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プランタジネット朝コミュのイングランド王 若ヘンリー

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父ヘンリー2世の王太子、1170年に共同統治という名目で戴冠。

輝ける宮廷風騎士として同時代の人々を魅了した。

背は高く髪はブロンドで、若き神のごとく美しく、表現力豊かで感じのよい当意即妙の才があった。
その上善良で愛想よく、いつも他人を許せる比類なき寛容性の持ち主だった。
派手な浪費癖も、彼のイタズラ好きで闊達な性格の前では可愛く見えた。

まさに王の中の王としての未来が描ける人物だったが、父ヘンリー2世は戴冠させたにも関わらず実権をまったく与えなかった。
それに反発し、フランス王の後ろ盾を得て、弟たち共に反旗を翻すことになる。

重い病に罹り、28歳という若さで惜しまれながら果てた。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

○名:若ヘンリー王 / ヘンリー若王 / Henry the Young King
○生没年:1155年2月28日〜1183年6月11日
○在位:1170年〜1183年6月11日
○王朝:アンジュー朝 / プランタジネット朝
○父親:ヘンリー2世
○母親:アリエノール・ダキテーヌ
○妃:マルグリット

コメント(3)

1170年6月にヘンリー・プランタジネットが自らすすんで長男若ヘンリーをロンドンで戴冠させようと決心した。

宴席では若王は主賓席に座っており、父王は若王に給仕をすると言ってきかなかった。
それは彼が若王に与えた地位の威厳をはっきり示すためであった。
しかし父王は一方では冗談めかして次のように言うことも忘れなかった。

「食卓で王が給仕をするのは滅多にあることではないぞ」

若ヘンリーはこう口答えした。
「けれども伯爵の息子(ヘンリー2世)が王の息子(若ヘンリー)に給仕をするのは別に常ならぬことではありません」

これを聞いた側近の諸侯たちは言葉もなかった。


【王妃アリエノール・ダキテーヌ】レジーヌ・ペルヌー著の中の、若ヘンリー
歴史上では「若王」と呼ばれるヘンリーの長男を同時代の人々は皆、立派な宮廷風騎士として紹介している。

彼は七歳のときからトマス・ベケットによってその大部分の教育をきめ細かく受けていた。
背は高く髪はブロンドで、若き神のごとく美しく、表現力豊かで感じのよい当意即妙の才があった。
その上善良で愛想よくいつも他人を許せる比類なき寛容性の持ち主だった。

父王が激しく非難することとなる彼の浪費癖さえも好感の持てるものとしてうつるのである。

プランタジネット家に対して意地の悪い見方をするジロー・ド・バリいわく
「若王はこのように寛容な御方なので、そのお心を受けるに相応しい人々には誰に対しても拒まれることはなかった。しかるべき扱いを受けるに足る人々には悲しませたり不満の思いを残したままで側を離れさせることは決してなかった。ティトゥス(ローマ皇帝)のように多くの人々に対して物心ともに施しを重ね、恩恵を与えなければ一日を無駄に過ごしたと考えてしまうのだった」と若王を語った。


【王妃アリエノール・ダキテーヌ】レジーヌ・ペルヌー著の中の、若ヘンリー
様々な逸話から若ヘンリーのイタズラ好きで闊達な性格を知ることができる。

ある日ノルマンディーのビュルで若ヘンリーはギヨームという名前の人々を全員食事に招待しようとしたことがあった。
ギヨームと言う名は、当時ジャンの次に多い名前だったが、その夜117名のギヨームが若王と食事を共にした。

【王妃アリエノール・ダキテーヌ】レジーヌ・ペルヌー著の中の、若ヘンリー

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