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剣聖伝 上泉伊勢守信綱コミュの【本編】約束?

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愛洲移香斉から陰流の皆伝を受け,新陰流を興して三年。
秀綱は既に関東八州には敵なき腕前となり,物足りなさを感じていた。
だが,ト伝のように廻国の修行に出るには,郷里を捨て,家族きょうだいを捨て,上泉城を捨て,わずかばかりではあるが家臣を捨て,畏友であり我が殿と仕えるべき長野業政の信任をも捨てねばならぬ。

小なりとも城主ではあるものの,己は将の器にあらず,軍の長としての生き方も受け入れ難かった。今のところは長野十六槍のメンバーという位に甘んじているが,そんな肩書きや呼称はどうでもいい。

西上野の里は決して裕福な土地柄ではない。武士として,面目が立つほどの生活をしたければ,戦で手柄を立て続け,重臣として高禄を喰むのが,目指すべき常道である。

秀綱はもともと家柄も良く,食うに困るような生活をしたことがないということもあって,あえて贅沢をしたいと思ったことはない。それよりも何よりも,求めるのは剣の道,剣の強さである。

しかし,陰流奥義を究めた頃から,ずっと心に澱のようにひっかかっていることがある。剣の強さは,どうやって確かめる? それは,やはりそれなりに強い者と手合わせをして初めて確認できることなのである。それ以外にはない。

しかし・・・・ここで秀綱は深く悩む。己が武将として生きるか,剣以外何も持たない一介の剣士として生きるかという大命題と並ぶ,秀綱の二大懊悩である。
剣を振るえば,相手が傷つく。負けた相手は怪我をするか,死ぬ。自分が罪を背負うのは仕方ない。いや,そこまでの覚悟が本当にあるのか。相手の一族からも恨まれ,試合の度に,勝つ度に,敵は増える一方である。

ここで考えた。剣はそれだけで魅力的な物である。剣によってのみ勝つことを己は望むのか。剣を持たずして,無手で勝っては,それは剣士の技とはいえないのか。

時はまだ鉄砲が普及しない,北条,今川の全盛期である。一方で鎧甲冑の性能は上がり,まともに剣や槍で斬り,突いたとしても勝ちはおぼつかない。そんな時代を映して,小具足,すなわち甲冑格闘術が発達しつつあった。武芸十八般には,必ず含まれるものである。(大東流合気柔術などが生まれるのはまだ先のことである。)

その権威といえば,実は地元に近い真田家に伝わるもの(名称は特に確認されていない。赤備え,六連銭の小具足といえば,上州では有名であった)が竹内流と泰斗
とされる。しかし,当時から真田は日和見主義で,箕輪の長野に寄るかと思えば,北条に寄ったり武田と通じたりしており,信用ならない。今のところ友好関係にはあるが,いきなり武術の奥義を教えてくれるとは思えない。

秀綱はそこまで思いを巡らし,無理を言って暇をもらい,はるばる美作国まで竹内久盛(〜1595)を訪ねることにした。表向きは伯耆の刀鍛冶に,長野家の宝刀の手入れを頼みに,秀綱が使いに赴くということにした。

伝によれば,久盛は新陰流誕生に遡ること数年,1532年に「腰之廻」という綜合格闘術を体得している。当時の修行談によく見られるように,神社に参籠し断食行を重ね,満願の日に山伏が現れて術を授けたというものである。

目通りはすんなりかなった。ときに秀綱32才,久盛推定26才と若かった。
剣を傍らに置いた秀綱が,静かに口を開く。
「それがし,剣でそなたに勝っても自慢にはならぬ。無手の極意をお教え願いたい。」
「そなたが剣,こちらが無手でもよろしいが・・・?」

五尺に満たぬ小兵ながら,久盛の鼻っ柱の強さは飛び抜けていた。
ここで頭に血が上るようでは使い手とは言えない。秀綱は,久盛の立ち居振る舞いに,今まで会ったどの剣豪にも見られない流麗な隙のなさを見抜き,油断できぬと気を引き締めた。
しかし,久盛の強さは,その想像をさらに超えていたのである。

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