例えばマクドナルドの処女作Phantastes : A Faerie Romance for Men and Women (1858)においては、妖精と妖精界はそれぞれ人間と客観的実在世界の影として存在する対照的な概念として捉えられていた。昼と夜が交代するがごとく夢と現実が交代して顕現し、その住民たる人間界と妖精界が互いを補い合ってより緊密で堅固な真の実在世界を形成している、という構図で人間の霊性の秘密と世界構築原理の神秘を記述することが、ファンタシー文学の思想的特質を最も顕著に表していると思われるこの作品の企図したところであった。典型的なドイツ・ロマン派の作家ホフマン(E. T. A. Hoffman)の「ブラムビルラ王女」(“Prinzessin Brambilla”, 1821)に描かれた夢幻界と現実界の一見不可解な二重構造と奇妙な連続性に照らし合わせてみれば、マクドナルドの本作品における創作戦略はたやすく理解できるだろう。これに従えば世界の機軸があたかも陰と陽の原理にも似た対称性から成り立ち、玄妙な相補性という関連のもとに妖精と人間がそれぞれ互いの影あるいは実体として機能していることになる。実体たる人間にとっては自分自身の中に潜む未知なる領域が影であり、さらに自分自身を除いた世界の全ての領域が影でもありうる。つまり全ての部分が全体を補完するために欠かせない要素であり、無数に存在する全ての部分の補完物として一つの全体がある。絶えざる断片化の果てに崩壊しつつある近代西洋的自我の存在原理を保障すべき、統合的な説得力を備えた超宗教的方位磁針が、このように全体性を支える影の原理の再評価として切実に模索されていたのであった。自分自身の一部をなしていながら、本体と分離した途端、人間界も自然界も含めて世界の全ての秘密を知り、森羅万象をわが物のように操る魔術的能力を発揮する不可解な影は、アンデルセンの短編「影」(“Shadow”)やワイルドの童話「漁師とその魂」(“The Fisherman and his Soul”)において描かれている影の場合にとどまらず、19世紀において様々な国において書かれた分身を題材にする物語群と等質の主題を共有していたものであり、同時にそれは魔法という知のシステムとしての概念の暗示する世界解式的原理機構とも密接に重なり合うものであった。意義有るものとして存在するかけがえの無い宇宙と、その中で確固たる守備領域を任じられている筈の唯一の自我を包括すべき普遍的原理を示す具象的存在物として、人の影たる妖精があったのである。
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Heartless Children and Pan-religion