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しゃりしゃり気違い小僧コミュのいい歌を見つけたら書かなきゃいけないトピ

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備忘録の意味も込めて作成。



  柿本朝臣人麿の石見の国より妻に別れて上り来し時の歌  (柿本人麻呂、万葉131)

石見の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ
よしゑやし 浦は無くとも よしゑやし 潟は無くとも
鯨魚(いさな)取り 海辺を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に
か青なる 玉藻沖つ藻
朝はふる 風こそ寄せめ 夕はふる 浪こそ来寄せ 浪の共(むた) か寄りかく寄る
玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば
この道の 八十隈(やそぐま)毎に 万(よろづ)たび かへりみすれど
いや遠に 里は放(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ
夏草の 思ひ萎えて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山


反歌二首

  石見のや 高角山(たかつのやま)の木の際(ま)より わが振る袖を妹見つらむか

  小竹(ささ)の葉は み山もさやに乱(さや)げども われは妹思ふ別れ来ぬれば



この長歌にして、この反歌ありだと思う。

コメント(13)

  高橋蟲麻呂(万葉集 巻3-319)

なまよみの 甲斐(かひ)の国 うち寄する 駿河(するが)の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 富士の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もち消ち 降る雪を 火もち消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず くすしくも います神かも
せの海と 名付けてあるも その山のつつめる海ぞ
富士川と 人の渡るも その山の 水のたぎちぞ
日の本の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも
駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも

反歌二首

  富士の嶺に降り置く雪は、六月(みなづき)の十五日(もち)に消ぬれば、その夜降りけり

  富士の嶺(ね)を、高み畏(かしこ)み、天雲もい行きはばかり、たなびくものを



赤人の「田胡の浦」の方もいいと思うけど、こちらも結構好き。
大伴旅人(万葉集 巻3-315)

暮春の月、芳野の離宮に幸(いでま)す時、中納言大伴卿、勅(みことのり)を奉(うけたまは)りて作る歌一首并せて短歌

み吉野の 吉野の宮は 山柄(やまから)し 貴(たふと)くあらし 川柄(かはから)し 清(さや)けくあらし 天地(あめつち)と 長く久しく 万代(よろづよ)に 変らずあらむ 行幸(いでまし)の宮


反歌

昔見し象(きさ)の小川を今見ればいよよ清(さや)けく成りにけるかも
山部赤人(万葉集 巻3-324)

神岳(かみをか)に登りて、山部宿禰赤人の作る歌一首并せて短歌

三諸(みもろ)の 神名備山(かむなびやま)に 五百枝(いほえ)さし しじに生ひたる 栂(つが)の木の いや継ぎ嗣ぎに 玉かづら 絶ゆることなく ありつつも 止まず通はむ 明日香(あすか)の 旧(ふる)き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 川し清(さや)けし 朝雲に 鶴(たづ)は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 古(いにしへ)思へば


反歌

明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに
大伴旅人(万葉集 巻3-315) は、「山柄し 貴くあらし 川柄し 清けくあらし」の韻を踏んでる所がリズミカルで良いと思われ。
山部赤人(万葉集 巻3-324) は、「かはづは騒く」ってあるけど、実際に明日香に行ったらほんとに蛙の声がそこらじゅうに聞こえてて、思い出される一首。さすがに鶴はいないけど。
反歌の方は、上句から下句への流れがスムーズで良いと思われ。
自分の『万葉集』にも◎がつけてあります。

にひひ☆
言わずと知れた名歌だが。


大伴家持(万葉集 巻19-4292)


うらうらに照れる春日(はるひ)にひばり上がり心悲しも独(ひとり)し思へば

(宇良々々尓 照流春日尓 比婆理安我里 情悲毛 比<登>里志於母倍婆)


にひひ☆
柿本人麻呂(万葉集 巻7-1269)


巻向の 山辺響(とよ)みて 行く水の 水沫(みなわ)のごとし 世の人我れは

 (巻向之 山邊響而 徃水之 三名沫如 世人吾等者)
ふと思ったが、応仁の乱後の京都を表す歌として有名な飯尾彦六左衛門尉という人の歌で、『応仁記』に載っている、


不計万歳期セシ花ノ都、今何ンゾ孤狼ノ伏土トナラントハ。適(たまたま)残ル東寺・北野サヘ灰土トナルヲ。古ニモ治乱興亡ノナラヒアリトイヘドモ、応仁ノ一変ハ仏法王法トモニ破滅シ、諸宗皆悉ク絶ハテヌルヲ不堪感歎、飯尾彦六左衛門尉、一首ノ歌ヲ詠ジケル。

汝(なれ)ヤシル都ハ野辺ノ夕雲雀(ゆうひばり)アカルヲ見テモ落ルナミタハ


は、上の大伴家持の歌を意識してるんじゃないだろか・・?
道後温泉行った時のことを思い出したので。

山部宿禰赤人、伊予温泉(いよのゆ)に至りて作る歌一首并せて短歌(万葉集 巻3-322)

皇神祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 敷きいます 国のことごと 湯はしも 多(さは)にあれども 島山の 宣(よろ)しき国と 凝々(こご)しかも 伊予の高嶺の 射狭庭(いざには)の 岡に立たして 歌思ひ 辞(こと)思ほしし み湯の上(うへ)の 木群(こむら)を見れば 臣(おみ)の木も 生(お)ひ継ぎにけり 鳴く鳥の 声も変らず 遠き代に 神さびゆかむ 行幸処(いでましところ)

反歌
ももしきの大宮人の熟田津(にぎたつ)に船(ふな)乗りしけむ年の知らなく
柿本朝臣人麻呂、石見の国より妻に別れて上り来る時の歌二首并せて短歌(万葉集 巻2-131)

石見(いはみ)の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも いさなとり 海辺(うみへ)を指して 和田津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青く生(お)ふる 玉藻(たまも)沖つ藻(も) 朝羽(あさは)振る 風こそ寄せめ 夕羽(ゆふは)振る 波こそ来寄(きよ)れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻(たまも)なす 寄り寝し妹(いも)を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに よろづたび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は離(さか)りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門(かど)見む 靡けこの山


反歌二首

石見のや高角山(たかつのやま)の木の間より我が振る袖を妹見つらむか

小竹(ささ)の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば
近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌(万葉集 巻1-29)

玉襷(たまたすき) 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御代(みよ)ゆ 生(あ)れましし 神のことごと 樛(つが)の木の いや継ぎ継ぎに 天(あめ)の下 知らしめししを そらにみつ 大和を置きて 青丹(あをに)よし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離(あまざか)る 夷(ひな)にはあれど 石走(いはばし)る 淡海(あふみ)の国の 楽浪(ささなみ)の 大津(おほつ)の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇(すめろき)の 神の命(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿(おほとの)は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日(はるひ)の霧(き)れる ももしきの 大宮処(おほみやどころ) 見れば悲しも


反歌(二首)

楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎(からさき)さきくあれど大宮人の船待ちかねつ

楽浪の志賀の大曲(おほわだ)淀むとも昔の人にまたも逢はめやも
柿本朝臣人麻呂の「石見の〜」はいいですよね〜、って同じのを冒頭にすでに自分が書いちょる!(>_<)

奇遇というべきか当然というべきか。
>>[011] 確かに!被っとりますな。これ、いいよね。
一休宗純の歌

分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな

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