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農援隊コミュの豚食と鹿児島

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牛乳・乳製品・牛肉を口にしなくなって久しい。(http://page.mixi.jp/run_page_apps.pl?appParams=%7B%22q%22%3A%22view_diary%22%2C%22diary_id%22%3A%22742383%22%7D&module_id=749391&page_id=136240

食物連鎖のある大型魚も食べなくなった。

また、マクロビオティック(穀菜食)で国際的に知られている桜沢如一の享年は71歳。

だから、当然のように、仙人の関心は、豚や鶏に移っている。

日本では、弥生時代の遺跡から出土し、当初猪と思われていた骨が豚の骨と判明するなど、古墳時代の遺跡からも豚の骨が出土している。

『日本書紀』・『万葉集』・『古事記』に、猪飼、猪甘、猪養という言葉があり(「猪」は中国では豚のことを指す)、その当時は日本でも豚の飼育が行われていたことが窺える。

その後、天武天皇5年675年に最初の肉食禁止令が出され、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(牛・馬・日本猿・鶏・犬)の肉を食べてはいけないとされた。しかし、これに豚は含まれていなかった。

戦国時代に、キリスト教イエズス会の宣教師たちが、キリシタン大名たちを介して肉食の慣習を日本に持ち込んだため、一時的に豚肉が食べられるようになった。

やがて日本の大部分の地域では豚肉を食べる習慣は廃れ、わずかに薩摩藩と南西諸島では日常的に養豚が為されていた。

それで、薩摩では、現在の鹿児島黒豚を用いた、薩摩料理が発達した。

1827年(文政10年)の佐藤信淵著『経済要録』には、薩摩藩の江戸邸では豚を飼育し、それによって取れた豚肉を町で売っていたと記録されている。

また、江戸では「ももんじ屋」などで食べられた。1845年(弘化2年)5月2日の書簡によれば、江戸幕府最後の征夷大将軍・徳川慶喜は、島津斉彬から父・徳川斉昭宛てに豚肉が送られていたという。

そのせいか、彼は豚肉を好んで食べており、下々の者たちから「豚一様」(「豚肉がお好きな一橋様」の略称)と呼ばれていた。

西郷隆盛も脂身のたっぷりついた豚肉料理が大好物だったという。

新選組も西本願寺駐屯時に、松本良順(幕末から明治期の御典医:大日本帝国初代軍医総監)の勧めで神戸から子豚を持ち込んで養豚し、食べていた。

豚の解体は京都木屋町の医者・南部精一の弟子に依頼していた。福澤諭吉著『西洋衣食住』には、大坂にあった緒方洪庵の適塾にて学ぶ塾生たちも豚を食べていたとの記録されている。

明治維新以後は、日本全土で豚肉が一般に食べられるようになり、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』にもそのことに関する記述が見られる。

特に関東大震災後の関東地方ではにわかに養豚ブームが起き、豚肉の供給量が増え安価になったため、庶民たちにも比較的手の届くものとなった。関東を中心とする多くの地方で「肉」と言えば豚肉のことを指すようにもなった。なお、近畿地方で「肉」と言えば牛肉のことを指し、豚肉は「豚」と呼ばれる事が多い。従って近畿では、豚肉などを使った中華まんのことを「肉まん」とは呼ばず「豚まん」と呼ぶ。

ところで、世界には豚肉食を禁じる宗教がある。

イスラム教では豚は不浄なものであるとされ、食のタブーとして食用が禁じられている。

そのため、中東のイスラム諸国、中国、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどムスリムの人口が多い国や都市では、ムスリム向けに豚肉を一切料理に使用していないこと、ラードや豚骨スープ等豚に由来する成分なども使用していないこと、そして、豚以外の肉でも所定の手続きを踏んで屠殺したものであることの3箇条を示す「ハラール (Halal) 」という証明書の取得と表示が料理店に対し義務付けられている。

マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなどの、外資系ファーストフード店にも表示が義務づけられており、さらには現地で販売されているスナック菓子などにも、表示が付けられているのを見ることができる。豚を巡っては、イスラムの影響の強いインドネシアで味の素の一部生産工程(豚から作られた酵素を使用する)を巡る騒ぎがあったこともある。

また、ユダヤ教でもカシュルートにより豚肉の食用が禁じられている。

このような宗教的な事情から、多国籍(多宗教)の乗客の利用が想定される国際線の機内食では、基本的に豚肉は使っておらず、さらに特別な儀式で加工・調理されたイスラム食やユダヤ食もリクエストにより提供されている。

コメント(1)

RT:

「黒麹黒豚」の美味しさと面白さ

遠山敏之:(2008年12月まで「日経レストラン」編集長を務める)

先週末から月曜にかけて、鹿児島へ行ってきました。POS大手の東芝テックさん主催の飲食店繁盛セミナーに招かれて行ったのですが、実は初めての鹿児島。現地へ行ってみると、やっぱり黒豚や薩摩地鶏を売り物にする店が目立ちました。鮮魚がメインの店もなくはないのですが、県外出身で鹿児島に住むようになった人によると、「鹿児島は肉文化の街」とのこと。私も1泊2日の滞在で、美味しい肉をたくさんいただきました。

そんな中で、出合ったものの一つが「黒麹黒豚」です。焼酎カスや飲食店の食べ残しなどの「食品残さ」を麹菌で発酵させて飼料化し、エサとして与えた黒豚をこう命名しています。九州地区の焼酎蔵元の大半に麹菌を供給している源麹研究所が数年前から取り組み、飼育方法をほぼ確立した技術が元になっており、このエサを食べさせると、豚の体内での消化効率が上がるのか、ふん尿の中の未消化物が減ることで、豚舎のにおいが減るうえ、肉質も向上するという効果が確認できたそうです。養豚事業としても、設備投資と処理の手間がかかるふん尿処理施設を作る必要がないうえ、高騰している配合飼料をごくわずかしか使わないで済むため、ローコストで飼育ができることが利点です。

もともとは、焼酎の蔵元から余った焼酎カスの処理を依頼されたことがきっかけで、生成物の処理のため手探りで養豚事業を始めたそうですが、やってみたら従来にない効果があることが分かって、本格的に事業化に取り組んだとか。実際、私も鹿児島空港近くの溝辺にある養豚場を訪れましたが、養豚場特有のにおいが少ないのには驚きました。あまりに良いことづくめのため、「養豚の専門家ほどそんなにうまくいくわけがないと信じてくれない」と、源麹研究所の丸山良文副社長は苦笑いしていました。

まだ飼育頭数が少ないため、メニューとして実際に提供しているのは、鹿児島市内の豚肉料理店「9匹のこぶた」という店だけです。ここで、バラスライスを野菜と蒸したり、鉄板で焼いたりしたものを試食させていただきましたが、口の中に入れても、臭みをまったく感じず、かむとしっかりした味が舌に広がりました。だしに入れてもあくがほとんど出ないのも特徴だとか。

実はこの店を経営しているのは鹿児島県下有数の外食企業である康正産業で、今後、源麹研究所の技術を使って、自社の食品残さを飼料化し、そのエサを使った「黒麹黒豚」を看板食材として、利用していくことを計画しています。肥田木康正社長は「油分や塩分が強く、外食では難しかった食品リサイクルを実現できると共に、地産地消の新しい形を作ることができる」と意欲的でした。食品残さを使ったリサイクルシステムは、各地で動き始めていますが、外食業界とうまくタッグを組んで実用化に向けて進んでいるという点では、先進的な事例といえるでしょう。全国でこうした動きがもっと出てくることを祈りたいものです。

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