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小説倉庫コミュのおやすみ、ドラゴン

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1.カレーさん

 学校の帰りに立ち寄ると、カレーさんはいつものように店先でカレーパンを揚げていた。じゅうーという音と香ばしい香りが、するりとわたしの鼻腔に入り込む。今、お金ないんだけど。
 油切り網の上に乗ったきつね色の丸いのを見たとき、わたしは決心した。
「ひひ一つ下さい」
 うっかりよだれが垂れそうになるのを、手の甲で拭った。
 かくしてわたしの手には、アツアツのカレーパンが一つ。
 がっつくとヤケドするよ、というカレーさんの毎度の忠告にも関わらず、わたしはかぶりついて舌をヤケドした。涙が出たが、さくさくの衣の中からあふれるカレーの味に、すぐに痛みはどこかへ飛んでいった。
 カレーパン屋の店先のベンチに腰かけ、一人カレーパンを頬張る。学校帰りの至福の時。思わず自然と頬が緩むのがわかった。
 客がいないとき、カレーさんはよく隣に腰かけて、タバコをふかしながらわたしに話し掛けてくる。カレーさんが昔住んでいた場所のこととか、亡くなった奥さんのこととか。あまり楽しい話題では無かったけど、カレーさんはいつも、インド人似の浅黒い顔をくしゃりと歪ませながら、笑顔で話をしてくれた。
「まぁ、北海導も今じゃあんなだけどね。昔はそりゃあキレイなとこだったんだよ。緑が一杯に広がっててね。牧場がたくさんあって、牛もたくさんいたんだ」
 遠くの赤い空を眺めながらそう言うのは、そのときの情景を思い浮かべているからだろうか。
 わたしもいっしょに空を眺める。
 カレーパンについての話もたくさん聞いた。
「確かにここだって、いつ無くなるかわかんないけどね。けど、おれにはカレーパン揚げるしかできないから。それしか特技無いから。いつ死ぬかより、どうやって生きるかのほうが、おれには大切さ」
 それに、もし本当にここが攻撃されても、休ちゃんたちがまもってくれるだろ?
 カレーさんはそう言って、わたしを見てにこっと笑った。
 そんな風に期待されてもなあ・・・。わたしはちょっと困ってしまったけど、それでも、カレーさんのカレーパンのためならいっしょうけんめい頑張れる、という気がした。
 お金がないと言ったら、カレーパン代はツケにしてくれた。

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2.親友その一

 とら子ちゃんはいつも無表情だ。彼女が笑ったり泣いたりしているところというのを、わたしは一度も見たことがない。
 でも、それは彼女が特に無愛想というわけではなくて、自分に表情を変える機能が無いからだ。と、いつだかそんな話をとら子ちゃん自身から聞いた。
 わたしたちの通う鈴比良市立ゆうぜん高等学校の兵事部には、彼女のようなアンドロイドが何人かいる。いずれも戦闘用のアンドロイドで、訓練中なんかには人間にはできないようなすごい動きを見せてくれたりする。
 友達の中には、アンドロイドと話したがらない人が結構多い。無表情で怖いんだそうだ。彼女たちの話す並列圧縮言語も良くわからないんだとか。
 でもわたしは、ちゃあんと話してみればみんないい人たちばっかりなんだ、というのを知っている。ハヤりの服についてとか、おいしいケーキのお店の場所とか、相談ごとにだって乗ってくれるのだ。
 だから、とら子ちゃんはわたしの親友だ。
 時々、わたしがとら子ちゃんの愚痴を聞いてあげたりもする。
「Dragon and Tigerだから”とら子”なンテ。ナンセンスってゆーかno sence・・・」
 そんなはなしをするときでも、彼女はやっぱり無表情だったけど、声だけは不機嫌そうなのがちょっと面白かった。彼女には悪いけれど。
「そもそも、ライフ is フリーダム。birth前に引かれたレール、ノーセンキュウ。生まれちゃったカラにはいろんなlife−styleしてみたい。L・O・V・Eトカ・・・」
 そう言うとら子ちゃんは至って普通の女の子で、まるで厳しいお父さんやお母さんのいる女子高生みたいだった。言葉がほんのちょっぴりわかりにくいだけで。
 彼女たちにももう少し自由があってもいいんじゃないかなあ。といつも思う。何しろ、彼女たちアンドロイドは、何かあったときにはいちばん頼りになる存在なのだから。
 その日は、学校帰りにとら子ちゃんとショッピング街の古着屋へ寄った。千円のジーンズを買った帰り、わたしはとら子ちゃんに声をかけた。
「今度、一緒にカレーパン食べにいかんー?」
 とら子ちゃんは、少しだけ笑った。ような気がした。
3.海と坂の街

 ヨーロッパ風のオシャレで背の低い建物が並ぶ街並みを、おきにいりのママさん自転車で駆け上る。道路わきに連なる、てっぺんに昔の帆船のオブジェを乗せた白い電柱が、目の端をながれていく。まだ朝早いせいか、道にはだれもいない。
 鈴比良市には、坂が多い。街にいくつもあるこのような坂を下ると海へ出るけれど、逆に上ると、どの坂も一つの山にたどり着く。それが比良山だ。
 山道の入り口に自転車を止めて、歩いて登る。比良山は背の低い山なので、歩いても十分くらいで頂上へつく。緑のはっぱがおり重なった屋根の隙間から下りてくる、気持ちいい日差しを浴びながら、ゆっくりと歩く。
 やがて、頂上の目印である、濃い青ときいろのかった白色のたてものが見えてきた。教会だ。突き出た塔にはめ込まれたステンドグラスが、日の光を反射して鏡みたいにきらきらと輝いている。
 教会へつくと、入り口の低い階段に腰かけた。教会にはわたしの友達
が一人で住んでいるけど、たぶんまだ寝ているだろうから、ドアの横にあるチャイムを鳴らすのはやめておいた。起こしちゃかわいそうだ。
 頂上のあたりの木はまばらで、教会の正面から山のふもとを眺めると、斜面を這うように横たわっている鈴比良市の全景と、その向こうには青い青い海が見渡せる。
 わたしは週に一度、こうして朝早くにここへやってくる。早朝の山の空気を味わうため、なんていうと格好がいいのだけど、本当は手紙を受け取るためだった。
 しばらく待っていると、やがて遠くの空からコバトさんがやってきた。時計を見る。午前7時、時間ぴったり。
 コバトさんは幾度か軽快に羽ばたいたのちに、わたしの肩へふわりとおりた。首のところにくくりつけられている、丸められた紙を取りはずすと、わたしはコバトさんにお礼を言った。
「ありがと。いつもご苦労様ー」
 コバトさんは灰色の羽をすくめる。
「いいってコト。これしきの距離じゃあ俺はへばらねえよ。いい加減ウチの安月給にも慣れて来たしさ・・・」
 わたしは受け取った手紙を肩にかけたかばんにしまいこむと、代わりにビスケットを一つ取り出して手のひらに置いた。コバトさんが手の上におりてきて、それをついばむ。チップの代わりだ。せわしなくビスケットをつつく姿が可愛かったけど、それを言うと決まっておこられるので、黙っていた。彼は仲間うちではクールな伝書バトで通っているらしい。
 コバトさんはビスケットをきれいにたいらげると、少しの間わたしの手のひらの上で毛づくろいをしたのちに、ふわりと飛び立ちフランスへと帰っていった。
4.16号

 お腹に響く低い音で目が覚めた。
 自分でもどうしてこんな進路を選んだのか良く分からないけど、今日はお仕事をしなきゃならない日みたいだ。歩兵科の中でもわたしたち女子組は、街の人たちをできるだけ安全な場所に連れて行くのが任務。
 身支度をしてアパートのそとに出ると、ざあざあと滝のように雨が降っていた。テレビで、今年十六番目のドラゴンは水竜であると言っていたのを思い出した。
 自転車に乗ると、真っ直ぐに学校へ向かう。道路には水がたまっていて、タイヤが滑って何度も転びそうになったけど、なんとかすてんといかずに済んだ。あたりには警報のイヤな音が鳴りひびいていて、とおり過ぎる家々の窓のなかでは、不安そうにからだをくっつけあった人たちの顔が並んでいた。
 学校に着くと、グランドにはもう戦車と飛甲艇がキレイに並んでいて、その横ではわたしのクラスの女子たちが点呼を受けていた。あ、遅刻。自転車をグランド脇にとめて駆け込む。
「休、late。こんナ時にー」
「ごめぇー」
 とら子ちゃんにおこられた。
 点呼はまだわたしの番までまわっていなかったようで、列に並ぶとすぐ名前を呼ばれた。担任のナカムラ先生は返事をしたわたしをちょっとにらんだけど、すぐに何事も無かったみたいに次のひとの名前を呼んだ。
 わたしやとら子ちゃん、それにクラスのみんなが着ている、いつもの制服とは違う戦闘服のせいか、なんだかまわりの空気が重たいような気がして、ざわざわして落ち着かない。
「よーし、全員揃ったな。じゃあ行動開始!訓練のとおりに迅速にな!無事を祈る!」
 ナカムラ先生が、ちいさい身体をいっぱいに伸ばして空へ向けて突き出した腕を振り回した。先生の頭に乗っかっているパラボラアンテナが、今日はいっそう上を向いている。たすきがけしたベルトにぶら下がっているラジオに、几帳面にも雨を防ぐためのビニルがかけられているのを見
て、わたしはちょっとおかしくなった。
 クラスのみんなが、いっせいにグランドを飛び出していく。
 とら子ちゃんと自分と同じ班の数人の女子にうなずくと、わたしたちもグランドを出た。わたしたちの班は、うめいろ区の百五十軒を回って、避難場所である比良山の上の教会へ連れて行かなければならない。班長はわたしだから、しっかりしなくちゃ。
 空を見上げると、水竜16号が、絵の具みたいに鮮やかな水色の身体を翻して、わたしたちの頭のすぐ上を飛んでいくところだった。かみなりみたいな16号の鳴き声が、大粒のしずくといっしょにわたしたちの耳を叩いた。
5.親友その二

 雨上がりの教会は、人でいっぱいだった。開け放たれた、横開きの大きな木製のドアの向こうに、頭をさげたたくさんの人。
 さらにその向こうから、いつものように、すきとおったガラスみたいなきれいな声が聞こえてきた。
 わたしは目をとじた。

 生きるためにパンを作りましょう
 あなたには手があるのだから
 手がないならば困っている人を探しに行きましょう
 あなたには足があるのだから
 足がないならば歌をうたいましょう
 あなたには口があるのだから
 口がきけないならば隣人を想いましょう
 あなたにはこころがあるのだから
 苦しいのはきっとあなたがひとりだから
 寒い夜は身を寄せ合って眠りましょう
 弱いのはきっとあなたがひとりだから
 恐れに震える夜は大好きな人の笑顔を思い浮かべて眠りましょう

「おっはよ、休!まるで台風一過ね。気持ちよく起きれた?」
 目をあけると、ヒカリちゃんが目の前に立っていた。彼女の全身は今日もほのかな金色に光っていて、まるで天使みたいだった。
 歌を聴きに来ていたひとたちが、次々にヒカリちゃんの光る手の甲へキスをして帰っていく。
「あの歌は、私の願望なんだ」
 わたしたち以外に誰もいなくなったあと、ヒカリちゃんは長い髪をなびかせてそう言った。この教会で一人で暮らしているヒカリちゃんは、こう見えてけっこうさみしがり屋だ。
 彼女はあまり外へ出たがらない。だからわたしは、毎日のようにここへ歌を聞きにくる。
 おみやげに持ってきたカレーパンを見て、ヒカリちゃんは真っ白い歯を見せてにっこりと笑った。文字通りのかがやく笑顔に、わたしは彼女が天使とか聖女とか呼ばれている理由がちょっとだけわかった気がした。
6.カレシ

「休さん!」
 学校へ行く途中で、うしろからヨシズミくんに声をかけられた。振り返ると、彼は息をきらしてこっちへ走ってくるところだった。
 ヨシズミくんはわたしのクラスメートなので、当然これから学校へ行くはずなのだけど、なぜだか彼はいつもの制服姿ではなくて私服だった。
「いやぁ・・・この前、またやっちゃいまして・・・」
 頭をかきながら言う。ああ、そっか。またか。
 ヨシズミくんは、大昔に竜と一緒に暮らしていた征竜一族とかいうひとたちの子孫で、まだその力をキチンと抑えられないらしい彼は、時々暴走してしまうんだそうだ。
 たぶん、この前の16号のときに、戦車の一台や二台素手でこわしてしまったんだろう。
 暴走したときのヨシズミくんは、いつもの優しい笑顔からは想像がつかないような怖い顔つきに変わって、まわりのものを見境無くこわしてしまうらしいけど、わたしはその姿を直接見たことはない。
「キンシン?」
「ええ、謹慎。一週間」
 ヨシズミくんは苦笑いを浮かべている。今までにも何回か同じようなことはあったから、もう慣れっこなのかも。
 それからしばらく他愛の無い話をして、ふと腕時計を見るともう一時限目の授業が始まっている時間だったので、わたしはヨシズミくんにお別れを言って学校へ向かった。ヨシズミくんは、わたしに遅刻をさせてしまったことにちょっと申し訳無さそうな顔をしていた。そんなに気にしなくていいのに。
 ヨシズミくんと別れてから、わたしはもうしばらく彼とデートをしていないな、と思った。
 わたしがヨシズミくんにコクハクされたのは、たしかわたしがフランス留学から帰ってきた直後だから、もうだいたい一年のお付き合いになる。それなのに、わたしたちはこれまでにあんまり恋人らしい会話とか遊びをしたことがなかった。わたしはそういうのがよくわからないし、ヨシズミくんのほうから誘われることもあんまりない。
 これなら、別に友達でもそんなに変わらないのに。どうしてヨシズミくんは、わたしと恋人になりたかったんだろう?
 学校へつくまでの間、わたしはずうっと、年下の友達のような恋人のことを考えていた。
 あ、こういうふうに考えるのがコイビトドウシってことなのかな?と思った瞬間、一時限目の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
 わたしは教室のドアを開けようとして、中から出てきたナカムラ先生におこられた。
7.大砲さん

 大砲さんは、海輸記念日に毎年行われている式典で、祝砲を撃つアルバイトをしている。今日も彼は、ぴっちりとした白のスーツを着て、頭の代わりに首の上に載っているクロムモリブテン鋼製の80mmバレルをぴかぴかにみがき上げて、舞台袖に立っていた。
 緊張のためだろうか、今日の大砲さんはやけに饒舌だ。首のつけ根の発声器から聞こえてくる声は、ちょっぴり固い。
「なあ休ちゃん、知ってるかい?この街はね、昔は北海導へ船で物資を輸送するための中継基地だったんだよ」
 有名な話だ。いくらわたしの魔法以外の成績が良くなくても、そのくらいは知っている。
 大砲さんも、わたしにその話をするのはこれで三度目くらいのはずなのに、すっかり舞い上がっているのか全く気付いていなかった。
「俺はね、船に乗って何度もここと北海導を往復したんだ。ちょうど、第二次ドラゴン禍の真っ最中でね。すごかったよ、三日に一度は竜が出るんだから。よく生きてたもんさ」
 見てのとおりの戦闘用サイボーグである大砲さんは、数十年前は現役の海兵さんだった。船の上から、自慢の大砲で飛竜をうち落とすのがお仕事。実際に、彼はその活躍を認められて、いくつも勲章をもらったことがあるそうだ。
 そんな彼も、今では軍隊を引退して普通の暮らしをしている。俺の大砲が実弾を撃つことはもう無いだろう。いつだかそう言っていた。
「確かに、今年は竜が多い。例年の通算二十体前後に比べて、今年は夏が始まったばっかりだってのに、もう十六体だしね。第三次ドラゴン禍なんて騒ぐのもわかるよ。けどね、俺が現役のころに比べたら、なぁに。こんなのは台風どころか小雨みたいなもんさ」
 大きく手を振りながら力説する。身振り手振りが入るのは、彼の緊張がピークに達している証拠であることを、わたしは知っていた。
 式典が始まった。ファンファーレがあたりに鳴り響く。
 わたしは笑いながら大砲さんの肩をぽんと叩いた。
「頑張ってねぇ。わたし、ここで見てるから」
 大砲さんは、砲身に空気を送り込むように深呼吸すると、中折れ式のバレルを手でぽきりと折り、そこへ赤い包装紙に包まれた紙玉を詰める。
 わたしに向けて親指を立てて見せると、彼はぎくしゃくと階段をのぼってステージへ上がっていった。
 今年の祝砲は、いつになく大きく、気持ちのいい音がした。
8.秘密

 濃い紫色に染まった包帯をぺりぺりと剥がすと、遇神さんの緑色の立派なウロコの隙間には、たくさんの蛆が湧いていた。いつものことだけれど、あんまり見てて気持ちのいいものじゃない。
「ちょっとシミるけど、ガマンしてね?」
 一言断ってから、かばんから薬液の入ったビンを取り出してフタを回すと、遇神さんの右脚にゆっくりとふりかけた。じゅう・・・という、何かが焦げたみたいな音と一緒に、白いけむりがもくもくとたちのぼる。少しずつビンをかたむけて、蛆を洗い流していく。薬液が半分くらいになったところで蛆はきれいさっぱり流れ落ちて、草の上でのたうった後に、一匹、また一匹と動かなくなった。
 きれいになった傷口を覗き込む。
「・・・如何なフランス仕込みの魔法といえど、この傷にかけられた呪いは解けまい?いい加減に諦めてはどうだね、休や?」
 遇神さんが、鼻の先から飛び出た二本のヒゲがゆらゆらと揺らしながら、長い首をもたげてわたしを見つめている。彼の切れ長の目は優しくて、どこか悲しげだ。
「そんなワケにいかないよお。フェリシテさんに頼まれちゃったしね」
 笑いながらそう言った。
 わたしにも、半分はわかってる。この呪いは、わたしの魔法じゃ解けない。呪いをかけた人たちの怒りや憎しみはあまりに強すぎて、わたしでは完全に取り払うことができない。
 遇神さんの傷を治療し始めてもう一年になるけれど、呪いは進む一方で、ちっとも良くはならなかった。力が無いことが悔しくて、でも諦め切れなくて、わたしは今でもこうして人目を忍んでは、三日に一度、遇神さんに会いに来る。もちろん、竜の傷を治療してるなんて知れたら、わたしはきっと逮捕されてしまうだろうから、このことは誰にも、とら子ちゃんやヒカリちゃんにも話していなかった。
 遇神さんの太い右脚に包帯を巻く。今は真っ白でさらさらの包帯も、三日後にはすっかり紫色の血でかちかちに固まり、包帯の下はたくさんの蛆であふれているだろう。
「ところで休。手紙が届いているだろう、見せてはくれないかね?」
 忘れてた。この前コバトさんから受け取った便箋をかばんから取り出して封を切ると、中の折りたたまれた紙片を広げて、遇神さんのほうへ開いてみせる。
 遇神さんはしばらく忙しく目をきょろきょろと動かしていたが、やがて読み終わったのか、わたしへ向けて軽くうなずいた。
「フェリシテは、近いうちに事を起こすつもりのようだよ。休や・・・お前もそろそろ、自分のことを考えたほうがいい。黒防省とやらに目をつけられてからでは遅いのだよ?」
 優しい遇神さんの言葉が、わたしにはすごく嬉しい。苦しい思いをしている自分のことよりも、わたしを心配してくれる遇神さん。だからこそわたしは、遇神さんを治したい。辛いことから解放してあげたい。
 わたしは、せいいっぱいの笑顔を浮かべる。遇神さんが、少しでも安らぐように。遇神さんが、少しでも心休まるように。
9.空想の世界

 教壇に立つスコップ先生は、顎まで覆われたふさふさの髭をなぞりつつ、ゆっくりと黒板の前を歩きながらわたしたちに語りかける。スコップ先生の太くてよく通る声が、わたしは好きだ。なんだか、聞いていて心地がいい。
「今から約6500万年前・・・巨大な隕石が地球に落下したのは、有名な話だね。粉塵が天高く舞い上がり、長期間に渡って高層大気を覆い、太陽光を遮断した」
 スコップ先生の専門は地質学で、よくそのへんの土をスコップ片手にほじくり返しているのを見かける。わたしの専攻する魔法学でも、土というのは草や花なんかとならんで重要な役目を果たすので、わたしは先生の授業を履修することにした。
 でも、先生の授業はよく横道にそれる。
「その影響で大気圏内で化学反応が起こり、急激に変化した気候は、当時地球上を席巻していた恐竜たちを絶滅の危機に追い込んだ・・・。さて、みんな。もしこのとき、恐竜達が本当に絶滅していたら、今の世の中はどうなっていたと思う?」
 スコップ先生はよく、こういう突拍子もないことを生徒のみんなに問い掛ける。時々、それは本当に授業とは関係のない、何の役にも立たない雑学に関するものだったりするのだけど、わたしは先生のこういうところも気に入っている。どんなことにしろ、知識が増えるのは嬉しい。
 緩やかな階段のように段が連なる広い教室の中に、ざわめきが起こる。友達同士で、先生の問題の答えを相談しているんだろう。
 わたしも、隣に座るとら子ちゃんに、とら子ちゃんはどー思う?と聞いてみたのだが、彼女の返事はそっけない。
「Be quiet。ウルサクしてるト、stand to corridorだヨ、休」
 とら子ちゃんはまじめな優等生なのだ。
 ざわめきが一段落したところで、スコップ先生は微笑を浮かべながらお話を続ける。
「・・・6500万年前に、恐竜達が絶滅していたら。当然、彼らの子孫であるドラゴンたちが私たちの生活を脅かすことは無かっただろう」
 先生の話はいつも突拍子がない。ドラゴンがいない世界なんて、わたしにはとても想像がつかなかった。
「ドラゴンという天敵のいない私たち人間は、大いに繁栄するだろう。しかし・・・果たしてそれは望ましいことなのだろうか?何も恐れるもののない日々。人々はただ漫然と毎日を送り、命とその尊厳を軽んじるようになり、精神と魂はないがしろにされ、生活は消費優先になってゆき、いつしか地球への搾取が始まる。人々は互いに憎しみを抱くようになり、同族同士の醜い争いが発生する。誇りを持たない人々が溢れる世界・・・。それは果たして、望ましい世界と言えるのだろうか?」
 教室の中が、しぃんと静まりかえった。誰も口をひらかない。わたしも、先生のことばの意味を深く考えると、何も言葉が浮かんでこなかった。
 ドラゴンのいる世界と、ドラゴンのいない世界。どちらがいいのかなんて、わたしには分からなかった。だって、ドラゴンにも良いドラゴンと悪いドラゴンがいるんだから。
「おっと・・・こんなことを言っては、私は反体制論者として逮捕されてしまうかな?では、授業に戻ろう」
 そういうと先生は、いつものように慌ただしく黒板をチョークで叩きはじめる。いつも、こういう話で授業時間が無くなってしまうのだ。
 先生の話はいつも難しいけど、わたしはできるだけ真剣に聞いて、理解しようと努力することにしている。そうすることで、自分のしなければいけないことが少しでも分かるなら。そのきっかけだけでもつかむことができたなら。
「・・・休、strange フェイス。hungryナの?」
 きゅるるる・・・という音が、わたしのおなかから響いた。今は、午後の最後の授業中。
 わたしは学校の帰りに、とら子ちゃんと一緒にカレーさんのところへ寄っていこうとこころに決めた。
10.17号

 それは、わたしたちにとって、全く望ましくないタイミングでのおとずれだった。
 雷竜17号は、重たく曇った昼の鈴比良市の上空を、文字通りカミナリみたいな凄いスピードで飛び回りながら、街のいたるところに稲妻を落としていった。あちこちから悲鳴が聞こえる。道端の木が真っ二つに割れて燃え、たてものの屋根から垂直に延びる針のような避雷針に稲光が吸い込まれては、オーバーロードした電圧が家々を暗闇に包み込む。
「ね、立って?このまんまじゃ、ふたりとも死んじゃうよ?ほら、お願いだから・・・」
 家と家の隙間に座り込んだ男の子に、できるだけ優しく、優しく、声をかける。避難のときに家族とはぐれてしまったらしいこの子は、硬いカラに閉じこもった貝のように、立てた両膝の間に顔を埋め、動こうとしない。細かく震える肩に手を置くと、小さな体がびくりと弾んだ。
 どうしよう・・・。
 頭上では、17号の透き通った金色の鱗が、きらきらとまぶしく光を返している。わたしはそれを見て、背筋がさあっと冷たくなるのを感じた。早くここから動かなきゃ。ここにかみなりを落とされたら、ひとたまりもない。轟音が、とめどなくあたりに響く。
 どうしていいかわからなくなってきて、なんだか泣きたいような逃げ出したいような、情けない気分。他の子をとら子ちゃんたちに任せて先に行かせてしまったのを、ちょっぴり後悔する。
「・・・千葉君じゃないか!こんなところでどうした?」
 太い、落ち着いた男のひとの声。振り返ると、いつのまにか一台の戦車がたてもののわきに止まっていて、乗降口から小次郎さんが浅黒い顔を覗かせていた。男の子が、ふっと顔を上げる。
「ここもいつ襲われるかわからんぞ。ほら、乗って!避難所まで送るよ」
 戦車兵見習いのヨシズミくんとはちょっと違う、頼りがいのある大人の表情に、男の子はわたしが何も言わなくても、自分から戦車によじのぼろうとし始めた。小次郎さんが戦車から降りて来て、それを手伝う。
「ありがとう、小次郎さん・・・助かっちゃった」
 ほっとしてそう言うと、小次郎さんは私に向かってウィンクをひとつしてみせた。なんて大人なんだろう。この人のこの表情に比べたら、わたしの魔法なんて・・・。
 小次郎さんに手伝ってもらって、わたしも戦車へと乗り込んだ。いろいろな装置や計器がところ狭しと並んだ車内はひどくきゅうくつだったけれど、わたしは核シェルターにでもいるような安心感を覚えた。男の子もそれは同じみたいで、わたしに向かって初めてちらりと歯を見せて笑ってくれた。

 山の上の避難所に着き、男の子を家族のところに送り届けてから、私は小次郎さんが戦いに行くのを見送る。
「まぁ、見ててくれよ。あのクソッタレなドラゴンを、カトンボみたいに撃ち落としてやるさ!」
 そう言って親指を立てる小次郎さんに手を振りながら、私は笑顔を浮かべた。笑いながら、わたしの胸はちくりと痛んだ。
 あんなに心落ち着かせる乗り物が、ドラゴンたちを殺す。

 フェリシテさんが鈴比良市にやってくる時を、一週間後に控えた日のことだった。
11.心の針金

「思うんだ。まだ俺にも、できることがあるんじゃないか・・・ってね」
 式典のときとはうって変わって落ち着いた声で、大砲さんはそう言った。彼の手には、鈍く銀色に光るADAP弾(対竜徹甲弾)が握られている。もちろん実弾だ。
 大砲さんは六日前、雷竜17号がやって来た日、友人を一人亡くしたそうだ。稲妻が落ちて倒れた木の下敷きになったらしい。
「人手不足だからね・・・志願したら、あっさりOKだってさ」
 彼は頭の大砲に手を添えてバレルを開き、実弾を込めた。

「ああこれかい?作りおき。兵隊さんたちに食べてもらおうと思ってね」
 油切り網の上にずらりと並んだカレーパンはまだ揚げたてで、香ばしい香りがわたしの鼻腔をくすぐる。
 お腹が、ぐう、と鳴った。
「アツアツのを食べてもらえないのが残念だけど・・・なに、心配いらないよ。おれのカレーパンは冷めても美味いからさ!休ちゃんは良く知ってるだろ?」
 カレーさんはいつものように、人懐っこくにかっと笑う。

「千葉、また遅刻か!まったく・・・お気楽なやつだなあお前は」
 教室に入ると、ナカムラ先生のラジオの音が小さく聞こえた。最近の先生は、授業中にも関わらず常にラジオの電源を入れていて、ドラゴン注意報に油断なく耳を傾けている
 わたしはちょこっと頭を下げると教室に入り、自分の席に座った。
「まぁ、非常時には、案外お前のようなやつが冷静だったりするからな。皆より年上なんだから、しっかり頼むぞ?」
 そんなこと言われても、困る。

「へへ・・・最近、射撃の成績が上がってきたんですよ。今度はしっかり仕留めますから、見ててくださいね、休さん!」
 戦車の整備をしているヨシズミくんが、上機嫌にそう言った。彼の表情は、いつになく輝いてるように見えた。
「おいおい、調子に乗るなよ?お前はまず、その征竜一族の力を抑えることが第一なんだからな」
 ちょうど横で同じように整備をしていた小次郎さんが、からかうように声をかけてくる。ヨシズミくんは、頭をかきつつ苦笑した。
 最近の兵事部は、慌ただしい雰囲気に包まれている。わたしたち歩兵科と違って、戦車科は授業時間が減った代わりに、実戦形式の訓練と整備の時間が増えた。
 そんな中で、二人はなんだか生き生きとしているように見えた。

「かつてドラゴンは我々人類と、お互いを補完し合う、共存関係を築いていた。だが、今はどうか?お互いを憎み、殺し合う・・・今や彼らは、人類の天敵とも言うべき存在だ」
 今日もスコップ先生のトークは絶好調だ。その証拠に、教室のなかは静まり返っている。
「時代の流れが、人類とドラゴンの関係を今のような形に変えた。それが良いことか悪いことかは、各人の思うところであると思うが・・・これだけは言える。ドラゴンは今までも常に存在してきたし、これからもまた存在し続けるだろうということだ」
 しゃべり終えた先生は、満足げな微笑を浮かべて、また一心不乱にチョークで黒板をたたき始めた。

「ほらよ・・・最後の手紙だ」
 わたしの肩に乗ったコバトさんが、誇らしげに首をつき出して見せた。そこには、ベルトにくくりつけられた手紙がある。
 わたしは手紙を取りはずすと、いつものように手のひらの上へビスケットを置いた。コバトさんはひょいと手のひらの上へとびのり、それをつつき始める。
「ちょうど一年くらいか?パリとここを往復して・・・まぁ、楽しかったぜ。また何か用があったら、遠慮なく言いな!安くしとくからさ」
 感慨深げに言ってから、毛づくろいを済ませ、コバトさんはフランスへと帰っていった。

「こんな老いぼれた竜の世話をするなど、並大抵のことではできまいて・・・お前は優しい子だね、休。感謝しているよ」
 遇神さんの傷は、やっぱり良くなる兆しが見えない。それでも遇神さんは、あくまで強く気高い。
「・・・そう案ずるな、休。私なら大丈夫だ。きっとやりとげて見せよう」
 やっぱり表情が顔に出てしまったんだろうか。遇神さんはそう言うと、長い尾をわたしの身体に柔らかく巻きつけて、尾の先のふさふさした羽で、頬を撫でてくれた。
 わたしは遇神さんにだけは泣き顔を見せない、と決めていたので、代わりににっこりと笑って見せた。

「なんだか、今日はみんな沈んでたね・・・何かに怯えてるみたい」
 歌い終えたあと、ヒカリちゃんは帰っていくひとたちの背中に、心配そうな視線を向けた。ほんのりと淡い光に包まれた、いつも明るいヒカリちゃんの表情が、今日はちょっぴり暗い。
「街中negative−feeling・・・鈴比良シティ、まるデcemeteryみタイ。ワタシまでlow tension・・・」
 とら子ちゃんも、ここ数日元気がない。といっても彼女の場合、表情にはそれが出ないのだけれど。
 だからこそ。わたしが今日ここにとら子ちゃんを呼んだのは、二人をまとめて元気付けようと思ったからだった。
 かばんから、もったいぶって紙ぶくろを取り出す。中身はもちろん、カレーさんのカレーパンだ。それも、アツアツのやつ。
「じゃあん。ほらぁ、二人とも、これでも食べて元気出そ!みんなが暗いからって、わたしたちまで落ち込んでたら、誰がこどもたちを笑わせてあげるの?家族とはぐれた人をはげましてあげられるの?歌にだって、力がこもらないよ?ね、二人とも!これ食べて、笑って、騒いで、バカなことして、それから、それから、頑張ろうよ!」
 二人は、わたしのたたみかけるような言葉に圧倒されたのか、しばらくきょとんとしていたけれど。
 やがて、さしだした紙ぶくろからカレーパンをつかみ出すと、にかっ、と笑った。あ、とら子ちゃんはいつもの無表情だったけど、なんだかちょっと楽しそうだった。
 その日は夜遅くまで、笑って、騒いで、バカなことをして過ごした。

 アパートに帰るころには、あたりはすっかり暗くなっていた。
 鍵を開けて部屋に入り、壁のスイッチを手探りで探してあかりをつける。
「・・・ただいま」
 いつものように、声をかける。返事をしてくれるひとがいないのはわかっているのだけれど、いまだにわたしは、この習慣をやめることができない。
 今日はとっても楽しかったけれど、あまりに騒ぎすぎたせいか、なんだかひどく疲れてしまった。今日はもう、すぐに寝てしまおう。
 押入れのふすまを開けて、無造作に突っ込んである布団を取り出そうとしたところで。
 いつもの発作がきた。
 楽しい時間を過ごした後は、いつも、涙が出てくる。
 優しくされることの暖かさを、わたしはよく知ってる。一人はイヤ。孤独はきらい。
 だから、優しくされたあとのひとりの時間は、耐えられないくらい、つらい。
 ひとりぽつんと残されることの苦しみを、わたしはよく知ってる。一緒にいて。頼らせて。
 だから、わたしは、常に優しい自分でいたい。捨てられないように、頼られるように。頼られれば、捨てられない。
 ・・・一人暮らしは便利だ。どれだけ涙を流そうと、濡れてぐしゃぐしゃになったみっともない顔を、誰かに見られる心配も無い。
 わたしは、押入れに頭をつっこみ、布団に顔をうずめたまま、朝まで泣き続けた。
12.多分、人生で一番長い一日の終わり

 ふと気が付くと、わたしは地面にうつぶせに横たわっていた。
 なんだか、お腹のあたりに熱いものを感じる。からだもうまく動かせない。頭がぼおっとしている。
 なんとか身体を転がして仰向けになり、ゆっくりと腕を動かしてお腹に触れてみると、ぬるりとした感触のものに指先が触れた。
 ばたばたという足音が近づいてきて、誰かがわたしの背中に腕をさしこみ、からだを起こしてくれた。おかげで、わたしのお腹のあたりを覆っているぬるりとしたものが、真っ赤な血であることがわかった。
 あたまの上から、誰かがなにかさけんでいる。その声がとら子ちゃんのものであることに気付いたとき、わたしはふと思った。
 どうしてこんなことになっちゃったんだろう?
13.多分、人生で一番長い一日の始まり

 最初にその男のひとの存在に気が付いたのは、自転車置き場でカギをポケットから取り出したところだった。
 日差しがあついくらいなのに、そのひとは真っ黒いスーツと真っ黒のサングラスをかけて、わたしのほうをじっとみつめている。記憶をたどってみたけれど、まったく覚えがなかった。多分知らないひとだ。
 なにを言うでもなく、なにをするでもなく、ただわたしを見ているそのひとの無表情な顔に、なんだか背筋が寒くなったので、わたしは急いで自転車のかぎを外して、逃げるみたいにその場から立ち去った。
 自転車をこいで通りのカドを曲がるまでのあいだ、黒い視線がわたしの背中からはがれることはなかった。

 ちからいっぱいペダルを踏み込み、全力で道を駆けのぼる。わたしは急いでいた。わたしの目の周りには、昨日の涙のあとがくっきりと赤く残っていたけれど、それをなんとかするヒマも無かったくらい。
 寝坊してしまったのだ。
 なんていうドジだろう。今日は大事な日だっていうのに。きちんと目覚ましをかけてからふとんの用意をすればよかった。
 道が下り坂に変わった。遇神さんの隠れているほこらまで、あと少し。これならなんとか間に合いそう。
 約束の時間の5分前になったところで、ふと空を見上げたわたしは、空中にきんいろのきらきら光るものがちらほらと舞っているのに気付いた。それは前触れ。
 フェリシテさんがやってくるのだ。

 少しずつ、町の中が騒がしくなってきた。ドラゴン警報があたりで耳に痛いくらい鳴りひびいている。
 わたしはこうなることがわかっていたので、少しだけ冷静でいられた。それでも、やっぱりこの音を聞くとぞっとしてしまうけれど。
 ほこらまであともう少し・・・というところで、道端にうずくまっている、5つくらいの女の子を見つけた。わたしは急いでいたので、ちょっと気にはなったけれど、女の子の横を通り過ぎようとする。
 すれ違ったところで、女の子と目が合った。
 ああ、この目をわたしは知ってる。何度も会ったことのある目。迷子の目だ。女の子は、お父さんお母さんとはぐれてしまったみたいだった。
 自転車を止めて、ふり返る。女の子が、じっとこっちを見ていた。涙がにじんで、うるうると揺れる女の子の瞳。
 わたしは迷った。これからわたしがしなくちゃいけないことは、人間とドラゴンの関係を変える可能性もある大事なしごと。
 でも。
 女の子の視線を、まっすぐに受け止める。わたしは、鈴比良市立ゆうぜん高等学校兵事部・歩兵科の、避難誘導隊員だ。そして、目の前にいる女の子は、そのわたしを待っている。
 いつだか、小次郎さんが言っていた。大きなことを成そうとする者は、大局を見据える目、小さな犠牲を省みない勇気と、罪悪感に耐えるタフな精神力が必要だ。
 どうしよう。どうしたらいいだろう。
 頭上で、ドラゴンとは思えない、フェリシテさんの細くて綺麗な鳴き声がこだました。
14.多分、人生で一番長い一日の終わりへの過程1

 ほこらに遇神さんはいなかった。
「・・・どうして・・・?」
 思わずつぶやきが漏れた。遇神さんの身体は、私の魔法薬無しでは動けないくらいに衰弱しているはずなのに。一人でどこかへ行けるわけが無いのに。
「どうして・・・っ!」
 泣きたくなってきた。わたしの選択は間違ってたんだろうか?女の子をほうっておくべきだった?
 思い切り頭を左右に振る。
 違う。遇神さんなら、きっとわたしは正しいことをしたと言ってくれるはずだ。
 目的のために小さななにかを犠牲にして、たとえそれで成功したとしても、わたしは平然とはしていられないだろう。遇神さんもきっと同じことを思ったはずだ。
 だからこそ、かの誇り高いドラゴンは、自分から人間の手にかかったのだから。それが誤解と知りつつも、憤りを人間に向けることもなく、遇神さんは人々の憎悪を一身に受け止めたのだから。
 泣いているわけには行かない。立ち上がって、もと来た道を戻り始める。
 わたしには、遇神さんの信念を最後まで見届ける義務があるんだから。

 金竜18号ことフェリシテさんの、町への柔らかな攻撃が始まった。羽衣みたいなふわりとした翼からまきちらされる金色のりんぷんが、彼女の武器。一見幻想的な光景を生み出すそれは、無機物を腐食させる毒を持っている。
 あちこちで建物が崩れはじめて、あたりには町の人たちの悲鳴がとびかっている。
 わたしは、今度はそれにかまっている暇は無かった。フェリシテさんが決して人を傷つけないのはわかっていたし、遇神さんを早く見つけなければならなかった。
 フェリシテさんは今、無差別な攻撃を装いながら、町の人たちを一箇所に集めようとしている。
 そして。集まった人々の前で、さっそうと現れた偶神さんが、命を捨てて皆を救ってみせるのだ。
 その姿に打たれたフェリシテさんは、攻撃をやめ、町の人々へ和解を申し込み、さらにドラゴンたちとの和平協定の仲介役を申し出る。
 凶暴でただ人々を攻撃するだけのドラゴンのイメージを払拭して、彼らが知的な生き物であるということを教え、人間のほうからドラゴンたちへと歩み寄らせる。そういう筋書きなのだ。
 ドラゴンたちが人間を攻撃するのにはきちんとした理由がある。それをフェリシテさんが皆に訴える機会を作るための、大芝居だった。
 その先はどうなるかわからない。けれど、上手くいけば。鈴比良市は、人間とドラゴンの架け橋になるはず。
 そのはず、だった。
15.多分、人生で一番長い一日の終わりへの過程2

 フェリシテさんが町の人たちを誘導した先は、ゆうぜん高校のグラウンドだった。それは初めから、フェリシテさん、偶神さん、それにわたしの間で話し合って決めておいたことだ。
 けれど、今、グラウンドに広がっている光景は。
 わたしたちの誰もが、想像しなかった光景だった。
「・・・なにこれ・・・」
 わたしの目の前に立ちそびえているのは、グラウンドの真ん中に突き立った巨大な杭と、四肢にくさびを打たれ張り付けにされている、偶神さんの姿。
 頭上には、たぶんわたしと同じ思いで偶神さんの変わり果てた姿を見つめている、フェリシテさんが羽ばたいていた。
 遇神さんが、重たげに口を開く。まだ生きている。
 何を言っているかはわからない。
「しゃべっちゃ、ダメっ!」
 思わず叫んだ。まわりを取り囲んだ町の人たちが、一斉にわたしのほうを振りかえる。その中には、とら子ちゃん、ヨシズミ君、ナカムラ先生やカレーさん。大砲さんや小次郎さんなど、知っているひとがたくさんいたけれど、わたしには気にしている余裕が無かった。
「・・・やはり、そうだったようだね」
 背後から突然かけられた声に振りかえると、そこには、真っ黒いスーツに真っ黒なサングラスをかけた男のひとが、無表情な顔で立っていた。
「黒防省・ドラゴン対策情報室の者だ。千葉 休くん。キミを、国家反逆罪の容疑で逮捕する」
 名乗られて思い至った。わたしは、つけられていたのだ。彼をほこらの前まで案内してしまったのだ。
「待ってっ・・・ください。これが、これがうまくいったら・・・ドラゴンたちは、わたしたちは、きっと」
 上手く言葉が出てこない。代わりに、目の前が涙でにじんだ。
 ここまで来たのに。やっとここまでこぎつけたのに。遇神さんの身体がやっと動くまでに治療して。フランスと鈴比良市をまたいで、念入りに計画を相談して。
 アンドロイドみたいな、けれど彼女たちとは絶対に違う無表情な顔が、わたしを見据えている。
「キミがフランス留学をしていたときからの行動を、我々は常に監視してきた。向こうの同胞が、キミのドラゴンとの接触を報告してきてね。人の尊厳を忘れ、天敵たるドラゴンと交流を持ったキミの行動は、国家に対する侮辱だ。よって、黒防省特別権限により、キミを連行する。・・・さぁ、こっちへ来たまえ」
 黒スーツの男が、わたしに向かって手を差し伸べた。そのしぐさはゆっくりとしていたけど、手にはめた黒い手袋が、絶対的な威圧感を発している。
 どうしよう。どうしよう。フェリシテさんを振りかえる。彼女は悲しげな瞳でこちらを凝視している。まわりを見回すと、知っている顔に浮かんだ疑いのまなざしが、わたしに突き刺さる。偶神さんは、もうぴくりとも動かない。死んじゃった?死んでしまった?
 自分の口から、今まで出したことも無いような低いうめきみたいな声が漏れているのに気付く。
 すこし後ずさってから。
 偶神さんのほうへ、わたしは走った。
 何をしようとしたわけでもなく。
 何を考えていたわけでもなく。
「・・・愚かな娘だ」
 火薬が破裂するかわいた音の後に、背中とお腹に同時に熱さを感じて、わたしは前のめりに転んだ。
16.多分、人生で一番長い一日の終わりの続き

 ふと気が付くと、わたしは地面にうつぶせに横たわっていた。
 なんだか、お腹のあたりに熱いものを感じる。からだもうまく動かせない。頭がぼおっとしている。
 なんとか身体を転がして仰向けになり、ゆっくりと腕を動かしてお腹に触れてみると、ぬるりとした感触のものに指先が触れた。
 ばたばたという足音が近づいてきて、誰かがわたしの背中に腕をさしこみ、からだを起こしてくれた。おかげで、わたしのお腹のあたりを覆っているぬるりとしたものが、真っ赤な血であることがわかった。
 あたまの上から、誰かがなにかさけんでいる。その声がとら子ちゃんのものであることに気付いたとき、わたしはふと思った。
 どうしてこんなことになっちゃったんだろう?
「Help!休が死んじゃウ!」
 とら子ちゃんの悲痛な声が、耳のすぐ近くで響く。とら子ちゃんのこんなに慌てた声は初めて聞いた。わたしは、とら子ちゃんが普通の女の子になったみたいで、なんだか嬉しくなった。
「・・・笑ってるぜ、休ちゃん・・・」
 カレーさんが、いつもの笑顔とは違うくしゃくしゃ顔で、こちらを覗きこんでいる。その横には、大砲さんとナカムラ先生。あ、スコップ先生も。
 遠くから、ヨシズミ君のうなるような声と、小次郎さんの怒声が交じり合って聞こえてくる。ヨシズミ君、また暴走しちゃったのかな。心配かけちゃったかな。
 横になったまま、空を見上げる。天に向かってそびえる杭に張り付けられている偶神さんの、緑色の大きな身体が見える。垂れ下がった頭の落ち窪んだ目の中に、生気は感じられない。ごめんね、遇神さん。わたしが、バカだった。巻き込んじゃったね。どうしてこんなこと、思いついたんだろう。ドラゴンと人間が仲良くなれるなんて。人間にそんな余裕が無いことに、生きることに精一杯なことに、どうして気付かなかったんだろう。わたしの幼稚な計画のせいで、遇神さんは死んでしまった。
 目を、閉じた。
 意識が遠くなる。みんなが遠ざかっていく。
 いろんな人を振り回したわたしには、当然のことだと思った。一人で苦しんで、一人で消えていくのがお似合いだと思った。
 深く。深く。静かに。沈んでいく。

 わたしは今、目を閉じているんじゃ無かっただろうか?
 光が、見えた。
17.ヒカリ

「・・・ぜ、あなたがここに・・・?」
 黒スーツの男の声だ。喧騒に混じって、いやにはっきりと聞こえる。
 身体に感覚が戻っている。手足も動く。
 目を開けた。
「休!」
 目の前に、とら子ちゃんがいた。彼女はいつもの無表情だったけれど、その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
 戸惑いながら、身体を起こす。背中とお腹に熱さはもう感じなかった。
 あたりを取り囲む町の人たちのざわめきを、ものともせずに届く柔らかな声が、わたしの耳をくすぐる。
「私の力ってば、この時のためだったのね。さ、休。もう立てるでしょ?立って、いつもの笑顔を私に見せて!」
「ヒカリ、ちゃん・・・?」
 わたしを囲んでいる皆の輪の外、黒スーツの男との間に、ヒカリちゃんは堂々と立っていた。彼女のあけっぴろげな笑みはいつもと何も変わらなかったけれど。
 発光体質のはずの彼女の身体が、光を喪っていた。
「ヒカリちゃん、どうして・・・その身体?」
 呆然としたわたしの表情がおかしかったのか、ヒカリちゃんはくすりと笑った。
「いつも思ってたの。私のこの身体は、何のためにあるんだろうって。今がそのときだったのね。あなたを救うことが、私の役目だったの。役目を終えれば、もう必要の無いものだから。だから、消えたのよ、きっとね」
 事も無げに彼女は、いつもの明快さでそう言った。光を喪った今でも、彼女の言葉は力強くて、疑う余地なんてすこしも無かったのだ。
「そんな、馬鹿な!?その娘は、罪人なんですよ!?我々の手によって裁かれなければならないんだ!それを、なぜあなたが・・・!?あなたが救うべきは、我々なんだ!それを・・・!」
 さっきまでの無表情とは打って変わって錯乱した様子の黒スーツの男は、ヒカリちゃんを以前から知っているようだった。ヒカリちゃんは、静かな口調で男に返す。
「傲慢なあなたたちのその態度が、人間とドラゴンの可能性を今まで狭めてきたとどうして気付かないの?ちょっとしたすれ違いで始まったちょっとしたいさかいを、あなたたちがここまで大きな禍根に育ててしまったのよ。だから、私は自分の力をあなたたちに利用されるわけには行かなかった。そのときが来るまで・・・今という時が来るまで、身を隠すことにしたの。それが、黒防省・形而現象監視室室長の娘としての役目だと思ったから」
 聞き慣れない、長たらしい単語だったが、ヒカリちゃんはつまづくこともなくそれを口にした。
「あなたの父親の意向は・・・!どうなります!あなたは彼の切り札で、我々の希望の光だった・・・!」
「ちょっと娘が変わった体質だからってことで出世した人なんて、関係ないわ。私は私。自分の信じたことに自分の力を使うの、当然でしょ?」
 きっぱりと言い放った。黒スーツの男は、絶望した様子で、がっくりと膝を落とす。ヒカリちゃんはそれを見て、ちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべ、わたしに舌をちろりと見せた。
 突然、どっと歓声が沸き起こった。びっくりしてまわりを見回すと、町の人たちが私とヒカリちゃんのほうへ波のように押し寄せてくるところだった。
 とら子ちゃんが、わたしの胸にしがみついて泣いている。カレーさんはやっぱり顔をくしゃくしゃにして、しきりにうなずいている。ヨシズミ君が泣き笑いの表情でこっちへ駆けてくる。その後には小次郎さんも続いている。ナカムラ先生とスコップ先生が、肩を組んでよくわからない歌を合唱している。そのリズムに合わせて、大砲さんの祝砲が鳴り響いた。
 ヒカリちゃんは、わたしととら子ちゃんの肩に両腕を回して、にっこりと微笑んでいる。
「さぁ!私が出来ることは全部やったよ、休!それに、ドラゴンのお二人さんも!後はあなたたち次第よ?」
 その言葉に、わたしは天をあおいだ。突き抜けるような青い空に、緑と金色のドラゴンが、踊るように舞っていた。
「・・・遇神さんっ!」
 遇神さんは、力強く、優雅に空を泳いでいた。
「休や!全ては我々の思うとおりに運んだようだよ。さあ!これからが本番だ!」
「そうそう・・・ここからがあたしたちの出番!人とドラゴンの未来のために!」
 初めて口を開いたフェリシテさんが、全ての町の人々を激励するように、虹色のりんぷんを振りまいた。それは、建物を倒壊させる金色のそれとは違い、雪のようにひらひらと舞い降り、氷のように太陽の光を反射して、人々を幻想の世界へと包み込んだ。
 そこに、ドラゴンを恐怖するものはもはや存在しなかった。ヒカリちゃんの起こした奇跡が、人々の心からそれを取り払っていた。
「さあ、休や!」
「休!」
「休ちゃん!」
「ほら、休!」
 わたしは、立ち上がった。これまでの自分に報いるため。これからの全ての人とドラゴンのため。
「・・・うんっ」
 ヒカリちゃんのくれた力が、わたしのなかに満ちている。
「うんっ!」
 歴史的な、非公式人竜和平会談の始まりだった。
18.翼は金色の空高く

 鈴比良市の夕焼けは、数年前とちっとも変わらなかった。
 たぶん、わたしの人生の中でも一番長く感じられただろうあの日から、わたしは世界中を飛び回る生活を送っているけれど、それでも、暇があればここに戻ってくる。わたしにとってこの町はふるさとで、出発点で。家も母校も友達も大切な人たちもみんなみんなみんな、ここにあるから。
 人もドラゴンも、まだまだ簡単に昔を忘れることはできないでいる。それでも、この町を中心に、徐々にわたしの活動は実を結び、広がりつつある。
 比良山のふもとから眼下に臨む町並みは、沈む太陽の光を受けて、まるで黄金のように輝いている。わたしは自転車にまたがると、かばんから紙袋を取り出して、さらにその中からカレーパンを取り出した。
 これがあるから、頑張れるんだ。
 わたしはカレーパンを口にくわえると、自転車をこぎだした。勢いをつけて坂を下る。スピードに乗り、涼しい風が頬を撫ではじめたとき、地面を大きな影が覆った。
 空を見上げると、巨大な鉛色のドラゴンが、気持ちよさそうに天を滑空していた。わたしは思わず、身を乗り出して思いきり手を振る。
 自転車の前輪が小さな石に乗り上げ、揺れた拍子にくわえたパンのふちを噛み切ってしまい、わたしは慌てて手を伸ばして宙を舞うカレーパンをキャッチした。
 そんなわたしの様子を、鉛色のドラゴンは頭上から眺め、さも可笑しそうに口の端をつりあげると、一度大きく羽ばたいてから、スピードを上げ飛び去っていった。



「おやすみ、ドラゴン」 完

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