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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第234号】  2010/09/06(Mon)

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=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第234号】                2010/09/06(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=
◆今週の目次◆
(1)松波城(石川県能登町):庭園は16世紀前半に築造
(2)江戸城(東京都千代田区):10人以上の大名刻印石垣を宮内庁が確認
(3)魚津城(富山県魚津市):安土桃山〜江戸期の本丸盛り土を確認(?)
(4)府中御殿(東京都府中市):建物跡を保存へ
(5)姫路城(兵庫県姫路市):耐震補強は24ヵ所で大丈夫
(6)姫路城(兵庫県姫路市):JR再開発事業で眺望デッキ建設へ


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(1)松波城(石川県能登町):庭園は16世紀前半に築造
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 石川県史跡に指定されている松波城跡庭園跡の発掘調査を行っている能登町教育委員会は、出土品などからこの庭園は室町時代の16世紀前半に築造され、同後半には取り壊されたと発表した。

 発掘調査で建物跡から16世紀前半の信楽焼の破片などが出土し、地層の状況も含めて築造年代を判定した。また同後半以降に建物が焼失し、庭園も含めて整地されたことも判った。庭園の枯山水は小石を立てて敷き詰められた珍しい形状で、約3100個の平らな丸い小石が並んでいたが、失われたものもあるので4000個以上あったのではないかとみられた。このような形状は全国的に見ても江戸時代のものが見つかっている程度で、こうした枯山水は全国最古のものである可能性もあるという。

 また建物はL字型で庭の方向に庇が伸びており、庭を観賞する茶室のようなものだったと推測された。松波城は戦国武将畠山義親が守っていたが、天正5年(1577)に上杉謙信勢に攻められて落城している。同町教育委員会では、この落城のあとに埋め立てられたのではないかとみている。

▼松波城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www15.ocn.ne.jp/~nanao/noto_castle/matsunami_jyo.html
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/hokuriku/c-1-3-3-2-siro-MATUNAMI.html
 http://www.geocities.jp/hokuriku1970/matunami.html


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(2)江戸城(東京都千代田区):10人以上の大名刻印石垣を宮内庁が確認
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 宮内庁の調査で、江戸城の石垣約20ヵ所に徳川家康の命で普請に携わった大名ら10人以上の名前が刻まれていることが分かった。

 慶長8年に徳川家康が征夷大将軍になったのを機にいわゆる天下普請によって江戸城の整備が行われた。乾濠に面した乾櫓下の石垣には加藤清正を示す「加藤肥後守内」の刻銘が、また書院前櫓下など2ヵ所で見つかった「羽三左」は池田輝政のもので羽柴姓と名の三左衛門を組み合わせたものである。各大名が江戸城中心部で行った石垣普請の具体的な箇所が明らかになったのは初めてである。

 また同庁では大正7年(1918)の石垣解体工事の際に撮影された写真も解析し、池田輝政の次男忠継を表す「松平左衛門督」、福島政則を示す「羽柴左衛門大夫」および輝政の長男利隆の「松平武蔵守」の名が刻まれた石が積み重なっていることも分かった。このことから、慶長19年(1614)にこの3人で付近の石垣築造にかかわった可能性が高いとみられた。

 江戸城の石垣築造については一部の大名について大まかな位置が文献で知られている程度で、このように具体的なことが分かったのは初めてである。

▼江戸城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage3.nifty.com/oohasi/siseki.html
 http://www.geocities.jp/bane2161/edojyou.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Tokyo/Edo/index.htm


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(3)魚津城(富山県魚津市):安土桃山〜江戸期の本丸盛り土を確認(?)
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 魚津城があった魚津市大町小学校グラウンドの試掘調査を行っている魚津市教育委員会は、グラウンドの地下に安土桃山から江戸時代の魚津城本丸の盛り土と思われる地層があることを見つけた。

 今回の試掘調査は江戸時代にあった本丸の遺構を探るのが目的で、江戸時代の魚津城の配置図「魚津町惣絵図」を基に行った。試掘対象として、本丸の蔵や武器庫として描かれている5ヵ所を選んだ。その結果、グラウンド中央部の深さ約1mのところから、本丸を整地したとみられる盛り土の地層が確認された。

 この地層からは室町時代の土師器の小皿や大皿のかけらや江戸時代の寛永通宝など十数点が出土したものの、本丸の蔵や石垣の遺構は見つからなかった。調査を行っている同市教育委員会によると、グラウンドは明治以降小学校や裁判所の建設にともなって掘り返されたと思われるが、本丸の地層が概ね残っていたことで今後の調査を行う場合の大きな材料になるとしている。また試掘調査そのものはこれで終了するが、今後レーザー探査を行えば本丸の全体像が把握できるともしている。

▼魚津城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.uozu.toyama.jp/battle_of_uozujo/battle_of_uozujo_index.html
 ↑魚津城の戦いについての魚津市のサイト
 http://www.geocities.jp/hokuriku1970/uodu.html
 http://www.siromegu.com/castle/toyama/uodu/uodu.htm


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(4)府中御殿(東京都府中市):建物跡を保存へ
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 JR府中本町駅近くにある広さおよそ7800平米の大型スーパーの建設予定地で、今年5月に徳川家康が鷹狩りする際に宿泊した府中御殿のものとみられる建物跡が見つかった。府中市では極めて貴重な遺跡だとして大型スーパーなどと話し合いを進めた結果、土地を所有する東京都中央区の会社から約27億円でこの土地を買い取り、保存する方針を固めた。

 また府中市では、国の史跡に指定するように申請している。同所からは、奈良時代に当時の武蔵国を治めていた役人の館とみられる跡なども見つかっている。府中市では今後遺跡の活用法について市民から意見を募り、遺跡の魅力を生かした街づくりを進めることとしている。

▼府中御殿については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.t-map.co.jp/old/so-ma-8.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~hm9k-ajm/musasinorekisi/edo/musasifutyuugotenn/musasifutyuugotenn1.htm
 http://yaplog.jp/tokyo-fuchu/archive/176


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(5)姫路城(兵庫県姫路市):耐震補強は24ヵ所で大丈夫
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 平成18年(2006)から昨年まで大阪大学などの協力で行われた姫路城の耐震強度調査結果を踏まえて、姫路城大天守保存修理検討会は耐震補強工事の方針を決めた。それによると、震度6強の地震が発生した場合でも建物の倒壊はなく、補強が必要とされる場所も24ヵ所にとどまるという。

 折損防止のために柱13ヵ所は柱同士が交わる部分を中心に鉄板を巻き付けるほか、強度不足が心配される細い梁3ヵ所は梁と梁の間にある壁に鉄板を入れて強度を高める。そのほかの床や天井など8ヵ所については、鉄骨の補強枠をはめ込んで崩落を防ぐ。同修理検討会の多洲会長は、「厳しい耐震基準をクリアして、多くの人が安心して来場できる姫路城にしたい」と話した。

▼姫路城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/←姫路市の公式サイト
 http://www.himeji-kanko.jp/contents/castle/
 http://www.himeji.jp/


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(6)姫路城(兵庫県姫路市):JR再開発事業で眺望デッキ建設へ
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 JR姫路駅の再開発事業で、姫路市は同駅から世界遺産・国宝姫路城の眺めを楽しめる門をイメージした眺望デッキのデザインを明らかにした。市民も参加している専門会議や姫路駅北駅前広場整備推進会議などを経て、9月中には正式なデザインが決まる予定である。

 同市によると、眺望デッキはJRの高架部分から続き、姫路城と向かい合う場所に設ける。JR新駅ビルと駅北西側の複合施設キャスパを結ぶ歩行者用のデッキとつながり、雨よけの屋根も設ける。門としたのは城下町への玄関口であることを印象づけるとともに、戦災復興のシンボルとなった大手前通りの起点となる場所であることから、城へとつながる発着点としてイメージしやすいようにデザインした。

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