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眼鏡を外すと線が見える。コミュの赤いポスト

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 一枚の切り取られた写真には、水色の空と赤いポストだけがまるで気の合わない双子のように佇んでいた。確かにダーはそこにいた。

 ダーが死んだという連絡を受けたのは休日を返上しての特別授業が終わった直後のことだった。僕はこの国で語学を教えている教師だ。最近何かと危なっかしいと揶揄されるこの国で、ダーは皮肉にもその爆破テロの被害者となってしまった。場所はスチャラーシマート県、ダーの故郷。僕の住むここ中央部から遥か南に八百キロほど下ったところに位置する、ただ海を携えただけの町である。今では想像も出来ないが、戦前には欧米兵士達の保養地として栄えたこともあったらしい。戦後になってからも、一昔前まではその流れを継いだ洋風レストランやバーなどがたくさん並ぶ南国の観光地だった。しかし、過激派とよばれる狂信者によるテロが始まってからというもの、風景は一転した。客を失ったこの町は、数十年の間にただ広いだけの、潮と火薬の匂いが入り混じった味気ない場所と変貌した。だが今でも、わずかにここに留まった人々は、強く地にその身を根ざしている。ダーはそんな町からきた、中央部の大学に通う二十歳の女の子だった。

 「想像できる?あなたの知らない永遠の水色が、私の心を塗り替えようとしてくるほどなの。」
以前、故郷のとある場所から見える風景について、こんな台詞を聞いた。彼女との些細な喧嘩で止まった空気を切りとるかのように投げかけられたその言葉は、今も芯を帯びて僕の心の中にあった。彼女と僕の性格はいつも合わなかった。流されるままに生きることを好む僕の生き方は、現実主義者の彼女にとっては気に入るものではなかったらしく、度々喧嘩を繰り返した。だからはじめのうちは、なぜ彼女が僕などを選んだのだろうと不思議に思ったりもした。しかし、その答えは簡単だった。僕は先進国の人間であり、発展途上のこの国においては、それだけでステータスとなる。社会においてキャリアアップを望む彼女にとって、語学習得の面でもその他の面でも、僕と付き合うことはメリットが大きかったのだろう。僕はそのように分析していた。ちなみに僕はというと、彼女が時々話す、故郷の話が付き合う理由だったと言って良い。馬鹿げた理由だと思われるかもしれないが、一見冷たい人間に見える彼女の口から飛び出す色彩溢れた風景は、まだ幼さを抜き切れない僕の感性には酷く新鮮で、捕われるには十分だった。
 
 
 この時期、大学はまだSummer Vacationを迎えておらず、本来ならばダーはテロに遭うはずもなかった。しかし、今回だけは運悪く、実家に戻っていたのだ。その結果テロに巻き込まれたわけである。帰郷の理由については、はっきりしたことは本人にしか永遠にわからないだろうが、僕が無関係ではないことは明らかだった。ダーは僕に会いたくなかっただろうから。ふいに、窓ガラスにダーの顔が浮かんだ。僕の頭の中で、部屋を飛び出していくダーが誰かの姿に重なり合い、消えていった。ダーを抱く時、いつも最後は泣き笑いだった気がする。決まり文句のようにダーはこう言い、泣きながら笑うのだ。
「わたしはあなたの気持ちがわかるよ。でもあなたはわたしの気持ちがわからないのね。いいえ、きっとあなたには見えないの。」
 

 今、僕は彼女の故郷へと向かう列車に揺られている。当然、僕の隣に彼女はいない。飛び出していった彼女のことを少し気にかけながら、僕は窓の外がさっきまでと違う様子であることに気がついた。海だ。まだ目的地までは距離があるが、どうやら列車はここからずっと海を携えて進むらしい。少し果ての赤茶けた土と夕日に染まる波の境目で、二人の少女が遊んでいた。まだ十歳に満たないであろうその二人の少女は、ボロボロの布を纏いながら、楽しそうに戯れている。感傷的とはこのような時を指すのだろうか。誰かの過去を懐かしむかのように翔る少女達が電車から過ぎ去っていくのを、僕は静かに見つめ続けた。元気が取り得だったダー。笑顔が絶えなかったダー。ダーが周囲の人間を困らせながら悪戯している姿が浮かび上がる。目に染みる夕日はレモン色とは程遠い赤だった。
 

 一度だけ、「三人デート」というものをしたことがある。僕が彼女と付き合う少し前、二人きりになるのを恥ずかしがった彼女が、親友を連れてきたのだ。二人きりのデートが出来ると思い込んでいた僕は最初、驚きを隠せなかったが、しかしあの時のダーの笑顔は印象的だった。ダーは今まで僕が出会ったことのない顔を見せ、結局このデートは僕達にとって忘れられないものとなった。今思えば、あの時ダーの心には既に何かが芽生えていたのかもしれない。


 翌日の昼ごろ、十二時を過ぎた辺りで僕は目的地についた。ここはこの町唯一の駅だ。列車に揺られている時は気付かなかったが、降りてみると空気の感じが中央部とは少し違った。乾いた風に潮の匂いが混じり、どこか芯を帯びている。僕は以前に彼女から貰った地図を取り出した。いつか旅行に来る時のためにと、僕にくれたものだった。地図を片手に、テロ現場の目印となる赤いポストを探す。彼女から聞いた話を思い起こす限り、その場所はここからそう遠くない所に位置するはずである。
「駅からまっすぐ伸びる白い道を進むとね、軽い上り坂にそって小さな商店街があるの。商店街といっても、右左に十軒ほどずつお店が並ぶだけの小さなものだけど。その坂の峠を越えてみて。素敵だから。」
これも以前僕が聞いた台詞だ。僕は地図を頼りにまっすぐ歩いていくことにした。しばらくすると、遠くに坂が見えた。そしてそれに沿うように古い木の家が連なっている。おそらくあれが商店街なのだろう。確かに商店街というにはさびれすぎているきらいがあったが、乾いた白い道と水色の空に挟まれたそれらの建物は、まるで西部の町並みのように違和感を感じさせなかった。僕はやや急ぎ足になりながら歩き続け、商店街を横目に坂道を登っていく。


 坂の頂点に着いた。そこは文字通り、知らない世界だった。遠方の果てには水色の海があり、その上の水色の空と一本の水平線を描いている。その手前の波打ち際からここまでは、長い白い道が伸びている。そしてこの風景の左側にぽつんと一つ、赤い郵便ポストが置かれてあるのだ。水色に埋め尽くされた世界で伸びた、一本の白いラインの上を佇む赤。確かにこれは僕の知らない世界だった。ダーはここで死んだのか。この風景を見ながら。この風を感じながら。なんだか僕は、赤いポストがダーそのものであるかのような、そんな気になっていた。


 少し、思い出話をしよう。僕が彼女と別れたのは、性格の相違だった。結局は、僕より彼女の方がずっと大人であったということなのだろう。些細な柵は僕らの関係をゼロに戻すには十分だった。彼女は僕に罵声を浴びせ、そのまま部屋を飛び出していった。そして、それ以来もう僕は彼女と会っていない。この事件はちょうど二ヶ月前、そう、ダーが故郷に帰る前の出来事だった。正確には、この直後にダーは故郷へ帰った。彼女の親友だったダーは僕らの別れをどのように感じていたのだろうか。僕は想像したくなかった。知っていたから。彼女の本当の気持ちを。僕とダーは愛人関係にあった。どこに惹かれたのか到底見当もつかないが、ダーは親友の恋人である僕を好きになり、そして僕はその好意を利用した。彼女との亀裂が生み出す不安や怒りを、ダーとの愛人関係で埋め合わせたのだ。彼女と付き合いながら、ダーとも会い、秘密の時間を過ごす。そんな生活が半年ほど続いた。ダーがどんな気持ちだったのか、当時僕はなるべく考えないようにしていた。フェアじゃないことを知っていたから。知りながら、僕は何度もダーを抱いた。愛しさとは程遠い、ただの寂しさから。ダーと彼女は同じ故郷を持つ、本当の親友だったのに。ダーがこの親友への裏切り行為にひどく心を痛め、しかし自分から止めることもできず苦しんでいたのを、僕は知っていたのに。


 ふいに、声をかけられた。四十代半ばくらいのおばさんだ。どうやら、そばにある喫茶店のマスターらしい。おばさんは僕にダーを知っているかと尋ねてきた。知っている、と答えると、おばさんはやっぱり、という顔で話し始めた。
「高校生くらいの時からのうちの常連でね。ダーの奴、大学入ってからしばらく顔を見せてなかったんだけど、この間ひさびさに遊びに来てさ。あ、でもいつも一緒だった親友はいなかったね。一人きりだった。でさ、この手紙、あんた宛てのだろ?中に写真があったからすぐわかったよ。あいつ、この手紙置き忘れて外に出ちゃってさ。それで出たところをテロリストの争いに巻き込まれたってわけだよ。あたしはその時、たまたま厨房にいたから大丈夫だったんだけどね…かわいそうに、死んじまって。まだ若いのにさ…。ま、とりあえずこれはあんたに渡しとくよ。あんたダーの恋人かい?あいつ、こっちに帰郷してからしょっちゅううちの店に来ててさ。あんたのこと、いつも嬉しそうに話してたよ。」


 僕はマスターから受け取った手紙を、しばらく何もせずに眺めていた。手紙には、一枚の写真、そして一枚の便箋が入っていた。それは三人デートの時の写真だった。彼女がトイレに行った隙に、ダーがどうしてもと頼み込むから撮った、一枚きりの写真。そこには一組の男女が立っていた。僕はそれを見ていることができなかった。目をそらす。ふいに、前方に水色の風景が広がる。彼女が僕に話した数々の故郷の話がフラッシュバックし、それは今、彼女ではなくダーの姿と重なっていく。胸の内から何かがこみ上げようとしているのを、僕ははっきりと感じた。
「いいえ、きっとあなたには見えないの。」
ダーの言葉は本当だった。水色の空と海の狭間に目を奪われた僕に見えていなかったのは、ダーの姿に他ならなかった。僕は赤いポストが似合いそうな女の子の最後の手紙を読もうと、覚悟を決めた。




「 Dear □□□□□

突然、帰郷してごめんなさい。彼女との別れでひどく落ち込んでいたあなたをこれ以上見ていられなかったの。ううん、うそ。きっと本当は、あなたの気持ちを知ってるくせに、別れたことを嬉しく思う自分や、何かに期待している自分が許せなかった。ごめんね。でも大丈夫。あなたもそんなに気を落とさないで。彼女はきっとあなたのもとにまた帰ってくる。親友の私が言うんだから間違いないよ。だから、頑張って。いつでも、私はあなたを助けるよ。私?私は…これからどうするか、まだ決めていないわ。でも…きっとこのまま、あなたのそばから離れられないのかな。いけないことなのはわかってるんだけど…ごめんね、努力はしてるのよ。でも、あなたが心を変えられないように、私も、自分の心を変えられないの。想いって残酷よね。昔はこんな感情に縛られてる人をみると、みっともないな、かっこ悪いな、って思ってたのに。いざ自分の番になると、間違いすらも正しくみえちゃうものなのね。……だから、だからね、私はここに帰って来たの。生まれ育ったこの街を見にきたの。この空気を吸いに、この景色を感じにね。今はまだ、何が本当の正解なのか言い切る自信がないけれど、不思議。ここに来るとなぜか生きていこうって気になれるんだ。あ、そろそろ終わろうか。長くなっちゃったね。…ねえ、ちゃんとご飯食べてる?あなたっていつも不注意で、人の話聞かないんだから。私も彼女も居なくなって、外国でひとりでちゃんと生活できてるか心配してるよ。じゃあね。あなたは迷惑かもしれないけれど、今もあなたを愛してる。From Daa」

 
 
 僕はゆっくりと呼吸をして、鞄に入れてあるデジタルカメラを取り出した。一度だけ押されるシャッター。白い道は今もかなたから僕のそばまで確かに存在する。一枚の切り取られた写真には、水色の空と赤いポストだけがまるで気の合わない双子のように佇んでいた。確かにダーはそこにいた。(おわり)






※注意書き
    
僕…語り手。主人公。異国で教師をしている。誕生日の色は白。

彼女…「僕」の元恋人。同じ故郷の「ダー」の親友。誕生日の色は水色。

ダー…「僕」の愛人。「彼女」の親友。爆破テロで死亡した。誕生日の色は赤。

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