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西瓜糖@阿佐ヶ谷 コミュの夏休みの宿題1

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1994から足掛け十四年に及ぶ夏休みが明けようとしているような気分だわよ。だからさ、宿題気分で展覧会感想文をやっつけなきゃよね。

だけど批評のテンションに気持ちを持ってくのはけっこう体力が必要なんだわ。もう少しだから頑張るけどさ。

日常生活では「みんな、称えあって生きて行こうよ」と唱えるミッチーに異存はないのだけれど、それは現場における悪態の重要性と相反するものではないんだよな。悪態によるテンションの高まりって緊張感の維持には必要でしょ。

そう、西瓜オヤジというキャラが目指したのは展示の現場における緊張感の維持だったのかもしれないな。誠意ある悪態、しびれるような悪態に憧れて悪戦苦闘していたような気がするもの。

てなことで、終いも見えたことだし、悪態に磨きをかけることに努めるとしましょうかね。

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島村まちこ展 "クラゲと花嫁衣裳"

なんとも意味深長なタイトルである。嫌いではない。花嫁ではなく花嫁衣裳であるところが洒落ている。このタイトルに至った彼女の感性には賛同したい。

しかし肝心の作品はこの感性に追いつけていない印象である。そもそも感性とはそのままでは作品化できないものだと心得るべきだろう。もっと弄り倒さなくてはいけない。感性の正体を暴こうとする努力に欠けているのだ。

決して怠けているのでないことはよく分かる。それどころか素直な頑張り屋さんである。それがいけないというのは忍びないが、頑張ってはいけないと言わなければならないのかもしれない。いや、そうではなくて、力の入れどころが違うということか。

解った状態への安住を求めて、解らない状態からの脱出に全力を注ぐ。これが頑張ることだということにしてみよう。

解らないことを解らないまま持ち続ける体力がない者は、安易に「解った」に逃げ込んでしまう。成功すれば安住が目的なのだからこれに越した事はない。こうして頑張り屋さんにとっては「解った」が正義で「解らない」は悪となり、世の中全てを「解った」で埋め尽くそうとするこになる。

「解った」というのは決着であるから停止している。それはその時点で過去だ。だから「解った」だらけを望むのは、世の中を過去で埋め尽くすということに他ならない。

解らないことを解ろうとする運動そのものが「解らない」ということにするなら、「解らない」は今だ。

この運動に惹かれる者は決着をつけることを拒む。解らないことを解ろうとしながら「解った」に落とし込もうとしない。ただ運動の中に身を置くことにのみ熱中する。

今を生きるということは「解らない」とつぶやき続けることなのかもしれない。

作品はこの運動の副産物というくらいに思っていて丁度いいのではなかろうか。そしていつのまにか副産物が目的になるという逆転が起きるのである。だからそれは本質的に運動し続けるための仮の目的なのだ。

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宮岡俊夫展 何処か とは どこか

絵画らしい絵画だ。とても好感が持てる。素敵にアカデミックなんである。彼は絵画を愛しているのだろうけれども、それよりも絵画に愛されていると感じるよ。相思相愛だあ。

でもこの恋愛はなかなか他人に理解してもらい難いだろうな。今は流行んないからね。でも恋愛は美しいんだよ。負けるなあ。

と、エールは送ってみたものの、彼の絵画が生き延びて行く具体的な道筋が見えてこない。大学や美術館など、つまり公的機関に保護されるしかないのだろうか。これでは絶滅危惧種あつかいだ。

それが現状で、すでに絵画は死に体なのか。まあ、そう言われて久しいのだけどさ。

運動の魅力。動き続けて変化し続けること。現在その最たるものは経済だろうな。生きることの実感としての変化を何かに求めねばならぬのだとすれば、その大半を経済が担っているという現状。経済を経済として把握することが可能になってしまった現代。こんな怪物じみたものを相手に変化の速さや大きさで対抗しうるものがあるとは思えない。

そんなところで戦略を練るとすれば武器にすべきは洗練だろうか。だけど今は文化によって洗練されるのではなくて、経済によって洗練されることが主流なんだよね。

あれ、経済も文化だったんじゃないかなあ。部分が全体よりも大きくなっちゃったのか。こりゃまた品のないところが肥大化しちゃったもんだわね。

品がないという品性があるんだよね。現代は。おかしな話しだけど確かにある。意識的ながさつなんてのはそれはそれで高度な文化的態度なのだろうけど、そうではなくて品がないということ自体を品性にしてしまおう、それが経済的に正しいみたいなさ。非文化的な態度の正しさを文化の中で主張する。つまり部分が全体を否定するわけだ。よっ、かっこいいねえ。

ほんとにかっこいい時代なんだよ今は。あんまりかっこよすぎて人が生きていけないくらいなんだからね。人の生なんて矮小なことなんかにかまっていられないわよ。なにより人はかっこ悪いんだもの。と経済はおっしゃるわけさ。いやまいったね。それを言っちゃあおしまいだあ。

こうなったら経済的にかっこ悪い我々としてはゲリラ戦しかないっしょ。と言っても図式は複雑よ。部分に飲み込まれた全体から部分にゲリラ戦を仕掛けるわけだからね。ああぁイメージできねえよおぉ。

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