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小説倉庫コミュの(続)おやすみ、ドラゴン

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1.カミキリさん

「嬢ちゃん、ひどいナリだなぁ。どうだ、寄ってかねえか?」
 声をかけてきたのは、『散髪』と書かれた大きな看板を掲げたお店の軒先に置いてあるベンチに、どっかと腰掛けてたばこをふかしているおじさんだった。ちょっと偏屈そうな四角い顔をしたおじさんは、汚れて薄黒くなっているシャツとエプロンを着ていて、大中小さまざまな大きさの銀色に輝くハサミと、よく分からない散髪用具らしきものを、身体や腕・脚・頭に至るまで、身体中のあちこちに抜き身のままベルトでくくりつけていた。わたしは、おじさんをカミキリさんと呼ぶことにした。
 なんだか哀れむようなカミキリさんの視線を受けて、わたしは店先に置いてある大きな鏡の前に立ち、自分の格好を改めて眺めてみた。
 ・・・たしかにひどい。
 でかける直前に買った茶色い皮のコートはほこりでくすんでいて、あちこち擦り切れている。たっぷりしたクリーム色のハイネックのセーターは、裾がほつれてあらぬ方向へ毛糸が飛び出していた。お気に入りのチェック柄のスカートは、見る影もないくらい色あせてしまっていたし、白いスニーカーは灰色になっていた。
 小物や文房具、魔術用具なんかを入れている布製の手提げカバンは、最初は肩掛けカバンだったような気がする。
 鼻の上に乗せた読み書き用の小眼鏡は、手垢と小さなゴミでスモークがかかったように曇っている。どうりで、メモを取るときに目が疲れると思った。
 背中で緩く編んだ髪の毛も、よく見れば枝毛が一本二本三本四本五・・・大分痛んでいそうだ。
 なんだか急に気恥ずかしくなって、数メートル離れたお隣のコロッケ屋さんの看板に視線を泳がせていたら、女の子なら髪の手入れくらいちゃんとせんとなぁ。そう言っていかつい顔をくしゃりと歪ませると、カミキリさんはわたしをお店の中に招き入れてくれた。

 それほど大きくない田舎町の床屋さんだけあって、まだ日中だというのに、狭いお店の中には一人のお客さんもいなかった。
 わたしを奥から二番目の散髪台へ座らせると、カミキリさんは顔に似合わない優雅な仕草でわたしの胸元にふわりとエプロンを広げ、編んだ後ろ髪をほどいて髪を洗い始めた。シャンプーにまみれたわたしの髪をわしわしと揉みほぐすカミキリさんの手は、あんなに太い指からは想像できないほどに繊細で、気持ちが良かった。
「嬢ちゃん、おれはね。髪を触れば、そいつがどんな人間か、どんな人生を送ってきたか、すぐにわかっちまうんだよ」
 わたしの頭皮を柔らかくマッサージしながら、カミキリさんは唐突にそんなことを言った。
「人生・・・ですか?」
「ああそうさ。髪のくたびれ具合とか、シャンプーの香りとか。ちゃんと手入れしてるかどうか?とかね。髪ってのぁね、皆が思ってるより、ずっとおしゃべりなのさ」
 そう言われて、急にカミキリさんの手が自分の頭の中を探っているような気がして、なんだか緊張して身体がこわばってしまった。そんなわたしに、カミキリさんは、嬢ちゃんの髪はずいぶん苦労してきたみたいだなぁ、と言って、ニヤリと笑った。たしかに、最後にシャワーを浴びたのは五日くらい前だったような気がするけど、そんなに痛んでたのかなぁ・・・。
 お客さんが少ない理由をそれとなく聞いてみると、カミキリさんはふいに少し低い声で、そういう時代だからね、と言った。
「最近はさ、たまにお客さんが来ても、妙に疲れた顔しててね。髪もごわごわでさ。頭のことなんか、気にしてる余裕が無いんだろうなぁ・・・。おれもさ、やっぱり、元気な髪のほうがいじってて楽しいからさ。そういうお客さんのほうが、話だって弾むし・・・」
 嫌な時代だよ。ぼそりとつぶやいたカミキリさんは、その時だけ、なんだか疲れた顔をしていた。

 カミキリさんは、熱湯でシャンプーをすっかり洗い流した後、ドライヤーでわたしの髪を丹念に乾かして、元通りに編んでくれた。
 うーん、サッパリした。
 帰り際、カミキリさんはお店の前までわたしを見送ってくれた。まだ少しだけ湿っている髪が、風に吹かれて気持ちがいい。
 最後にカミキリさんは、こんなことを言った。
「嬢ちゃんの髪な。皆と同じように疲れちゃいるが、へこたれちゃいない。芯にはまだまだ元気が残ってるぜ。今時珍しいこった」
 お代はいいから。代わりに、その髪、大事にしなよ。と、逆にお店で使っているというシャンプーまでお土産に持たされてしまった。
 自分の髪のことなんてあんまり気にしたことはなかったけど、元気だと言われて悪い気はしない。わたしは、これからは最低でも二日おきにはシャワーを浴びよう。と決めた。

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2.ヤソウさん

「なに、そこら中に生えとるモンだからの。たんとお食べ」
 かすれ気味の声でそう言いながらヤソウさんが差し出してくれたお椀には、緑色に濁ってとろみのある液体がたっぷりと盛られている。野草スープ、だそうだ。よく見れば、沸き立つ湯気の中に、数束の草がちらほらと見え隠れしている。
 お椀を勧めてくれるヤソウさんのしわだらけの顔は、すごく嬉しそうだ。自慢の野草料理を人にふるまう機会というのは、そうそう無いらしい。確かに、ずっとこんな森の中にいたら、人と会うことなんて滅多にないだろうなぁ。
 わたしも、街を出てから四日ほど、味も薄くぱさぱさした携帯食料しか口にしていないから、ヤソウさんの申し出はとっても嬉しかった。
 もくもくと湯気のたつお椀を受け取って、そのスープの見た目にちょっぴり苦笑いもしつつ、騙されたと思って・・・というヤソウさんの言葉に後押しされながら、一口すすってみる。
「・・・・・・あ、おいひ、熱っ」
 ちょっと唇をやけどしたけれど、スープはその見た目と違って、とっても繊細で深い味がした。野草のほのかな苦味と、溶かした味噌の濃厚な甘み。それらをつなぎ合わせる、ほんの少しの塩気。形を残している草をハシで摘んで食べてみると、しゃきしゃきとした触感が心地よかった。
 こんな森の中で、こんなに美味しいものを食べられるとは思わなかった。嬉しくなったわたしは、急いでお椀の残りをからっぽにして、おかわりを注文した。あんまり急いだので、今度は舌をやけどしたけれど、もうあまり気にならなかった。
「ほっほ、そんなに喜んでもらえると、こっちも作った甲斐があるってもんさの」
 ヤソウさんは恰幅のある肩を揺らしながら笑い、先の結ってある立派なあごひげをしきりに撫でた。

 お腹もいっぱいになった頃、ヤソウさんは懐からパイプタバコを取り出し火をつけた。わたしは急いでかばんから鉛筆とメモ帳を取り出し、構える。
 やがてヤソウさんは、このあたりの森についてゆっくりと話し始めた。
「ありゃあ・・・いつ頃だったかの。もう六十年程も前だから・・・第一次ドラゴン禍の末期だったか。このあたりをの、一頭の火竜が襲ったんだよ」
 それは、歴史上最も多くのドラゴンが観測された時期のことだった。西からふわりと飛んできた一頭の赤いドラゴンが、このあたりにあった村を、炎の息で焼いたのだそうだ。村は全滅、住んでいた人たちも建物も、全部燃えて跡形も残らなかった。
「その村は、たいそう貧しいところでの。土が良くなかったんだろうなぁ、畑はあったが、作物なんぞこれっぽっちも採れんかった。わしゃあその頃、すぐ近くの街に住んでての。医者だったからの、村にゃあちょくちょく回診に行っとったのさ」
 村は貧しかったから、ヤソウさんに満足な治療代は払えない。それでもヤソウさんは、医者の一人もいない村のために何度も足を運んでは、病気に苦しんでいる人たちを診て回った。村の人たちとはとても仲が良かったし、信頼もされていた。
 だから、村が焼かれたとき、ヤソウさんはドラゴンを呪い、戦争を憎み、何もできなかった自分を責めた。
 ヤソウさんがくわえていたパイプタバコを唇から離すと、口から煙がもくもくとあふれ出る。
「・・・それから、一年くらい経った頃かの。行ってみたんだよ、村の跡にの。そうしたら、どうだ」
 一年前は焼け野原だったそこは、一面緑でおおわれていたんだそうだ。
「背の低い草ばかりだったがの。村の連中があれだけ頑張って、少しも報われなかった土地がの、そんなふうに変わっちまってての。わしゃあ、たまげたよ」
 それからまた一年が経つと、今度は木が生え始めた。さらに一年後には、緑はヤソウさんの背を越えるまでになった。その後も草木は順調に成長を続け、そのあまりの早さに、適度に数を間引かねばならないほどだった。
 六十年後、ここは森になった。
「以来、わしゃあずっとここにおる。ここにある草たちを食いながらの。なに、せっかく育ったんだ、ただ摘むだけじゃあ可哀相だしの」
 ほっほっ、とヤソウさんはそう言って笑い、野草スープを勧めてくれた。

 別れぎわ、ヤソウさんの言った言葉が、今もわたしの頭のなかをぐるぐると回っている。
「ドラゴンは人も家も家畜も一緒に焼いちまうが、やつら、土は殺さないんだよ。わしゃあ、それで分からなくなっちまった。なんだって人間とドラゴンは、戦争なんぞしとったんかの?一体、どっちが悪かったんだろうかの?」
 わたしにも、分からなかった。
3.馬車

 馬車の御者台に座っているにんじんさんは、なにげなく教えたわたしの名前を聞いて、目を丸くした。ああ、しまった、言うんじゃなかった。
 交差するように肩にかけている二つのかばんの中から、それぞれよく育ったにんじんを一本ずつ取り出すと、にんじんさんはそれを前方へ無造作に投げた。馬車につながれている二頭の馬がのそりと振り返り、にんじんを見事に口でキャッチする。にんじんさんの号令で、馬車は青空の下をごくゆっくりとしたスピードで進み始めた。
「千葉 休って、あの『おやすみ、ドラゴン』の?あの休ちゃん?」
 まだ二十代半ばくらいのにんじんさんは、好奇心たっぷりという感じでそう言った。目は小さい男の子みたいにきらきらと輝いている。
「えーあー、まぁ。はいそうです」
「ああ、やっぱり!」
 あの本のタイトルは、出版社のひとがわたしの名前とひっかけて付けたもので、なんだか響きが恥ずかしくて、他人からその言葉を聞くと妙にそわそわして居心地がわるい。それなりに、気に入ってはいるんだけど。
「へーぇ、すげぇなぁ、有名人じゃん!いやぁ、そんな人を乗せられるなんて、おれ感激」
 わたしの乾いた笑みにはお構いなしに、にんじんさんは屈託無く笑う。
「・・・ってことは、何?取材の旅の最中ってこと?あ、や、おれの言葉も本に載っちゃう?やっべ、何かいいこと言わないと!」
 急に慌てふためくにんじんさんの焦りようがおかしくて、わたしは思わずふきだしてしまった。悪いひとじゃないみたい。

 馬車は、横合いから吹く秋風を受けながら、ゆっくりゆっくり進んでいく。お客さんを乗せる荷台には幌がついているから、寒くはなかった。
 にんじんさんは、わたしの本を一通り読んでくれているみたいで、わたしのほうが忘れているような小さなエピソードを覚えていたりして、びっくりした。
「なるほど、休ちゃんのエッセイは、こういう地道な取材活動に基づくものだったってわけね。感心しちゃったよ、おれ」
 思いがけず褒められて、わたしはちょっと照れくさくなった。ただ、旅先で出会った人たちのお話を書き留めて、それをまとめてるっていうだけなんだけど。でも、こんなふうに読んでくれているひとがいるのは、すごく嬉しい。
「でもさ、休ちゃん。休ちゃんの本によるとさ、ほら、色んなとこで嫌な目にも会ってるじゃん?こんな時代だしさ、心が荒んでる人、余裕の無い人、結構いるんだよね。何度もそういう人、乗せてるからさ。休ちゃんはさ、取材してて、辛くなったりすること、ないのかい?」
 ふと、それまで陽気だったにんじんさんの表情が、少しだけ暗くなった。どうやら本気で心配してくれてるみたい。
 確かに、旅先で出会う人たちには、本当に色んな人がいる。嫌な思いをすることもある。泣いてしまうことだってある。わたし、ほんとはけっこう泣き虫なんだ。
 でも。
「嫌なことも、楽しいことも、そういうのも全部、この世界の欠片の一つだって。わたし、思うんです。どれが欠けても、世界が世界でなくなっちゃうんです。わたし、そんな欠片たちのことを、知ってもらいたいと思って。世界中の人たちに。だから、わたしは旅して・・・るわけで。そのですね、旅が・・・」
 途中で、自分がなんだかクサい台詞を言ってることに気づいて、しどろもどろになってしまった。つい、本を書くときみたいな感覚で喋っちゃった・・・うー、恥ずかしい。
 にんじんさんは、ひどくびっくりした顔でわたしの目をじいっと見つめていたけれど。
 やがて、さっきまでの陽気な笑顔に戻って、そっか。と一言だけ言った。

 美都瀬(みとせ)町の入り口で馬車を降りたわたしに、にんじんさんは右のかばんからにんじんを一本取り出すと、いくらか丁寧にそれを投げてくれた。馬車を引く馬たちほど器用にではないけれど、わたしはそれを空中でキャッチした。
「ありがとうー」
 わたしに向かってにっこりと笑うと、にんじんさんは左右のかばんからにんじんを取り出して、馬たちへ投げた。ぶんぶんと手を振るにんじんさんを乗せて、再び馬車は、街道をゆっくり、ゆっくり進んでいく。
 わたしはそれを見送ってから、手の中のにんじんをひとかじりしてみた。
 にんじんは、とても甘くて元気な味がした。
4.無垢ちゃん

 ヨーロッパ様式の背の低い建物が連なる美都瀬町の町並みは、わたしの地元に良く似ていて、なんだか親近感を覚えた。といっても、わたしの家があるのは港町で、ここは山あいの大きな湖に沿うように広がる、旅人たちの中継点。二つの町は、似ているようでよく見ると実はいろんな違いがあって、その違いがわたしにはとても新鮮だった。
 町の人に教えてもらったホテルは、小さいけれど、古めかしくてとってもお洒落な外観で、わたしはすっかり気に入ってしまった。
 ホテルの入り口に置いてある長いすには、一人のAD戦闘型アンドロイドが腰掛けていて、なにやら手のひらサイズの文庫本を読みふけっている。タンクトップにジーンズだけというラフな格好で、短めの黒髪が綺麗な、知的な印象を受ける女の子だ。わたしの親友にも、アンドロイドの女の子がいる。そのこともあってか、わたしは興味を引かれたので、話しかけてみることにした。
「こんにちはー。何読んでるんですかー?」
 アンドロイドの女の子は物憂げに顔を上げてわたしを見ると、黙って本の背表紙を見せてくれた。
 『おやすみ、ドラゴン』だった。わたしは少しばかり眩暈を感じたけれど、別にわたしの本だと彼女が知っているわけではないので、ひとまず黙っていることにした。
「・・・you want お泊り?今ナラ、room is kept.ダヨ」
 彼女は歌うような綺麗な声で、無表情にそう教えてくれた。アンドロイド特有の並列圧縮言語は、地元にいる親友を思い出させてくれて、なんだか懐かしく思えた。
「うん、ありがとう。でも、その前にちょっとだけー。わたしとお話。しません?」
 わたしがそう言うと、女の子は目をぱちくりさせ、しばし怪訝そうにわたしの顔を眺めていた。

 女の子の名前は、無垢ちゃん、というらしい。アンドロイドの製造者が付ける名前にしては、なんだかシンプルで詩的で、とっても素敵な名前だとわたしは思った。思ったついでにそのことを伝えてみると、無垢ちゃんは少し照れた様子でうつむいた。アンドロイドには表情を変える機能が無いので、見た目にはやっぱり無表情だったけれど。
 無垢ちゃんは、このホテルで用心棒のような仕事をしているんだそうだ。戦後の不安定な時期だから、お客さんのなかには、けっこう物騒な人もいるらしい。
「war endedしちゃったら、ワタシらno‐required。それッテとってもpainful、切ないネ。だカラ、こーいうWORK、大・歓・迎。向いテルし」
 そう言う無垢ちゃんの口調は、少しだけ自嘲気味だ。
 戦争が終わって、戦うために産み出された彼女たちは、その目的の半ばを失ってしまった。中には、自分から機関を止めて機能停止してしまったアンドロイドもいたと、どこかで聞いた。
 でも、わたしはそんなの、認めたくない。彼女たちがいらない存在になってしまったなんて。そんなの間違ってると思う。どんな産まれ方をしたって、彼女たちは生きているんだから。わたしたちと何にも変わらない。ちょっと言葉が分かりにくいのと、人間には無いすごい力を持ってるだけで。
 だからわたしは、わたしの親友や無垢ちゃんのように、こんな時代でも挫けずに頑張っている戦闘アンドロイドを見ると、ついつい応援したくなってしまうのだ。
「人の役割って、できることって、一つだけじゃないって。わたし、思うんだ。だから、わたしも、無垢ちゃんも、諦めないで頑張ろうね」
 わたしがそう言うと、無垢ちゃんは再び怪訝そうな顔でわたしを見たけれど、その後、少しだけ微笑んでくれた。ような気がした。

 フロントのおじさんは気さくな人で、一泊したいと伝えると、快くわたしに部屋の鍵を出してくれた。
 宿帳に必要なことを書き込んでいると、後ろから本を読み終えた無垢ちゃんがやってきた。振り返ったわたしにひらひらと手を振ると、無垢ちゃんはカウンターに本を無造作に置き、何気なくわたしの書き込んでいる宿帳を覗き込む。
「・・・Ahぁーーーーーー!?」
 突然叫んだ無垢ちゃんに驚き、フロントのおじさんと共に派手に仰け反ったわたしは、何か重大な失敗でもしたかと宿帳に目を戻してみる。そこには、あ。わたしの名前。
 そういえばまだ、教えてなかった。

 その日の夜は、無垢ちゃんの質問攻めのおかげで、良く眠れなかった。けれどその代わり、わたしと無垢ちゃんはとても仲の良い友達になることができた。
5.魔法とカエル

 無垢ちゃんの教えてくれたお店は、町の中心を貫くように走るメインストリートから、ちょっと外れたところにあった。木製の板に蔦が幾重にも絡まっている丸い看板の、雑貨、というぶっきらぼうな文字の横には、コミックタッチの可愛らしいカエルが躍っている。
 簡素な木造りの扉を押すと、上部に取り付けられている鈴が、心地よい音色を奏でた。
「よう、いらっしゃい、いらっしゃい」
 子供のような、けれどちょっとだけしわがれた不思議な声のほうへ顔を向ける。これもまた古めかしい木造りのカウンターの上で、一匹のカエルが元気に飛び跳ねていた。奥の大きな安楽椅子には、まるで熊みたいに恰幅のいいおばさんが腰掛けていて、ちょっといかめしい顔でこちらを見ている。おばさんの両目の下には、黒々としたクマが。なんだかちょっと、不健康そうな人だ。
 わたしは、おばさんをクマさん。跳ねているカエルをカエルさんと呼ぶことにした。
「・・・何をお探し?」
 クマさんが、顔に似合わない柔らかい声でわたしに聞いた。続けてカエルさんも。
「お探し?お探し?」
「あ、えと、ポーション用の薬液と・・・レッドベリーを少し」
「・・・へぇ、あんた、魔法使い?」
 クマさんは椅子から立ち上がると、手近に会った小さな木箱の中を物色しつつ、カエルさんにあごで合図した。カエルさんは嬉々としてカウンターの上を走り出した。あっという間に隣の陳列棚へ飛び移り、よじ登り始める。
「えとー、まぁ、趣味というか副業というか・・・。あ、それと、そこのペンタクル用の木版も何枚か」
 カエルさんは、所狭しといろんな品物が並べられている陳列棚を一段一段器用に登り、やがて薬液の置いてある棚へとたどりついた。あ、大丈夫かな。はらはらするわたしをよそに、カエルさんは、自分の身体よりも大きな、無色透明の液体がなみなみと入っている薬びんを軽々と持ち上げ、ひょいっと飛び降りた。難なくカウンターへ着地すると、危なげない足取りでわたしの目の前へやってきて薬びんを置いてくれ、わたしに向かってウィンクをひとつ。
「近頃はあんまり、こういうもの買いにくるお客さんもいなくってね。最近は、学校じゃ教えないのかい?魔法」
「ないのか?ないのか?魔法」
「いえー。ちゃんとありますよー。魔法」
 自慢じゃないけれど、魔法学は、学生のころ一番得意な授業だったのだ。・・・まぁ、他の科目はからっきしだったけれど。
 確かに、最近は日常的に魔法を使ってる人って、あんまりいないのかもしれない。科学が進歩するにつれて、魔法の必要性が薄れてきたという話は、良く聞くし。
「なんだね、時代の流れってやつかねぇ。そういや、この店も最初は、魔術用具専門店だったっけ」
「だったな、だったな」
 袋に包んだレッドベリーと三枚の木版をカウンターにことりと置きつつ、何だかちょっと寂しそうに言うクマさん。彼女の気持ちを察したのか、そうじゃないのか、カエルさんはやっぱり元気に飛び跳ねている。
 かくいうわたしも、魔法がすたれていってしまうのは、寂しい。学生時代に一番熱心に勉強した分野だし。何せ、そのために、フランスへ留学までしたことだってあるんだから。
 科学ではできないような、とても素敵なことが、魔法にだってきっとあるはず。
「お嬢ちゃんは続けとくれよ、魔法。アタシみたいな年寄りがやるより、あんたのような若い娘のほうが、ずっと絵になるってもんさね」
「絵になる、絵になるー」
 二人してそんなことを言うので、わたしは思わずにまりと笑い、はぁい、と答えた。

 帰り際、クマさんは椅子に腰掛けながら、
「あぁ、お嬢ちゃん。魔法もいいけど、そればっかりじゃあダメだよ。なんでも凝りすぎると良いことにゃならないからね。こんなふうになっちまうよ?」
 と、クマさんは初めて悪戯っぽく微笑みながら、目の下のクマを両手の人差し指で指した。
 うーん、それはちょっと困るなぁ・・・。
 勉強するのも程ほどにしたほうがいいのかなぁ。複雑な気分になりつつ、お礼を言って、わたしはお店を出た。
6.ショーゴさん

「いやァ、助かったよ、お嬢ちゃん」
 岩肌に背中をもたれさせたショーゴさんはそう言って、口元を緩く歪ませた。その傍らには、傷だらけで年季の入ったギターケースと、真鍮製の綺麗な杖。色の濃いサングラスの内側では、きっと彼の両眼も微笑んでいるのだろうけど、真っ黒なレンズに阻まれて見ることはできない。
 美都瀬から連なる山の中腹あたり。このあたりは人通りもほとんど無いようで、ケガをして立ち往生していたショーゴさんの元をわたしが通りがかったのは、とても幸運なことだった。
「えと、ちょっと失礼しますねー」
 ショーゴさんのケガは、足首の捻挫と、転んだときの膝の傷。わたしはショーゴさんのズボンを膝の上までめくると、ケガの部分へゆっくりとポーションを垂らした。さっそくこれが役に立って、ちょっと嬉しい。
「魔法使いが通りがかってくれるたァね、俺もまだまだ、運に見放されたわけじゃァないらしいや」
 屈託無く笑うショーゴさんの膝と足首を清潔な布で拭ってから、逸る気持ちを抑えつつ、真っ白な包帯をくるくると巻いた。
 わたしは、ショーゴさんのことを以前から知っていた。といっても、会ったことはない。
 一度だけ、雑誌で読んだことがある。町から町へ旅をしては、そこにいる人たちにギターを弾き語る、盲目のギタリストの記事だった。
 ショーゴさんは、十年ほど前までとある有名なバンドに所属していたそうだ。わたしはあまり音楽を聴かないので、良く知らないのだけど。世の中の嫌な部分とか悲しい部分とかを、激しい曲にのせて歌うバンド・・・だったかな?
 ともかく、そんな人気バンドのギタリストだったショーゴさんだけど。あるとき、バンドの公演中に、ドラゴンが襲った。ドラゴンは光竜で、観客やバンドのメンバー、それにショーゴさんの目を熱線で焼いた。
 運良く生き残ったショーゴさんはその数年の後、旅する盲目のギタリストになった。激しい曲は優しく柔らかい曲に、厭世的な歌詞は愛情や世界の素晴らしさを歌うものになった。
 わたしは、ずっとショーゴさんと話をしてみたいと思っていた。

「そりゃァ・・・あれだよ。妻の影響ってヤツさ」
 照れくさそうに鼻の頭をかきつつ、ショーゴさんは話してくれた。
「仲間も視力も失くしちまって、俺はしばらく、呑んだくれる生活を送ってたのさ。ドラゴンを呪いながら、なんでこんなことになっちまったんだ、なんで俺だけ・・・ってね。生きる気力ってやつすら、ドラゴンに焼かれちまってたのかもしれねェな」
 当時のことを思い出すショーゴさんの横顔は、けれど意外なほど明るくて、わたしはなんだか戸惑ってしまった。だって、ショーゴさんは、なんていうかすごく大人の表情で、カッコいい。
「真冬のあるとき、いつものように酔っ払って雪の積もった路上でブッ倒れてたら、声が聞こえたんだ。女の声さ。すんげェ優しい、天使みたいな声だ。俺はもう眠くて、そのまま眠っちまいたい、そのまま死んじまっても構わない、なんて思ってたんだけどな。その声が、言うんだよ。あなたはこんなところで死ぬ人じゃない。そんなに簡単に生きることを諦めちゃいけない。皆、小さな子供たちですら、生きる努力を捨てないで一生懸命生きているんだから、ってな。それから、なんだか大勢の声が聞こえてきて、身体が浮き上がるような感覚を覚えて・・・気が付いたら、俺はあったけェベッドの上で、だらしない格好で寝こけてたよ」
 そこは、孤児院だった。ドラゴンの攻撃によって親を失った子供たちが、寄り合いながら暮らす家。そして、天使の声の正体は、孤児院を一人で切り盛りする少女だった。
「彼女も、両親を失った一人でね。自分も片足をやられて、歩くのがやっとだっていうのに、その働きぶりったら・・・ま、色々とドジもやってたけどね。彼女は、自分を呪うこともなく、ドラゴンを憎むことも無く、ただ子供たちの中で一番年上だってだけで、一人で全員の面倒を見ることを買って出たのさ」
 ショーゴさんは、自分を恥じた。親身になって自分を介抱してくれる彼女は、聞けば自分より七つも年下。そんな少女が、現状に絶望せず、力いっぱい生き抜こうとしている事実。
 ショーゴさんは、孤児院に身を寄せ、彼女の手助けをすることにした。
「彼女が目になって、俺が足になる。彼女が料理を作り、俺は食事する子供たちに歌を歌って聞かせた。最初はバンドの曲を聞かせようと思ったんだが、彼女に止められたよ。そんな、世の中の全てを呪うような曲を子供たちに聞かせないでくれ、もっと人の優しさがわかるような歌はないのか、ってね。俺は、その孤児院で感じたこと、どうにもあったかい気持ちを、即興で歌にして・・・」
 今思えばそれが、自分がはじめて歌った、前向きな歌だったんだ。口元に微笑を浮かべ、ショーゴさんは言った。
 その後、ショーゴさんは少女と結婚。彼女の手伝いをしつつ、子供たちへ自分の歌を聞かせ続けた。それまでは陰鬱な表情だった子供たちが、自分の歌で見る間に明るく変わっていく様を目の当たりにして、ショーゴさんは思い出した。
 自分の創り出す音楽には、力がある。
「世の中にゃ、俺と同じように絶望しちまって、生きるのを諦めちまってるヤツらが大勢いる。思ったのさ、そいつらに、俺の歌を聞かせてやったら?ってね。妻にそのことを話したら、彼女は笑ってこう答えてくれた。それはとてもいい考えね!って」

 ショーゴさんは治療のお礼にと、その歌声とギターの腕を披露してくれた。わたし一人のためだけに。
 彼の弾き鳴らす音は、思わず踊りだしそうになるほどに爽やかで明るく。彼の紡ぎ出す言葉は、全てを癒すかのように柔らかく包み込む。そんな印象を受けた。

 ショーゴさんはこれから、美都瀬町に向かうと言った。無垢ちゃんもホテルのフロントのおじさんも、クマさんもカエルさんも、みんなショーゴさんの歌声に揺られて、心地の良いひと時を過ごすだろう。
 ショーゴさんのような人は、もっと世の中の多くの人に知られるべきだ、とわたしは思った。そうすれば、世界はもっと優しくなれるのに。
7.レーダーさんと剣士さん

 池のほとりでキャンプを張っている、二人連れの男の人たちの向かいに横たわった木切れに腰掛けて、火に当たる。その夜は良く冷えて、木々を揺らめかせる炎の明かりを見かけたとき、わたしは思わずふらふらと寄って行ってしまったのだ。
「しかし……お嬢さんは、もう少し警戒心を持ったほうがいいね。もし私らが危ない人だったら、どうするんだい?」
 首の付け根にある発声器から発せられる、低くしわがれた声で心配してくれるのは、レーダーさん。頭の代わりに頭部に載っている、白いバナナみたいな形のレーダーが、常にゆっくりと回転している。彼は、AD型戦闘サイボーグだ。
「そうそう。お前さんみてぇに可愛い顔してっと、襲われたって文句は言えねぇぜ?」
 鈍く光る、身の丈よりも大きい刀を抱えた剣士さんが、茶目っ気たっぷりに片目をつむりながら、なんだか理不尽なことを言った。えーと、可愛いって言われたのは、まぁ、嬉しいんだけど……。
 レーダーさんは、あちこちを旅しては珍しいものを仕入れ、旅先でそれを売って暮らしている行商人。剣士さんは、その護衛なんだそうだ。
 わたしは正直、旅先で出会う人たちに警戒心を抱いたことは、あまり無かった。中には、ちょっとイヤな感じの人もいるにはいるけど、すごく悪い人には会ったことが無い。それより何より。
「お二人は、そのー悪い人には、見えませんでしたから」
 わたしが言うと、二人は笑った。
「お嬢さんの年で一人旅をしてるくらいだから、人を見る目はあるのかもしれないね。でもまぁ、用心するに越したことは無いさ……そうだ、何の話だったかな?」
 レーダーさんが火の中に枝を投げ込むと、炎がぱちぱちと音をたてた。赤い光が照りかえり、わたしたちの顔は明るく染まっている。
「ドラゴンだよ、ドラゴン。ヤツらのハナシだ」
 剣士さんの言葉に、わたしは思わず身を乗り出した。かばんから素早く紙とペンを取り出して、身構える。そんなわたしの様子を見て、二人……レーダーさんの表情は良く分からなかったけど、何だかきょとんとしているようだった。

 わたしがやってきたとき、二人は議論の真っ最中だったらしい。
 まずは先攻、剣士さん。
「ドラゴンてぇのはよ、そう、強すぎるんだよ。固体であんだけの力を持ってる生きモンが、他にいるか?ありゃもう、天災って言ってもいいだろう。大いなる自然の摂理ってヤツさ、人間にどうこうできるモンじゃない。自然ってのは気まぐれなモンだ、今は人竜和平なんて言ってるが、またヤツらが大挙して人を襲わないとどうして言える?所詮、自然なんてモンは、ちっぽけな人間が向き合えるほど小さかねぇんだよ。……けど、死にたかねぇし、まぁ人間もあがくわな。それが、数年前までの戦争だったってワケだ。台風とか洪水とかよ、ちっぽけな防波堤とか作って、自然に対して、人間はあがくだろ?それが、人間の自然との向き合い方ってヤツだろ?……だからな、何十年と続いた人間と竜の戦いに水を差したどこぞのアホウは、俺ぁ許せねぇんだよ。和平なんて、甘っちょろい考えで自然と向き合おうとしやがって。俺もお前もあの戦争で戦い、家族や仲間を失ったんだ、お前もそう思うだろ?」
 剣士さんが、懐かしむような目でレーダーさんにそう言った。二人はどうやら、戦友、というやつらしい。
 わたしは、ちょっと頬を引きつらせながら、動向を見守った。後攻、レーダーさん。
「……例えば、だ。目の前に犬がいたとしよう。飼い主に捨てられたか、あるいは元々野生のものだったのかは分からない。ともかくそいつは、ひどく汚れていて、そして腹を空かせていた。さてそんなとき、君らならどうする?何か手持ちの食料を分け与えるかね?ある者が言ったよ、クセになると自分でエサを取れなくなるから、人間の手で食わせちゃあいけない、とね。だが私は、そうは思わない。私なら、この干し肉の一かけらでもちぎって放ってやるね。このとき私の行為は、犬の目にはどう映るだろう?他の動物に襲われた手負いの兎と出くわしたり、木から落ちた鳥の雛を見つけるのと、違うように見えるだろうか?我々はたまたまここにいて、犬はたまたまここへ立ち寄っただけ。……そう、自然は気紛れさ。犬にとっては、その場で得た干し肉のかけらなど、森の中で見つけた新しい鹿の死体と変わりはしないんだよ。なぜなら、人間もまた、自然の一部だからね。……ドラゴンも自然の一部なら、人間もまた自然の一部。同じ土俵にいる者同士、優劣などありはしないよ。だが、人間と竜が他の自然の産物と異なる所は、意思の疎通ができるところさ。様々な生き物がひしめき合う土俵の中で、戦うばかりじゃなく折り合いをつけて生きていける可能性というのは、私は大事にすべきだと思うよ。その可能性は、過去を洗い流してなお素晴らしいものだと、私は思うんだよ」

 議論が終わると、二人は黙ってお互いのカップにお酒を注ぎあい、微笑みながら(レーダーさんはやっぱりよく分からなかったけど)飲み交わした。わたしも少しだけ自前のカップに注いでもらったけれど、何だか二人の間には入れない気がしたので、二人のそんな様子を、何となく良い気分で、ただ眺めていた。
 きっと二人の議論は、戦争中からずっと続いてきたもので、そしてこれからもずっと続いていくんだろう。二人には悪いと思ったけれど、わたしは何だか、その議論にいつまでも結論が出なければいいな、という気がした。
8.モノローグ

「お前さんらが、第二次ドラゴン禍と呼んでる時代のことだ。竜も人も、ただただゴミのように死んでいった時代さ。
 ある時わしは、一隻の大きな……わしより大きな飛甲空母と、ハエみたいな飛甲艇数機に追い回された。そう、ここらの山々のちょうど真上でな。雲の上の、澄んだ青い空が綺麗だったなぁ。
 その数機の中に、ヤツがいた。竜殺しの異名を持つハンター、『スカイウルフ』。ヤツの噂は、わしらの間にも良く聞こえててな。何十という同胞を屠った、凄腕の飛甲艇乗り。……まぁ、わしも同じくらい、人間の船を落としたがね。
 そもそも、わしはいつもと同じように、空を散歩してただけだったんだぜ。だがヤツらは、ドラゴンと見るや、まるで雨みたいに銃弾を飛ばしてきやがった。殺られる覚えが無いわけじゃないが、わしはいつだって、自分から殺したことは無かったんだ。いつだって、しかけてくるのはヤツらのほうだった。
 で、わしとヤツらは、大空中戦を繰り広げることに相成った、というわけだ。まずは、戦い慣れしてなさそうな、とろとろ飛んでる二機を氷柱で串刺しに……あぁ、見りゃ分かるかもしれんが、わしは氷竜でな。氷を固めて飛ばすのが得意技さ。で、何機かはすぐに落ちてったが、そこでヤツだ。『スカイウルフ』さ。ヤツはひょいひょいとわしの氷柱を避けると、わしが逃げるほうへ、逃げるほうへと追い込むように銃弾を撃ち込んできた。敵だったが、さすが噂になるような人間だ。たいした腕だったぜ。
 何度か、空中でヤツとすれ違ったとき、ヤツと目が合ったんだ。……あんな目は、初めてだったな。まだ人間としちゃ若いんだろうに、憎しみで真っ黒に染め上げられたような、ひどく濁った目だった。別に、わしでなくても良かったんだろう、全てのドラゴンを憎むような、そんな目だったよ。
 わしと『スカイウルフ』の戦いは、数時間も続いた。お互いに全てを出し切り、全力でぶつかりあった。高速ですれ違い様、銃弾が氷柱を砕き、氷の壁がヤツの銃弾を阻む。一瞬でも気を抜けば、殺られる。……ありゃあ、楽しかったな。ヤツとの戦いは。
 わしの体力、ヤツの船の燃料に残弾。双方消耗しきって、もう幾度も攻撃は仕掛けられん、そう思った時だ。ヤツが最後の銃弾を放った瞬間、体力の限界からかわしは意識が遠くなり、一瞬だったが、気を失った。ヤツはわしの意図を探り、その先を読んで攻撃してたんだろう。予期せぬところで失速し、急激に高度を落としたわしの身体に、銃弾は当たらなかった。代わりにそいつは、人間の飛甲空母のエンジンへと、吸い込まれるようにぶちこまれた。
 背後で、巨大な爆発が起こった。熱と衝撃がわしの背中にぶちあたり、わしはそれで、この通り……片翼を吹き飛ばされ、この山へと落ちた。
 ……以来わしは、ここでこうして、岩肌に情けなくも張り付いてるってワケさ」

「寂しくは、無いですか?」
 わたしは思わずそう聞いてみた。岩山はとても冷たく、見渡す限り果てしなく続いていて、こんなところにいたら、一夜で凍えてしまいそうだったから。
「寂しい?そりゃ、人間の作った言葉だな。ドラゴンは元々、単体で生きるもんだ」
 年老いた氷竜さんは、それでも力を失っていないようで、生気の溢れる声で言った。
「……それに。こんなわしにも、友人はいるんだぜ。見てみな」
 ふと気づくと、あたりを取り囲むように、キツネにサル、シカ、いのししなど、様々な動物たちがわたしたちの周りに集まってきていた。
 一匹の狼が、恭しく氷竜さんの前に進み出ると、くわえていた何かの死体を落とした。
「わ……」
「こいつらが、わしの相手をしてくれるのさ。こうやって、メシまで持ってきてくれる。嬢ちゃん。わしは、お前さんが思うほど、孤独も苦痛も感じちゃいないよ」
 動物たちが何を思って集まったのか、わたしには分かった気がした。自然界でも特に大きな力を持つ、ドラゴン。彼は、片方の翼をもがれても、その誇りをまったく失っていなかった。

 わたしの今回の旅の目的は、氷竜さんに会うためだったと言ってもいいくらいだ。故郷で、ドラゴンのお友達から氷竜さんのことを聞いたわたしは、ぜひ話を聞いてみたいと思い、道中での取材も兼ねて、ついここまで来てしまった。わたしは、彼に話を聞けて大満足だった。
 最後に、少し抑えた声で、氷竜さんは私に問いかけた。
「……嬢ちゃん。一つ、教えてほしいことがある。『スカイウルフ』は、あの後、どうなった?ヤツは味方の、人間の船を落とした。もちろんわざとじゃあない、戦いの最中の事故だったんだ。だが……人間の感覚は分からんが、きっとヤツは、同族に激しく罵られ、責められたんだろうな。嬢ちゃん、わしはこのとおり飛べなくなったが、こんなにもたくさんの友人がいる。わしは今、満たされているんだ。だがヤツは、大空を自由に翔ける翼を持っていながら、人間たちの間で孤立しちまったんじゃあないだろうか?」
 氷竜さんの目は、とても悲しげな光を放っている。
「……わしはもう、人間に対して何の感情も持ち合わせちゃいない。こうやって、嬢ちゃんに話をしたりもするくらいだ。『スカイウルフ』はわしの片翼を奪ったが、ヤツに対しても、今はもう何の憎しみも持っていないんだよ。ただ、思うのは……。わしの最後の空の記憶は、ヤツと大空を駆け巡った、あの身を切るような感覚なんだ。だからヤツには、今も空を飛んでいて欲しいんだよ。なぁ、嬢ちゃん。ヤツは、『スカイウルフ』は、今でもこの青い空の上を飛んでいるだろうか?」
 氷竜さんに真っ直ぐに見つめられて、わたしは戸惑った。わたしは、氷竜さんの問いに対する答えを知っている。けれど、口を開くことができなかった。
 わたしの表情から、わたしの考えをくみ取ったのだろうか。氷竜さんはしばし沈黙した後、ひとことだけ。
 もう行け。と言った。
9.お肉屋さん

 乗り合い馬車で一緒になったのは、鼻の下にちょび髭を生やし、背中に黒い弁髪を垂らした、宙国人のおじさんだった。おじさんは、頭に大きな看板のついたヘアバンドをつけていて、看板には「肉」の文字と、いろいろな動物の絵が描かれている。
「ほら、アタシの故郷、宙国じゃ、犬を食うでしょう。こっちじゃ一般的じゃないみたいですがね。赤犬っていやぁ、結構なご馳走なんですよ、アタシの国じゃね」
 何だか、耳に張り付くような、嫌な感触を覚える声だった。
 ごとごとと回る車輪の音と共に、幌の開け放たれた荷台から見える風景は、刻々と変わっていく。道の両脇には畑が広がっていて、行く先のはるか向こうには、緑色に染まった大きな山が見えた。真上にある日差しが、ちょっとだけ痛い。
 わたしは何だか、あまり人と話をしたい気分じゃなかったので、適当な相槌を打って流そうとしたけれど、お肉屋さんはそんなわたしに構わず、ねちっこい口調で話しかけてくる。
「世の中にゃ、これは食えない、食っちゃいけない、なんてぇ決まりが多すぎると思うんですよ、アタシゃね。何でも、食ってみりゃ食えないこたぁ無いんですよ。そりゃ、毒のあるモンとか、致命的に味のイケてないモンもたくさんありますがね。でもそんなのは、経験と腕を持ってすりゃあ、なんとかなるもんです。過去の世の偉大なる料理人たちは、そうやって自分の見識を広げてきたんですから」
 わたしはもう、寝たふりをしてしまおうかなとも思ったけれど、一方で、それは悪いんじゃないかな、という気もして、結局話を聞いてしまう。
「知ってますかい?アタシの国でもそうだが……今現在、世界中で、先の戦争によって親や肉親、友人、それに故郷を失い、さまよっている難民がどれだけいるのか。彼らにとっちゃ、その日の食糧にもありつけず、毎日知人が幾人もバタバタと死んでいくことすら、ごくありふれた日常だ。アタシらみたいにぬくぬくと暮らしてる人間とは、もう世界が違うと言ってもいい。そんな地獄みたいなとこで、彼らは暮らしてるんですよ。知ってますかい?お嬢ちゃん」
「……知ってます」
 一言だけ、応えた。
 そう、知っている。元々わたしが、ライターになってあちこちを取材して回り、世界の形を少しでもいろんな人に知らせたいと思ったのは、そうした難民の人たちの姿を、写真で見たからだった。動かない赤ん坊を抱いて空を見上げる女の人や、やせ細った子供の生々しい姿に、わたしは激しいショックを受けた。
 お肉屋さんが、どうしても嫌味に聞こえる口調で、言う。
「彼らが、今一番欲しているものは、何だと思います?お嬢ちゃん。自分らの暮らしを理不尽に奪った、竜どもの死体?違うなぁ。じゃあ神サマ仏サマの救いかね?それも違う。食糧ですよ。彼らが欲しているのは、食いモンだ。戦争は終わった、なんて伝えてみたところで、彼らの生活は何も変わりゃしない。今この瞬間、食う物が無きゃ、戦争の無い平和な世の中なんて、彼らにとっちゃ何の意味も成さないんですよ、分かりますか?お嬢ちゃん」
 わたしは、顔を伏せた。
 これ以上、この人の声を聞いていたくなかった。回る車輪の音に、意識を集中する。
「アタシはね、考えたんですよ。食糧っていったって、今じゃどこも疲弊してて、難民たちに分け与える余裕なんざありゃしない。じゃあ、どこから彼らを潤すだけの食糧を持ってくるか?考えたらね、その答えは、ごく近いところにあったんですよ。何だと思います?」
 少しだけ顔を上げる。そんなものがあるんだろうか?そんな都合の良いものが?
「何なんですか?それって……」
 しばしもったいぶってから、お肉屋さんは応えた。
「ドラゴン、ですよ。ドラゴンの肉」
 お肉屋さんはにやりと笑いながら、ヘアバンドの上に立っている看板を、指でとんとん、と叩いた。看板の中に描かれた動物の中には、確かに、デフォルメされた可愛らしいドラゴンの姿があった。
 突然、背中が寒くなったような気がした。
「ほら、ワニの肉は、鶏肉の味がするっていうでしょう。まぁ爬虫類も恐竜も一緒みたいなモンだろうし、そこから進化したヤツらなら、やっぱり同じような味がするんじゃないかね?アタシはそう考えましてね。きっとイケる。そう、落としたドラゴンの肉を、難民たちの食糧にするんですよ。あれだけの巨体だ、優に何百人、何千人て人間を賄って余りある量の肉が取れるはずだ。どうです、画期的でしょう?これね、一時期は軍隊のお偉方にも話が行ってたんですよ。ビッグ・ビジネスの予感だったんですけどねぇ。どっかの考え無しが、人竜和平なんてモンを成立させちまったもんだから、もう、この話はおシャカですよ。あーもったいない。もったいないなぁ、ほんと。あんなに食いでがありそうな生きモンを放っとくなんてさ……」
 わたしは、膝の間に顔を埋めて、両手で耳をふさいだ。
10.ホワイトボード

 広大な、何の潤いもない乾いた砂地の上に、いくつものテントが建っている。最初は真っ白だったんだろうけど、どのテントも、今は砂埃でひどく汚れていた。ぎらぎらと輝く太陽が、今日はこんなにも憎らしい。
 突然、近くにあった難民キャンプの一つを訪れてみようと思ったのは、あの乗り合い馬車で一緒になったお肉屋さんの影響だと、自分でも分かっていた。
 今までは、避けていたんだ。いざそこに立ち、どうしようもなく無力な自分に気づかされることを、わたしは恐れていたから。自分が今までしてきたことが全くの無駄であったと、はっきりと突きつけられるような気がしたから。
 キャンプの状態は、わたしが思っていたより、ずっとひどかった。そこらじゅうに、人が倒れている。息をしている人もいれば、していない人もいた。手足の一部が欠けている人もいる。わたしを見返す力の無い瞳は、その全てが白くぼんやりと濁っていた。わたしは、ちゃんと見ないといけないと自分に言い聞かせながらも、目をそむけずにはいられなかった。
 テントの脇で、わたしは少しだけ吐いた。
 重たい足を引きずって、あちこちを歩き回っていると、テントの一つの柱に寄りかかって座り込み、首から提げた大きなホワイトボードに、一生懸命何かを描いている男の子を見つけた。いつもならすぐに声をかけるのに、今日はなんだか気が引ける。後ろを向いて思いっきり走り出し、そのままこの場から立ち去ってしまいたい。
 わたしは男の子の横へ腰掛けると、ホワイトボードを覗き込みながら話しかけた。
「ねぇ……なに、描いてるの?」
 男の子の返事は、無い。男の子は、傍らに置いたラジオから伸びるコードの繋がれた、大きなヘッドホンで耳をふさいでいるけれど、ラジオには電源が入っていなかった。
 ホワイトボードには、大きな家と二人の大人、それに子供が描かれている。
 聞こえていないのかと思い、意識してお腹に力を入れて、少し大きな声を出す。
「ねぇ、なに、描いてるのっ?」
 男の子は少しだけ顔をしかめただけで、やっぱり返事をしてはくれなかった。聞こえてはいるのだろうか。話をしたくないだけかもしれない。
 わたしは、何とはなしに、ラジオの電源を入れてあげようと、手を伸ばしてみた。すると、今まで黙っていた男の子が急に声を上げて、乱暴にラジオをわたしから遠ざけた。何と言ったのかは、分からなかった。
 自分を睨みつける男の子を前に、わたしは呆然と座り込み、動けなくなる。
「……そのラジオとヘッドホンは、その子のお父さんが遺した唯一のものなの。もう壊れてしまっているけれど、ね」
 ふいに聞こえた声に後ろを振り向くと、杖をついた、片足の無い女の人が立っていた。わたしよりいくらか年上に見える、優しげに微笑んだ女の人は、とっても美人で、ほこりで頬が汚れていてもそうと分かるくらいだ。
 女の人は、男の子と同じようなホワイトボードを首に提げていて、脇に杖を挟んで身体を器用に固定し、ホワイトボードへペンで何か走り書きすると、男の子へ見せた。ホワイトボードには、
「ダメよ、そんな風に怒っちゃ。お姉ちゃん、驚いているわ。さ、一緒に謝りましょ?」
 女の人の傍らに駆け寄ると、男の子はわたしに向かって、ぺこりと頭を提げた。
「あ、その……わたし、別に、気にしてないから。大丈夫。わたしのほうこそ、あなたの宝物に勝手に触ろうとして、ごめんね」
 そう言ったわたしに、女の人は一つ微笑むと、首からホワイトボードを吊っている紐を外し、ペンと一緒に私へ手渡してくれた。
 わたしは、今言ったことと同じ言葉をホワイトボードに書きつけ、男の子に見せた。
 男の子は、にかっと笑った。

「両親が、ドラゴンの落とした雷で黒焦げになっていくのを……目の前で、あの子は見ていたの。一瞬も目をそらさずに。間近に落ちた雷の轟音……今も、離れたところで見てた私の耳にさえ、ずっと残ってる」
 テントの柱に寄りかかって座ったわたしとお姉さんは、テントとテントの間に開けた空間でボールを蹴って遊んでいる男の子を眺めながら、話をした。
「それ以来、あの子は、音を用いてのコミュニケーションが取ろうとしなくなったの。聞こえてはいるし、喋ることもできるはずなのに。どんなに声を枯らしても、あの子には伝わらないのよ」
 お姉さんは、首のホワイトボードを見つめながら、少しだけ疲れたように言った。
「あの子が反応するのは、このボードに文字を書いたときだけ。だから、わたしは常にこれを持ってるの」
 男の子は、ヘッドホンを頭に載せ、両手でラジオをしっかりと握り締めたまま、首に提げたホワイトボードを揺らしながら、一心にボールを追っている。一緒に遊ぶ子供達もまわりにはいなくて、男の子は一人っきりで遊んでいた。
「あなたは、あの子の、お姉さんなんですか?」
 わたしの問いに、お姉さんは首を振った。聞けば、お姉さんは男の子の家の近所に住んでいて、同じように家族をドラゴンの雷で亡くしたんだそうだ。二人の故郷は、ここからは大分離れた都会の街だったそうだけど、ドラゴンの攻撃で壊滅状態になり、受け入れてくれる場所を求めて移動する難民達について、お姉さんは男の子の手を引きながらここまでやってきたらしい。
「あの子もわたしも……もう、帰るところはどこにもない。そして、私たちを受け入れてくれるところも、たぶん……無いでしょうね。今は誰しも、疲れきっているから……」
 お姉さんは膝をぎゅっと抱きかかえると、ちょっと涙ぐんで、男の子のほうを眺めた。
「一体……どうなっちゃうんだろう、私たち……。あの子、まだあんなに小さいのよ。育ち盛りなのに、食べるものもロクに無くて、あんなにやせ細って……」
 何と言っていいか分からず、どうしていいか分からなくて、わたしはただ、顔をうつむかせることしかできなかった。
 やっぱりわたしは、無力だった。二人のためにできることなんて、何も無かった。
 どんなに記事を書いて、世界中の人たちに真実を伝えたって、二人に今必要なのは、食べ物なんだ。そのことに変わりは無いんだ。お肉屋さんは、正しいことを言っていた。
「……ふふ。分かっているの。分かっているのよ、あなたにこんなことを言っても、仕方の無いことだって。でも、言わずにはいられないの……」
 お姉さんは、ホワイトボードにペンを走らせると、杖を頼りに立ち上がった。
「ドラゴンさえ、いなければ。あんな生き物さえ、いなければ、って……」
 一緒に遊びましょう。そう書かれたホワイトボードを抱え、お姉さんは杖を突き、男の子のほうへと歩み寄っていった。
11.スカイウルフ

 渓流の流れに足を取られて、わたしは転んだ。転んだときに、岩場の石の一つに頭をぶつけて、わたしは気を失った。

 目がさめると、わたしは硬いベッドの上で、丁寧にかけられた布団の中に寝ていた。身体を起こすと、頭がずきんと痛む。手を添えてみると、包帯の巻かれた後頭部に、大きなこぶができていた。
 あたりを見回す。そこは、丸太を組み合わせて作られた、大きなログハウスのようだった。レンガを積んで作られた暖炉の中で、炎に炙られた生木がぱちぱちと音を立てている。
 壁には、一丁の猟銃がかけられていた。    
 電気製品が、一つも見当たらない。ここは、気を失う前に歩いていたあの山中のどこかなんだろうと、わたしは思った。
 ふと、鼻にいい匂いが飛び込んできた。匂いを頼りに視線を巡らせると、手製らしい、丸木で組まれたテーブルの上に、湯気のたつシチューを見つけた。見つけたとたん、わたしのお腹が、ぐーと音を奏でる。
 そういえば、この数日、何も口にしていなかったような気がする。何も食べる気がしなかったから。
 魅力的な香りの誘惑に耐え切れなくなり、布団をめくってベッドを降りたときだった。ログハウスのドアがおもむろに開かれて、一人のやせぎすな男の人が入ってきた。
 真っ白い、腰まで伸びた長い髪。落ち窪んだ目の奥の青い瞳が、ぎらぎらと光りながら、わたしを真っ直ぐにみつめている。
「え、あ、その……」
「食えよ。それはお前のだ」
 一言だけ、ぼそりと言うと、男の人は背負っていたかばんを床に置き、暖炉の側の安楽椅子に、わたしに背を向けふかぶかと腰をかけた。暖炉の上に置かれたコーヒーカップを手に取り、ゆっくりと啜る。
「あ、ありがとう、ございます……っ」
 そろそろ空腹の限界だったわたしは、挨拶もそこそこにテーブルにつくと、シチューを貪るように食べた。
 シチューは、死ぬほど、美味しかった。少しだけこぼれた涙を、袖でぐいと拭うと、わたしは食べることに没頭した。
 食べている間中、男の人は、わたしに背を向けたまま、黙ってコーヒーカップを揺らしていた。
 シチューを食べ終わると、わたしは、言った。
「ごちそうさまでしたっ」
「食ったら出て行け」
 冷たい口調。この人はずっと、ここで、一人で暮らしてきたのだろうか。外から訪れた人を、こんなふうに突き放して。
 わたしは、シチューを食べている間、ずっと気になっていたことを聞くことにした。
「あの……わたし、たぶん。あなたのこと、知ってます」
 長い髪の毛の間から見えた、男の人の顔。わたしは以前、その顔を写真で見たことがあった。
「スカイウルフ、さん……ですよね?」
 そう口にした、瞬間。男の人の身体が、一瞬目の前から消えたように見えたかと思うと、わたしはいつの間にか椅子から落ち、気づくと床の上に寝転がされていた。目の前に、二つの銀色の輪がある。
 壁にかけてあったはずの、猟銃の銃口だった。
「え、あ、いや、わたしっ」
「お前のことも知ってるぞ。千葉……休」
 倒れたわたしに猟銃を突きつけたスカイウルフさんは、ぞっとするような冷たい声で言うと、テーブルの上に乗っていた一冊の本を手に取り、わたしに投げてよこした。本は、『おやすみ、ドラゴン』だった。
「何をしにきた」
「あわ、わた、わたしはっ……たたただ、たまたまこの山を、通りがかっただけで……!帰り道なんです!鈴比良市へのっ!」
 背筋に冷たいものを感じ、わたしはぴくりとも動けず、ただ言い訳めいた言葉を羅列することしかできない。
 スカイウルフさんは、少しの間、思案げに眉を下ろしていたが、やがて、
「……記事にはしないと誓え」
 わたしはただただ、こくこくと人形のようにうなずいた。

「……そうか。あのドラゴン、まだ生きてたのか」
 たばこに火をつけてくわえると、安楽椅子に腰掛けたスカイウルフさんは、ゆっくり息を吐き出した。
「わたしは、あなたが……死んじゃったんだと思ってました。雑誌にも、そう書いてあったし」
「死んださ。空の英雄・スカイウルフは、死んだ。自らの手で共に戦った愛機を破壊し、火をつけ、墜落を装って体面も無しに逃げ出した時にな」
 スカイウルフさんは、わたしの背後を指差した。振り返ると、壁に、額に入った青い板が飾られている。わたしにも分かる。それは、スカイウルフさんの魂。共に空を駆けた、スカイウルフさんの愛機、飛甲艇の一部品だ。
「雑誌で読んだなら、知ってるだろう。俺が、俺のしでかしたことで、どんな目にあったかを。どんな仕打ちを受けたかを」
 鋭いスカイウルフさんの視線に、わたしはうなずく。
 何頭ものドラゴンを打ち倒して、空の英雄と呼ばれたスカイウルフさんは、ある時、味方の飛甲空母のエンジンを誤って撃ち抜いてしまい、軍事裁判にかけられた。それまでのスカイウルフさんの栄光は忘れ去られ、空母の乗組員の遺族たちや、それまで彼をもてはやしていた一般の人たちまでもが、スカイウルフさんを責め立て、味方殺しのレッテルを何重にも貼り付けた。
 それまでのスカイウルフさんの戦績は、それはもう輝かしいものとされていたから、罪はそれほど重くならずに、一年くらいの禁固刑で済んだ。けれど、世の人たちは、それだけじゃ良しとはしなかった。彼を、ひどい噂を流したり、嫌がらせをしたりして、徹底的に貶めた。
 それから何年か経った後に、スカイウルフさんは、愛機と一緒に山の中腹へ墜落して死んだと、大々的に報じられた。
「はっ……もろいもんさ、人間一人の人生なんてもんはな。一発の銃弾、たった一発だ。それが、俺の人生を粉々に撃ち砕いた」
 スカイウルフさんは、カップに入ったコーヒーを、一気にあおる。
「俺は、数え切れないほどのドラゴンを殺した。戦う意思のないヤツまで襲い、容赦なく地面に叩きつけたんだ。俺は、両親をドラゴンに殺された、志願兵の典型的なタイプってやつでな。サーカスの興行飛行をやってたから、飛甲艇の操縦だけには自信があったんで、迷わず志願したのさ。殺したよ。殺しまくった、ドラゴンを。……楽しいとすら、思っていたような気もする。ドラゴン殺しが」
 わたしの小さいころには、スカイウルフさんのことを知らない友人は一人もいないくらいで、スカイウルフといえば、誰にも共通の空の英雄とされていたのだ。そんな時代に報じられた、あの事故。子供心にショックを覚えたのを、わたしは今でも覚えている。
「……そう考えれば、当然の帰結だったのかもしれんがね。俺の身に起こったことは。俺は生意気にも、ちっぽけな人間の本分を忘れ、高いところを飛びすぎたんだ。それにムカついた神様が、俺を地面へ叩きつけたのさ。俺はもう飛べない。もう二度と……」
 コーヒーカップの底を黙って見つめ続けるスカイウルフさんの横顔は、自虐に満ちていた。
 スカイウルフさんは、今、本名とは別の名前を名乗って、この山奥のログハウスに住んでいるらしい。普段は狩りをして暮らし、時々ふもとの村へでかけては、必要なものを揃えて帰ってくる。誰も、スカイウルフさんの過去を知るものは、気づくものはいない。
「だから……な。困るんだよ、俺が生きているなんて、お前に書かれちゃあな」
「か、書きません。わたし、書きません、そんなこと」
 猟銃を向けられ、あわてて首をふるわたしを、スカイウルフさんは、くっくっ、と冷たく笑った。
「お前の本は、面白い。そう、俺も、あんたのファンってやつなのさ。……だがそれは、この本を斜めに見たときの話だ」
「……?どういう意味、ですか?」
 意味が分からず、わたしは聞き返した。スカイウルフさんは、テーブルに乗った『おやすみ、ドラゴン』の表紙を、人差し指で叩いた。
「この本は、そう……ファンタジーなのさ。幻想だよ、お前さんのな。真実なんざ一つも書かれちゃいない。そこがまた、面白いんだがね」
「そ、そんなこと!これは全部、わたしがあちこちを取材して回った……」
 スカイウルフさんは、指を振ってわたしを制止すると、唇をいっぱいに捻じ曲げ、気味の悪い笑顔を浮かべて、言った。
「一つ、いいことを教えてやる。世界の真実についてだ。……いいか?この世界は、クソだ。綺麗なところなんざ一つもありゃしない、隅まで腐りきったドブの海だ。分かるんだよ。俺はずっと、その海を泳いできたんだからな。ひとたび覗き込めば、海の中にゃ醜い怪物があふれていて、いつでも俺達を海中へ引きずり込もうと狙っている。俺はそいつらに、服を裂かれ、肉をひきちぎられ、臓器を貪り食われ、ようやく陸に這い上がった時にゃ、骨だけになっちまってた。お前も、空を飛んでいるつもりかもしれないが、実はそんな海の上を、沈まないように必死に泳いでる一人ってわけだ。くくっ、あんたは無事に泳ぎきれるかね?いやそもそも、陸を見つけられるかも分からないんだからな。そうそう、あんたの周りにゃ、あんたの家族や友人も同じように浮かんでるんだぜ。あんたはこれから、そいつらが海ん中に沈んでいくのを横目に見ながら、泳いでいくわけだ。陸が見つかったとしても、そこはひどく狭く、もろい。あんたの友人は一緒には上がれないかもしれんなぁ。さあどうする?手の届かない空ばかり眺めてると、手近を流れてくる陸を掴み損ねるかも知れないぜ?」
 途中から既に荷造りを始めていたわたしは、スカイウルフさんの話が終わる前に、小屋を飛び出した。
 わたしは、顔の上を流れる何種類かの液体に気づいてはいたものの、それを拭うこともせず、ただ、やみくもに走り続けた。
12.それは暗闇に灯る弱々しいロウソクのあかり

 スコップ先生は、いつか見た光景そのままに、切り立った崖の一角を手に持ったシャベルでほじくり返していた。わたしを見つけた先生は、熊のようなぼうぼうの髭を揺らしながら、ひどく驚いた顔で言った。
「千葉君じゃあないか!こんなところで出会うとは、奇遇だなぁ。いや、君のことはよく覚えているよ。君は私が教えた中でも、とびきり熱心で、とびきり優秀だったからね……どうかしたかね?」
 先生の声を聞くなり、わたしはそれまで抑えていたものが一気に吹き出すかのように、大声を上げて泣き出してしまった。
 どうにも歯止めが利かなくなったわたしの肩を、先生は少し戸惑いながらも、優しく抱いてくれた。

 泣きじゃくりながらのわたしの話を、スコップ先生は熱心に聞いてくれた。思えば、わたしが学生だったころも、時折こうやって先生に話を聞いてもらっていた。唐突にそのことを思い出して、わたしは今更ながら懐かしくなった。
 少し落ち着いたところで、わたしは先生に聞いてみた。
「先生……世界って、本当はそんなに綺麗なものじゃあないんでしょうか?わたしが綺麗だと思ってたものは、実は世界のほんの一部だけで、今まではたまたまそんなところだけがわたしの目には映っていて、でも本当は、本当は……人竜和平なんて、誰も望んでいなかったんじゃないか、って……」
「……千葉君」
 それまで黙って頷いていた先生が、声を出した。その響きは、とても優しく、とても力強い。
「千葉君。この星が宇宙に誕生して、どのくらいの年月が経つと思うかね?いや、覚えているかね?」
 スコップ先生の専攻は地質学で、地球の成り立ちについても、先生の授業では良くあげていた。魔法学の一環として先生の授業を受けていたわたしは、先生の話を夢中で聞いていた。だから、覚えている。
「……四十六億年、です」
「そう!その通りだよ千葉君。四十六億年。それがどのくらいのものであるか、想像が付くかね?私の貧弱な想像力では、残念ながら皆目分からないのだがね」
 先生の言っていることが良く分からず、わたしは涙目を擦りながら首をかしげた。
「世界とは、そんな果てしない年月の間、そこに住まう生き物達が連綿と作り上げてきた歴史のことだ。そして、生き物達はどれも、共通の意思を持ってそこに暮らしているわけではない……そう、世界は混沌としているのだよ」
 スコップ先生は、授業中に見たことがあるのと同じ、悦に入った表情を浮かべながら話し続ける。
「数え切れないほどの命と意思が、気が遠くなるほどの年月を暮らしてきたその積み重ねが、即ち、世界と呼ばれるものだ。私は君よりは大分長生きをしているが……それでも、この世界にとっては瞬きをするほどの時間を生きているに過ぎない。そんな私たちが、世界の仕組みを隅まで知ろうとは、何とちっぽけで浅はかな試みだとは思わないかね?」
 先生は何だか、楽しそうだ。やっぱり先生は、こうやって何かを話している姿がとても絵になる。
 先生の問いに、私は答える。
「でも……わたしは、知りたいんです。世界の形……うぅん。世界の欠片。隅まで、なんて言いません。ただ、その一欠片でも多く、わたしは知りたい……知って、知らせたいんです」
「そう、知ろうとする君の意思は、尊重されるべきものだ。世界とは、一人の人間が簡単に定義できるものでは、決して無い。その一端でも紐解こうとする姿勢こそが、今日の学問を築いてきたのだよ、千葉君」
 先生は、にっこり笑って、言った。
「千葉君……君の垣間見た世界は、ほんの一端に過ぎないのだよ。だから、そんなに嘆くことは無い。世界とは、全ての生き物の相互作用によって形作られるもの。容易に揺らぎ、形を変えるものだ。その一端でも見極めようと目を凝らし、記録して誰かに知らせようとすることが自らの役目であると信じるなら、君はその道を、臆することなく進めば良いのさ。君のそんなちっぽけな試みもまた、世界の営みの一つとなる、重大な働きなのだから」
 スコップ先生は話し終えると、思い出したかのように、再び土をシャベルでいじり始めた。
 わたしはその様子をしばらく黙って眺めてから、立ち上がって両目を拭い、先生の背中に一つおじぎをし、その場を後にした。
 鈴比良市まで、あと少し。わたしの足取りは、ちょっぴり軽くなったような気がした。
13.黒のひと

 久しぶりの鈴比良市の空は、雲ひとつ無い、抜けるような青空だった。頬を撫でていく涼しい風が気持ちいい。風は、少し潮の香りがした。
 かえってきたんだ。
 取材の旅も今回で四回目だけれど、この町へ戻ってくるたび、わたしは故郷の素晴らしさを痛感する。わたしはやっぱり、この町が好きだ。

 背の低い建物が両脇に連なる細い坂道を、わたしは歩く。この先に、わたしの馴染みのお店があって、わたしは帰ってくるとまずそこへ顔を出すことにしている。
 路地を行く途中、ふと、自分の背中に視線を感じた気がして、わたしは後ろを振り返った。
 男のひとが、わたしの目の前に立っていた。真っ黒いスーツを着こんで、真っ黒いサングラスをかけている。サングラスは、レンズの片方にひびがはいっていた。よく見ると、スーツもほこりでかなり汚れている。
「ちば……やすみ」
 ぼそり、と男のひとがつぶやいた。
 わたしは、目の前の男のひとに、見覚えがあった。
「……あのときの」
 忘れもしない。わたしの人生の中でも、たぶん一番長い日だと思えた、あの一日。このひとは、あの時わたしの目の前に現れて、そして、わたしを撃ったひとだ。
 あの時と同じように、男のひとの手には、黒光りする拳銃が握られていた。
「……ちば、やすみ。おまえは、ザイニンだ」
 どことなく舌足らずに言った男のひとは、頭を常にゆらゆらと揺らしていて、割れたレンズから覗くにごった目が、私をまっすぐに見つめていた。
 わたしには、男のひとが何をしにきたのか、すぐに分かった。わたしは、男のひとに完全に向き直り、レンズの向こうのにごった目をまっすぐに見つめ返した。
「ザイニンは、サバかれるべきだ。そうダロう?ちば、やすみ」
「それが、あなたの役割ですか?」
 わたしがそう言うと、男のひとはびくりと身体を震わせてから、硬直した。
「わたしは、人間とドラゴンがお互いに憎み合っていることが、とても哀しかった。だって、わたしは遇神さんや、フェリシテさんと友達になれたもの。憎く思う理由なんて無かったもの。人間とドラゴンはもっとお互いを良く知るべきだと思ったし、わたしはそうなれる方法を思いついた。これはわたしにしかできないこと。そう思ったから、わたしはそれを実行に移したんです。分かり合えるはずの人と竜が、しなくてもいい殺し合いをしてるなんて、わたしには耐えられなかったから」
 男のひとの持つ拳銃が、頭と一緒にゆらゆらと揺れる。男のひとの顔には、大粒の汗が幾筋も伝っている。
「人には、そのひとにしか出来ない、大切な役割があるんです。誰にも、あなたにも。それを実際に行動に移すかどうかは、そのひと次第。それを選択するのは、そのひと自身だから。わたしは、行動した。それが正しいことだと、信じたからです。ヒカリちゃんも、そう。自分のすることが正しいと信じたからこそ、ヒカリちゃんはわたしを助けてくれた。……あなたがわたしを撃つのは、あなたの役割ですか?わたしを撃つことが、あなたにとって本当に正しいことだと心の底から考えているなら、わたしはもう、それを止めることはできません」
 わたしは、目を閉じた。
「世界は混沌としている……いろんな人がいて、いろんな考えがある。だから、争う。でも……みんながお互いにその考えを知って、少しでも理解しようとしたなら……きっと、きっと誰もがもう少し解り合える。だから、わたしは、世界の欠片たちを少しでもたくさん見て、本当のことをできるだけたくさんの人に伝えたい。それが、わたしにしかできない、わたしの役割」
 嗚咽のようなものが、聞こえた。固いものが、地面に叩きつけられる音も。男のひとが、膝をついたみたいだ。
「……ゥるさいっ!だから、ダカらなんなんだよォゥ……。いいから、返セよぉゥ……ヒカリ様を……俺タチの未来ヲ返せよおうっ!」
 拳銃の発するかちりという音を、わたしは自分でもびっくりするほど冷静に聞いていた。
 わたしは、ただ、銃声が鳴り響くのを、待った。

 いくら待っても、あの乾いた音は聞こえてこなかった。痛みもない。
「……休?」
 呼びかけられて、わたしはゆっくりと目を開く。
 地面に倒れた男のひとの脇に、拳銃を持った短い黒髪の女の子が立っていた。
「休。It・イズ・オーケイ?ダメージ、無い?」
 美都瀬町で出会った、アンドロイドの無垢ちゃんだった。
「……無垢ちゃん、どうして」
 なりゆきが良く分からなくて、わたしはちょっと間の抜けた声を出してしまった。
 無垢ちゃんは拳銃を放り投げると、わたしの目の前に立って、ジーンズのポケットをごそごそと探り始めた。わたしは、地面に落ちた拳銃を、目を覚ました男のひとが再び拾いはしないかと少しはらはらしたが、どうやら男のひとは完全にノックアウトされてしまっているみたいだ。死んでいるんじゃないかと心配になるくらい、ぴくりとも動かない。
 無垢ちゃんが、ポケットから何かを取り出して、わたしに手渡した。
「これ……?」
「休’sペン。Thing left behind、届けに」
 それは、わたしのシャープペンシルだった。美都瀬町のホテルへ忘れてきたことに後から気づいたけれど、そんなに高いものではなかったし、別のペンも何本か持ち歩いていたので、取りには戻らなかった。
「これのために、わざわざ……?」
 無垢ちゃんは、無表情のまま、大きくうなずいた。
 緊張が解けたのか、唐突に力が抜けて、わたしは無垢ちゃんの身体へ倒れかかってしまった。無垢ちゃんは少し戸惑い気味だったけれど、わたしを優しく受け止めてくれた。
「ありがと……ありがと、無垢ちゃん」
 わたしは、無垢ちゃんの短くて綺麗な黒髪を撫でながら、少しだけ泣いた。
14.ともだち

 見慣れた坂道を、無垢ちゃんを案内しながら、登った。歩きながら、美都瀬町の宿に一泊したあの夜と同じ様に、わたしたちは色々な話をした。
 わたしが発ってしばらく後に、美都瀬町には、サングラスをかけた盲目のギタリストが訪れたそうだ。普段は閑静な町並みが、その日ばかりは人が溢れんばかりに繰り出し、無垢ちゃんたちは賑やかなひと時を過ごしたらしい。
 無垢ちゃんの話を聞きながら、私はショーゴさんの素敵な歌声を脳裏に思い浮かべて、思わず目をつむって浸ってしまい、石ころにつまづきかけて無垢ちゃんに抱き止められたりした。
 久しぶりの故郷は、私を、自分でも思う以上に浮かれさせているみたいだ。
 坂道の頂上まであと少しというところまで登ると、長年通い詰めてすっかり目に馴染んだ、カレーさんのパン屋さんの看板が見えた。と、同時に、鼻に香る、香ばしくていい匂いが、わたしと無垢ちゃんのところまで漂ってきた。無垢ちゃんも気づいたのだろう、首を少しばかり反らして、鼻をひくひくさせている。わたしはその様子がおかしくて、思わずくすくすと笑みをこぼしてしまい、無垢ちゃんに怪訝そうな顔をされてしまった。
 坂道を登り切ったところで、パン屋の店先のベンチが目に飛び込んできた。
 ベンチには、インド人に似た顔をくしゃくしゃにして笑っているカレーさんと、無表情な顔の口元に、カレーパンのカレーをべったりと付けながらパンをほお張っているとら子ちゃんと、わたしたちに気づいたらしく、満面の笑みを浮かべながら大きく手を振っているヒカリちゃんが、並んで座っていた。

「へぇ〜……今回も、いろいろあったんだねぇ」
 わたしの旅の話を聞きながら、ヒカリちゃんはしきりにうんうんと頷いてくれる。旅から帰るたびに、彼女は本当に真剣に話を聞いてくれるので、わたしも毎回、この店先でのひと時が楽しみでしょうがなかったりする。
「うん……けど、わたしの中の世界が、また少しだけ広がったから」
「そっか!良かったね、休」
 ヒカリちゃんは、にっこりと笑って、わたしの肩をぽんと叩いた。わたしは、ヒカリちゃんのこの笑顔が好きだ。
 わたしとヒカリちゃんの目の前では、とら子ちゃんと無垢ちゃんが向かい合って立ち、何だかわたしたちには分からない早口のような言葉で話し合っている。普段二人が話している並列圧縮言語とは違って、わたしに理解できる部分が一つも無い。アンドロイド語なのかな?
 アンドロイド同士の会話は初めて見るけれど、無表情のまま身振り手振りは大きくて、その様子がおかしくて、わたしとヒカリちゃんは思わず吹き出してしまった。ほんとは笑っちゃ失礼なのかもしれないけど。
「なんだい、盛り上がってるね?」
 大きなトレイを抱えたカレーさんが、店の奥から出てきて、笑い転げているわたしたちを見るなり、そう言った。
 カレーさんはわたしの隣に腰をかけると、トレイの上に乗ったアツアツのカレーパンを勧めてくれた。
「無垢ちゃん、って言ったっけ?こいつの匂いが、忙しく飛び回ってる休ちゃんをこの町に呼び戻してくれる、秘密なのさ。あんたも一つどうだい?」
 無垢ちゃんはちょっと小首をかしげてから、ありがとう、と一言言って、カレーパンを手に取った。わたしも手を伸ばして、とびきり良く揚がっていそうな、きつね色のカレーパンを取ると、口に運んだ。
 サクサクの衣の中から、熱いカレーがあふれ出る、この感触のために、わたしはこの町に帰ってくる。そう言ってしまっても間違いではないほど、わたしはもう長いこと、カレーさんのカレーパンに魅了され続けているのだ。

 その日は、わたしととら子ちゃん、ヒカリちゃん、それに無垢ちゃんも誘ってカレーさんのパン屋さんに遅くまでいりびたり、みんなで騒いで過ごした。
15.おやすみ、ドラゴン

 とら子ちゃんに、遇神さんの具合が悪化したと聞かされても、わたしはそれほど驚かなかった。旅に出る前に、戻ってくるまで持たないかもしれない、と覚悟していたから。
 そもそも、遇神さんにかけられた呪いは、数年前に彼の命を奪っているはずだった。わたしの魔法は、結局、呪いを解くことはできなかった。今このときまで遇神さんが持ちこたえているのは、ひとえにヒカリちゃんが起こした奇跡のおかげだ。
 けれど、それもいつまでも続くわけじゃない。

「休、here!」
 森の奥のほこらに行くと、ちょうどとら子ちゃんが、遇神さんの傷口に薬液を振り掛けているところだった。薬液はわたしがとら子ちゃんに作り方を教えたもので、とら子ちゃんは、わたしがいない間の遇神さんのお世話を頼むと、快く引き受けてくれた。
 とら子ちゃんは本当に良くやってくれているみたいで、時折帰ってきては傷をチェックしにくると、そのたびに遇神さんに、彼女の献身ぶりをとくとくと語られたりした。
「やぁ……休。おかえり」
「ただいま、遇神さん」
 けだるげに長い首を上げる遇神さんの鼻先に唇を寄せてから、薬液を振り掛けるとら子ちゃんの横に立ち、遇神さんの呪われた傷口を覗き込む。
 薬液で流された蛆が、草の上でのたうっている。鱗の間の傷口周辺の肉が、くすんだ茶色に変色している。以前までなら、そこは綺麗なピンク色であったはずなのに。
 症状が進んだのは、遇神さんの体力が、もう残り少ないから。ここまで持ったのは、運が良かったんだ。ここからは、徐々に、衰えていくのみ。
 傷口の呪いはやがて全身に回り、遇神さんを殺すだろう。
「休……save可能?遇神サン、助かル?」
 とら子ちゃんの問いに、わたしはただうつむいてしまって、答えることができなかった。
「休や……」
「うん。ずっといるよ。わたし、ここにいるから」
 精悍だった遇神さんの顔が、今では弱弱しく、しわだらけでひどく年老いて見える。
 わたしは、最後まで側にいようと、それまで旅には出ないと、決めた。

「思えば、いろいろあったなぁ……休や」
「うん、そうだね」
 遇神さんの硬い胴に寄りかかって腰かけ、遇神さんの長い首と頭を膝に乗せて、あの一日のことを話した。
「あの時、やり遂げることができたのは……休や、お前のおかげだよ。ありがとう」
「んもう、あの時のお礼なら、もうさんざん言ってくれたじゃない。それに、わたしはただ……ほら、お膳立てをしただけ、だか、ら」
 ふいにこぼれそうになった涙を、顔を背けて隠した。遇神さんの頭を撫でながら、鼻を鳴らした。
「ありがとうなぁ、休や……」
 遇神さんは、その後も何度も何度も、ありがとう、ありがとうと言ってくれた。

 一週間で、遇神さんの身体のあちこちが麻痺し始めた。
「なぁに。この傷を受けたそのときから、私はこの地に骸を埋める覚悟であったさ。そうしょげた顔をするのでないよ、二人とも」
 遇神さんの鼻先を撫でるわたしも、傷口に薬液を振り掛けるとら子ちゃんも、相当にしょぼくれた顔をしていたのだろう。表情には出すまいと思っていたのに。
 無理やり、笑った。
「大丈夫。最後まで、わたし、見てるから。大丈夫!」

「そうだ、なぁ……ふらんすに、もういちど、いきたいなぁ……」
 さらに一週間が立つと、口周りにまで呪いが進んできたのだろう。遇神さんは、少しずつろれつが回らなくなってきた。
「フランスかぁー。フェリシテさん、元気かな。あ、遇神さんとフェリシテさんの出会いって、そういえば聞いてなかったよね?」
「ああ……あれは、そうだなぁ……なんねんまえ、だったかなぁ……まだ……せんそうが、はじまるまえの……」
 ぐじゅぐじゅの傷口に薬液をかけながら、わたしは、その時が来るまで、もう泣かないと誓った。

 その一週間後には、呪いは遇神さんの脳を侵しはじめていた。
「ふらんすに いきたいん だ。ふらん すには ともだちが いっぱ いいるん だ。 あいに いかなく ちゃ」
 わたしは、遇神さんの言葉に、ひとつひとつ頷いた。
「うん、そうだね。もうすぐ、迎えが来るから。そうしたら、遇神さん、フランスに行けるからね。もう少しだから、ね」
 頷いても、遇神さんは自分の言葉をつらつらと喋るだけで、もうわたしに返事をしてはくれなかった。
「ふらん すに いかな く ちゃ。 ともだち が まってるんだ」

 とくん、とくん、という心臓の鼓動を、わたしは遇神さんの胸に耳を押し付けて聞いていた。遇神さんの柔らかい鱗に包まれた胸から聞こえてくるその音は、とても静かで、規則正しくて、弱々しかった。
 遇神さんはもう、喋ることもできなくなっていた。意識はぼんやりとあるのかもしれない。時々、薄く開いたまぶたの中で、瞳がゆっくりと動いた。
 夕焼けに照りかえる遇神さんの長い身体は、つやのある鱗がきらきらと輝いて、とても綺麗だ。わたしはついうっとりとそれを見つめて、時間が立つのを忘れた。
「来たよ!休!」
 ヒカリちゃんの声で、我に返る。
 遇神さんの身体が、夕焼けの光とは違う、金色に輝くりんぷんのようなものに包まれていることに気づいた。
 ふと見ると、丘の上に立つヒカリちゃんととら子ちゃんの身体も、輪郭が明るく灯り、金色に光っている。自分の手を見てみると、同じように光っていた。
「Golden Dragon……it’sビュウティフル。フェリシテ、サン?」
 とら子ちゃんが指差す先に、一頭の、黄金色の美しいドラゴンが、飛んでいた。金色のりんぷんの尾を引きながら、フェリシテさんはこちらに向かって飛んできていた。
 眼下に見える鈴比良市の町並みは、今、黄金のじゅうたんを敷き詰めたかのように、明るい光に包まれている。
 やがてフェリシテさんは、ほこらの前の開けた丘へと、その大きな体躯を降ろした。
 翼を一打ちして、身体にまとわりついたほこりを払うと、物言わぬ遇神さんの顔を覗き込み、
「……ずいぶんと安らかな顔してるのね、遇神の旦那。あなたたちのおかげかしらね」
 フェリシテさんは、わたしたちに優しくそう言った。
「遇神さん……ずっと、フランスへ行きたいって言ってました。友達がたくさんいるから、って……」
「そう……旦那にとっては、第二の故郷ってやつだものね、フランスは」
 遇神さんの過去について、わたしはあまり良く知らなかった。鈴比良市のほこらに身を隠すことになった経緯は聞いていたけれど、それ以前のことに触れたことはなかった。
 知りたい。
 そんなわたしの表情に気づいたのか、フェリシテさんは、少し目を伏せてから、ゆっくりとわたしたちを見回し、口を開いた。
「あの頃、若くて好奇心に溢れてた旦那は、世界中いろいろなところを旅して回ってたの。なんだったっけ……そうそう。自分の知らない世界の欠片を、少しでも多く見て、知りたい。そんなこと言ってたかしらね。
 ある時、フランスに立ち寄った旦那は、ドラゴン同士の縄張り争いに巻き込まれて、怪我を負ってしまったの……当時は、ドラゴンたちの間でも、特に結束のようなものは無かったから」
 昔に想いを馳せるフェリシテさんの表情は、複雑だったけれど、懐かしそうに微笑んでいる。
「そのときに、旦那を助けてくれた人間たちがいてね。小さな村の村人たちだったんだけど、村ぐるみで旦那を介抱してくれたのよ。完全に傷が治って、動けるようになるまで、それは手厚く、ね。その時からみたいね、旦那が人間とドラゴンの関係を考え出したのは」
 聞こえているのだろうか。遇神さんは、フェリシテさんの瞳を真っ直ぐに見つめながら、ただただじっと草の上に寝そべっている。
「ま、そのフランスであたしと出会って、そりゃもう色々とあって……あぁ、詳しくは聞かないでちょうだいね。男女の間柄に、野暮な突っ込みは無用よ?」
 フェリシテさんは、悪戯っぽく笑った。
「……それから、フランスの人間たちに再会を誓ってから別れて、旦那は旅を続けて……ここに来てからのことは、休ちゃん、あなたは良く知ってるわよね」
「……はい」
 今の鈴比良市にほど近い村で、遇神さんは、人間たちに襲われた。古くから続く、人とドラゴンの対立が、まだ戦争という目に見える形で現れてはいなかった頃の話だ。と、遇神さんは言っていた。
 遇神さんを襲った人間たちは、魔法使いを連れてきて、傷ついた遇神さんに呪いをかけた。少しずつ、少しずつ進んでは、身体を蝕んでいく。死の呪いを。
 遇神さんにとって、それは理由無き襲撃だった。けれど遇神さんは、その人間たちに報復するでもなく、そのことを毒づくでもなく。ただその場を飛び去り、そしてこのほこらへ身を潜めた。
「お人よしというかなんというか……あんまり、ツイてるとは言えない人生だったかもね、旦那にとっては……」
 フェリシテさんは、深く、深く息を吐いた。
「まぁ、それも……ずっと昔の話よ。そう、ずっと昔……何百年も前の……」

 それから、わたしととら子ちゃん、それにヒカリちゃんは、協力して、フェリシテさんの背中に、もうずいぶんと軽くなった遇神さんの身体を背負わせた。
 日はもう沈みかけていたけれど、フェリシテさんの放つ金色のりんぷんによって、あたりは昼のように明るかった。
「…………ふら ん……」
 遇神さんが、フェリシテさんの背中で、もどかしそうに口を開いた。
「もうすぐよ、旦那。もうすぐだから……」
 背中を省みて言うフェリシテさんの口調は、優しくて、愛しげで、そして悲しげだった。
「遇神サン……sleep peacefully...」
 わたしの腕をぎゅっと抱きしめたとら子ちゃんの頬を、涙が一筋、伝った。とら子ちゃんの表情は、今にもくしゃくしゃに崩れてしまいそうに濡れていた。
「う、うぇ……ぐーじん……さ……」
 ヒカリちゃんは、いつのまにか、両目いっぱいに涙をためて泣きじゃくっていた。ハンカチを取り出して、ぐずる鼻を鳴らしながら。
 わたしは。
 泣かなかった。
 ただ、遇神さんの真っ直ぐに空へ向けられた瞳を、じっと見つめていた。
「……休ちゃん。旦那のツイてない人生で、三つだけ、いいことがあったって……旦那、言ってたのよ。何だと思う?」
 ふいに、フェリシテさんはわたしを振り返り、微笑んだ。
「一つ目は、フランスの村で、人間たちに助けられたこと。二つ目は、あたしに出会ったこと。三つ目は……」
 フェリシテさんは、ウィンクした。美しいドラゴンのウィンクは、茶目っ気があって、とっても魅力的だった。
「三つ目は、休ちゃん。あなたに出会ったことよ。旦那があなたのことを話す時ってね、とっても楽しそうだったんだから。それはもう、このあたしが妬けちゃうくらいにね?」

 遇神さんを背中に乗せたフェリシテさんの黄金の翼が、ゆっくりと羽ばたきながら、空を遠ざかってゆく。
 すっかり太陽が沈んだ暗い夜の中、鈴比良市の町並みと、フェリシテさんの行く方向の山々だけが、金色の道のように、ぼんやりと明るく照らされている。
 わたしと、とら子ちゃん、ヒカリちゃんは、身を寄せ合って、飛んでゆくフェリシテさんを見守った。
「ありがとうなぁ、休や」
 記憶の中で、遇神さんが、そう言って、にっこりと、微笑んだ。
 もう、いいよね。
 もう、泣いても、いいよね。
 遇神さんは、知ってるもんね。わたしが本当は、すごく泣き虫だってこと。
 鈴比良の町並みから、大小さまざまの無数の金色の光が、空へと舞い上がっていく。まるでシャボン玉のように、ゆらり、ゆらりと。
 それは、わたしたちへの、フェリシテさんの感謝の証だったのかもしれない。

 光の中でわたしが零した涙は、つややかなあめ色に輝く、金色の雫だった。
そして

遇神の祠の前に、金色に塗られた小奇麗な四角い柱が立っている。
 友人たちが置いていったのだろう、柱の根元に横たえられた新しい花々の脇に、丘へ登る途中で摘んできた一輪の黄色い花を添えると、わたしはその場にしゃがみこんで、手を合わせた。早朝へここに来てこうすることが、このところの私の日課になっている。
 けれど、それもしばらくはできそうにない。
 気が済むまで拝んでから、わたしは立ち上がった。
「じゃ、いってきますっ!」
 柱に向かって手を振ってから、旅をするときにいつも愛用している、元は肩掛けだった手提げかばんを掴むと、祠を背にした。
 わたしは、歩き始めた。



(続)おやすみ、ドラゴン 完

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