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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第328号】  2012/11/26(Mon)

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=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第328号】                2012/11/26(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

◆今週の目次◆
(1)松本城(長野県松本市):南・西外堀を国史跡に追加指定
(2)三木城(兵庫県三木市):付城とともに国史跡へ答申
(3)小牧山城(愛知県小牧市):隅角部の石垣が初めて出土
(4)信長居館跡(岐阜県岐阜市):新たな池跡発見でフロイスの記述裏付け
(5)佐賀城(佐賀県佐賀市):天守1階部分は九州最大級か
(6)甲府城(山梨県甲府市):鉄門が140年ぶりに雄姿表す
(7)一乗谷朝倉氏遺跡(福井県福井市):土器に金の粒子付着


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(1)松本城(長野県松本市):南・西外堀を国史跡に追加指定
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 松本城の南・西外堀を史跡松本城に追加指定するように、16日に開催された国の文化審議会が答申した。これらの外堀は大正時代に埋められ、現在は住宅や店舗が建ち並んでいるが、松本市は外堀を復元する方針を決めている。松本城の外堀のうち、この部分だけが江戸時代の姿を留めていない。

 平成9年(1997)から平成20年(2008)にかけて同市教育委員会が実施した発掘調査で、堀外側の石垣が確認されている。同審議会は、城の構造を考える上で非常に重要と評価した。現在、堀復元にともなう立ち退きへの保証算定調査が始まっており、国史跡指定となれば国が費用の8割を補助する。復元工事の期間や費用は未定だが、同市では10年間で約100億円の事業規模を想定している。

▼松本城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.matsumoto.nagano.jp/
 ↑松本市公式サイト
 http://youkoso.city.matsumoto.nagano.jp/wordpress+index.p+192.htm
 ↑松本市公式観光情報ポータルサイト
 http://homepage3.nifty.com/yogokun/matumoto.htm


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(2)三木城(兵庫県三木市):付城とともに国史跡へ答申
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 16日に開催された国の文化審議会は、兵庫県三木市の「三木城跡及び付城跡・土塁」を国史跡に指定するように答申を行った。羽柴秀吉が三木城主の別所長治と戦った「三木合戦」の舞台であるとともに、「三木の干殺し」として歴史上名高い兵糧攻めの手法を具体的に知ることが出来る貴重な史跡という。

 今回の史跡候補には別所氏の居城三木城本丸のほか、秀吉が陣を構えた平井山ノ上付城など、城跡と土塁群計16カ所からなる。今回の国史跡指定の答申を受けて、三木市では三木城を中心として付城群に囲まれた地域を「屋根のない博物館」と見立てて整備を行う「歴史・美術の杜みゅーじあむ」構想を明らかにしている。

▼三木城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.miki.lg.jp/bunka/mikijyo.html
 ↑三木市のサイト
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/hyogo/miki.htm
 http://4619.web.fc2.com/shiro135.html


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(3)小牧山城(愛知県小牧市):隅角部の石垣が初めて出土
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 織田信長が築いた小牧山城の発掘調査を行っている小牧市教育委員会は、天守があった主郭の南東斜面で石垣の隅角部の石が初めて出土したことを確認した。のちの時代に一般的となる「算木積み」とは異なり、今回出土した角石は立方体であった。石垣と天守に代表される織豊系近世城郭は安土城がその始まりとされるが、それよりも十数年前に築城された小牧山城で大規模な石垣などが出土したことで、その常識は覆りつつある。

 奈良大学の千田教授はこの部分に櫓があったと推測し、小牧山城中心部は石垣で囲んで櫓を複数建てた堅固な城だったと考えている。今回の発見により、小牧山城が近世城郭の出発点だったことがより鮮明になったとしている。なお、麓の大手道付近では切岸に土?が積まれていたことも確認され、切岸部分は3mも盛り土で造成されて表土が流れないように積んだとみられる。

▼小牧山城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.komaki.aichi.jp/bunkazai/komakiyama/index.html
 ↑小牧市によるサイト
 http://homepage2.nifty.com/yogo1394/aiti/komakisi.htm
 http://www.nobunaga-lab.com/labo/04_gunji/04-03_joukaku/komaki/komakiyamajou.html



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(4)信長居館跡(岐阜県岐阜市):新たな池跡発見でフロイスの記述裏付け
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 金華山山麓の岐阜公園内にある織田信長居館跡の発掘調査を行っている岐阜市教育委員会は、金華山ロープウェー乗り場南側の明治大帝像の移設跡地付近から、庭園の池の跡が見つかったと発表した。

 同市教育委員会社会教育課によると、この庭園遺構は南北7.5m以上×東西6.1m以上で、深さが約35cmの楕円形で、池の中には当時庭石として珍重された「緑色片岩」が抜き取られた跡が5カ所見つかった。緑色片岩は美濃では産出しないために、遠方から運ばれたと思われた。

 池底には色合いのきれいな小石が敷かれ、北東部の取水部分には落差3mの滝があったことをうかがわせた。C地区と呼ばれる池跡の周辺には居館の中心的な建物があったと推測されており、同課ではポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの「日本史」に「信長の居館から庭園を眺めた」と記載されていることを裏付ける証拠としている。

▼信長居館については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.nobunaga-kyokan.jp/blog/
 ↑居館跡発掘調査の公式ブログ


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(5)佐賀城(佐賀県佐賀市):天守1階部分は九州最大級か
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 佐賀城天守台の発掘と文献の調査を行っている佐賀市教育委員会は、天守台の礎石配置から天守の1階部分は九州最大級と思われると発表した。昨年、築城400年を迎えたこともあって、同市教育委員会では3年計画で調査を開始し、今年10月からは天守台跡の発掘を本格的に行っている。天守焼失時に焼けたとみられる礎石の並びから、天守1階部分は南北約30m×東西約26mの大きさだったと推定した。これは、九州最大級の小倉城に匹敵する大きさである。

 佐賀城は慶長16年(1611)に築城されたが、享保11年(1726)の火災で天守などを失った。天保9年(1838)に本丸部分は再建されたが、天守は焼失したままだった。江戸時代前期の17世紀の絵図には四重の天守が描かれているが、その構造などについてはほとんど分かっていない。

▼佐賀城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://sagajou.jp/
 ↑佐賀城本丸歴史館のサイト
 http://homepage2.nifty.com/yogo1394/kyushu/sagasi.htm
 http://4619.web.fc2.com/shiro111.html


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(6)甲府城(山梨県甲府市):鉄門が140年ぶりに雄姿表す
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 甲府城(舞鶴城公園)で復元工事が進められている鉄(くろがね)門の工事用足場や覆いが取り外され、140年ぶりにその姿を現した。来年1月10日に完成し、通行できるようになる予定である。

 復元された鉄門は二重の櫓門で、高さ9.6m×幅12.7m×奥行き5.5mの大きさがある。梁を引っかけるために石垣を削った「欠き込み」跡や「礎石」などの現存する遺構を利用して、2年前から復元工事を進めてきた。今後は扉の取り付けなどの仕上げを行い、来年1月10日に公開する。

▼甲府城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/ko-fu_zyou/ko-fuzyou_kenkyuusitu.html
 ↑甲府城研究室(埋蔵文化財センター)のサイト
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/yamanasi/kouhusi.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kofu.htm


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(7)一乗谷朝倉氏遺跡(福井県福井市):土器に金の粒子付着
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 一乗谷朝倉氏遺跡の調査を行っている福井県教育長埋蔵文化財調査センターは、朝倉氏遺跡から出土した土器のるつぼ3点に金の粒子が付着していたと発表した。X線による分析で判明したもので、るつぼで金を溶かして精錬していたものと考えられた。

 3点のるつぼは16世紀中頃に使われたもので、口径3.8〜7.2cm×高さ1.4〜1.7cmの大きさがあった。0.01〜 0.2mmの大きさの金の粒子が、各るつぼから合計十数個見つかった。銀や銅などの不純物が混じっていたことから、金鉱山で採取した金鉱石を精錬したものとみられた。

 戦国時代の金生産はほとんどが砂金からで、金鉱石からの金生産が判明しているのは甲斐武田氏のものだけである。これらの結果から、朝倉氏も金を精錬する技術を持っていたのではと推測される。同遺跡からは金製の刀装具など金製品数十点が出土し、17世紀の文献には朝倉氏の領地に金山があったと記載されている。

▼一乗谷朝倉氏遺跡については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.fukui.lg.jp/d620/bunka/iseki/
 ↑福井市によるサイト
 http://www3.fctv.ne.jp/~asakura/
 ↑朝倉氏遺跡保存協会のサイト
 http://www.geocities.jp/qbpbd900/ichijodaniasakura.html

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