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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第335号】  2013/01/21(Mon)

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=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第335号】                2013/01/21(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

◆今週の目次◆
(1)福井城(福井県福井市):福井城整備で天守などの復元を優先
(2)福岡城(福岡県福岡市):武具櫓の復元案が急浮上
(3)姫路城(兵庫県姫路市):車門跡の石垣は不揃いでも高い石工技術
(4)甲府城(山梨県甲府市):鉄門の雄姿が140年ぶりによみがえる
(5)彦根城(滋賀県彦根市):市民団体が「彦根城外堀マップ」を作成
(6)根古屋城(埼玉県横瀬町):素焼き時発見で戦国初期に城郭存在か


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(1)福井城(福井県福井市):福井城整備で天守などの復元を優先
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 福井城と中央公園の一帯活用について、城址の整備方針を検討する「福井城史料調査委員会」の会合が10日に行われた。この会合には委員長の元県歴史博物館館長の仁科章氏や吉田純一福井工大教授らが出席し、越前松平家が政務を執った御座所の追加調査の必要性や、御廊下橋と本丸の間にあった「山里口御門」と天守の復元優先性が高いことなどが確認された。

 立体図面など史料が多く残る天守について、復元の優先性が高いことも確認された。さらに概要把握のために、御座所の東西の堀の位置を確認する必要性や図面に基づいた発掘調査で礎石を探すべき、などの意見が出された。さらに、城址公園として整備された場合、人の流れは御廊下橋が中心となることから、本丸との間で構造がそのまま残る山里口御門を復元すべきとの意見もあった。

▼福井城については、下記サイトをご覧下さい。
 http://homepage2.nifty.com/mizuki55/hokuriku/hukuisi.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/fukui.htm
 http://www.eonet.ne.jp/~kitamejirou/new_page_14.htm


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(2)福岡城(福岡県福岡市):武具櫓の復元案が急浮上
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 福岡市は福岡城天守の復元を考えていたが、文化庁の基準を満たさないため、新たに武具櫓の復元案が急浮上している。武具櫓は本丸の南側に位置し、大正8年(1919)に黒田家別邸に移築されていたが、昭和20年(1945)に空襲で焼失している。武具櫓は三層構造で高さが12〜13mもあり、石垣を含めると約40mと10階建てのビルに相当する高さがある。

 福岡市は文化財を観光振興に活用する方針を打ち出しており、福岡城をその中心に据えている。同市では武具櫓の大きさに注目しており、天守に代わる象徴的な建物として期待している。文化庁が要求する、1)外観が分かる写真、2)向きなどの様子が分かる絵図と3)規模が明らかになる発掘調査の3条件については、同市ではほぼ満たすことが可能と考えている。絵図については「福博惣絵図」をはじめとして多くの絵図が残されており、写真についても近年新たに7点が見つかっている。

▼福岡城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage2.nifty.com/yogo1394/kyushu/hukuokasi02.htm
 http://www.geocities.jp/bane2161/fukuokajyou.htm
 http://4619.web.fc2.com/shiro143.html


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(3)姫路城(兵庫県姫路市):車門跡の石垣は不揃いでも高い石工技術
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 姫路城車門跡の石垣の解体修理を行っている姫路市城郭研究室は、重ね面がそろわない石が複数使われていたことを確認した。同研究室では、大量の石材が必要となったためではないかと推測している。不揃いな石を使いながら、400年も石垣が維持されたのは当時の石工の高い技術を示していると、同研究室では話している。

 車門は城の西側に存在し、中曲輪から船場川を経て城下へとつながっている。枡形構造を有しているが、通常の2門ではなく、3門で構成されていたのが特徴である。外郭の防御のため、池田輝政時代の17世紀初めに築造されたといわれている。

▼姫路城については、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/←姫路市による公式サイト
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/himeji.htm
 http://www.himeji-castle.gr.jp/


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(4)甲府城(山梨県甲府市):鉄門の雄姿が140年ぶりによみがえる
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 甲府城で進められていた鉄(くろがね)門の復元工事が完了し、今月10日に完成式典が実施された。この復元に合わせて、様々な記念イベントが予定されている。鉄門は本丸の南西、本丸と天守曲輪の境目にあった櫓門で、明治時代の初めまで存在していた。明治6年(1873)に全国の城の保存・廃止が決定されると、明治9年(1875)にはほかの建物とともに破却されてしまった。

 この門は二重の櫓門で、高さ9.6m×幅12.7m×奥行き5.5mの大きさである。梁を引っかけるために石垣を削った欠き込みや礎石などの遺構を利用して、復元された。

▼鉄門の復元については、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/ko-fu_zyou/kuroganemon2010.html

▼甲府城については、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.city.kofu.yamanashi.jp/welcome/rekishi/kofujyou.html
 ↑甲府市によるサイト
 http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/ko-fu_zyou/ko-fuzyou_kenkyuusitu.html
 ↑甲府城研究室(埋蔵文化財センター)のサイト
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/yamanasi/kouhusi.htm


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(5)彦根城(滋賀県彦根市):市民団体が「彦根城外堀マップ」を作成
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 現在では失われてしまった外堀に囲まれた壮大な彦根城を思い描いて欲しいと、市民団体「まち遺産ネットひこね」は「彦根城外堀マップ」を作成した。この地図は天保7年(1836)に作成された江戸時代の城下町を伝える古絵図「御城下惣絵図」と現在の地図を対比し、変化を分かりやすく示している。かつての外堀の痕跡を、写真と地図で紹介している。

 この外堀は彦根東高校や彦根西中学を含めた城の敷地を囲む現在の中堀の南側を大きく包み込む形で、全長約5kmで幅も20〜22mあったとされる。外堀は明治時代に埋められてしまったが、小さな水路や地面の高低差をたどることで、かつての外堀を偲ぶことが出来る。2千部作成し、彦根観光協会や彦根市観光案内所に置いてある。

▼彦根城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.hikone.shiga.jp/hikonejo/index.html←彦根市によるサイト
 http://www.hikoneshi.com/jp/castle/←彦根観光協会によるサイト
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/siga/hikone.htm



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(6)根古屋城(埼玉県横瀬町):素焼き土器発見で戦国初期に城郭存在か
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 根古屋城の発掘調査を行っている横瀬町教育委員会は、城跡内のゴミ穴跡から戦国時代初期の15世紀後半から16世紀初めの素焼き土器が見つけた。根古屋城がいつ築城されたかは不明だが、今回の発見により横瀬周辺の支配者が小田原北条氏に代わった16世紀中頃以前に存在していた可能性が強まった。

 戦国期の秩父地方には68の城郭があったとされるが、これまでに発掘調査が行われたのは皆野町の高松城のみである。同町教育委員会では根古屋城の整備年代などを秋からにする目的で、南西部にある西の郭を中心に調査を行っている。今回のゴミ穴は、屋敷の庭部分にあったとみられる。

 横瀬周辺の支配者は天文15年(1546)の川越夜戦を契機に、関東管領上杉氏から小田原北条氏に代わっている。伝承によると、元亀3年(1572)に横瀬周辺を治めていた浅見氏に対して、目付として家臣を派遣したという。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際に根古屋城も降伏・開城し、その後破却されたという。

▼根古屋城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage3.nifty.com/azusa/saitama/yokosemati.htm
 http://blogs.yahoo.co.jp/lunatic_rosier/60797773.html
 http://www.geocities.jp/tsukayan0112/joukan-saitama/nekoya-jou-yokozemati/nekoya-jou-yokozemati.html

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