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日本の将来を考えよう!!コミュの昭和天皇と戦争と平和

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昭和天皇

◇昭和4年(1929)
・「説明は聞く必要がない」(5月)…満州支配をもくろむ関東軍が暴走して張作霖爆殺事件が起きると、昭和天皇は軍の独走を懸念して田中義一首相に関係者の厳罰と軍紀粛清を命じた。ところが陸軍の反対で軍法会議すら開かれない。言い訳しようとする首相に立腹し、「この前の言葉と矛盾するではないか」「説明は聞く必要がない」と宮中奥へ立ち去った

◇昭和7年(1932)
・「自分は国際信義を重んじ、世界の恒久平和の為に努力している。それがわが国運の発展をもたらし、国民に真の幸福を約束するものと信じている。しかるに軍の出先は、自分の命令もきかず、無謀にも事件を拡大し、武力をもって中華民国を圧倒せんとするのは、いかにも残念である。ひいては列強の干渉を招き、国と国民を破滅に陥れることになっては真にあいすまぬ」(4月頃)…関東軍の満州国建国によって、日本が世界から非難を浴びた

◇昭和8年(1933)
・「予の条件を承りおきながら、勝手にこれを無視たる行動を採るは、綱紀上よりするも、統帥上よりするも、穏当ならず」(5/10)…参謀総長が熱河省への進軍許可を求めた時、天皇はすぐに撤退することを条件に許可した。ところが撤退後に再び関東軍が華北(中国北部)に侵入

◇昭和10年(1935)
・「軍部に対して安心ができぬ

◇昭和11年(1936)(二・二六事件に際し)
・「とうとうやったか」
・「まったく私の不徳のいたすところだ」
・「速やかに暴徒を鎮圧せよ」(2/26)

◇昭和14年(1939)
・「出先の両大使がなんら自分と関係なく参戦の意を表したことは、天皇の大権を犯したものではないか」(4/10)
大島駐独大使と白鳥駐伊大使が、独伊に各独断で「独伊が第三国と戦う場合、日本も参戦する」と伝えた

・「(中立の)米国が英に加われば、経済断交を受け、物動計画、拡充計画、したがって対ソ戦備も不可能なり」

・「参戦は絶対に不同意なり」(5/26)…ドイツと同盟すれば英米と対立することを懸念

・「この戦争は一時も早くやめなくちゃならんと思うが、どうだ」(7/4)…戦線拡大を続ける支那事変を憂慮し、板垣陸相と参謀総長・閑院宮を呼び問うた


◇「元来陸軍のやり方はけしからん。満州事変の柳条湖の場合といい、今回の事件の最初の盧溝橋のやり方といい、中央の命令には全く服しないで、ただ出先の独断で、朕の軍隊としてあるまじきような卑劣な方法を用いる様なこともしばしばある。まことにけしからん話であると思う」
・「今後は朕の命令なくして一兵でも動かすことはならん」(7/21)
板垣陸軍大臣に(満州事変を画策した人物)

・「(日独伊三国同盟の交渉打ち切り)海軍がよくやってくれたおかげで、日本の国は救われた」(14-15年)…海軍の三国同盟批判を天皇は高く評価

・「政治は憲法を基準にしてやれ」(8/28)…陸軍の内閣介入に注意

◇昭和15年(1940)
・「(国益の為、手段を選ばぬ)マキアベリズムのようなことはしたくないね」(6/20)…ドイツの攻勢で英仏が弱体化。軍部はその隙に仏印、タイへの進出を狙う軍部の姿勢を天皇が批判

・「指導的地位はこちらから押し付けても出来るものではない、他の国々が日本を指導者と仰ぐようになって初めて出来るのである」(夏)“指導的地位”という言葉を掲げてアジアに進出しようとする軍部を牽制

◇昭和16年(1941)
・「強い兵を派遣し、乱暴することなきや。武力衝突を惹起(じゃっき)することなきよう留意せよ」(1/16)…北部仏印の駐屯部隊について杉山参謀総長に

・「自分としては主義として相手方の弱りたるに乗じ要求を為すが如き、いわゆる火事場泥棒式のことは好まない」(2/3)
英仏がドイツに苦しめられている間に、彼らの植民地を奪おうという大本営政府連絡会議に

・「なるべく平和的に外交をやれ。外交と戦争準備は並行せしめずに外交を先行せしめよ」(9/5)杉山参謀総長に

・「この条約(三国同盟)は、非常に重大な条約で、このためアメリカは日本に対してすぐにも石油やくず鉄の輸出を停止するだろう。そうなったら、日本の自立はどうなるのか。こののち長年月にわたって大変な苦境と暗黒のうちにおかれることになるかもしれない。その覚悟がおまえ(近衛首相)にあるか」(9月)

◇昭和17年(1942)
・「人類平和の為にも、いたずらに戦争の長引きて惨害の拡大しゆくは好ましからず」(2/12)…東条首相に早期終戦を訴える「長引けば自然と軍の素質も悪くなる」

・「なるべく速やかにこれを終結せしむることが得策である」(6/20)…東郷茂徳外相が和平の為ソ連に仲介を頼むことを報告。天皇は賛成

・「慎重に措置するというのは、敵に対しさらに一撃を加えた後にというのではあるまいね」(6/22)…陸軍の梅津参謀長が「和平の提唱は慎重に」の発言に懸念

原爆
・「有利な条件を得ようとして戦争終結の時期を逸することはよくない」(8/8)…広島に投下された爆弾が原爆と判明。東郷外相が戦争終結の転機にしたいと述べ天皇は同意

・「私の切ない気持ちがどうして、あの者たちには、わからないのであろうか」(8/15)
…終戦に反対する陸軍の一部の将校が、近衛師団長・森赳中将を射殺し、偽の師団命令で近衛歩兵連隊を出動させて皇居を占拠、玉音放送を阻止するため録音盤奪取を企てた

・「責任はすべて私にある。文武百官は私の任命する所だから、彼らに責任はない。
私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお任せする。
この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」(9/27)…マッカーサー元帥との初会見で
「絞首刑も覚悟している」と


マッカーサー「なぜあなたは戦争を許可されたのですか?」
天皇「もし私が許さなかったら、きっと新しい天皇がたてられたでしょう。それは国民の意思でした(世論は鬼畜米英色だった)。こと、ここに至って国民の望みに逆らう天皇は、恐らくいないのでありましょう」

敗戦国の君主は、ほとんどすべて殺されるのが常であり、
それゆえ、命乞いをするか、または、命惜しさに国を捨てて海外に逃亡するのが普通だった

しかし、他とは全く異なる日本の天皇の姿にマッカーサーは激しく感銘を受け側近に
「天皇を処刑することは、イエス・キリストを十字架にかけることと同じだ」と述べたことが記録に残っている


玉音放送

「略
時の巡り合せに逆らわず
堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて
未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである

私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる
もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは
私が最も強く警戒するところである

ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動を」


昭和天皇
日本国憲法公布(昭和21年)
 この憲法は、帝国憲法を全面的に改正したものであつて、国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によつて確定されたものである。

即ち、日本国民は、みづから進んで 戦争放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基いて国政を運営することを、ここに、明らかに定めたものである

日本国憲法
 朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、
深くよろこび、 枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる


74年12月被爆後初の広島
昭和天皇
「広島市の受けた災禍に対しては同情に堪えない
我々はこの犠牲を無駄にすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない」

明仁天皇が広島を初訪問
49年
「あの惨劇に2度と人類を陥れないよう、私たちは平和に向かって進まねばなりません」


平成元年 陛下
「顧みれば、大行天皇には、御在位60有余年、ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され、激動の時代にあって、常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ、今日、我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し、平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました

ここに皇位を継承するに当たり、大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし、いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ
皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません」

2013陛下
「略
戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました
戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています
また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います」

2014 陛下
「日本のつつがない発展を求めていくときに,
日本が世界の中で安定した平和で健全な国として,
近隣諸国はもとより,できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう,切に願っています」

2015.8.15 陛下
「略〜
終戦以来既に70年、戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆみない努力と、平和の存続を切望する国民の意識に支えられ、我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました

戦後という、この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき、感慨は誠に尽きることがありません

ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」

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