ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』(The Picture of Dorian Gray, 1890-1)ではドリアンは「自分の肖像画」という影と共に滅びることになる。
己の倨傲が呼び出してしまった「影」を己自身の名で呼び、受け入れることによって世界の均衡の回復を図ることが出来たル・グインの『影との戦い』( A Wizard of Earthsea)がその世界認識の楽観性によって子供のためのファンタシーであるとするなら、影との戦いの中で空しく一人芝居のようにあがき、あえなく倒されるフックを描く『ピーターとウェンディ』は、その現実認識の苛烈さにおいて正に大人の為のファンタシーと呼ぶにふさわしいものであろう。この分身のモチーフはワイルドばかりでなく、シャミッソー(Adelbert von Chamisso) の「影を売った男」(“Peter Schlemihls wundersame Geschite”, 1814)やアンデルセン(Hans Christian Andersen)の「影」(“The Shadow”, 1847)がすでに用いていたものであったし、ポー(Edgar Allan Poe)の「ウィリアム・ウィルソン」(“William Wilson", 1839)の中にも同様の主題が窺える。近代的知性を脅かす影というモチーフは19世紀においてはかなり普遍的なものであったといえる。
Red Bull: The Shadow of Ignorance and Blindness
https://folio.wayo.ac.jp/ct/link_cushion?url=https%3A%2F%2Fwww.academia.edu%2F7899655%2FRed_Bull_The_Shadow_of_Ignorance_and_Blindness
Quantum Logic--Paradox--Impossible Worlds: Actualism and Antifantasy
Quantum Logic--Paradox--Impossible Worlds: Actualism and Antifantasy 2
Supernatural System Theory and Antifantasy