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但馬の神社コミュの■鷹貫神社/(日高町竹貫)

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■鷹貫神社/タカヌキジンジャ  (式内社)

■鎮座地:豊岡市日高町竹貫字梅谷429

■御祭神:鷹野姫命(=葛城之高額比売命/カツラギノタカヌカヒメノミコト)

■御由緒:創立年月不詳なるも祭神鷹野姫命は神功皇后の御生母にましませり延喜式の制鷹貫神社と記して小社に列し明治六年十月村社に列せらる。

<行き方>
国道312号線上石の、国府駅前の信号で駅の方に曲がりそのまま道なりに進み(250号線)、山陰線の線路の下を抜けて直進すると「竹貫」の集落がある。村の中の奥まったところに神社はあって、集落に立つと社殿の屋根の上部が見える。

御祭神の鷹野姫命は、神功皇后の御生母であり、天日矛命四世孫比多訶の子(葛城高額比賣命=鷹野姫命)

コメント(16)

日高町内から八代地区を経て竹野方面へ繋がる県道一号線・藤井の橋のところから県道250号線に入っても竹貫集落となる。この250号線はまっすぐ行くと、国道312号線の国府駅前信号に出る。

竹貫には簡単に着くのだが、車が一台やっと通るほどの村中の道をしばらくうろうろした。
神社の屋根の先端が見えているのに、そこへ行く道がなかなか見つからず村の奥へ入りすぎて、墓地へ行ってしまったりしたが、ようやく到着。

神社の前は広場になっており、そこへ駐車した。
広場には、篭り堂があって、広場の奥の上へあがる細道の先は、「知恵の地蔵さん」と呼ばれている地蔵菩薩の名を刻んだ石碑があるが行き止まりである。

広場の入口より右手に立派な石垣が巡らされ、鷹貫神社の社名標が立つ。
90歳を越えたくらいのおばあさんが来て、私にいろいろと話しかけ説明しようとしてくれた(主にこの広場で繰り広げられた、昔の地蔵盆・盆踊りの様子など)

写真左:神社社頭
写真中:篭り堂
写真右:少し上の「知恵の地蔵さん」
図書館の郷土史コーナーに、平成の大修理の際の記念冊子を見つけた。
以下、その村誌を参考に竹貫(地名は竹・神社は鷹)の神社の歴史をみてみよう。

写真左:「式内鷹貫神社」の社名標
写真中・右:石段途中から見る鳥居と拝殿
<竹貫村(鷹貫村)の概要> ※大修理記念誌より

竹貫村の歴史は古く、生い立ちはわからないが鷹貫神社の歴史を探ると天日槍(天之日矛)の子孫、5代目・葛城之高額比売命(カツラギノタカヌカヒメノミコト)の御神体の御霊をお祀りしている。

また、寛永3年(1706)但馬国気多郡竹貫村差出帳及び、明治8年の地誌「竹貫村限取調帳」の記録によると、本殿には延喜式の古社である郷社・鷹貫神社が鎮座し、左右の末社には七社の神が鎮座している。


写真:境内石段上の灯篭
末社の七社は、『八幡神社』、『日枝神社』、『八坂神社』、『稲荷明神』、『山積明神』、『火結明神』、『須賀明神』と記されている。

神社名の「鷹貫」や地名の「竹貫」は、祭神の「高額」のなまった当て字ではないかと思われる。あるいは祭神の「高額」とういう名称が「竹貫」という地名から付けられたのかもしれない。

※「兵庫県地名大辞典」には、竹貫を古くは鷹貫と書いていたとしている。
(他の辞典には、「竹」・「高」・「丈」と同源としている)

写真左:境内右手の境内社覆い屋(右から、八坂神社/須賀明神/八幡神社)
写真中:境内社「八坂神社」
写真右:境内社「須賀明神」
写真左:境内右の境内社覆い屋の中にある3社の内の左端「八幡神社」

写真中:境内左の境内社覆い屋(右から、日枝神社/稲荷明神/山積明神(大山祇命?)/日結明神(火結命)

写真右:境内社「日枝神社」

写真左:境内左境内社覆い屋の中の右から二番目「稲荷神社」

写真中:同上、右から3番目「山積明神」

写真右:同上、一番左「日(火)結明神」
また、「国府村誌」の「古代中世編・上巻」には、合祀神として「菅原道真」の名があり、以下のような記載があった。

『鷹貫神社は竹貫村字梅谷429番地(1853?)に鎮座。延喜式内社に属する宮社であって、中世末期になり菅原大明神・稲荷大明神・牛頭天王等々、幾多の神々を勧請して併祀しているが、神社の名称は昔から鷹貫神社である。(別称・兼称なし)
社人別当「神主」をおかず、村の支配人であり氏子持ちである。

ただ、鷹貫神社併祀の『牛頭天王』は元来、竹貫字天王山に祀ってあったものであるが、これに関して真狩藤吉氏蔵書に以下のように書かれている。

【「牛頭城」を「鷹ガ城」と称する真保(サネヤス/竹貫牛頭城主名ならん)早朝空中に鷹の舞うを見て早太に一矢仕ちと、早太承って鷲羽の流鏑(りゅうてき)をかけて射る、不過(あやまたず)両羽を縫って落とす。それにより「鷹貫」と号し城を「鷹ガ城」と号すと云う。

又、「鎮守・牛頭天王、此天王は素盞鳴尊在世に、黄金にて三体鋳玉う。
一体は、出雲の国は重雲山
一体は、山城の平安城
一体は、尾州津島より申し請け兜(まどう)の内に守軽の尊より伝わりこれを鎮守とす】

これは勿論、伝説であるが、鷹貫「竹貫」村の発祥伝説として意味深い。
少なくとも、竹貫の城が「牛頭城」と呼ばれているのであるから、城主がその鎮守として牛頭(ごず)天王を勧請していたことは容易に推察されるのである。
それをいつの時からか鷹貫神社にも併祀して村人の尊崇するところとなったようである。

※【牛頭天王】…もとは印度の祇園精舎の守護神。わが国には陰陽家により除疫神として伝わり、京都祇園舎「八坂神社」の祭神となる。薬師如来の化身と称し、また、素盞鳴尊(スサノオノミコト)をその垂迹(すいじゃく)という。

※【垂迹(すいじゃく)】…衆生を救うため、仏が生れ変って仮にこの世に出現すること。


写真左:拝殿とその後ろに本殿
写真中:拝殿前面
写真右:拝殿前より奥の本殿を見る
■主祭神の葛城之高額比売命(カツラギノタカヌカヒメノミコト)について

葛城之高額比売命(別名鷹野姫命)の父は、多遅摩比多訶(タジマヒダカ)という。母は、菅籠由良度美(スガカマユラトミ)という。つまり、鷹野姫命は田道間守の弟の孫ということだ。

皆、天日槍の子孫である。

開花(化)天王四代の孫・息長宿禰王(オキナガスクネオオ)に嫁し、ニ女一男を産む。長女は息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)=神功皇后
次女は櫨空津比売命(ソラツメノミコト)という。長男は息長日子王(オキナガヒコオオ)という。

葛城之高額比売命は古事記によると、但馬の国にて生まれたという。


写真左:拝殿のうしろの、春日造の本殿
写真中:本殿向拝
写真右:本殿向拝の彫刻

写真左:本殿前上の(字が薄れて読めませんが)扁額「鷹貫神社」と書いてある。
写真中:本殿向拝彫刻「竜神」
写真右:本殿木鼻
写真左:本殿虹梁下の手挟み(?)

写真中:拝殿前面の蟇股

写真右:拝殿内部の額
写真左:本殿右の大きな灯篭

写真中:石段を昇ったところの手水

写真右:拝殿左山の上の折れた大木の株
写真左:鳥居右の大きな木

写真中:拝殿山側の古い灯篭

写真右:字が読めなかったが石碑があった
(15)の写真↑で、右の石碑には「水衜守神」と書かれているが、この「衜」は行+首+手と書き、もともとは「敵(異民族)を倒し、其の首を刎ねて手にして 路を行く」の意味 だというが、「道」と同じ意味のようだ。

水+衜+守神…で水の守り神だろうか。初めて見た字だった。

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