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関西城郭同好会コミュの【城郭ニュース 第223号】2010/05/24(Mon)

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【城郭ニュース 第223号】                  2010/05/24(Mon)

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 二週続けてお休みしてしまいましたが、ようやく発行することができました。

 自治体によって事情は異なるのでしょうが、新年度が始まって一月半あまり、予算の執行もできたようで、最近になって今年の発掘調査結果などが紙面に登場してきました。

 城跡も観光資源になるということでしょうか、最近は多くの自治体で城跡の発掘調査が盛んに行われるようになったと感じています。発掘調査の醍醐味はこれまで定説と思われていたことが違うのではないかと示唆されることや、これまで謎と思われていたことが解き明かされることです。実際に発掘調査に携わっている人は大変でしょうが、ファンとしてはワクワクしてしまいます。特に近年はいろいろな発掘技術や分析技術の進歩に伴って、とても多くの知見が得られています。

 まだまだ一般には「お城=天守あるいは櫓」という構図でしょうが、こうした地道な研究にも理解を示してほしいと思っています。


◆今週の目次◆
(1)本陣山陣城群(鳥取県鳥取市):戦国最大の防御線だったことが判明
(2)高松城(香川県高松市):石垣の石材は屋島から採掘したことが判明
(3)神指城(福島県会津若松市):城跡保存のために若松西バイパス路線変更へ
(4)上ノ郷城(愛知県蒲郡市):物見台と思われる遺構が出土
(5)安土城(滋賀県近江八幡市):近江八幡市のガイダンス施設が完成


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(1)本陣山陣城群(鳥取県鳥取市):戦国最大の防御線だったことが判明
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 羽柴(豊臣)秀吉が天正8年(1580)と同9年(1581)に行った鳥取城攻めの際に本陣山(太閤ヶ平)一帯に築いた陣城群の調査を行っていた鳥取市教育委員会は、三つの陣城を空堀でつないだ全長 750mにもわたる戦国時代最大の防御ラインだったことを明らかにした。

 平成19年(2007)から本陣山近辺の陣城群の調査を行っていた同教育委員会文化財課はその成果を「鳥取城調査研究年報第3号」にまとめたが、それによると本陣山山頂にあった秀吉本陣は土塁と空堀で囲まれ、東西・南北ともに58mもの大きさがあった。この空堀の幅は5〜7.5m、土塁の高さは堀底から2〜4.5mもある巨大な造りだった。

 さらに秀吉本陣の西側には大規模な陣城を3カ所も築き、それらの陣城をつなぐ空堀の総延長は680mで、郭の部分を加えると750mにも及ぶ戦国最大の防御ラインを構成していた。なかでも秀吉の弟である秀長のものと伝わる陣城には、長さ98〜112m×幅5〜9m×深さ3〜5mもある長大な空堀が三重に設けられていた。

 城郭研究者である長浜城歴史博物館の中井均館長は、「陣城と陣城を空堀で結んで包囲したものはほかに例がなく、一つの城を囲い込む陣城では戦国期最大の規模。遺構の保存状態も良く、絶対に失敗が許されないという危機感がある。」と高く評価している。

▼本陣山(太閤ヶ平)陣城群については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.siromegu.com/castle/tottori/taikouganaru/taikouganaru.htm
 http://m.weblio.jp/c/%E5%A4%AA%E9%96%A4%E3%83%B6%E5%B9%B3
 http://sherpaland.net/report/kyushozan.htm


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(2)高松城(香川県高松市):石垣の石材は屋島から採掘したことが判明
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 高松城の調査を進めている高松市教育委員会は、高松城石垣の石材は屋島北嶺東斜面から切り出したものであると発表した。屋島北嶺東斜面の標高 60〜120m地点の東西150m×南北300mの範囲で、大小2種類の矢穴が残る約30個の石材と破片などが確認された。大きい矢穴は江戸初期の17世紀半ば以降、また小さい矢穴は幕末の19世紀半ばの傾向という。

 見た目や含有成分が高松城天守石垣と近いことや、矢穴の特徴から高松藩初代の松平頼重が寛永21年(1645)から手掛けた改築を始め、寛文11年(1671)から始まった東ノ丸や北ノ丸の新造工事などで使った石材の採掘場だった可能性が高いとみられた。また小さい矢穴が開けられた石材は、安政元年(1854)の南海地震に伴う石垣の修理などに使われた可能性があるという。

 この石切場から高松城までは直線距離で約5kmだが、同市教育委員会では回路で運んだとみるのが妥当としている。これまで推測の域を出なかった石材供給ルートの一部が判明した、ともしている。

 なお、屋島西町の長崎ノ鼻付近の標高40〜50mの地点で、東西100m×南北250mの範囲に小さい矢穴が残る約30個の石材が発見された。こちらは現存する長崎鼻砲台に近いことと、その石垣に残る矢穴の大きさが一致したことから、幕末期に砲台の石垣用に採掘したものと推測されている。

▼高松城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kaihatu/kouen/ryokuchi/tamamo_park.html
 ↑高松市の公式サイト
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/sikoku/takamatu.htm
 http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/castle/sikoku/tamamo.html


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(3)神指城(福島県会津若松市):城跡保存のために若松西バイパス路線変更へ
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 会津若松市街地西部を縦貫する国道 118号線若松西バイパス工事で、同市教育委員会の現状保存すべきとの意見を受けて、福島県は城跡を通るルートを見直すこととした。同バイパスは全長6.8kmのうち4.6kmが開通しており、残り2.2kmのうち約600mが神指城二の丸跡を通る予定であった。

 昨年8月から二ヶ月かけて行われた同市教育委員会による試掘調査で、二の丸の堀は両側と中央部では深さが異なっており、三段構造となっていることが判明した。同教委では「堀を作る過程が分かる貴重な事例」とし、視察した文化庁の調査官も「国史跡になりうる遺跡」と評価している。

 こうした状況からルート見直しとなったが、同市と旧北会津村を結ぶ新橋梁と県道会津若松三島線の新ルートも同城内を避けるべく検討する。今後同教委では市史跡の指定を目指して、地権者らの理解を求める。神指城は慶長5年(1600)に上杉景勝の家臣直江兼続の命によって築城が開始されたが、徳川家康の会津征伐によって工事を中断したといわれる。

▼神指城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://homepage3.nifty.com/otakeya/hukusima/aiduwakamatusi.htm
 http://www17.ocn.ne.jp/~aizua/page010.html
 http://www.culture-center.fks.ed.jp/tenchijin/yukari/aizu/aizu.html


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(4)上ノ郷城(愛知県蒲郡市):物見台と思われる遺構が出土
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 中世城郭の形態がよく残っていることで知られる上ノ郷城の発掘調査を行っている蒲郡市教育委員会は、物見台のような背の高い建物を支えたとみられる遺構が出土したと発表した。

 遺構は大きめの礫がぎっしりと敷き詰められた石積みで、縦約2m×横約4m×深さ約40cmの大きさがあった。礫の大半は40〜50cmの大きさだが、さらに大きなものもあった。これまで調査を行った城郭区域の東南端に当たり、三河湾の方向がよく望めることから物見台の可能性が示唆された。またしっかりした工法などからも、そのように考えられる。一方、20〜30cm大の石を寄せ集めた幅約2mの石群が、これまでに出土した排水溝から帯状に南方向に伸びていることも確認された。

 7月上旬まで行う予定の今回の第5次調査では、城郭区域で未調査の部分と空堀があったとされている城郭から6m低い平坦地について、発掘調査が予定されている。上ノ郷城は戦国時代に徳川家康に対抗していた今川方の鵜殿氏が三代にわたって居城して難攻不落を誇っていたが、永禄5年(1562)に家康によって落城した。

▼上ノ郷城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.geocities.jp/chiezoikomai/e-mikawa/kaminogou.html
 http://www15.ocn.ne.jp/~castle04/kaminogo.html
 http://www15.ocn.ne.jp/~yawa/menew/mikawa/shiseki/higashi/kaminogo.j/kaminogo.j.html


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(5)安土城(滋賀県近江八幡市):近江八幡市のガイダンス施設が完成
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 国の特別史跡に指定されている安土城のふもとに、近江八幡市のガイダンス施設が完成し20日に開所式が行われた。これまで安土城周辺には案内施設や十分な休憩所あるいはトイレなどがなかったため、日本宝くじ協会の助成を受けて約5千4百万円をかけて建設した。

 施設内には安土城の発掘現場や周辺写真などをパネル展示しているほか、観光パンフレットなども用意してある。年中無休で、開館時間は朝8時半から夕方5時15分までである。

▼安土城については、下記サイトを参考にして下さい。
 http://www.biwa.ne.jp/~minoura/
 http://www.azuchi-museum.or.jp/←滋賀県立安土城考古博物館のサイト
 http://www.geocities.co.jp/yogo139/siga/aduti.htm


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