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世界が尊敬する日本人コミュの命のビザ 杉原 千畝

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8000人のユダヤ人を救った外交官。

医者よりも英語教師の道へ進んだ事から、親から勘当されてしまう。
教育費に苦しんだ彼は、官費留学生になる事を決断する。しかし得意の英語の募集は無く、ロシア語の勉強をさせられる事になる。
しかし持ち前の勉強好きが幸いし、留学生一のロシア語使いになる。

32歳の折り、成立したばかりの満州国外交部に派遣され、ソ連が所有する東清鉄道の譲渡交渉でその力を発揮する。
当初ソ連は、六億五千万円を提示していたが、杉原の綿密な調査の前に屈し、一億四千万円まで引き下げる事に成功した。
しかしこの事が災いし、念願のソ連大使館勤めをソ連側から入国を拒否されてしまう。杉原の、調査能力を警戒しての事だ。
外務省も仕方がなく、杉原は駐ヘルシンキ公使館の書記官になる。
更に追って、バルト三国の一つ、リトアニアのカウナス領事代理に転任する。
この頃欧州では、第二次世界大戦が勃発していた。
杉原は、情報収集に余念がなかった。
リトアニアは、ポーランドに侵攻したソ連軍や独軍の情報収集には、恰好の場所でもある。
そんな時ポーランド在住のユダヤ人達は、このカウナスに逃げ込んできていた。
ソ連はポーランドの一部をドイツに渡し、代わりにバルト三国を譲り受ける。

1940年6月1日に、バルト三国はソ連の衛星国となる。
リトアニアに逃げ込んできていたユダヤ人達は、行き場を失った。

7月13日。
ソ連は日本領事館の閉鎖を、要求してきた。事実上の、退去命令である。

運命の、7月18日の朝。
日本領事館の周囲は、大勢のユダヤ人達に囲まれていた。
彼等は、日本の通過ビザの発給を要求していた。
日本の外交方針としては、ビザの発給は出来る。しかしこのような大勢のビザ発給は、治安の観点から外務省の許可がいる。
7月22日に外務省より、訓電が届く。
発給拒否。
続く23日。
三国同盟締結を急ぐ外務大臣松岡洋介右は、「ビザの発給は行き先国の入国手続きが完了した者に限る。」と訓令してきた。
杉原は条件緩和を要請するも、拒否の解答が来る。

25日。
杉原は、ついに決断をする。
杉原は外務省に、リトアニア状況やユダヤ人の詳細な報告電を送り、ビザの大量発給に踏み切る。

29日。発給開始。
僅かな手数料も払えないユダヤ人に対して、手数料ゼロを宣言する。以来杉原は、手数料も、パスポートや身分証明書すらも無いユダヤ人達の、ビザをひたすら発給をし続ける。

8月26日。領事館閉鎖。
杉原はホテルに移り、更に発給を続けた。

更に9月5日。
杉原の退去期限。
列車のホームで、ビザを発給し続ける杉原の姿があった。
鬼気迫る表情を漲らせ、必死にビザを書き続ける杉原。
杉原の周りには、ユダヤ人の他に、ソ連軍の人間が居た。

定刻。
まだ書き続ける杉原を、ソ連軍の人間は抱き抱えるようにして列車に押し込む。
必死に抵抗する杉原。しかし杉原は瞬時に決断し、列車の窓からビザの発給を続ける。取り付かれたように。

発車する列車。列車と一緒に走り出すユダヤ人達。
あと一人、あと一人。
杉原は、必死にビザを発給し続けた。
列車は、ホームから離れた。

杉原の長い長い、命のビザの発給は、終わりを告げた。

杉原の去ったリトアニアには、翌年六月に独軍が侵攻を開始。その頃リトアニア在住のユダヤ人達は、まだ約115万人居た。その殆どが、ナチスによって連行され抹殺されてしまった。

戦後杉原は、ユダヤ人から金を貰ったと揶揄され、外務省から退職させられてしまった。四十七歳の、働き盛りで。
失意の杉原は職を転々とし、やっと貿易会社に腰を落ち着かせる。
その時杉原は、還暦を迎えていた。
その頃になってイスラエルでは、探していた杉原の行方を知る。
イスラエルから次々に憲章される。
1986年、杉原は永眠する。
享年八十六歳。

日本以外の国では、杉原の功績を讃える一方、1992年になってやっと日本において、杉原の功績を認め讃える事になる。
杉原が実質的に外務省を追放されて、四十五年後、死後六年後の事である。

杉原は外交官見習いだった頃、日本では天皇の元、すべての民族は平等であるとの教えを受けた。
私大出身であり出世に縁の無い杉原は、ひょっとしたらこの若き頃に受けた外交官としての基本的な態度を、額面通り受けたのかもしれない。

「ユダヤ人のビザを発給すれば、職を失うかもしれない。ドイツに捕まるかもしれない。」
妻である幸子に、杉原はそう漏らしたと言う。
遠い異国の地。妻と幼い子供三人を抱え、悩みに悩む姿は、とても人事とは思えない。

コメント(5)

この方は、日本人では少ない、「星にその名前が付けられている人」なのですね。
http://www.nndb.com/lists/919/000095634/ (この表では二人)


この方を知ったあとで、自分の故郷に近い出身だと知ったのですが、
それで地元では知っている人がわりといるようです。


尊敬する人はと聞かれるといつもこの方の名前を出しています。
> ガチャピン_・)さん

書き込みありがとうございます。
訓令違反であるビザ発給もさることながら、お金が無いユダヤ人にビザ発給手数料を無料にした事は、まさに感動に値します。
日本人の中の、日本人と思います。
(だいぶ間が空きましたが)しかしどのくらい日本でその存在が知られていなかったかというと、
杉原氏が亡くなった1986年、私は杉原氏が在学していた大学の学生だったのですが、
実はそのころまったく存在を知りませんでした。そんな話が出たこともなかったような、、


もちろん、私の勉強不足の可能性はかなりあります。
当時すでにYadVashemなどから憲章されていたにもかかわらず。
出身地:出身大学が偶然同じの自分がまったく知らなかったわけで、、

そのときの国の方針に逆らうことが後に正しいこととみなされることもある、何を自分の行動規範にするか、は国家を超えたものでありうる
ということを(その後調べて)この方から学んだ気がします。
はじめまして。

ずいぶん前ですが、テレビで紹介されていたのを見た事が有ります。とても感動しました。シンドラーのリストも見ましたが、テレビでの紹介のキャッチフレーズが「日本のシンドラー」だったと記憶しています。時代の規範では無く、人道的良心に元ずいて行動した博愛精神が素晴らしいともいます。

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