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小津安二郎コミュの蓮實重彦さんの『監督 小津安二郎』

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小津監督に対する並々ならぬ敬愛と知識をお持ちの皆さんに、
このようなトピックを立てるのはかなり勇気のいることですが、
最近、遅ればせながら同著を拝読しました。
(改訂版ではない方です)

小津映画には、戦後三部作から入ったような私には、
そもそも、戦後三部作を絶対とする一部の風潮について、
蓮實さんが書いていらっしゃる
「必然的に純粋な小津と不純な小津、あるいは完成された小津と不完全な小津という対立的な図式を引き出し、結局のところ、その一方ばかりが真の小津安二郎として選択されてしまうからである。(中略)結局、晩年の小津を一つの完成図と想定し、初期や中期の作品を完璧さに接近するための必須であったが、おおむね無視することの可能な過渡的な段階として、そこに二義的な価値しか認めようとしない傲慢さである」
にガツンとやられました。

その他、興味を引いた箇所を抜き書きしますと。
■視線の等方向性
「たとえば、『早春』の冒頭に示される通勤風景で、ホームに立った誰もが同じ方向に視線を注いでいながら、その対象である電車をなかなか見せようとしないのは、単なる技法ではない。(略)そもそも始まりからして、視線とその対象とを因果律的な関係で示すことに無頓着なのである」

■階段を媒介として結ばれることのない2階が、未婚の女たちの聖域
「後期の小津に姿をみせる日本家屋の二階の部屋は、男の聖域としての料理屋の座敷と正確に対応しあった細部である」

■「東京物語」の真夏の死に対する、「東京暮色」の真冬の死
「(東京暮色について)その後、この映画を語るものも数少ない。だが、小津安二郎を見るとは、この真夏の死と真冬の死とをともに肯定することではないか」

■固定ショットと不自然
「そもそもの始まりから、映画とはきわめて不自由な環境なのだ。それ故、移動撮影か、パンかティルトか、固定画面か、その三つしかないキャメラワークによってフィルムに定着されたイメージを編集によって適宜組み合わせながら、一篇の作品を完成させ、そこに単調さの印象を生じさせまいとする試みは、自由を装った不自由さへの埋没に他ならない。(略)もっとも自由な映画とは、戦略的に不自由に徹することで、映画自身の限界を際だたせうる作品ということになるだろう。そうした意味で、小津安二郎はこの上なく自由な作家の一人だと言わなければならない」

引用が長くなりました。まだまだ、衝撃を受けたフレーズはありますが、このあたりでやめておきます。
これらを、自分ではなかなか呑み込みきれず、消化しきれません。

同著について、ぜひ諸先輩方たちが語り合うのをうかがってみたいと思いました。
小津ビギナーの私には、そのいちいちにコメントできないと思いますが、
これを機会に、小津映画をさらに深く楽しみたいなと思います。

蓮實さんありきではなく、反論もありだと思います。

いろいろ、お話をお聞かせください。
よろしくお願いいたします。

コメント(51)

 >KEIさん


>「三次元的整合性を気に留めない」照明について、細かく観察され分析されていて驚きました。

 『国際シンポジウム 小津安二郎 生誕100年「OZU 2003 」の記録』 (朝日選書)の中に、澤井信一郎監督によるカットバックに関する発言があるのですが、これが面白い指摘なのです。澤井監督は、会話の場面に於けるカットバックはゴチャゴチャするし撮っていても緩慢な感があるので、出来るだけ引きの画面サイズでカットを割らずに撮ると言います。ところが、小津さんはイマジナリー・ラインを無視してでも、人物の向きを統一させてしまうのでカットバックをしても画面に清潔感がある、それを小津さんなりに発見した…といった指摘です。
 確か、『小津安二郎と映画術』(貴田庄/平凡社)だったと思いますが、『お茶漬の味』での、佐分利信さんと小暮美千代さんのカットバック撮影の記録が載っていて、佐分利さんの顔は小暮さんの顔よりも若干大きいので、カメラから少し離して撮影していた…。つまり、佐分利さんと小暮さんが、同じ大きさに映るよう撮影していたというのです。スタンダードサイズの画面に対して、どのような写真を作るか…つまり物語を適切に“説明”する画面作りではなく、写真芸術や絵画芸術のように、生身の人間の感情を“表現”する画面作りだったように思います。
 『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』(日本図書センター)の中には、1952年に『東京新聞』で短期連載された小津さんによる「小津安二郎芸談」と題する文章が収められています。その中で、イマジナリー・ラインやクローズ・アップについて、それ程、重要な事では無いと明言した上で、こう記しています。
 「どうも、文法論はこじつけ臭い気がするし、それに囚われていては窮屈過ぎる。もっと、のびのびと映画は演出すべきものではないだろうか」。
 これは、私たち鑑賞する側にも言える事ですね…。


>実はこの数日、例えば『龍馬伝』を観ていても、キーライトの位置は? 切り返しショットは?などということが頭をよぎります(笑)。

 何故あんなにもカメラを動かす必要があるのかとか、何の為のカット割だったのかとか…(笑)。昨今のドラマよりも、すっかり変色してしまった過去の時代劇なんかの方に、唸るような演出が見られたりね…(笑)。
>如是円さん

>小津さんはイマジナリー・ラインを無視してでも、人物の向きを統一させてしまうのでカットバックをしても画面に清潔感がある、

小津監督は、面白いことを発見されたと思いました。

先日から時々引用させていただいているゴングさんのブログの中で、
(ご本人に名前を出してよいとご許可いただいたので堂々と書きます!)
このカットバックのシーンをスチール写真で見せていただいたのですが、
(イマジナリー・ライン越えを言及されている日記で)
まとめて、そういうカットばかり見せていただくと、
撮影した時期も俳優さんも違う別の映画なのに、本当に見事に統一されていて、
美しいとさえ思いました。

>佐分利さんと小暮さんが、同じ大きさに映るよう撮影していたというのです。

これは現在でも、商業写真においてなされますね。
商業写真の場合は「配慮」ですが、
小津監督はやはり画面としての美しさを求められたのでしょうか。

>「どうも、文法論はこじつけ臭い気がするし、それに囚われていては窮屈過ぎる。もっと、のびのびと映画は演出すべきものではないだろうか」。

ここでようやく、私がトピを立てた時に掲げた蓮實氏の次の文章につながります。

■固定ショットと不自然
「そもそもの始まりから、映画とはきわめて不自由な環境なのだ。それ故、移動撮影か、パンかティルトか、固定画面か、その三つしかないキャメラワークによってフィルムに定着されたイメージを編集によって適宜組み合わせながら、一篇の作品を完成させ、そこに単調さの印象を生じさせまいとする試みは、自由を装った不自由さへの埋没に他ならない。(略)もっとも自由な映画とは、戦略的に不自由に徹することで、映画自身の限界を際だたせうる作品ということになるだろう。そうした意味で、小津安二郎はこの上なく自由な作家の一人だと言わなければならない」

上記の(略)の中に、

だから、「映画には文法がないんだと思う」という小津安二郎の発言は、ひたすらローアングルの固定画面に執着した監督の自己弁明ではなく、一つの映画的真実にふれる言葉だと解釈されねばならない。

とありました。

最近のドラマの話の例えが出ましたが、確かにむやみにカメラが動き回って、カット割りが多くて、いかにも「私はドラマを作っている」と言わんばかりの“動”画ですが、自らに制約をかけるほど、生身の人間の感情表現に画面作りは委ねられるのかもしれませんね。

とわかったようなことを言っております。
誤った解釈はご指摘をお願いします(笑)。






 >KEIさん

 ちょっとだけ補足します。

 イマジナリー・ラインを越えた向きの統一は、一時的には視覚的な混乱を招きますが、これは見ている内に慣れて来る事です。ところが、人物の大きさを統一させるとなると、ちょっと意味合いが変わって来ます。会話の場面でのカットバックでは、人物のサイズは対面している者同士の距離を表すものです。一方の人物の視界に入る、もう一方の人物との距離です。距離が離れていればフルショット(全体像)、近付く毎にミディアム・フル(膝上)→ミディアム(腰上)→バスト(胸上)→クローズアップ(顔)といった具合に、人物同士の距離を示す重要な視覚情報となります。貴田庄さんが『小津安二郎と映画術』(平凡社)で挙げていた例では、他に『秋刀魚の味』のゴルフ練習場の場面がありました。椅子に腰掛けた佐田啓二さんと、同僚役の吉田輝雄さんが、隣同士に座っているようには見えないという指摘です。確かにそうでした…。『お茶漬の味』に話を戻すと、画面に映し出される人物の大きさが統一されているという事は、小暮美千代さんから佐分利信さん迄の距離と、佐分利信さんから小暮美千代さん迄の距離が、それぞれ異なっているという視覚的な情報を齎すものです。勿論、一見して気付き難い誤差であればこそ断行出来る事なのでしょうが…。おそらく、人物の仕草や表情、台詞、衣装や髪型、小道具などによって表現している画面が、人物の大小によって乱される事を回避していたのではないか…と私なりには解釈しています。

 蓮實さんの言及は、《説話論的な持続》を意識して見ない論調への、ちょっとした挑発なのではないかと思っています。と言いますのは、やはり澤井監督の発言ですが、会話のカットバックほど単調なものはなく、澤井さん自身は、その単調さを克服する自信がなかったので、監督としてデビューするのが遅れたと仰有っています(※手元に資料が無いもので、言葉は正確ではありませんが…)。更に、小津さんのカットバックは、単調さの印象を生じさせまいとする試みの果てに行き着いた結果だったのではないか、とも…。
 私の場合は、小津作品一辺倒ではないもので、蓮實さんのこの挑発には同調出来ないんですよね。自由を装った不自由さの中にも作家の個性は息衝くものと信じているもので…。ごめんなさいね(笑)。
ここは、書籍関連のトピックという事で避けて来ましたが(笑)、トピ主のKEIさんからのメッセージをきっかけにやって参りました。

照明の件ですが、ヴィム・ヴェンダースの『東京画』の中で厚田さん自身の口で「照明は(小津監督が)完全に任せてくれました」と話しています。小津作品の照明で気になっている“三次元的に矛盾する照明”ですが、仮に、この不思議な照明も厚田カメラマンの提案だとすると、では松竹以外の小津作品はどうだろう…、という事で検証をしてみました。すると、松竹以外でも小津風の不思議な照明は継承されています。では松竹で、厚田氏が撮影を担当する以前と以降ではどうだろう…。う〜ん、厚田氏が初めて正式に撮影担当になった『淑女は何を忘れたか』以前の作品でも“三次元的に矛盾する不思議な照明”は見られます。『淑女は〜』を境にガラっと変わってくれていればスッキリしたのですが…(^_^;)
http://quampaney.exblog.jp/13816328/(の追記)
少なくとも、この不思議な照明については厚田氏任せではなく、きっと“文法にこだわらない”小津監督の指示なんだろう、と思い始めてます。
>ゴングさん

わ〜い、ゴングさん、書き込みをありがとうございます。
お待ち申し上げておりました(笑)。

ゴングさんのブログの“三次元的に矛盾する照明”の記述は
とても興味深く拝読しました。本当に面白かったです。

>きっと“文法にこだわらない”小津監督の指示なんだろう、と思い始めてます。

ひとコマひとコマの連続の中で映像を構築されていると考えれば、
一篇の映画という捉え方ではなく、
そのカットの中での意味を重視されたのでしょうか?


>如是円さん

私のような小津ビギナーに、ご丁寧な解説をありがとうございます。
少々、水面から顎を出しアップアップしながらも、
ついていきたいと頑張っています(笑)。

>イマジナリー・ラインを越えた向きの統一は、一時的には視覚的な混乱を招きますが、これは見ている内に慣れて来る事です。

私はよほど観察力がないのか、このイマジナリー・ライン越えについれは、蓮實氏の本を読むまで意識したことさえありませんでした。
確かに、カメラアイのカットが多いとは思っていましたけれど。
ここのコミュのように熱心に研究されている方以外にも、イマジナリー・ライン越えはそんなにも不自然に見えることなんでしょうか。

>おそらく、人物の仕草や表情、台詞、衣装や髪型、小道具などによって表現している画面が、人物の大小によって乱される事を回避していたのではないか…

これはわかるような気がします。

画面の中の人物のサイズが「人物同士の距離を示す重要な視覚情報」とおっしゃっているように、観衆に与えられる情報が多くなればなるほど、その他で表現しているものが伝わりにくくなります。
小津監督にとっては、イマジナリーライン越えをおかしても、さらに人物同士の距離感を狂わせても(?)優先すべき表現があったということですか。小道具へのこだわりなどもその一つなのでしょうね。





KEIさん
>ひとコマひとコマの連続の中で映像を構築されていると考えれば、
>一篇の映画という捉え方ではなく、
>そのカットの中での意味を重視されたのでしょうか?

小道具の移動と同じように、基本的にはカット毎の画を重視したと思います。
例えば、小津監督が「このカットでは顔の右側から光が欲しいな」とか…。
しかし、ここに貼った一連のシーンのような照明の矛盾には、一体どんな意図があるのか謎です。
ここは蓮實書籍のトピックなので、これ以上の憶測は控えておきますが…(^_^;)

新東宝『宗方姉妹』1950年
撮影:小原讓治/照明:藤林甲
>ゴングさん

この写真はブログでも拝見しましたが、
明らかに確信犯的な照明の矛盾ですよね。

そして、小道具においても、
明らかに、上段の2コマも、下段の2コマも、
小道具が動かされていますよね。
右手のタンスと、左手の水差しの載った台が
アップの画面に入るように寄せられています。

まさか、後年にこうして間違い探しをするように、
こまかく四隅やら照明のあたり具合をコマ割で
チェックされると思われていたでしょうか、小津監督は?(笑)



>>19 KEIさん
あっ!小道具の移動は気づきませんでした!凄い!!!
上段のアップでは、よく見ると鴨居(?)の上に乗っている小物もタンスと一緒に中央に寄せてますね。
実はKEIさんが気になるといわれる『彼岸花』の小道具の移動も、あれから観直してみましたが、ブログに書いた湯呑以外には発見できませんでした。こういった小道具の“操作”は、チャップリンが『ライムライト』の中で、もっと確信犯的にやっているんですが、まぁ、それはここでは書きません(^_^;)
間違い探しは“出題者”にとってはは簡単な事だと思います。カット毎に小津さんはカメラを覗きながら“照明”担当に指示していたんでしょう。もちろん、厚田さんの指示ではありませんね。

補足:>>13
厳密に言うとスチル写真ではなくキャプチャー画像です。
キャプってもスチル写真のようなのは面白いです。
>ゴングさん

>KEIさんが気になるといわれる『彼岸花』の小道具の移動も、あれから観直してみましたが、ブログに書いた湯呑以外には発見できませんでした。

あれっ? 作品を間違えたかな?
ゴングさんは全集をお手元にお持ち?
すぐに何度でもチェックできるんですね。
いいなぁ。

ゴングさんのブログを拝見していると、
一種の謎解きのように、時間を忘れて読みふけりました(笑)。

このキャプチャー写真は、罪ですね(笑)。
全ては白日のもとにさらされる、という感じ。
こうして並べられないと、小道具の移動に気づかないこともあるかもしれません。
こうやって画面ごとに一枚一枚丹念に眺められ、
1カットごとのこだわりを理解してもらえて本望なのか、
おいおい、と思われているのか(笑)。

KEIさん

いや〜、『彼岸花』の小道具の移動は、きっと私の見落としでしょう。
そのうち「おっ!これか」という感じで発見したいです。

キャプチャーを撮って(1コマ毎に分解して)並べるのも面白い発見があるし、
(時間を圧縮して)早送りで見ても、切り返しサイズがほぼ統一されているのが
良く分かって笑えます。
こういった謎解きゲーム(笑)は、『彼岸花』での“トリック”のように、
いずれは分かるように小津自身が仕掛けた“トリック”だと思いたいですね〜。
>ゴングさん

どうしても映画を見始めると、ストーリーにのめり込んでしまって、
しまった、さっきのところをチェックし忘れたと思ってしまいます(笑)。

>いずれは分かるように小津自身が仕掛けた“トリック”だと思いたいですね〜。

そう考えると、何やら楽しくなりますね。
もう一回、「彼岸花」を見てみます。

※このコメントを誤って「Youtube」トピに書き込んでいたので、
 こちらに移動させました。失礼いたしました。

>ゴングさん

「彼岸花」の中で動いた小道具は、やはり赤いヤカンでした。
先述の『宗方姉妹』と同じです。
寄った時に赤いものを差し入れたいために、ヤカンを寄せているんです。

1箇所目は、
平山宅に、幸子が訪ねてきたシーンです。
一度、幸子が立って廊下をウロウロした後、
座敷に戻って座ったところで、ヤカンが寄せられています。
別トピでyoutubeの画像が紹介されていたので、その部分を下記に。
http://www.youtube.com/watch?v=CCe_91J697s&NR=1
(4分30秒あたり)

2箇所目は、
平山が、三上の娘に会って帰ってきたシーンで、
やはり、ヤカンが一枚の障子の端から端まで動いています。
http://www.youtube.com/watch?v=yi-XvaPmiyQ&NR=1
(最初のヤカンは2分過ぎ、2分24秒あたりではもうヤカンが動いています)

赤い小道具の中でも、
このヤカンがどうしても気になるので気づきやすいんですよね。
どうして畳の上に用もなく、
こんなヤカンが置きっぱなしになっているんだろうって(笑)。

ところで、ゴングさんはブログで
小津監督の色彩設計のことをおっしゃってましたよね。
あの記述を読んでいたので、
例えば、谷口が突然結婚の許しを請いに来たことで、
平山が節子に詰問する場面などで、
田中絹代演じる清子の背景が「緑」色で統一感を持たせているのに気づきました。
清子の着物が緑であるのをはじめ、
鏡台にある緑色の化粧瓶、襖の取っ手まわり、襖の文様も薄い緑色です。
http://www.youtube.com/watch?v=C1SCLnV8IOU&feature=related
(3分50秒あたり)
その他のシーンでも、清子のバストアップ写真はだいたい、
この「緑」で統一されています。
ゴングさんがおっしゃっていたのは、これだなぁと思って観ていると、

さらに物語が進んで、平山が幸子の“トリック”にかかって、
娘の結婚を許したことになり、
機嫌の良い清子がラジオで謡曲?を聴いているシーンです。
http://www.youtube.com/watch?v=08vV-aQQpuQ&feature=related
(4分40秒あたり)

カメラの角度を変えて、鏡台の化粧瓶も、
ふすまの帯の緑も画面に映らないようにした上で、
さらに、清子自身の身体でふすまの文様も隠しています。
そして、清子がいつも締めている緑の帯も、
清子が座卓に手を突いて前屈みになることで見えなくなっています。
つまり、緑色を一切排して、着物の茶系で画面が統一されているのです。

これはどう見ても意図的だなぁと思うのですが、
この細かい色彩設計には驚きました。
そして、その後のシーンでは再び、背筋を伸ばして座る清子の帯の緑と、
背景の襖の帯の緑が現れて、緑の画面に戻っています。

面白い発見だと思うのですが、いかがでしょう、ゴングさん?(笑)
それにしても、あの清子さんのご機嫌な部分で
緑を排する意図はどういうものだったのでしょうか?
KEIさん、さすがです。

どうして、こんなに目立つ赤(朱色)の移動に気付かなかったんだろう。
田中絹代の緑は分かっていましたが
それを排除する場面を気付かれるとはさすがですね。
この場合の緑は“緊張感”なのかなぁ。
12〜14

「小暮」ではなく「木暮」実千代ですね。

私もよく打ち間違いをしますが、気持ちの悪いものです。


ドサクサにまぎれて「お茶漬けの味」で..

「別にどこをよく観て下さいとか、ここんところを苦心しましたとかいうことはないね。新らしい試みをやった訳でもない、強いていえば佐分利、木暮御夫婦の心理の綾なのだろうが、そればかりに重点を置いたわけではない。そういうことは観客が自由に判断されるべき問題だ。」小津安二郎(「戦後語録集成」フィルムアート社)
>ミツハリスンさん

>強いていえば佐分利、木暮御夫婦の心理の綾なのだろうが、そればかりに重点を置いたわけではない。そういうことは観客が自由に判断されるべき問題だ。

多少は監督の意図のようなものを推し測りながら、
最後はやはり鑑賞者が何を感じるのか、ということなんですね。

この頃は、ただじっと映像を観て、
そこから、この映画が何を自分に訴えてくるのか、
耳を澄ますように観ています。
いまはまず、そうやって勉強中です(笑)。
 笠智衆さんの『大船日記 小津安二郎先生の思い出』(扶桑社)から……

 《昭和二十二年の『長屋紳士録』という映画では、こんなこともありました。易者役の僕が、机の上の手相の図に、筆先でチョンチョンとツボを書き込む場面があったのです。これを正面からキャメラで撮っている。筆を使うと、当然、頭が下がるわけですが、先生は「顔はそのまま」とおっしゃる。僕が、「そりゃあちょっと不自然じゃないですか」と思いきって抗議してみたら、「笠さん。僕は、君の演技より映画の構図のほうが大事なんだよ」と、一蹴されてしまいました…》
>僕は、君の演技より映画の構図のほうが大事なんだよ」と、一蹴されてしまいました…

ぶふふふっ、と笑ってしまいました(笑)。
確かに、あれほど大胆にヤカンも動かすお方ですものね。
映画に向けられる小津監督の姿勢がよくわかりました。


 池辺良さんの著書『21人の僕―映画の中の自画像』(文化出版局)からの引用です。『早春』の撮影にあたって、小津さんから池辺さんへの一言。

 《俺は、この本なんか、三年も温めて、何ヵ月も野田と蓼科(茅ヶ崎館の誤り)に閉じ籠ってさ、書いたんだ。だから、俳優さんの御勝手で、一字でも作り変えたら、俺は困るんだ……印刷された通りにきちんとやっておくれよ》 (『小津安二郎日記』都築政昭・著/講談社)

 石坂昌三さんの著書『小津安二郎と茅ヶ崎館』(新潮社)には、たまたま小津さんが電話を掛けているところを目撃したエピソードがあります。相手はどうやら野田高梧さんだったらしく、話していた内容が、誰々の台詞の語尾「ね」だか「よ」を、やっぱり調子が悪いので省きました云々…。
これは私も大好きなエピソードです。

ですから、小津の台詞を引用するときなど、わかっていても確認します。

だからというワケではありませんが「池辺」ではなく「池部」良ですね。

私もよく打ち間違いをしますが、気持ちの悪いものです(28)。
 《「小津安二郎のような映画」二次会はこちらです(田むら)》と称するトピックに参加されている方々は、どうぞ引き続きそちらでお願い致します(⇒http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=51288846&comm_id=4393)。嫌な思いをさせられたメンバーや退会を選んだメンバーを他所に、伸び伸びと語り合えるトピックをわざわざ自主的に作成し、又、そこへ参加する事を選択したのですから、そこで存分に小津作品の魅力を語り合えば宜しい筈です。《映画作家は橋の下にあって菰を被り、客を引く娼婦…》。娼婦に対して橋の上から唾を吐いたからには、それ相応の覚悟はお有りでしょう。早々容易に他所の領分を侵すものではありませんよ…(笑)。折角ですから、気持の悪いものです(28)繋がりに、私からも一つ……

 『東京暮色』の撮影中、不自然な座布団を除けたところ、そのままでいいと小津さんから注意を受けたのは、当時、助監督として参加していた篠田正浩さん。小津さん曰く、畳の縁が汚く映るから座蒲団で隠すのだという…。(122)
如是円さま

あんまりではないですか。

貴兄のここのところの書き込みに、少なからず敬意を感じていた者として、大変ショックです。

《「小津安二郎のような映画」二次会はこちらです(田むら)》に参加した者として、そこに参加した者は他のトピックに書き込むなというのであれば、私は抗議のためコミュニティを退会します。

貴兄に指摘された、「尻拭い」はしてから退会しますのでご心配なく。
うなずくおじさん
退会する必要はないですよ。
如是円氏が、このコミュを仕切る理由も「無」です。
>如是円さん

>《「小津安二郎のような映画」二次会はこちらです(田むら)》と称するトピックに参加されている方々は、どうぞ引き続きそちらでお願い致します

私は、ビギナーでとても話には加われそうになかったので、
発言こそしていませんでしたが、
あの二次会には、座敷童のように田むらの隅っこで
皆さんの語り合うのを耳そばだてていました。

あのトピでさらに興味を持って、蓮實さんの本を読み、
その後、立て続けに小津映画も観ました。
そして、どなたかがレビューを書いていらっしゃらないかと探したら、
如是円さんのレビューにたどりつき、実に興味深く拝読しました。
このトピや「晩春」トピでも、いろいろ貴重なお話を聞かせていただき、
ありがたく思っています。

できれば、このまま気持ちよく、
小津ワールドに浸っていたいんですが。
何とぞ、よろしくお願いいたします。


>うなずくおじさん

絶対に、退会しないでくださいね。
二次会でのお話、私はとても好きでしたので。


>ゴングさん

>退会する必要はないですよ。
>如是円氏が、このコミュを仕切る理由も「無」です。

私も激しく同感です(笑)。









如是円氏

しばらくぶりに覗いてみればこのていたらく(笑)
やっぱりあなたはその程度。
気持ちよく自分の得意のディテールを語っていても、
それ以外の人が入ってくれば拒絶する。

あなたは爺のお宅なんだね。
あなたのような虫眼鏡の人に
小津の「奇跡」を語って欲しくない
37 KEI氏が(笑)をつけたすこと

「私も激しく同感です」ではなく「私も激しく同感です(笑)」この違いは何?

退会されたおじさまを始め、皆さん腹くくって書いている。茶化すな。

「晩春」トピック
5 私は、このコミュではできるだけコメントを避けている(笑)

5 他のトピックの激しい攻防を見て、恐れをなして立てられていません(笑)

5 このトピックを拝見して、少々勇気を得たので、トピックを立ててみようかしらん(笑)

37 実は妻の父親をかつてヤキモキさせたんじゃないか、勝手だなあと思ったわけです(笑)。

39 如是円さんとのやりとりが、だんだん禅問答のようになってきて(笑)

39 小津ビギナーの私としてはかなり高度で、難解で、お相手が務まっていないのではないかと不安の中でコメントを書いているのですが(笑)

39 その鑑賞力アップのための、「小津映画入門」トピなどどなたか立ててくださらないかな?(笑)

40 という部分の「複雑な感情」ですが、如是円さんのヒントから(笑)

43 如是円さんへのコメントは、居住まいを正して(笑)、向かっております。

43 私のこれまでの書き方が誤解を招くものだったのかもしれませんが、私は一度たりとも、小津映画の「読解」をしたつもりはないです。そんな畏れ多い(笑)。

43 お相手にもならない(話にもならない?・・・笑)私へのコメント、いつもありがとうございます。

「東京物語」トピック
24 尾道に行き、ついつい『東京物語』のロケ地めぐりをしてしまいました(笑)。

26 尾道の観光案内所の方でさえ価値を見いだしてくださらなくなりましたが(笑)、夏休みの読書感想文のテーマに、今も夏目漱石が取り上げられるように、これからの若い人にも長くいつまでも見てもらえる映画であってほしい。

26 写真は、懲りずに(笑)小津監督が宿泊された「竹村屋」です。

29 この石灯籠のある住吉神社もそうですが、問題の(笑)「ええ夜明けじゃった・・・今日も暑うなるぞ」のロケ地である浄土寺にも、桟橋にも、「東京物語」のロケ地であることを示す看板一つありませんでした。

49 ”うなずくおじさん”さんに声を掛けていただけると、何かしら、ほっとします(笑)。

「蓮實重彦さんの『監督 小津安二郎』」トピック
2 私も「後期の小津」から入った人間です(笑)。

4 これなんですよね。蓮實さんの本を読み通すのに、苦労するのは(笑)。

4 本当に言葉が難解で、同じ箇所を何度も読み返すこともありました(笑)。

6 黙殺されている(笑)このトピに書き込み、ありがとうございます。

8 やっぱり、ずぶずぶと「底なし沼」ですね(笑)。

8 まだ見ていない映画も観なくてはいけないし(他に見たい映画もありますし)観た映画だって、これでいくと、あと何回観なくてはいけないかわからないし(笑)。

11 うわあ、底なし沼の中から、如是円さんにずくずくと引っ張り込まれていくような気がします(笑)。

11 確かに。というとエラソーですが(笑)、あの妙に白々と浮き上がる壷には違和感がありました。

11 この距離感が何ともおかしいですね(笑)。

11 それが見事に融合し、完成した作品の世界の中に身を委ねて、何も考えずに浸っていた時の幸せを今一度、思い起こします(笑)。

11 実はこの数日、例えば『龍馬伝』を観ていても、キーライトの位置は? 切り返しショットは?などということが頭をよぎります(笑)。

13 とわかったようなことを言っております。誤った解釈はご指摘をお願いします(笑)。

16 わ〜い、ゴングさん、書き込みありがとうございます。お待ち申し上げておりました(笑)。

16 少々、水面から顎を出しアップアップしながらも、ついていきたいと頑張っています(笑)。

19 まさか、後年にこうして間違い探しをするように、こまかく四隅やら証明のあたり具合をコマ割りでチェックされると思われていたでしょうか、小津監督は?(笑)

22 ゴングさんのブログを拝見していると、一種の謎解きのように、時間を忘れて読みふけりました(笑)。

22 このキャプチャー写真は、罪ですね(笑)。

22 こうやって画面ごとに一枚一枚丹念に眺められ、1カットごとのこだわりを理解してもらて本望なのか、おいおい、と思われているのか(笑)。

24 どうしても映画を見始めると、ストーリーにのめり込んでしまって、しまった、さきのところをチェックし忘れたと思ってしまいます(笑)。

25 どうして畳の上に用もなく、こんなヤカンが置きっぱなしになっているんだろうって(笑)。

25 面白い発見だと思うのですが、いかがでしょう、ゴングさん?(笑)

31 ぶふふふっ、と笑ってしまいました(笑)。

37 私も激しく同感です(笑)。
>ミツハリスンさん

この手法は、一次会で蘭太郎さんに向けられたやり方と同じですね。

誰かを血祭りにあげずにはいられませんか?(笑)(笑)(笑)

37の
>私も激しく同感です(笑)

については、私も反省です。
うなずくおじさんにも直メッセージでおわびしました。

ただ、昨日の如是円さんのコメントに対し、
3人が立て続けに非難したわけです。
非難されて然るべきコメントだったとお考えでしょうけれど、
それではあまりに救いがない。
そこで、最後を(笑)で締めました。
しかし、使ったところが悪かったと反省し、
うなずくおじさんにはおわびしています。

その他の(笑)については、
いちいち、あなたにとやかく言われたくはないです。
そのコメントを書いている時の照れ笑いや、苦笑いや、
時には嫌みを

>26 写真は、懲りずに(笑)小津監督が宿泊された「竹村屋」です。
>問題の(笑)「ええ夜明けじゃった・・・今日も暑うなるぞ」

私流に表現しているだけで、
ここでは、そうしたことのいちいちに
検閲を受けなければならないのでしょうか。

あなたが、このコミュを仕切る理由も「無」だと考えます。



 佐々木康さんの助監督時代。『結婚学入門』撮影時のエピソード……

 《これはやっぱり正月用の作品で非常に急ぎで、ほとんど毎晩、一週間ぐらい徹夜したんじゃないでしょうかね。で、まあ、相当終わりの方に近づいた時に、これは、岡田さんだったか斎藤さんだったか、ちょっと忘れましたけどもね。小津さんが演技をつける。それが大体30秒足らずのカットと思います。「用意、はい」と小津さんが掛けたんですね、ところが演技が終わっても小津さんのね、「オーライ」って声がない訳です。見たらもう眠ってるんですよ。それでやっぱり、あの人は全部コンテを描く監督さんで、ロングだけを固めて撮る訳ですよね。すると、コーヒー茶碗が右にあるか左にあるかって事で揉めちゃってだね、どっちに置いたかって事がね、誰もそれ、分からない訳です。そりゃもう皆が徹夜で疲れてね、それでこりゃ、もう間違ったら俺の責任にしようやっていう気持で「絶対に間違いない。こっちにありました」とまぁ言った訳だ。「まぁ、佐々木君の言う事だから信用して、じゃぁそれでいこうか」って事になった訳です。ところがね、試写見たらそれが反対にあるんです。これにはちょっと僕は……でもまぁ小津さんは叱らなかったですけれどね…》 (『陽のあたる家』井上和男・編著/フィルムアート社)


 助監督としての初仕事が『非常線の女』だった木下恵介さんのエピソード……

 《…セット撮影も小津さんは夜中にやるんですね。そのセットが面倒くさかったですね。とにかく、カットが変わるたんびにね、一枚の額を、そうですね、一間(※6尺:1.818m)ぐらいは平気で動かしますね。だから、不自然でしょうがないですね。あんな同じ額が一間も動いて、あれで変じゃないんだろうかって。それが、もうちょっともうちょっと、で小津さん、キャメラ覗いてね、ほんとに1センチか2センチ、上だの下だの横だのって、動かすでしょう。そいでね、映画作るってこんな面倒くさい事なら性に合わないから、辞めちゃおうって思ってね。うちへ、辞めようかなって電話した事ありましたけどね…》 (同上)
如是円氏

私は貴殿に問いたいことがある。

 《「小津安二郎のような映画」二次会はこちらです(田むら)》
というトピを立てたものとして、

私は人の意見に、反論・異論を唱えたことはあっても
意見を言うことを禁じたことは絶対にない。

そもそも意見を表明するということは、
意を異なる人から反論・異論を受ける事を覚悟するべきであり、
その点で私が反論・異論を唱えたことは間違っていないと信ずる。

「嫌な思いをさせられたメンバーや退会を選んだメンバー」は
それを覚悟せずに意見を表明しただけであり
その「甘さ」は弾劾されてしかるべきである。

それと意見を表明することを禁ずる行為は全く異なる仕儀である。

しかるに貴殿の
そこで存分に小津作品の魅力を語り合えば宜しい筈です。
という発言は、少なくともこのトピ内での私の発言を禁じている。

まあ、引用ばかりで自分の意見を表明できないあなたに
こんなことは「馬の耳に念仏」でしかないが(笑)(笑)(笑)

あなたの好きそうな「懐古文」で書こうとしましたが、
ぼくは年齢はあなたより上ですが、
あなたほど脳が硬化していないので上手く書けませんでした(笑)(笑)(笑)

ちなみにあなたが嬉しそうに引用しているエピソードの
木下某やら新藤某やらは、このトピのテーマである
蓮實重彦氏からは全く評価されていないということを教えてあげましょう。

ま、取り急ぎ思ったことまで(笑)(笑)(笑)
>コメント:10
 小津さんが『一人息子』について語っている内容を以下補強しておきます。

 《初めてのトーキーです。(中略)骨の髄からのサイレント的なものが除けなくてね。まごついたよ。サイレントとトーキーでは全ての事柄が違うんだって事は判っていながら、結局サイレント的になってしまうんだね。大いにまごついて、他人より四、五年後になって、こりゃ俺も一寸立遅れたかな、とさえ思った。今になってみれば却ってサイレントをとことんまでやっていた事が為になっているのだがね…》

 ※厚田雄春さんの前に撮影を担当していた茂原英雄さんが、トーキー用の録音システムを完成させるのを待って『一人息子』(1936年)は製作されます。その当時、松竹では、土橋武夫開発の土橋式トーキーを採用しており、既に五所平之助監督『マダムと女房』(1931年)などが製作されていました。5年間のブランクは小津さんが茂原さんとの約束を果す為だったそうです。杉原さんは主役を務めた飯田蝶子さんの夫でもあります。
>コメント:32
 台詞の語尾「ね」「よ」に関する補足。


 井上和男さんの著書『陽のあたる家 小津安二郎とともに』(フィルムアート社)より、野田高梧さんのご長女で脚本家(筆名・立原りゅう)でもある山内玲子さんの証言。山内玲子さんは、『晩春』以降のシナリオを全て清書なさってこられたそうです。

 山内 《…セリフが決まると小津さんが「この場合、この原(節子)さん、どっから入って来るんでしょうね」って仰有るわけ。「あ、ここですよ」「あ、こっちからじゃないですか」って事まで、大体動きまで決まっちゃうわけね。そいで撮影に入って、例えば「いいわよ」の「よ」を取るか取らないかって時にね、現場の小津さんから電話が掛かって来るわけ「取っていいですか」って…》


 以下は、野田高梧夫人・静さんの証言。

 野田 《…そいでもう、喧嘩の始まりがつまらないんですものね。「……ですね」と「……です」ってのと「ね」を入れるか入れないかの、そんなつまんない事でしょう。その代わり、小津さんは、セリフを絶対変えませんよ。撮影に入っても、それで、変える時は電話掛けて来ます。で、「あそこんとこはこうしたいけれど」って、それで野田がいいって言うと変えるらしいんですね。だから、脚本は絶対手を加えない人、その代わり、もう、シッカリ組み立てますからね。だから本が出来た時は、もう映画出来ているのとおんなじね。それで、一本出来ると、「今度は野田さん、脚本に負けました」とか、「今度は小津さん、演出に負けましたよ」とか、二人で言い合ってますよ…》
>コメント:34
 畳の縁に関する補足。


 『母を恋はずや』(1934年)から『秋刀魚の味』(1962年)までの美術を担当していた浜田辰雄さんへのインタビューです。(『陽のあたる家』井上和男・編著/フィルムアート社)

●襖
 浜田 《まぁ大体、日本間が多いですからねぇ、日本間の二間が主体になりましてね。その大きさは、金持ちは十畳と八畳とか、貧乏人は六畳と八畳とか、そういうふうになってましてね》
 井上 《片方はどちらかというと「引き場」というか、キャメラがそこに据わるスペースですね》
 浜田 《そういう事です。そして襖が重要な役目をしましてね。そしてその襖も、例えば人物に襖が掛かると困る場合は襖をこう……》
 井上 《ずらして》
 浜田 《ずらすんですけどね、それがだんだん利口になりまして、「半分襖」を作ってずらすことが自由になったんです。ですからその襖も正規の襖と半分の襖と……》
 井上 《撮影用の特別な縦半截の襖ですねぇ》
 浜田 《そういう事です。そしてその襖に模様がありましたらね、同じ模様をやはり襖に……》

●畳の縁
 浜田 《そいから、嫌がったのは畳の縁なんですけどねぇ、あのぅ、この縦の線がね、二重になるところがあるんですよ。それでねぇ、バランスがとれないわけですねぇ。セットがシンメトリカルにとってますからね、その線が崩すわけですねぇ》
 井上 《畳の縁を嫌がるってのはそういうことですか》
 浜田 《ええ。ですから普通のうちではね、大きなあの莚、花茣蓙でやる。それから特に上等な旅館とか良い家ではね、特に畳の縁を、今で言う2センチですかね、七分ぐらいの狭いものを作りましてね。見ても目立たないようになりました》
>トピックの本文
 「等方向性」を考えるヒント。


 以下は、三重県立第四中学校時代の同級生、奥山正次郎さんの証言です。(『陽のあたる家』井上和男・編著/フィルムアート社)

 《彼は寝台車に乗るのが非常に好きじゃなかったようです。「夜行列車なんだから寝台にのれよ」といっても「寝台は俺は嫌いだ。俺は秀吉じゃないから茶室趣味はないんだ」とかね、そんな事を言っていましたが……。そうして大てい当時特二という二等車に乗る訳です。夜行でも。そうすると「あれは面白い。なぜ面白いかと言うと、お前、扇風機、あれは速度はみんな同じじゃないけど、それ、知ってるか?」って僕に言う訳なんです。「そりゃ、おんなじ馬力でおんなじ大きさのファンが回るんだから、そう違わんだろう」と言ったら、「いやぁ、みんな違う。それが一つ一つこう、別々に動く訳なんだけども、どうかすると、だんだんこう、一斉になりそうな時がある。あ、今度は一斉にこっちを向くかなと思うとると、また駄目だ。もうちょっとだ。その時どうなるかな、と思うとると、三遍目にパーッと一斉にこっちを向く事がある。そうすると、ハッとする」ちゅうんですな。「それが面白い。そいつを三遍ぐらい見とると東京駅に着く。俺は寝台よりは扇風機見て……東京へ夜行で帰るには扇風機に決めとるんだ」いつもそういう事を言うんです…》

 車内で当たり前に扇風機が回っていた頃、同じように「ハッ」とする瞬間を楽しんでいた方々にとっては、懐かしく思えるエピソードでしょう。私もその中の一人です。只の物質に過ぎない扇風機が、一斉にこちらへ首を傾けた瞬間、何かしら人格的なものを感じたものです。物質が人格化して見える一瞬の等方向性と、人物が物質化して見える等方向性とを考えてみるのは面白そうです…。
さて。
・・・なにやらチョロチョロとドブ川が流れている音がしますが(笑)

>KEI様

やっと時間が取れるようになりましたので、
私なりにあなたの立てた問いにお答えしようと思います。

当然ながら、私の発言は1)のKEI様に向けられたものなので、
この発言以前のどなたの発言にも関連性は一切ないと宣言しておきます。
(他意はありませんが・・・いや、ホントに・・・笑)

KEI様がこのトピを立てられたように、小津を語る際に、
この「監督 小津安二郎」はとてつもなく重要な書物です。

KEI様が『ガツンとやられた』
「必然的に純粋な小津と不純な小津〜(中略)〜傲慢さである」 は、

別の章の「誰もが小津を知っており、何の危険も伴わぬ遊戯として小津的な状況を生きうると確信しているのは、小津安二郎の作品など見ていないからだ」
という、鋭い刃のような文章に置き換えることができます。(p5)

もちろん、この「小津の作品など見ていない」という言葉は、
単に小津の映画を実際に見た人が少ない、という意味ではなく、
小津映画を「見て」いたとしても「見えて」いないのだ、
という意味であることはうまでもありません。

そしてその行は、さらにその少し前に書かれている、
「ところで人は、画面を見ることによって何を学ぶか。見ることがどれほど困難であるか、というより、瞳がどれだけ見ることを回避し、それによって画面を抹殺しているかということを学ぶのである」という(同)
さらに鋭い刃のような文章に支えられています。

つまり、この書物は何よりもまず、
「見ることの困難さ」について語った書物だと思うのです。

見ることが困難であるのに、見なければならない。
そしてそれについて語らなければならない。
それがこの書物のテーマであると思うのです。
そして、その書物の格好の素材が小津であったと。

それは、小津安二郎が、「瞳によって抹殺されてしまう映画」
という希有な映画を撮れる、世界でも希有な映画作家だからです。

ということで・・・先ずは総論です。
KEI様をはじめとする皆様の反応(もちろん反論・異論歓迎)で
後を続けるか考えたいと思います(笑)。
キリ番(50)ゲットのために少しだけ続きを。

では、「見ることが困難である」というのは、どういうことか?

もちろん、「映画を見る」という行為は誰にでも出来ます。
それなのに「見えていない」理由は、多層的です。

何が「見えていない」のか。

例えば、そのひとつがディテールです。
このトピで小津映画のある細部(例えば小物の位置)が語られ、
ある人がそれが自分に「見えていなかった」事に気づく驚き。

一見して単純だと捉えられやすい小津映画が、
そういう多層的な細部を実に豊かにはらんでいて、
その豊かな細部がさざ波のように瞳を刺激する、
それが小津映画のひとつの「正体」なのです。

小津映画は特定の作品だけでなく、
どの一本を取ってもそういう「豊かさ」を持っています。
だから、人は小津映画を繰り返し見て(もう何度『晩春』を見たことか)、
その度ごとに、以前には気がつかなかった何かを発見して驚くのです。

しかし、新しい何かを発見するには、
自分が「見えている」ということに、疑いを持たなければなりません。

例えば、作者の残した文章、あるいは周辺の人のインタビュー。
そういう作品に付随した情報は、それなりに貴重で大切です。
しかし、それらを読み解くことだけで、作品を理解した気持ちにならないこと。
それが小津映画を「瞳によって抹殺されてしまう」映画にしないことです。

その他、「社会背景」や「設定」だけで理解しないこと、
「演技」や「暗喩」や「ストーリー」だけで分かった気持ちにならないこと。
それらを戒めるために、蓮實氏は「否定すること」という一章を設けています。

自分が何も見えていない、まっさらな気持ちで作品そのものと向き合うこと。
この「態度の表明」こそが、蓮實重彦氏がこの書物で語りたいことでしょう。

ぼく自身は(熱心ではありませんが)何十年も小津映画と向き合ってきて、
未だに小津映画が何であるか、分かっていません。
むしろ謎が深まるばかりだと思っています。

しかしその「凄さ」と「深さ」だけは、理解しているつもりです。

たとえば、mixiで出逢った「うなづくおじさん」が、
ぼくが気づかなかった「音楽の素晴らしさ」を発見させてくれたように、
小津映画の「凄さ」を知る皆さんとを語り合うことで、
さらに新しい小津映画の魅力を知りたい。

それこそがKEI様がこのトピを立ち上げられた理由なのではないでしょうか?

長文になりました。
異論反論お待ち申し上げます。
 1993年、小津安二郎生誕90年(没後30年)を記念して製作されたドキュメンタリー映画『小津と語る』で助監督を務めた後藤雅之さんが、当時出版された『小津安二郎集成?』(キネマ旬報特別編集/キネマ旬報社)に「小津と旅して―メイキング・オブ『小津と語る』」と題する文章を寄せています。以下は、その一部抜粋です。

 《私はフランスに渡って13年目になる。(略)そんな私が初めて小津監督の映画を見たのは、恥ずかしながら日本でではなくフランスなのだ。日本にいるころ見る事もなかった小津作品。国立ルイ・リュミエール映画学校へ通う友人が授業で『東京物語』をやっているという。技術者養成の学校でなぜ小津作品を? と思ったがもっと驚いたのは、シナリオにワンカットずつの写真が入ったものを教材に使っていたことだ。当時、私もソルボンヌの映画科の学生だったのでヒッチコック作品を扱い似たような授業をしたことがあるが、これが物凄く勉強になった。あわててシネマ・テークへ走った。そして『東京物語』に感激した。なぜ今までこんなに素晴らしい映画を見過ごしてきたのだろう…》

 この文章↑が書かれたのは17年前です。後藤さんが初めて小津作品を見た日は、更に歳月を遡るようです。残念ながら、それがいつの年の出来事であったのかは判然としません。ただ、少なくとも17年以上前のフランス国立ルイ・リュミエール映画学校では、小津さんの『東京物語』をテキストに映画表現が講義されていた訳です。それもワンカットずつ写真の入ったシナリオを使って……。

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