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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第275号】  2011/08/08(Mon)

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=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第275号】                2011/08/08(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

◆今週の目次◆
(1)陣城(京都府長岡京市):光秀の陣城の堀と見られる遺構を確認
(2)切山城、松根城(石川県金沢市):加越国境城郭群として国史跡指定目指し調査
(3)盛岡城(岩手県盛岡市):よりリアルな模型を歴史文化館で公開
(4)宇都宮城(栃木県宇都宮市):城跡から発掘された蓮が460年ぶりに開花
(5)宇和島城(愛媛県宇和島市):うわじま牛鬼まつりに宇和島城を開放
(6)黒野城(岐阜県岐阜市):史実解明に向けて再現ジオラマの完成間近


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(1)陣城(京都府長岡京市):光秀の陣城の堀と見られる遺構を確認
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 長岡京市調子地区の大坂成蹊大学芸術学部構内で立命館中・高の移転にともなう発掘調査を行っている同市埋蔵文化財センターは、戦国時代の陣城の堀と見られる遺構が見つかったと発表した。近くの恵解山(いげのやま)古墳で火縄銃の弾などが確認されていることから、天正10年(1582)の山崎の合戦の際に明智光秀がこの古墳に本陣を置いて、陣城を築いたのではないかと推測している。

 確認された堀跡は幅4〜5m×深さ約2mで、長さは49mほどが確認された。古い地図や航空写真などの分析により、堀は南北約400mに渡って築かれたのではないかと推測された。また、16世紀の茶釜や白磁椀片なども出土している。遺構から約100m東には国史跡に指定されている恵解山古墳があり、3〜4年前の発掘調査で戦国時代の火縄銃の弾や兵が駐屯するための曲輪と見られる跡が見つかっている。太閤記には光秀が「御坊塚」に本陣をおいたと記されているが、この本陣は恵解山古墳か南にある大山崎町の境野1号墳のいずれかと考えられていた。


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(2)切山城、松根城(石川県金沢市):加越国境城郭群として国史跡指定目指し調査
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 羽柴秀吉の全国統一の過程で徳川家康と対立した天正12年(1584)頃、羽柴方の前田利家が切山城を、また徳川方の佐々成政が松根城を築いて、加越両国を結ぶ重要な交通路である小原越を介して対峙した。翌年には成政が秀吉に降伏して、両城とも廃されたと考えられている。金沢市は、この二つの城をセットで国史跡にしようと本格的な調査を始める。

 松根城は昭和49年(1974)に金沢市史跡に指定され、平成12年(2000)から2年計画で史跡整備を行っている。一方の切山城は樹木に覆われ、見た目には城跡とは分かりにくい状況にある。両城ともに小原越を城の中に取り込んでいるのが特徴で、直線距離で4kmのところにある。富山県境にも近い両城は、文化庁も秀吉による天下統一に至る過程を示す貴重な遺産であると高い評価を与えている。松根城は隣接する小矢部市にもまたがっているために、小矢部市との協力体制も検討する。

 金沢市内では金沢城、加賀藩主前田家墓所に続いて、今年2月には辰巳用水が国史跡に指定されている。同市では二つの城跡が「加越国境城郭群」として価値付けされ、市内の歴史遺産群に厚みが増すことを期待している。

▼切山城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://heartland.geocities.jp/matsukurajyou/tikujyousi/kiriyamajyou/kiriyamajyou.htm
 http://cmeg.jp/s/3759?p=1017
 http://www17.big.or.jp/~castles/20090920/kiriyama.html

▼松根城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage2.nifty.com/mizuki55/hokuriku/kanazawasi.htm
 http://zyousai.sakura.ne.jp/mysite1/kanazawa/matune.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/matune.htm


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(3)盛岡城(岩手県盛岡市):よりリアルな模型を歴史文化館で公開
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 今月1日に開館した「もりおか歴史文化館」で展示されている盛岡城模型が、来館した歴史愛好者の評価が高い。これまでは盛岡市中央公民館に展示されていたが、移転を機会に最新の研究や調査成果を基に修正した。

 主な修正点は、1)南東隅の三重櫓、2)南西隅の二階櫓、3)北東隅の隅櫓である。また、屋根瓦の色もこれまでの青灰色から、絵図や屏風に描かれ、発掘調査によって腰曲輪隅櫓跡で見つかった赤瓦を基に、赤瓦を葺いた状態にした。現実の盛岡城は石垣や堀が残るだけで、在りし日の盛岡城の姿を見ることが出来るのはこの模型であるために、来館者の注目度も高いようである。

▼盛岡城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.morioka.iwate.jp/14kyoiku/bunka/sitei/kuni-sitei/kuni-moriokajo01.html
 ↑盛岡市のサイト
 http://www.iwatabi.net/morioka/morioka/siro.html
 http://www5f.biglobe.ne.jp/~mononofu/moriokazyou.html


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(4)宇都宮城(栃木県宇都宮市):城跡から発掘された蓮が460年ぶりに開花
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 平成19年(2007)から同21年(2009)にかけて実施された宇都宮城蓮池跡の発掘調査で出土した蓮の実が、約460年ぶりに開花した。この蓮は市民グループの宇都宮城跡蓮池再生委員会が育てていたもので、7月18日朝に開花しているのが確認された。3年ほど前から育てているが、開花したのは今年が始めてである。

 これまでに出土していた蓮の実は放射性炭素による年代測定で、1550年から1850年代のものと推定されている。もっとも古い1550年代のものと推定された蓮の実も、先月20日に開花した。完全に開くと直径26cmを超える大型種と推定されており、いずれも古代ハスの大賀ハスに似ている。

▼宇都宮城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.utsunomiya-jo.jp/index2.htm
 ↑「よみがえれ!宇都宮城」市民の会のサイト
 http://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/kanko/kankou/spot/jyiousi/index.html
 ↑宇都宮市のサイト
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Tochigi/Utsunomiya/index.htm


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(5)宇和島城(愛媛県宇和島市):うわじま牛鬼まつりに宇和島城を開放
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 宇和島の夏の風物詩となっている「第45回うわじま牛鬼まつり」が今月22日から3日間行われたが、花火大会が開催された23日(土)に宇和島城が夜間開放された。絶好のポイントから花火を楽しんでもらおうと、宇和島市教育委員会による初の試みとなった。

 城内には夜間明かりがほとんどなく、懐中電灯持参などルールを守って花火を楽しんで欲しいと注意を呼びかけた。四国横断自動車道・宇和島北IC〜西予宇和IC間が来週開通予定で、開通すると松山から宇和島までが一時間圏内となることから、宇和島市では観光客の誘致策を練っている。同市教育委員会でも重要文化財の天守をもっと知ってもらおうと、来年度以降は夜桜の時期など年3回の開放を考えている。

▼宇和島城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.uwajima.org/spot/index7.html←宇和島市観光協会のサイト
 http://www.city.uwajima.ehime.jp/www/contents/1252469772670/index.html
 ↑宇和島市のサイト
 http://www.geocities.jp/bane2161/uwajimajyou.htm


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(6)黒野城(岐阜県岐阜市):史実解明に向けて再現ジオラマの完成間近
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 岐阜城、加納城とともに岐阜市の3大城跡でありながら、あまり知られていない黒野城について、市民グループが黒野城とその城下町の立体模型(ジオラマ)の作製に取り組んでいる。

 この市民グループは「黒野城と加藤貞泰公研究会」で、慶長15年(1610)の廃城からちょうど400年となる昨年に、埋もれた郷土史を発掘してまちづくりに繋げようと、地元の有志らで発足した。ジオラマは事務局長の平井さんらが中心となって今年2月から作り始め、現在ほぼ8割の完成度で今年9月頃に完成の予定である。

 黒野城主だった加藤貞泰は豊臣秀吉の家臣で、文禄4年(1595)に4万石を与えられて黒野に入った。関ヶ原の戦いでは東軍に与して島津軍と戦い、戦後に城と城下町を建設した。しかしながら慶長15年(1610)には米子に転封となり、わずか十数年で廃城となってしまった。米子に移る前に、長良川右岸の堤防整備で治水事業に尽力したといわれる。

▼黒野城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/gihu/gihusi.htm
 http://4619.web.fc2.com/shiro30.html
 http://www42.tok2.com/home/hakubutukan/mino_hida/kurono.html

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