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ゴルフの歴史コミュのゴルフ殿堂? ウォルター・ヘーゲン

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 ウォルター・クリスチャン・ヘーゲンは1892年12月21日、ニューヨーク州ロチェスターで生まれた。しかし死んだのはどこのことであったのか、良く分からない。そういう男であった。

 アメリカにおけるゴルフは、上陸したその日から燎原の火の様に広まっていった。よほどアメリカ人の気質に合ったのであろう。フランシス・ウィメットがバードンに勝った全米オープンが1913年。その時既にヘーゲンはプロであり、トップでスタートするウィメットに「イギリス人をやっつけるために協力してやる」と言ったとか言わないとか。ちなみに、彼はこの時四位だった。

 ヘーゲンはずば抜けた運動神経の持ち主であった。大リーグのフィラデルフィアから契約を求められたと言うのだから野球の腕前も相当なものだった。スイングも当時のバッティング風の左右に大きく動くもので、ボールはよく曲がった。これをリカバリーとべらぼうに上手かったパットで凌いだというのはのちのアーノルド・パーマーやセベ・バレステロスを思わせるものだ。こういう一見、波乱万丈なプレーヤーはギャラリーに愛される。ゴルフ史上最初のカリスマと言えば文句無く彼を指すはずだ。

 1914年、ヘーゲンは全米オープンに優勝する。この時21歳。彼の時代としか言いようが無いゴルフ界の幕が上がる。残念な事に第一次世界大戦が14年〜18年まで行われたせいで、彼の次のメジャー勝利は19年の全米オープン。しかしここからが凄かった。合計メジャー12勝は歴代三位の記録。戦争でのメジャー中止が無ければもっと多くても不思議は無かった。

 特に全米プロ三連覇は物凄い。なにしろ当時は紛れの多いマッチプレー。ヘーゲンは特に心理戦に長け、マッチプレーに強かった。

 ロングホールのセカンドショット。深いラフの中でフェアウエイウッドをぶんぶん素振り。相手が「ヘーゲンは2オンを狙う気だ」と動揺し、慌てて自分もと2オンを狙って失敗。それを見ておもむろにアイアンで刻む。などは朝飯前。友人だったジーン・サラゼンが苦笑して言うところには、きれいなネクタイが女の名前で届けられ、喜んでそれを締めていったら、実はそれがヘーゲンからの贈り物だった、ということをマッチの一番緊迫した場面で暴露された、などという話もある。

 なにしろ1924年にその全米プロに勝った後、酔っ払って優勝カップをタクシーに置き忘れて紛失。次の年返還すべきカップが無いにも関わらず平然と「俺がどうせ勝つのだからもってこなかった」と嘯いて三連覇した男である。心臓の強さは筋金入りだった。

 彼の全盛期1920年代はアメリカ最初の黄金時代。いわゆる「黄金の20年代」に重なる。第一次世界大戦でボロボロになったヨーロッパを尻目に、工業技術と金融機構の勝利が高らかに喧伝され、1929年の大恐慌までアメリカ国民が浮かれ騒いだ時代であった。ボクシングのジャック・デンプシー、ベースボールのベーブ・ルース、そしてゴルフ界にはヘーゲンとボビー・ジョーンズ。スポーツ界に最初のヒーローが登場した時代であったのである。

 ヘーゲンは時代の寵児だった。そして彼は自分がヒーローであることを十分に認識していた。つまり、それまでのプロゴルファー。金持ちメンバーの召使。キャディよりはちょっとましな球打ち職人、に甘んじる気などまったく無かった。

 彼はトーナメントの賞金を得るとそれを全て使った。何に使ったのかと言うと、遊び。高級車、上等なスーツ、ダンスパーティ、シャンパン、女。遠慮なくばら撒いたのである。彼は言った「私は金持ちになりたいと思ったことは無い。ただ、金持ちのように振舞いたかっただけだ」実際、あまりにも使いすぎるせいで、トーナメント会場に借金取りや国税局が待ち伏せし、勝たなければ牢獄入りなどということもあったらしい。彼はそうやって自分は既にこんなに金が掛かる上流階級の一員であり、今までのトーナメントの賞金やエキシビションの賞金ではとても追いつかないと言い放ったのである。

 なにしろ彼はヒーローだ。彼が出てくれなければギャラリーが来ない。トーナメントやエキシビションマッチの主催者は仕方なく彼の気を引くために賞金を上げなければならなくなった。

 そして彼は既成の権威に挑戦する。当時のプロの扱いは、あくまでもゴルフクラブの従業員であった。メンバーである上流階級(当時のアメリカ上流階級とは何であるかを知りたければ映画「タイタニック」を見るべし)とは階級差があった。ヘーゲンはそんなことは許さなかった。これには当時の、20年代の空気も関連しているだろう。

ヘーゲンは自分は上流階級だと主張して、実際当時上流階級とされた人々と親しく付き合った。そしてその上で当時プロの出入りが禁止だったクラブハウスに乗り込み、誰よりも高い料理を食べ、誰よりも気前良く振舞った。イギリスでは当時の皇太子を従えてR&Aのクラブハウスに乗り込んだり、ロールスロイスでオールドコースの一番ティに現れたこともあった。このような彼の振る舞いが、プロゴルファーという職業のイメージアップにどれほど役立ったかは想像に難くない。彼を見習ったサラゼンやトミー・アーマー、ヘンリー・コットンらの努力も相まって、現在では逆にプロゴルファーは偉いのだと勘違いして恥じない輩が出るまでになった。

 同時に、彼はゴルフの伝統を愛していた。積極的にスコットランドに遠征し、アメリカ人プロ初の全英オープンチャンピオンに輝いた。他のアメリカ人プロにも積極的な遠征を進め、後には賞金が安いからという理由で渋るサム・スニードを説得してもいる。ゴルフ普及のためにはどこの国へも行き、どんなコースでも65以下で回って見せたという。日本にも数回来日。高額会員権で有名だった小金井カントリークラブでは彼の設計である。

 彼は1940年以降、ツアーからいきなり姿を消してしまう。1935年以降は勝っていなかったとはいうが、まだ50歳そこそこである。引退するにはあまりにも早かったが、彼はその時からゴルフ界から完全に離れてしまった。あれほど目立つことが好きだった男が、アメリカ社会の表舞台から消えてしまったのである。晩年は癌に悩まされたというが、全盛期に大勢いたはずの友人にも連絡先を教えていなかったという。

 彼を人呼んで「キング」もしくは「ザ・ヘイグ」彼こそ全てのプロゴルファーの礎とも言えるプレーヤーであった。

コメント(6)

実に面白いですねるんるん

ヘーゲンの映画映画があったらみたいくらい電球

ネクタイの下りなんて名場面ですねexclamation ×2
コレを読むだけでファンになりそうです指でOK
 あまりにも面白い人生過ぎて書きすぎました(笑)。

 他にもアル・カポネか彼のファンで、自分専用コースの設計を依頼しようと思っていたとか面白いネタには事欠かない人です。
ウォルター・ヘーゲン(多分)の動画を張り付けてみますねexclamation ×2





やっぱり、昔って感じですねあせあせ

でもグリーンって結構転がるんですね〜あせあせ(飛び散る汗)
 ターヘーさん>

 動画ありがとうございます!

 スイングは完全な野球打ちなんですよね。こまけぇことは気にすんなというような打ち方。いかにもらしいといえばらしいですが、これに繊細なタッチを併せ持っていたのがヘーゲンの不思議なところです。

 ほんと、グリーン早!他のこの時代の映像だともっと重いのでびっくりしました。

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