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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第316号】  2012/07/30(Mon)

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=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第316号】                2012/07/30(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

◆今週の目次◆
(1)膳所城(滋賀県大津市):北の丸から石垣などを確認
(2)大坂城(大阪府大阪市):秀吉時代の石垣を発掘公開へ計画
(3)高岡城(富山県高岡市):隣接神社にも本丸御殿と同時期の遺構を確認
(4)白石城(宮城県白石市):仮設通路が完成し、天守外壁を公開
(5)黒野城(岐阜県岐阜市):城下町の原図3点を発見
(6)飯田城(静岡県森町):地元住民が整備に乗り出す


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(1)膳所城(滋賀県大津市):北の丸から石垣などを確認
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 膳所城の発掘調査を行っている滋賀県文化財保護協会は、江戸時代初めに造られた北の丸の石垣を確認したと発表した。北の丸の発掘調査は今回が初めてで、ほかに石組みの溝や瓦、陶磁器などが出土した。北の丸があったとされる範囲のうち、今回調査されたのは南北合計3箇所の約270平米である。

 北側の調査区からは地面が1.3〜1.5mほど落ち込んだ北の丸の北端部分が確認され、南側からは南端の石垣が2〜3段見つかった。また中央と南側の調査区からは、南北に平行して走る石組みの溝2本が見つかった。

 膳所城は関ヶ原の戦いの翌年の慶長6年(1601)に徳川家康が西国大名らに命じて築城させた、いわゆる天下普請の城である。明治の初めに廃城となると、天守などの主要建物は解体されて神社などの建材に転用され、石垣も琵琶湖疎水工事などに使われてしまった。今回の調査結果によって、これまでは絵図で大まかにしか分からなかった北の丸の配置が、より詳しく知る手がかりになると期待される。

▼膳所城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/siga/zeze.htm
 http://www.oumi-castle.net/second_page/zezejyou/zezejyou.html
 http://www.geocities.jp/woodone3831/kinki/c-1-3-6-1-siro-ZEZE.html


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(2)大坂城(大阪府大阪市):秀吉時代の石垣を発掘公開へ計画
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 国の特別史跡である大坂城の観光振興策として、大阪市は本丸の地下に眠る豊臣秀吉時代の石垣を平成27年(2015)度から常時公開する計画を明らかにした。今秋以降、石垣の発掘や見学施設の整備に向けて、市民らから5億円程度を目処に寄付を募る。

 初代大坂城は豊臣秀吉によって、天正11年(1583)から13年(1585)にかけて築城された。豊臣家が滅亡した慶長20年(1615)の大坂夏の陣で落城したのち、徳川幕府によって埋められ、そのあとに現在の大坂城が築城された。今回公開を考えているのは、昭和59年(1984)の調査で本丸の地下から見つかった豊臣時代の石垣の一部(高さ約6m×幅約5m)で、保存状態は良好で、夏の陣で焼けた跡も残っているという。

 大阪市では石垣を掘り起こして、観光客が見学できる施設を整備する。大坂夏の陣からちょうど四百年となる平成27年(2015)の完成を目指す。橋本大阪市長は、大坂城は非常に重要な観光資源で、市民や府民と一緒に魅力を世界に発信したいとしている。

▼豊臣時代の大阪城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage3.nifty.com/yogokun/oosaka.htm
 http://tktaku.com/OSAKA_CASTLE/Toyotomi_Piriod/toyotomitop.htm
 http://www.osakacastle.net/history/haran/hideyosi.htm


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(3)高岡城(富山県高岡市):隣接神社にも本丸御殿と同時期の遺構を確認
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 高岡城に隣接する射水神社境内で発掘調査を行った高岡市教育委員会は、昨年に本丸跡で見つかった本丸御殿と見られる建物遺構と同時期の遺構を確認したと発表した。新たな遺構が見つかったのは、本丸広場で昨年発掘された大規模な建物跡と見られる多数の礎石から最短で約50m南東の地点で、本丸を囲む土塁の裾に当たり、射水神社境内の東端に裏込め石をともなう2段の石積みとして確認された。

 石積みは土塁造成時のものと考えられ、花崗岩に「卍」の刻印と採石時の工法を示す矢穴が打たれていた。同市教育委員会は遺構が建物か関連施設のものかを含めて断定できないとしているが、築城時の本丸遺構がかなり良好に保存されているとの見通しを示している。

 多数の礎石は絵図などの関連資料から、城主だった前田利長の本丸御殿跡の可能性が高いと思われ、神社境内にも広がっていたと推測された。高岡市では高岡城の国史跡指定を目指しており、3年計画の詳細調査は今回で終了し、年度内に報告書をまとめるとしている。

▼高岡城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.kojyo.sakura.ne.jp/profile/index.html
 ↑高岡市による公式サイト
 http://homepage2.nifty.com/mizuki55/hokuriku/takaokasi.htm
 http://www.e-tmm.info/siro.htm


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(4)白石城(宮城県白石市):仮設通路が完成し、天守外壁を公開
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 東日本大震災で損壊し、修復工事を進められている白石城で、天守2階部分の外壁に続く仮設通路が完成して一般向け見学会が始まった。仮設通路は地上10mの天守南側2階部分に設置され、外壁の補修状況を見ることができる。

 この見学会は毎週火曜と水曜を除く毎日開催され、時間は10時から13時までである。なお、悪天候の場合には中止となる。8月13〜18日は休止で、9月上旬頃まで実施される予定である。なお、白石城1階内部の見学会は毎週日曜に開催されており、時間は9時半から16時までである。

▼白石城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.shiro-f.jp/shiroishijo/
 ↑「白石城・歴史探訪ミュージアム・武家屋敷」による公式サイト
 http://homepage3.nifty.com/yogokun/siroisi.htm
 http://joukan.sakura.ne.jp/joukan/miyagi/shiroishi/shiroishi.html


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(5)黒野城(岐阜県岐阜市):城下町の原図3点を発見
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 江戸時代初めにわずか16年で廃城となった黒野城と初代城主加藤貞泰を研究するまちづくり団体「黒野城と加藤貞泰公研究会」は、江戸時代後期から明治時代にかけて描かれ、岐阜市史の資料絵図の基となったとみられる黒野城下町の原図3点を発見し、公開した。

 今回発見されたのは、明治28年(1895)に郷土の元記者小野小野三氏らが書いた絵図の写し「黒野城下家中屋敷図」と、江戸後期から明治初期に書けて描かれたと見られる作者不明の絵図2点である。いずれも市内の画家が所蔵していたもので、昭和53年(1978)に発行された岐阜市史の資料編付図の参考資料として活用されたが、その後は行方が分からなくなっていた。

▼黒野城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/gihu/gihusi.htm
 http://4619.web.fc2.com/shiro30.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kurono.htm


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(6)飯田城(静岡県森町):地元住民が整備に乗り出す
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 600年ほど前の室町時代に築城されたとされる飯田城について、地元住民が整備に乗り出した。戦国時代には武田氏と徳川氏の攻防の舞台にもなったといわれるが、現在は荒れた農地が広がるばかりである。新東名高速道路開通を機に、地域の文化遺産を後世に伝えようと、住民らが保存会を結成した。

 飯田地区は新東名高速の森掛川インターチェンジから訪れやすくなったことと、城址周辺の荒廃農地を栗園にする動きがあることなどから、整備・保存の気運が高まった。保存会では遺構には出来るだけ手を加えずに、倒木や雑草を取り除いたり、駐車場を確保したりするなどの整備を行う。また7月中にも同町教育委員会立ち会いの下に木を切って、遺構の状態を分かりやすくする予定である。

▼飯田城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.yosihiko.net/iida/siro.html
 ↑飯田城保存会のサイト
 http://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/totoumi/shiseki/chuen/iida.j/iida.j.html
 http://www.hb.pei.jp/shiro/tohtoumi/iida-jyo/

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