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悪いか?鉄道マニアで…コミュの特急・急行・普通列車の差

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特急・急行・普通列車は国鉄時代には厳格ともいえるような差があった。
昼の部の特急列車は車両は完全空調で性能が良い。

急行列車は車両はそこそこで性能のそこそこである。

普通列車は車両や性能は低い。

夜の特急列車は全車寝台車で地方交通線との接続は優先的にダイヤが組まれている。

急行列車は直行旅客を対象にした寝台車+途中駅利用を対象にした座席車の編成である。
ダイヤや時間帯もそこそこである。

普通列車は座席車主体の編成であり、ダイヤや時間帯も宜しくない。

コメント(72)

座席番号は特急・急行型車両には必ずありました。
113系にはあったかどうか定かではありません。
>>[33]
40系気動車や50系客車にもあったはずです。イレギュラー的に指定席として使うこともありえますからね。
さらに113系1000番台の快速の臨時で青い海(内房線)と白い砂(外房線)があり、東京駅から館山・安房鴨川まで直通運転していました。
特急と急行では料金体系にも差があり料金の上限は特急が801キロ、急行が201キロで4倍も差がありました。
急行列車は東京からだと常磐線は平、東北本線は郡山、上越線は長岡、信越本線は長野、中央本線は松本の辺りが限度ラインでした。
特急列車は速達重視なら急行列車は地域間連絡という役目であるといった差があります。
昼行列車は停車駅や速度、夜行列車は車両編成や時間帯サービスで差がつけられています。
>>[31]
なお、このエリアの末尾に9が付く形式は、空気バネ台車装備のいわゆる碓氷峠仕様だったらしいです。
>>[038]
このエリアで末尾に9がつく数字は勿論碓氷峠仕様です。
その他の車両でもこのエリアを通過する客車も碓氷峠対策車です。
夜行列車の特急列車と急行列車はダイヤ面でも差がつけられていて、東海道線は京阪神から東京への到着時間帯は急行銀河より特急紀伊・出雲(2往復)・瀬戸・あさかぜ(2往復)の方が優先されていました。

山陽線は特急が寝台車オンリーで急行が座席車オンリーのみの差があるばかりでなく山口・九州への時間帯は全てにおいて特急優先でした。
急行は途中駅で細目に停車していたから、阿蘇・くにさきが広島〜小倉、雲仙・西海は岡山〜下関が夜行区間でした。
北海道地区は急行まりも(釧路)・大雪(北見)・利尻(稚内)・すずらん(函館)と普通列車はまりも・すずらんがA寝台車が連結しているか、していないかの差と、もう1つは有効時間帯の駅が急行まりもは釧路、普通からまつは帯広で差がつけられていました。
すずらんと普通列車の差は東室蘭経由と小樽経由でも差がつけられていた。
急行だいせんと普通山陰の差は使用車種が20系と旧型客車の差。
急行だいせんは目的地が倉吉〜出雲市なのに対して、普通山陰は鳥取〜米子という所にも差がありました。
特急列車とは文字通り特別急行列車で特別な接客設備、速達性、付加サービスをする列車である。

急行列車は目的地までの速達サービスを有料でする列車である。

普通列車は地域における営業をする列車である。
特急列車と急行列車は昼と夜でも差が付けられていました。
特急列車は昼の部分では主要駅のみに停車するのに対して急行列車は地域の駅や周遊券の入口になるような駅にも停車するのが基本なのに対して、非有効時間帯となる夜の部分では特急列車は基本的にノンストップなのに対して急行列車は主要駅に停車するのが基本だという点にも特急列車と急行列車の性格の違いやそれに伴う客層の違いにも表れていました。
特急列車と急行列車は客層にも違いが飲食にも表れていました。
特急列車は基本的に食堂車などで車内飲食を好むような層に多いのに対して急行列車は土地での駅弁を買うような層に多い所にも差があったといえます。
>>[44]
国鉄の急行は、庶民にとってリーズナブルな長距離移動手段でした。本来は特急が文字通り特別な列車だった時代の種別ですが、生活水準の向上と共にそんな概念が崩れてきたのが70年代かと思います。特急乱発などと批判されていましたが、ある意味必然的な流れだったのではないでしょうか。
>>[45] 復刻版時刻表を見ると急行列車の全盛期は昭和43年(1968年)でした。
皮肉なことに特急列車大増発の年でもありました。仰る通り増発などが特急列車主体になって行くのは70年代からです。
特急列車時代の幕開けといわれている昭和53年(1978年)の時刻表を見ると特急列車の方が急行列車の勢力を上回っている線区といえば東海道・山陽・東北・北陸本線系統の他に房総各線の辺りです。
急行列車が全盛期だった昭和43年(1968年)時点で電化・複線化が全線開業しているのは東海道・山陽・東北本線位しかなかったからです。
結局の所からして特急列車を走らせるとなればそれに見合うだけの設備投資をしないとならないからです。
車両編成・ダイヤからして特急列車はビジネス旅客や団体旅客向けなのに対して急行列車は周遊券旅客や深夜便の足代わりに利用する旅客向けであるといえます。
普通列車は学生の休みに発売される青春18きっぷ旅客や地域の足代わりに移動する旅客向けだといえます。
夜行列車での客層のイメージからすると寝台特急>夜行急行>夜行普通だといえます。
北陸本線系統の夜行列車といえば東の特急北陸、急行越前・能登なのに対して西の特急日本海・つるぎ、急行きたぐに・立山・のりくらは色んな意味でバライティ豊かな車両編成の上にダイヤそのものからしてもバライティ豊かでした。
特急と急行の差は使用車両の他にダイヤ面でも基本的に差がつけられていました。
>>[52]
きっちり客層が分かれていた鉄道全盛時代の産物であり、今の合理性一点張りと違って趣味的には面白かったけど。ともあれ定期夜行は「出雲・瀬戸」だけの状況も285系の頑張り次第ですねがく〜(落胆した顔)
>>[54] 鉄道全盛期の時代はグリーン車と普通車でも客層が分かれていたし特急・急行・普通列車で客層が分かれていました。
事実普通車は普通旅客なのに対してグリーン車は新婚旅行などの夫婦や国会議員などの政治家や大企業の役員でした。
古い体質の相撲界ではグリーン車に乗れるのは横綱・大関以上で関脇以下は普通車に乗るのが原則でした。
特急列車は指定席主体なのに対して急行列車は自由席主体だから昭和50年代の上野駅のイメージからいえば特急列車は座って快適に旅行するのが当たり前なのに対して急行列車は座る席を確保する為には割と早い時間から発着番線のホームから並んで待つのが当たり前のような感覚がありました。
もう1つ特急・急行の差は昼の移動効率の差にも表れていました。
急行列車全盛期の昭和43年の時点では東海道新幹線がひかりが新大阪に対してこだまは米原でその辺りにも料金差がつけられていました。
中央本線は特急が松本なのに対して急行は辰野。
信越本線は特急が長野なのに対して急行は上田。
上越線は特急が新潟なのに対して急行は東三条。
東北本線は特急が仙台なのに対して急行は白石。
磐越西線は特急が会津若松なのに対して急行は猪苗代。
奥羽本線は特急が山形なのに対して急行赤湯。
常磐線は特急が平なのに対して急行は勿来。
こういった所にも差がありました。
急行列車と普通列車の車両性能の決定的な違いをあげると急行列車は空気バネなのに対して普通列車はコイルバネだから当然だけど乗り心地にも決定的な差がありました。
だから普通列車は元々からして近距離の移動向けで急行列車は中距離の移動向け、特急列車は長距離の移動向けだといえます。
新幹線は上限なしで乗車区間に応じて料金を取る体系だといえます。
そこにも新幹線・特急・急行・普通列車の差があるといえます。
特急列車と急行列車は、列車愛称の付け方からして違うのと、寝台列車にはマルスに入力する関係から急行列車並に愛称がつけられていました。
昼の特急列車に多かったのは、その地域の鳥やその地域の風、その地域の最高峰の山。
夜の特急列車に多かったのは、天体や夕方〜夜空。
急行列車に多かったのは、故郷の旧国名や地方名やそれに関連するものである。
>>[60]
愛称も個々の思い入れがありますよね。私的には「白鳥」が、列車の風格やヘッドマークデザインの意味でベストかなw
何より地元を走っていましたから。
>>[61] 白鳥といえば日本海縦貫線の特急列車というイメージがあります。
昭和47年〜昭和59年度まで、485系電車で青森運転所で、食堂車・グリーン車が連結されている8М4Tのイメージでした。
急行列車の特急格上げ併合に繋がった、もう1つの原因は急行列車の最高速度が95キロ〜110キロなのに対して、特急列車の制限速度が110キロ〜120キロという点にあるといえます。
つまり速度の早い特急列車と速度の遅い急行列車が一緒に仕事をすることに無理があるといえます。
>>[63]
車両の進化に伴って、停車駅が増えても所要時間に大きな影響は無くなったという面はあるね。それなら特急に一本化するのが合理的ともいえます。高性能なら、融通の利くダイヤ構成もやりやすいですから。
>>[64] 優等列車の特急一本化の始まりは、やはり昭和55年秋の九州の鹿児島本線の特急有明への統一からで、夜行急行かいもん以外は全て特急列車という徹底ぶりでした。
こういう政策が可能になったのは、国鉄の昭和51年から始まる、連続大幅値上げによる、航空機などへの転移が大きかったのと、後は高速道路の開通によるマイカーや高速バスへの転移の影響、その他に私鉄特急のデラックス化の影響が大きかったといえます。
国鉄時代は、相場が決まっていて、特急列車はグリーン車はフルリクライニングシートでフットレスト付、普通車は回転クロスシート(比較的新しい車は簡易リクライニングシート)。
急行列車はグリーン車はフルリクライニングシートでフットレスト付、普通車は当然だけどボックスシート
寝台列車はA寝台はプルマン式開放寝台、B寝台は三段式寝台(一部の特急列車は二段式寝台)でした。
相場破壊が始まったのは、JRの時からだったと、いえます。
バブルの時は、JRはグリーン車は2&1、普通車はフリーストップ式リクライニングだったのと、寝台列車は個室化が進行したことに加えて、割安な値段で豪華な設備が楽しめる、快速列車などが誕生しました。
ようは進歩がないと、社会はいらないという典型の時代だったことが解ります。
>>[66]
国鉄時代には185系電車のような、中途半端な通勤兼用的優等車両も登場したよね。昔のJRでは特急のリニューアル編成も流行りましたが、改善は基本的に指定席だけで、自由席が差別されていたのが不満かな。もうそんなやり方はやめてほしいですね。
>>[67] 確かに国鉄末期には、185系電車という特急踊り子と湘南電車の両立と相反する目的の電車を開発しました。
もう1つはJR時代は指定席の料金が自由席よりも高くとっていることから、グレードアップは指定席だったというやり方はJR東日本・北海道の辺りでした。
バブルが崩壊した辺りから、JRは各社それぞれのやり方に変わりました。

JRの特急リニューアル編成で指定席と自由席の間に差別化が目立っていたのは、私が見る限り当然だけど、東日本に多かったです。
その原因は、急行列車の特急格上げが横行したことに伴う、特急列車自由席がワイド周遊券の自由周遊区間に限り、乗り放題になったことから、追加料金のいる指定席との差別化を図った措置ともいえます。
>>[69]
東日本でいえば、リニューアル版は「あさま」「あずさ」の183・189系が印象的かな。のちに185・485系などにも施されましたが、特に485系3000番台は外観も仮面舞踏会顔だったりしてユニークでしたね。
令和のトレンドは、特急列車(新幹線を含む)の全車指定席化です。
自由席の設置は、東海道新幹線のこだま号からで、ひかりとこだまは停車駅の違いからきっちり客層が分かれていたからです。
特急列車に自由席が設定されたのが、やはり昭和46年度からで、当時のみどりの窓口の業務は煩雑で指定席発券に時間が掛かっていたからです。
夜行列車は、目的地への有効時間帯(5時〜9時)の関係から車両編成も決められていて、さらに線区の系統でも客層が分かれていたといえます。
特急と急行の違いは寝台車か座席車の違いであり、急行と普通の違いは指定席か自由席の違いで大きく分かれていました。
その他に夜行需要の多い線区では、寝台車と座席車をバーターして走らせるやり方なのに対して、両方の需要がないような線区では、寝台車と座席車を混結して走らせるやり方でした。

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