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湘南型山車と鎌倉囃子コミュの謎の話

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各町内で伝わる、色々な話をまとめてみました。
伝承が失われてしまう前に、こちらに書くことにしました。

今となっては、全て謎の話です。

コメント(5)

藤沢市本町 庚申堂町の山車のゆくえ

藤沢駅北口遊行通りにある庚申堂町には、かつて山車がありました。
昭和4年に町内神輿を作るために、売却されたそうです。

今、周辺を探しても、昭和4年に山車を購入したという町内はありません。
一体どこに行ってしまったのでしょうか?
藤沢市本町 西仲之町の山車が藤沢市鵠沼 原町の山車なのか

藤沢宿では江戸時代より祭礼を行なっていました。
西の白籏神社が7月21日、東の山谷諏訪神社が7月27日です。
各町内は山車を持っており、賑やかな祭だったようです。
祭礼に使っていた山車は、明治13年に起きた大川屋火事で全て焼失してしまったようです。

その中で、「西仲之町は明治の頭に山車が転倒したため、鵠沼原町に売却し以降は屋台で祭りに参加した」という話があります。

現在の鵠沼原町の山車は、有賀密夫氏の調査によれば、明治24年製で、大工が鵠沼の加藤徳太郎、彫工が本町の一元安信ということです。

原町の山車は、鵠沼の山車の中で形状が唯一異なっており、「よそから・・・」ということも頷けますが、大工、彫工は明治の人なので、本当に江戸時代なのか「?」です。
藤沢市本町 大鋸町の山車彫刻のゆくえ

大鋸町の山車は、明治30年頃に作られました。彫刻は名工「二世一元」永田伊助でした(伊助は同時期に鎌倉市長谷の山車彫刻も手がける、こちらは現存)
彫刻は藤沢市本町の山車で屈指のものでした。

大鋸町の山車は、収容場所などの問題から昭和30年代にある方に売却され、解体されました。
彫刻のゆくえはわかりません。
現在でも彫刻好きの方が所有しているのでしょうか?
藤沢市本町 栄町の山車に人形は乗っていたのか?

栄町の山車は、昭和51年に鵠沼橘町に譲り渡され現存しています。
この山車、後ろに一本柱倒立用の切れ込みがあり、舞台にもその名残があります。
しかし山車研究家の故鈴木茂雄氏からは、人形山車だったとは聞いていません。

考えられることとして、栄町が他所の町内の山車を譲り受けたのでしょうか。
候補として、庚申堂町、䑓町が考えられます。
藤沢市本町 蔵前町の山車の形状

私の師匠である故鈴木茂雄氏によれば、「蔵前町の山車は本町の山車の中で一台だけ形状が違っていた」そうです。
どのように違っていたのかは、写真などがなく不明です。

蔵前町内の方にもうかがったことがあるのですが、山車のことは全く覚えていないようでした。

大和市の方に譲渡されたこの山車、残っていないのでしょうか。

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