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但馬の神社コミュの日置神社(ヒオキジンジャ/日高町日置)

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■日置神社(ヒオキジンジャ/式内社)

■鎮座地:豊岡市日高町日置字谷14
■御祭神:天櫛耳命(あめのくしみみのみこと)

<行き方>
(旧)国道312号線JR江原駅前の信号から、円山川沿いに入る細い路地がある。
川に沿ってその路地を行くと突き当りが「日置橋」である。
橋を渡って最初のカーブの右に、5〜6メートル奥まって鳥居が見える。
また、日置橋を渡ってすぐの山の上には、境外社の「秋葉神社」がある。
神社のある区域は日置の向かいと言う意味から「向日置(むかいびき)」と呼ばれている。

<境内各所>
最初の鳥居は平地にあるが、二番目の鳥居は石段を少し上った所、さらに本殿のある境内はそこからまた石段を上った上にある。最初の鳥居の先に石塔のようなものを積んだ(境内社?)場所があり、榊が供えてあったが詳細は不明。

二番目の鳥居の近くには、手水舎と神輿堂(?)のような倉庫があり、周辺は竹薮。社殿のある境内には拝殿/本殿/境内社(稲荷神社/山神社)/篭り堂/手水舎/があり周辺は杉木立。
社殿の西側は赤崎集落の進美山に繋がる山で、進美山・白山さん・須留岐山へと繋がっている。

また日置橋を渡って来たこの道は進美寺へも通じていて裏参道となっている。
道の先の円山川右岸には多々谷(たたのや)集落があり、古代には甲や楯などの武具の縫製をする職業集団「楯縫部族」の里だったという。
近くの山間にはおよそ1400年〜1500年前のものと推定される巨石墳、楯縫古墳群が残り、直刀や鉄製の馬具などの武具類が出土している。

写真左:最初の鳥居
写真中:社名標「式内 日置神社」
写真右:二つ目の鳥居と石段

コメント(14)

<日置について>(古い呼び名は「へき」)

★大字の由来…古代、暦を司った日置部がこの地に住んでいた事から名付けられたと言う。

陸上輸送が発達していなかった明治の初めまで、日置地区は船輸送の宿場町として大変賑わっていたそうです。
当時、津居山や豊岡方面から塩や柳製品を運ぶ船は三十石船で、川幅が変化するこの地でそのほとんどが、いかだに荷を積み替えて休憩をとったといいます。

そのため円山川左岸では古くから商業が発達していましたが、激流をまともに受ける地形だったせいで、日置橋何度も流されてきました。
昭和51年、3年がかりの大工事を終えて「永久橋」として完成しようやく安心して暮らせるようになりました。

※日置神社には、かつては神輿渡御が行われていたと言う。

写真左:二番目の鳥居の扁額
写真中:鳥居近くの、何かをお祀りしているような石組
写真右:手水舎
写真左:下から見た拝殿と本殿
写真中:周辺は竹薮で、緑が目に鮮やかだった
写真右:上から見た手水舎と神輿堂
石段を上がった所の広々とした境内は苔の色も美しいが、獣の(おそらく鹿!)走り回った跡がだいぶ踏み荒らしてあった。

大きな篭り堂があって、境内の北側に南を向いて社殿が建っている。

写真左:石段の参道
写真中:石段を上がりきったところの灯篭
写真右:周辺の杉木立
写真左:拝殿
写真中:本殿覆い屋
写真右:横から見た社殿

<由緒沿革>

◎御祭神:天櫛耳命

創立年月不詳。
延喜式には小社となる。中古には「巻尾大明神」あるいは「梶尾宮」と称したという。
明治3年日置神社に復称した。明治6年10月村社となる。同40年社殿改築、拝殿を新築した。大正11年社務所兼神庫を新築した。

◎境内社:三柱神社/稲荷神社(三柱神社はどれか判らなかった。稲荷神社(本殿の左)の他には本殿右に「山神社」と書かれた境内社があった)

◎境外社:秋葉神社(日高町日置字姫路300)
御祭神:迦具土命
祭礼日には子供相撲があり、近在からも参詣者が多く集まる。


写真左:拝殿正面から見た本殿
写真中:拝殿と本殿のつなぎの部分
写真右:拝殿向拝
写真左・中:拝殿の木鼻
写真右:拝殿の海老虹梁
写真左:篭り堂
写真中:手水舎
写真右:境内から石段下を見る
■境内社

写真左・中:境内左の境内社<稲荷神社>
写真右:境内右の境内社<山神社>
■境外社

<秋葉神社>…日置橋を渡ったところの山の上に鎮座

御祭神:迦具土命(カグツチノミコト)

神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた神である。火の神であったために、出産時にイザナミの陰部に火傷ができ、これがもとでイザナミは死んでしまう。その後、怒ったイザナギに十拳剣「天尾羽張(アメノオハバリ)」で殺された。

火の神、鍛冶の神として信仰されており、秋葉山本宮秋葉神社(静岡県浜松市)を始めとする全国の秋葉神社、愛宕神社、野々宮神社(京都市右京区、東京都港区、大阪府堺市ほか全国)などで祀られている

写真左:社名標
写真中:道路に面した上にある、秋葉神社の鳥居
写真右:石段の参道。左脇に二社の境内社があるが詳細不明
境外社/秋葉神社?

写真左:石段の上の社殿
写真中:灯篭
写真右:狛犬
<相撲と秋葉神社>

江戸時代後期、日置区には宮相撲に秀でた力士がいました。
文化3年(1806)この力士が諸国を回り、遠州浜松の秋葉神社から勧請して区内に秋葉神社を建立したと言われています。

この由来から、4月18日に開催される秋葉の祭りでは、若者たちの狂言と素人相撲大会が盛大に行われてきました。

この相撲大会は町内でも大変な人気があり、明治30年(1897)には、進美寺の観音祭と同じ日ということもあって、近郷から集まった超満員の見物客の渡し舟が転覆する事故までありました。

写真:相撲が行われる円山川河川敷

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