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核不拡散条約を考えるコミュの2010年6月から2012年末までの出来事

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今を記録しましょう。
そのためのトピックです。
2010年5月のNPT再検討会議終了後
2012年の中東非核化の会議終了まで
の出来事を記録する予定です。

コメント(4)

核軍縮 外相級会合呼びかけへ
2010.nhk6月25日 23時30分
岡田外務大臣は記者会見で、ことし9月にニューヨークで国連総会の首脳演説が行われる時期に合わせ、日本が呼びかけて、核軍縮や核の拡散防止をテーマにした各国の外相による会合を開催する方向で調整を進めていることを明らかにしました。

国連では先月、189の国が参加するNPT=核拡散防止条約の再検討会議で、核保有国が核兵器の完全な廃絶を目指して、後戻りしない形で取り組むことを確認するなどとした最終文書を全会一致で採択しました。これについて岡田外務大臣は記者会見で「NPT再検討会議のあとも『核兵器のない世界』に向けた継続的な取り組みは必要だ」と述べ、9月にニューヨークで、国連総会の首脳演説が行われる時期に合わせ、核軍縮や核の拡散防止をテーマにした各国の外相による会合を開催する方向で調整を進めていることを明らかにしました。外務省によりますと、会議は日本の呼びかけで各国が検討を進めている段階で、岡田外務大臣は記者会見で「核軍縮の問題で、日本としてリーダーシップを発揮したい」と述べました。
IAEA事務局長 エジプト訪問
2010nhk6月23日 4時35分
IAEA=国際原子力機関の天野之弥事務局長は、エジプトのアブルゲイト外相と会談し、核兵器を保有しているとみられるイスラエルを念頭に、核のない中東地域を目指して協力を深めていくことで一致しました。

就任後初めて中東地域を訪れているIAEAの天野事務局長は、22日、エジプトのカイロでアブルゲイト外相と会談しました。会談では中東で唯一、核兵器を保有しているとみられるイスラエルへの対応を話し合ったほか、2012年の開催が決まった中東地域の非核化に向けた国際会議について意見を交わし、双方は協力を深めていくことで一致しました。エジプトなどアラブの国々には、欧米諸国がイランの核開発問題ばかりを取り上げ、NPT=核拡散防止条約に加盟せず核兵器を保有しているとみられるイスラエルを特別扱いしているのは不公平だという不満があります。IAEAはエジプトをはじめ各国からイスラエルの問題について意見を聞き、ことし9月までに報告書をまとめる方針で、イスラエルを含めた形で中東地域の非核化をどう進めていくかが課題になっています。
Subscribe to the print editionHAARETZ StoreHAARETZ HomeNewsNationalPublished 20:59 28.09.10
Latest update 20:59 28.09.10
Pioneer of Israel's nuclear program dies at 92
Leading chemistry professor and Israel Prize winner Israel Dostrovsky is known for being the first general manager of Israel's Atomic Energy Commission.
By Yossi Melman
Tags: Israel news
Professor Israel Dostrovsky, the first general manager of Israel's Atomic Energy Commission and fifth president of the Weizmann Institute of Science, passed away on Tuesday at the age of 92.

Dostrovsky headed the Atomic Energy Commission between 1966 and 1971, a period which included the outbreak of the Six-Day War in 1967.

Professor Israel Dostrovsky.

Dostrovsky was an Israel Prize Laureate for exact sciences (physics, chemistry, mathematics) and also won many prizes in the field of physical chemistry, in which he was a leading figure.

Dostrovsky began his scientific and national security career even before the establishment of the State of Israel, as a member of the Haganah.

Later, he was a leading figure in a military intelligence unit that formed the basis for scientific activity in the Defense Ministry, as well as leading Israeli institutes in the field, including the nuclear research centers in Dimona and Soreq.

Dostrovsky was appointed head of Israel's Atomic Energy Commission at a time of a scandal that rattled top nuclear intelligence officials in Israel.

He was among those who supported the continued development of Israel's nuclear program, and undertook the general manager position of the AEC after several committee members that opposed the direction of the program resigned from the commission.

After he himself eventually resigned from the post, he turned to scientific research at the Weizmann Institute of Science, but retained his expertise in atomic energy and continued to work closely with the commission. He shied away from the media spotlight and refused requests for interviews dozens of times.

Dostrovsky will be laid to rest on Tuesday. His casket will be interned at the Weizmann Institute, and from there it will begin its funeral procession to a family plot at Kibbutz Maoz Haim in the Beit She'an Valley, where he was one of the founding members.
thou77angis 飛ばない帽子

1.原発事故が起きた当初は政府の発表を信じてすぐには動きませんでした。健康に被害の出るレベルではない、チェルノブイリと比べたら大したこと無い、避難の必要はない。事故直後から「すぐに家族と逃げてこい」と言ってくれていた友人にも最初は笑って「そんなレベルじゃないって」と言ってました。

2.ですが、1週間後くらいから「もしかしたら」と漠然に思い始め、ネットで情報を調べてみると、どうやら政府が言っていることは正しくないのではというような考えを持つようになりました。そこで、いつでも避難出来るようにと子ども達のパスポートを申請したのが3月25日くらい。

3.パスポートを申請後もまったく状況はよくならなかったので、結局3月末にはカナダへの避難を決意、飛行機のチケットを購入しました。ただ、その際はあくまでも短期の避難という気持ちでした。カナダに来てからも情報はネットやこちらのテレビで調べ続けましたが、全くよくなる兆候がありません。

4.そんな中、チェルノブイリ事故当時ポーランドに住んでいた家族と話す機会がありました。ポーランドはチェルノブイリから600キロくらい離れているようですが、それでも事故直後にヨウ素が政府から配布されたり、その当時につくっていた作物は全て土の中に埋めるよう指示されたそうでした。

5.私達の住んでいた東京は福島第一から250キロ圏内。複数の原子炉が制御不能の状態になっているのに政府の対応は何も無い。それどころか、情報は隠蔽ばかり。その家族も、「子供たちの為に避難した方がいい。子供達の健康を考えたら帰るべきではない」と言っていました。

6.結局こちらに来て数週間で移住を決意しました。それからどうすればこちらに住めるのか調べ始め、やはり私も「永住権の取得」しか無いと考え、そればかり考えていました。現地の説明会にも行ってみましたが、取得に最低でも1年はかかることが分かり、それからようやく仕事を探し始めました。

7.ネットや新聞で自分の過去の経験やスキルが活かせるようなポジションを探していたところ、友人のお父さんが、新聞に載っていた翻訳会社の求人情報を探してきてくれました。翻訳業は全く経験がなかったのですが、日本語が活かせるという事もあり、すぐに応募したところ面接に来てほしいと連絡が。

8.「実は就労ビザをまだ持っていないのだが問題ないか」と聞いたところ、最初は就労ビザがないと雇えない、と返事がありました。が、実際は雇用主がいないと就労ビザの取得はできません。しかも雇用主のサポートなしでは申請すら出来ません。そこを説明すると「とりあえず面接を」という事に。

9.面接では、自分のPCのスキルやタイプスキル、実際の翻訳の能力などのテストも受け、幸運なことに翌日には採用の連絡がありました。丁度日本語の仕事が増え始めていた時期らしく、本当にタイミングがよかったのと、ラッキーだったとしか言えません。

10.放射能が怖くてカナダまで逃げたり、原発のことばかりツイートしていてつまらない人生だ、と言われる事もありますが、私達家族は本当にいまカナダの生活を楽しんでいます。もちろん日本にいる家族や友人達の事は心配で仕方ないですが、自分たちの人生は楽しまないと損ですからね!

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