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だるまんの陰陽五行コミュのブログ連動トピック

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こちらではアメログの「だるまんブログ」と同じ内容をお送りしています。
 http://ameblo.jp/daru-man

コメント(228)

誰もが仕事をかえればよいというのではありません。問題は自分の何かを変えることに気づくということなのです。しかし、多くの場合は「変えられない」のです。仕事はもちろん、ふだんの考え方自体も。そして、その部分を放置しておいて、治らない!ということでもんもんとしてしまうのです。さらにひどくなくと、医療行為のミスではないかとか、薬が合わないのではないかとか、原因をよそに求めることになります。しかしこうなってしまうと、もうその病はその人にとって、その人の全存在を悪化させるものでしかなくなってしまいます。本来、病とは「気付き」を与えるものであります。しかしそれが気付きではなく悪想念を拡張してしまうだけの結果になってしまうのです。

薬の力や手術を通して、いったん症状が改善すれば、気持ちが変化してそのまま良くなることもあることは事実です。頭痛などがその端的な例です。しかし、大なり小なり薬や手術には「おつり」が来ることを多くの人は忘れています。体のもっている治癒システムをいったん無視することで、バランス関係が変化してまうからです。しかしこうして多少の「おつり」を覚悟して治癒の道へとハンドルを切るのもひとつの方法です。決して悪い方法ではないでしょう。
しかし極力、極端は利用は避けてほしいと思います。そうしたことが副作用とかガンの転移とかで現れるのです。

いろいろと言いましたが、そうは言っても、病気はつらいのはあたりまえです。早くよくなりたいのは当然のことです。でもそんな時だからこそ、じっとふんばって、見つめてほしいのです。自分を変えるチャンスだと気づいてほしいのです。そう思ってがんばってみても、なかなか改善しないことで落胆して、早く症状がとれる方法を選択してしまうこともあります。一部の医者におどされてそのようにすることもあります。それも人情だからわかります。しかし、その折衷案もあるはずです。いたずらにパーツ交換という道に走らずに、じっくりと自分を見つめて、人間は機械ではなく、生きて成長して行く有機体なのだということを自覚してほしいと思います。

しかもつらいことに、そこまでがんばってみても結果として「治らない」こともあるのです。こうなると、本人もつらいし、医療従事者も己の無力さに落胆することになるのですが、こんなときは私はいつもヘレン.ケラーの話を思い出します。ヘレン.ケラーは目も耳も、言語も、という三重の障害を持ちつつも、サリバン先生のたゆまぬ協力のもと、立派な生涯を送りました。結果として完全な機能回復はなかったそうですが、「治る」ことよりも「自らを変える」ことに生涯を向けてから、もはや病は彼女にとって苦痛とはならなかったようです。
ヘレン.ケラーは患者の鑑、サリバン先生は医者の鑑…と私は思うのです。

えらそうなことを言っているお前はなんなんだ!と言われそうですが、私自身も悩みの中にあります。細々な問題はたくさんあります。そして私自身も悩みつつ、なんとか自覚しようとしているひとりなのだということを付け加えておきます。

このような考え方を「だるまんの陰陽五行」という書籍シリーズで紹介しています。他に講習会もやっています。近くは東京と大阪であります。以下にご紹介しておきます。

東京(渋谷)…アルカノンセミナーズ   03-6427-1360
http://www.arcanumseminars.com/index.html
7月22日(日)、8月26日(日)
詳しくは以下をご覧ください。
http://www.arcanumseminars.com/wordpress/?s=堀内%E3%80%80信隆

大阪…大阪市立青少年センター KOKOPLAZA
8月5日(日)午後1時受付開始。1:30〜4:30講演
大阪市東淀川区1-1-13(新大阪駅下車徒歩5分)
参加費 4000円
ご希望の方は  tizuno@hotmail.co.jp  泉野  までお申し出ください。
伏見稲荷大社の不思議体験

先日、京都の伏見稲荷大社に行ってきました。もう何度か足を運んでいますが、
今回はかなりガッツを入れてお山を巡ろうと考えて行きました。

伏見稲荷大社に参拝したことのある方は多いでしょうが、拝殿の背後にある稲荷山を参拝したことのある方は少ないと思います。実はここが伏見稲荷大社のいちばん大切なところです。JRの宣伝などで見覚えのある方も多いと思う真っ赤な鳥居の連なる千本鳥居を入り口にして、山全体が祈りの山というワンダーランドとなっているのです。
その中には「お塚」と呼ばれる、一見、お墓のようにも見えるオブジェがあり、個人個人や、いろいろな企業などの祈りの場がこれでもかこれでもかと立ちなんでいます。そこにいくつか、滝場もあり、修行の場ともなっています。祈りを捧げる人あり、お経を読み上げる人々あり、観光の人々や外人さんも多く、真っ赤な鳥居の連なる山道の参道を上に下にと歩きつつ、だんだんと一種の恍惚感にひたっている自分に誰もが気づくはずです。そうです。ここは母胎回帰の場なのです。ふつうのコースで順路どおりに歩いてほぼ二時間、完全に異次元の人と化すのがこの稲荷山の醍醐味というわけです。

以前来た時にはこの順路どおりのコースを歩いたのですが、今回、私はちょっと脇道を行くことにしました。あまり人々の行かないコースです。炎天下、このくそ暑い中をわざと時間と労力のかかる道を選んでしまったということです。
ここにもむろん、鳥居とお塚が目白押しに存在するのですが、どちらかというと、正規ルートではないぶん、滝場が多いようです。
この膨大なお塚の群れの中にはどの人にとっても、自分自身の存在に連なるお塚がひとつはあると言われています。むろん、どれがそれなのか、見つけることは困難を極めます。まさに広大な砂浜の中から金のイアリングを見つけるようなものです。
しかし、導かれるままに歩いていると、ひょっとして?と思えるようなお塚に出会えるものです。

今回、その脇道の中で、汗まみれになりながら歩いていると、山に向かう階段のようなものがありました。無視して通り過ぎようとしたのですが、どうも気になるのでそこにも昇ってみました。あいかわらずのお塚群ですが、ふと目に留まったものがあります。「岩尾大神」とあります。
実は、岩尾という名前は、私とっては重大な意味があります。

かつて、そう、「だるまんの陰陽五行」の執筆前ですが、私は夢を見ました。夢の中であやしい老人が私に講義をしているのです。『日本の臍はイワオ山だ』と言うのです。起きてからも、その不思議な夢は記憶に残っていました。さっそく、地図を調べてみると、ありました!しかも琵琶湖のすぐそばの滋賀県です。伊賀と甲賀という忍者の里の中間地点にあります。
その後も気になっていた私は知人にその事を伝えました。知人も興味をもって人にその事を話したら、なんとその岩尾山ではオーパーツ(場違いな工芸品。たとえば縄文時代の地層からコンピュータチップが発見されるようなもの)が出たという話もあると言うのです。

結局、私は別の知人を通じて知り合った超能力者という男性と共にその山に行きました。そこの頂上で、この男性は老人からメッセージを得たというのです。その老人は『確かに私をここに呼んだのはわしだ』と言ったというのです。それ以外に何か重大なことを言わなかったかと尋ねましたが、それだけだったというのです。
神秘的な一連の出来事だったわりには、どうってことのない「オチのない話」みたいになってしまったのですが、とりあえずは不思議なことがあるもんだと思って、この時はいったん、これで騒動は終わったのでした。帰り道、その男性は「あ、ここもよって行きましょう。私はよくくるんですよ。」と言って鈴鹿にある椿大社に寄って帰路についたのでした。

ところが、その後、私は「だるまんの陰陽五行」を書き始めました。いままでの五行理論をもう少し形にしたいということで始めたのがこのシリーズでした。

そして、それから十数年、今は「だるまんの陰陽五行」シリーズは私のライフワークとなりました。そして、その夢が発端であったことも今では気づいています。

以上でもわかるように「岩尾」というのは私にとって重大な意味を持っているのです。「岩尾大神」のお塚を見ると、奉納した人の名と住所が乗っていました。「滋賀県甲賀郡…」とあります。間違いなく、あの岩尾山の岩尾です!
しかし、岩尾山って、そこに住まう神霊は誰なんでしょう?不思議に思っていると、目にとまった隣の塚にでかでかと『猿田彦大神』と言う文字が!
ひょっとしてサルタヒコ神の導き?と私は思いました。しかし、後で気づきました。あのとき、なんてことなく立ち寄ったあの神社、椿大社の主宰神は猿田彦神です。
ここまでわかったとき、鳥肌が立ちました。なんということでしょうか!夢で岩尾山を教えてくれたあの老人も、超能力者の男性に『呼んだのはわしじゃ』と言ったのも、実は猿田彦神だったのかもしれません。そういえば猿田彦大神というお塚を写真でとったとき、カッと太陽が強くなったのも感じました。そして、この伏見稲荷大社では、稲荷大神のひとりとして、猿田彦神を祀っているのです。

このようにして、考えてみると、「だるまんの陰陽五行」のシリーズを描くに関して、猿田彦神からのインスピレーションを私は受けているのではないか?とも思えます。現に読者のある人は、そう断言しています。直感的に感じたというのです。

この年末年始に出る予定の「だるまんの陰陽五行」の新刊「金」の章 では、このあたりのいきさつを詳しく描く予定になっております。今現在、全六巻のうち四巻まで出ているこのシリーズですが、陰陽五行の示す世界は膨大で、とてもとても計り知れないものです。その背後で、こういった神霊が働いて協力して下さっているとしたら、本当にありがたいことです。
さらに、陰陽五行はこうした神秘世界だけのものではなく、医療や歴史といったジャンルにも関わってきます。しかし、こうした謎解きに至るのも興味深いものだと思えます。

みなさんもこのお盆、ぜひ、伏見稲荷大社を体験してみませんか?あのお塚群の中に居るだけで、カルチャーショックを受ける事、太鼓判ですよ。なにか、大きなインスピレーションを受けることもあるかもしれません。

余談ですが、稲荷山をあちこち歩いている途中、何度も出会った外人さんがいました。言葉をかわしたわけではないのですが。
そしてその晩、鴨川で屋台が出ていました。ものすごい人ゴミです。うろうろと歩いている途中、なんと、その外人さんを目撃しました!なんという偶然でしょう!まったく、ものすごい出会いのエネルギーの場なんでしょうね。
鎌倉第六天の話


 ついでなので、「だるまんの陰陽五行」に関わる裏話をもう少しいたします。「だるまんの陰陽五行」は陰陽五行を解説するシリーズで、陰陽五行という学問大系は医学、易学、歴史(民俗学、神話)など幅広いジャンルでの基礎的立場にあります。中でも「火」の章(第4巻)と「金」の章(第5巻…これから刊行予定)は、歴史(民俗学、神話)に関する内容となっています。主として日本の神社を中心に歴史と神々の関係を考える内容となっています。

「火」の章では、冒頭で鎌倉の第六天という神社に遭遇する所から始まります。平成13年(2001年)の春のことでした。鎌倉美術館に出かけた帰り道、建長寺のはす向かいの山に、重々しく扉で閉ざされた階段があるのを発見します。ただの山道ですが、どうやら上の方に何かの神社があるらしいのです。みると、扉の横に石碑があります。『第六天の由来』と書いてあります。どうやら、ここは階段の上の方の山頂に神社があって、それを第六天と呼んでいたことがわかります。しかし何かの理由があって扉で締め切り、人を入れなくしているというわけなのでしょう。

「第六天」というのは、ゲーマーにむしろ有名な名前で、『第六天魔王の野望』というタイトルがあるそうです。一般的にも、織田信長も自らをそう呼んだという大魔王の名として知られています。もし、そうなら魔王を祀っていることになります。しかし、由来書を読むと建長寺の守り神としての扱いだったことがわかります。いずれにせよ、お寺を守る仁王のように怖い神様であるのだということがわかります。しかし、なぜ扉で閉め切っているのか…?謎が残ります。仮に怖い神様だとしても、普通にお祀りして庶民にとけ込むのが日本の神社のあり方です。現に、鎌倉でもすぐそばには閻魔大王を祀る閻魔堂もあり、観光客でにぎわっています。まったく謎が残るとともに、第六天という奇妙な名がとても印象づいたのでした。
そしてこれが「火」の章と「金」の章を貫く日本全国神社探訪の旅のきっかけになったのです。

妙に気になっていた私は後日、友人と共にその場を訪れました。第六天の周囲の人にいろいろと理由を尋ねましたが、封鎖されている理由を知っている人はまるでいません。しばらくして、やっとたどりついた決定的な情報がありました。第六天は一年に一回だけ、しかも一日だけあの扉が開いて、祭礼を行なうというのです。そしてその世話人をやっている方というのもついにつきとめたのでした。世話人の方の家にお邪魔した私達はその年(2001年時点)の祭礼日までわかりました。7月でした。真夏です。かくしてその日に私達は再度おじゃますることにしたのです。

ついにその日がやってきました。この時の模様は「火」の章の始めの話の通りです。階段の下の納屋のような所には太鼓がおかれ、祭りの雰囲気が出ています。例の扉は開いており、さぞやにぎわっているかとおもいきや、ほとんど普通と変わりません。誰も興味を示していないというのが実情のようでした。ただ、世話役さんを始めとして数人の方々が参加するのがこの祭りの姿なのでした。
私達はあの長い階段を昇っていきました。途中、両側の崖には様々な石碑や石像があります。「安倍晴明」と書かれた石碑があります。かの安倍晴明もこの神社に関わっているというのでしょうか?これについてはわかりませんが、陰陽道に関わる何かがあることは確かだとわかります。ということは、陰陽五行との関連大です。私のカンはあたっていたのです。
さらに昇って行くと、「見ざる言わざる聞かざる」で有名な三猿の像とか、青面金剛像があります。これは庚申塔といって、かつて庚申の日(五行でいう「金」の日)に体内の虫がその人の悪行を天の神様に伝えに行くという伝説に基づくものです。そのスパイ虫になるべく悪行を伝えてほしくない人間がお願いしたのが庚申塔なのです。つまり一般的に言うなら「厄よけ」です。ほうほう、ここは厄よけに関わる神社なのだということがわかりました。さらに行くと、「猿田彦大神」という石碑があります。この時点では、意味は不明でした。

山頂まではたいした距離はありません。もう祭礼は始まっていました。「火」の章に描いたとおり、小屋に座った数人が居る程度です。数人のお坊さんがお経をあげています。かたや、背後には神主さんがひかえています。完全に神仏混交の姿を維持しているお祭りであるということがわかります。お坊さんたちがお経をあげている奥のほうには、なにか「ご本尊?」とも思えるような像が見えます。はっきりとは見えませんでしたが、どうやら青面金剛像のようです。さっき石碑もあったのでたぶんまちがいないでしょう。お坊さんの後は神主さんが祝詞をあげ、おはらいをしてお祭りは終了しました。

結局、その時点ではそれだけのことでしたが、後で調べてみてわかりました。
青面金剛というのは神仏混交の時代に出てきた和製の仏で、実はその本体は猿田彦神だというのです。なるほど、さきほど「猿田彦大神」という石碑があったわけです。

しかし、です。前回のブログを読んでいただいた方はおわかりだと思います。今になって考えてみると、岩尾山の一件も猿田彦神に関わっていました。岩尾山の一件は1999年のことです。そしてこの第六天の一件は2001年。つまりこのふたつの出来事は「猿田彦神」という軸でつながっていたのです。
私は始めのうち、猿田彦神との関係に気づかずに「だるまんの陰陽五行」を少しずつ描き進めていました。しかし、この後、日本全国をめぐる旅に出かけるうちにだんだんとそれに気付き始めてくるのです。なぜなら、猿田彦神こそは「つなぐ神」であるからです。陰陽五行の役割は魂のナビゲーター、つまり、人生という道を、さらには人と人を正しい関係でつないでいく役割になるからです。
なぜ旅に出たのかというと、意味もなくある衝動に突き動かされたからです。第六天のように悪魔扱いされて封印されている神々は封印されたままでよいのだろうか…という疑問からでした。私と仲間たちが出かけることが封印を本当に解くことになるのかどうかはわかりませんが、何かをつなぐ役割にはなるのだろうとこの時から、無意識に感じていたのかもしれません。
上賀茂神社と下鴨神社

陰陽五行は陰陽という2が五行という5に発展してできた「モノサシ」であるといつもお話しています。つまり、大本は陰陽です。私達の周囲を見回しても、常に陰陽という2から新たなものができあがり、次へと繋いで行くのが私達の住んでいる世界だということがわかります。端的な例は男女という陰陽でしょう。男女が合一することで、子供という次の世代へと繋いで行くのです。

むろん、陰陽は男女だけではありません。昼と夜だって陽と陰の関係です。右と左だって陰陽の関係です。神と人だって陰陽の関係であると言えるのです。神々しいものを神とするなら神が陽で人は陰になりますが、人の視点に立ってみれば、見ることのできない神は陰で、見ることのできる人は陽という言い方もできます。

 今日お話したいのは、葵祭で有名な京都の上賀茂神社と下鴨神社です。鴨川沿いの上流と下流にあるこのふたつの神社も陰陽の関係にあるということがわかると思います。このふたつの神社は正式名称があります。
上賀茂神社=賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)
下鴨神社=賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)
主要な祭神は上賀茂神社の「賀茂別雷大神」で、下鴨神社はこの神の親と祖父を祀っている関係になります。

ちょっとややこしいので、サザエさん一家で理解するとわかりやすいです。
主神の「賀茂別雷大神」をタラちゃんとします。すると、
上賀茂神社ではタラちゃんを祀り、
下鴨神社ではサザエさん(母)と波平さん(祖父)を祀っているわけです。
すると、タラちゃんのお父さんつまりマスオさんはどこに祀られているのかというと、ちょっと離れた位置にある松尾大社にあるのです。ここの松尾大明神は別名、大山咋神(おおやまくいのかみ)という神様です。

つまり、上賀茂神社、下鴨神社、松尾大社で、サザエさん一家が構成されることになります。しかし、注意してほしいのは、マスオさんのフグタ家とは言わずに、サザエさんの磯野家をもとにして一連の伝承が構成されていることです。
夫であるマスオさんの影はうすいということです。それもそのはずで、伝承によると、タラちゃんつまり「賀茂別雷大神」を身籠ったサザエさんつまり玉依姫は一本の赤く塗った矢を川から拾ったことによるとされており、誰がお父さんなのかはっきりしないということです。人間界でも誰がお父さんのなのかわからないという話はたまに聞きますが、ここではそんな下賎な話ではなく、矢によって妊娠したということなのです。つまり矢は神が変化したものであって、神の子をはらんだということなのです。矢を神の男根の象徴であると見る向きもありますが、話がシモがかってくるので、こういう言い方は不敬にあたり、あまり大声ではされていません。あくまでも民俗学的な見方ではそう言われるということです。

ともかく、神の子をはらんだのがサザエさん、つまり玉依姫ということです。そして神にあたるのがマスオさんなので、確かに人間の目から見ると影がうすいということです。
しかし波平さん(賀茂建角身命)は娘のサザエが誰の子を孕んだのか気になります。当然です。そこで託宣をたてるわけです。そこで神であったということを知ることになるのです。

さて、タラちゃんつまり「賀茂別雷大神」とは誰なのか、いろいろと説はあるのですが、天照大神の孫にあたる「ニニギノミコト」ではないかという説があります。
「ニニギノミコト」は天照大神の命を受けて地上に降り立つ最初の神です。このあたりは「天孫降臨」という神話の中で語られます。
つまりタラちゃんは人間と神の間の子として降臨する半神ですが、半神であるがゆえに地上に降り立ったということになるのです。

ちなみに、半神が神の世界と人間の世界をつなぐ役割を担うという神話は海外にも多いのです。有名なのはギリシア神話のペルセウスです。ゼウスと人間の間から生まれたペルセウスは魔女メドゥーサを退治して神の世界と人の世界の不調和をただす役割をします。このあたりは最近の映画『タイタンの戦い』でわかりやすく描かれています。

 「陰陽」というのはただのレッテルではなく、次々に展開していくものです。昼はいつまでも昼ではありません。必ず夜になります。つまり陰陽は展開していくのです。男女の関係でも子が生じることによって、新たな一歩が始まります。やがてその子も配偶者を得て独立していきます。このようにして陰陽は展開していくのです。今、お話しした神社の縁起がらみの神話の世界でも陰陽が次々に展開していくさまが見えておもしろいですね。神話もこのように見て行くと、陰陽という軸を元に理解するができるわけです。

さて、ふたつのカモ神社に関しては、さらに重要なキーワードが絡んできます。それは『ユニコーンとライオン』です。このキーワードをもとにすると日本というひとつの世界から世界にまで話が広がっていきます。またふたつの動物だけでも陰陽ですが、日本と世界という陰陽に広がって行くのです。
『ユニコーンとライオン』とは何なのでしょうか?これについてはまた次回お話します。
猛暑冷えにご注意

最近、うちの患者さんをみていると、ほとんどの方が猛暑冷えの状態です。
猛暑冷えとは何かというと、この猛暑の影響で以下のような症状が出ている状態です。

頭痛
めまい
肩こり
だるさ
食欲不振(ときには吐き気)
目がしょぼしょぼする
歯痛(歯肉が腫れる)
目や口などの粘膜が炎症をおこしやすい
むくみが出る
口が苦い       などなど

状況は陰陽五行の基礎、陰陽理論で説明ができます。
体にも陰陽の気というものがあって、陽気とは体の中の熱です。陰気とは熱グループに対する冷グループで、水やホルモンの代謝を示します。これらにはある関係があって、陽気は発散し、陰気は循環するという動きの特徴があります。例えばたき火は熱を発散するので、あたっていれば暖かいのです。小川は流れているからみずみずしく心地よいのです。留まると水は腐り、悪臭を放つ汚物となってしまいます。
同じように、体のなかの陽気(食べ物や筋肉運動によって生じる熱)は内側から外側へと発散し、毛穴を通じて皮膚の外側にはみ出します。私達が人に近づくとモワーと暖かいのはこのはみ出した陽気の熱を感じるからです。実はこの皮膚の外側数センチから数十センチまでをひとつの体とみるのです。こうして陽気がはみ出したあと、陰気は体を小川のように巡ります。こうして体内は健康を保つのです。

しかし、今現在のこの猛暑、暑くてたまりませんから、多くの方は冷房のもとで暮らします。こうなると体は、冷房室内は涼しいので毛穴は閉じて体内を一定温度にしようとします。すると発散しなくてはならない陽気が、しまってしまった毛穴の影響でこもってしまうのです。つまり発散しなくてはならない陽気が発散できなくなるのです。すると陽気が外へと出ないので、陰気はからだをめぐることができません。おまけにこもっている陽気は上へ上へとあがろうとします。閉め切った室内でストーブをたくと天井側が暑くて足下が涼しいということからもわかるはずです。この結果、人体でも上半身が暑くて下半身が涼しいという状況がおきます。しかし人体は頭寒足熱といって上半身が涼しくて下半身が暖かい状態を健康とします。つまり逆転してしまうのです。気は丹田というお腹あたりの中枢を本拠地としますので、上に陽気があがっている状態はまさに「頭に血がのぼっている」状態になってしまうのです。そして足下は冷えるので体調はますます悪化していくことになります。これが猛暑冷えの実態です。しかもややこしいことに、上半身は暑いので冷えの自覚はほぼないと言ってよいです。とくに男性ほど自覚がないようです。

ですから、対処の方法としては暖めるしかないのです。「この暑いのに暖めるなんて!」と思うかもしれませんが、毛穴を開かないと陽気が外に出てくれないのです。そうしないと陰気が動けないのです。
よく、男性は陽、女性は陰と言いますが、夫が外に働きに出ないと奥さんが家事をできないということにたとえられる通りなのです。

ですから、私のおすすめは、まず部屋を涼しくした状態で足湯をすることです。なるべく深いバケツなどを用意してクーラーの聞いた部屋でゆっくりと膝から下を暖めます。42度で20分くらいです。足湯の器具を買ってしまうのも手です。このとき、なるべく深さのあるものを選びましょう。こうして、毛穴が開いて汗が出ますが、それで良いのです。そのあと、お風呂でゆっくりと汗を流してください。できたら毎日やって二週間も続けるとかなり効果が出ます。

さらに、多くの方、とくに若い女性はシャワーで済ましてしまっている方が多いようですが、これは最悪です。猛暑冷えの状態に拍車をかけてしまいます。そのままだと今の暑さが去り、秋が来て冬がきたとき、冷えによる体調不良がひどくなってしまいます。お風呂にはゆっくりとつかるということがとても大切です。日本の風土にはかかせない風習なのです。
「水」的人間を助けてくれる満月


いよいよ九月です!まだまだ暑いですが、またも、なにか大きな転換点に来たような感覚がするのは私だけでしょうか?どういう転換点かと言われると、なかなか難しいのですが、五行的に表現するなら、今は「土」から「水」の過渡期ですが、そのステップを一段昇った感じとでもいいましょうか。

具体的には、過去の価値観(名誉やお金など、その中でもとくに社会の中で生きるための我欲に関わる価値観)にこだわる人(「土」的人間)と、魂の価値観(自分の魂をこの人生で向上させることを重視する価値観)をもとうとする人(「水」的人間)に二分化していくステップです。

前者が悪くて後者が良いという訳ではありませんが、前者(「土」的人間)はすでに過去の生き方になっています。会社の中でがんばってひたすら出世していくことに価値観を感じる若者はいまや、はげしく減っております。ましてや、会社そのものがどんどん不況に陥り人員の削減、縮小をはかっており、大卒の就職未定率が増えています。
一般的な論調では、政治の無能、社会の疲弊だと言われていますが、実はこれは、ひとつの時代の流れだとも言えるのです。つまり、時代の力が私達を過去の価値観から引き離そうとしているともとれるということです。

ではこんな時代には、どうやって生きればよいかということなのですが、それがさきほどの後者『魂の価値観に生きる人』(「水」的人間)という未来の生き方です。

いまや、『魂』という言葉が出たからといって「おまえは信仰宗教か!」という突っ込みを入れる人は少ないでしょう。『オーラ』という言葉が出たからといって「あやしい奴だ!」と言う人が少なくなったこととも一致します。それほどまでに過去では相手にされなかった『魂』への認識が増えてきいてるということです。
この魂というものは、私たちの内側でいつもメッセージを送り続けているのですが、今までの価値観ではそれをメインに捉えることを反社会的とされていただけなのです。内側での魂の叫びはいつも「それでいいの?」「ほかにもあるんじゃないの?」「本当は違うだろ?」と言っています。今までは、それに従うことは時には社会からのドロップアウトを示すことになっていたのです。

今から30〜40年まえに始まったこのムーブメントの初期では、こういう感覚を先取りした人たちはヒッピーといわれ、明らかにドロップアウトの対照となりました。しかしこのごろではこうした魂の叫びをひかえめにしつつも、受け入れることを良しとする人々が増えてきたのです。ある人たちは割り切って仕事の時間、自分の時間と区切った中でそれに没頭しています。ときにはオタクという形で突っ走る人もいます。またある人たちは社会になじむことができずにもがきつづけます。またある人は仲間を募り、未来型のチームや会社に挑みます。どの形でも良いのですが、こういう人たちはひとくくりに表現する時、『魂の価値観に生きる人』と言えるのだと思います。五行的に見たとき、こうした「水」的人間を時代は後押ししているように私は感じます。

しかし、だからといって時代の力がそうした「水」的人間に給料をくれるわけではありません。経済的な圧迫が「水」的人間を締め付けます。しかし、不思議なことに、なんとかみんな生きているのです。政府はあいかわらず「土」時代の権化(いまや妖怪と化していますが)なので、搾取することしか考えていないようですが、「水」的人間が増えるほどに、「土」的世界の要だったお金と権利というものの引力が減って行くはずです。つまり時代は変わっていくのです。過去の常識は通用しなくなります。

私は経済学者ではないので、くわしいことはわかりませんが、今は苦しくても、新たな貨幣基準といったものが生まれてくる予感がします。それまでは、つつましくともなんとかやっていくしかないのでは?とも思います。

なんだか話がそれてしまいましたが、要は魂の要求を無視した生き方をしていることが苦痛となる人々が増えてきているということです。そしてそのためのステップがまた一段あがった感覚があるということです。同意見の方も多いと思います。
魂の要求というのは、単なる自分勝手のことではありません。そういったものは自我の要求と言います。魂というのは、自我の奥にある生命力です。
生命力は五行では「陰」の力に養われているといいます。「オレがオレが」と言う我欲の世界は発散していく力なので陽の力と表現します。それに対してじっと心の奥を見つめていく生きかたは陰の力なのです。

今日は満月でした。静かに月をながめていると、魂の共鳴してくる静かな感覚が甦ります。そこに私達の多いなる力は眠っているのです。これを東洋医学では「精」と言います。そして精は「水」的人間のパワーです。だから、このタイミングで、夜空に満月というのはできすぎた位の話で、自然が「水」的人間を充電してくれているのだとも感じられるのです。

有名な西条八十の「かなりあ」という唄があります。

唄を忘れたかなりあは後の山に捨てましょか。いえいえそれはなりませぬ。
唄を忘れたかなりあは背戸の小藪に埋めましょか。いえいえそれもなりませぬ。
唄を忘れたかなりあは柳の鞭でぶちましょか。いえいえそれはかわいそう。

とても有名な唄ですが、このあと、最後のフレーズがあります。
以外と知られていないそのフレーズとは

唄を忘れたかなりあは 象牙の船に銀の櫂 
月夜の晩に浮かべれば 忘れた唄を思い出す

象牙の船、銀の櫂、月夜の晩…すべて陰の象徴です。陰の極というのは五行では「水」です。つまり「水」の持つ精こそが私達の隠れた力を呼び戻すということなのです。

ここ数日間、まだ満月の力が残っている間に、静かに陰のパワーを受け取り、魂のことばに耳を傾けてみませんか?「水」的人間には大いなる充電となると思います。
『だるまん講習会IN横浜』 のご案内

ご好評をいただいております『だるまん講習会IN横浜』ですが、後期の予定もできました。本講習会はネット配信ならびに、会場においでの方には過去の回ごとのDVD販売もやっております。ネット配信の場合は前期6回分、後期6回分のパック形式となっているのでご注意ください。まだ現在第4回までしか終了していませんが。詳しいことは以下をご覧下さい。

http://plaza.harmonix.ne.jp/%7etheo/zadan.html

ここではすでに終了している第四回分も含めて概要をご紹介します。
ーーーーーーーーーー
前期

第一回 4 月15 日(日)  『五行とは何か』
 五行の分類とその仕方、五行を人間に当てはめたタイプ論についてお話します。五行の配当表という分類表を用いて、なぜそのように分類できるのかを理解しましょう。そのあと、実際にいろんなものごとを分類、実習してみましょう。
第二回 5 月20 日(日)  『「思い」を扱う大切さ』
 私たちの人生はまず「思う」ことから始まります。思いの先行しないこところに行動はありません。しかしその「思い」がかたよることによって、さまざまな問題が起こります。こうしたことを「思い」のサングラス、「思い」の鏡 という2 点を中心に考えて行きましょう。
第三回 6 月17 日(日)  『「土」という現実』
 生きていると、お金や現実社会という目に見えているものだけを真実と思い込んでいます。しかし、その背景には常識という呪縛、社会ゆえのルールというものが存在しており、本当の真実は時代や社会によって異なるという現実にも気づきます。このことを五行を通じて理解し、こうした洗脳から離れるにはどうすればよいのかを学びます。
第四回 7 月15 日(日)  『相生、相剋と魂の進化』
 五行には相生ルートと相剋ルートというふたつの順路があります。この意味を理解すると、相剋ルートこそが重要であることがわかります。しかし、その「相剋」とい言葉とはうらはらに、勝者が敗者を支配するのではなく、勝者は敗者に力を与えることですべてが潤滑にめぐっていくという
五行の本態に気づきます。この最重要ポイントを中心に森羅万象をさぐってみましょう。勝つことがすべてと常識的に理解していた眼から鱗が落ちてきます。
参考文献…『だるまんの陰陽五行』「木」の章 「火」の章
第五回 9 月16 日(日)  『もうひとつの「土」』
 五行とはすべてで5つですが、実際は8まであることをご存知でしょうか?つまり5つの要素を一巡したあとにさらに、もういちど「木」「土」「水」が登場します。中でも重要なのが二度目の「土」であり、これを原始社会では『地母神』と呼び、神格化してきました。『地母神』というキーワードとその本性を理解できると、古今東西の神話や宗教、哲学、私達の魂のあり方についてとっても理解しやすくなります。「生きること」への焦点がだんだんと変わっていくことにお気づきになるでしょう。
参考文献…『だるまんの陰陽五行』「土」の章 「火」の章
第六回 10 月14 日(日)  『気と肉体』 →この日のみ第二日曜日です。ご注意ください。
 東洋医学によると、私達の肉体は「気」という目に見えない細密な身体によって養われているといいます。一方、気功などでは肉体は「精」によって成っており、それを養うのが「気」であり、その大本は「神(しん)」にあると言います。つまり私達の身体というのは目に見えるものから見えないものまで何重にもなった多層構造で成り立っているのです。そのうえで、実際の臓器のあり方や健康のあり方を知ることで、病気に対する対処の仕方を知ることができます。同時に食事や睡眠など、私達の健康にはなくてはならないものについても五行を通じて学んでいきます。
参考文献…『だるまんの陰陽五行』「東洋医学」の章
後期

 第七回 11 月18 日(日)  『天使と悪魔』
東洋で言うなら極楽地獄、西洋で言うなら天国地獄という世界観はしっかりと私達の意識に中に入り込んでいます。これを単なる迷信と片付けるのではなく、その本質的な意味をとらえてみると人にとっての「善とは何か」「悪とは何か」というテーマにたどり着きます。そしてこれを陰陽五行で検討してみると究極の善悪は存在せず、いずれもTPOに沿った形で存在できるものを善、そうでないものを悪と表現できるのだと気づきます。もうすこし詳しく言うなら自然を作っている五行(四大)の要素、エレメンツたちのあり方が関わってくるのです。現代を生きる我々にとっての本当の天使と悪魔とは何かを検証してみましょう。
第八回 12 月16 日(日)  『神社と五行?』
かつて開国と共に日本を訪れた西洋人たちは、日本のあちこちに存在する奇妙な形をした鳥居というオブジェに驚いたといいます。単なる宗教施設という言い方で終わることのできない神社の存在は日本人の心に深く根付いています。昨今のパワースポットブームもあり、もうすこし掘り下げて神社のことを学びたいという方も増えてきています。神社とは、神道とは、そして神と人との関係は?といった疑問はツールとしての陰陽五行を用いると驚くほどすっきりと理解できます。実際の数々の神社をもとに日本全国の旅に出かけましょう。ついでにクリスマスと初詣についてもお話します。
参考文献…『だるまんの陰陽五行』「火」の章
2013 年(平成25 年) 
第九回  1 月20日(日)  『 神社と五行?』
一部の若者の間では神社と仏閣の違いがわからないそうです。それほどまでに日本では神仏が混交しているのが現実です。神社はアニミズムという森羅万象の神性を求めるものですが仏教やキリスト教は紀元後の世界をリードした宗教としての存在です。ところがそうした宗教でも、その背後にある原始信仰は神社同様、森羅万象の中に存在する神性に目を向けていたことがわかっています。この点に注目し、神性とは何かということを掘り下げてみましょう。これは人間にとっての神性つまりハイアーセルフへとつながる道となるのです。
参考文献…『だるまんの陰陽五行』「火」の章 「金」の章
第十回  2 月24 日(日) 『治癒力と病の力』 →この日のみ第四日曜日です。ご注意ください。
病はつらいもので、一刻も早くその症状を取り去りたいと思うのが人情です。しかしヒポクラテスから現代の医聖に至るまで、医療に携わる人々の願いは「病から得るものを見つめよ」という一点に集中します。その背後にあるのは人体の持つ治癒力に体する大いなる信頼です。現代の医療はビジネスと結びつくことで技術や薬剤を売ることが主流ですが、医療と病の本質をこうした点から見つめなおすのがこの回の主題です。西洋医学に東洋医学、そして気功やヨガ、ホメオパシーなどのさまざまな代替医療に至るまで、陰陽五行を通じて整理して理解してみましょう。
(最後にシリーズ全体に関しての質問用紙をお渡しします。第十一回の時に回収します。)
参考文献…『だるまんの陰陽五行』「東洋医学」の章
第十一回 3 月17 日(日) 『性の本義、陰陽の本質』
人類にとって最も関心の深いものでありながら、最大のタブーとされているのが性とセックスというテーマです。これはとりもなおさず男女という究極の陰陽の合一を意味しています。陰陽は合一することでステップアップし、次なる陰陽へと展開していくのが大原則です。陰陽五行ではこれを陰陽と、その合一した「太乙」という説明の仕方をします。民俗学、心理学、医学などさまざまなジャンルで問われるこのタブーに挑むことで、陰陽の本質が見えてきます。いわゆる常識人として「いやらしいこと」と避けるふりをするのではなく、真に向き合ってみましょう。
(第十回に配布した質問用紙を回収します)
第十二回 4 月21 日(日)( 予定) 『総論』
全十二回の本シリーズもいよいよ最終回。第十回時にお渡しした質問を、まとめて関心の深い順にテーマに沿って補足説明など行ないます。なかでもテーマが大き過ぎるものは、また次なるシリーズ時に各論としてお話するかもしれません。
陰陽五行という学問は通常の学校教育のように端から一歩一歩理解していくいうものではなく、現実の私達の体験理解のように、漠然としたものから輪郭へ、輪郭から中身へと理解をしていくものです。このシリーズ全体を通じて何を理解したかも大切ですが、全体を通じて自分がどう変わったかに注目していただきたいと思います。必ずや、自らの新生と共に魂の躍動感に覚醒したあなたへとステップアップしたものと期待しております。
医者と占い師

昨晩、家族が見ていたテレビをチラっとのぞいてみたら、ある女占い師に何千万も巻き上げられた上に離婚までしてしまったという人の体験談をやっていました。家族はそれを見ながら「だから占いは信用できない」とか言っているのです。本当にそうでしょうか?テレビはそういうスタンスで作っているので視聴者は、まんまとはめられてしまうのです。だからといって妻や娘たちは占いをいっさい信用していないかというと、とんでもないのです。進んでみてもらいに行くし、毎朝「今日のラッキー星座」とかラッキーカラーなど大好きなのです。

陰陽五行は東洋占術の基礎でもあるので、占いとルーツは同じです。かと思うと、東洋医学の基礎でもあります。占いと医学、まったく異なる世界のようにも見えますが、基礎は同じということです。かたや見えない世界を扱い、かたや物理的な世界を扱っているだけなのです。どちらの世界でも未来は見えないのです。そこで経験を使って未来の方向性を探っているという点では全く同じなのです。

たとえば水に熱をかければ熱湯になるということは経験的に理解しています。だからお湯になることを期待してお水を火にかけるのです。しかし水と思っている液体が水でなくて油だとしたらどうでしょう?しかも一見しただけでそれに気づけなかったとしたら…。お湯になるつもりで沸かし出したら、いつもより早く煮立ってきて、しかもびゅんびゅんはねて火傷をしてしまったとしたら…?はじめはわけがわかりませんよね。
占いで扱う未来は水と油のように目や触覚で確認することはできません。だから物理的原則が適用される世界よりもっと複雑になるわけです。たとえば駅まで歩いて、あそこの角を曲がる時に、おとついは人にぶつかり、昨日は車にひかれそうになったとします。だからといって今日も何かアクシデントが起きるかというと、そうとは限りません。しかし、なんとなく躊躇しますよね?こういう具合に経験で理解がしにくいのが未来の予測なのです。だからこれをもっとシステマチックにさまざまな要素をかけあわせて見て行くのが占術だし、経験則を充分に検討した結果、薬や手技で予防したり治癒を進めようとするのが医学なのです。

ある医者にかかったのに治らなかったからといって、ある占い師に見てもらって当たらなかったからといって、その医者なり占い師なりがヘボだとは限りません。他の人にとっては名人なのかもしれません。つまりは、私達が自分の経験則だけでそういったものを結果オーライで判断することはかえって危険だということなのです。ある時にトホホの結果だからといって、ある人にとってトホホだからいって、その行為がすべてトホホだとは言えないのです。
ただ、このテレビ番組の場合は明らかにその占い師が詐欺師的行為をしているので、その詐欺が問題なのです。ここを取り違えると、万事、おかしなレールにはまってしまいます。

つまり万事、私達にとって一分一秒先のことはわからないので、なんとか不幸なことを避けたいという気持ちから、医学とか占いはできているのだということがわかります。結果がよくなっかったからといって、その医学とか占いが悪いということにはならないのです。私達の向き合い方のほうがはるかに重要なのです。

言い換えると、私達の未来への向き合い方が重要なのです。ここにもある特徴があることに気づきます。

若い時、たとえば小学校の六年間は社会人になってからの数十年に比べて長かったように思える人は多いと思います。歳をとるほどに一年が短く感じるようになる方も多いと思います。これは私達の経験というものは、ある原則によって動いているからなのです。楽しかったことはいつまでも覚えているし、苦しかったことは忘れるという原則です。私の亡くなった父もよく戦争のことを楽しそうに話していました。もともと、生きるか死ぬかの状況が楽しかったはずはないのです。しかし、過去のことになると、そんなギリギリの状況よりも、戦友との会話や、ちょっとした憩いのひとときばかりが思い出されるらしいのです。
こうしてみると、私達の記憶が経験を作るのですが、記憶はあるフィルターを通していることがわかります。愛とか共感とか人間の情熱をわかせる期待感といったものは、そのフィルターを通過するし、苦しさとか不安とか恐怖は通過しにくいのです。しかし、片や、私達が未来に目を向ける時、大人になるほど、不安や恐怖が目の先に立つのです。だからこそ、時が経過してみると、情熱にあふれて未来に多くの夢を見ることのできた若い時は記憶がたくさん残り、日々不安におびえる大人にとっての記憶はわずかしか残りにくいのです。実際は、本ブログや『だるまんの陰陽五行』シリーズでも述べている「思いの鏡」や「思いのサングラス」の話もあって、もう少し複雑ですが、おおまかはこういった理由で私たちの経験はなりたっていることがわかります。

そこで未来のことをどう扱うかという話になるのですが、不安や恐怖を避けるために医学や占いを駆使するのですが、大切なのはただ避けるだけではなく、そこにどう向き合うかという話になります。必要以上に恐怖や不安に陥るのは自分の「思い
」の癖として理解し、すべてのことは自分自身(自分の魂といっても良いでしょう)を築いていくための栄養であると理解していくと、日々のさまざまな出来事が不幸な事であっても、感じ方が変化していくことに気づくはずです。

陰陽五行では、現実は「土」、愛や共感は「火」、恐怖を避けるという行為は「金」、そして自分自身の魂とは「水」で表現します。
「火」という愛は「土」という現実の親という立場にあたります。だから愛や共感は「土」を我が子のように育てるのです。
「金」の避けたり、分別していく行為は「土」という現実の苦悩をまるで便で排泄するように私達を促します。「金」は「土」の子にあたります。つまり否応無しに生み出され、そして分別されていくものなのです。苦痛が忘れやすいものだということがよくわかると思います。
そして「水」は「土」の結果として成長してくるものなのですが、五行では「土」が「水」に勝つ関係と言います。つまり「水」は「土」から出来上がってくるくせに、なかなか出来上がりにくいものなのです。「水」という自我の魂は「土」という現実の壁にあって成長しにくいということなのです。不幸な経験は記憶に残らない分、うかうかしていると、また同じ誤ちをおかしやすく、自らも成長できなくしてしまうということなのです。
この関係をスムーズにする鍵は「土」と「水」の間にある「金」です。つまり、「金」をうまくいかすことで私達は単に未来におびえる存在から魂を輝かす存在へと変化できるということです。つまりは、いやなことをただ避けるのではなく、そのいやなことから何かをつかみとることです。そうすると、いやなことはいやなことではなくなる可能性も出てくるということです。

結果オーライで判断するのではなく、自分を活かす気付きを与えてくれる占い師さんや、お医者さんに出会えることが大切だと思えるのです。
今週の陰陽五行講習会について


今週末の『だるまん講演会IN横浜』は「もうひとつの「土」」というタイトルで行なう予定です。五行は文字どおり五つの要素で森羅万象を見て行くモノサシなのですが、これは方向を示すナビゲーターでもあります。「木」→「土」→「水」→「火」→「金」という「相剋ルート」の順番でものごとは推移していくと見ます。「もうひとつの「土」」というのはこのあとのルートに関わる話です。
つまり「金」まで来たものが再び「木」→「土」→「水」と行くのですが、ここで二度目に登場する「土」を指しているのです。
イメージ的にはらせんを想像してもらえば良いと思います。円をひとまわりするのに五つの要素を巡ると、そのままもう一段階上の円へとつながって行くのが「らせん」です。そこで「もうひとつの「土」」に巡り逢うわけです。
では「もうひとつの「土」」とは何でしょうか?

もういちど今のらせんのイメージを眺めてみましょう。私達は毎日,起きて、食べて、仕事して、また食べて、帰宅して、眠るという日々を繰り返しています。つまり同じ円周の上を何度も何度もまわっているシマリスのようなものです。しかしこの 同じ円周と表現した同じ毎日とは、実は少しずつ違っています。何よりも、日々に対する向き合い方次第で、私達はわずかずつに進歩するのです。この点、シマリスの運動とは違う訳です。つまりその場合、ただの円運動かららせんの運動へと変化している事にお気づきになると思います。一見、同じ朝でも昨日の朝と今日の朝は違うのです。

「もうひとつの「土」」とは、こういった事です。同じように見える五行の「土」的要素でも、その人の進歩次第で見えてくる「土」的要素は変化します。なにも「土」に限ったことではないのですが、とくに「土」が大事なのです。
なぜかというと、五行を社会に対する象徴と見た時、「土」というのは、「現実」を意味するからです。仮にあなたが事務仕事をしていたとします。上司の指示通りにタンタンと仕事をするのと、書類の背後に多くの人がいて、彼らの生活があるのだと興味を持って行なうのでは全く違うのです。こんな事だけでも、あなたの現実は変化したことにお気づきになるはずです。

黒沢映画で有名な『生きる』という作品があります。あまりにも有名な作品なので知らない方はいないと思いますが、単に市役所の事務仕事をしていた初老の男性がガンの告知を受け、窓口にやってくる人々の声にはじめて気づくようになるというのが映画のストーリーです。具体的には単にはんこを押すだけが仕事と思って生きていた彼は実は死んでいたのであり、人々の意見を真剣に受け止め、公園を作ることに協力しようと努力し始めた彼はやがて死ぬべき存在ではあるが、はじめて「生きた」存在となったという話です。この点で彼はらせん上の立ち位置としての「土」が一段上の「土」に変化したということなのです。

「土」とは現実ではあるが、その現実は私たちの意識次第でいかようにも変化していく非現実的とも言える存在であるのです。事実、江戸時代の常識と今の常識は違います。私達が「しょせん変わらない」となんとなく思っている現実は「変わる」のであり、しかもそれを変わらせるのは私達自身の力によるのです。ついでに言うと良くも悪くも変わるのです。

話は変わりますが、歯科の臨床をしていてよくあるのが「歯が悪いから胃の具合が悪い」という方のケースです。確かにそんな場合もありますが、実際は「胃を悪くするような生活をしているから歯も悪い」のです。そう言うと、「歯が治ればやる気もでる」と言うのですが、実際は「やる気を出さないから歯も治らない」のです。これと似たようなもので、私達が変わらないと、現実は変わらないのです。「現実がもっとよくなったら、自分もよくなる」ではなく「自分が現実を変えていって、自分もよくなる」という意識をまず持つことが大切なのです。

その意識のあり方が「土」の立ち位置、つまりステージをあげて行くポイントになります。今回の講習会では、日本神話やキリスト教の伝承を元に、もうひとつ上の「土」という存在が私たちの現実にどう関わって行くかをお話しようと思っています。

『だるまん講習会IN横浜』では毎回、途中参加は可能ですが、できればシリーズ全体で受講していただいた方が、『だるまんの陰陽五行』を体系的に理解できるようになります。パックでのネット配信受講もできますし、会場にいらした方は未参加分のDVDのバラでの販売もやっております。興味のある方はぜひ御参加ください。
参加希望の方は メール daruman@mac.com か、電話 045-664-3864(堀内歯科クリニック)までご連絡ください。今回はそろそろ人数がいっぱいに近いので、満員の場合はご容赦ください。
ドラマを始める「木」タイプ


しかし本当に機械というのは不思議です。先日、プリンタが老朽化したので粗大ゴミに出したと思ったら、今度はFAXが壊れてしまいました。前にも機械でこういう事がありました。単に老朽化の時期が重なったといってしまえばそれっきりなのですが、何とも絶妙なタイミングです。まるで連絡しあっているみたいな感じに。

こんな時、私にはこんなふうにドラマが連想されてしまう。
プリンタが「わしゃもう疲れたから逝くよ」と言う。そしてプリンタは去り、彼の居た場所にぽっかりと穴があく。はす向かいにたたずむFAXが悲しそうにつぶやく。「あなたの居ない人生なんて…」。そしてついにFAXも病気になってしまう…。

私は五行では「木」のタイプなので、何事もすぐにこんなドラマに入り込んでしまうのです。子供の時にもこんなことがありました。

お気に入りの缶入りクッキーがあとひとつしかない。私には姉が居るが、このおやつは姉は好みでないので、私ひとりでチビチビ食べてた。しかしあとひとつ。私しか食べないのだからどうどうと食べれば良いのに、あとひとつとなると、私の頭でドラマが自動的に始まる。『姉が友達を連れてくる。その友達はこのクッキーの缶を見つける。こ…これは!長い事探していたあのクッキーだ!その友達は大よろこびする。しかしもうない。その人は大いに落胆する。』ああ…!そうなったらどうやって、その人に私は詫びれば良いのだろうか!

大げさだと思うなかれ。たとえ虚構であっても、その人の悲しみの表情が私の脳裏に刻み付けられてしまうのです。こうなると、私はもうそのクッキーが食べられない。その後、そのクッキーはどうなったかは忘れてしまいました。しかしそのドラマの方はいまだに忘れていないのです…。

「木」のタイプというのは想念が旺盛で、思想とか思いを重視するのでこんなことがおきるのです。私以外の「木」タイプの人に聞きましたが、ほとんど似た感じでした。仮に「金」のタイプだと、さばさばしたもので、長年愛用したグッズだって兵器で捨ててしまうのです。私の知人の「金」のタイプの人は卒業証書ですら、卒業式の晩にゴミ箱に入れてしまったというのだから驚きます。
また別の知人は長年住んだ家から引っ越すときに涙を流していました。この人は「土」のタイプです。私までもらい涙におちいりそうになったとき、その人の妹は平然として言いました。『バッカじゃない?』
その人は「金」のタイプでした。
まあ、こうしたサバサバ感はある意味うらやましくもあります。
「金」というのは体では肺や大腸を指すので、呼吸やウンチのようにスパっと分けてスパっと捨てるというのがその役割です。だから人間もサバサバしてしまうのでしょうね。

そして、老朽化したプリンタを粗大ゴミに出した時のことです。うちの町内ではゴミの収集所に名前シールを貼って(むろん事前予約しておくのですが)、指定の日にちに置くのですが、なんともプリンタを置いて収集所から去る時の寂しさと言ったらありません。長い事がんばってくれたあのプリンタが今、ゴミとして名前シールを貼られて置き去りにされようとしている。プリンタの気持ちになると、もういたたまれない。だから私は振り返らずに「ごめん!キミを置いておく場所はうちにはないんだ!」といって足早に去るしかないのです。

先日、長いこと使っていた椅子を捨てた時も同じ気持ちでした。まったく、他人にとってはお笑いなのでしょうが…。

そんなわけで、今回、めでたく複合機を買いにヨドバシカメラに行ってきました。
当日、いつもはいているジーパンが洗濯中だったので、古いのをはいていきました。店員さんは丁寧すぎるぐらい丁寧で、無事に買い物を済ませました。
しかし!帰ってびっくり!その古いジーパンはお尻の所にみごとな穴があいてしまっていたのでした。このことを知らずに私は買い物に出かけてしまったのでした。
ここでまたドラマが始まったのはもちろんです。私のことを後ろから見て笑っているアベック。怪訝な顔で下目使いでみつめる中年女性。さらに、きわめつきはあの店員さんです。あの妙な丁寧さは、私のことを妙なファッションセンスのアブナい奴だと思ったのではないだろうか?若者がほつれジーパンをファッションで着ることがあっても、私のような中高年がそんな格好をしていたら、真っ先にアブナい奴と思うに決まっている!
…とまあ、私は赤面の嵐となったのでした。

そんな時、ふと脳裏に浮かびました。
『プリンタの呪い…?』

一杯飲んでいるせいか、バカ話になってしまいました。
動きのタイミング


 ちょうど今、土星が天秤座から抜けて次の蠍座に入るタイミングだとか。しかも、そのはざまのいちばんハードなタイミングがついこの前の日曜だったと言います。その時、関東地方では台風が直撃しました。いい天気だった午前中から午後にかけて暴風雨となりました。私はちょうどその日、新宿で講習会をやっていたので、帰りは一部の電車が止まるなど、いろんな意味で盛りだくさんの一日でした。しかも、満月でもあったのがその日でした。詳しい方の話によると、今回のこのタイミングはここ数十年来(あるいはもっと?)の中でもかなりのハード度だったといいます。確かに、この日は変でした。朝とつぜんiPadが壊れて、まったく反応しないありさまになってしまったのでした。しかし不思議なことに焦ってはみたものの、本心から焦っている訳でもなく、なんとなくいじり倒しているうちにもとに戻るという顛末だったのです。焦らないで粘ることが大切なのだな、とひょんなことからプチ教訓を得たのもこの朝でした。

とまあ、ここまで言うと「ふーん」といった話でしょうが、実際、唯物主義が主導権を持っている今の世界ですと、それが当たり前の反応ということになります。もし、これが天体の動きや魑魅魍魎に実態を感じている古代だとすると、「ふーん」ではすまされず、こういう事柄は多くの人々の関心のもとにあり、どういう形で一人一人がこのタイミングを受け取るかというのが真剣な議論のもとになったことでしょう。

陰陽五行で考えてみると、いつもお話しているように、今というタイミングは「土」から「水」への移行期です。「土」は、まるで花壇という囲われた土の中で草花が育つように、常識や一般論といった縛りの中で私達を育みます。それが「水」に移行するということは、まるで水が容器次第でいかような形もとるように、今までの常識感をどこかで破って縦横無尽にものごとをいろんな方向から理解できるようになることです。

そう思うと、ハードなタイミングを受け取るということは、まさに土の中から飛び出す勢いを得たということでもあるのです。

かつて人類がまだただのバクテリアだったとき、一部のバクテリアは危険でもあるが大きなエネルギー源となる酸素の世界に飛び込んでいったといいます。それが現在わたしたちの細胞の中にあるミトコンドリアだというのです。ミトコンドリアは酸素を受け取ってエネルギー化する重要な細胞内物質ですが、あたかもこのミトコンドリアのように、危険の中に飛び込む気概がないとなかなか脱せられないのが「土」的な縛りというものでもあるのです。

政治的に見ても、今の日本は、気概を持たない政治家たちが利権で動く最低な状況に陥っていますが、このような時だからこそ、一人一人の自立が大切になります。
大自然の存在は、このようなタイミングで個人個人に対して新時代へと動くためのタイミングを与えているのだと、切に感じるのです。
だるまん講習会のおしらせ


毎月やっている横浜の講習会ですが、今回はいつもの第三日曜ではなく、明日になります。どうぞご注意ください。
今回は12回シリーズの前期の最後、第6回目で『「だるまんの陰陽五行」東洋医学の章』をベースにした医学の話になります(来月からは後期が始まります)。本では描ききれなかった分、とくに内臓のメッセージという点を重点的にお話するつもりです。これは気ということ、そして東洋医学の原則である「気・血・神」の「神」の部分へとつながっていくのです。前回までにお話しした五行の五芒星の示す「低我」「高我」のことがわかってくると、さらに立体的に理解できてくると思います。すると、私達の体には畏敬の念を持たざるを得なくなるなります。そう考えてみると、現代の医学はなんと体の力を低く見ているのかと思えてきます。一部の方が信じている悪いものがあったらすぐに切って捨てれば良いというのは物質的な発想です。こういった考え方で人間の体を見るべきではないということなのでしょう。
かつて医学の祖、ヒポクラテスは医師の三大原則を次のように言ったといいます。
1 力の限り病人を助ける
2 メスを手にしない
3 だれに対しても毒薬を与えない
むろん、その頃と今とではまったく医学の技術が違うので同列に扱うべきではないのですが、この原則の意味する所は生きていると思います。医師に限らずとも、私達ふつうの人間であっても、体には畏敬の念をもって治癒力に協力すべきだということをヒポクラテスは伝えているのでしょう。必要な時には外科的な手法もやるべきだとは思います。しかしその乱用や、薬の多用に対していましめているのだと思います。
そんなことなどについてお話する予定です。ご興味のある方はぜひおいでください。詳しくは以下をごらんください。
http://plaza.harmonix.ne.jp/%7etheo/zadan.html
ラザニア事件

 先日、うちの町内で『フードフェア』という食べ物の屋台がならぶ一種のお祭りがありました。もう十年ぐらいは毎年やっているでしょうか?毎年、人が増えてきており、今年はものすごい位に人が集まりました。どのくらいすごいかというと、ディズニーランドの満員状態ぐらいなのだから、想像がつくと思います。
私は今年は用事もあって行けなかったのですが、行った人の話によると、どこの屋台も人が並びすぎていて、結局は食べられなかったそうです。場所によっては二時間も並んだのに「もうなくなりました」と言われて怒った人もいたそうです。

 そこに行ってきた人の話ですが、「ザラニアがおいしかったわよ」とその人は言いました。私ならびにそこに居た人は「ん?」となりました。『それって…ラザニアじゃ?』と誰もが思いました。しかし、そこで突っ込みを入れるタイミングを逸してしまったのです。本人はウケ狙いでボケているのではなく、本気で言っているのです。誰もが笑うというより、なんだか気まずい雰囲気になりました。しかしその人の話ではあいかわらず続くのです。「ザラニアがね…」という言葉が出るたんびに気まずい雰囲気は拡大していきます。私はなんとか話を変えようとしましたが、あいかわらずザラニア話は続くのです。屋台を出している店の名前まで出して、お店を勧めてきました。

こんなささいな事ですが、五行で考えてみると結構おもしろい事に気づきます。
「 思い」というのは五行の「木」であるとお話しています。その人にとってのラザニアはザラニアという思いになっています。だからあのラザニアのイメージ=ザラニアなのです。なんと呼ぼうと食べ物そのものは同じです。しかし、周囲がその誤りを正した瞬間、その人の思いは別の所に飛んでしまいます。「恥ずかしい」という思いに変わってしまうでしょう。与太話ならいいのですが、その人の真剣さがあればあるほど、周囲にとってはその思いを壊せない雰囲気になってくるのです。
これを五行で説明すると「木」という思い(ザラニア)は「土」という現実(ラザニア)に勝つのです。これを「木剋土」と説明します。

私たちはいつも思いが先行し、時によっては現実にそれが勝ちます。ある人を好きになったら、その人が自分のことを好いてくれていることを思います。そしてその思いの中に浸り、ますますテンションを上げて行ってしまうものです。しかし、現実は別です。その人にうちあけた時に恐ろしい現実に出会ったとしても、なかなか受入れることができなかったりします。あるいはその恐ろしい現実を恐れて最後まで打ち明けられずに想像の世界で戯れることを選択することもあります。まさに「木」は「土」に勝つのです。

まあ、ザラニア程度の話なら、あとになってから笑い話で済みますが、上記の恋愛の話や自分の進路の話ともなると、もう真剣そのものですから、なかなか難しいものです。
しかし、五行の原則ではもう一歩先を示しています。確かに「木」は「土」に勝つのですが、そのままではいません。事態は「木」から「土」に必ず移行します。勝ったはずの「木」は「土」という世界へと移行していくのです。
五行ではこれを「木」→「土」という矢印で表現します。

どんなに現実を認めたくなくても、必ず現実はやってくるのです。しかし、ここにもうひとつの救いのあることを五行では説明しています。「木」と「土」の間にある「火」という要素がそれです。「火」とは愛とか共感です。
思いという「木」は「土」という現実に勝つけれども、いつかは「土」という現実のステージに移行する。そのとき、「火」という愛や共感があると、いかに恐ろしい現実であってもそれは恐ろしいものとはならないのです。現実を受入れることができやすくしてくれるのです。

恋愛のケースなら、励ましてくれる友人や親族がそれにあたります。「そんなもんだよ。おちこむなよ」とか、「あたしだって山ほど経験あるよ」とか。それがあるから私達は現実の中でたくましく立ち上がっていくことができるのです。

ザラニアの場合はというと、まあ、たいしたことではないなので、そのままその人の思いを受け止めて上げるのがこの場合の「火」というものでしょう。いつの日か、あれはザラニアじゃなくてラザニアだったという現実に気づく日は来るのでしょうが、そのときにちょっと恥ずかしい思いをする程度の話です。

こんな具合に、私達の日常には五行の原則がいろいろと当てはまるのです。私たちが「火」になったり、「火」に助けられたりしているものなのです。
自動舞(ヤーマ?)について

私は昔からちょっと変わった体操のような舞をするのをほぼ日課としています。
そもそものルーツはというと、ある日のこと、なんとなくぼーっとしていると体が動きたいという衝動を持っていることに気づいたのです。そこで、まったく体の自由にしてみようと決めてみると、なんと勝手に動くではありませんか。始めのうちは前後左右にゆさぶったりといった簡単な動きでしたが、そのうちにまるで中国の気功のような、神道の雅楽舞のような、インドの民族舞踊のような、なんだかわけのわからないゆったりとした舞へと変わって行くのです。
私自身はというと、意識ははっきりとしており、私の自由意志でいつでもやめたければやめる事ができるのです。始めのうちは憑依かと思ってびびってやめてしまいましたが、そのうちにしっかりと観察しようと思い、体にまかせて動きをみつめることを続けておりました。
そして年月がたつ間にいろいろな人に相談して見てもらったりしていましたが、はっきりとしたことは分かりません。ある人は憑依だと決めつけて「そこに居る霊よ!名を名乗れ!」と言うのです。しかし私の内側から霊らしき者の言葉は出てきません。そこで、その人は悪霊に違いないからお祓いしたほうが良いと言いました。しかし、私はというと、どうしてもそんな気がしないし、自由意志でどうにでもなるのだから違うのでは?と思っていました。
またある人は体の反応としての自動運動であると言いました。これは野口整体でも有名な「活元」と呼ばれるものと同じであり、体が生体の凝りを正し、気の循環、血行を良くして筋肉をほぐす運動です。確かにこれに近いものであると思っておりました。そうならば恐れることはありません。どんどんやるべしです。しかし、その後に出てくる舞のようなものの意味がよくわからなかったのです。

やがてある本からヒントを得ました。「タオコード」という本で、そこにはこういう事が書いてありました。
『彼女たちは森の中で美しい花に出会うと、両手を上方に、やわらかく、何かをすくい上げるようにゆっくりと伸ばしてかすかにおじぎをしつつ手のひらを自身に向ける。 何かのおまじないかと思ったが、後でその理由がわかってきた。彼女たちは、花を見て美しいと感じる心が自身に生じるのは、花の精霊の働きを自身の魂が感知したからだととらえるのだ。』
まさに、こういった動き、つまり水をひろうような動きや、合唱のような動きが必ず私の舞には出てきます。「タオコード」の著者である千賀一生さんは、これをヤーマと呼び『 本質的に精霊としての自分自身を活性化させる行為を意味する』と言っています。
そう思うと、納得するとこがあります。以前、Fさんという方にこの舞を見てもらった時に言われたことです。
『これは意識の領域で白龍を招き入れている状態です。つまり、自分自身の内なる白龍を導きだし表現している状態です。内なる白龍とは、神に仕える者としての意識のことです。神に仕える者として自らの意識を目覚めさせるということは、自らのうちに神を招き入れ、神と一つとなっている状態のことです。自らの神聖さと繋がるものとして、安心なさってください。』
千賀さんの『精霊としての自分自身を活性化させる行為』という説明とFさんの『神と一つとなっている状態』という説明は一致します。つまり、この舞とはヤーマのようなものなのだろうと私は納得した次第です。

この舞に関しては、前述のようにほぼ日課としているのですが、頭では全く違うことを考えていても、体は動くから不思議です。しかし、これが実は自分の活性化に繋がっているのだと最近では思うようになりました。たぶん、(前世があるとするならば)私の前世のどこかでこうしたヤーマをやっていたのだと思います。
このいきさつは「だるまんの陰陽五行」の「火」の章の121話でも少し触れています。実際に宇佐の奥宮でこの自動舞をやらせていただきました。あのような、気の良い場所で行なうと周囲の気との一体感がますます高まり、一種のエクスタシーのような状態になります。それはすばらしいものです。
みなさんの中にもできる方はたくさん居るはずです。ぜひ、やってみてください。体にまかせれば良いだけです。怖がらずに体にまかせれば良いのです。
かみ合わせと自動体操


前回、自動舞と自動体操についてお話しましたが、私の専門である歯科の分野でもこれが言えるのです。
私は歯科医ですが、主として「かみあわせ」を専門としています。歯の生えている顎を顎骨といいますが、上の歯と下の歯があるように顎骨にも上顎骨と下顎骨があります。そのうち上顎骨は頭蓋骨の一部なのでそのまま不動ですが、下顎骨は頭蓋骨と関節(顎関節)を介してつながっています。つまり下顎骨は頭蓋骨にぶらさがったブランコのような構造をしているのです。
ところが、この顎関節にちょっとした特徴があります。普通のブランコのようにがっしりとコネクトしていれば良いのですが、このコネクトがさらに可動性になっているのです。例えは悪いですが、壊れかかったドアの蝶番のようなもので、いかようにも動ける仕組みになっているのです。なにも好き好んでそのようになっているわけではなく、これは自然のうまい仕組みなのです。どうしてかというと、顎骨には歯が埋まっていますが、この歯の生え方、歯並びというのはみんながきっちりと一律になるわけではないですね。おまけに、かみ方の癖もあります。そこで歯と歯がしっかりとかめるように前後左右、どのようにも下顎が動く必要があるのでそのようにできているのです。

例えば、ワニのような肉食動物はまさに鰐口クリップのように単純な上下運動しかできない顎関節です。しかしヤギのような草食動物は左右に顎を動かして食べているのがわかると思います。顎の構造が違うのです。人間は肉も草も食べるので、その両方を兼ねているのだと理解してください。

しかし、これが裏目にも出るのです。いかようにも動ける顎なので、本来の顎の関節の定位置を無視してかみやすい顎の位置へと顎が変位してしまいがちなのです。
このためにさまざまな問題が生じます。ほんとうにさまざまにあるのですが、すべてを集めて顎関節症と言うのです。顎関節症というのは顎関係の問題のデパートのようなもので、すべてを集めた総称なのです。

だから顎関節症の症状も、本当にさまざまですが、あける時に顎がカクカク言うとか、痛いとかいうことから、全身的な症状、ひいては精神的に鬱に陥るなど、本当にいろいろあるのです。
しかし、治療法はひとつです。顎の定位置に顎がいけるようにしてやることなのです。しかしこの定位置を見つけるのが難しいのです。

歯科医学ではこの定位置をいろいろに定義してきましたが、数年前まではむりやり歯科医師が「顎の定位置は前下内方である!」と決めてその位置へと誘導する方法をとっていましたが、ここに問題があることがわかり、いまではまた霧の中という状態になり、各ドクターがさまざまに研究、診療を行なっている状態です。

私の個人的意見では、「顎に聞く」のが一番だと思っております。なぜなら、陰陽五行では顎関節の位置というのは「水」にあたり、「土」という食事など体を養う行為の次に来るものだからです。言い換えると、まず体を養う(食事する)ことが顎の定位置の前段に来る、優先されるということです。前述のとおり、顎関節の定位置よりも食事として咬む時の位置の方が重視されてしまったために顎関節症がおきてしまったことからもわかると思います。だからまず食事の為の位置(たとえそれが間違った位置であっても)を維持しつつ、どこに行きたいのか、どこが本当のホームなのかを顎に聞き、すこしずつそちらへと誘導していけば良いということなのです。

そのために、スプリントという装置を使います。「だるまんの陰陽五行」東洋医学の章の101ページにその絵がありますが、就寝時にこれを使ってやる(上の歯の一部にはめる)ことで、顎が自分で動きだして、ホームへと戻って行きます。寝ているときは食事の為の顎の位置は関係ないので、下顎は進んで自分からホームへと帰ろうとするのです。スプリントはわざと下顎のあたる側を平らにします。こうすることで、下顎がスケート靴をはいたような形になり、動きやすくなるからです。

この自分で動く…という事が大切です。まさに、自動体操なのです。顎の自動体操です。こうして動いたことはスプリントの内面に跡として残ります。それをもとにして顎の位置を模型で再現すれば、ほぼ正しいその人の顎の位置というものがわかります。そこからその正しい位置で食事もできるように誘導し治療をしていくのです。

大切なのは、その人の治癒力を信じるということです。医師が勝手に理屈をこねて位置を定めるより、その人の体に聞くことで、多くの学びがあります。それは患者さん本人にとっても医師にとってもです。こういったところにもモノサシとしての五行が役立つわけです。
だるまん講習会横浜と大阪のおしらせ

だるまん講習会IN横浜   2012年11月18日(日)午後5時45分〜7時45分
 全12回のコース講習会も今月からいよいよ後期に入ります。11月は『天使と悪魔』というタイトルで行ないます。私達にとって目に見えないものでありつつ最も実感として尊重されるのが神概念と言えます。そしてその神と陰陽の関係にあるのが悪魔です。こうしたものが本当にあるのかどうかという証明はとりあえず横に置いて、こうしたものが私達の意識にどう影響しているのかをながめている必要があります。こうしたことは、たとえば「ドラえもん」は本当に存在はしませんが、私達の観念に大きな影響を与えているということは事実だからです。
 神の世界と悪魔の世界、そしてその成り立ちも五行を通じて理解することができます。こうした世界の構図は世界各国で伝えられてきていますが、当日は、それを五行の上でもういちど整理して理解みます。そうしてみると、私達にとっての「神頼み」とか「罰あたり」とかは、どういった理念の上に成り立ち、どう影響が与えられてるのかがわかります。同時に、どのような意識で生きるのが私達にとってプラスなのかもわかります。また、このことは、私達にとっての死後の世界という話にも大きく関わってきます。ここでも実際に死後の世界があるのかどうかという論争に入ってしまうことは不毛です。まず、どういう理念のもとに理解するかが、私達にとってどうプラスになるのかを検討してみるべきです。そういった見地から、スピリチュアリズムの世界でも古典といわれる浅野和三郎氏の著書をもとに五行との接点から理解していきます。

「だるまんの陰陽五行」大阪連続講演会 第三回   2012年12月2日(日)午後4時00分〜6時30分
 大阪の連続講演会の第三回は「だるまんの陰陽五行」第4巻「火」の章について行ないます。つまり、神社と五行の話の前編です。次回に第四回は来年に行ないますが、その頃には出ているはずの第5巻「金」の章をもとにして行ないます。そしてこれが神社と五行の話の後編となります。
 以前にもこのブログで日本の神社は人体にとってのツボみたいなものだとお話ししました。ツボというのは気の出入りする道でありつつ治療点でもあります。同様に神社というのは神の訪れる場でありつつ、神との接点として私達を浄化してくれる場でもあります。しかし、ここで注意してほしいのが、ちまたでパワースポットとしてもてはやされる状況についてです。パワースポットという観点には「よいエネルギーをいただく」と気持ちが込められていますが、実際にはただ私達が「よいエネルギーをいただく」だけの場ではないということです。このままではただのかっぱらいです。だからといってお金を払えというのではないのです。神と自分との接点として真摯に自分をみつめ直す場であるということを受け止めたうえでの「よいエネルギーをいただく」場であるということなのです。
ではどういう神々がどのようなテーマをもって私達にアドバイスをしていただけるのでしょうか?ここで陰陽五行です。神社には必ず主宰神がいらっしゃいます。もちろん、私達には見えない存在ですが、明らかに「気」として存在します。単純には、その気に名前があるのだと理解しても良いと思います。この気のあり方を周囲の地形や、過去からの伝承をもとに五行を通じて理解すると、とてもその主宰神のあり方が分かってきます。たとえば、肩こりのツボで有名な「肩井」というツボは胆経という胆のうや肝臓に関係している気の流れる道であることが理解できると、胆のうや肝臓が人体にどう関わっているかを知ることを通じて、肩こりという疾患に対する対処が理解できてきます。こうしたことと、同じであるのです。
ただ、神社はあくまで神々の世界に関わるので、システマティックに理解するのも良いのですが、同時に敬意といった私達の心の奥底にある細かいバイブレーションの気にまで育てていくことで私達を大きく変える力を持ちます。このことを人体で言うなら、自然治癒力の発動といえましょう。
このような話を 身近な話題からもっと広大な世界へと広げて行くのが「だるまんの陰陽五行」の「火」の章と「金」の章なのです。

以上、詳しくは以下のおしらせをご覧ください。
http://plaza.harmonix.ne.jp/%7etheo/zadan.html
いよいよ選挙公示

近々、衆議院議員選挙が行なわれます。時代的にとても重要な選挙になると思えます。

五行で説明すると今という時代は「土」から「水」の途中であると前々から述べていますが、その意味合いにおいて重要だということです。
「土」とはちょうど花壇の土のように生命を育てます。しかし「囲って育てる」という大前提が生命の運命を左右します。つまり、花壇の中の植物たちは花壇の枠に規制されるのです。人間世界で言うならば、為政者によって規制されるということです。彼らが彼らに優位な法律や、常識をもって人々を規制することで、一種の奴隷化支配をするというのがこの「土」的時代の特徴なのです。
そして今までの歴史を眺めてみるとまさにそうであるとがわかります。しかし、江戸時代には商人の子は商人に、武家の子は武士に…といった規制がもっと激しかったはずです。それが現代では、商店街の息子でも医師でも政治家でも努力次第でなれる…という具合に変化してきています。江戸時代に比べると現代はそれだけ「土」的規制が弱まっていることが分かります。つまり「土」の時代は終焉に近づいているのです。しかし、まだまだ「土」的な力は強く、規制ははびこっています。端的な例は、規制する側つまり為政者というのは既得権益にどっぷり浸かっているということです。一例をあげるならば、あれだけ原発でひどいことになっているのにかかわらず、原発は続いているということです。いわゆる原子力ムラという既得権益の連中がおいしい汁から離れたがらないのです。その権益に結びついた政治家、学者、企業がこぞって、それを守ろうとしています。一般民衆がそれを壊せるかどうかが今回の選挙の大きなテーマということになるでしょう。

いろんな政党がさも自分だけが正しいようにいろんなことを言っていますが、今までの経緯を見て、彼らの口先に惑わされぬようにしましょう。嘘を突き通してきた政府や、今までの枠組みを強固に復活させたい旧政府の残党や、タレントあがりで天下をとったように詭弁をふるまう輩の本質を見るようにしましょう。そして、やはり利益に預かる構図の中にあるマスコミがマスゴミと言われるほどに腐敗し、歪曲した報道を繰り返していることにも注目したいと思います。今はネットというものがあります。情報はマスゴミを通じたもの以外にも山ほどあります。情報を幅広く取り入れ、自らの自覚を持って判断しましょう。「NHKなら正しい」といまだに思っている方があるとしたら、まったくの誤認であることを自覚しましょう。

この自らの自覚を持って…というのが次にくる「水」の時代の特徴なのです。「土」という枠を破って自らの力(それを自我とも自覚とも言いますが)で立ちあがった人たちが従来のような上下関係で成り立つピラミッド型の構図ではなく、水平の関係構図で結びつくのが「水」の時代の特徴です。「水」の時代では、上に立つものは支配するものではなく、ただの代表です。社長であっても平社員の位置に立って働き、その地位を流動的なものにして、各社員の個性をのばしつつ会社全体を成長させていくのがこれからの企業の姿です。現にすでにそうした会社もできつつありますが、社会の構成もだんだんとそうなっていくのです。これを政治に置き換えると、政治家が特定の企業と結びついて利権を食う世界と大きく違っていることがわかると思います。「水」の時代の政治はトップダウンではなく、民意の中から生まれるのです。

こうした意味で、いったん当選したら平気で民意を無視するような人間を選んでしまってはならないのです。こういう人間が政府に居るかぎり、まだまだ「水」の時代は遠いものになってしまいます。一刻も早くそうした時代が訪れるように、真剣に人間を見て、私達の代表を選びたいものです。
神仏と五行


 私はよく五行と神社の関係のお話をさせてもらっています。
陰陽五行は中国から来たものとされていますが、日本に古来から伝わる神話の数々も五行で解くと理解されやすいことが多いのです。そういう意味で、五行はアジア圏全体に古来より伝わる智恵と見た方が自然です。それを中国ではたまたま「五行」と呼んだということです。日本にも、ホツマツタエという古代文献があり、その中には五行とそっくりの「五元」という考え方が出てきます。もっとも、学会では古事記と日本書紀以外は偽書扱いされていますが。
さてでは、どのように神話や、その流れを汲む神社を五行で読み解くのかというと、たとえばこんな感じです。

1. 日本の神々は一人二人とは言わずに一柱二柱という具合に呼びます。柱というのは長いもの、天と地をつなぐものです。長いものというのは五行では「木」という要素で表現します。つまり、日本に古来から存在する神々は「木」的な神として(おおざっぱに捉えると)理解できるということです。
「木」という枠で理解すると、他のことも納得が行きます。
2. たとえば神社で行う柏手、あるいは賽銭箱のそばにガラガラ、こういった破裂音の類も五行では「木」です。音の持つエネルギーは「木」なのです。
3. 神社のしめ縄も、縄という長いひもで、やはり「木」の象徴です。
4. 鳥居も「木」です。なぜなら、鶏とは朝を告げる存在であり、朝とは「木」の象徴なのです。
5. 聖徳太子も言ったように日本は「日の出ずる国」であり、かつて欧米でも呼んだように極東の国です。東というのは五行では「木」なのです。

そんなわけで、「木」としての要素を持つ神々を中心に見ていくと日本の神話や神社がいっそう理解しやすくなるのがおわかりだと思います。

私達人間は一寸先、一秒先のことすらわからない存在です。言うなれば真っ暗な海を漂う船のようなものです。だからこそ、灯台の明かりが欲しいのです。私は、この明かりの役目をするのが神仏だと思うのです。そして五行とはその明かりでぼんやりと照らし出される航図です。羅針盤です。この羅針盤を持って明かりの方向へと漕ぎだすのだ…というような理解で五行を捉えてもらうとわかりやすいでしょう。

本日は、その一例として猿田彦神を例にとりたいと思います。ご存知の方も多いとおもいますが、神話の中では天から降りてきた神々(天つ神)を地へと導く「道開きの神」としての役割を担います。つまり天と地をつなぐ神なのです。これだけでも先述の「木」としての意味がかかってくることはおわかりだと思います。
また、猿田彦神は天狗のようなイメージで描かれることが多い神です。天狗のような長い鼻は何を意味するのかというと…、そうです。やはり先述したように長いものだから「木」なのです。
また、この長い鼻をよく男根に例えます。そして奥様である天鈿女命(あまのうずめのみこと)と共に男女の愛の象徴とされ、巷に存在する道祖神の大本ともされます。この場合、猿田彦神のあの長い鼻は男根にも例えるのです。そして男女の交合とは究極の陰陽合体であり、男根である「木」は陰陽をつなぐ道といえるのです。だからこそ、道祖神なのです。

そして、注目すべきは仏教との混交です。明治の革命で神仏は分離されてしまいましたが、もともと日本の文化は仏教と神道の混淆からなりたっています。この場合、猿田彦神は「青面金剛」と言う仏様と同一視されています。道祖神のひとつとも言える庚申塔は青面金剛を刻んでいるケースがとても多いのです。また、猿田彦神とのからみで猿を刻んでいるケースも多いのです。見ざる聞かざる言わざるの三猿です。本日は詳しく述べませんが、ここにも天と地をつなぐ「三尸(さんし)の虫」という伝説が絡んでくるのです。

実は『だるまんの陰陽五行』のシリーズは猿田彦神ととても縁が深いのです。そのいきさつは来年2013年刊行の『だるまんの陰陽五行』「金」の章に詳しいですが、だるまん自身が五行を通じて天と地をつなぐ役割を担っているのかもしれません。ということは、私達を真っ暗闇の航海から灯台のもとへと導くナビゲーターだということでもあるのです。自らを知り、天の命(めい)を知り、充実した人生を送るためにです。

『入門!だるまん講座IN横浜』では次回12月16日と1月20日、午後5時30分より、こうした神社と五行についてのお話をする予定です。
また、東京の「アルカノンセミナー」では12月23日に『ハイアーセルフとのつながり方』というタイトルで神仏の根源的存在と人間との関係についてさらに詳しくお話する予定です。
詳しくは以下をご覧ください。
だるまん講座関係→  http://plaza.harmonix.ne.jp/%7etheo/zadan.html
アルカノンセミナー→ http://www.arcanumseminars.com/index.html
いよいよアセンション

いよいよアセンションの日がやってまいりました。ま、世界滅亡はないとは思いますが、実際、何事もなくても、「やっぱ嘘じゃん!」とは思うまいとしております。というか、何事にも意味があると考えるのが陰陽五行の鉄則だからです。
というのも、別にマヤ予言のアセンションを信じているわけではないのですが、古人の語ることは具体的というより抽象的な意味を持つことが多いことを今までの経験上知っているからです。

たとえば、「食べてすぐ寝ると牛になるぞ!」って古訓がありますが、実際に牛になるわけではありません。当たり前です。牛はご存知のように四つ胃袋があってなんども反芻しながらじっくりと消化していきます。人間はひとつしか胃袋がないのですが、寝ている間は消化能力がはるかに低下します。結局起きたあとに消化しなおさねばならないのです。若い時はその負担で体がだるくなることは少ないでしょうが、年齢を重ねるにつれ確実に負担がかかり、みぞおちがだんだんと固くなり、疲れやすいからだになっていきます。つまり食べてすぐ寝ていると体が牛仕様にならないと、追いつかないという意味なのです。

そんなわけで、今回のアセンションはどんな意味を持つのかなと常々考えているのですが、我が日本や、お隣の韓国、北朝鮮、中国など、結構大きな出来事がこのタイミングで来ました。日本ではご存知総選挙があり、中国でも首脳の交代、北朝鮮ではちょっと前に交代がありました。中国ではアセンションにからんだ刺傷事件まであったそうです。韓国ではなんと、あの儒教社会に女性大統領の出現ということになりました。大きな変化があったのです。

しかしわが日本では変化とはいえないものだと私は感じています。選挙の結果は、過去に戻されたようで本当にひどい結果で、私はマジに落胆してしまい、しばらく立ち直れない状態でした。なんで日本だけがこうなんだ!という感じです。
五行的には今は「土」から「水」への過渡期ということで、「土」から「水」に至るには、既得権益という最も「土」的なものに執着することをやめない限り無理なのです。しかし、今回の選挙の結果はその逆で、原発推進や増税賛成、TPP推進など現在の枠組みを維持する既得権益組の大勝利という結果でした。一部、不正選挙だという説もあります(同じ筆跡のものが連続していたなど集計時の疑惑情報がネットに氾濫しています)が、事実、そうであったとしても、この結果が一旦出たということは、どん底に撃ち落とされたということになります。そしてもし、不正選挙でなかったら、多くの日本国民が、わかってか、わからずか、既得権益組を応援したことになります。

しかし、ここで気づいたのは、『夜明けは一番暗い』ということです。これは陰陽の原則でもあります。陰がもっとも極まった時に陽の萌芽が現れるのです。
つまりこれこそが、ある意味アセンションだったのかな?と現段階では思っています。ちょっと言い訳くさいですが、つまり、墜ちることで後は上がるだけ…ということです。後は上がることに留意して生きればよいのです。

上がること…というのは、この場合、「水」に行くことです。「水」に行くことというのは、水のように小さな隙間でも流れてどんどん進んで行くことです。そして水のように小さな流れが合流することでやがて大きな流れに変わることです。これが大河となったとき、はじめて「水」の時代に近づきます。このとき、各人がもっと各人の素直な気持ちと感情を持って生き生きと互いの個性を活かしつつ過ごせるタイミングとなるはずです。

アセンションというのはこういう社会的な現象のことではなく、ひとりひとりの内面の変化であるということも言われますが、すくなくとも内面の変化が社会に現れるので、このように考えたわけです。

そんなことを、ふと、思いつつ、私は今回のこの日を迎えます。みなさまはいかがでしょうか?
「THRIVE」と五行

映画「THRIVE」をご覧になった方は多いと思います。私も以前、YouTubeで見たのですが、今回、改めてDVDでゆっくりと見させていただきました。
やはり、すごい内容です。前半はトーラスという宇宙を貫く一大法則の話ですが、後半はそれを無視して世界を牛耳ろうとする秘密組織の暴露といった内容になっています。そして最後に、今後私達が生きて行くためにどうすればよいのかという希望に満ちた提案で終わっています。
この映画を作ったのはP&Gの御曹司フォスター・ギャンブルという方ですが、いわば元は民衆を牛耳ろうとする側(政府も支配する金融エリートとつながる企業)の人間だったわけです。しかし、彼は勇気をふるって民衆側に寝返って映画にまで至ったというのです。しかしなかには、これは民衆に対して秘密を暴露する形の「まき餌」であり、陰謀の一端であると主張する人もいますが、仮にそうであるとしても、私はこの映画の内容は重要であると思います。

なぜなら、私のいつも言っている「土」から「水」の時代へというテーマがそのままこの映画に見られるからです。

「土」とは、囲ってはぐくむ存在を意味しますが、これは同時に腐らせるという意味も含みます。ちょうど花壇では植物を育てるが同時に根腐れもおこすという意味と一致します。言い換えれば、現代社会の中で一部の人間が「選ばれたる者」となりお金もエネルギー資源も教育も医療も食料もすべてを支配し、あげくの果てに常識感まで支配するとなると、私達は彼らの所有する花壇の中のひとつの命にすぎません。つまり彼らの思いのままというわけです。しかも、ややこしいことに、私たちの多くはそれに気づいていません。

ひとつの例をあげるなら、病気はどうでしょうか?映画の中ではアメリカの医療は教育も病院もすべて金融エリート側の出資による製薬会社のものだと暴露しています。ということは、医療の目的は治癒ではなく、製薬会社をもうけさせるものであるということです。事実、私達のまわりを見ると、病気にかかることで大量に薬を服用させられているケースはやまほどあります。その結果、病気が治るかというと、いったん治ったようであっても、完全治癒にはいたらずに副作用をおこし、そこでまた薬を飲むという行為の連続となっています。ここにあるのは薬づけの人間を作って行く行為であり、人間の本来持つ自然治癒力をひきおこす行為ではありません。もし、こういった行為が作為的におこされているとしたら…?
多くの人はそんな馬鹿な!と言うでしょう。しかし、医療サイドに携わっていると、これは事実であると言わざるをえません。一部の医師はそれに抵抗し、自然治癒力と取り組む医療を行なうようにしていますが、社会的には多勢に無勢であり、なかなか難しいものがあります。

そして「水」の時代とは小さな水の流れが互いに結びつき、大河に変わって行くような横のつながりを意味しています。ここには支配者はいません。リーダーはあっても支配するものではないのです。当然、一部の者の利益の為に大多数を犠牲にすよるな行為は存在しないのです。今から思うと、まだまだ夢のような世界です。本当にこんな世界が来るのでしょうか?

ここで五行の原則を知っていると、安心できます。確実に時代はそのように動くのです。いかに、今現在がどん底であっても、時代は確実にその方向に動くのです。問題はそれがいつになるかということだけです。

この際、彼らの陰謀が実在かどうかは別にして、私達自身が「水」の時代に向けるように努力することだけが必要だと思います。陰謀があろうがなかろうが、私達が 他を所有することや唯物主義に偏ることをやめ、自分の中にある本当の人間性に目覚めれば、時代はそうなるからです。今の現実が変わるはずです。

経営学のほうで有名な「2割8割の法則」というものがあります。ある店舗があるとすると、その中でだいたい売れ筋は2割だそうです。しかしだからといってすべての商品をその2割の売れ筋商品だけにしてしまうと、もう売れなくなってしまうというのです。つまり全体の2割がすべての意味を持つということなのです。
だから、私達の2割が「水」的な人間に変わることで世界は変わるということです。仮に、映画の言っている陰謀組織があったとしても、そのトップの指令系はとても世界人口の2割には満ちません。「海の中の一滴」程度の人々です。ということは、私達が変われば、彼らの陰謀は立ち消えになるだけなのです。むしろ、時代が変化するための「踏み台」になってしまうということです。

エサをもらって陰謀側についている人間もたくさん居るとも言われますが、そういう人々はエサがなくなったら、どこにでもつくような人々です。始めから、このような人々は相手にする必要はありません。私たちが自分の中にある本来の神性とでもいうものに気づけば良いだけなのです。

私はそのための羅針盤として五行を使っています。まだ「THRIVE」を見ていない方はぜひ、ご覧になってください。そして共感出来る方は、ついでに五行の羅針盤を理解してみてください。映画の意味合いをさらに深く理解できるはずです。

来年こそは「水」への目覚めの年としたいものです。
新年そうそうバットマン

みなさま、新年明けましておめでとうございます。
今朝も近くの横浜港のほうまで散歩してきたのですが、いつもの朝の神聖な雰囲気が
ずいぶんと違うこと!
若者のカップルだらけです。笑。
ここは新宿か?と疑うようならんちき騒ぎをしている連中も。
いつもの朝日に新生さをうける感覚が全くない状況でした。

新年とは、いまや、意味を理解されることもないただのイベントになってしまったのでしょうか?
いえいえ、
わかる人はわかっているはずです。

恋人といちゃいちゃしたいだけの人も、何かにつけて酒を飲んで騒ぎたい人も、
朝日が水平線に姿を表した瞬間、動きが止まります。
そして 「おーっ」 という感嘆の声が。

やはり、どんな人にでも朝日の姿は胸を打つものがあるのです。

でも、朝日は新年だけじゃありません。毎日あるのです。
毎日、この姿に感動できるような人間になりたいものだ…とふと思いました。

昨晩はとても紅白など見る気もしないので、
映画『ダークナイト』を見ました。続編の『ダークナイト.ライジング』も見ました。
恥ずかしいことに、見るまで『ナイト』は「夜」のことだと思い込んでいました。
「騎士」のほうだったのですね。
ご存知、バットマンの新シリーズですが、前作よりぐっと深みのました大人の作品になっています。

ラストのシーンでバットマンを指示する警官が言うのです。
「彼はヒーローではない。闇から我々を守護する存在だ。闇夜の騎士なのだ」と。
なんともストイックではありますが、バットマンの神髄を突いた名文句だと思います。

ちなみに、アメリカンコミックから生まれたバットマンの最初の映像化はテレビでした。
私の子供のころ、そのテレビ番組をやってましたが、このころのバットマンは
能天気なお気楽作品でした。まあ、当然なのでしょうが、ずいぶん成長したものです。

さて、ついつい派手なことに目がいきやすい我々ですが、
お日様のようにいつも居てくれて、いつも多くを与えてくれている存在も
『闇夜の騎士』かもしれません。
お日様なのに闇夜というのもへんですがね。

五行で言うと、闇は「水」、日は「火」です。
ともに人間の自我と本質的自己を表します。低我と高我という私達の意識の表現でもあります。
そしてこの二つのつらなる境の場所が「木」という感覚の場になるのです。

「木」の認識をすきとおった鏡のように磨くと「水」と「火」はひとつのものになるのです。
この鏡を曇らせてしまうのを神秘学者のシュタイナーは『ファントム』と呼んでいます。
つまり私達の認識を曇らせてしまうゴミやチリなのです。
毎日毎日、そして毎年、これを焼却していくのが私たちのつとめであるのでしょう。

その身代わりとして古いお札などを神社で焼いてもらうのも年末から年始にかけての仕事です。
そんなことをフラフラと思ってしまいました。

また、映画ではその警官がこんなことも言いました。
『夜明けがいちばん暗い』
そうです。昨年、私は昨年末にこのことを痛感していたのです。
映画での台詞がまさにかぶってきました。

今年こそ、本当の夜明けにしたいものです。
「だるまんの陰陽五行」「金」の章トピックス1

いよいよ今年の春、「だるまんの陰陽五行」の新刊である第5巻「金」の章が発売されます。現在、校正段階に入ったところです。たいへんお待たせしました。

この巻は第4巻「火」の章の続きになります。「火」の章で神業(しんぎょう)に出た皆本クンと阿部クンの旅の続きになります。めぐる場所は「火」の章の京都、九州、東北に続き、以下の場所に向かいます。

茨城…鹿島神宮、香取神宮など
滋賀、和歌山…琵琶湖竹生島、熊野三山など
島根…出雲大社、神魂神社、美保神社など
四国…剣山、磐境神明神社など
広島…厳島神社
北海道…五稜郭
神奈川…江ノ島
京都…伏見稲荷大社、三十三間堂、上賀茂神社など

今回はそれ以外に、高我(低我に体する概念。詳しくは「木」、「土」の章を参照)という神々の世界に関わった内容になるので、日本神話はもちろん、ギリシア神話、グノーシス神話、錬金術、聖杯伝説など西洋の神秘体系もベースとして加わります。

陰陽五行は森羅万象を測るためのモノサシです。従って、「火」の章と「金」の章でとりあげた神々の世界も測ることができるのです。ここで大切になってくるのは人間の世界との関係です。単に人間の作り上げた空想的なものだと思っている方もいるでしょうが、実はそうではありません。
私達の内に私達自身の力ではどうすることもできない生命の力というものがあるように、私達を取り巻いている世界にはそういった諸力というものがあります。過去の人々はそれを神と呼んで畏れ敬ったわけですが、それはなにも過去の人々の専売特許ではありません。今再び、謙虚な目で世界を見回してみたとき、それに気づくはずです。ただし、現代人は単純な言い伝えや物語で納得できるわけではありません。本書によって、詳しく理論的に理解していただけるものと思います。

乞うご期待!
両性具有と「土」の力、「ヨイトマケの唄」


昨年末の紅白歌合戦での美輪明宏の「ヨイトマケの唄」、いまだに話題になっていますね。
もともと長い歌なのでNHKはカットしようしたのに反対して美輪さんは歌わなかったという過去の経緯があったので、話題になっていましたが。
今回はバッチリと放送しただけでもすごいことなのに、そのときに空気が変わったというみなさんの意見を聞いて私も興奮しております。

恥ずかしながら、私は映画を見ていたので紅白は見なかったのですが、後からYouTubeで拝見しました。YouTubeでもその迫力は伝わりますが、リアルタイムで見ていた方には、美輪さんの登場ともに一気に変わった気の変化に敏感に反応していた方も多かったようです。

私が興味をもっているのは、美輪さんの中にある地母神的な力が発動しているという現象です。

今年は癸(みずのと)の巳という年まわりです。癸というのは「てへん」をつけると「揆」という字になり、「百姓一揆」の「一揆」でわかるように、「革命的にものごとが動く」という意味を持ちます。そして癸は五行でいう「水」です。つまり今までの「土」的世界観が「水」へと革命的にシフトしていくきっかけを持つと私は思っています。巳(み)は蛇ですが、脱皮することから、死と再生のシンボルでもあります。

美輪さんの歌った「ヨイトマケの唄」には、ご存知のように「土方」というような差別用語が含まれます。これがもとはNHKの難色を示した原因だといいます。こうした差別観というのは「土」的時代の特徴です。
「土」というのは、すべてを平等に均して育むという意味を持ちますが、それ故に、それを管理する側とされる側に大きな隔たりが生じる世界観でもあるのです。ここにへんなプライドや差別感が入りこむのです。たとえば、まったく対等な主婦である自分と隣の奥さんが居るとすれば、ブランドのバックなどの持ち物とか子供の学校の偏差値とかで差をつけて喜ぶ…なんてことが出てくるのも「土」的世界観の特徴なのです。
ふと見回してみると、この世界には特権とか既得権益なんてものがゴロゴロしているのがわかると思います。そしてそれに必死にしがみつく人たちの姿も。

だから差別される側がたくさん居るのも「土」的な世界なのです。過去の歴史ではそうした被差別民がずいぶんと苦しい思いをしました。今では、表向き、発言などを慎むことが差別を回避したことのように意識されていますが、差別意識というものはまったく消えていません。

「ヨイトマケの唄」には差別用語があるからといって放送しなかったのは、かえって差別していることになるのです。むしろ、前面から向き合って、その唄の意味を理解して「土」的な感覚への検証、反省をしていくことのほうが大切なのです。
そんなわけで、今回これを放送したというのはすごい大挙だったと、私は思うわけです。
大げさな言い方をするならば、「土」的な世界にヒビを入れたのですから。

また一方、美輪さんという方が両性具有であるということも大切です。両性具有というのは「土」のワンランク上の存在つまり地母神のシンボルでもあるのです。
「土」というのは陰陽の二面をそのまま持っている要素であるので、いわば、聖と俗が混在するのです。たとえば、さんざ悪の限りをつくした悪党が更正すると、並の人以上の聖人に変わることがあるように、爆発的な力を持つのも「土」的なるものの特徴です。
過去、両性具有者とか、オカマとかオナベも差別の対照になりました。彼らも「土」的な世界の底辺を知った存在として、「土」を打ち破る力をもった存在であるのです。


そういうわけで、二重に意味が大きかったのが、今回の出来事です。

どういうふうに今年がこれから進むのか、ちょっと楽しみでもあります。
『ブリューゲルの動く絵』


『ブリューゲルの動く絵』という昨年公開された映画をDVDで見ました。
変わった映画です。台詞はほんのわずかしかありません。
静かに時はすぎていきます。絵の中の光景をそのまま実写にしたような画面で、
どこをとっても、まるで絵画のようです。

6世紀の画家ブリューゲルは中世の人々の姿を皮肉たっぷりに描いた画家として有名です。
そこには何十人という人々の群れなしている姿がいつも描かれています。

この映画は『ゴルゴダの丘への行進』という彼の一枚の絵をモチーフに、民衆の群像と、
中世という時代と、そしていつの時代でもある普遍的な「愚」というものを描いています。
なかでも、注目すべきは群衆の無関心を示すシーンで、中世の農村になぜかイエスらしき人物が
十字架で処刑されます。
そしてイエスの話そのままに、とちゅう、倒れたイエスの変わりに十字架を背負わせるために
兵士達がべつの男(クレネ人シモン)を連行するシーンがあります。
群衆は倒れているイエスよりも、その男にほうに注目してしまうのです。
そしてイベントとしてのイエスの処刑もぼんやりと見物し、
処刑が終わるといつものような生活に戻ります。

今の私達に共通するところが多いのではないでしょうか?
何かの出来事に対しても、マスコミの言うことや、専門家の言う事をうのみにして、
自分の目で理解することをしない我々と。
そしていつもどおり、
何食わぬ顔でテレビでドラマを見たりお笑いを見ています。

映画の中で、ブリューゲルはひとことつぶやきます。

兵士がシモンを捉えている。十字架をかつがせようと。皆シモンを見ている。救世主ではなく。
世界をゆるがす大事件があっても、結局、人々は無関心だ。

そしてマリアらしき女性が
はりつけになったイエスを見上げて次のように言います。

我々の魂と肉体が踏みにじられ慈愛と徳が恥ずかしめられている。
自らの地で人々は物乞いと化す。
あの子には使命があった。利己的な人々がしがみつく因習という闇をうちくだくという使命が。
しかしそれ故に、彼は権力に固執する者や、神も人も敬わない愚か者にとって脅威になった。
今闇がおとずれる。因習が闇を作ったのだ。

因習という枠の中でしか生きられない人々とは五行で言う「土」にしがみつく人々です。
そしてイエスは自立を説く「水」の人です。
イエスは「水」への道を説いたのですが、人々の耳には届かず、
「土」の中での権力にしがみつく人々によって処刑されてしまうのです。
まさに、今という時代のテーマ、「土」から「水」へという問題をここでは描いているのです。

中世という愚鈍な時代にあって、ブリューゲルは一枚の絵の中にこれだけのメッセージをこめたのです。そしてそれをまた今、映画化したということにものすごい意味を感じました。

時代は動きはじめているのだと、私は思います。
世間の目や、常識的な知識や行動にとらわれず、自分の目で見て、自分の心で感じて
行動をとることが今、まさに求められています。

絵画ファンも、「だるまんの陰陽五行」の読者の方々にも、見てもらいたい映画です。
『反転について』.「金」の章トピックス2

今春刊行の「だるまんの陰陽五行」第五巻「金」の章の大切なキーワードを説明する『「金」の章トピックス』の二回目です。本日は「反転」ということについてお話します。

陰陽五行は
「木」→「火」→「土」→「金」→「水」
という順番に展開しますが、これは一般的に「相生関係」と言われているものです。木は燃えて火となり、火は土になり…という順番を示すものです。

そして、五行にはもうひとつの関係があって、それを「相剋関係」と言います。
上記のひとつ飛ばしの順番、つまり、
「木」→「土」→「水」→「火」→「金」
という順番です。
木が生えることで土の場所を奪い、土は水を埋め立てることでその場を奪い、というふうに前のものが次のものに勝つ関係を示すと言われています。

「だるまんの陰陽五行」ではこの相剋関係をとても重視しております。そして、この順番はたんなる「勝ち負け」の関係ではなく、ものごとが正常に展開していく順番を示すもので、相剋ルートという具合に表現しています。
そして、もうひとつ大切なのは相剋ルートにおいてはその間にあるものが「触媒」という形で関与するということです。ですから
「木」→「土」
という相剋ルートであれば、(相生関係と比べて)その間にある「火」が触媒となります。
また、
「土」→「水」
という相剋ルートであれば、その間にある「金」が触媒となります。

さて、本日のテーマである「反転」ですが、この相剋ルートに関係してきます。
「木」→「土」
という相剋ルートは「木は土の場所を奪う」つまり「木が土に勝つ」という関係です。しかし、それはそのまま勝ち負けを示すのではなく、
 『「木」は自分より弱い「土」に力を与えることで両者は正常な関係を保つ』
という意味になるのです。そしてそれはそのまま、
 『「木」から「土」に力は移行していく』
というルートを示すことになります。

言い換えれば、「木」がジャイアンで「土」がのび太です。ジャイアンはのび太に必ず勝ちますが、そのままではこの両者の関係に進歩はないということです。ジャイアンがのび太に対して
「のび太のくせに生意気だぞ〜」と言うのではなく
「のび太、おまえ、実はたいした奴だよな。困った時はオレに言えよなっ」
となる状態がこの二人の関係を進歩させるということです。

この時、「木」つまりジャイアンの力は、それより弱いのび太に移行したことになります。なぜなら、のび太が困った時にはジャイアンの力がそのままそこに関与するのですから。
これが「反転」です。

陰陽理論が元になっているのが「陰陽五行」だと理解するととてもわかりやすいことです。
陰陽理論というのは、ものごとはすべて陰と陽に分かれる(たとえばすべてが昼か夜)ということですが、その二つは常に流転する(昼は夜になり、夜は昼になる)と考えます。
つねに振り子のように両端へと変化していくのが陰陽関係なのです。
だから相剋ルートは
「木」から「土」へ
「土」から「水」へ
「水」から「火」へ
「火」から「金」へ
「金」から「木」へ
という具合に反転しつつ進むのです。

そして反転の時、かならず介入する力があって、それが「触媒」です。
「木」の ジャイアン、「土」ののび太なら、触媒となる「火」はしずかちゃんでしょう。
のび太を殴ろうとするジャイアンの力を抑制できるのはしずかちゃんだけでしょう。
また、落ち込むのび太をはげますのもしずかちゃんでしょう。
この両者をまたぐ存在としての触媒があることで、反転というプロセスは順調に進むのです。

もう少し例をあげるなら、人間の臓器です。
「木」は肝臓の象徴、「土」は胃の象徴です。そして「火」は心臓や小腸の小腸です。
そして上記の例でいくなら、
「木」つまり肝臓は「土」つまり胃に勝つ…ということになります。
確かに、肝臓と言えばお酒ですが、お酒を飲みすぎることで、胃は消化できなくなって吐いてしまいます。つまり「木」は「土」より強いのです。しかし、ここに「火」という触媒があるとどうなるか?「火」とは心臓や小腸のもつ熱ですから、お酒を飲んで暖まることで、食欲が増して「つまみ」などを欲しくなるわけです。なにかを食べながら飲むことで、悪酔いを防ぐということです。

人間の成長にあわせると
「木」は成長期、そして「土」は地に足のついた大人です。
そして「木」の若者は「土」の大人に反発します。若者はわがもの顔でつき進みます。つまり「木」は「土」に勝つのです。しかし、そこに「火」としての熱つまり愛情を持った友人や親兄弟が触媒として関与することで、彼の暴走をとめることができ、やがて彼も地に足のついた大人へと成長していくのです。「木」は「土」になっていくのです。

こうしたことがすべて「反転」という表現で示すことができます。

さて、重要なのは次の「土」から「水」への反転です。
五行の動きは時代にも言えるのですが、今はまさに「土」の時代から「水」の時代への移行期にあって触媒の「金」が大きく関わっている時代です。

触媒となる「金」とは
『ものごとを二つにはっきりと分ける』
という性質を持っているので、今の時代、「土」的であろうとする人と「水」的であろうとする人の二分化の運命にあるとも言えるでしょう。触媒である「金」の力がおおきく関わってきているということです。

「土」的な人とは、花壇の中の草花のように花壇という枠組みを後生大事に守ろうとする(枠から出ることは即、死を意味すると思っている)人です。つまり世間の常識や知識、権威やお金といった今までの時代をリードした枠組みから離れたくない(離れられない)人です。
そして「水」的な人とは、水が器しだいで形をいくらでも変えるように、自らの力で器を変えることで、自分という力を枠組みと関係ないところで発揮しようとする、いわば自我に目覚めた人々です。

そしてこの「反転」のタイミングがどうも今年のようなのです。
それは占星術でも、易でも、チャネリング関係でも内容的には一致しています。
なんだ、ぜんぶ、トンデモ系じゃないか…と思う方、そこですでに「土」的な発想だと気づいてください。世間をよーく見ているとわかります。二分化してきていることが。
だから、今、自分の立場をしっかりとつかむことが大切です。
むろん、「水」的であろうとすべきです。時代はそっちを向いているのですから。

つまり、この「反転」とは、自分や世間の常識感でものごとを見るくせを転換するということでもあるのです。

この「土」的とも言える常識感の中でも、最もやっかいなのが、
1 .お金と権威
2. 性の問題
です。

『1 .お金と権威』は、以前にもこのブログでお話しました。「土」の章でも詳しく描いてあります。次の『2. 性の問題』は、「金」の章でも 重要な要素になってくるところです。それはまた次の機会にお話しましょう。
性について  ー「結婚」と「聖婚」の違いー


本日は前回の続きです。陰陽五行で言うところの「土」的なとらわれから脱するための性への認識はとても重要です。
ここでは「結婚」と「聖婚」の違いについてお話したいと思います。

まずとりあげたいのは結婚の概念です。私達は一対一の男女の結婚が当たり前と思っています。その背景にあるのは生涯ひとりだけの性的関係の奨励です。そしてそれ以外に関係を持つことは浮気として禁じ手と理解しています。
しかし、認識を広げてみてください。世界の中には、そして歴史の中には一人の男と複数の女、一人の女と複数の男、という結婚も存在します。そしてまた、それが常識として通用している世界では当然のことながら、複数を相手にする性的な関係は背徳とはされていません。
しかしここで問題にしたいのは、複数関係の結婚についではありません。結婚観についてなのです。そしてその背景にある性への理解なのです。

前述のように見てみると、結婚とは何なんでしょうか?ホントにひとりの相手だけを思い続けることが正しいというのは真理なんでしょうか(なにも浮気を奨励しているわけではないので誤解のなきよう…。)?ここを問うてみる必要があります。

そもそも、結婚という現在の日本人のもっている認識は戦後の西洋思想が常識化しています。一対一という男女関係です。そして西洋思想の道徳観の基本にあるのは当然のことながらキリスト教の考え方です。キリストというと、その大本にあるのはユダヤ教です。かのイエスの出身はエッセネ派というユダヤ教の一派ですが、とくにその中でも祭司となる家系においては、独身主義こそが最高の生き方とされ、結婚とか性は汚れたものとされていました。しかし、だからといって、それを無視したのでは子孫が生まれません。だから子供を得るという目的だけの為に性交渉を持ったのです。

具体的には、祭司の家系では二度の結婚をしたといいます。
『まず最初に、数年にわたる長い婚約期間があった。その後、結婚式が行なわれ、性交渉が許された。 それは最長三年間におよぷ試験結婚であった。女性が妊娠したときには、流産の危険が少ない妊娠三か月になるまで待ち、第二の結婚式が行なわれた。 これは永遠のもので離婚は禁じられていた。 そういうわけで、女性たちは、最後の結婚式のときにはつねに妊娠三か月であった。 妊娠中の性交渉は厳しく禁じられていたので、この結婚の後には性交渉はなかった。 夫は、独身生活を続けるために別居したものであった。』『イエスのミステリーp68』より

そしてその後、無事、子孫を得た後には祭司たる夫は、晴れて再び独身に戻ったといいます。
ここにあるのは、性というものを、とことん汚いものと見る姿勢です。
しかし、歴史をもっとさかのぼって行くと、性をすばらしいものとしてたたえる時代も存在します。
代表的なのは、古代インドのシャクティズムです。シャクティとは、男女という陰陽合一を可能にする性的な力、とくにそれを誘導する女性の持つ性的な力のことです。チベットやインドには性を謳歌する男女の交合を彫像や絵画で描いた寺院は多数存在します。
さらに時代をさかのぼると、古代バビロニアには神殿巫女というシステムがありました。そこではすべての女性は神殿において見知らぬ男性と交わらねばなりませんでした。現代の我々は「なんて不純な!」と怒るようなことでしょうが、当時では大真面目なのです。それは女性のシャクティとも言える力が男性を立派に育て上げるものであると信じていたからです。そして一方、そうすることで女性の方も人間として成長するものであると理解されていたのです。

一見、女性が実を売ることを奨励しているようで眉をひそめる方もおられるでしょうが、実を売るという概念も私達の常識感が歪んで捉えてしまうからです。女性は大地として認識され、おおいなる育みの力を持つものと認識されていたのです。言い換えると、男性より地位は上なのです。女性の力がない限り、男性は一人前に成長できないのですから。

ここで大切なのは、性というのは人間の魂が成長するための通過儀礼であったということです。
このように生命と、その成長への敬意というものを性を媒介として理解するとき、男女の合一は
「結婚」ではなく「聖婚」と表現されるのです。
(「聖婚」(ヒエロス.ガモス)とはなかなか難しい概念で、大きくは陰陽合一のすべて、とくに神と人の合一なども含めてこういいます。詳しくは今春刊行の「だるまんの陰陽五行」「金」の章をご覧下さい。)

ここで、紀元前を代表するシャクティズムと、紀元後を代表するキリスト教的世界の違いがはっきりわかると思います。前者は性を重要なものと捉え、後者は汚いけど必要悪的なものと捉えているということです。
そして現代の我々はどうでしょう?
性を、結婚という形の枠の内においては汚くないし正しいもの、しかし、結婚という枠を超えた場合は汚いもの、風紀を乱すもの…という感覚になっているとは思いませんか?
これが現代人の持つ性の認識なのです。私達は、私たちの認識は正しいと思っていますが、あくまで、それは現代人の常識感にすぎません。そしてこれが私の行っている「土」的な枠ということです。

これから来る「水」の時代においては、当然のことながら「土」的枠は崩壊していきます。今の私達は「土」的枠にしがみつく人と、進んで枠を壊して進もうとする人に分かれて行くとたびたび申し上げています。性においても、この重要性を認識して、現代人の持っている結婚観をもうすこし変えて行く必要があるということなのです。それは好き勝手に性を謳歌しろということではありません。基本にある性をゴシップや淫靡なものの代表として見る姿勢を変えて行く必要があるということです。

むろん、子供の成長にとって、しっかりとした両親と家庭があることはとても大切です。しかし、その裏でいがみ合い、互いに軽蔑しあう夫婦関係があったら、その子はどうなるか先が見えてきます。
結婚のきっかけが互いを縛るものであったら、それは聖婚にはなりません。
縛るということは互いをモノとして理解しているということです。夫は妻を、妻は夫を「自分のもの」と理解するところ、そうした契約のもとにあるというのが聖婚の姿勢から大きく離れていきます。

多くの人にとって、結婚が聖婚へとなっていったとき、社会は大きくかわります。
結婚は制約を持ちますが、聖婚においては敬意がすべてで制約はないのですから。
だるまん講習会のおしらせ


来る2月24日に以下にてだるまん講習会(横浜)を行ないます。
       -----------------
横浜情報文化センター   〒231-0021 横浜市中区日本大通11番地
みなとみらい線(東横線接続)日本大通り駅 情文センター口 徒歩0分
TEL 045-664-3737 FAX 045-664-3788
地図は  http://plaza.harmonix.ne.jp/%7etheo/zadan.html  にあります。
午後5:45〜7:45   7階 大会議室にて。
演題『治癒力と病の力』
会費  3200円
       -----------------

今回は医療の話、とくに東洋医学の話です。
私は歯科医師ですが、今回は歯科のことも含めて体一般のことを陰陽五行のモノサシを使って説明しようと思います。

本来、病は体の反応、警告として出ているものであって、やみくもに症状をとることだけに腐心するものではありません。しかし、辛い症状を早く取り除きたいのは当然の人情なので、ここに葛藤が生じます。そこで、症状を取り去るべく努力しつつ、病の意味を理解するということが必要になります。

たとえばごく普通の風邪のような場合でも体は明確な反応を示します。

1. 邪気(一般にいう感染や、体力低下のこと)に対して肩こりや不調などの反応が生じる
2. まず体温を上げて免疫力を上げようとする。
3. そのために毛穴を閉じて余分な体熱が逃げないようにする。この時、悪寒を感じる。
4. やがて体温が充分に上がったら毛穴を開いて汗で邪気を取り除く。この時、発熱感がある。

これは私達が部屋の温度を調整するために、窓を占めて暖房を入れたり、窓をあけて空気の入れ替えをするのとそっくりであることにお気づきだとおもいます。このように風邪といえども特別なものではなく、私たちの体の掃除であるこということに気づくことが大切になってきます。

いろんなものごとはこのように、ある基準で推し量ることができます。その基準というか、モノサシとして陰陽五行があるのです。

東洋医学も陰陽五行をベースにした医療体系なのです。
私たちの体はこの大自然と同じように地面と空から成っていると考えます。地面というのはいろんな作物を作ってくれる「地の気」を持ちます。そして空は大気ともいうべき「天の気」を持ちます。このふたつの気が交流して熱気や冷気を生み、生命を育むことになります。
人体の場合も食べ物からなる地の気と、呼吸から成る天の気の交流でわたしたちの「元気」を作るのです。こうしたことを健康面に生かすべく、食事、体操、呼吸法などが養生法として説明されているのです。
このことをベースとして損なった気を修復するのが東洋医学ということになります。

気の修復するための方法としては東洋医学の他にも、整体や気の調整術、ホメオパシーやフラワーエッセンスなど、さまざまな代替医療も存在します。その考え方の基本になる部分もご紹介する予定です。
また、陰陽五行を用いた健康法として、五行体操、音を用いた呼吸法など、さまざまな実習を行いたいとおもいます。

このように、『だるまん講習会』では著書「だるまんの陰陽五行」シリーズをもとにして、森羅万象を五行のモノサシではかる方法についてお話しています。
ふるっての御参加、お待ちしております。

参加希望の方は、できましたら前もって連絡をお願いします。
電話 045-664-2270 堀内歯科クリニック  もしくは
メール daruman@mac.com  でご一報をよろしくお願いします。
クレクレタコラ


今からもう30年以上前でしょうか。「クレクレタコラ」という番組がありました。
着ぐるみの人形劇で毎日5分だけの帯番組です。登場人物は遠い星から来て木の上に住んでいるらしいタコ型宇宙人のタコラ、落花生の化け物のチョンボ、メスのオットセイ?の唯一のヒロインであるモンロ、暴れ者怪獣のビラゴン、などなど。
内容は、なにかあるとすぐにやってきて「クレクレ、クリャリンコ!」といいながら人のものをすぐに奪おうとするタコラが中心です。そしてみんなの仕返しにあってタコラは泣きをみるとういうものです。そこに七五調のナレーターが入ります。こんな調子で。
「今日も来ましたタコラとチョンボ。見ればモンロが泣いている…」
「そこで張り切るクレタコラ。男一発やったるか」
「今日もだめだめダメタコラ」

なんせ、主題歌のインパクトが強いのです。内容は覚えてないけど、主題歌は聞いたことがあるという人もいるはずです。YouTubeなどにありますので、ぜひ聞いてみてください。主題歌のほうが本編より長いので、当然のことながら番組では、はしょったサビの部分だけの放送でした。
いきなり、なんでクレクレタコラの話になったのかというと、先日の講演会でもお話したのですが、このタコラさんが今の世の中、すごく多いのです。

私達の体は「神(しん)」「気」「精」から成っていると東洋医学では説明します。
私が「だるまんの陰陽五行」の中で使っている用語で説明するなら「神(しん)」とはアストラル体の高度な部分あたりから低級な部分までを指し、「気」とはエーテル体の高級から低級部分まで、そして「精」とはそれが物質化した部分で、精液とは私たちが眼にすることのできるなかで、いちばん一般的なもので、性に関する最終的な物質ということでお目見えします。精液というのは男性だけものでなく女性の愛液も指します。
私達の肉体は「精」をエネルギーエッセンスとして持っているのですが、この精のもとになっているのが「気」であります。そして「気」を養うのが「神(しん)」ということです。
これは、どんなに疲労していてもよく睡眠をとることで回復しやすい…という事実から理解できます。つまり肉体のエネルギーはエーテル体から、そしてエーテル体が上位のアストラル体、さらにその上のメンタル体、そしてさらに上の魂の核の部分からエネルギーをもらってくるからなのです。
こういったことを「精」は「気」から成り、「気」は「神(しん)」から成る…という形で表現します。
さて、私達が肉体的にも精神的にも疲労すると精が不足し、その結果、元気でなくなります。元気というのは「気」の一種なので、それが不足すると上位の「神(しん)」から補充することになります。ところが、その「神(しん)」となると、低度のものであれば、常に意識や意思として存在しているのですが、高度なものとなると、ほとんどの人は覚醒していません。これを無意識と表現する人もいますが、もっと大きく捉えると、「ハイアーセルフの降ろした糸」と解釈できます。ハイアーセルフというさらに高次の存在が低次の部分に降ろした糸ということです。それはやはり高次のものなので、意識の低い人には理解できないのです。
つまりハイアーセルフなんてあるもんか!と思っている人にとっては、この高度な「神(しん)」は覚醒しているどころか、ないものと同じなのです。そこで、今の、疲労している人にとって、エネルギーの供給源は低度の「神(しん)」のところで打ち切りになります。こうなると、もう回復できなくなってしまいます。
そこで、タコラの登場です。他人の「神(しん)」つまりアストラル体(の低級部分)を奪いにかかるわけです。こういった人を正確にはバンパイアと言います。普通、バンパイアというと、吸血鬼のことで血を奪う妖怪で捉えますが、血というのも気の変化によるものなので、実は同じことです。血を奪う妖怪はめったにお目にかかれませんが、気を奪う妖怪的な人々は実にたくさん居るのです。
このバンパイアこそが、まさにクレクレタコラと同じだということです。人のところにやってきて「クレクレ、クリャリンコ!」と言いつつ奪っていくのです。
奪われる側というのは、タコラさんに情をかけた者であることが多いです。だから情をかけるなというのではありません。情をかけるのは人間として必要な愛念なので非難される筋合いではありません。しかし、タコラはそれを悪用して、いわば、かかった梯子を昇ってくるのです。
奪われたものはたいてい、疲労するし風邪のような症状に至ります。悲しいことに奪ったタコラ本人は自分がバンパイアであることに100%気づいていません。気づくような人なら「神(しん)」の高級部分の目覚めが近い人でもあるからです。いくらでも上位のハイアーセルフからエネルギーをいただけるからです。
従って、私達にとって一番必要なことは、「神(しん)」の高級部分に気づくことです。つまりハイアーセルフを意識する生き方をするということです。何事に関しても、それは自分のエゴが欲していることなのか、それともハイアーセルフの意思なのか…と考えてみる習慣をつけることです。
タコラになってしまっている人は絶対に、自分のハイアーセルフの存在に意識が及びません。考えてみてもぜんぜんピンときませんし、考えることもしません。それどころか、ハイアーセルフという言葉を聞いただけで嫌気をさしたり、怒ったりします。
そのように自問自答してみることが必要だと思います。
このことは今の時代つまり「土」から「水」への移行期を迎えるにあたり、とても大切なことになります。タコラ的な生き方をしているとまず、「水」へと進むことはできないからです。
タコラ防止法


昨日、エネルギーバンパイア「クレクレタコラ」の話をしました。今日はその続きです。
身近にタコラがいた場合はどうするか、または自分がタコラかどうか、タコラにならない方法についてお話します。
まず実体験をお話しましょう。これはつい先日の講習会でもお話した例ですが、ある方が病気になって、その相談をされた親族が風邪をひきました。親族の方の方を私がみたところ(脈診)、風邪の脈は出ていないのです。しかしノドは痛いし、咳も出る。しかし熱は出ないという風邪の初期の症状を訴えています。
いろいろ聞いたところ、最後に、この方の「親族が病気になって、それを相談された」という話を聞きました。とりあえず、気が上がっている(気は普通、臍下の丹田部をホームボジションとします)のを下げるために、足湯をしてお腹を暖めることをおすすめしておきました。
私はもともと歯科医であって、歯科の臨床のついでにお話したのでした。その後、実際にその方が風邪をみてもらうために内科にかかったのですが、内科の先生からも同じような疑問を言われたとのことでした。つまり風邪の症状なのに、どうも風邪ではなさそうだ…と。結果として、薬をもらったのですが、なかなかよくなりません。
その後、その方は「だるまんの陰陽五行」の読者でもあったので、私がタコラの話をしたことろ、とても思い当たるふしがあるということで、どうもその親戚の方の念が来ているのでは?という話になりました。実際にその後、霊的なことを読み取る力のあるカウンセラーの方の所に行ったところ、「髪をふりみだしてわめいている女の人の姿が見える」と言われたそうです。
つまり、この方は親戚の病気になった方の念を受けてしまったという事だったのです。風邪ではなかったということです。言い換えると、昨日話したタコラの餌食になってしまったということです。
タコラの餌食になると、ふつうは風邪のような症状が出ます。しかし、どこか違う感じが必ずします。場合によっては、その後、本当の風邪になってしまうこともあります。
だから、風邪かな?と思った時は、まずタコラにあってないかを検討してみる必要があります。しかし、昨日お話ししたようにタコラ自身は全く悪気がありません。「溺れる者は稾をもつかむ」で、とにかく周りにSOSを発しているだけなのです。
しかし、昨日もお話したように、一番の問題は自分のエネルギーの不足を他人から奪って、他人をまきこんで大騒動にしてしまっているような自分…ということに眼がむかない、その事実なのです。
本人に悪気がないからといって、問題がないとはいえないのです。まず、タコラ化してしまう人は自分自身に対する自覚が足りないといえます。どういう自覚かというと、「自分という存在はこの自分と呼べるエゴのみではない!」ということです。五行ではエゴを「水」という要素で表しますが、「水」は「火」という存在へと結びつきます。この「火」とはエゴを超えたエゴ、つまりハイアーセルフであるのです。つまり、自分という存在はハイアーセルフの一部を受けて存在しているという事実を真摯に受け取ることが大切なのです。
何か事が起きた時、人は誰でも「なんで自分なんだ!なんで自分にこんなことが起きるんだ!オレがなにをしたというんだ!」と、もがきます。それは人情といえましょう。しかし、このとき、真摯に振り返ってほしいのです。ハイアーセルフが何かを教えようとしているのかもしれない…と。
そして、酷なようですが、タコラの餌食になってしまう方も、似たところがあるのです。似たところがあるから共鳴がおきてしまって、タコラと梯子がかかるのです。そしてひどい時には、タコラの餌食になってしまったその方も、自分自身のエネルギーが不足すると、また他人から奪おうとするタコラになってしまうのです。
吸血鬼、バンパイアと全く 同じだということに気づかれると思います。血を吸われた者も吸血鬼になってしまう…ということと。こういった昔話は、このようなある事実の観念をもとに作られていることがとても多いようです。そして事実、東洋医学の説明においても、血とは気の変化したものであるのです。
以上、いろいろと言いましたが、タコラ防止法とはただひとこと「ハイアーセルフとつながる」ということなのです。ハイアーセルフっていったって、どこに居るの?どうやってつながるの?…と思われるでしょうが、私だって、人に言えるほどしっかりつながっているわけでもないし、それを確認できるわけでもありません。そこで、こんな例を考えてみましょう。
あなたがいま恋愛真っ最中だとしましょう。愛する人と、「身も心もつながっている!」という豊かな気持ちに満ち満ちていることでしょう。そして結婚し、時がたち、互いの欠点がいやというほど目につき、互いの行動や考え方にも、存在そのものにも感心がなくなったとき、あなたは「あの時の豊かな気持ちはどこにいってしまったんだろう?また、誰かと燃えるような恋をしたい!」と思うことでしょう。
このことが、今話したタコラの話と同じことだとお気づきになられたでしょうか?誰かとつながって居る時は豊かだけど、つながらなくなったら、また誰かとつながりたいと思う。私達はこの繰り返しなのです。では、これを解決する方法は何でしょう?簡単です。いつでもどこでも永遠につながれる相手を見つけることです。恋愛の最初では、「この愛は永遠だ!」と誰もが思います。しかし100%に近い確率で、それはいずれ夢と消えます。しかし、本当は、いつでもどこでも永遠につながれる相手が居るのです。それがハイアーセルフなんです。というか、もともと、つながっているのです。問題は、私達がつながっていることを忘れてしまっていることなのです。
だから、ハイアーセルフにつながる方法はただ一つ、「いつでもつながっていることを自覚すること」なのです。特別な行法などもありますが、まずはこれに尽きると言えましょう。そして、そのつど、ハイアーセルフの意図は何なのか…を考えてみることなのです。ハイアーセルフは目の前にあらわれて「わしがハイアーセルフじゃ。望みを言うてみい」とは言いません。暮らしの中で、気付きの中でさまざまなインスピレーションや偶然をよそおった出来事で語ってきます。意識していればするほど、その確率が高まってくるのです。これが五行で言うところの「水」を「火」へと導いて行くことなのです。
そして、ハイアーセルフとつながっていると、人との出会いも変わってきます。タコラにあったとしても、エネルギーはハイアーセルフから入ってくるので、自分がタコラになることもなければ、タコラの被害から風邪のような症状を起こすこともぐっと減ってきます。
そして現実の世界では、本当に大切な人とも出会うことでしょう。それは恋愛相手であったり、友人であったり、いろいろです。ハイアーセルフを介して知り合った人との関係は、それこそ永遠である場合もありえるでしょう。なぜなら、その出会いが自分を成長させていくことをハイアーセルフは知っているからなのです。

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