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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第280号】  2011/09/19(Mon)

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=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第280号】                2011/09/19(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

◆今週の目次◆
(1)松江城(島根県松江市):「富」の刻印の年代を調べ歴史解く
(2)坂本城(滋賀県大津市):聖衆来迎寺表門が坂本城城門の可能性
(3)米子城(鳥取県米子市):市による樹木伐採に苦情、市は継続方針
(4)中津城(大分県中津市):中津城キャラに「おっくん」
(5)高山城(岐阜県土岐市):保存会活動が本格化
(6)甲府城(山梨県甲府市):築城期の石垣の一部を報道陣に公開


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(1)松江城(島根県松江市):「富」の刻印の年代を調べ歴史解く
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 国宝への指定を目指している松江城(天守が重要文化財)で新たな調査研究成果にしようと、松江城調査研究委員会が中心になって、天守に残る「富」の字が刻まれた部材の年代測定に挑んでいる。研究者によると、松江城築城にあたっては月山富田城から部材を持ってきたのではないかと言われており、今回の調査によって明らかになるかも知れない。

 調査研究委員長の西和夫神奈川大学名誉教授らの調査によると、天守地下に置かれた松材の小口に直径約3cmの分銅の刻印が2個あり、中に「富」の字が刻まれていた。この部材は天守の床を支えていた梁の一部で、昭和25年(1950)から同30年(1955)にかけて行われた「昭和の解体修理」の際に痛んでいたために取り出されたと推測された。解体修理の報告書には、別の部材に同じ刻印があるという記載もある。

 調査委員会ではこの部材の一部を切り出し、放射性炭素による年代測定を進めている。うまくいけば、今年中に部材が伐採された時期を特定することができる。西委員長によると、彦根城天守に大津城の部材が転用されているように、当時は別の城にあった部材を再利用することは珍しいことではないため、今回の年代測定結果に注目している。

▼松江城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.matsue-tourism.or.jp/m_castle/←公式サイト
 http://homepage2.nifty.com/matsue-jo/contents2Fmenu.html
 http://4619.web.fc2.com/shiro14.html


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(2)坂本城(滋賀県大津市):聖衆来迎寺表門が坂本城城門の可能性
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 滋賀県の指定文化財である聖衆来迎寺(大津市比叡辻)の表門の解体修理を一昨年から行っているが、滋賀県教育委員会の調査で坂本城の城門である可能性が高まってきた。この門については地元の言い伝えで坂本城の城門を移築したものであるとされているが、移築の経緯や建立年代を示す史料がなく、真偽は不明であった。

 今回の県教委の調査によると、材料の木材が城門の様式から加工され、直した跡があったことに加えて、柱に付いた鉋の刃の跡が坂本城築城時期と重なったことから、移築されたものと推定された。坂本城と同寺とは1kmほどしか離れておらず、光秀と関係の深かった同寺が何らかの目的で天正14年(1586)頃に移築したのではないかとみられる。

 今回の調査では脇扉の高さが修理前の168cmよりもかなり低い 98cmだったことも判明し、通行の便利さよりも防御を重視したものと思われ、今回の修理では元の姿に戻される。坂本城は元亀2年(1571)から明智光秀によって築城が開始されたが、天正10年(1582)の本能寺の変の際に落城している。そのため、現在は石垣の一部が残るのみとなっている。

▼坂本城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://ksbookshelf.com/HJ/SakamotojyouNawabari.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kansai/Shiga/Sakamoto/index.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/sakamoto.htm


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(3)米子城(鳥取県米子市):市による樹木伐採に苦情、市は継続方針
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 米子城本丸に植生する樹木の伐採事業を進めている米子市に対して、散策者らによる苦情が出ている。石垣の景観が守られると歓迎する声がある反面、緑の群生を失うことで風情を損なうとの見方があるためである。同市では史跡保護と安全確保のために伐採を続ける方針で、理解を求めることとしている。

 米子城は本丸、二の丸と内膳丸が、平成18年(2006)に国史跡の指定を受けた。同市文化財は石垣から2〜3mにある樹木を対象に、数年前から伐採を行っている。今年は春から夏にかけて、本丸東側の計158平米で樹齢30年程度の44本を伐採した。

 木の根が石垣の隙間に入り込み、崩壊の危険性があるとともに、樹木が倒れて史跡を損壊する可能性を除くためである。実際年末年始の豪雪で枝や幹が折れており、強風によって散策者に危険が及ぶ可能性もある。さらに樹木が妨げとなって、市街地から石垣が眺めづらくなったことも伐採の理由の一つである。

▼米子城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/chuugoku/c-1-3-8-2-siro-YONAGO.html
 http://www.3kids-cg.com/yonago.html←米子城の再現CGを見ることができます。
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/tottori/yonaogsi.htm


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(4)中津城(大分県中津市):中津城キャラに「おっくん」
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 中津城を運営する千雅は中津城のイメージキャラクターを考案し、「おっくん」と名付けた。ひこにゃんなどのゆるキャラブームに乗ろうとTシャツの販売を始めるとともに、11月には着ぐるみも登場させる。

 この「おっくん」のモデルは、徳川家康のひ孫で宇都宮城主だった奥平忠昌(1608〜68)である。忠昌が6歳の時に病床の家康を見舞った際に、現在の中津城に展示されている白鳥鞘の鑓を贈られた。この故事にちなみ、幼い忠昌が鑓を持っている姿をイメージして、千雅が出資する企画会社がデザインした。また同時に家康をモデルとした「ひーじじ」という親しみやすいキャラクターも設定している。

 Tシャツ(2000円)のほか、タオル(500円)と5種類の缶バッジ(1個350円)を中津城の売店で売っている。

▼中津城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.nakatsujyo.jp/←中津城の公式サイト
 http://www.city-nakatsu.jp/modules/kankou/index.php?id=67
 ↑中津市によるサイト
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/kyusyu/nakatsu.html


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(5)高山城(岐阜県土岐市):保存会活動が本格化
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 土岐市土岐津町の高山・土岐口地区に残る史跡を見直し、整備して後世に伝えようと今年4月に発足した「高山城高山宿史跡保存会」がその活動を活発化させている。周辺を案内する「ふれあい散策マップ」を作成したほか、高山城跡、穴弘法および高山区民館の3ヶ所に史跡案内板を設置した。また地元のグループと協力して、ウォーキング会、観月会や講演会などのイベントを次々に開催している。

 高山および土岐口地区では、美濃源氏の頃から戦国、江戸時代にかけて武将らが活躍した。同会ではこれらに関する史跡を保存しようと、配水池となっていた高山城の草刈りを行い、荒れ放題だった城跡が甦っている。高山城は美濃源氏一族の高山伊賀守秀頼が承久3年(1221)の承久の乱の頃に築城したとされ、のちに平井頼母が城主となって、織田信長と武田信玄・勝頼の軍勢による領土争いの境界線として激戦が展開されている。

▼高山城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.oumi-castle.net/takoku/gifu/mino_takayama.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/minotakayama.htm
 http://blog.goo.ne.jp/ogisan-xxx/e/727d0dde256773de4d66067fd5589fc9


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(6)甲府城(山梨県甲府市):築城期の石垣の一部を報道陣に公開
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 山梨県庁の防災新館の建設工事にともなう甲府城の調査で、県庁敷地内で見つかった豊臣時代の築城期(1590年代)に造られたと見られる内堀の石垣の一部が報道陣に公開された。

 山梨県教育委員会によると、この石垣は甲府城の最も南側に位置し、石の種類などから昨年11月に同所付近で確認された石垣の続きと見られている。県庁東門付近にあったとされる甲府城追手門(大手門)の正確な位置を推測する手がかりになると、期待されている。見つかった石垣の規模は東西5m×高さ2mで、実際の石垣の高さは10mほどあったと考えられている。

▼甲府城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.kofu.yamanashi.jp/kanko/history/0104.htm←甲府市のサイト
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/yamanasi/kouhusi.htm
 http://www.pref.yamanashi.jp/maizou-bnk/ko-fu_zyou/ko-fuzyou_kenkyuusitu.html

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