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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第286号】  2011/11/14(Mon)

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=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第286号】                2011/11/14(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

◆今週の目次◆
(1)駿府城(静岡県静岡市):天守外観に有力根拠
(2)鳥取城(鳥取県鳥取市):秀吉時代の眺望が復活
(3)浜松城(静岡県浜松市):「本物」目指して本格的な復元がスタート
(4)高岡城(富山県高岡市):本丸礎石出土が関心を呼ぶ
(5)鹿背山城(京都府木津川市):歴史研究グループが1/660で再現


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(1)駿府城(静岡県静岡市):天守外観に有力根拠
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 日光東照宮と和歌山の紀州東照宮にそれぞれ伝わる「東照宮縁起絵巻」に描かれた駿府城天守の外観が酷似していることが、駿府城天守閣等関連史料主席調査員を務める郷土史家の黒沢さんの研究で明らかとなった。駿府城天守は江戸時代初めの寛永12年(1635)に焼失しており、また図面などが伝わっていないことから、その外観は不明とされてきた。そのため、天守再建の議論も宙に浮いた状態となっている。

 日光東照宮の絵巻は焼失後間もない寛永17年(1640)頃に、幕府の御用絵師の狩野探幽が描いたとされ、一方の紀州東照宮のものは寛永20年(1643)頃に同じく御用絵師の住吉如慶によって描かれたとされる。この絵巻の存在自体は知られていたが、類似性は十分に検討されていなかった。両者を比較すると、5層7階の階層に加え、天守丸構造と呼ばれる天守の配置や屋根飾りの位置・形状などが細部まで良く一致していた。

 黒沢さんによると、探幽は焼失前の駿府城で家康に謁見しており、大御所の居城を事実に沿って記録したと考えるのが妥当としている。今回の発見で天守再建議論に一石を投じることとなるが、駿府城は国の史跡に指定されていることから、再建には文化財の活用状の意味があるか、復元根拠が十分かなどを多角的に判断する必要があり、すぐに再建が出来るというわけではない。なお、静岡市天守閣建設可能性検討委員会は、史実に基づく復元が不可能との結論を昨年出している。

▼駿府城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.shizuoka.jp/deps/bunkazai/bunkazai_tyousa_sunpujyou_index.htm
 ↑静岡市のサイト
 http://www.geocities.jp/woodone3831/c-1-3-5-2-siro-sunnpu.html
 http://www.shizuoka-cvb.or.jp/oogosho400/study/03_01.htm
 ↑大御所四百年祭のサイト


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(2)鳥取城(鳥取県鳥取市):秀吉時代の眺望が復活
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 鳥取市は、秀吉が鳥取城攻めをした際に本陣を置いた太閤ヶ平(本陣山の山頂)からの眺めを遮っていた樹木を切って見晴らしをよくした。これにより、鳥取勢の城跡や日本海までが一望できるようになり、秀吉の戦略のしたたかさが実感できるようになった。

 これまでは本陣跡西側直下の斜面に樹木が生い茂っていたために、本陣跡からは鳥取城のある久松山が見えなかった。鳥取城のほか、雁金山城や丸山城などの鳥取勢が立てこもった城や鳥取平野、千代川、鳥取港、日本海までが手に取るように見渡せる。これにより、鳥取勢が兵を繰り出すなどの動きを見せれば手に取るように分かる絶好の位置にあることが実感できるようになった。

▼鳥取城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/chuugoku/c-1-3-8-1-siro-TOTTORI.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/tottori.htm
 http://www.geocities.jp/tottorijou/index.html←鳥取城復元天守のある風景


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(3)浜松城(静岡県浜松市):「本物」目指して本格的な復元がスタート
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 徳川家康が築城し、江戸時代には出世城として知られた浜松城で、より「本物」に近づけようと本格的な復元が始まっている。建造物で現在城内にあるのは昭和33年(1958)に鉄筋コンクリート造られた天守だが、絵図や設計図面などが残っていないために、安土桃山時代の建築様式などを参考に外観を決めた、いわば想像の産物である。

 江戸期の絵図には天守台だけが描かれていることから、天守は早い時期になくなったと思われる。なぜ失われたかは不明だが、すでに太平の世となっており立て直す必要もなかったと想像される。現在は浜松の城として市民にも定着しているようだが、そんな浜松城の的指摘価値を再認識し、市民の心のよりどころとなることを目指そうと、浜松市では平成21年(2009)度から天守近くの天守門跡と富士見櫓跡の調査を始めた。

 これまでの調査結果によると、それぞれの建物の礎石や瓦などを確認している。天守門は野面積みの石垣の間にあり、2層の櫓門だったことが分かった。一方の富士見櫓は御殿風の構造で、富士山を眺めながら茶の湯などが催されたと想像された。浜松市ではこれらの調査結果などを基に、明治6年(1873)の廃城令当時の復元を目指す「浜松城公園歴史ゾーン整備基本計画」を策定し、天守門は平成25年(2013)までに復元することを決めた。また富士見櫓についても、10年後を目処に復元に取り組む。

▼浜松城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.hamamatsu-navi.jp/shiro/←浜松観光ナビ
 http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/park/parks/hamamatsujou/
 ↑浜松市のサイト
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/hamamatu.htm

▼浜松市では、今月19日と20日に「全国山城サミット」が開催されます。
 詳細は、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/square/intro/bunkazai/1111yamajiro/index.htm


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(4)高岡城(富山県高岡市):本丸礎石出土が関心を呼ぶ
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 高岡市教育委員会では、高岡城に関する資料展示や講演会を11月に開催する。今夏の発掘調査で建物跡が出土した頃から、高岡城に関心が集まっていることを受けて企画された。

 高岡城は加賀二代藩主前田利長が隠居城として江戸初期の慶長14年(1609)に築城したが、元和元年(1615)にいわゆる一国一城令により廃城となった。今年度に実施された発掘調査では本丸広場から礎石などの建物跡が初めて出土し、現地説明会にも多くの市民が訪れた。また高岡城のことをもっと知りたいとの声も同市教育委員会に多く寄せられた。こうした要望を受けて、展示会と講演会が実施されることとなった。

 展示会は11月5日から12月4日まで高岡古城公園内の市立博物館で開催され、高岡城築城以前の絵図「関野之古図」や利長入城後の「高岡御城景台之絵図」などが展示される。また講演会は27日に、奈良大学の千田教授や文化財職員の報告などが実施された。

▼高岡城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.kojyo.sakura.ne.jp/profile/index.html←高岡古城公園の公式サイト
 http://homepage2.nifty.com/mizuki55/hokuriku/takaokasi.htm
 http://www.e-tmm.info/siro.htm

▼高岡市立博物館については、下記サイトをご覧下さい。
 http://www.e-tmm.info/


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(5)鹿背山城(京都府木津川市):歴史研究グループが1/660で再現
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 戦国時代末期の武将で「城造りの名人」とも呼ばれた松永久秀が整備したことで知られる鹿背山城について、地元の歴史研究グループ「木津の文化財と緑を守る会」が1/660の模型を作成した。

 大阪大学の村田修蔵名誉教授が作成した図面に、同会の踏査記録を繁栄させて、今年5月に制作に取りかかった。同会では昭和53年(1978)の発足以来、城跡の存在が明確ではなかった鹿背山の調査を行ってきた。村田名誉教授や滋賀県立大学の中井均准教授とともに踏査を行いながら、三つの主郭をめぐる散策路や案内板などを整備してきた。

 標高 136mの鹿背山山頂には15世紀後半に奈良興福寺に関連する仏教施設が建てられ、16世紀半ばには大和を拠点とした松永久秀が北の防御のために改修したとされている。この模型は同市山城総合文化センターなどで展示されたあと、府立山城郷土資料館に寄贈される。

▼鹿背山城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.geocities.jp/buntoyou/f10/f-k1279kaseyama.html
 http://www.oumi-castle.net/takoku/kyoto/kase.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/jyamasiro/43410170.html

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