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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第229号】2010/07/26(Mon)

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【城郭ニュース 第229号】                2010/07/26(Mon)

==================じ=ょ=う=か=く=に=ゅ=ー=す=

◆今週の目次◆
(1)名古屋城(愛知県名古屋市):本丸御殿復元で伝統的工法を相談なく変更
(2)増山城(富山県砺波市):保存管理計画策定委員会が初会合
(3)小田原城(神奈川県小田原市):天守を見やすくするために植栽管理計画を策定
(4)上ノ郷城(愛知県蒲郡市):石造りの階段が出土
(5)備中松山城(岡山県高梁市):石垣の一部が大雨で崩落
(6)御土居(京都市北区):大雨で堀のへりが部分流出


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(1)名古屋城(愛知県名古屋市):本丸御殿復元で伝統的工法を相談なく変更
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 名古屋市が平成29年(2017)完成を目指している名古屋城本丸御殿の復元工事で、当初の予定を相談なく変更して伝統的工法でない方法で進めようとしているとして、名古屋市に助言してきた専門家が市にやり直しを求めている。

 当初の設計では柱を礎石の上に直接立てる伝統的な工法を採用し、横に寝かした木材と2枚の鉄板で横から挟みボルトで締めて補強することとなっていた。しかしながら工事の段階で、礎石にボルトを打ち込んでそこに柱を固定する方法に変更した。

 この変更に対して、名古屋城跡全体整備検討委員会建造部会の部会長を務める麓名古屋工業大学教授が、事前の相談もなく忠実な復元ではないと反発している。一方、名古屋市側は限られた予算で工期を急ぐこともあって、現場の判断で最善策を考えて変更したとしている。今月13日に開かれる検討委員会で、この問題については改めて議論される予定である。

▼名古屋城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/←公式サイト
 http://www.geocities.jp/bane2161/nagoyajyou.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/nagoya.htm
 http://www.hommaru-palace.city.nagoya.jp/←本丸御殿復元の公式サイト


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(2)増山城(富山県砺波市):保存管理計画策定委員会が初会合
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 昨年7月に国の史跡に指定された増山城の保存管理などについて検討する「保存管理計画策定委員会」の初会合が、9日に富山市役所で開催された。委員長に黒崎富山大学文学部教授、副委員長に佐伯同市文化財保護審議会委員を選出し、平成23年(2011)度末までに保存管理計画を盛り込んだ報告書を刊行すること決定した。なお、同会合には三宅文化庁文化財調査官がオブザーバーとして出席した。

 事務局である同市教育委員会では保存管理計画策定のために、来年度には環境調査を実施して地形、地質調査、現存植生図や整備イメージ図などを作成して、整備活用や運営・体制整備などを含めた基本方針を報告書にまとめる予定である。

 増山城は越中三大山城の一つと言われ、戦国時代から織豊期にかけて上杉勢と織田勢の戦いの場となっている。主城である増山城のほか、北に亀山城や孫次山砦、南には赤坂山屋敷なども残っている。

▼増山城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage2.nifty.com/mizuki55/hokuriku/tonamisi.htm
 http://www.geocities.jp/hokuriku1970/masuyama.html
 http://web.city.tonami.toyama.jp/~webcms/user/section_detail.php?sec_id=195
 ↑砺波市のサイト


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(3)小田原城(神奈川県小田原市):天守を見やすくするために植栽管理計画を策定
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 小田原城址公園内の樹木が成長したために、天守をはじめとした歴史的建造物の視界を遮ったり、石垣や地下の遺構を壊し始めているために、小田原城の天守を見やすくするために小田原市教育委員会は「史跡小田原城跡本丸・二の丸植栽管理計画」を策定した。有識者などで構成する「史跡小田原城跡調査・整備委員会」の提言を受けて、同市教育委員会が決めた。

 管理計画の対象は本丸と二の丸の公有地約15ヘクタールで、樹木の数は約千本ある。史跡の景観の回復、遺構の保護並びに来訪者の安全確保などを目的に、樹木の伐採や枝下ろしなどを実施する。これらの中には江戸時代以前から根を張り、市指定記念物となっている本丸巨松などが含まれる。

 小田原駅周辺やお堀端通りなど市内8ヵ所に設定したビューポイントから天守や常磐木門などの視界を遮る樹木については、今年度からほぼ5年間で整理することとしている。

▼小田原城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/Leisure/Castle/tennsyukaku.html
 http://www.odawaracastle.jp/←小田原城3Dプロジェクト
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Kanagawa/Odawara/index.htm


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(4)上ノ郷城(愛知県蒲郡市):石造りの階段が出土
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 上ノ郷城の発掘調査を行っている蒲郡市教育委員会は、石造りの階段などが出土したと発表した。出土した石段は四段で、一段の高さは約20cmであった。また石段全体の幅は約3.5mで、長くて一辺が50cm程度の角張った石が使われていた。

 階段の上からは主郭の大手門跡とみられる建物遺構が、また下からは入口の幅が1mほどの虎口も確認された。さらに階段の横からはなだらかなスロープ状の脇道が出土し、階段下の平坦部には砂利が敷き詰められていた。

 上ノ郷城は現在の蒲郡市一帯を支配していた鵜殿氏が16世紀初めに築城したと推定されているため、当時の城郭で出入り口付近を石で整備した遺構が確認されるのは全国的に見ても珍しいという。

 鵜殿氏は今川方に属していたために、三河平定を目指す松平元康(徳川家康)に攻められ、永禄5年(1562)に落城したとされる。昨年に続いて今回の調査で2つ目の火縄銃の弾丸も見つかったため、同教育委員会では家康の軍勢が上ノ郷城を攻めた際に使われた可能性があるとみている。

▼上ノ郷城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.geocities.jp/chiezoikomai/e-mikawa/kaminogou.html
 http://www15.ocn.ne.jp/~castle04/kaminogo.html
 http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/kaminogou.htm


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(5)備中松山城(岡山県高梁市):石垣の一部が大雨で崩落
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 国の史跡に指定されている備中松山城で、大雨で石垣の一部が崩落しているのが見つかり、高梁市教育委員会は現場付近を立ち入り禁止とした。

 崩落が見つかったのは天守および二重櫓の北東約30mのところにある後曲輪の一角で、高さおよび幅が約3mにわたって最大で50cm角の石と土砂が流出した。天守などの建物やほかの石垣には、被害はなかった。同教育委員会では作業の時期や方法について国や県と協議した上で、早急に復旧したいとしている。

▼備中松山城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/okayama/takahasisi.htm
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/cyugoku/takahasi.html
 http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-8-7-siro-MATUYAMA.html


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(6)御土居(京都市北区):大雨で堀のへりが部分流出
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 豊臣秀吉が築いたことで知られる国指定史跡・御土居の堀のへり部分が、大雨で一部が流出した。土塁そのものには、被害はなかった。流出したのは2ヵ所で、それぞれ幅が約3.6mと約10.4mにわたって表面の土が堀底に流れ落ちた。

 京都市では文化庁とも協議して、被害の拡大防止のために地盤などを固めるとしている。御土居は天正19年(1591)に外敵の来襲や鴨川の氾濫から市街を守るために豊臣秀吉の命によって築かれ、全長は約22.5kmあったが江戸時代以降に大部分が取り壊されてしまった。

▼御土居については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005643.html←京都市のサイト
 http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi18.html
 http://www.geocities.jp/woodone3831/kinki/c-1-3-6-2-tutumi-ODOI.html

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