ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

カフカコミュの変身と引きこもり

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
はじめまして。『変身』ってニートや引きこもりを予言した小説であるとの説をこないだ見ました。皆さん同思われますか?

コメント(39)

トピ、ドキッとしちゃいました。
思います。
経済的に裕福になってくると出てくる問題なんではないかと。
 平野啓一郎の短編集『滴り落ちる時計たちの波紋』の中に『変身』を下敷きにした『最後の変身』というカフカの『変身』と引き籠もりを対比させた作品があります。
 引き籠もり青年が『変身』を解釈し、グレーゴル・ザムザと自分とを重ね合わせて最後の変身を求めていくという話です。

 関心があれば読んでみてはいかがでしょうか。
しかしそうだとすると、ニートや引きこもりの方々の先行きは、ザムザのようになるということですかね。そこまで含めての予言なんでしょうか。確かザムザが死んだ後には家族は束縛が解けたような感じになってませんでしたっけ?ある意味では超現実ですね。
クリスティーナ・リッチ主演、エリザベス・ワーツェル著の【私は「うつ」依存症】にもこのような文が。

「カフカの小説『変身』の中で、グレゴール・ザムザが朝目覚めると180センチの虫になってたように、自分でつくりあげたモンスターに自分自身が乗っ取られたようだった。」

すっごくうなづける文章です。
ここを読んでいると
なるほどとうなずけます 「鬱」の解釈はワタシも読んだ当時、自身が極度の鬱状態だったため、シンクロしました
それぞれ、解釈できますね
予言かどうかはわかりませんが、
そんな人間は生きている必要がないのでしょうね。
カフカ自身は鬱というより強迫神経症の傾向があるように
感じますが。恋人に宛てた手紙などを読む限り。
僕は、『変身』でグレゴールが変身した虫は、メタファーとしての虫であって、いろんな解釈ができるんじゃないかと思って、何度も読み返しています。

引きこもりというのも面白い解釈だと思います。それを踏まえたうえで、また読んでみたくなりました。
ニートで引きこもりって近代以前の作家や貴族全般のことじゃあ……
労働意欲のない人間は昔の方が今よりも大勢いましたが、キーワードができた途端に強調されてしまいます。
そもそもカフカは予言なんてしてないでしょう。読み手が意味を肉付けするのはいいけれど、同時に作品を狭隘で面白くないものにしてしまう危険をいつでもはらんでいます。
養老さんが『バカの壁』で
『変身』を意味と実存の乖離、逆行、
つまり『バカの壁』でも触れてますが
物理的なものは往々にして変化せず、
精神世界は常に変化し続ける
という事実が現代において
『モノは変わるが、心は変わらない』
(例:昔から変わらない精神の人間が尊ばれる等の現象)
と、逆位置で捉えられている事への警告を込めた
メタファーだと言ってましたね。
カフカの生まれ育った環境や
カフカが母国のチェコ語でなく、あえてドイツ語を用いた
不自然な文体で作品を完成させた事などを考えるとかなり納得できる気がします。
『変身』をニートや引きこもりの物語という解釈はすごく嵌まって、個人的には面白いです。カフカの小説は物語自体が比喩的で、様々な読みの可能性があるのが魅力的ですよね。多重性というか。
今更のレスですが私たちのイメージするいわゆるニートや引きこもりというのは昔から一定数存在していましたので予言ではないですね。
単なる引きこもりの物語というのは、どうでしょうか?でも確かにコミュニケーションの問題性を扱っているという意味では、おもしろい考察ができると思います。
なぜ「イモムシ」なのかが気になります。ザムザは不完全変体の昆虫ではなく、完全変体の昆虫に変身したということに、何か意味が込めらているのではないか?と勝手に憶測してます。
 ムシを昆虫と言われるとムシできなくなっちゃいます。
 昆虫の足は6本で、変身の描写のソレはもっと多そう
 なので多足類のように思われますが。
 わたしはその姿はあくまで醜さの象徴でしかないと
 解釈しておりました。
 挿絵でムシのイメージが固定化されるのをカフカ自体も
 出版社にクレーム出してたのでは?
ムシも引きこもりの人も、自分では動けない状態ってのが似てますね。
中学生の時の読書感想文に「変身」を題材に選びましたが、
確か、
「これは、寝たきりになった老人か、怪我をして包帯だらけになった
障害者を暗示しているのではないか」と書いた記憶があります。

ニートやひきこもりよりも、
自分の感覚ではそっちの方がしっくりきますね〜。

家に寝たきり老人がいましたから(笑)
「鬱」にも色々あるので、難しいのですが、
精神病の一種、という捕らえ方ならば、(例えば認知症とかね)
確かにしっくり来ますね・・。

>なぜなら「虫」は必死にもがいて死んでいったのだから!

ちなみに、特別介護老人ホームや、ある種の精神病棟などでは
まるで「虫」になったような状況の人間はよく見られます。
私は中学生の頃、ボランティアでそれら(特別養護老人ホームなど)を
周っていた事がありますが、
ドアを開けたとたんに、足を使わず、ものすごいスピードで
這い出してくる十数人の無邪気な老人たちは、
(意識が戻る時と、完全に別のものになっている状況があります)
下手なホラー映画を見るよりも衝撃的で…
まさに、ある種の「虫」を連想させます。
(もちろん、寝たきりの人もいます)
普段は10畳ほどの部屋に閉じ込められていて、
食事の時間になると、まるで犬の餌のような容器を、廊下の床に置き、
ドアを開け、彼らが出てきて捕食するのを待ち、
食べ終わったら、追いたてて部屋に閉じ込め、
モップで廊下を拭き掃除する…
当たり前のようにしていました。


そして、そういう人達が
自分に戻る瞬間には、非常な苦しみが襲ってきます。
地位や名誉、プライドがあった人ほど、その傾向は強い。

その当時の老人ホームは環境も酷かったので、
口から蛆虫が沸いている人だっていました。
意識があるのに、動けない。
自分の口の中で無数の蛆虫が動き回る・・。

精神的なイメージとか言うよりも、
私にとって、「変身」は、すぐそこにある現実そのものでした。

口に出して言う事もできずに、必死にもがいて死んでいく…
たまに尋ねてくる家族は、
まるで他人のような顔をして去っていく…。

現実でしたね〜。

うまいこと言うねって意味では、すごくはまってますね。

とは言うものの、カフカは変なモノがたくさん出てきますが、それを全部何かに置き換えてもしようがないように、虫を何かに置き換えてもしようがないような気もします。
虫は虫でいいじゃないかと。きもかわいいし。

すみません一部詭弁でした。

でも確かに、何かのメタファーだとしてしまうと、上で紫陽さんもおっしゃってるように、面白みがないものになってしまうような。

難しいとこなんでしょうけどねぇ。
蟹工船もそうですが、時代を経ても読まれ続けられるものが古典だとすると、何かのメタファーだと捉えて読み直すのが、一番効果的だとも思いますし。

まぁ、カフカを読んでる時が一番引きこもりですけどねぇ。


>銀騎士カートさん

カフカは途方も無くリアリズムだと思いますよ
じゃなきゃ、皆が虫にヒーヒー言いません。きっと。
ニートや引きこもりを予言した小説と云うよりも、仕事がハードスケジュールで辛く感じたとき、虫になってしまう警告の書だと思います。

私は1月に初めてプラハへ行き、カフカの家は迷った結果行きませんでした。

帰国してからちょっと後悔しています。
その思いからカフカを調べたり、文庫本を買い集めました。変身を読んだとき、ある日突然虫になってしまったというストーリー展開に斬新さを感じました。
現実と夢をミックスさせたユニークな作品だと思います。

今回のプラハ旅行を期に昭和時代に買った変身を読みました。
この本は読者を無視した直訳のせいだと思いますが、ところどころ表現が分かりにくい箇所がありました。
このため早速、書店へ行き変身を探したところかなり分かり易かったのがあり買って読みました。翻訳者の翻訳能力の差を痛感しました。
外国文学書は、読み比べて分かり易いのを買わないと意味がないと思いました。
ドゥルーズは、カフカの『変身』を使って説明している。

デリタと共同で生み出した「リゾーム」理論

ドゥルーズという哲学者の存在感を際立たせたのは、デリタと共同で生み出した「リゾーム」理論である。この理論を生み出すにおいて、ドゥルーズは、まず進化論の系統図に目を向けた。それまでの進化論は、唯一の起源から多様な種が発生し、その多様な種が唯一の頂点に収束するツリー(樹木)状の図式によって説明されていた。そこではバクテリア→植物→昆虫→爬虫類→鳥類→哺乳類→人間という、根っこから樹木のてっぺんまでの一種の階級を示していた。
 しかし、実際の自然界は、そのような整然とした図式では成り立ってはいない。植物が腐敗すればバクテリアの食べ物となり、昆虫は植物によって生かされ、爬虫類は鳥類の卵を食べ、頂点に立つ人間にはバクテリアが寄生する。バクテリアが人間を支配して操るSF小説『パラサイト・イブ』などは、そうした固定観念的な上下関係の逆転を象徴している。つまり、実際の自然界は、一本の樹木のような整然とした上下関係にはなく、多種多様なものが雑然とつながりあった、無秩序にも思える状態をなしているのだ。その状態は、地面から空に立った樹木よりは、地中で四方八方に根を伸ばしているリゾーム(根茎)にたとえるほうがふさわしい。
 ツリー状の図式は、官僚機構や会社の組織図に当てはめることができる。多くの人間はその図式にだまされて、支配と被支配の関係に身をゆだねてしまうが、自然界と同様、人間の世界もリゾームの状態にあると考えることができるのだ。
 この考えを、ドゥルーズは、カフカの『変身』を使って説明している。『変身』の主人公グレゴール・ザムザは、ある朝目覚めると一匹の虫に変身している。人間世界とのつながりを失い、家族からも見捨てられるグレゴールは、突然に降りかかった悲劇の犠牲者に思える。だが、リゾームの根は、てんでんばらばらにあらゆる方向に伸びており、その一本一本の先に、ツリー状の秩序から思わぬ出口があるかもしれない。そう、グレゴールは、虫に変身したことによって、その出口の一つから人間界の秩序の外へ「脱出」した・・・。ドゥルーズはそう解釈したのである。

北村昌士のディフェランスってバンド・・覚えていますか?
久しぶりにカフカに関する考察を読むと、あの文体に触れたくなりますね。
もちろん日本語なんですが(笑)。不自然な事象が奇妙なほど日常的に語られてしまう、あの不可解な世界。

僕は哲学者ドゥルーズの理論は知りませんでしたが、興味深いと思います。

一方、あえて引きこもりやニートといったアプローチで変身を下敷きに書かれた小説として、平野啓一郎の「最後の変身」というものがあります。滴り落ちる時計たちの波紋という作品集に収録されていますので興味ある方はぜひ!かなり面白く読めましたよその作品も。

いろいろと読み方はありますよね。たとえば妹が音楽学校に入るのを応援してやりたい気持ちでいっぱいだとか、確か3人の間借り人が現れたりだとか。ひきこもりやニートというキーワードだけでは括り切れない部分があると思います。とはいえ、現代に通ずるところがあるザムザの苦しみから考えると、引きこもりが抱える問題と通底するところはありますね。

ああそうだ、父親の復権というのもありましたよね。ホント色んな要素が散りばめられていてコレだ!っていう読み方を導くのが難しかったです。実は卒論で熱かったんですけども・・・(笑)。
吉本隆明のカフカ論では「変身」は、統合失調症(当時の言葉だと「精神分裂症」)患者の身体性の経験を比喩的に書いた小説だと捕らえています。
引きこもりとか鬱病とかってのはどうでもいいんです。そこに拘泥するべきじゃない。何故そうなったのかを考えなきゃいけない。カフカについてもっと知らないとあるいは分からないかもしれない。
引きこもりやその近接状態は、貧困でも起こりやすいですよ。

以前、不登校をやった時、弟がカフカの「変身」を読んで、不登校になった子の状態はこれと近いんじゃないかって言っていました。
中高一貫の東大予備校型の学校に通っていた時期の事だけに、上から目線で人に失礼、無神経な事を言っているんじゃないかな、全然こちらの内面とは違うけれどと上部の表層的な見方と隠されたマウンティング、オスプレイニングに辟易しました。

ログインすると、残り13件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

カフカ 更新情報

カフカのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。