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悪いか?鉄道マニアで…コミュの往年の名急行は?

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 好きな特急のトピックがあるので、急行列車のトピックも立ててみました。といっても現行3列車しかないので、往年の名急行と銘打ちました。昔の急行は多層建てや支線を回り道したり循環する列車もあって、特急列車より多彩な運行をしていたので、この場で好きだった急行を挙げてみませんか?

 ちなみに私は函館-稚内を運転していたときの「宗谷」、ビュッフェ車連結の「いわて」(上野-盛岡)です。乗る機会はありませんでしたが、時刻表をみては憧れていました。

コメント(95)

急行「高千穂」です。
東京・九州を結んでいたロングラン急行でした。


中央本線なら「アルプス」
上越線なら「佐渡」
東北本線なら「まつしま」「いわて」
信越線なら「信州」
東海道線なら「東海」「比叡」
というように、各線で名急行が走ってました。

夜行急行なら「十和田」「越前」「妙高」「上高地」なんて好きでしたね。

ふらっと旅行するには便利でしたが、新幹線開通以来絶滅の一途をたどってしまったのは残念です。

昔、四国に住んでた頃、駅でよく見かけた高松駅の土讃線に「急行 土佐」っていものがありました!
ヘッドマークの色と合っているボディーカラーがなんともいえなく
好きでした(*^^*)
近所を走ってたからと言う理由ですけど
えびの
に一票を投じたいと思います。
『砂丘』『みささ』『みまさか』ですね
世代が特急全盛時代なので…時刻表復刻版と人づてで聞いた話で。

東京発大阪行…第1、2なにわ
上野発青森行…十和田5号
上野発仙台行…まつしま

上野発新潟行…佐渡

ってとこでしょうか?
↑↑↑
急行平戸の区間変更は昭和58年3月です。


やっぱし名前で惹かれるのは・・・・
ゆのか(昭和43年〜昭和57年)
そてつ(昭和43年〜昭和50年)
フェニックス(昭和37年〜昭和50年)

でしょうか・・・・

私的には、乗ったことある急行であれば、

阿波



砂丘

ですかね


阿波は当時住んでいた徳島から高松に行く際に乗って、高松駅でいしづちやあしずりが停車していたり、キハ181系のしおかぜや南風に子供心なりにときめきましたね…


砂丘は大学の頃、鳥取に行く際に岡山駅から乗り、三回は乗ったかな

三回目は半室グリーン車に乗って広々と乗った記憶があります。

座席が、0系新幹線からの転用だった覚えがあります指でOK

やはり 急行の王道は この1101レ(4101レ)「高千穂」「桜島」でしょう
廃止になる 前の年の夏休みに 「高千穂」で 東京⇒隼人まで乗ったオロ11の のり心地の 良いこと

オロ11はその後 すぐに 全廃に なってしまいましたがさ〓
「あきよし」という列車がありましたよね。時期によって発着駅は様々ですが、山陰本線の浜田辺りから九州の日田彦山線を抜けて九大本線を走っていました。豪華車両があったりロングランというわけではないですが、奇妙なルートを走る意味で当時の急行らしさを感じます
僕が一番よく乗った「うわじま」ですね。
キハ28・58・65の混成で、上りの夜行便は高松に3時半頃に到着で岡山発の新幹線一番列車に接続させてたように思います。
子供の頃眠い目をこすりながら連絡船に乗り換えたのを覚えています。
松山まで関西汽船に乗り、松山から伊予吉田までもよく利用しました。
あの頃は今では18切符のポスターで有名な下灘付近の海岸線も間近に見れたり、八幡浜〜上宇和の急こう配をエンジンを唸らせながら登ったり、下宇和〜立間間の法華津湾の景色、タブレット交換、Y字ポイント、今では見られなくなった低いプラットホーム、ホームに降りたら改札まで線路を渡っていったり
、硬券の急行券、ディーゼル特有のステップ、エンジン音、色んな思い出があります。
急行「うわじま」です。

 電車国鉄が民営化される寸前の1987年3月四国を一周したときのものです。
急行列車では数少ない車内販売もありました。風景、いす座席に差し込む晴れ陽の光、車窓から入って来る風がとても心地よかったことを覚えています。
 古きよき時代の列車という雰囲気満点でした。
 瀬戸大橋が出来て今ではすっかり変わったと思いますので貴重な体験でした。

 先頭はキハ65ですがすっかりなくなってしまったようですね。キハ58より車齢もぴかぴか(新しい)若いし手(グー)高性能なのにモッタイナイです。気動車を扱うどこかの私鉄が引き取ってくれないかなぁ。使い道はあると思うし・・・。
プレゼントおまけですが、急行時代の「りょうもう」です。
日光へ行くときに、浅草駅で撮りました。
乗る機会はありませんでした・・・。
雪煙を上げて疾走する蒼き老兵、急行はまなす。
やっぱり函館に帰るときお世話になった急行津軽、八甲田

実家帰るのも上京するのも心の準備して乗ったけなぁ…

就職で知らない土地に行くのに不安な気持ちで乗ったり

帰省で帰るときはお土産満載にして喜ぶ顔、想像したり

指定席取れなくて上野のホームに新聞しいて何時間も前から自由席取るのに必死こいたりあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

懐かしいなぁ…
今は亡き母とよく乗ったのが「あしずり」でした。
高知→中村は進行方向左側、中村→高知は進行方向右側に座るのが「決まり」でした。
理由は、海が見えるから。
母は「窓に横桟がついたトイレがない車両」を選んで(今でもあの行動は偶然とは思えません)乗ってたので、空気ばねのキハ65に乗っていたと思います。

母が亡くなって11年経ちますが、今でも特急「南風」「あしずり」に乗る際は、高知→中村は進行方向左側、中村→高知は進行方向右側に座ります。

母が好きだった海が見えるから。
架線下DCのひとつだった新潟―名古屋間の「赤倉」ですかね。高校時代に通しで乗ってみましたが、9時間くらいかかって、いささかうんざりしましたあせあせ
>>[71]
このころの四国の急行は、グリーン車が普通車指定席として利用できましたっけ。
>>[81]
横から失礼します。当時の四国急行はグリーン車を普通車指定席として使用しており、一律300円でした。
まさに「乗りドク」な車両でした♪
さらに、宇高連絡船・宇野線快速を介して新幹線に乗り継ぐと、急行料金・指定席券が半額になったので、150円でグリーン車の座席に座ることができました。
学生時代は、よく急行に乗りました。
昼間のアルプス・東海も覚えていますが、八甲田、まつしま、妙高といった夜行急行も思い出深いものがあります。
でも一番印象に残っているのは、大学入学の手続きのために2日連続で乗車した津軽です。
>>[82]
グリーン車の乗車率が悪すぎるゆえの措置だけど、本当にお得でしたね。私も初めての四国旅行であやかりました指でOK
>>[087]

確か自分の記憶ではその時、十和田は無くなっていたような…

帰る選択肢が奥羽回りか東北回りかだったから
>>[86]
あの形式の寝台は、下段の幅はゆったりだけど、中・上段は苦しいよね。あと、グリーンを含めた指定席は、車掌の裁量次第で座れることも多いです。
郡山経由で上野と新潟を結んでいた急行いいで。のんびりした急行でしたが、昭和55〜56年豪雪で電車急行が麻痺した中を、元気よく走っていたのが印象的でした。
思い出の急行は数知れず。大阪から秋田へ行くのに、「ゆのくに」「能登」「鳥海」を乗り継いだなんてのも昔の話です。

そういえば、「きたぐに」は外せませんね。晩年の583系電車時代を覚えてらっしゃる方は多いかと思いますが、私の時代は12系座席車+10系寝台車です。かつては食堂車も繋いでいたのですが、北陸トンネル火災事故で…

青森までロングランしていたのも懐かしい話です。
「循環急行いぶり」と言うのがありました。札幌を出て函館本線で小樽、小沢で岩内行き急行らいでんを切り離して、倶知安から胆振線に入って、京極、新大滝を回って伊達紋別から室蘭本線、苫小牧から千歳線経由で札幌に戻る。ぐるっと一周5時間ちょっと。千歳線先回りの左回りコースもありましたね。

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