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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第327号】  2012/11/19(Mon)

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=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第327号】                2012/11/19(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

◆今週の目次◆
(1)金沢城(石川県金沢市):玉泉院丸の滝の全容が判明
(2)桑折西山城(福島県桑折町):戦国最先端の石積みを発見
(3)福井城(福井県福井市):復元可能性調査へ
(4)福井城(福井県福井市):御座所の礎石は1カ所のみで復元は困難
(5)秋田城(秋田県秋田市):第101次発掘調査で外郭南門と思われる遺構を発見
(6)松根城(石川県金沢市):戦国末期の土器が出土
(7)彦根城(滋賀県彦根市):5年計画で「石垣の城」の全貌を見せる


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(1)金沢城(石川県金沢市):玉泉院丸の滝の全容が判明
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 金沢城玉泉院丸の発掘調査を行っている石川県金沢城調査研究所は、泉水に注ぐ滝の導水路を確認したと発表した。泉水につながる「段落ち」形式の滝の上部に、蛇行型の導水路があったことが確認された。水路は明治期に構築された石積の造成土下部から始まっており、前田家第十三代斉泰の命で整備された滝の遺構と推察された。

 「色紙短冊積み石垣」下の滝壺では、V字型石樋からの落水と松坂の側溝に加えて、新に数寄屋門側の水路からも水が流れ込んでいたことも分かった。このように上部の滝壺とつながる水の流れの全容が分かったことにより、北陸新幹線金沢開業に向けた復元整備計画にも弾みがつくものと思われる。

▼金沢城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/
 ↑石川県による公式サイト
 http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/kanazawazyo/index.html
 ↑石川県金沢城調査研究所のサイト
 http://homepage2.nifty.com/mizuki55/hokuriku/kanazawasi.htm


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(2)桑折西山城(福島県桑折町):戦国最先端の石積みを発見
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 国指定史跡である桑折西山城の発掘調査を行っている桑折町教育委員会は、戦国時代に築かれたとみられる石積み跡を確認した。東北地方で石垣が組まれるのは安土桃山時代以降と考えられているため、それ以前に工法のよく似た石積みが山城に築かれたのは福島県内では大変に珍しく、当時の最先端技術と考えられた。

 見つかった石積みは本丸西側に位置する西舘の出入り口で崩された状態で見つかり、幅2〜3mの通路の両脇に組まれていたと思われた。西舘は本丸と同時期に築かれたが、何らかの理由で改修されたが、築城途中で頓挫したと推測された。

 桑折西山城は戦国時代の天文元年(1532)頃に伊達家第14代稙宗が築城したとされ、正宗の祖父にあたる晴宗が居城を米沢に移すまで、伊達家の居城として重要な役割を果たした。

▼桑折西山城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage3.nifty.com/otakeya/hukusima/koorimati.htm
 http://www.hb.pei.jp/shiro/mutsu/kohrinishiyama-jyo/
 http://www7.plala.or.jp/oygd/nisiyama.html


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(3)福井城(福井県福井市):復元可能性調査へ
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 福井城の史料を整理・分析して復元の可能性を探る「福井城史料調査委員会」が今月1日に発足し、福井県庁で初会合がもたれた。福井城の復元が出来るかどうかについて今年度中に結論を出し、県に提出する。それを受けて、県などでは福井市中心部の街づくりの方向性を示す「県都デザイン戦略」に生かすこととしている。

 同戦略で福井城にある県庁舎などを移転させて福井城の復元を行う案が出ていることから、本委員会を県が設置した。復元対象は門、櫓、御座所や石垣などだが、平面図しか残っていないために史実に忠実に復元するのは困難、史料が少なく、異なった時代の資料を基に復元すると、時代の整合性のとれない建物になる、などの意見が出された。県では福井城に関する資料の提供を求めているが、特に写真は戦災や震災で焼失し、ほとんど残っていないという。

▼福井城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage2.nifty.com/mizuki55/hokuriku/hukuisi.htm
 http://www.eonet.ne.jp/~kitamejirou/new_page_14.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/fukui.htm


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(4)福井城(福井県福井市):御座所の礎石は1カ所のみで復元は困難
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 福井城の試掘調査を行っている福井市教育委員会文化財保護センターは、中央公民館北側の遊具広場から二の丸の石垣が見つかったが、芝生広場では藩主の住居である御座所の礎石は1カ所あっただけだったと発表した。御座所の礎石が一つしか見つからなかったため、住居の規模を知ることが出来ず、御座所の復元は難しい状況となった。二の丸の石垣は笏谷石で二段目までを確認し、現在の県庁のお堀から 56mの位置にあり、刻印も見つかった。


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(5)秋田城(秋田県秋田市):第101次発掘調査で外郭南門と思われる遺構を発見
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 国の史跡に指定されている秋田城の発掘調査を行っている秋田市教育委員会秋田城跡調査事務所は、第101次発掘調査の結果を説明する現地説明会を行った。この中で、城の正門と位置付けられる外郭南門の存在を示す掘立柱の穴跡と場内道路の側溝とみられる遺構が発見されたことを明らかにした。いずれも、奈良時代から平安時代(8〜9世紀)の遺構と思われた。

 今回の調査は外郭南門の存在を確認するのが大きな目的で、城跡のほぼ中心にある政庁を囲う外郭城壁推定線と場外南大路跡が交わる一帯を中心に調査した。その結果、城内川で直径最大約2mの柱穴4個を確認した。外郭城壁推定線との位置関係や場外南大路の延長線上にあることなどから、外郭南門の意向の一部と判断している

▼秋田城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.akita.akita.jp/city/ed/ac/default.htm
 ↑秋田城跡調査事務所のサイト
 http://www.kensoudan.com/firu-naka-e/yabase/siro.html
 http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/tohoku/akita/akita.html


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(6)松根城(石川県金沢市):戦国末期の土器が出土
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 富山県との境に位置する松根城の発掘調査を行っている金沢市は、戦国時代末期の16世紀後半に製造されたとみられる土器の破片数点が出土したと発表した。この土器の破片は縁の形状などから16世紀後半に製作されたもので、主に儀式などで使用された土師器皿であることが分かった。また同時に、13〜14世紀の土師器皿や鉄釘なども出土した。

 松根城は天正12年(1584)から一年間、徳川家康方の佐々成政が出城として使用し、羽柴秀吉方の前田利家の切山城と対峙したと伝わる。さらに源平の戦いでは、木曾義仲が拠点にしたとの伝承もある。ただいずれも文献記録のみで、金沢市が昭和54年(1979)に行った主郭の調査でも文献を裏付け得る遺物の出土はなかった。同市では引き続き発掘調査を行うとともに、出土品については金沢城や七尾城で見つかった同時代の土器と比較して特定に努めるとしている。

▼松根城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage2.nifty.com/mizuki55/hokuriku/kanazawasi.htm
 http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/kanazawa/matune.html
 http://www.hb.pei.jp/shiro/kaga/matsune-jyo/


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(7)彦根城(滋賀県彦根市):5年計画で「石垣の城」の全貌を見せる
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 江戸幕府が威信をかけて築城した彦根城を見渡せるようにするために、彦根市教育委員会では5年計画で雑木の伐採などを行っている。築城当時は石垣の城として、豪壮な要塞の趣をたたえていたとされるが、年月の経過とともに周辺では広葉樹が育ち、彦根城全体を見渡せなくなってしまった。同市教育委員会では往時の姿を取り戻そうと、今年度から5カ年計画で城内全域の木の伐採や間伐、枝打ちの実施を始めた。

 今年度は約1,000万円かけて天守や天秤櫓付近の約250本を伐採して、石垣が市街地から見えるようにする。伐採にあたっては城郭と植物の専門家3人によるワーキングチームによって、伐採可能な木や植物を選定しながら丁寧に作業を進めている。

 同市教育委員会文化財課では、彦根城は熊本城と並んで石垣が城のシンボルであり、市民や観光客に彦根城の石垣のすばらしさを知ってもらおうとしている。

▼彦根城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.hikoneshi.com/jp/castle/
 ↑彦根観光協会のサイト
 http://www.city.hikone.shiga.jp/hikonejo/index.html
 ↑彦根市のサイト
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/siga/hikone.html

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