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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第310号】  2012/06/11(Mon)

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【城郭ニュース 第310号】                2012/06/11(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

◆今週の目次◆
(1)金沢城(石川県金沢市):橋爪門復元に向けてスタート
(2)大聖寺城(石川県加賀市):発掘調査で石垣を初めて確認
(3)水戸城(茨城県水戸市):大手門は斉昭時代に再建された可能性
(4)新城城(愛知県新城市):初めての発掘調査で「お客屋敷」を確認
(5)掛川城(静岡県掛川市):照明をLEDに替えて、年間80万円の節電
(6)後楽園(岡山県岡山市):「御舟入」の遺構を確認


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(1)金沢城(石川県金沢市):橋爪門復元に向けてスタート
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 国の重要文化財に指定されている石川門と金沢城の実質的な正門だった河北門と並んで「三御門」の一つと称された橋爪門が、復元に向けてスタートを切る。北陸新幹線金沢開業に向けた目玉事業の一つとしてこの復元が位置付けられており、今月30日に起工式が行われる。

 この橋爪門は藩主が居た二の丸御殿に通じる最後の門で、枡形土塀に囲まれていた。枡形部分は445平米の広さがあり、三御門の中で最も大きい。番所が設けられ、江戸後期の文書には金沢城内の門で最も格式が高いと書かれている。

 計画によると、平成13年(2001)に五十間長屋などと一体で整備された一の門と合わせて全体を復元する。総工費は約8億4千万円の予定で、平成26年(2014)年度末の完成を目指す。橋爪門は明治14年(1881)の火災で二の丸御殿などとともに焼失しているので、約130年ぶりの復元となる。

▼金沢城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/
 ↑石川県による公式サイト
 http://www.pref.ishikawa.lg.jp/kyoiku/bunkazai/kanazawazyo/index.html
 ↑石川県金沢城調査研究所のサイト
 http://homepage2.nifty.com/mizuki55/hokuriku/kanazawasi.htm


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(2)大聖寺城(石川県加賀市):発掘調査で石垣を初めて確認
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 大聖寺城の発掘調査を行っている加賀市教育委員会は、初めて石垣を確認した。同市教育委員会は本丸部分の発掘調査を行い、天守に相当する本丸櫓の基台と2ヵ所の虎口の状況を明らかにした。このうち本丸櫓台では3段分の石垣を確認し、石の積み方などから戦国時代末のものと推測された。なお、天守に相当する櫓の柱の位置などの痕跡は見つかっていない。

 大聖寺城は1300年代に初めて築城されたといわれ、戦国時代には織田・豊臣系武将の支配下に置かれた。関ヶ原の戦いののちに前田家のものとなり、元和元年(1615)のいわゆる一国一城令により廃城となった。

 発掘現場では廃城になった際に取り壊された石材が散乱しており、「鏡石」と思われる2m四方の巨石も見つかっている。奈良大の千田教授によると、石垣はいずれも天正期(1573〜92)の後半から文禄期(1592〜96)のものと考えられ、全国的にも貴重な初期の織豊系城郭の一つに位置付けられるという。また、東側の虎口では50cm程度の石が一段の列になっており、本来は石垣造りだったことも分かった。さらに、門跡と思われる礎石も見つかっている。

▼大聖寺城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://kinjyouzan.jimdo.com/
 ↑錦城山城址保存会のサイト
 http://homepage2.nifty.com/mizuki55/hokuriku/kagasi.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/daisyouji.htm


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(3)水戸城(茨城県水戸市):大手門は斉昭時代に再建された可能性
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 水戸城大手門跡の発掘調査を行っている水戸市教育委員会は、大手門は何らかの理由で再建されていたことを確認した。大手門は明治時代以降に取り壊されているが、門跡の土塁から再建前の門に付いていたと思われる瓦などが出土した。

 水戸家初代徳川頼房の時代に造られた可能性のある側溝も見つかったが、土塁の中程に瓦の層と白壁に使われた漆喰の層が確認された。また格式の高い水戸家の三つ葉葵の入った直径15cmの丸瓦も出土したが、これは格式の高さから大手門以外の使用は考えられず、丸瓦が出土した土塁は大手門が取り壊された明治以降に再構築された可能性がないことなどから、再建前の門のものと断定された。

 同時に9代斉昭時代のものとみられる茶碗のかけらが出土したことから、再建は斉昭時代と推測された。一方の側溝は幅40cm×内径20cmで、2代光圀が整備した笠原水道と同じ地元産の「神崎石」が使われていることや工法が同じことが判明した。初代頼房の時代に水戸城を大改修したとの記録が残っていることから、この側溝は江戸初期に造られた可能性が示唆された。

▼水戸城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://otakeya.in.coocan.jp/info02/mito.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Ibaragi/Mito/index.htm
 http://www.geocities.jp/zanyphenix/shiro236.html


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(4)新城城(愛知県新城市):初めての発掘調査で「お客屋敷」を確認
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 新城小学校の体育館建て替えのために同校校庭の発掘調査を行っていた新城市教育委員会は、発掘した場所が客をもてなした「お客屋敷」だったと発表した。この発掘調査で掘立柱建物十数棟と最大で長さ5m×幅3m×深さ1.2mの穴が14基に加えて、柵9条の跡が見つかった。

 穴は新城城やその後の新城陣屋を訪ねてきた客をもてなすための食料や食器などを収納するためのもので、一部の建物はお客屋敷の跡だったと推測した。なお、お客屋敷の残りは、調査地の東側にあったと思われる。

▼新城城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www65.tok2.com/home2/yogokun/nodasinjou.htm
 http://www.geocities.jp/chiezoikomai/e-mikawa/sinsiro.html
 http://www.geocities.jp/buntoyou/f3/a-f0139shinsiro.html


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(5)掛川城(静岡県掛川市):照明をLEDに替えて、年間80万円の節電
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 掛川市では掛川城の夜間ライトアップの照明をすべてLED照明に替えることとし、6月補正予算案に300万円を計上する。現在37基の水銀灯で天守や太鼓櫓、土塀などをライトアップしているが、これを15基のLED照明に変える。これにより、年間約80万円の節電になると言う。

 また、水銀灯では青白く映っていた白壁がLEDでは白くはっきりと映り、観光客増も期待できるという。昨年の東日本大震災直後から夜間ライトアップを自粛していたが、今年4月から復活させている。

 掛川城は山内一豊が城主を務めたことで知られ、平成6年(1994)に国内で初めて木造で天守が再建されている。また今月には天守への入城者が300万人を突破している。

▼掛川城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://kakegawajyo.info07.net/
 http://www.k-kousya.or.jp/kakegawacastle/
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/sizuoka/kakegawasi.htm


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(6)後楽園(岡山県岡山市):「御舟入」の遺構を確認
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 国の特別名勝に指定されている後楽園の発掘調査を行っている岡山県古代吉備文化財センターは、岡山藩主専用の往来口だった船着場「御舟入」の遺構をほぼ完全な形で確認した。

 御舟入は後楽園本来の正門である御成御門(遺構は未確認)への入口で、築庭を命じた池田綱政(1638〜1714)の時代に整備され、三代後の治政(1750〜1818)の時代まで用いられたと言われている。大正時代の外園歩道整備にともなって埋没し、保存状態が分からなくなっていた。

 今回見つかったのは板石を階段状に組んだ13段の雁木で、江戸時代の絵図どおりであった。各段の高さは約30cmで、中段から下段へと扇状に広がっており、最上段の幅は約3mなのに対して、最下段は約10mであった。また、その下部には御舟入を囲む護岸石垣も見つかった。同センターによると、極めて良好な保存状況で、名演の往時の姿をじかに知る貴重な遺構という。

▼後楽園については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.okayama-korakuen.jp/
 ↑公式サイト
 http://www2a.biglobe.ne.jp/%257emarusan/phkorak1.html
 http://okayama-japan.jp/town/town-bizen/121.html

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