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だるまんの陰陽五行コミュのメルマガ連動「陰陽五行のはなし」

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このトピックではメルマガで発行している『だるまんの陰陽五行』と連動した内容のものをお送りします。2005年の五行研究会で用いたテキストの内容です。

コメント(30)

「「陰陽五行」のはなし1

1.ひろし君の話
 まず「ひろし君の話」という小文を読んでみてください。さて、何の話だ
思いますか?
              =====================
 ある日、ひろし君は気がついた。なんだか妙に暖かい所に居る。
「普段、僕の体はもっと冷たいはずだ。なのに暗くて暖かい所に居る。でも
とてもほんわりしたいい気持ちだ。なんだか眠たくなってきた。いや、もう
すでに寝ているのかもしれない。いや、ひょっとして自分はもう死んでしま
ったのかもしれない。でも変だ。死んでしまったのなら、なんで自分は今こ
うして考えているんだろ?もしかしたらこれが死後の世界というやつなのか
もしれない…。」
ふと気づくとひろし君は空中に浮かんでいた。下を見ると自分の姿が見える
。脱ぎ捨てた体を今こうして上から見ているのだと思った。でもその体はす
でにひろし君の形をしていない。バラバラだ。でもちっとも悲しくない。む
しろ、うれしくて楽しくてウキウキしている自分がわかる。体中が暖かい。
そしてどんどん上に上がっていく。天へ天へ。でも変だ。ここは本当に天な
のかしら?だんだん寒くなってきた。天には神様が居るはずだ。神様の世界
は暖かくて光り輝いているはずだ。なのに、ここは寒い。
さらに冷えてくるとひろし君はいままで霧のようにフワフワ浮いていた自分
がぬるぬるした体に変わってきているのに気づいた。いまやひろし君の姿は
空を漂う水滴のようだ。目をこらすといっぱい仲間が居る。みんな水滴のよ
うな姿をしている。本当にいっぱい居る。遠くにいる仲間たちは雲みたいに
白っぽく見える。ますます寒くなると同時になんだか体が重くなってきた。
あっと気づいた時、ひろし君の体は真っ逆さまに落っこち出した。言わんこ
っちゃない。重くなり過ぎてしまったのだ。その瞬間、ひろし君は思った。
自分は天国じゃなくて地獄に行くのだと。
ひろし君の体は地面にたたきつけられた。でもちっとも痛くない。痛くない
どころか、地面の中へ中へモグラみたいに入りこんでいった。
 あれから何時間経っただろうか…。気づいたとき、ひろし君は自分が誰だ
ったかすっかり忘れていた。一生懸命、考えに考えて、やっと思い出した。
「そうだ、僕は昔、ひろしという名前だったんだ。でもなんだかちょっと違
う。今、自分はひろしであってひろしではない。そんな気がする。」
見ると、自分の一部が手のあたりからムクムク動き出して語り始めた。
「僕は昔、確か、たかしという名前だったんだよ。でももうそんなこと今は
もうどうでもいいんだ。」
「え?」ひろし君はびっくりしてしまった。自分の手が語り出すなんて!す
ると続いてまた体の一部が、今度は足のあたりからムクムク飛び出して語り
始めた。
「私は昔、ミチコという名前だったのよ。でもやっばり、どうでもいい気が
する。」
ますますひろし君はたまげてしまった。
「陰陽五行」のはなし2

「僕は気が狂ったのか?そうだ!確か地獄に落ちたんだっけ。だからこんな
になってしまったのに違いない!」
でも今やひろし君はとても幸福感に満ちあふれていた。自分でもそんな自分
がよくわかる。そしてひろし君自身も自分が誰だったのかなんて、どうでも
いいという気持ちになってきた。そして今、こうしてたかし君やミチコさん
といっしょになっている自分がとてもうれしい気分だ。どこの誰なのかまっ
たく知らないたかし君やミチコさんなのに…。
そんな事を考えていると、この新しいひろし君はまたもやばらばらになって
いた。といっても、まるでコピーが出来るような感じ、分身の術のような感
じにばらばらになっている。そのひとりひとりがひろし君であってたかし君
であってミチコさんのあつまりなのだ。
やがてある分身は熱のように熱くなってどこかへ浮かんでいった。ある分身
は水のようになって海みたいなところへ沈んでいってしまった。ある分身は
空気のようになってどこかへ飛んでいってしまった。でもひろし君にはわか
っていた。みんな、あちこちへ行ってしまったけど、今もいっしょに居ると
いうことが。

 そして、今まで気づかなかったのか不思議な位なんだけど、ずーっと目の
前に大きな光の玉がある。まるで、ふだんお日さまに気づかないけどお日さ
まがあるようなものだ。そんな目の前の光の玉に、ひろし君はとても懐かし
いような、不思議な親しみを覚えていた…。
              =====================

みなさんはこの話を読んで、どう思われたでしょうか?文字どおりに読め
ば死後の世界の話のようでもあります。しかし、これは本当は『ものごとの
基本の姿』の話だと言ったらどう思われるでしょうか?
「陰陽五行」のはなし3

まず、これは『天気の話』だと言いましょう。 
ひろし君とは、地面の水たまりだったのです。だからもともとは冷たい体を
しているのです。しかし、地面は太陽に暖められてとても暖かい。やがて水
は少しずつ蒸発して水蒸気となり空へと昇っていくのです。水たまりの所々
から地肌が顔を出し、あたかもバラバラな水たまりになり、今や完全に消え
去ろうという時、蒸発した水は蒸気となり空のかなたに居ます。ここが「ひ
ろし君は空中に浮かんでいた」という所です。しかし空は地上より気圧は低
いし、寒い。蒸気はだんだんと冷やされて水滴の姿へと変わっていきます。
ここは「冷えてくるとひろし君はいままで霧のようにフワフワ浮いていた自
分がぬるぬるした体に変わってきているのに気づいた」の段です。いくつも
の水滴が集まると雲になります。「遠くにいる仲間たちは雲みたいに白っぽ
く見える」とは雲そのものという事になります。さらに冷やされて水滴が大
きくなってくると雨となってふたたび地上の土に出会うことになります。こ
の落下の時、ひろし君は地獄に落ちるのではないかと思ったのですね。とこ
ろが同じ「地」でも「獄」ではなかった。「地面」だったのです。地面に水
は吸い込まれ、地面の奥深くで多くの仲間と出会うことになる。「地面の中
へ中へモグラみたいに入りこんでいった」とは水が地面に浸透していく様だ
ったのです。こうして他の水分と一体化します。もはや仲間と一体化してひ
ろし君であってひろし君ではなくなっていく様はこのあたりを示しています。
水は植物を発芽させ肥やし、一部は海や川に出て、生き物たちの糧となりま
す。また一部はふたたび大気中へと蒸発し、冷たい空気と触れると風となっ
て飛んでいきます。地球そのものを潤す根源となっていくのです。ここまで
来たとき、彼は気づくのです。初め、水たまりであったひろし君が蒸発して
上へと昇っていくきっかけになったのは太陽という熱源の力だったのです。
ひろし君の冒険とは太陽の力あればこそだったのです。話の最後に出てきた
「懐かしい光の玉」とは太陽を意味していたのです。

さて、私は前にこの「ひろし君の話」とは『ものごとの基本の姿』を意味し
ていると言いました。そしてひろし君とは水であり、天気の話として読める
ことがわかりました。しかし『基本の姿』である以上、他の話としても読め
るのです。たとえば、『からだの話』です。ひろし君を「食べ物」と仮定し
ても、そのまま消化されて栄養となっていく話になります。

普通、食べ物は口から胃に入り胃液に溶かされてバラバラに分解されます。
それが腸から吸収され、血液で運ばれます。一方、呼吸によって肺から入っ
てきた酸素は血液に運ばれ、栄養と酸素がエネルギーの元となるのです。エ
ネルギー生成の工場で熱を作る肝臓と冷却水を扱う腎臓の働きも見逃せませ
ん。
「陰陽五行」のはなし4

ひろし君が食べ物であるとして、もういちど話を追ってみましょう。

 ひろし君は食べ物なので、食べ物そのものの物質の温度しか持っていませ
ん。だから「僕の体は冷たいはずだ」と言っています。暖かい食べ物だとし
てもそれは調理の結果暖まっているにすぎないのです。それが暖かい所に居
る…というのは、食べたものが胃の中にあるさまを指しています。次に「気
づくと空中に浮かんでいた」とありますが、胃液によってドロドロになり熱
となっている所を指します。食べ物はさらに分解されて腸から吸収されてい
くのですが、熱は天気の法則と同じく軽くなって上へと上がっていきます。
一方、気圧が低く気温の低い天とは外気を取り入れる肺に相当します。
東洋医学では万物を「気」という概念でとらえますが、呼吸から入ってくる
ものを「天の気」、食物によって入ってくるものを「地の気」と言います。
ひろし君は今や「地の気」となり天に相当する肺で「天の気」と出会うので
す。このあたりが西洋医学の消化の概念とだいぶ違うのですが、ひろし君の
話は東洋医学の語る栄養吸収の話にぴたり一致してくるのです。
さらにひろし君は「自分がぬるぬるした体に変わってきているのに気づいた
」とあります。東洋医学では「天の気」と「地の気」が出会い、「宋気(そ
うき)」になる…と言ってます。この宋気はまるで雨のように下へと降り落
ちていきます。ここが「ひろし君の体は真っ逆さまに落っこち出した」の部
分です。専門的には粛降(しゅくこう)作用と言います。
肺の「粛降」作用によって降りてきた宋気は腎に送られ、先天的に人体のも
っている「気」と結合して「元気」という気になります。一般的に用いる「
げんき」という言葉は、実はここから来ているのです。雨のように地面に吸
い込まれ、他の水と一体化するひろし君とは、体の地の底のような腎臓で「
元気」となる様を示しています。元気は心臓の熱を通じて身体各部に運ばれ、気、血、水となって全身を動かす力となっていきます。皆と一体化したひろ
し君とは「元気」という気になった事を指し、懐かしい光の玉とは心臓の熱
を意味しているのです。

以上、「ひろし君の話」を通じて言えることはひとつです。「冷たいものが
暖かいものと出会って何かができる」と言う事なのです。もともとは冷たい
ひろし君が暖かい熱によって形を失って浮き上がり、そこでまたも冷たくな
って下に落ちる。落ちた先で他の冷たいものに出会ってそれが力のもととな
り、また暖かいものに出会う…。という循環をおこなっているのが天気だろ
うが人体だろうが共通した『ものごとの基本の姿』なのです。この冷たいも
のと暖かいものを東洋哲学では「陰」と「陽」という言葉で象徴表現します
。まさに森羅万象を突き抜ける象徴なのです。
(この段は『だるまんの陰陽五行.「東洋医学」の章(続刊)』 第179話に詳説の予定です)
「陰陽五行」のはなし 5

2. 陰陽から五行へ
ものごとの基本は「冷たいもの」と「暖かいもの」の関係で説明され、これ
を陰陽という言葉(記号)で象徴する…、とお話してきました。しかしこれ
は私たちを取り巻く世界のことであると同時に、私たちの「ものの考え方」
にも成り立つことであることがわかります。陰陽という二つの象徴とは、「
ふたつのもの」の関係であるという事です。右があれば左がある。上があれ
ば下がある。男があれば女がある。正があれば誤がある。善があれば悪があ
る…と、数え上げればキリがないほどに「ふたつのもの」の関係で満ちあふ
れています。逆に言えば、私たちは「ふたつのもの」の関係でしか物事を推
し量れないという事にもなります。たとえば「紙の書類」を見ても、何かが
記入してあるオモテ面があるからこそ、ひっくり返した裏側をウラ面と言え
るのです。あるものが間違いであると言えるのは、正しいものが何であるか
知っているからこそ言えるのです。私たちは常にふたつのものに「分ける」
ことで「分かる」、「分かった」と言って理解することができるのです。ど
ちらか片方だけで存在することは不可能なのです。万物が陰陽という「ふた
つのもの」の関係で成り立っている以上、私たちもいつも「ふたつのもの」
の中で生きているということです。

 さて、基本はあくまで陰陽という「ふたつのもの」なのですが、「ふたつ
」だけでは説明のしにくいものがあります。たとえば季節です。冬は究極の
寒い「陰」です。夏は究極の暑い「陽」です。しかしその間には半分暑い春
と半分寒い秋があります。また男を陽、女を陰、子供を陽、老人を陰とする
ならば男の老人や女の子供はどうなるでしょう。やはり半分陽で半分陰とい
う説明になってしまいます。空間も上と下、右と左があって陰陽となってい
ますが、右上とか左下といった斜めのラインはどうなるのでしょうか?これ
も半分陽とか半分陰という事になります。
私たちが生活する上では、「ふたつ」だけではとても説明しにくいものがあ
る以上、この「ふたつ」は「四つ」に分けて考えられるようになりました。
そうすれば春とか秋も説明しやすくなります。そして「四つ」のものにも象
徴として名前が付くことになりました。
東洋哲学、東洋医学ではこれを「木」(もく)「火」(か)「金」(きん)
「水」(すい)という記号で表すことになったのです。これはありとあらゆ
るものに象徴として使われることになりました。時間の軸でも夜中が「水」
ならば昼間は「火」、朝を「木」で夕方を「金」…という具合にです。方位
でも東が「木」、南が「火」、西を「金」、北を「水」と言います。でもこ
れだけではまだちょっと足りません。中心を忘れています。陰陽に分れる前
の大本とも言える部分です。これを「土」(ど)と表現します。これで「ふ
たつ」のものは「四つ」となり「五つ」となりました。この「五つ」を五行
(ごぎょう)と言うのです。もとの「陰陽」とあわせて「陰陽五行」という
学問体系ができ上がったのです。
「陰陽五行」のはなし 6

以上は中国での学問体系とされています。この陰陽五行をそのまま医学に応
用しているのが「五臓六腑(ごぞうろっぷ)」です。時代劇などで、よくう
まいものを食べた時に「ん〜!五臓六腑にしみわたるぜぃ」という言葉が出
てきますが、体の主要臓器のことです。五臓とは「肝」「心」「脾」「肺」
「腎」です。そして六腑とは「胆」「小腸」「胃」「大腸」「膀胱」、それ
に「三焦」と呼ぶ概念的な臓器を加えたものを指します。
ではこういった五つの象徴という考え方は中国だけのものかと言うと、実は
そうでもありません。日本の古来からの考えにも『イクラムワタ』という象
徴法があります。「ウツホ」「カセ」「ホ」「ミツ」「ハニ」という名前で
呼ぶ五つの要素です。前述の中国の「五臓六腑」がそのまま「五(イ)つの
蔵(クラ)」と「六(ム)つの腑(ワタ)」に置き換えられたようにも見え
る言葉ですが、内容的には五臓六腑のような臓器だけのことでなく精神的な
内容を含んでいます。また、西洋にも「地」「水」「火」「風」という『四
大』と呼ばれる象徴法があります。これも五行とはちょっと概念がずれてき
ますが、やはり似たようなものと言えるでしょう。

3. 五行とは

五行とは五つの要素で森羅万象を表し象徴する便利な「ものさし」でありま
す。ここでは、その五つの要素がどういうものを象徴しているかについて見
ていきましょう。
五行の難解な所は「ものさし」であるくせに、「もの」だけではなく、「き
れい」とか「尊敬する」とか「落ち込む」などの形のないものまで分類され
てくる所です。さらに形のあるものですら、時と場所に応じては五行の分類
が変化してきてしまいます。たとえば蛇ならば「長くて細いもの」と形にこ
だわれば「木」になるし、冬眠している時は「水」になるのです。まさに五
行が「つかみ所のない」と言われるゆえんです。しかし人間は前述のように
「分ける」ことをしないと理解できないのです。だからこそ五つに「分けて
」ものごとを理解しようとしていのです。
 さて、もともとは陰陽という「冷たいもの」「暖かいもの」から成り立っ
ているので、ここから考えてみるのが一番わかりやすいと思います。究極に
冷たいものは「水」で、究極に熱いものは「火」ですね。このふたつが交じ
り合っているところに「木」「金」「土」があると考えて見れば良いのです。
まずは基本となるイメージを核にして、連想ゲームのようにして見ていきま
しょう。
以下、五行の要素である「木」は「もく」、「火」は「か」、「土」は「ど
」、「金」は「きん」もしくは「ごん」、「水」は「すい」と読んで通常の
木(き)とか火(ひ)と区別するようにしてください。
「陰陽五行」のはなし 7

1)「水」(すい)
 東洋哲学に「天一水を(てんいちすいを)生ず」という言葉があります。
すべてはまず水から始まるのです。究極の冷たさを表す「水」は、季節では
当然「冬」となります。冬は寒いので「北」もです。時間では真夜中。正確
には「夜の十一時から午前一時を中心とした数時間」です。夜は太陽が姿を
消しているので「月」も「水」で示します。夜は真っ暗なので、色では「黒
」となります。夜は寝る時なので「眠る」ことや「冬眠」も「水」です。そ
して暗やみには何がひそんでいるかわからないので、感情的には「恐れ」「
孤独」…という具合に象徴されてきます。
水は命の源です。人間の文明ですら、川のふもとで発生しています。ナイル
川、インダス川、チグリス.ユーフラテス川、そして中国の黄河が四大文明の
発祥の地でしたね。それに水がないと我々はまったく生きていけません。人
間の体の七割も水だと言います。そんなわけで人間のエネルギーの根源とな
る力、それを「精」と言うのですが、これも「みず」ならぬ「水(すい)」
という言葉に象徴されてくるのです。
川は土のえぐれた所に貯まった水から始まります。そこで、えぐれたもの、
穴のようなものも「水」となります。穴という事から落とし穴に陥るような
人生の上での艱難、溺れ惑わされる事、そしてそれに対する忍耐も「水」で
表します。また、穴は落ちるだけではなくモノを隠す所でもあるので「蔵」
とか「しまう」意味も表します。
水はぽとんと落とすと表面張力で小さく丸まりますね。そこで、「曲直」と
言って曲げたり真っ直ぐにしたりすることも「水」で示します。同じく矯正
することも示します。ですから職業でも曲がったことを直す、つまり法律を
守る警察官とか弁護士、検事なども「水」だし、逆に曲がった人つまり陰険
な人とか悪人も「水」なのです。
体つきでも、水滴が落ちるような形に見える下半身デブ体系や水が丸まった
みたいな丸顔は「水」とします。若い女性一般はぽっちゃりとしているので
まとめて「水」で表すこともある位です。
ちょっとややこしいのは鏡とか丸餅のような丸いものは「水」ではなく「金
」の象徴になります。どこが違うのかというと、「水」の場合は求心的に丸
くなるのであって、「金」の場合は始めから形として丸いのです。また「金
」の所でも後述しますが、「丸さ」が聖性の象徴として用いられることが多
いです。このあたりがなかなか難しいかもしれませんが、だんだんとわかる
ようになると思います。
ちなみに、この内向的というか吸引力というか、引きつける力そのものをも
「水」とします。たとえば、結婚前のふたりを引きつけるという仲人、国と
国をひきつける外交官、お客をひきつけるセールスマン、接客業…などすべ
て「水」です。そこで独自の「個性」という概念も「水」に入ります。
「陰陽五行」のはなし 8

 そして人間の体の中では一番水に関わっているのが腎臓です。そして膀胱
です。このふたつをはじめとする泌尿器科全般も「水」の象徴です。おもし
ろいのは骨とか歯も「水」の仲間になります。水は暖まると水蒸気となり、
冷やすと氷になりますが、「水」の冷たさが極に至ると氷のような硬い物質
に変化します。そこで、人体の中でも硬い骨とか歯は「水」のグループに入
るというわけです。あと、実際の水分、液体として存在する血液とかリンパ
液、ホルモンなどの体液関係も「水」ですし、「血余」とも言う「髪の毛」
も「水」です。
ただし体毛でややこしいのは、頭髪と性毛以外の皮膚の毛などは「金」とし
ます。皮膚は呼吸する臓器と考え「金」とし、皮膚の毛は肺の延長と考える
ので肺を示す「金」のグループとするのです。
ついでにもう少し詳しく述べると、髪の毛を黒くしている力こそが「水」で
あり、もともとは白髪が本体だと言うのです。だから加齢と共に白髪になる
のは黒髪にしている腎の「水」力が欠乏するからと見るのです。人間として
の「精」力は「水」の力でしたね。だから老齢とともに「水」力が欠乏して
白髪になると考えるわけです。そうなると金髪やブロンドの西洋人はどうな
のか…という話になりますが、西洋人はもともと「水」力が東洋人より少な
いと言う説もあります。
また、水に囲まれた臓器、たとえば子宮とその中の胎児も、また頭蓋骨、脳
膜に囲まれて脳液に浮かんだように存在している脳も「水」のグループです
。ちなみに脳を使うことの多い仕事、考える仕事である学者や哲学者、著作
業も「水」とします。胎児という事からも子供に関する職業、小児科医とか
保母とか小学校教員も「水」になります。
さらに感覚器としては耳が「水」に属します。なぜ耳なのか…と不思議に思
うかもしれませんが、音を聞くという感覚は人体の中で初めに生じて最後ま
で残る基礎の感覚だからです。胎児の段階ですでに音を聞いているという話
はよく言われますし、死ぬ間際にも周囲の呼びかけは聞こえているといいま
す。その証拠に、死の床で大好きな人が呼びかけると息を吹き返す可能性も
高いといいます。音が「水」であるというのは、こういった事の他にも水が
音を伝えているという事実も大切な所でしょう。空気中よりもはるかに水中
のほうが音を伝えているのです。言い換えると水は音の最良の媒体という事
になります。
「陰陽五行」のはなし 9

 他には、水に関する職業ということで、水商売を初めとして水道局や漁業
、ジュースやビールなどの飲料物、石油、インクなども同じく判断します。
 最後に「味」についても触れておきましょう。味の基本を「五味」と言う
くらい五行に深く関わっているのが「味」です。味という漢字は「口」と「
未」から成っていますが、「未」はまだ知らぬものを意味するので「口から
入る未知のもの」ということです。それだけに味へのこだわりは昔から強か
ったのではないかと予想されますが、五味のうちあけは以下のようになりま
す。
「水」…塩辛味
「木」…酸味
「火」…苦味
「土」…甘味
「金」…辛味
「水」に関係の深いのは海であることから「塩味」が「水」であるというこ
とは予想が付くと思います。

2)「木」(もく)
 季節は冬から春になります。春といえばまっさきに気づくのは生命が息づ
き始める頃だと言うことです。植物は芽を出し、冬眠から目覚める動物も居
ます。家の中に篭っていた人々もオーバーを脱ぎ捨てだんだんと活動的にな
ってきます。従って「木」「火」「土」「金」「水」の五行の中で唯一、有
機生命体である所の「木」が命の動き始める春を象徴することはわかりやす
い事だと思います。ちなみに、この「命の動き始める頃」と言うのは、それ
以前に命の根源をじっくりと溜めてはぐくんできたからこその事なのです。
その「はぐくんでいた時」とは冬つまり「水」という事になります。植物で
言えば冬の寒い時期にじっと土の中で種の状態で居た時が「水」で、芽を出
し始めた時が「木」ということになります。春になると、今まで冷えていた
地面が暖められて冬眠していた動物は目覚め、地面は熱気を受けてモヤモヤ
とかげろうがあがります。かげろうのように熱気が上昇していく様も「木」
そのものです。「木」とは伸び上がろうとするエネルギーであり、熱気なの
です。人間で言えば母親のおなかの中で胎児として居た時が「水」で、オギ
ャーと生まれて青年期までを「木」で象徴するのです。
青年と言えば若く青い時期です。だから色としては「青」を「木」とします
。また、一日で言えば、一番若くすがすがしいのはなんといっても「朝」で
す。時間にすると午前六時をはさんで午前四時から八時ぐらいまでを「木」
とします。そして朝は日の出と共にはじまるのでお日さまの昇る「東」も「
木」の象徴です。
「陰陽五行」のはなし10

 さて、若々しい青年は静寂よりは喧騒を好み、活動的で、時には暴走すら
します。こんな荒々しい力が「木」の象徴なのですが、自然現象ではこれが
雷や風に相当します。京都の建仁寺に、風神・雷神図(俵屋宗達画)という
のがありますが、まるまる「木」の気を示している所が興味深い所です。ま
た、東京の浅草寺の大門にも風神・雷神の像があるので雷門と称するように
なったのは有名な話です。門であるということは「入り口」と言うことです
。そんな所から「入る」や「往来」のイメージが象徴されてきます。たとえ
ば人の多く集まる駅とか商店街などです。さらに「他人の言葉を自分の心に
入れる」と考えると、「話し合う」ことも「木」となります。同じく「入る
」を「自由自在に入り込む」ととらえると、「やくだつこと」と解して、一
般「技術」ととらえ、エンジニアや工芸する人なども「木」に入れます。
また、雷と言えば電気ですが、これも「木」です。昔、怖いもの御三家とし
て「地震、雷、火事、おやじ」とありましたが、これらはすべて「木」で、
今でも「おやじ」以外は怖いものでしょう。これらの共通点はすべて一気に
ゴーッと来る騒音、迫力があると言うことです。雷も、ものすごい騒音を伴
いますが、ここから音に関わる音楽、放送、電気に関わる電気製品も「木」
になります。
ちょっとおもしろいのは、ここで言う迫力や音とはあまり持続力のないもの
です。瞬発的な力でしかありません。従って、内容的には空虚であるという
イメージもくっついて来るのです。だから拡大とか誇張、嘘や自慢、ヒステ
リーなども「木」となります。時代劇で言えば空威張りをして掛け声だけが
大きなニセ剣豪といった所でしょうか。本物の剣豪はじーっと構えて容易に
動かず、一気に一刀両断します。まるで座禅のように深みを持ちつつ動かな
い状態は「水」ですが、一気に切り裂く状態は「金」になります。
持続力のない動きとはその場だけの事にもなりかねません。そんな事から「
果たせないこと」や「迷い疑うこと」、「反目すること」も「木」とします
。しかし良いこともあります。「果たせない」という事は、臨機応変に向き
を変える器用さも持ち合わせています。今まで固執していことがダメだとわ
かるとさっとあきらめて、別の道を行く、別の人に従うといった芸当ができ
るのです。こういう柔軟さを「巽順(そんじゅん)」と言って、「木」の美
徳の一つとなるのです。ちなみに、自分を殺して盲目的に誰かに従うのは「
坤順(こんじゅん)」と言って、こちらは「土」のグループに入ってきます
。だから言い方を変えると、巽順は坤順に比べて、ちょっとずるいのです。
「利に敏い」というか、自分の利益を計算する余裕があるのです。なんにし
ろ、巽順とは、山に当たったらそのまま向きを変えることのできる風の動き
と同じなのです。
「陰陽五行」のはなし 11

風ということから連想していくと、長ーく連なっていくというイメージか
らヒモのような長い物、蔦を持つような植物、植物を商う八百屋や花屋、植
木屋も出てきます。食品で言えばそば、うどん、スパゲティなどです。風を
においととらえる事もできます。そういう点ではにおいの強いニンニクとか
ニラも「木」となります。また、風はありとあらゆる所を吹くことから「調
える(ととのえる)」とも言います。
さっき「ちょっとずるい」と言ったばかりなのに何故「ととのえる」のだろ
うかと、疑問の方も居るでしょう。ではこんな場面を連想してみてください。
数人で集まって話をしているとましょう。ところがB男さんとC吉くんがケン
カになりそうな危ない雰囲気になってきました。そこでA子さんがここぞと
ばかりに割り込んだのです。にこやかにほほ笑みながら話題をすりかえたの
です。B男君もC吉君もなんとか和やかな雰囲気にもどりました…。
A子さんの心理をのぞいてみると、ケンカを避けたいという意図はもちろん
ありましたが、自分のソツなさをみんなに見せたいという思いが全く無かっ
たとは言えなかったのです。ちょっとだけ計算づくであっても、見事に場は
整ったのです。一般社会ではこんなのは、ズルい方には入りませんね。だか
ら「巽順」はやはり美徳なのです。
ちなみに「利に敏い」点を強調していくと利益を得るための「商売」も「木
」になります。しかし、一般的な「商い」は「金」に象徴する事が多いです
。ただしこの場合は楽しいショッピングなどの「引きつける」力のある商売
で、単純な利益計算のやりとりだけの商売が「木」になります。
また、風は長く伝えるということから宣伝や広告の仕事なども「木」になり
ます。さらに風は速いので、速く動くものも同様に考えます。たとえば飛行
機、電車、馬、豹のようにです。そして早く動けるのは足がある為であると
いう事から、足そのものも「木」とします。足の多いムカデやカニも「木」
です。
「陰陽五行」のはなし 12

 人体で言えば肝臓、胆嚢が「木」ですが、ヒモのように長い神経なども「
木」になります。神経は電気のインパルスをもっているのでなおさら理解し
やすいでしょう。神経によって瞬発的に動くのは筋肉です。だからこれも「
木」です。筋肉を使うスポーツやスポーツ用品も「木」となります。
肝臓といえば人体の解毒工場ですが、ここから毒にかかわるもの、つまり「
毒薬」とか、量次第では毒となる「薬」、薬にかかわる医療従事者や薬剤師
、そして治療行為そのものまでも「木」とします。
もうひとつ、肝臓といったら出てくるのが「酒」ですね。酒は「さんずい」
に「酉」(とり)と書きます。酉は西に一本線が入った漢字ですが、これは
十二支に出てくる酉(とり)と言えばおわかりでしょう。五行で言えば「金
」に分類されます。だから漢字だけを見ると「さんずい」は水つながりなの
で「水」、酉は「金」となって、ちっとも「木」が出てきません。しかし、
酒そのものは「水」や「金」でも、それを飲むという行為になると「木」と
なるのです。気分を春のようにぱーっと華やかにして、なおかつ肝臓が一気
に働き出すからです。ちなみに酒は他とは異なり、そのほとんどがまず胃で
吸収されます。他の食物のように小腸まで行く時間がかからないので早く「
まわって」くるのです。と同時に体が暖かくなり頭に湯気がたちはじめます
。この光景はまるで、春になって地面が暖かくなって湯気があがっていく「
かげろう」にも似ています。こんな所から酒を飲むことが「木」に象徴され
ることがわかると思います。気が大きくなって大声を出したり暴れたりする
こともそのまんま「木」のイメージです。
しかし、混乱させるようで申し訳ないですが、酒を「楽しむ」という行為は
「金」に象徴されます。さっきの剣豪の話のように、やたら騒ぐための酒な
ら「木」ですが、じっと味わうのは「金」なのです。しかし「金」と言うの
は「バッサリと切り分ける」イメージが入ってくるので、飲酒行為で言えば
あまり悪酔いはしない飲み方でしょう。そしてお酒そのものをゆっくりと腰
を据えて味わい、深い瞑想状態に入るような静かな飲み方になると「水」と
なります。この微妙なイメージの違いを感じてみてください。
人体の感覚器で言うと「目」が「木」の象徴になります。目と芽でつながり
があるので「木」だと覚えておくと良いと思いますが、実は目も酒のように
複雑な象徴関係があります。電池に繋がって光っている豆電球をイメージし
てもらうとわかりやすいのですが、実は電池と豆電球にをつないでいるニク
ロム線が「木」です。電池とは腎のもつ「精」エネルギーで「水」、明るく
輝く豆電球は「火」で心臓の象徴となります。目=「木」というとき、実は
目という臓器そのものよりも、見るという行為を指していることになります
。
「陰陽五行」のはなし 13

 味で言えば「酸味」です。まだ熟してない「あおい」実はすっぱい味がし
ますね。だから若いということは「すっぱい味」なのです。若者の特権、初
恋も「ほんのりとすっぱい味」でしたよね。ちなみに梅干しを食べると「す
っぱー!」と言いますが、正確には「しょっぱい」のです。そしてしょっぱ
いのは「塩辛い」と同じなので、梅干しは「水」の味覚ということになりま
す。ただし、うめぼしの旨味をクエン酸の風味ととらえると「木」となりま
すが…。

 最後にもうひとつ触れておきましょう。僧侶という仕事があります。全判
的に「宗教者」と言ってもいいかもしれません。現在、お坊さんというと静
かに瞑想しているイメージがありますが、そのウラでは「坊主まるもうけ」
の葬式坊主とか、弁慶のような剛腕な兵士のような坊さんも居ました。しか
し本当は場の東西を問わず、宗教者というのは一番怖かったのです。世界史
に出てくる十字軍や、日本史に出てくる仏徒の強訴を見ればわかるように、
ゴリ押しで縦のものを横にしようとする強さを持ち合わせているのです。そ
の教えを風のように広く伝えようとし、従わない者には雷のような破壊力を
行使し、そのうらでしっかりと利得を計算する巽順さを持ち合わせている宗
教者は「木」そのものなのです。なんかこう言うと、坊さんにはちっともい
い所がないようにも見えますが、誤解しないでください。神や仏という「大
いなるもの」への尊敬の念が始めにあったからこそ、宗教者たりえたのです
。このように理想を持つ姿勢は人間存在の「朝」とも言える「若者」には絶
対に必要な事です。だからこそ「木」なのです。
「陰陽五行」のはなし14

3)「火」(か)
 春が過ぎて夏が来ます。「火」と来れば極陽の季節、夏です。そして方位
では「南」。時間では真昼のお昼どきをはさんで数時間ということになりま
す。色では「赤」。ここまでの連想は簡単だと思います。
前に「水」を極陰、そしてここでは「火」を極陽と言いましたが、実はここ
で少し訂正を加えておきたいと思います。今までは話の都合上、イメージし
やすいようにそのように言ったのですが、本当は少し違うのです。そのため
にちょっと易(えき)の話をしておきたいと思います。
 
 易は占いの大本ですが実は陰陽五行そのものです。街角の易者さんは、ど
なたも見かけたことがあると思います。その時、かかげている看板をよく見
てください。横棒が三つ縦にならんでいる図があると思います。三つならん
でひとつの「卦(け)」という意味を持つに至ります。
実はその横棒には、真っ直ぐの横棒と真ん中が切れている横棒の二種類があ
ってこれが「陽」と「陰」を指しています。陰陽の棒が三つならんで、その
配合からいろんな卦を読み取るのです。陽が三つならべば極陽、陰が三つ並
べば極陰ということです。ではその極陽は「火」を意味し、極陰は「水」を
意味するかというと、それが違うのです。極陽は「乾(けん)」という卦で
、極陰は「坤(こん)」という卦になります。「乾」は「金」に、「坤」は
「土」に入るのです。
問題の「火」はどんな卦かと言うと上と下が陽で真ん中が陰になります。ち
なみに「水」はその逆で上と下が陰で真ん中が陽です。どうしてそういうこ
とになるかというと、実際の火を思い出してもらえればわかります。たとえ
ばろうそくの炎はどうでしょう?一番熱いのは外炎で、内炎はほとんど熱く
ないというのは小学生でも知っています。つまり、火とは外側は陽だけど内
側は陰なのです。逆に水は前述のように表面張力をもって内側に丸まろうと
します。現実に真ん中が熱いわけではないですが、外側に比べて硬くなって
いるイメージがあるのです。だから真ん中が陽で外側が陰ということになる
のです。事実、水という文字を九十度傾けてみてると、上と下が真ん中の折
れている(切れている)横棒(つまり陰)で、真ん中が区切れのない横棒
(陽)であることがわかると思います。「水」の卦そのものになるのです。
つまり自然現象として我々の目にうつる火とか水は陰陽哲学で言うならば、
純粋な陽や陰ではないという事になるのです。だからこそ、「冷たいもの」
と「熱いもの」はうつろいながら交流していくのです。
「陰陽五行」のはなし15

 さて、「火」の象徴を考えるとき、この易の卦のイメージがとても役に立
ちます。外側は華やかな陽でも真ん中が空虚な陰であることから、「むなし
い」というイメージも「火」に入ってきます。易の卦を知らないと、「なん
で火がむなしいの?すぐに消えるから?」と悩んでしまうことになるかもし
れません。
易では「火」の象徴である真ん中が陰で上下が陽の卦を「離(り)」と呼び
ますが、これを「つく事」と「はなれる」事と解します。「離れる」のは離
という漢字そのものだからわかりますが、「つく」というのがわかりません
ね。火はなんにでも燃え移る所からくっつくものという意味に解するのです
。そして「離」の卦どおり、真ん中に陰があって陽どうしは離れているので
「くっ付くが離れるもの」という象徴になるのです。
「付いて離れる」というと、どういうイメージが広がってくるでしょうか?
たとえば鳥です。離陸と着陸を繰り返すからです。しかし鳥は十二支の酉が
「金」に入るので、「金」とも考えます。ふつうは燃え立つようにあざやか
に目立つ羽を持つクジャクとかまぶしい朱色のフラミンゴのような鳥を「火
」のグループと考えます。
かわったところでは、たとえば「てんぷら」はどうでしょうか?衣がくっつ
いていますが、衣は離れやすいですね。余談ですが安物のイカのてんぷらな
どは確実に最初のひとかじりで衣がはげてしまいます。「くっ付くが離れる
もの」というわけです。
それに「化粧」はどうでしょうか?くっつけているだけのもので、すぐに剥
げますね。「火」には「華やかに明るいもの」という象徴イメージもあるの
で、まさに華やかに見える化粧は「火」そのものと言えます。同様な美飾に
関するアクセサリーなども「火」となります。他には自分を飾る名刺や印鑑
、各種の証明書とか名誉とか賞状などの類いも同様です。「文書」の類いも
紙を飾っているものとして「火」に入れることもあります。紙にしみ込んで
いるインクを中心に考えると「水」となりますが…。
さらに連想して「被い飾るもの一般」も「火」になります。たとえばカニや
亀のような硬い殻をかぶっている動物、硬い角を乗せている羊やヤギなどで
す。
「明らかにする」という事に注目すると、懲戒などの正否を明らかにするこ
とも「火」とします。そこで知識や教育、芸術、さらには弁護士や検事など
もここに入ってきます。弁護士や検事は前に「水」の所で「曲直して矯正す
る」イメージから「水」のグループに入れることも覚えていらっしゃるでし
ょう。単純に「検事」ならば「水」だとか「火」とか断定できないのが難し
い所です。その検事なら検事の姿勢が「罪をあばく」事に重点が置かれるな
らば「火」だし、「反省させる」事が重点ならば「水」となるわけです。ま
た裁判ではものごとを「明らかにする」為に競い合います。この「競い合う
」という事も「火」になってきます。
「華やか」という事を中心に置くと、にぎやかな繁華街とかパーティ会場も
「火」になります。これをにぎやかというより騒音ととらえるならば「木」
になることは前述の通りです。
今日は日食の日であり、ちまたでは観測ブームでもりあがっていますが、実はそれを見ることより、感じることに重要な意義があるのです(天気の都合で見えないかもしれませんが)。
日食も五行では「金」だと言いましたが、その理由は太陽が隠れることによって現れるエネルギーだからです。太陽は「火」にあたりますが、ふだん「火」は「火剋金」で「金」を抑えています(『だるまんの陰陽五行』8ページの図参照)。その「火」が隠れることによって力が強まるのは「金」というわけです。
つまり、時代的な意味が個人個人の意味において現れるのが日食の意義なのです。日常の停滞した思考(多くはお金がすべてであり、魂などなく肉体や目に見有る世界だけがほんものであると思っている考え方)にノーがつけつけられ、この「土」的な態度を「水」的な態度(自分を卑下したり、逆に権威に置いたりせずに互いのネットワークを大切にして積極的に世界に貢献していく態度)に変えていくことを知らしめているのが日食の意義というわけです。従って、日食の時にはこういう視点で自分を振り返ってみることはとても意義のあることだと思います。
先日、知人がこれと全く同じことを言っていました。やはり、気づいている人はたくさん居るのです。
しかも、今回がすごいのは土用にも重なっているという事です。土用とは丑の日とウナギとの関係でもご存知のように、季節の継ぎ目をさしており、それは19日から始まっています。継ぎ目というのはなんにでも邪気が停滞するところであり、たとえば人体なら関節がそれにあたります(近日発刊予定の「東洋医学の章」を参照)。そして土用に関しては、昔から「新しい事はするな」と言われており、とても忌むべきタイミングとして捉えられています。日食の意味と、自分を振り返るという点において、だいぶかぶってくるのがおわかりだと思います。
以上、このタイミングは「土」から「水」への移行期であり、「金」の介入そのものであるという事が明白です。どうか次にやってくる「水」の時代に行くためにも、自覚をもって受け入れていただきたいと思います。そのとき、大切なのが自分の「思い方」のチェックですが、これについては『だるまんの陰陽五行.「木」の章』に詳しいので、そちらをご覧ください。

「陰陽五行」のはなし 16

 人体で言うと心臓と小腸が「火」です。「火」の赤い色を人体で当てはめ
るとまず連想するのは血液でしょうが、血液そのものは液体なので「水」で
、血液の循環という概念が「火」に入ってきます。そして血液を循環すべく
動かしている張本人は心臓ということです。意外に知らないことですが、小
腸も腹部の心臓と言われます。小腸は胃で分解、消化された栄養物を実際に
その壁から吸収していく場所です。吸収された栄養物は血管に入って肝臓な
どに行きます。つまり心臓同様、血液を指揮している所なのです。東洋医学
では、心臓と小腸は横隔膜を介して交互に動いていると見ます。心臓が動き
を緩めている夜間には小腸が消化の為の蠕動運動を強化して血液循環を助け
ているのです。
心臓を観念的にとらえると、心とかハートとかいうことになります。当然こ
れも「火」なのですが、前述の日本古来の『イクラムワタ』によると、「火
」を意味する「ホ」は(確かに火という字はホとも読めます)、「天の気」
と「地の気」の中心に来るものと考えられています。「天の気」由来の「ウ
ツホ」「カセ」と、「地の気」由来の「ミツ」「ハニ」を中心から見守るの
が「ホ」というわけです。ここでは単に私たちが「こころ」といってイメー
ジする「こころ」を越えたものがあります。太陽系の中心にあって光を与え
続ける太陽のようなイメージです。宗教的に言えば「一者」としての「創造
主」であるし、心理学的に言えば「超自我」とでもいうべきものです。それ
だけにその属性は「愛」ということになります。ただ、愛といってもメロド
ラマ調の男女の愛ではありません。生かし育み、すべてをつなぐ愛です。「
大いなる愛」とでも言うべきものです。ただ、そうは言っても五行のひとつ
として「火」を考えるならば、愛のよろこびはすべて「火」の象徴と考えて
差し支えないと思います。
感覚器では舌が「火」です。忍者は舌を噛みきって自殺したそうですが、「
舌は心の苗」と言われるように、いわば血液の集まりが舌なのです。それと
前述のように、目も「火」とします。ただし、光とか見通すという意味での
目です。
 味では「苦味」ですが、ほとんどの食品は火を通しすぎると、そのまえに
焦げてしまう物もありますが、苦くなるそうです。たとえば、焼き肉屋で火
を通し過ぎると、肉でも野菜でも、てきめんに苦くなるのがわかります。ニ
ンニクなどは食べられたものではなくなります。
「陰陽五行」のはなし 17


4)「金」(きん)
 五行の中でもっともイメージのつかみにくいのがこの「金」ではないかと
私は思います。というのも、まさに「聖と俗」という両極端のイメージが入
ってくるからです。
「聖」とは「神仏」のような人間を越えた存在です。人間は陰陽という相対
世界の産物ですが、ここで言う「聖」とは陰陽を越えた絶対存在としての「
聖なるもの」のイメージなのです。しかしわかりにくいので、一応「天」と
表現しておきましょう。天はまさに「聖なるもの」であり、神や仏に近い概
念ですね。ここから清らかで丸いもの、白くて純粋なもの、健全にして充実
したもの…などのイメージが「金」に入ってきます。それに対してもっとも
人間的なドロドロしたもの、つまりカネと商売、オンナやセックス、サケや
トバク…、繁華街の薄汚れた裏街道が見えてきそうな「俗」の世界も「金」
の象徴になるのです。
一見まったくつながらないような「聖と俗」ですが、具体的には武士をイメ
ージすると良いでしょう。道場には神棚を設け、神仏への礼儀、人間として
の礼を怠らぬよう自分を厳しく律するくせに、意見のあわないものは平気で
殺してしまう…、なんか変だと思いませんか?「平気で殺すわけでもないし
、もともと剣は自分を守るものである」というのは後から付けた理屈であっ
て、人殺しは人殺しです。
人殺しと言えば「戦争」も「金」の象徴です。古代中国では金星を「太白」
と呼び戦乱の兆しと見ていました。古代メソポタミアのアッシリア・バビロ
ニア地方で崇拝された女神イシュタルは戦闘的な女神として有名だし、有名
な悪魔ルシファーは別名「明けの明星」です。しかしその一方、女神イシュ
タルは美の女神アフロディテともなんらかのつながりがあると考えられてお
り、ルシファーはもともとは天使でした。このように東洋だろうが西洋だろ
うが「金」には「聖と俗」のイメージがまとわりついており、こんな矛盾を
抱えているのが「金」なのです。
なんでこんな事になるのでしょう。それは「金」には常に正義と悪、仲間と
敵というふうに「分ける」という作用が付くからなのです。前述したように
人間は相対世界の産物なので「分け」ないと「分からない」のです。分けな
いと分からないくせに陰陽が分れる前の存在である崇高な聖なるものを分か
ろうとするから矛盾を内包するのです。
少し難しくなってきました。なにしろ、「金」とは「分ける」象徴だと覚え
ておいてください。
「陰陽五行」のはなし 18

たとえば季節なら「秋」です。いくぶん涼しくなって、空がなんだか高くな
ったように見える季節です。春は酸素性の大気が充満して天は低く見え、秋
は乾燥した窒素性の大気で酸素が少なく空が高く見えると言います。言い換
えると酸素と窒素を「分けて」しまう働きがあるということです。
「四神聖獣」という方位を守る獣の事をご存知でしょうか?最近では飛鳥の
高松塚古墳に描かれていた事で有名ですが、このうちの西を守る「白虎」と
いう獣があります。白虎とは、態度を決めかねている中途半端な者を食い殺
すという恐ろしい獣なのです。大切なのは、正しければ食われない、間違っ
ていれば食われる…という事ではなく、正しかろうが間違っていようが中途
半端な奴は食われるということです。これが「金」の「分け方」なのです。
容赦はないのです。
 「分ける」ということは、分けた残りを捨てるということになります。中
途半端は許されないので、取っておくことはできないのです。みれんは捨て
なければなりません。嘘いつわりなくマッサラにならねばなりません。そん
な所から色の象徴は「白」となります。白状とか潔白の「白」です。
色に関しては、よく「水」が「白」ではないか?と聞かれますが、これは「
水」が冬の象徴で雪のイメージから来ているようですが、白というのは「中
には何もないよ」という隠し事のない様を言うのです。それに対して「水」
の象徴である「黒」は「中に何かいる、うごめいている」と感じさせるもの
があります。現に冬は土の中で種が発芽の準備をしているのです。そいうい
う意味で、「金」は「白」なのだと理解しておいてください。
「陰陽五行」のはなし 19

 人体で言えば「肺」と「大腸」、それに皮膚とか口、咽などの呼吸にかか
わる臓器が「金」になります。さきほど「捨てる」という話をしましたが、
呼吸は「吐く」方が主体である事をご存知でしょうか?完全に吐き切ること
ができれば自動的に「入る」のです。つまり捨てることに関わっている臓器
である事がわかると思います。大腸は便を作る所なので、文字どおり排泄に
関わっていますね。でも実は捨てるべきものと捨てないものを分けている所
でもあることに気づいてください。そう、やはり「分けて」いるのです。大
腸は小腸のまわりを被うようにして存在していますが、便を作るのに必要な
のは小腸の熱なのです。小腸は「火」でしたね。小腸が出した熱をそのまま
大腸が受けて、排泄物はその熱に蒸されて固まっていくのです。
固まるということは、内側へと収斂(しゅうれん)していくことです。ちょ
うど、秋になって植物が実を作るのは、次世代への情報を種へと収斂してい
くからです。その種を守っているのが実であり、我々の食する果実となるわ
けです。それがたとえばリンゴならリンゴとなってボトンと落ちる。つまり
分けて捨てられるのです。それが土の上に落ちれば腐って土と同化します。
そうして種を土の中へと運び込むわけです。まんまと土に入った種は冬の間
、土に囲まれて外敵に会うこともなく温度と水分を得て育まれるのです。こ
のあたりは次の「土」の意味にも関係してくる所です。
人間で言えば、収斂して小さくなっていくのは「老人」です。老人は人生の
日暮れなので一日で言えば「夕暮れ」です。時間にすれば午後六時をはさむ
数時間となります。そして日の沈むのは「西」です。これらはすべて「金」
の象徴となります。
ちなみに、老人になると食べ物が咽に詰まりやすくなりますが、何故だと思
いますか?人は秋になると毛穴を閉じ気味にして皮膚呼吸を少なくして、そ
のぶん肺の働きを強くしていくのですが、それだけに肺に負荷がかかってし
まうのです。秋、呼吸器、老人とすべて「金」の象徴だということは、老人
ならなおさら呼吸器に負荷がかかるという事なのです。さらに秋は要注意だ
と言うことです。
「陰陽五行」のはなし 20

 「聖と俗」という点からもう少し話を進めましょう。「聖」ですから広く
、充実して、守護をし、監督しているというイメージが浮かんできます。従
って、社長とか政治家、自衛隊、資本家、株主、裁判官、教師などの象徴が
「金」に入ります。また、「俗」ですから狭量で、不信感が強く、色情や誘
惑にかられやすく、刑罰に処せられやすいイメージが浮かんできます。従っ
て、刑務所、バー、キャバレー、パチンコ屋、沼地、風呂場なども「金」の
象徴として浮かんできます。
さらに、「円満な丸」と「欠けた丸」のイメージがあります。円満な丸とは
まさに「聖」であり、神社の鏡とかお正月の鏡もちがその代表です。そして
欠けた丸とは「俗」の事なのですが、ここでは神に対する人間ととらえてく
ださい。ちょうど猿が人より毛が三本足りないように、人間は神の丸が一部
欠けている…といった感じでしょうか?この「欠け」を「毀折(きせつ)」
という言葉で表現します。毀折とは壊れたり折れたりすることですが、言う
ならば、正常で完全な状態をこわしている作用ということです。この毀折を
易では「兌(だ)」という卦で示します。兌と聞くとなんだか難しいようで
すが次の漢字を見てください。すべて「つくり」が兌です。
「脱」、「悦」、「説」、「鋭」
服を「脱がす」のは整った衣服をくずす事、「悦楽」は楽しんで心の結ぼれ
を分解する事、「説明」は言葉をくずしてわかりやすくすることで、「鋭利
」とは文字どおり切ってこわす物です。
だから毀折に関わる手術とか病院、厨房、ごみ捨て場、それに刃物類、人間
的な毀折として裁判所、少年院、脱衣所、解説者などが「金」となります。
「兌」は毀折で、円満をくずすという意味だと言いましたが、「ほころんだ
穴」とも解釈できます。同じ「穴」でも水滴が落ち続けて土にあけた穴、落
とし穴ということで「水」にも解しますが、こちらは「ほころんだ穴」です
。「水」でも「金」でも穴があれば水が貯まりますが、「水」の穴では流れ
がない貯水池となります。しかし「金」の穴では流れがあって川とか沢とな
ります。ほころんだ穴なので水は動くのです。
人間の中でいちばんほころだ穴とは「口」なので、口も「金」の象徴となり
ます。さらに口は吸引作用があります。何も呼吸や食事、キスだけのことで
はありません。おしゃべりによって他人を引きつける吸引作用です。あたか
も山の谷底とかビルの屋上から見た谷間に吸い込まれそうになるような、あ
の「穴」の持つ吸引力に似ています。そこで口に関する飲食業や歯科医とか
、口つまり「言葉」を駆使する仕事である落語家、司会者、僧侶、哲学者な
ども「金」となります。また、吸引力ということは「魅力」という事でもあ
ります。したがって芸能人、タレントとかホステス、セックス産業なども「
金」となります。また人類の中で一番口が発達しているのが(おしゃべりと
いう意味で)若い女性です。だから若い女性は「金」となります。文字通り
金のようにかがやく年代と言えます。
「陰陽五行」のはなし 21

 もうひとつ、忘れてはならないものがあります。「金」というくらいだか
らお金の事です。むろん、お金は「金」に象徴され、銀行員や金融業は「金
」となるのですが、ここにも「分けて捨てる」という意味が大きく関わって
くることに気づいて欲しいのです。
さきほど、同じ「金」である「呼吸」のところでこう言いました。『完全に
吐き切ることができれば自動的に「入る」のです』と。つまりただ溜めるだ
けでは絶対に入ってこないという事なのです。五行的にはそうなります。入
れば出る、出れば入るというのがお金の自然な姿なので、これが滞るという
ことは呼吸が滞るのと同じで、どこかにバランスの狂いが生じているという
事になります。特に問題なのが「金利」の考え方です。「溜めるほどに増え
る」というのは、落とし穴があります。「溜めるほどに増えて、やがて腐る
」というのが正解です。ちまたでも巨万の富をバカな事で一気になくしてし
まう人をよく見かけるではありませんか。あの一気になくしてしまうような
消え方がまさに「腐る」という事に等しいのです。この「溜め過ぎて腐る」
というのは「土」の欠点なのです。詳しくは「土」の所で述べますが、本来
「金」であるお金を「土」の様に扱ってしまう事から起きてしまった誤りだ
と思います。
 最後に「味」について触れておきましょう。「金」の味は「辛味」です。
カレーを食べると毛穴が開いて汗をかきますよね。まさに皮膚呼吸をさかん
にして「金」を強めるわけです。
「陰陽五行」のはなし 22

5)「土」(ど)
 「水」(冬)「木」(春)「火」(夏)「金」(秋)と季節をひとまわり
して、「土」は季節の中心となります。でも季節において「中心」と言われ
ても具体的にはなんのことやらわかりませんね。そこでヒントです。「土用
の丑の日」ってありますね。あの「土用」は実は五行の「土」の事なのです
。そう言えば、「丑の日は夏の終りごろだから、『季節の中心』というのは
夏と秋の間頃の事か…」とお思いになるでしょう。しかし、これでは半分正
解です。実は土用というのは、夏と秋の間だけではなく、すべての季節の間
に来るのです。単に夏と秋の間だけがうなぎの関係で有名になってしまった
だけなのです。
ちょっと言い方を変えてみましょう。私たちは地球に住んでいます。そして
ある季節には水星の影響を受け、ある時には木星の影響を受け、またある時
には火星、金星の影響を受けるとしましょう。それぞれの星の影響を受けて
いる季節が木星なら「木」だから春、火星なら「火」だから夏、という具合
であるとしましょう。そして季節と季節の間には特に影響を受けている星が
ありませんね。あるのは私たちの立っている地球だけです。つまりこれが「
土」です。それが季節の間が「土」に相当するという事なのです。そして本
当は「土」は中心だからいつでも在るのです。そして季節ごとにそれぞれの
の影響が強く出てくる為に「土」が目立たなくなるだけなのです。
 この「中心」というのがとても「土」では大切な考え方です。中心だから
、可視光線の光のスペクトルでも真ん中に来る「黄」が「土」の象徴色とな
ります。また、人体では中心に来るのは胃です。それと脾臓(これはあまり
なじみのない器官かもしれません)です。だから、病気の時にも胃の状態が
安定しているかどうかが治癒に大きな影響を与えます。また方位でも、中心
ですからどちらの方位にも影響力を持ちます。ただし、その中でも特に北東
と南西に強く影響を持つのです。実はこのふたつが「土」の象徴の特徴とな
ります。
ではなぜ「中心」であるべき「土」の気が北東と南西に影響を持っているの
でしょうか?これは季節に置き換えてみればよくわかります。北東は冬と春
の間、南西は夏と秋の間という事になりますから、「極寒からの転換点」と
「極暑からの転換点」にあたることがわかると思います。
「陰陽五行」のはなし 23

これは春から夏、秋から冬というゆるやかな転換に比べて激しい転換です。
人間の体は急な変化にはなかなかそぐわないように出来ているのです。こう
いう「きつさ」を五行では「土」気の要素と考えるのです。
激しい転換ということは、両極をあわせ持っているということです。そうで
す。「土」でも「金」と同じように相反するふたつの要素をあわせてもって
いるのです。具体的には「育む力」と「腐らせる力」です。夏の終りは物が
腐りやすく、冬の終りは土中で種が育まれていると言うわけです。しかしこ
のふたつは「金」の場合ほどに明確に分けるのは難しいのです。なぜかとい
うと、土(つち)は種を育むが、度を越すと一気に腐らせてしまうからです
。土はすべてを同化させてしまう力を持っているからなのです。死体を埋葬
する土葬も遺体を土に返し同化させますが、同じことです。いわばこれは「
母なる大地」の力なのです。考えてみれば「母親」というのも同じような力
を持っていますね。子供を大切に育みますが、ついつい過保護に陥り子供の
巣立ちを妨げてしまいます。いわば「育てる」が「腐らせて」しまうのです
。そんな意味で「親」も「土」の象徴ととらえます。
「陰陽五行」のはなし 24

 さて、五行を日本風にアレンジしたものを陰陽道(おんみょうどう)と言
いますが、この陰陽道では北東を鬼門、南西を裏鬼門と言って特に重視して
います。この不気味な名称を理解するには今述べた「親」の概念に当てはめ
るとわかりやすくなります。「親」と言えば広義には両親ですが狭義には母
親ということになります。そこで「土」も母親の象徴と考える場合と、両親
の象徴と考える場合が出てきます。
両親ということで考えると、鬼門(北東)が父親、裏鬼門(南西)が母親と
なるのです。なぜかと言うと裏鬼門の方が腐らせる力が強いからです。さら
に、鬼門を生門と書く場合もあります。読みはおなじく「きもん」です。こ
の場合、裏鬼門は「死門」と呼びます。確かに夏の終りの「腐らせる」力は
「死」を意味します。反対に生門の方は冬から春なので、だんだんと芽生え
る季節に相当し、生命にあふれる時期です。そうは言っても鬼門も裏鬼門も
共に「恐ろしい親」のイメージでとらえられてきました。
親が恐ろしい…というとなんだかピンと来ないかもしれませんが、「獅子は
わが子を千尋の谷から突き落とす」ようなイメージです。ここで言う親は「
母なる大地」でもあり魂のふるさとである「天」でもあります。人間にとっ
て、いつ天災を通じて千尋の谷に突き落とされるかわからない、そんな怖い
親なのです。人間としてどうにもできないのが天災です。命ある人間にはど
うにもならない力をもつ、恐ろしい存在であるから死者も自由に出入り出来
る「門」というイメージが重なってきたのでしょう。
 とにかく陰陽道の世界では鬼門と裏鬼門をすごく恐れます。中国は漢の都
の北東に大きな桃の木があり、その彼方に死者の出入りする門があったとい
ういわれが古文献にありますが、その影響からか、日本でも鬼門と裏鬼門、
とくに鬼門を重視するようになりました。七九四年、桓武天皇によって造ら
れた平安京ではまっさきに「鬼門封じ」が行われています。御所の北東の角
はわざと欠けて作ってあり、さらに都の北東にある比叡山延暦寺が鬼門から
来る鬼を防いだとされています。事実、平安遷都の時に鬼門の方角から嵐が
吹いて害を与えたとの記録があります。最澄によって建立された比叡山の天
台宗はいわば天皇家のおかかえ宗教であって、天皇家を見えない敵(鬼)か
ら守り、制圧する立場にあったわけです。その証拠に現在の天皇家の紋章で
ある菊の御紋はもとは天台宗のものです。
「陰陽五行」のはなし25

 だいぶ方位にこだわってしまいましたが、その他の「土」の象徴について
考えていきましょう。「土」気には「腐らせる」「同化させる」「制圧する
」象徴があると言いましたが、これは実はすべて同じ事です。たとえば前述
した「胃」ですが、食物を人体に入れるために何をするかというと、まるで
自然界の土の作用と同じなのです。落ちた柿の実がやがて腐って土に同化し
ていくのと同じです。「腐る」ようにバラバラに分解して、異物であった食
物を自分の中に「同化」していくのはまさに「制圧」していく事でもありま
す。
言い方を変えると同化していくのは「平らかにして」いく事であり、それを
溜めて「山にして」いく様でもあります。ここから裏鬼門を「平ら」、鬼門
を「山」にも結びつけます。
この「平ら」という点から、「社会的常識」といった概念が出てきます。さ
らに「柔順」「中和」「勤勉」「謙譲」「育成」「丁寧」などの謙虚で誠実
なイメージが湧いてきます。だからまさに「日本の母」的な「妻」「母」の
象徴にもなります。だから女房役の仕事である次官とか秘書官とか副社長な
どの仕事も「土」にあたります。一方、貞淑な妻の欠点として平凡さにあま
んじる、疑い深い、へりくだる、冒険しない…などの点も出てきます。労働
者、大衆、下請け業、烏合の衆、ペットの動物、家畜、…などです。また大
衆向けという点から大衆酒場とかデパート、大衆メニューであるラーメンと
かカレーライス、だんごの類い、へりくだるという点からカーペット業とか
畳屋、なども出てきます。時間をへりくだると解釈すると古物商とか廃品回
収業なども「土」とします。おもしろい所では烏合の衆というのを糸の集ま
りと解釈して布製品、物の集まりとして納戸とか風呂敷、鞄などの収納関係
、群れをなす動物として羊や蟻、蜂などとも考えます。
また医療一般も「土」に入ります。治癒ということは事を平らかにするとい
う意味からです。
「陰陽五行」のはなし 26

一方の「山」という点から、「頑固」「慎重」「貯蓄」「謝絶」のような頑
固おやじのイメージが湧いてきます。山は進みを停止させることから「静止
」、また毅然として動かないことから「高尚」「賢人」「管理」、そして時
間的には「時」「待つ」などの象徴があります。
職業的には山ということから「山林業」、動かないということから「不動産
業」、さらに待つこは熟成させることでもあるので「教育関係」、養育には
お金がかかるのでここにも「金融業」の象徴が出てきます。止まるというこ
とから停車場、堤防、それを休息と考えてホテルや公園、喫茶店なども出て
きます。
その他、頑固ということから硬いという事で豆などの硬い質の食物、石屋、
歯科医などの硬いものを扱う職業、硬いくちばしや角を持つ動物として牛や
ゾウ、ツルとかサギもあります。
また「土」ですから当然、土(つち)に関する仕事である農業とか土木業、
陶芸家も出てきます。
 味では「甘味」が「土」です。甘いものは疲れたときには本当にフーッと
一息入りますね。前述の象徴で「休息」というのがありましたが、まさにそ
れです。しかし甘いものを食べ過ぎるとどうなるでしょうか?フーッと一息
が行き過ぎて緩みっぱなしになってしまうのです。同じ「土」の象徴である
胃では蠕動運動に支障がくるほどに緩んでしまいます。そのぶん消化も悪く
なり、全身のバランスを狂わせてしまうので、要注意です。
「陰陽五行」のはなし 27

6) それぞれの関係
 以上、五行の象徴を説明してきましたが、それぞれの関係について述べて
おかねばなりません。五行の五つの要素は季節のように推移していくものも
あれば、肉体臓器のように互いに関連して作業をしていくものもあります。
普通、五つを「相生(そうせい)」「相剋(そうこく)」という関係で説明
します。

相生とは互いを生む関係で、
「水」は「木」を生む…水のあるところに木が生える
「木」は「火」を生む…木のあるところに火がつく
「火」は「土」を生む…火で燃えた所に土が残る
「土」は「金」を生む…土には鉱物がある
「金」は「水」を生む…金属の表面には水滴が付く
と説明します。

また、相剋とは互いを剋する(殺す)関係で、
「水」は「火」を剋する…水は火を消す
「火」は「金」を剋する…火は金属を溶かす
「金」は「木」を剋する…金属(斧など)は木を切る
「木」は「土」を剋する…木の根は土の場所を奪う
「土」は「水」を剋する…土は水を埋め立てる
と説明します。易学や風水、東洋医学の原則もすべてこの関係で説明します。
もともと古代より五行という要素は考えられていたのでしょうが、紀元前三
百年頃、中国の鄒衍(すうえん)が相生、相剋の考え方を導入することによ
ってまとめたとも言われています。後、これが強大な影響力を持つようにな
ったのは、秦の始皇帝(紀元前二百年頃)が制度に取り込んだことによると
も言われます。具体的には始皇帝は周の火徳(前王朝の周は「火」をシンボ
ルとした)に勝つ水徳(「水」をシンボル)を使用したのです。そこで「水
」の色である黒を基調とし、衣服や節旗の色は皆黒にし、車は六頭の馬にひ
かせた(六は「水」のシンボル数)と言われます。また、六尺を一歩と規定
したり河の名を改め徳水としたり、とものすごい徹底の仕方です。
さて、以下にあげるのは日本最古の歴史書とされる古事記と日本書紀の冒頭
部ですが、このころすでに明確に陰陽と五行の考え方が導入されているのが
見えます。

 『古事記』(紀元七百年頃)
乘二氣之正、齊五行之序、設神理以奬俗、敷英風以弘國。
(「二気(陰陽)の正しきに乗り、五行の序を整え、神理をもうけてならわ
しを進め、英風を敷きて国をひろめたまひき」)

 『日本書紀』(紀元七百二十年頃)
古天地未剖(いにしえのあめつち いまだわかれず)
陰陽不分 (めを わかれざるとき)
渾沌如鶏子 (まつかれたる ことりの ごとく)
溟 而含矛 (くもりて きざしをふくめり)
及其清陽者 薄靡而為天 (すみあきらかなのものは たなびきて あめと
なり)
重濁者 淹滞而為地 (おもくにごれるものは つづいす つちとなる)
五行の象徴1

五行を始めて学ぶ方にとって、いちばんわかりにくいのがこの「象徴」の当てはめ方です。先日も質問が出たのでちょっと復習してみましょう。
たとえば季節と感情についてですが以下のようになります。
「木」春 「火」夏 「土」土用 「金」秋 「水」冬
「木」怒 「火」喜 「土」思煩 「金」悲 「水」恐

目に見えないエネルギーを区切って名前をつけていくのが五行の象徴です。
本日は「木」と「火」について述べましょう。

「木」というのはもくもくゆらゆらと立ち上っていくエネルギーを指しています。春のかげろうはまさにそれですね。そして怒りというのも立ち上がる…というイメージがありますね。決して下がっていくエネルギーではないですね。そういった点から理解してください。
一方、「火」は明るくはなやかなものを指します。夏とか喜びのイメージが一致することはわかりやすいと思います。しかしその反面、激しく燃え上がるものを指すこともあります。例えば戦争のような。しかしこうなると「木」との違いがわかりにくくなりますね。違いは「もくもく.ゆらゆら」があるかどうかです。この「もくもく」感が「木」との鑑別点になります。しかしこうも言えます。怒りは決してゆらゆらではなくカーッとした感じだから「火」ではないか?…と。
その違いは持続時間です。「もくもく」という言葉の中には立ち上るエネルギーが結構持続している感覚があるでしょう?カーッという言葉には一瞬のイメージがあります。従って、怒りといっても一瞬で消えてあとは、からっと忘れてしまうようなものはむしろ「火」と言えるのですが、普通の怒りはおさまるまでには少し時間がかかりますね。こういった立ち上っていくエネルギーはやはり「木」なのです。
似たものとして地震や雷があります。これらは「木」に入りますが、やはり「火」のようなエネルギーの激しさがありながら数分間の持続があります。従って通常は「木」に入れるのです。

もう少し掘り下げてみましょう。
易というものがありますがこれは陽と陰のマークを三つ並べてひとつの卦を作って判断します。これで見ると「木」と「火」の違いがもっとわかります。
「火」は陽.陰.陽という三本の線で示します(「木」の章p97の「離」と書いてあるマークを見てください。これが「火」です)。陽は明るく陰は暗いものであるというのはわかると思いますが、「火」の持つ明るさとは、すべてが陽の明るさではないのです。常に内側の芯の部分に暗さをもっているのです。これは有る意味、冷静さとも言えます。だからカーッときてもすぐに冷めるのです。
そして「木」はというと二通りありまして下から陽.陰.陰と陽.陽.陰です(「木」の章p97の「震」と「兌」と書いてあるマークを見てください。これが「木」です)。
ちなみに、普通、卦というのは下から上へと見ます。地上の人間が天を仰ぐのが人の道であるからです。そして「木」とは下の方に常に陽があって上には陰があることがわかります。つまり、陽は上にあがる余裕があるのでもくもくと陽気があがっていく時間があるということなのです。「震」の場合は陽.陰.陰なので2ステップ、「兌」の場合は陽.陽.陰なのでダブルの陽が1ステップ上がる持続時間があるということです。

さらにツッコミを入れるとするなら、戦争は「火」だと言ったが、戦争だって何年も続いたりする持続時間があるじゃないか!なのになんで「木」じゃないんだ?…てなことになりますが、これは人間の怒りのような感情的なものと戦争といった社会事象的なものとは時間のものさし、スケールが違うのだと理解してください。
五行の象徴2

もうちまたではすっかり秋の気配です。不思議なもので夏からいろんな「気」が変わってきていることに誰もが気づくはずです。これは単に暑いとか寒いだけの違いではなく、なにか独特の気配の違いが含まれているからです。たとえば私は学生時代に演劇をやっており、秋にはいつも公演を行っていたのでこの時期になると、練習の追い込みとか公演の後の達成感とか当時の高揚した雰囲気がひしひしと体で感じ甦るのです。私の場合、それが秋の「気」とリンクしているのです。これはなにも季節だけに限ることではなく、なつかしい土地に行くとそこの「気」が他と違うのと同じことです。
昔の人はこの「気」の違いに名前をつけて分類したのです。それが五行です。
秋の「気」は「金」という気になります。前回に季節の感情の分類について述べましたが、秋の感情は「悲」であると言いました。秋は方位では西、そして時間では夕方、つまり陽の沈む雰囲気であるということがわかります。このなにか、ものさみしいそしてなつかしい、そして妙にすがすがしくもある雰囲気が「金」であることがよくわかると思います。「三丁目の夕日」というマンガ(映画)がありますが、昭和三十年代の懐かしさと「金」むきだしのこのタイトルとがとてもマッチしています。こうやっていくと「金」という気の表しているものがなんとなく理解できてくると思います。

しかし「金」の意味することはこれだけではありません。聖なるものと俗なるもの、そして実りと、崩落も意味します。こうなってくると再び理解が難しくなるでしょうか?
このあたりは「金」の「土」との関連性にからむテーマですが、ここは五行でも最も難しいところになります。従って、このブログで簡単に説明するのはとても困難なのですが、
しいて言うならば「金」とは「土」のネガ的な立場にあるといってもいいのかもしれません。
人体で言うと「土」は胃で「金」は肺になるのですが、これは胃という「地の気(食物)」を受ける所と、肺という「天の気(呼吸)」を受ける所の関係であることに気づいていただきたいのです。このふたつが人体を養う大いなるコンビであるのですが、我々はこの地上で生きるにあたり、どうしても目に見える食物つまり「土」にとらわれているのです。食べ物には気をつけるが普段の呼吸には気づかないことと同じです。さらには、食事によってものを飲み込むその時には呼吸は止めていることに一致します。「金」を止めて「土」を優先しているのです。
しかし「土」にはきびしい二面性があり、「金」はこの「土」の二面性のうち、ふだん気づかない部分(潜在意識など)を気づかせる役割があるのです。言換えると、忘れ去った「土」の一面が「金」で甦るのです。この「甦る」というのが「金」の秋や夕方の懐かしさに共通していることに注目してください。そしてこの甦るというそのこと事態が、三次元で生きている我々にとっては驚異であるので、これを超自然的なものとして拝んだり逆に穢れたものとして忌むことにもなるのです。ここに「金」の神秘性があります。

昔の人は隠し持っている自分のマイナス面をなんとかして常に水に流し去りたいと願っていました。これを「厄除け」というのです。そのために様々な神社仏閣での祈祷などがありますよね。しかしそれでもダメな場合、神とも仏とも魔ともつかないものが襲いかかってくると信じていました。それを金神(こんじん)というのです。このあたりは「だるまんの陰陽五行」の「火」の章に詳しいのでそちらも参照してみてください。

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