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但馬の神社コミュの■屋岡神社(養父市八鹿町)

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■屋岡神社/ヤオカジンジャ  式内社

■鎮座地:養父市八鹿町八鹿1513
■御祭神:天照皇大神/ 応神天皇

<由緒沿革>
創立年月不詳
此の地、神功皇后三韓凱陣の際、上陸せられて御船を覆されたる跡と称し今に船岡といい当社を創立す。
延喜式の小社に列し、元亀2年赤松氏乱入の際及び天正8年羽柴氏乱入の時共に兵火に罹り慶長11年火災に遭へり。
明治6年(1873)10月村社に列し同40年拝殿を新築せり(兵庫県神社庁神社紹介より)


<屋岡神社境内の案内板にあった御由緒>
 
上古この辺一帯は「屋岡の里」と呼ばれていた。
人皇第九代開化天皇の王子・日子座王の曾孫船穂足尼命が第十三代成務天皇の御代に但馬の国造として来り、現在の天子の地に館を構えた。

船穂足尼命の孫の息長帯比賣命は第十四代仲哀天皇の皇后となり、英武の氣性をもって国威を海外に発揚し神功皇后と崇められた女丈夫であり、応神天皇(誉田別命)の母君でもある。

天子の地名はこの偉大な神功皇后の御誕生地に因み名付けられたと言はれています。その後人々は神霊への敬慕と加護の願いをこめて域内の西方に宮居を造営し、天照皇太神と応神天皇の神霊を合祀し、是を口の宮と言い、その内苑は今の神域を中心に広大な境内に石垣をめぐらした神聖な神域で外苑を隔て馬場があり、今も馬場の地名が残ってゐるが、再三の洪水で宮居も流され今は原形の面影もなし。

又西方の壱部の金ヶ平には仲哀天皇と神功皇后の神霊を合祀した奥の宮を建立し、両宮を通称して式内屋岡神社と称した。然し奥の宮は中世に御神体は移転、宮居は廃棄され今日に至る。
摂社 八柱神社、稲荷神社、絹巻神社、抱見天王

  

コメント(6)

<行き方>

国道9号線八鹿町天子の信号(「谷常」のところ)を左折し、すぐに9号線右横の細い道へ入る。と住宅地の中に屋岡神社はある。(というより、天子の交差点のすぐに鎮守の森が見えているのでそこに向かっていけばわかります)

八鹿町朝倉の天満宮へ行く途中に参拝。
ここに神社があることに全く気がつかなかった。すぐ前に大きな忠魂碑と地蔵堂があるが、道が狭く駐車スペースはない。
写真左:昼でも木々の陰でちょっと薄暗い境内。鳥居を入って右奥の境内に石垣があり、その上に拝殿、さらに奥に本殿覆屋が見える。

写真中:拝殿とその奥の本殿

写真右:「屋岡神社」扁額
写真左・中:狛犬

写真右:境内右奥の境内社覆屋
写真左:拝殿の中に飾れていた「神功皇后と赤子の応神天皇」の絵馬

写真中:神社のすぐ前の道を入ると、「但馬六十六地蔵尊第三十三番札所・天子」のお地蔵さんがある。
<御詠歌>
「よくきけよ そのいにしえわ われもまた あまのみなれば ぢぞうぼさつよ>
「あまてらす かみのみすへの あまことは ぢぞうぼさつも いわれあるさと>
<お詫びと訂正>

(1)のコメントで、「国道9号線八鹿町天子の信号(「谷常」のところ)を左折し、」は×間違いでした。

9号線八鹿町天子信号の交差点(谷常のあるところ)を、村岡方面に向かって<右折>し・・・・の間違いでした。すみません。
https://blog3.hunaki.net/yabu-city/yaoka-streetview/
ストリートビュー撮影してきました。
この神社には鹿子の木とえの木があります
えの木は但馬の巨木100選に選ばれてるそうです

御神木と神社っていう視点から見ると
また面白いかも

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