ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

「ブッダのことば」を考えるコミュの九.

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
--------------
一二、ヴァンキーサ
--------------
三四三
 人生のもろもろの疑惑を断つためにはもろもろの疑惑を明らかにすることが考えられる。それがもろもろの疑惑に打ち勝つ方法のひとつである。
三四四
 真理を得るためには、もろもろの経験が必要である。
三四五
 師の師は尊ばれるべきか?私は、常にそうとは限らないと思う。私淑ということもあると思うが、全く白紙でまず自分自身の考えを発表し、その後学ぶという方法があるように思うし、いろいろな師と呼ばれる人を遍歴するという方法がある。
三四六
 ブッダからは、死後についての明確な証拠は提示されてはいない。
三四七
 完全に朗らかで、経験が豊かで、頭が良く、勢いがあり、弁舌逞しい人間に会うと、ひとは怯えるか心を開く。
三四八
 素晴らしい作家の斬新な言葉は人々の思考の癖を変えてよい方向に導く。人々は知らず知らずと、素晴らしい作家の考えに近づいてゆく。
三四九
 素晴らしい作家は、一つ一つの事象から、その背後にある、隠れされた実態を知ることができる。そのためには人は実体験を多く積むことが考えられる。
三五〇
 素晴らしい作家の言葉は、自然と人の心に染み入る。
三五一
 真理にたどり着くには、堅固な推理力が必要とされる。
三五二
 出来ない者の語りは最悪であるが、出来る者は話すことをせがまれ、期待にそぐう話をする。出来る者は生まれに恵まれ、その上で多くの経験をしている必要がある。しかし生まれが悪い者は生まれに恵まれた人間には出来ないことができる。
三五三
 あれこれの尊い理法は、過去の優れた人物から教わる以前に、自ら経験によって、自分自身の考えを持つことから生じる。それが本物の理法である。
三五四
 尊ぶ人の生が良いものであったのか、悪いものであったかは、自らその行為を思い出し、どうであったかをわかるようでなければならない。
三五五
 素晴らしい人は、人を名声で判断しない、自分自身との直のやり取りによって判断する。
三五六
 出来る者であるためには、物事を端的に的確に表現する能力が求められる。
三五七
 言行一致は重要なことである。言行一致は信頼を生む。不言実行の利点は、やり方を柔軟に変えることができることがある。
三五八
 人が執着を離れるためには、執着する物事を越えて素晴らしい人間になる必要がある。
------------------
一三、正しい遍歴
------------------
三五九
 修行者は修行が終わったならば、親孝行すべきである。
三六〇
 占いは占う者の力量によっても変わる。
三六一
 人が迷いを超越するためには、最高に素晴らしい人間を目指すことが考えられる。最高の人間を目指している間は迷いが生じることは無い。最高に素晴らしい人間になるためには、ある程度の学業を全うし、種々の経験をすることが考えられる。最高の人間に近づけば、様々な享楽もばかばかしく見えて、それらに対する欲求も消えうせる。
三六二
 かげぐちをたたくと、ひとに見くびられるし、その対象となる人間からうらまれることがある。怒りがこみあげる場合は、その原因を解決すべきである。物惜しみを捨てるためには、物を大切に扱うことが考えられる。順逆の念を離れるためには、誰かが自分を低く評価したとしても、自分は素晴らしく、いつだって素晴らしい自分を表現できるようでいられるようであるべきである。
三六三
 好ましいものも好ましくないものも大切に保存しておき、時折それらを見ては、昔の自分を思い出すべきである。そして素晴らしい自分を目指すべきである。
三六四
 堅固な実体は精神の中に見出すべきである。それは必ず世の中を良くするという決意である。執著されるものに対する貪欲を捨てるためには、自分が素晴らしい人間になることが考えられる。そうするとこだわりもなくなり、他人にも惹かれなくなる。
三六五
 言葉によって、心によって、行為によって、正しく理法を知るためには、様々な経験が必要となる。それらの経験が、ひとに限界と実行可能な理法を教える。
三六六
 『かれは我を拝む』と思って高ぶることがなければ、ひとはもっと上を目指すことができる。罵られたならば、当意即妙で、罵った人間を打ち負かす機転を持てるようになるべきである。自己満足にふけることには何一つ有益なことがない。自己満足にふけることが無ければ、ひとは見た目的にぶれることが無く芯のしっかりした強い人間のように見られ、他者から信頼される。
三六七
 貪りと迷いの生存を捨てるためには、煩悩をある程度充足させることが考えられるが、素晴らしい人間になることがまずは考えられる。疑惑を超えるためには、多くの人と交わり、人間とはいかなるものかを熟知することが考えられる。
三六八
 自分の分相応とはどの程度かを知り、ひとは自分の分よりも少し高いレベルを求めて生きると、充実した人生を送ることが出来る。
三六九
 潜在的な妄執がなくなるためには、妄執の対象を超越した気持ちが持てるように訓練すべきである。悪の根が根こそぎにされるためには、悪いことはやっても、自分が損するばかりであるから、自分が得することを行うようにすれば良いだろう。願うことも求めることもなくなるためには、どんなことも自らの力で達成するように努力することが考えられる。
三七〇
 煩悩の汚れが尽きるためには、高いレベルに到達すべきである。高いレベルに到達すれば、煩悩の対象がつまらぬことに見えてくる。高慢を断つためには、憐れなひとは運命によって憐れなことを知ることが考えられる。みずから制するためには、高い目標に邁進することが考えられる。安らぎに帰すためには、高い目標をクリアすることが考えられる。こころが安立するためには、高い目標をクリアしたあとに様々な経験をし、物事の真価がわかるようになることが考えられる。
三七一
 信念をもつためには、何かを行う際に、考えられる良いやり方と考えられる普通のやり方の両方を行って、考えられる良いやり方に効果があることを実感することが考えられる。それを究極までに押し進めれば、最高に素晴らしい人間に近づける。仲間の間にあり盲従しないためには、常に素晴らしい考え方を持ち自分自身を見失わないことが考えられる。嫌悪しないためには、嫌悪しそうな人の行動をまじまじと見ないことが考えられる。
三七二
 清らかな行いをするには、自分を美しいと思うような無駄なことをせずに、素晴らしいことを率先して行うことが考えられる。覆いを取り除くためには、良いと思えることを果敢に実行することが考えられる。どういうことも手に入れてしまえば執著はなくなるから、欲しいと思うものは一度手に入れるべきである。
三七三
 過去および未来のものに関して妄りなるはからいを超えるためには、希望や夢を持つことが考えられる。変化的生存の領域から解脱するためには、何が不変に価値があるものかを見極めることが考えられる。
三七四
 究極の境地を知るには、素晴らしいことを追い求め続けることが考えられる。それは、自分の得意分野のことを伸ばすことでも充分であろう。
三七五
 世の中の束縛を越えるためには、理法を知り抜き、人々が胸がすくように、それをうまいこと打ち砕き生きる強い精神力が求められる。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

「ブッダのことば」を考える 更新情報

「ブッダのことば」を考えるのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング