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カフカコミュのカフカ再読

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断食芸人や田舎医者などの短編ばかり大好きで読んでましたが、ふと 城を読み衝撃を受けました。
でもって13歳の時に読nで??????だった審判を久方ぶりに読んでみると
これは・・・・・・
個人の感想でいうと誰かの夢に割り込んで、その夢の突然の展開を一緒に眺めて
そしてだんだん一緒に呆然となり雪に身を任せるしかないというふうに思い出してきて
最後に殺されることには、無実だけどこれはこうなるしかないのだと
納得してしまう。

いやほんとすさまじい。文学の力がここまで人の精神を揺さぶるかと思いました。

コメント(28)

すみません、変換ミスで なり雪→成行き
昔は何のための細部だろうと思ってました。でもあの細部を書けば書くほどそれがすべて不条理の中の真剣な行動のようで、そしてむくわれずそしてさらに細部がかさなり、という、やはりあれは天才だけど、もともと人間としてそのようなずれがあったのか。審判を読んだら自分の小説を書く気がしない。トーマスマンの本さえなにか作り物に見えてきてしまう。いっそデビッドこっぱーフィールドくらいが対抗できるかな
僕も、『万里の長城』を読んでいて、世界のなかに僕とカフカだけがいる
みたいな感じになったことがあります。
カフカが何を語りたいのか、一つひとつ全部が伝わってきて、まさに夢幻的世界でした。しかも、
後日読み返してもいったいどこに引き込まれたのかわからない
一回だけの体験でした。
カフカは僕にとっても凄い作家です!
>>[3] カミユによるとカフカはたしかめるために再読するとそのたびに違うものを発見してしまうとのことです。まったく、すごいことです。
>>[4] 同感です。私も「ヨゼフィーネ」に感じるところがありまして、過去にこんなことを書いてみました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1289206990&owner_id=19663839
>>[5] 拝読しました。確かにでも読んでて思いましたが、かふかのあの散文詩のような小品たち。ぼくはアレキサンダーの馬の名前、ブケなんとかとか、祖国の防衛はなおざりにされたことが多かったとか 皇帝の使者とか あれらもろもろのものが好きでしたが、審判や城などの長編はまた少し異質の表現体のような気がします。いずれにしても、sの不条理というか生きていること即ぎりぎりの実存のような、余計なものがにじみでない、そして現代から見ればナチスのもとでのユダヤ人そのもののような表現。
考えたら人間存在はナチスのもとでのユダヤ人と何もかわりはないのかもしれません。カフカは延々とそれを細かく書き続けたのかもしれません。
>>[6] カフカの長編はずいぶん長い間読み返していませんが、おっしゃることはよくわかります。そういうようなことだろう、と思います。エーベルバッハ少佐さんのような優れた直感に基づく感想に触れますと、またまた読み返してきたくなってしまします。

ところで、カミュの「カフカはたしかめるために再読するとそのたびに違うものを発見してしまう」という感想の言葉ですが、私もそのように考えていたところなのです。もしご記憶でしたら、カミュの何という作品の言葉だったのか、教えていただけないでしょうか。
>>[7]シーシュポスの神話の付録 フランツカフカにおける希望と不条理です

>>[7] もちろんもっと深く表現されてます。個人的には三〇年、断食芸人や田舎医者が好きでした。城を読んで審判を読んで長編こをそカフカかと思いましたがそれはまるで違う構造の作品ですね。散文詩のようものと。
>>[7] 変身は虫になるというこどもでもわかる不条理だからわかりやすい。でも城や審判はなぜあんな状況に身を置くのか?にもかかわらずなんであんなにあの枠組みの中でしか行動しないのか。
城ならばさっさとどっかいけばいいし、審判ならば亡命でもすればいい。のにその世界の内側でしかがんばらない。変身はやむなく虫という世界でしか生きられずにげようもないですが。
このカフカ的視点でペストを再読したいと思ってます。二回読んで二回感動しましたが、ペストは集団としては救われてる。カフカには集団はない。ペストは新だ人は死んだ。カフカの登場人物は言わばどれもみな一人、偉大なるカフカ。村上春樹とkラベルとは。そもそもノーベル文学賞は毎年います。一〇〇年で一〇〇人います。カフカのような天才は一〇〇年に五人くらいでしょう。
レベルちがってあたりまえ。ちなみにぼくの一九世紀ベスト5はカフカ、トーマスマン、スタンダール、ディケンズ、バルザック。トーマスマンを二〇世紀にするともうひとりは、個人的にはモーパッサンです。ここは毎日変わりますが。いかにカフカが優れた作家か。
>>[11] お教え、ありがとうございます。カミュもカフカも、もう一度、全集で徹底的に読んでみたい誘惑にかられますね。

私にとっての世界文学ベスト5は、ドストエフスキー、カフカ、ボルヘス、ポオ、そして最後の座は、コルタサル、ミラン・クンデラ、ブルガーコフ、プラトーノフ、ブレヒト、コンラッド、ディネーセン、クッツェー、島尾敏雄あたりが分け合うという感じでしょうか。

しかし、私にとってカフカを含む、前の方の4人は、それぞれの持つその宇宙の巨大さにおいて別格という感じがします。
>>[12] 面白いですね。時代と小説に限らず言えばぼくのベスト5プラスαはゲーテ、ランボー、カフカ、ドストエフスキー、トルストイ、陶淵明、中原中也、セルバンテス、ケラー、シュティフターカロッサとヘッセの詩、などです。でもあなとのように専門的に読み込んできたのではなくて、その時その時のなりゆきで熱中した累積にすぎません。
ドストエフスキーのあとに小説を書くことがあるのかと思いますがカフカがあんなものを書いて時代がさらに可能性を開く感じですね。ゲーテはウィルヘルムマイスターの遍歴時代が好きです。彼の全作品はさすがにドイツ語できないとよくわからないかなと。小説ならなんとか。ファウストは日本語で一〇回は読んだけど全体としてどうしても面白さがわかりません。ヨーロッパ人ではないからかもしれません、ぼくが。
ちなみに戦争と平和を三、四回通読しました。文学仲間はあきれたという目で見ますね
>>[13] すごい読み返しですね。刺戟になります。ありがとうございました。
カフカとなんの関係もありませんが、シュティフターものです。水晶はきれいです。晩夏は一番好きです。
さてこんな本を書いていたのに、本人は養女がと飛び込み自殺、自分はがんの苦しみに耐えられず剃刀でのどを切る。カフカ的な人生を感じます。
最近はヤスパースの大著「哲学」をときどき1ページくらいづつ読みます。さすがに通しで日本語では読めない。実存哲学というだけあって、カフカもカミユもヤスパースの「哲学」で解釈できる。というかあれは何か仏教に近いものを個人的には感じます。とるするとカフカも?リルケのドゥイノの悲歌は、仏典のように思える。しかしカフカは?仏教には、大乗仏教には突然救いがある。キリスト教より突然に救いがある。上座仏教はほぼヒンズー教のようで、カフカはではヒンズー教なのか?そんなばかなと。
ヤスパースの「哲学」はしかし限界状況という概念を打ち出し、現存在と分ける。カフカの小説は現存在が突然奇妙な限界状況に置かれて、可能的実存だったものが実存になってしまう。
と読むと明確のその通りですが、しかしあの細かい長編の描写は実存のくせに現存在として平和な人生を目指してシーシュポスのように無意味な努力を延々とと続ける。
仏教は生老病死が限界状況だが、カフカの限界状況は奇妙だ。
などと思いながらヤスパースを読んでいます。
>>[16] まるで阿頼耶識の中を歩いているような、そんな感じもしますね。
カフカとヤスパースは似ている。カミユにはキリスト教がずいぶん入ってくるので少し違う。と思う。カフカはユダヤ教徒。ユダヤ人という民族はいない。ヨーロッパのユダヤ人のほとんどはカザール王国というロシアイあたりの国ごとユダヤ教に改宗した国の末裔。エルサレムのユダヤ人などアフリカとイスラムの中に埋没した。アメリカにいるのもカザール人。今日ユダヤ人はいない。いるのはユダヤ教徒だ。
そしてカフカはユダヤ教徒。では何人なのか。それはもちろん本人はオーストリアハンガリー帝国の人間だと思っていたに違いない。ユダヤ教徒は、独立したったわけではない、単に、土曜日の安息日をユダヤ教と同志で休みたかっただけだ。
カザール人カフカという視点。それにしても役所が終わって毎日妹の家にパンをもっていって夜中まで発表のあてのない散文を書いていたと。
信じられない。
だれかに派遣されて書きにいった預言者のような。
それにしてもあそこまで書くなら、あっそ、論文やエセーになりそうなものだが、小説にとどめた理由はなんだろう。あんな小説書いても、長編は、一つも面白くなさそうだか。
日常のすぐそばに没落や崩壊があることを知った。そう思ってカフカを考えるとカフカはひたすらシャボン玉の上のわれわれの生活というのものをはじけると終わるもろいものだとしりつつ、だからこそ克明に表現していったのかもしれない。
カフカを読む。ドストエフスキーとは違う。キリスト教がないからか。
カフカを読む。このわずかなずれが細かく果てしなく発展する。もといた場所がすでにわからなくなっている。
城や審判のK。このように進んでいく。ゴルフで言えばOBを一所懸命に打ち続けているようなものだ。
ドストエフスキーはモーム級のストーリーテラーです。しかし当時のロシアの暗黒面がいっぱいあって読むと息苦しい。カフカの世界は19世紀から20世紀のオーストリアの重苦しさあ暗喩されている。現代という離れた地点でよむとそれは詩になってある意味安心して読める。距離があるのでしょうか。カフカの手法は。
ということで 城 を再読することにしました。 カラマーゾフとどっちを読もうかと思いましたが。
アレキサンダーの馬が博士になっている短編。
あれは好きです。また読みました。
最後の箇所。
アレキサンダーの戦いの喧噪から離れて静かに本を読む
というのは様々なものを想起させます。
ちょっとずれた視点で、馬の気持ちになると・・・・・
馬たちは人間とともに戦いなどしたくない。
人間の戦場から離れた牧草地でのんびり草を食べていたいだろう。
などとカフカ的でないことを考えていました。
でもカフカの手紙の多さは尋常ではないそうで現代に生きていたらメール魔になるという話があります。
そんな思考と夢想の常に織りなすカフカの頭脳はふと馬の気持ちを考えたとしてもおかしくないとも思ったりします。
今年は仕事が忙しくここ二〇年続けている読書ノートに新たに読了した本を記録できなかった。
今年は二月にカフカの審判を再読していらい、ついこの間JPホーガンのSF小説を読んだ。
揺籃の星。地球文明の滅亡が延々と描かれる。カフカのようだ。
全部でたぶん一〇〇人くらいが助かるのだが、つまり80億人が死ぬというなんというドラマだ。
>>[25] 心静かにカフカを読む時間が欲しいものですね。
会社からです。
カフカの世界はほんとに他に例がない。細部にわたって表現するが、その表現されたものがその世界で大事かといえばそれは夢幻のごとくなり。
カフカ世界にあるのは、言葉がつむぐ印象だけで実体はない。そんな世界に30分も入っているとあらゆるこの世のことが受け入れられてくるから不思議です。
つまりこの世をカフカは印象で写し取ったのです
審判。ヨーゼフKはある朝突然逮捕された。悪事を働いてもいないのに。そして最後は死刑となる。
逮捕に応じた行動などなかったし、まして死刑に応じる彼の行動もない。
この落差が不条理なのかもしれない。
審判には不条理を受けた者の精密な描写があるが、不条理を他社にまき散らす者は登場しない。
つまりKを告訴した者である。この告訴した者は不明で理由も不明であるのに、Kはそれによってすべての生活の変更を余儀なくされ、果ては生命をも失うに至るのである。この告訴したものとは、カフカにとっては神なのであろうか。
神の概念を軸に思考する人々にとって、神が人を告訴するとどうなるか?それが審判だったのかもしれない。

もちろん神だけではなくて人間自身も不条理をまき散らす。
不条理をまき散らすものはそういうときだけ能弁であり、執拗であり、自己防御の固まりであり、おそらくそういう人間にとってこの世は逆に不条理だらけだろう。なぜなら自分がなぜこうも嫌われてるかわからず、すべては周囲に原因があるからだ。
もしそれが神ではなくて人間であるならば、そのような人物を友人にしたい人はいないだろうが、ヨーゼフKはふとそういう人物とすれ違い、銀行員の立場から「金は貸せませんよ」と言ったのかもしれない。
不条理をまき散らす者の考察もまた深い思索の対象となるだろう。

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