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文豪てっしーを見守る会コミュのかなしゃるちゅ(2-5)(長編)

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 「あっ…うん。どうしたの?」面と向かってほとんど話したことがない人と電話で話すのは実際に顔を見て話す以上に緊張することだった。


 「明日、土曜日でしょ。その……買出しのことなんだけど……明日行けませんか?もちろん無理だったらいいんですけど……」璃子の声はどこかたどたどしかった。


 「俺は大丈夫。明日ね。何時からにしようか?」


 「じゃあ……あの……11時からでどうですか?」11時だと、完全にお昼を跨ぐ。デートと言えなくもなかった。もちろん輝には断る理由はなかった。


 「いいよ。11時ね。集合場所は修猷の正門でいい?」


 「あっはい。大丈夫です。それではまた明日」とても優しい落ち着いた声だった。しかしまだよそよそしかった。


 「母さん、明日出掛けるけん。昼はいらない」輝はリビングに行き、母親にそれだけを告げた。


 「あら、デート?楽しんでらっしゃいね」からかうような笑みを浮べていた。


 「どうでもいいけどさ、あんた……女の子を悲しませるようなことだけはせんどきーね」ゆかりもその話に加わる。ゆかりがどんな想像をしているのかはわからなかったが、ゆかりのその言葉だけはなぜか輝に妙に重くのしかかってきた。


 「ああ、わかった」

 そのまま輝は二階へ上がっていった。明日着ていく洋服を決めなければならなかった。南の夜空に浮かぶ満月の淡い光が輝の部屋に差し込んでいた。輝は部屋の電気をつけず、その代わりにクラシック音楽をかけ始めた。クローゼットを開き、持っている服を部屋一杯に並べてみた。かなりの数の服があったが、しかしたった一つ女の子と出掛けられるという条件をつけるだけで、そのほとんどに赤字で大きな×がついていった。


 「こんなことなら、もうちょっとまともな服を買っておけばよかった」

 輝はため息を漏らした。後悔はいつだって先には立たない。小遣いのない中高生が服を得る手段は基本的に親の温情にすがる他はない。しかし輝は中学生になって以来、親と買い物になんて気恥ずかしくて行く気にもなれなかった。親が時々買ってきてくれた服は、普段着にする分には不満はなかったが、デートとかそういうイベントごとに着ていけるようなものではなかった。時代遅れという訳ではなかったが、感覚のズレのせいなのか今の高校生の着る服という風には見えなかった。


 唯一救いだったのが、誕生日にゆかりがプレゼントとして買ってくれたいくつかの服があることだった。さすが流行に乗っている大学生というだけあって、ゆかりは今どきの高校生が似合いそうな服を選択してくれたようだった。
 

 ジーパンと白を基調としたポロシャツという無難な組み合わせを選んだ。
 

 服は済んだが、しかしもっと大きな問題が残っていた。璃子との会話のことだった。璃子は自分から話をするタイプとは思えなかった。しかも人見知りなのかかなり緊張していた。どうにかしないと無言の気まずい空間になるのは避けられないだろう。
 

 しかし教室の中で璃子は、周りには必ずと言っていいほど誰かがいて、昼休みになると仲良くおしゃべりをしていた。きっかけさえ掴めれば思った以上に簡単に打ち解けられるかもしれない。その光景が輝の上に降り注いでくる希望の光だった。
 

 しかしどこにそのきっかけが転がっているのか、一番肝心な所はわからずじまいだった。
 

 輝は話のきっかけになればと、ゆかりがヨーロッパ旅行の土産に買ってきたルーヴル美術館のガイドブック、ルネサンス関連の文庫本、そして夏目漱石の『三四郎』をバッグの中に入れた。バッグがずしりと重くなった。このバッグをずっと持ち運ぶと考えると少し気が滅入ったが、この重さが希望をもたらしてくれるものだと信じたかった。
 

 輝は部屋の電気をつけた。見たいテレビもなく、仕方なくベッドに寝そべって英単語帳を開いた。中学校で覚える単語は500だと言われている。そして輝が高校に入学してからの三ヶ月で新たに覚えさせられた数は既に500を越えていた。どう考えても中高での英語教育のバランスは悪すぎだった。こうなることが始めからわかっていれば、中学校時代にもっと頑張ったのにと今となっては思う。しかし実際は中学生の頃にそれを知っていても頑張ったかどうかは怪しいものだ。結局大抵の人間は差し迫った事態にならない限りは容易には動かないものだと思う。
 

 輝は単語帳を閉じた。金曜の夜というこの幸せな時間に単語を覚えなければいけない理由をなんて特になかった。
 

 代わりに読みかけだった小説を手に取った。輝は小説を読んでいる時に味わう、揺りかごに揺られているような、自分の心が肉体から解き放たれていくような、不安定で頼りない不思議な感覚が好きだった。
 

 小説という色のない白黒の世界、それを目で追っていく。見た目ではそれだけの行為に過ぎない。しかし風に吹かれる深緑の森、光を受けてきれいに輝く青い海、頭の中では色鮮やかな別世界が広がり、そんな世界の中で登場人物たちが泣き、笑い、そして恋をする。文字を読んでいることさえ忘れてしまうぐらい滑らかにストーリーは流れていく。輝は登場人物を差し置いてヒロインに恋をし、本を閉じた後、ふと現実世界に戻ってきた時、愕然としたことさえ一度や二度ではなかった。しかしそれでも不思議と具体的にヒロインの顔が浮かんできたことは一度としてなかった。
 

 これが一般的なことかどうかはよくわからない。しかし輝はこれで良かったと思っている。もしヒロインの顔が例えばクラスの同級生の顔に置き換わったら、小説の中で不都合となるシーンは意外と多い。もしそうなったら翌日、学校でその同級生の顔をちゃんと見られる自信はとてもじゃないが輝にはなかった。

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