかと思い、従業員に、屋上に避難したのは正しかったのか、銀行を訴えても、裁判で負けて、結果として屋上に避難して、銀行の方は大半が亡くなっても、裁判では銀行の責任は認められず、田村さん、毎週末に慰霊碑の前で奥さんとともにこの体験を語られて、千葉さんが女川町に行ったときも寒い中、田村さん、息子さんは1985年生まれ、生きていたら結婚して孫もいただろう、大きな病気もせず育ち、活発な子供、何事もあきらめず、スポーツ少年で大学まで野球をして、高校時代、辞めたい友達を説得などして、見て見ぬふりをできず、将来を見据えていた時期に別れたのは悔やまれる、元気で生き生きとしていた、これからの人生を絶たれて、田村さんは講演でスーツを着られて、しめていたネクタイは息子さんの肩身。

 息子さんは、3・11の際に一人暮らし、銀行の寮にして、週末は家に戻り、日曜日の夕方、サザエさんを見て寮に戻り、3・11、息子さんから連絡はなく、田村さん、女川町を一心不乱に探して、光景はモノクロ、半年後、女川の湾で遺体が発見されて、想像を絶する絶望感、どんなに苦しかったか、無念であったか、親として、代われたら変わりたかったもので、講演ではパワーポイントでやり、息子さんの使っていた備品も紹介されて、千葉さんは田村さんの家を訪れて、息子さんの部屋はそのまま、携帯電話の番号もそのまま残っており、田村さんの気持ちが伝わり、田村さんから子供たちへのメッセージ、息子さんは夢を持ち、子供たちに、夢を勝ち取って欲しい、自分は息子さんを失い、震災前は幸せであり、皆さんは私の話を頭に入れて、常に最悪のことを想定して、生き延びるために、仕事場でも、学校でも命を守る行動を取ってほしい、自分の身は自分で守ってほしいと言われて、田村さん、しんどいことでも、ちゃんと考えてほしい、いざとなったら、自分の身は自分で守る、小学生は静かに1時間聞いて、家で防災の話をした子供もあり、話を聞いた小学生に千葉さん感想を聞かれて、同じことを繰り返さないために伝える意味を知り、息子さんの上司がなぜ高台に避難せず、屋上に避難した理由、なぜより安全なところに行かなかったか、あるいは、東日本大震災が残酷と知った、命は自分で守ることを知り、子どもたちは防災、災害時、自分で最悪を想定して行動すべき、リーダーの指示でも、正しくないと思ったら自分で考えるべき、大災害時に、みんなと一緒に避難するのではない、千葉さん、田村さんのお話を聞いて、東日本大震災からもうすぐ7年でも、遺族の悲しみは癒されず、南海トラフ地震も想定される中、我々は考えるべきと千葉さん締めくくられました。

 田村さんの講演会は、保護者の方が招聘して、堺の子どもたちに大きな意味があったのです、以上、今週のネットワーク1・17でした。

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