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ゴルフの歴史コミュのマスターズ物語?

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 マスターズ初、アメリカ人以外のチャンピオンは南アフリカのゲーリー・プレーヤーである。1961年のことだ。マスターズは開始当初から、外国人、特にイギリス人を積極的に招待していた。しかしながら、参加者は少なかった。当時は船旅であったのだから無理も無い。ちなみに、日本人は1936年に戸田藤一郎と陳清水が出場したのが最初であるが、これ以前にも宮本留吉、浅見緑蔵、中村兼吉が招待されたが行けなかったことがあるらしい。

 61年マスターズでは、アーノルド・パーマーが勝つ筈であった。彼は最終ホール、パーを取れば優勝だったのである。ティショットはフェアウェイを捉えたのだが、セカンドショットはグリーン右のバンカー。パーマーはそこからホームランを打ってしまい、寄せも寄り切らず、ダボ。おかげで先にホールアウトしていたプレーヤーに勝利が転がり込んだのだ。62年もプレーヤーには勝つチャンスがあった。しかし、パーマー、ダウ・フィスターワルドとのプレーオフで敗れて二位に終わっている(パーマー優勝)。

 プレーヤーが勝ってからも外国人プレーヤーは長くマスターズで勝てなかった。しかしながら、チャンスが無かった訳ではない。中でも最大のチャンスがアルゼンチン出身の、ナチュラルなスイングで有名だったロベルト・デ・ヴィセンゾに訪れたのは1968年の事だった。

 首位を猛追していたヴィセンゾは17番でバーディを奪ってこの日を65の素晴らしいスコアで終え、ボブ・ゴールビーと並ぶ277でホールアウトした。当然、翌日にプレーオフが行われる筈だった。

 ところが、この時ヴィセンゾのマーカーだったトミー・アーロンが17番のバーディを「4」と書き間違え、トータルを「66」と計算してしまった。ヴィセンゾはこれにサインをしてしまったのである。

 当時、マスターズのスコアチェックはグリーンサイトに置かれていたテーブルで行い、誰もチェックをしないままボックスに入れられれば終わりだったのである(現在ではスコア提出区域を出なければ、競技委員が確認した後にも訂正が認められている)。過大申告は過少申告と違って失格にはならないが、そのまま通用してしまう。ヴィセンゾの4日間トータルは278となり、プレーオフを戦う資格を失ったのだった。ヴィセンゾは記者会見で「なんて馬鹿なことを…」と頭を抱えた。

 当時病床にいたボビー・ジョーンズはなんとかヴィセンゾを救う手立ては無いものかと考えたのだったが、ルールはルールだった。「私は、今年のマスターズチャンピオンは二人いると思っている」と彼は言った。気の毒なのは勝ったゴールビーも同じ事で、彼の元には謂れの無い非難の手紙が何百と舞い込んだという。

 1976年。40歳のゲーリー・プレーヤーが炎のようなゴルフを展開し、最終日を64として6打差をひっくり返す逆転優勝を飾った時、最終ホールグリーンで我が事のように喜んでプレーヤーと抱擁した若者がいる。スペイン出身の天才ゴルファー、セベリアーノ・バレステロスである。

 1979年に破天荒なゴルフで全英オープンを制したバレステロスは、80年、優勝を目指してオーガスタ・ナショナルに乗り込んできた。飛距離は出るが曲がるバレステロスにとって、ラフが無くフェアウェイが広いオーガスタはぴったりだった。しかも当時の彼のパッティングは神がかり的なものがあった。彼は23歳で優勝し、当時の最年少優勝者記録を達成している(1997年にタイガー・ウッズに破られた)。

 もっとも、彼のこの優勝は本国スペインには何の関心も呼ばなかった。バレステロスがグリーン・ジャケットをまとって帰国し、誇らしい気持ちでスペインの空港に降り立ってみると、期待していた報道陣などは誰一人おらず、バレステロスを大層がっかりさせたらしい。

 彼の活躍を皮切りに、ヨーロッパツアーの選手が次々とマスターズで活躍するようになった。バレステロス自身は83年にもう一勝。85年にベルンハルト・ランガーが優勝。88年にはゴルフの祖国、スコットランドのサンディ・ライルが優勝。ここから89、90年のニック・ファルド、91年のイアン・ウーズナムと4年連続でヨーロッパからのチャンピオンが誕生。アメリカ人プレーヤーの優位は完全に覆されたのである。

 2000年、フィージー出身のヴィジェイ・シンが優勝。これはオセアニア出身の最初のチャンピオンである。また、完全な非白人(インド系)としても初めてのチャンピオンだ(タイガーにはほんの少し白人の血が混じっている)。2003年の勝者マイク・ウィアーは左利き最初のチャンピオンとして有名だが、実はカナダ人初の優勝者でもある。

 2009年。アルゼンチン出身のアンヘル・カブレラが勝つ。あのヴィセンゾの悲劇から41年後の快挙である。

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