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連帯オール沖縄・東北北海道コミュの【ふくしま便り】 酪農仲間たちに元気を 「復興牧場」に懸ける5人の思い

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【東京新聞転載】

【ふくしま便り】

酪農仲間たちに元気を 「復興牧場」に懸ける5人の思い

2015年9月29日


「幸せの牧場にしたい」と話す田中一正社長
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 東京電力福島第一原発の事故で福島県の産業は壊滅的な打撃を受けた。酪農も例外ではなく、事故前に五百二十五戸あった酪農家は三百二十戸に減った。うち六十三戸は、避難により今も休業したままだ。そんな酪農家たちの再開への夢をつなぐ復興牧場「フェリスラテ(幸せの牛乳)」が福島市に完成し、十月から操業を始める。総事業費十七億六千六百万円。五百八十頭の乳牛を飼い、毎日十二トンの生乳を生産する。東北で最大級の規模となる。
 何より注目したいのは、若手の酪農家たちが共同で運営に参加するという新しいスタイルだ。運営会社の社長に就任した田中一正さん(44)は「軌道に乗せて酪農仲間たちに元気をあげたい」と抱負を話した。
 復興牧場の事業主体は、福島県酪農業協同組合。造成、設計、施設建設費の約八割を国からの交付金で賄い、農林中央金庫からも融資を受ける。運営会社は、同県内の南相馬市、浪江町、飯舘村などで被災した酪農家五人が昨年四月に設立した。社長の田中さんは、特に異色の経歴を持っている。
 東京都練馬区で生まれ、新潟で育った。学校で酪農を学び、栃木県にある大型の牧場で働いた。三十歳のときに「好きな牛を、好きなだけ手をかけて育てたい」と独立し、飯舘村に入植した。
 ところが十年が経過し、経営も安定してきたところに震災が起きた。泣く泣く牛を処分し、山形県などの牧場で働いた。その後、福島県内にNPO法人が運営する牧場があることを知り、理事として加わった。
 今回は組合から打診を受け、「自分がやるしかない」と決心した。「震災で牛たちにかわいそうな思いをさせた。今度は牛にも人にも優しい幸せの牧場をつくりたい。五百頭の規模になっても、二十頭のころと同じような手間をかけてやりたい」。自分に言い聞かせるように話す。
25日に開かれた復興牧場の落成記念式典には多数の見学者が集まった=いずれも福島市で
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 残る四人の共同経営者もつらい経験をしてきた。浪江町で二十頭ほどのホルスタインを飼っていた宮田幸雄さん(53)は今も福島県本宮市の仮設住宅で暮らしている。「自宅は避難指示解除準備区域なので、二年後に帰れる可能性はある。しかしもう一度、元の場所で酪農をできるかは難しい。今回は条件が良いので参加した。ここを軌道に乗せて生活を取り戻したい」と決意を語った。
 但野賢士さん(44)は、避難先の山形県に妻と十一歳の男児を置いてきた。「子どもは山形の学校になじんでいるみたい。当分は寂しいけど単身赴任です。暗い家に帰って自炊するのは本当に嫌だけど」と笑った。
 牧場長になる長谷川義宗さん(36)は飯舘村の酪農家の次男。「転職となると、この年齢では厳しいのがよくわかった。ここで勝負をしたい」という。
 門馬秀昭さん(52)は、帰還困難区域の浪江町津島地区の出身だけに「帰るのは難しいからね」と言葉少なだった。
 県酪農協によると、放射性物質を含む製品が出回らないように、原乳に関する放射性物質の自主基準値を国よりも厳しい一キロあたり一〇ベクレル未満としてモニタリング検査を行うなどの対応を取っており、これまでに放射性物質が検出されたこともない。それでも「福島産」のイメージは完全に回復したわけではない。県全体の出荷量は震災前の七割程度にとどまっているという。
 宗像実組合長は、こう話す。
 「信頼は地道な確かな仕事で勝ち取っていくしかない。経営に参加してくれた五人は、この牧場で若い酪農家を育ててほしい。この牧場が福島全体の復興の拠点になってくれればいい」 (福島特別支局長・坂本充孝)

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