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名作を読みませんかコミュの「三四郎」  夏目 漱石  33

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 背を向けながら、原口さんがこう言った。
 「小川さん。
  里見さんの目を見てごらん」
 三四郎は言われたとおりにした。

 美禰子は突然額から団扇を放して、静かな姿勢を崩した。
 横を向いてガラス越しに庭をながめている。
 「いけない。
  横を向いてしまっちゃ、いけない。
  今かきだしたばかりだのに」
 「なぜよけいな事をおっしゃる」と女は正面に帰った。

 原口さんは弁解をする。
 「ひやかしたんじゃない。
  小川さんに話す事があったんです」
 「何を」
 「これから話すから、まあ元のとおりの姿勢に復してください。
  そう。
  もう少し肱を前へ出して。
  それで小川さん、ぼくの描いた目が、実物の表情どおりできているかね」
 「どうもよくわからんですが。
  いったいこうやって、毎日毎日描いているのに、
  描かれる人の目の表情がいつも変らずにいるものでしょうか」

 「それは変るだろう。
  本人が変るばかりじゃない、画工《えかき》のほうの気分も毎日変るんだから、
  本当を言うと、肖像画が何枚でもできあがらなくっちゃならないわけだが、
  そうはいかない。
  またたった一枚でかなりまとまったものができるから不思議だ。
  なぜといって見たまえ」
 原口さんはこのあいだしじゅう筆を使っている。
 美禰子の方も見ている。

 三四郎は原口さんの諸機関が一度に働くのを目撃して恐れ入った。
 「こうやって毎日描いていると、毎日の量が積もり積もって、しばらくするうちに、
  描いている絵に一定の気分ができてくる。
  だから、たといほかの気分で戸外《そと》から帰って来ても、画室へはいって、
  絵に向かいさえすれば、じきに一種一定の気分になれる。
  つまり絵の中の気分が、こっちへ乗り移るのだね。
  里見さんだって同じ事だ。
  しぜんのままにほうっておけばいろいろの刺激で、
  いろいろの表情になるにきまっているんだが、
  それがじっさい絵のうえへ大した影響を及ぼさないのは、ああいう姿勢や、
  こういう乱雑な鼓《つづみ》だとか、鎧《よろい》だとか、
  虎《とら》の皮だとかいう周囲《まわり》のものが、
  しぜんに一種一定の表情を引き起こすようになってきて、
  その習慣が次第にほかの表情を圧迫するほど強くなるから、まあたいていなら、
  この目つきをこのままで仕上げていけばいいんだね。
  それに表情といったって」
 原口さんは突然黙った。

 どこかむずかしいところへきたとみえる。
 二足《ふたあし》ばかり立ちのいて、美禰子と絵をしきりに見比べている。
 「里見さん、どうかしましたか」と聞いた。
 「いいえ」
 この答は美禰子の口から出たとは思えなかった。
 美禰子はそれほど静かに姿勢をくずさずにいる。
 「それに表情といったって」と原口さんがまた始めた。

 「画工はね、心を描くんじゃない。
  心が外へ見世《みせ》を出しているところを描くんだから、
  見世さえ手落ちなく観察すれば、身代はおのずからわかるものと、
  まあ、そうしておくんだね。
  見世でうかがえない身代は画工の担任区域以外とあきらめべきものだよ。
  だから我々は肉ばかり描いている。
  どんな肉を描いたって、霊がこもらなければ、死肉だから、
  絵として通用しないだけだ。

  そこでこの里見さんの目もね。
  里見さんの心を写すつもりで描いているんじゃない。
  ただ目として描いている。
  この目が気に入ったから描いている。
  この目の恰好《かっこう》だの、二重瞼《ふたえまぶた》の影だの、
  眸《ひとみ》の深さだの、なんでもぼくに見えるところだけを残りなく描いてゆく。
  すると偶然の結果として、一種の表情が出てくる。
  もし出てこなければ、ぼくの色の出しぐあいが悪かったか、
  恰好の取り方がまちがっていたか、どっちかになる。
  現にあの色あの形そのものが一種の表情なんだからしかたがない」

 原口さんは、この時また二足ばかりあとへさがって、美禰子と絵とを見比べた。
 「どうも、きょうはどうかしているね。
  疲れたんでしょう。
  疲れたら、もうよしましょう。
  疲れましたか」
 「いいえ」

 原口さんはまた絵へ近寄った。
 「それで、ぼくがなぜ里見さんの目を選んだかというとね。
  まあ話すから聞きたまえ。
  西洋画の女の顔を見ると、だれのかいた美人でも、きっと大きな目をしている。
  おかしいくらい大きな目ばかりだ。
  ところが日本では観音様をはじめとして、お多福《たふく》、能の面、
  もっとも著しいのは浮世絵《うきよえ》にあらわれた美人、ことごとく細い。
  みんな象に似ている。
  なぜ東西で美の標準がこれほど違うかと思うと、ちょっと不思議だろう。
  ところがじつはなんでもない。

  西洋には目の大きいやつばかりいるから、大きい目のうちで、
  美的淘汰《とうた》が行なわれる。
  日本は鯨の系統ばかりだから。
  ピエルロチーという男は、日本人の目は、あれでどうしてあけるだろうなんて、
  ひやかしている。
  そら、そういう国柄《くにがら》だから、
  どうしたって材料の少ない大きな目に対する審美眼が発達しようがない。
  そこで選択の自由のきく細い目のうちで、理想ができてしまったのが、

  歌麿《うたまろ》になったり、祐信《すけのぶ》になったりして珍重がられている。
  しかしいくら日本的でも、西洋画には、ああ細いのは盲目《めくら》をかいたようで、
  みっともなくっていけない。
  といって、ラファエルの聖母《マドンナ》のようなのは、てんでありゃしないし、
  あったところが日本人とは言われないから、
  そこで里見さんを煩わすことになったのさ。
  里見さんもう少しですよ」
 答はなかった。

 美禰子はじっとしている。
 三四郎はこの画家の話をはなはだおもしろく感じた。
 とくに話だけ聞きに来たのならばなお幾倍の興味を添えたろうにと思った。
 三四郎の注意の焦点は、今、原口さんの話のうえにもない、原口さんの絵のうえにもない。
 むろん向こうに立っている美禰子に集まっている。
 三四郎は画家の話に耳を傾けながら、目だけはついに美禰子を離れなかった。

 彼の目に映じた女の姿勢は、自然の経過を、もっとも美しい刹那《せつな》に、捕虜《とりこ》にして動けなくしたようである。
 変らないところに、長い慰謝がある。
 しかるに原口さんが突然首をひねって、女にどうかしましたかと聞いた。
 その時三四郎は、少し恐ろしくなったくらいである。
 移りやすい美しさを、移さずにすえておく手段が、もう尽きたと画家から注意されたように聞こえたからである。

 なるほどそう思って見ると、どうかしているらしくもある。
 色光沢《いろつや》がよくない。
 目尻《めじり》にたえがたいものうさが見える。
 三四郎はこの活人画から受ける安慰の念を失った。
 同時にもしや自分がこの変化の原因ではなかろうかと考えついた。
 たちまち強烈な個性的の刺激が三四郎の心をおそってきた。

 移り行く美をはかなむという共通性の情緒《じょうしょ》はまるで影をひそめてしまった。
 自分はそれほどの影響をこの女のうえに有しておる。
 三四郎はこの自覚のもとにいっさいの己を意識した。
 けれどもその影響が自分にとって、利益か不利益かは未決の問題である。

 その時原口さんが、とうとう筆をおいて、
 「もうよそう。
  きょうはどうしてもだめだ」
 と言いだした。
 美禰子は持っていた団扇《うちわ》を、立ちながら床の上に落とした。
 椅子にかけた羽織を取って着ながら、こちらへ寄って来た。

 「きょうは疲れていますね」
 「私?」と羽織の裄《ゆき》をそろえて、紐《ひも》を結んだ。
 「いやじつはぼくも疲れた。
  またあした天気のいい時にやりましょう。
  まあお茶でも飲んでゆっくりなさい」
 夕暮れには、まだ間《ま》があった。

 けれども美禰子は少し用があるから帰るという。
 三四郎も留められたが、わざと断って、美禰子といっしょに表へ出た。
 日本の社会状態で、こういう機会を、随意に造ることは、三四郎にとって困難である。
 三四郎はなるべくこの機会を長く引き延ばして利用しようと試みた。
 それで比較的人の通らない、閑静な曙町を一回《ひとまわ》り散歩しようじゃないかと女をいざなってみた。

 ところが相手は案外にも応じなかった。
 一直線に生垣《いけがき》の間を横切って、大通りへ出た。
 三四郎は、並んで歩きながら、
 「原口さんもそう言っていたが、本当にどうかしたんですか」と聞いた。
 「私?」と美禰子がまた言った。
 原口さんに答えたと同じことである。
 三四郎が美禰子を知ってから、美禰子はかつて、長い言葉を使ったことがない。
 たいていの応対は一句か二句で済ましている。
 しかもはなはだ簡単なものにすぎない。

 それでいて、三四郎の耳には一種の深い響を与える。
 ほとんど他の人からは、聞きうることのできない色が出る。
 三四郎はそれに敬服した。
 それを不思議がった。
 「私?」と言った時、女は顔を半分ほど三四郎の方へ向けた。
 そうして二重瞼の切れ目から男を見た。

 その目には暈《かさ》がかかっているように思われた。
 いつになく感じがなまぬるくきた。
 頬の色も少し青い。
 「色が少し悪いようです」
 「そうですか」
 二人は五、六歩無言で歩いた。

 三四郎はどうともして、二人のあいだにかかった薄い幕のようなものを裂き破りたくなった。
 しかしなんといったら破れるか、まるで分別が出なかった。
 小説などにある甘い言葉は使いたくない。
 趣味のうえからいっても、社交上若い男女《なんにょ》の習慣としても、使いたくない。
 三四郎は事実上不可能の事を望んでいる。望んでいるばかりではない。
 歩きながら工夫している。

 やがて、女のほうから口をききだした。
 「きょう何か原口さんに御用がおありだったの」
 「いいえ、用事はなかったです」
 「じゃ、ただ遊びにいらしったの」
 「いいえ、遊びに行ったんじゃありません」
 「じゃ、なんでいらしったの」
 三四郎はこの瞬間を捕えた。
 「あなたに会いに行ったんです」

 三四郎はこれで言えるだけの事をことごとく言ったつもりである。
 すると、女はすこしも刺激に感じない。
 しかも、いつものごとく男を酔わせる調子で、
 「お金は、あすこじゃいただけないのよ」と言った。
 三四郎はがっかりした。
 二人はまた無言で五、六間来た。
 三四郎は突然口を開いた。

 「本当は金を返しに行ったのじゃありません」
 美禰子はしばらく返事をしなかった。
 やがて、静かに言った。
 「お金は私もいりません。
  持っていらっしゃい」
 三四郎は堪えられなくなった。
 急に、
 「ただ、あなたに会いたいから行ったのです」
 と言って、横に女の顔をのぞきこんだ。

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