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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第233】 2010/08/30(Mon)

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=じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す==================

【城郭ニュース 第233】                 2010/08/30(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=
◆今週の目次◆
(1)矢不来館(北海道上磯町):和人の重要拠点と推測
(2)鳥取城(鳥取県鳥取市):中ノ御門の礎石が見つかる
(3)姫路城(兵庫県姫路市):リの一渡櫓を来春にも初公開
(4)弘前城(青森県弘前市):北の郭で江戸時代の坂道を発見
(5)国吉城(福井県美浜町):子供たちが発掘調査を体験
(6)名護屋城(佐賀県唐津市):博物館入館者が累計で200万人突破


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(1)矢不来館(北海道上磯町):和人の重要拠点と推測
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 中世以降の北方交易と蝦夷地の内国化に関する研究を進めている弘前大学と愛知学院大学の合同調査グループが、その一環として矢不来館の発掘調査を行った。その結果、銅製の仏具や茶器など200点余りが出土したほか、丸太を立てた跡とみられる柵木列などが確認された。

 茶器などはほとんどが火事で焼けたとみられ、15世紀後半から16世紀初頭のものとみられた。また確認された柵木列は館が改修された裏付けとなり、改修後により強固な館となったとみられる。同グループ代表の関根弘前大教授によると、アイヌが蜂起した康正3年(1457)のコマシャインの戦い後に最盛期があり、遺物などから茂別館同様に和人の重要な拠点だったと推測された。

 矢不来館は中世に蝦夷地に渡ってきた下国安東氏が構築した道南の和人十二館の一つである茂別館の北約2kmにあり、所在が分からなくなっていたが昭和54年(1979)に確認された。茂別館の隠し砦説、本陣説、アイヌのチャシ説などがあるが、詳細は分かっていない。来年も発掘調査を続け、3つある堀を調査して、堀とそばにある土塁の関連性などを調べる予定である。

▼矢不来館については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/yafurai-tate.html
 http://homepage1.nifty.com/t-kubo/siro/dounai/html/yafurt0.htm

▼茂別館については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.asahi-net.or.jp/~DG8H-NSYM/mobetsu-tate.html
 http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/hokkaido/mobetutate.html
 http://homepage1.nifty.com/t-kubo/siro/dounai/mobetu.htm


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(2)鳥取城(鳥取県鳥取市):中ノ御門の礎石が見つかる
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 鳥取城大手登城路の復元を目指して鳥取城の発掘調査を行っている鳥取市教育委員会は、鳥取城大手登城路の中ノ御門の礎石一基が見つかったと発表した。出土した礎石は幅1mほどの自然石で、上面には10cm四方のほぞ穴が開けられていた。またその周囲には、40cm四方の柱の跡も残っていた。石の表面は赤く変色しており、享保5年(1720)に起きた大火で鳥取城が焼失したときの痕跡とみられた。

 昨年の発掘調査で、今回の礎石から通路を挟んで 3.7m離れたところに中ノ御門の礎石が見つかっており、門の幅は 3.7mと確定した。中ノ御門は江戸時代初めの慶長5年(1600)頃に建てられたが大火で焼失し、その後に同じ礎石の上に再建されたことも判明した。

▼鳥取城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/tottori/tottorisi.htm
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/chuugoku/c-1-3-8-1-siro-TOTTORI.html
 http://shiro39.hp.infoseek.co.jp/sanin/totori/tottori.htm


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(3)姫路城(兵庫県姫路市):リの一渡櫓を来春にも初公開
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 姫路城の「平成の大修理」による観光客減少対策として、姫路市は国の重要文化財である「リの一渡櫓」を来春にも公開すると発表した。この櫓は姫路城内に74棟ある重文の一つで、かつては武器収容庫として使われた。同じく国の重要文化財に指定されている「リの二渡櫓」と合わせて、約百平米を公開する。公開は約四百年前の築城以来初めてとなる。

 また櫓内では、江戸、明治、昭和と制作時期の異なる鯱3体も展示する予定である。江戸時代の鯱は、書写山円教寺の食堂に現在はある。また明治時代に制作されて昭和の大修理まで天守に上げられていた鯱は、城内や兵庫県立歴史博物館で保存している。今回の大修理にともなって下ろされる鯱とともに、展示される。

 一方、大天守を覆う工事用建屋(素屋根)内に設け、大天守最上階の屋根を見下ろせる見学施設の愛称は「天空の白鷺」と決まった。櫓と見学施設は、ともに来年3月下旬の公開を目指している。

▼「平成の大修理」については、下記公式サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle.html

▼工事の進捗状況については、下記姫路市のサイトで確認できます。
 http://www.city.himeji.lg.jp/s60/2851146/_21909/siro-weekly-photo.html


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(4)弘前城(青森県弘前市):北の郭で江戸時代の坂道を発見
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 弘前城北の郭西側にある武徳殿裏の石段改修にともなった発掘調査を行っている弘前市教育委員会は、石段の地下から江戸時代の坂道跡が見つかったと発表した。発掘場所は北の郭の西側をはす池に向かって下りる石段の地下で、江戸時代の18世紀後半から19世紀頃の瓦片とともにスロープ状の地形が出土した。

 調査担当者によると、坂道自体は築城当時からあったものの、当時は北の郭から西へもっと急角度で下りるルートだったという。その後、より緩やかなルートに付け替えられ、道幅も徐々に広がったと考えられた。切り土や盛り土をしてあるものの、地表面は突き固めておらず、はっきりとした段差も認められなかった。同時に見つかった柱穴状の遺構から、時代によっては部分的に坂道の横に柵を設置していた可能性もあるという。

▼弘前城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.hirosaki.aomori.jp/kanko/shisetsu/park/index.html
 ↑弘前市のサイト
 http://www.hirosakipark.or.jp/hirosakipark/index.html
 ↑弘前市公園緑地協会のサイト
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/tohoku/hirosaki.html


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(5)国吉城(福井県美浜町):子供たちが発掘調査を体験
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 戦国時代の山城である国吉城で子供たちが発掘調査を体験し、茶碗や土器の破片などが次々と見つかった。同町教育委員会が美浜のことを知ってもらおうと毎年行われている「みはまっ子塾」の企画として行われたもので、町内の小学生13人らが参加した。

 国吉城は永禄年間(1558〜70)に若狭守護武田義統に仕えた粟屋勝久が古城を改修して築いたもので、越前朝倉義景の攻撃を7年間も阻んで難攻不落の城として名をはせた。国吉城の発掘調査そのものは平成12年(2000)に終了し、現在は城山頂上付近などの調査を行っている。

▼国吉城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kuniyosi.htm
 http://www.geocities.jp/ikomaihokusin/fukui/kuniyosi.html
 http://www.oumi-castle.net/takoku/fukui/kuniyosi.html


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(6)名護屋城(佐賀県唐津市):博物館入館者が累計で200万人突破
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 佐賀県立名護屋城博物館の入館者が、8月3日で累計で200万人を突破した。名護屋城博物館は平成5年(1993)10月に開館し、平成13年(2001)5月に100万人を突破している。

 年度別の入館者数をみると、開館翌年の平成6年(1994)に約16.7万人とこれまでの最高で、年を経るごとに減少していた。一昨年と昨年は、10万人を割り込んでいる。なお、韓国人観光客が全体の約5%を占めている。

 同博物館は国の特別史跡となっている名護屋城跡と23の陣跡を中心に保存整備事業を実施しているが、日本列島と朝鮮半島との交流史の調査研究も行っている。

▼名護屋城博物館については、下記唐津市のサイトを参考にして下さい。
 http://www.pref.saga.lg.jp/web/nagoya.html

▼名護屋城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.yobuko.net/kankou/nagoyajo.htm
 http://homepage2.nifty.com/yogo1394/kyushu/karatungy.htm
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/hizennagoya.htm

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