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「ブッダのことば」を考えるコミュの七.

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第二:小なる章
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一、宝
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二二二
 生物はそれぞれ意志を通じ合わせることが可能である。人間は諸々の生き物の会話の仲介者となるべきである。
二二三
 人々はできるかぎり、諸々の生物を慈しむべきである。ただしそれらは、少しずつなされればよいであろう。食肉業者が飢え死にすることはあってはならない。私は沢山肉を食べることができたから、今の私が居る。食肉業者に感謝である。
二二四
 人は来世を科学すべきである。安心できる来世が準備されていることがわかれば、長寿の必要性は無くなる。
二二五
 肉を食べて育った者には義務がある。世の中を良くする、という義務が。
二二六
 人々は生きている以上は、心の安定とともに、興味を充足させることができるようになるべきである。興味を充足させることができるようになるためには、科学の発展が必要である。そして人間は競争をゲーム感覚でできるまでに発展すべきである。
二二七
 ブッダは確かに目覚めたひとである。ブッダの悟りが、私に創造の糧を与えてくれる。だから私は、ブッダを尊敬するが、うなずけないところは明らかにしたい。
二二八
 堅固な心は必要である。それは、世の中の役に立てるようになることを決して諦めない、という気持ちである。不死の科学も必要である。達すべき境地に達した人間は、自然と多くの人々を救いたいという気持ちを持つ。それ以外にやるべきことが見つからないからである。他のことには飽きている。ただし、大乗をなせるようになるためには正しい考え方を持たなければならない。正しい考え方を持たずに大乗をなそうとするとただ迷惑なだけである。代償となる者はできるかぎり生み出されないようであるべきである。平安のうちに興味深い世の中が作り出されることが理想である。大乗はできる人間にとっては、興味深い、娯楽なのである。
二二九
 真理であるならば、誰にでも理解できるものである。理想はある程度簡単に語ることができる。具現することが難しい。
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2010.02.20
二三〇
 真理は信じることを強要することが無く、ひとをなるほどと思わせて、ひとを引き付ける。そして役に立つ。役に立たなければ、真理ではない。
二三一
 ブッダは現世への思いを捨て去れと説く。しかし人間に生まれた以上は、人間として、生きていることで満足して、死ぬ直前に、死後の事は考えればいいようであるべきであろう。
二三二
 真理を知り、さらに、様々なことから、演繹推論できる人間には、人の嘘が見抜ける。観察する人間の言葉や動作が、それを連想させるのである。
二三三
 目覚めた人はどんなレベルのどんなひとにもレベルを合わせて、教えることが出来る。しかし聞く耳を持たない人間・素晴らしい教えに確かめもせずに反抗する人間には教えるすべがない。自由にしておいてくれと言う人間には、限度がある。無能であるならば、いくら、仕事をしていて稼いでいようが、それは迷惑なのだ。
二三四
 勝れた人間は、自分自身が勝れているかは、ちゃんと認識すべきである。アメリカの言いなりが勝れていることではない。日本の文化から、軍国主義と植民地政策を差し引き世界の科学技術を付け足したものが勝れた文化なのである。
二三五
 人と同じように子供を持つことが幸せである、と思っている人も多いだろうが、それは二の次の幸せであり、自分の夢を叶えることが第一の幸せである。子供には、小さな頃から不自由なく贅沢させることが子供のためではない。他の子供達と共感できる程度に満足させることが大切である。そして、子供が大学に行きたいと言えば、行かせることができる資金は、必ず稼がなければならない。
二三六
 目覚めた人間は人々に自然と敬われる。現代は、ブッダの時代よりも、世界は混沌としている。ブッダは尊ぶべきひとである。しかし、全て正しいかどうかは疑問である。現代社会の観点からすれば、他の行き方が考えられる。それは懐疑的仏教とでもいうものである。それは、信じなくとも、解脱できる方法を説く。
二三七
 ブッダの教えは完成していなかったのではないか?それならば、われわれは、ブッダを尊き昔の人として敬いつつ、仏教を進展させるべきである。
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 人はある人の言葉のみで、ある人の良い悪いを判断できるか?判断できる人はかなりレベルが高い、と言えるであろう。
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二三八
 神や仏は見ているかもしれない。神や仏は、死ぬときに我々をピックアップしてくれるのかもしれない。神の考え方で良かった人間や生き物を。
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二、なまぐさ
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二三九
 正しい世の中であれば、欲張りな人間は罰せられる。偽りを語る人間も罰せられる。日本は小さい。しかし、小さいからこそ、社会がいち早く整った、ということは無いか?
二四〇
 人間である以上は、最初のうちはなまぐさを離れることができない。でもそれは目覚めた人間から見ればかわいいことであろう。なまぐさを飽きるほどにやった人間は、なまぐさに対する執着はなくなる。全ての生まれてきた人々がそのようにできるように、世の中は整備されているべきである。そしてそれが済めば、人間は崇高な欲求を持つようになる。それは真理を得ることであり、さらには人々を救い出すことである。なぜ救い出したいと思うか、慕われる快感があるからである。
二四一
 現代科学は、人は皆、あの世で幸せになれるのかどうかは科学すべきである。もしかしたら、死ぬ、ということは、肉体に制限されていた精神が、世界中そのものに同化する、ことなのではないか?そうであるならば、あの世は、生きている今よりも良いはずである。ただし、それが、本当にそうかは、今のところはわからない。
二四二
 殺生、生き物を苦しめること、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学習することさせること、他人の妻に近づくこと、これらは、現代社会では、少なくなってきている。これらのことは、日本の方が、アメリカよりも少ない。しかし人間に生まれた以上は、アメリカ流を日本的に行って、人に迷惑をかけることなく、欲望を充実させて、崇高なことができるようになることが望ましいと言えるであろう。であるからして、私は、全ての若者は自由であれ、と思う。ただし、自分の身は自分で守らなければならないことは一人一人の若者は心得ていなければならない。
二四三
 欲望を制する事なく、美味を貪り、不浄の<邪悪な>生活をまじえ、虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々は、青春を謳歌し、多くの仲間を得、大人になって行く。大人になれば、独りで立つことができるようになる。友達はいるに越したことは無いが、少しで済む。
二四四
 粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性で、なんぴとにも与えない人々は、子供を得ることで180°の方向転換が求められる。
二四五
 怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、極端の高慢、不良の徒と交わること、を経験して、これを超えなければ、栄達には辿り着けない。
二四六
 この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、法廷で偽証し、正義を装い邪悪を犯すものは劣等である、とブッダは言う。その通りである。世の上に立つ者は決してこれらの行いはしてはならないが、彼らの心理はつかめるようになれなければならない。そしてできることならば、かれらを正しい道に仕向けるべきである。教える、ということではなく、仕向けるのである、言葉や行動によって。彼らは、一度無理であると思えば即座に改心する素直さというものを持ち合わせてはいる。
二四七
 この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々には、納得できるように教える必要は無い。彼らはやがて、仲間は減って行き、かつての欲望も無くなり、正しい道に入るであろう。
二四八
 貪り求め、敵対して殺し、常に(害を)なすことにつとめる人々は、成熟した国の成熟した社会では、かならず報復を受ける。
二四九
 魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみれることも、粗い鹿の皮(を着ること)も、、火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、必要は無い。疑念を持ちつつも、あの世に迎えることが出来る、教えを知れば。
二五〇
 通路(六つの機官)をまもり、機官にうち勝つ必要は無い。彼らは芸術家になればいい。人は真理は理法では解き明かせないという事実を知るべきである。まっすぐで柔和であるためには、何を柔和にして、何を堅固にするかを知らなければならない。堅固にすることは、必ずこの世の中を良くする、という意志であり、柔和にすべきことはケースバイケースで教えを与える人によって変わる。それには一貫性が無ければならない。執着を去るためには、ある程度の執着は満足させることが考えられる。あらゆる苦しみを捨て去るには、大望を抱きつつも苦しみに打ち勝たなければならない。現代社会が汚れた世の中である以上は、人は生まれたならば汚れずにはいられない。親は子供が汚れたことをやることを見つけることがなくあれ。そのために、子供は、親に汚れた姿を見せること無かれ。
二五一
 常識はときには非常識によって、検証されなければならない。誰もが否と否定することが出来ない、正しい非常識に。
二五二
 人に幸せを与えるためには、まずは自由を与えなければならない。様々なことが整然とした国では、自由はやがて謙虚に至るであろう。
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三、恥
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二五三
 現代の友は、昔の友よりもつながりが薄い。しかし、社会が便利になったのでその必要性は無いのかもしれない。現代において、自分自身に真の実力が備わっていれば、友達を使う必要は無い。
二五四
 人は有言実行たれ。友達との間柄であるならばなおさらそうである。
二五五
 友人の欠点は長所として生かすべきである。
二五六
 最大の成果を望む人間は、多くの経験を満遍なく要領よく行うべきである。それでも私は多くのことを知るのに28年かかった。
二五七
 人は生きている以上は素晴らしいことから遠ざかり離れるようなことは無くあるべきである。人は平安と、興味を充足することの両方ができて初めて幸せであると言える。仏教は改革しなければならないことが多い。それを成し遂げるべき人材は必要である。
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四、こよなき幸せ
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二五八
 人間は人に素晴らしいことをするためには言葉の扱い方に精通していなければならない。素晴らしい発想というものは、多くの場合は言葉以外の形で思い浮かぶ。素晴らしいことが、言葉では無い形で思い浮かんだ場合に、人々に伝え、その素晴らしいことをより工夫するためには、言葉に直さなければならないからである。何かについての素晴らしいことについて素晴らしい発見をするためには、何かについての知識が無ければならない。それ以前に、全般的に素晴らしいことを思いつくための普通の経験と特別な経験の両方をしていなければならない。普通の経験には、地方で・都会で・貧乏な人々の中での経験がある。それらの経験をしていなければならない。特別な経験とは上流と言われる人々の中での経験がある。それもなければならない。そして勉強で成功しなければならない。その上で目立つ経験がなければならない。そしてその上で出来れば、スポーツの経験もしておくべきである。そして努力の経験と成功の経験がなければならない。
二五九
 日本の文化には粋がいい、ということが尊ばれている。粋であるということは確かに素晴らしいことの一つである。粋がいいことばかりにとらわれていると、暑苦しく、ギスギスしていて、温かみが無い雰囲気というものが生まれる場合がある。従来の日本文化は良い面も多くあるが、完全ではない。アメリカ文化も良い面は多くあるが、完全ではない。そして日本人は、インドの文化とイスラムの文化についてもある程度は知るべきである。そうすると人間性の幅が広がる。現代の就職において人気のある企業の文化というものは、最高ではない。現代において、素晴らしい人間になるためには、様々なことを知り、オリジナルで素晴らしいことが言えるようでなければならない。素晴らしいことは、受け継ぐことでは決して生まれない。素晴らしいことをするためには、日本の一般の人間や欧米人や特別な人や障害者の考えを全て叶えてしかも常に斬新で有意義でなければならない。そこから新しい、真の意味で尊敬される人間が生まれる。そして現代はアメリカの人間は云々だの日本人は云々だの、という方法で事象をくくる方法でなされる話は、あくまである程度までしか通用しないことを、人は覚えておくべきであろう。そのように括れることも確かに存在するが、それ以前に、事象にはそれぞれの具体的な形があることを人々は覚えておくべきである。
二六〇
 現代は都会には、多くのひとが、都会は特別である、と思って暮らしているが、インターネットが復旧し様々な商品を購入することができるようになり、国道沿いに大型店舗が展開している現代においては、地方では東京とまるで変わらない生活ができる。しいていえば、東京には芸能界と官庁と一流企業と大学が集中している、ということがある。地方分権化が進むには各都市において、時代を引っ張る文化が生まれるべきである。時代をひっぱる文化とは、映画や音楽である。地方都市において、これらで水準の高いものが作られるべきである。そして文化人は地方に移り住むべきである。
二六一
 良い大学を出ても何の意味も無い。しかし、とことん頑張った日々を持っている、ということで意味がある。そして、勉強で努力した人間が多く集まっているということで意義がある。じつは私は勉強ができる人間と勉強ができない人間の間の差というものがわからない。勉強ができない人間でも、有意義な人間が、素晴らしいことを教えれば、有意義な人間になる気がしてならない。もしかしたら良い大学に行っている意義は、毎日怠る事無く決まったことを続けることができて、物事に打ち込むことが出来る、ということであるかもしれない。大学で教えていることの意義は形骸化している。大学では人々にもっと有意義なことが教えられるべきである。私が大学を作ったならば、私は4年間で有意義に学ぶことが出来る革新的なカリキュラムを作り出すことができる自信がある。そして、有意義な小・中・高一貫教育を作り出すことができる。そのためには、小中高でもっと公立の良い学習方法が確立されるべきである。特に数学はそのようにされるべきである。数学では、ただ公式が示され、問題の解答方法が示されるだけではなく、学んだ知識が実社会でどのように生かされているかも示されるべきである。
二六二
 人は妻子を持つと多くの場合は、自分の夢を捨て、食べるために金を稼がなくてはならなくなる。人は自分の大きな夢を果たし、その夢で安定した生活ができるような収入を得た後に結婚して、子供を持つべきである、と私は思う。
二六三
 人は自分の夢を実現して、社会を好きなように動かせる収入を得て、収入を好きなように分配できるようになることが望ましい。好きなように分配できる様になると、社会は変わる。現代において受け継がれてきた理法の中には間違ったことも含まれているかもしれない。現代人は、間違った理法を見つけ出し、新しい理法を創出できるように、間違った理法を見つけ出せる力を持ち、オリジナルでなければならない。
二六四
 人に悪を止めさせるには、世の中の悪を改善しなければならない。そして世の中の悪と思われていたこともケース・バイ・ケースで悪ではなく、より良い行動である可能性があるので、人は、世の中の善悪を見出す力を経験によって育み、世の人間は世の中を充分に観察して、世の真の善悪を見極められるようにならなければならない。2010年現時点において、法治主義には欠点があり、東京地検特捜部も真の意味では正しくない。法治主義の悪い点は、悪事を働いた者にただ単に懲役刑を課す、というところにある。本来は更正を第一に考えるべきである。そして、法で人を縛りつけるのではなく、道徳で人の行動を促すようにしなければならない。しかし、現状の儒教の道徳は、良い面は色々あるが、手を入れなければならない部分は多い。そして仏教も手を入れなければならない部分は多くある。現代日本は、仏教と儒教と道教とキリスト教とイスラム教の悪い部分は改良して、それらを改良した道徳・宗教が求められる。それとともに科学にも力を入れるべきである。そしてより深く科学の発展がなされるべきである。
二六五
 尊敬と謙遜は自然と生まれるものである。尊敬と謙遜は自分自身に成功をもたらす。人は一番尊敬する人の真似をするべきである。そしてそれを超えることができたならば、オリジナルの素晴らしい人間を目指すべきである。謙遜は、自分にものごとの吸収力を与える。謙遜していれば、自分をいち早く素晴らしい人間にしようとして自然と励む気持ちが生まれる。
二六六
 耐え忍ぶ人間は、受験勉強を行うべきである。いい大学に入れると自信がつく。そして素晴らしい人と出会う機会も増える。しかし、それが最高に良いことではない。若いうちに自分の道が定まっている人間は、ある程度満足が行くだけ勉強したら、自分の道を邁進すべきである。言葉がやさしいと、受けこたえたひとはリラックスして、よい話が出来る、それが自分のためになることも多い。もろもろの世に言われる素晴らしい人には会うべきである。しかし、それは、何かで成功した後にしかできない。もしも世に言われる素晴らしい人にある程度会って、多くの素晴らしい人々よりも自分の方が素晴らしいという考えが確固としたものであると思えるならば、もう素晴らしい人に出会う必要は無い。素晴らしい自分を大いに表現すべきである。そしてオリジナルの素晴らしい人間を目指すならば、多くの素晴らしい人に出会って、その人たちの言う通りのことをする必要は無い。その代わりに多くの経験が必要になる。多くの経験については二六八節で述べた。
二六七
 修養するにしても現代においては、仏教も儒教も道教もキリスト教もイスラム教も少しずつ、現状に合わないことが書いてあるのでどれも鵜呑みには出来ない。であるからして、現状に合う修養すべきことを私は執筆していこうかと思っている。新しく修養すべきことを見出したいひとは私の著作を参考にして欲しい。
二六八
 世俗のことがらに触れても、そのひとの心が動揺せず、憂い無く、汚れを離れ、安穏であるためには、煩悩を満足の行く程度に充足させ、人々に不平不満を起こさせない智慧が必要となる。
二六九
 憂いが無くなれば、プラスになることを行える。
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五、スーチローマ
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散文
 凄い人は何を考えているかわからないから恐ろしい。それを克服するためにはその人を理解することが考えられる。
 本当に素晴らしい人間は、ある程度の経験をすれば、その後は、世の中に心を惑わされることは無い。
二七〇
 貪欲は、自分が貧乏であることが原因であることもあるだろうが、多くの場合は自分が金持ちであって、金で何でもできる環境で育ったことが原因である場合が多い。貪欲は素質とも大いに関係する。現代社会は多くの人々のある程度の貪欲は叶えられるようであるべきである。そして、ある程度裕福になれば、とてつもなく金持ちになる必要が無く、多くの人々にある程度平等に金が分配されれば、良い世の中になることを教えるべきである。とてつもない金持ちは、自分で献金の組織を作って、自分が献金したいと思う人々に直接献金すべきだと思う。従来の献金では、献金先が決まっていて、効率の良い献金がなされていない可能性があるから、献金先と献金の用途も決めるべきである。そして世の中のためになる事業も運営すべきである。
二七一
 貪欲は社会である程度叶えられるべきである。嫌悪はその原因を明らかにすべきである。嫌悪の原因が自分にある場合は、自分を良い方向に変えるべきである。他者が原因である場合は、そのような人間がなくなる方法を編み出してそれを行うべきである。好きなことには社会のバランスが悪くならない程度に入れ込むべきである。妄想を持ちがちの人間は、妄想の原因を掴むべきである。人から実際に聞いたことと、明らかに信用できる報道機関から聞いたことと、自分の目で見たことは本当である。しかし、それらから発した連想は妄想である場合があることはしっかりと認識しておくべきである。しかし、ある程度の経験を踏まえれば、その連想はほとんど正しいことが多い。しかし、その場合でも検証は必ず必要である。大きなことをやる場合は、小さな実験で、試すべきである。
二七二
 ブッダは愛執を否定する。しかし現代社会においては、ある程度の愛執は叶えられるべきである。そして愛執は死ぬときに一緒にもっていけることは知っておくべきである。それは死ぬときに愛執の対象を真に好きでいられるかにかかっている。だからひとは愛執が間違っていないかは折々に確かめてみるべきである。
二七三
 現代社会において煩悩はある程度叶えられるべきである。煩悩を際限なく持つことから逃れるためには、具体的な工夫が必要になる。
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六、理法にかなった行い
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二七四
 清らかな人間には情熱が無い場合がある。ブッダは情熱の素晴らしさを語らない。それは問題である。
二七五
 荒々しい言葉を述べたとしても、それが実直さから生まれたならば、彼には見込みがあるから、彼の言動を軽く扱うべきではない。他人を苦しめ悩ますとしても、それが悪人であれば問題は無い。他人を苦しめ悩ますとしても、それが時代が革新的に良くなることに付随することであるならば、それはある程度は仕方の無いことである。しかし他人を苦しめ悩ましていることを、人が知ったならば気付いた時点でそれを改めるべきである。
二七七
 できる人間は争論を免れる。言うことが素晴らしいから誰もが頷くからである。迷妄から逃れるためには、リアルな現実と、自分が考え出したことの境界はしっかり認識できるようで無ければならない。できる人間は迷妄した人間を正常な状態に導くことができる。
 人は経験によって、迷いから脱出できる。自分の迷いを無くすことができた者は、他者の迷いを打ち消し他者を救う余力が生まれる。極限まで修養すれば、人は迷妄した人を正常な状況に導ける。真に目覚めた人は自分の説明を聞かないどんなひとをも最終的に理解させる話術を心得ている。それは2手3手必要な場合もある。
二七八
 人は死後に意志を持ち続けられるようであるべきである。そして心地よくあるべきである。そのために科学は発展しなければならない。苦難は、理知があれば、ある程度事前に知りそれを超えることができる。
二七九
 極端にわからない人間をわかる人間に導くことは、究極的に目覚めた人間にとっては、娯楽である。
二八〇
 出家することが最高に良いことでない場合もある。最高に良い行いは、在家であって、親を養い、親の様子を見てあげることである場合がある。
二八一
 最高に目覚めた者は、一致協力して何かを行う必要は無い。全てのことを独りで思いつくことができるからである。しかしときには人々の協力が必要であるし、謙遜も必要である。
二八二
 自分が素晴らしい人間である、と考えることが迷惑な場合は多い。ひとはときたま、自分の言動を振り返るべきである。
二八三
 至らない思いやりと、清らかな行いは人に迷惑をかける可能性がある。

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