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アンチ・ファンタシーコミュの2012 時間芸術

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時間芸術 シラバス内容

【テーマ】 アニメーション映画The Last Unicornをテキストにして、映像表現における“意味”と“記述”の可能性について考察する。
【授業概要】 アニメーション映画 The Last Unicorn (1982) は英語版なので、日本語訳を施したシナリオ『研究アニメーションThe Last Unicorn』をサブテキストにして、台詞とシナリオの関係を掴んでいく。原作の形而上学的発想を読み取り、アニメにおける映像表現として具現化した映像記述の特質を、原作の文章表現の技巧と対照させながら検証して行く。
【育つ力】
A 自分を知り誇りを持つ力
【授業計画】
1回 序章 森の中:タイトルバックとタペストリーのユニコーン
ユニコーンと蝶:蝶の言葉と同時代性、参照を註釈から読み取る
2回 ユニコーンと農夫、ユニコーンと馬車の男:森の外の世界
マミー・フォルチュナ:魔女との邂逅
3回 真夜中のカーニバル:魔法と見世物、本物と偽物
ルークとマミー・フォルチュナ:魔法と演技
4回 シュメンドリックとユニコーン:真実の魔法
森の中、シュメンドリックとユニコーン:悲哀と後悔
5回 旅の途上、シュメンドリックとユニコーン:魔法使いの知識
森の盗賊達、森の盗賊達の宴:ロビン・フッド伝説
6回 シュメンドリックと赤樫の木:失敗する魔法
シュメンドリックとユニコーン:真実の魔法
7回 シュメンドリック、レッド・ブルとの遭遇:仇敵との遭遇
ハガード王の城、城門の衛兵達:探求の旅の目的地
8回 謁見室:暴君の居城
城、城の台所:一角とユニコーン
9回 城のバルコニー、城の階段:レッド・ブルの気配と猫
バルコニー、台所のモリーとシュメンドリック:猫の予言と謎
10回 アマルシア姫とリア:英雄とヒロイン
リアとアマルシア、城の大広間:謎の在処
11回 アマルシア姫とハガード王:反転現象のシステム
城の大広間と骸骨:謎解きと不気味な助力者
12回 レッド・ブルの洞穴:予言の成就とヒーロー
レッド・ブル:英雄と魔法使いとヒロイン
13回 海辺、ユニコーンとレッド・ブル:大団円
海辺、ユニコーンとリア、森の夜、リアとの別れ:解放と至福
14回 夜の野原、ユニコーンとの再会:エピローグ
ストーリーとアニメの主題提示の実態に対する総点検
15回 レポート課題についての質疑応答
レポート題目についての相談
【教科書名】 テキストDVD The Last Unicorn, (Lions Gate)
『研究 アニメーション The Last Unicorn』(牧歌舎、2012)
【参考図書】 参考研究書:『最後のユニコーン論』(牧歌舎)
原作の注釈書:『Annotated Last Unicorn』(近代文芸社)
【評価方法】 表象芸術の本質をいかに捉えるかについての考察をレポートで提出する。
【履修要件】 コンピュータの基本操作を理解しておくこと。
【事前・事後学習等】 参考資料提示と質疑応答の受付場所として manaba folio のコミュニティ「2012時間芸術」を活用して行く。
【備考】 ホームページ“fantasy as antifantasy”、以下のアドレスにて公開中
http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/index.htm

テキストはこれです
研究 アニメーション The Last Unicorn
http://www.amazon.co.jp/研究-アニメーション-The-Last-Unicorn/dp/443416399X/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1333518336&sr=1-3

参考図書はこれです
Annotated Last Unicorn
http://www.amazon.co.jp/Annotated-Last-Unicorn-Peter-Beagle/dp/4773371633/ref=sr_1_20?s=books&ie=UTF8&qid=1333518332&sr=1-20

コメント(9)

関連映画
 この講義では映画における「現実と仮構の混淆」、あるいは「現実を取り込む仮構」という主題を考察するので、以下の二つの映画作品も採り上げて語る予定です。

ウォルター少年と、夏の休日
ビッグ・フィッシュ

どちらも「ほら話」の話です。他にこの主題に関系のありそうな映画作品等がありましたら、お知らせ下さい。質疑応答をしながら、他の映像芸術作品を随時論考に導入していく予定です。
原作『最後のユニコーン』
 原作の小説版『最後のユニコーン」については以下のページを参考にして下さい。

The Last Unicorn『最後のユニコーン』の世界
http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/H17E_fest/eibun.htm

The Last Unicorn―映画化の最新情報
http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/open/lu.html
(映画化の話は立ち消えになってしまったみたいですが。)
文章表現と映像表現

 原作 The Last Unicorn では、独特の文章表現を活用して「魔法の原理」としてフィクション世界と現実世界の微妙な関系を語る記述が盛り込まれています。 アニメではナレーションは導入されていないので、原作のような文章表現による主題提示はなされていませんが、それに代替して巧妙な映像表現が導入され、作品に描かれた存在物の位相を様々に語ることに成功しています。映像からどれだけの内実を含んだ深い意味を読み取ることができるかが重要課題となります。原作の文章記述については以下の「日替わり講座」で解説がアップされていますので、参考にしてみて下さい。

Fantasy as Antifantasy Daily Lecture
http://antifantasy2.blog01.linkclub.jp/

The Last Unicorn の読解メモです。
2004年10月1日より平成2005年11月16日までが The Last Unicorn パート。
原作の文章表現ー比喩とレトリック

原作の独特の文章表現についての指摘には、以下のウェブページを参考にして下さい。

あり得ない比喩と想像不能の情景
http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/anti/15rhetoric.htm

「非在性の修辞法(レトリック)」として考察した原作の『最後のユニコーン』の特質に対して、アニメ版の『最後のユニコーン』では「影の主題の映像表現」が効果的に導入され、原作にあった現実と仮構(フィクション)の逆転あるいは混交という主題が掘り下げられています。

 アニメーション映画『最後のユニコーン』(1982年、アメリカ、ジュール・バス&アーサー・ランキンJr監督)(1)は、1968年に出版されたピーター・S・ビーグルによる原作に導入されていた“影と本体の捻転的合一”という潜伏的主題に、映像表現として巧妙な再構成の手を加えたものとなっている。ビーグルの手になる異色のアンチ・ファンタシーである『最後のユニコーン』(2)が展開していた、文章表現の粋を凝らした影の主題の反射的表現を反芻しつつ、アニメーション映画特有の映像表現を活用した“影”というモチーフの展開応用例を敢えて即物的に確認していくことにより、類い稀な緻密性を備えたこのアニメーション作品の映像表現技法に対する検証作業を試みていくこととしよう。
 タイトルがあらわれる前のオープニングのシーンでまず最初に姿を現すのは、森の守り神である主人公のユニコーン自身ではなく、彼女の影なのである。
トップクラフト社

アニメ『The Last Unicorn』はアメリカのランキン・バス・プロダクションの制作ですが、下請けは日本のトップクラフト社が担当し、優れた演出を行いました。トップクラフト社はこの後宮崎駿の『風の谷のナウシカ』を制作し、スタジオジブリに社名変更することになります。

『風の谷のナウシカ』とThe Last Unicorn のオープニング・シーンの類似性はよく指摘されています。
冒頭 狩人達の説明台詞

 森に現れた二人の狩人の会話は、観客に作品世界の設定を伝えるための典型的な説明台詞でした。説明台詞は、作者の未熟な劇作手法の都合の結果生まれた不自然な発現などではなく、演劇という仮構空間の中で特有の表現効果を持つ興味深い記述です。この概念を拡張すれば人物造形そのものが「説明台詞」としての機能を発揮して導入されることになります。映画・マンガ作品における様々な次元の説明台詞を指摘して、その表現上の面白みを考察してみて下さい。演劇の世界では「劇的独白」がしばしば活用されるのもこれと同様の工夫です。
示し合わせたような台詞


 あからさまな説明台詞よりむしろ会話をつまらなくさせるのは、二人でかみ合い過ぎる変化の無いやりとりを続ける「示し合わせたような」台詞です。会話というのはしばしば逸脱と飛躍のお陰で生き生きとした内容豊かなシーンを形成することができます。論理の飛躍と論旨の破綻を計算しない概念記述が退屈になってしまうように、歯車のように噛み合い過ぎる会話は柔軟性に乏しい場面を惰性で続けることになってしまいます。噛み合い過ぎてつまらない会話と、噛み合ないところが内実豊かなシーンを形成している会話の例を探してみて下さい。例えば以下のような場合です。

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第130回 説明台詞は必要か?

 「LIPS the Agent」の、台詞の乗りはどんどんエスカレートしていき、全3部作のほぼ、3時間分の最後には、こんなおまけまでついている。

遊「ねえねえ、私たちの話がアニメになったら、声優さんが必要だよね」
愛「そういうことになるわよね」
遊「素敵な人がいいわよね」
愛「そりゃそうよ」
遊「私、遊の声は、小山茉美さんなんちゃってね」
愛「え? いいいねいいね。そうすると、私の声は、しょうがないから、林原めぐみさん?」
遊「しょうがないから?」

 ちなみに、現実の声は、愛が小山茉美さんで、遊の声が林原めぐみさんである。

遊「でも、小山さんってギャラ高いらしいよ」
愛「らしいらしい。で、林原さんってめちゃいそがしいらしいよ」
遊「いそがしい、いそがしい」
愛「無理かなあ」
 ……間……
遊「私の声がう……ん。小山さんねえ」
愛「私の声が、あの林原さんかあ……」
2人「うーん」
遊「ま、いいか」
愛「ま、いいか」
楊貴妃「ちょっと待った、私、楊貴妃は島津どすえ……」

 と楊貴妃の島津冴子さんが割り込んでくる。
 実際の収録には、この台詞に、僕や声優さんたちが現場で考えたアドリブがつけ加わるから、もっと珍妙な会話になった。
 最後の楽屋落ち的台詞は別としても、アニメでこんな台詞が連発される作品ができたら楽しいだろうにといつも思うのだが、アニメがアフレコで録音される限り、無理だと思う。
 実際、プロデューサーがこの作品のアニメ化をもくろんで動き回っていたが、今のところ実現していない。
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本人が面白がっているほど面白い会話にはなってませんね。
ユニコーンと蝶の会話

 森にあらわれた蝶とユニコーンが交わす会話は、実は全くかみ合うことのない会話としては成立し得ない言葉のやりとりになっています。言葉の意味と伝達を可能にする意識の共通項の双方を失ったこの状態は、原作の重要な主題をさりげなく語るものとなっていたのでした。『不思議の国のアリス』のハンプティ・ダンプティとアリスの会話と蝶の発話を比較してみると面白いでしょう。
ハンプティ・ダンプティの「唯名論」と「実念論」

 ルイス・キャロルは「鏡の国」にハンプティ・ダンプティを登場させて、オッカムのウィリアムさながらに発話と意味の関系を数理論理学者として冷徹に語ってみせましたが、一方この見解に真っ向から対立する「実念論」の立場もあり得ます。このような存在と名称と本体の関系をフィギュアを中心に考察した論考として、以下の論文を参照しておいて下さい。

仮構世界とフィギュアと自己同一性
 〜初音ミク、惣流/式波・アスカ・ラングレー、
 戦場ヶ原ひたぎ、ブラック★ロックシューターの人格特性〜
http://www.linkclub.or.jp/~mac-kuro/anti/figure/figure.htm

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 『不思議の国のアリス』においてハンプティ・ダンプティが意地悪くアリスに語ったように、名称と日常的呼称とその本体自身の間には必ずしも一貫した相等性がある訳ではなく、これらの間には本質的に決定的な乖離があるのが当然なのだが、一方人間の主観的意識の裡においてはむしろこれらの記号性こそが紛れも無い対象物を規定する絶対条件であるかのように認識されているのも、厳然たる一つの事実である。
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 意味を意味として保障する必要のない言葉を語っているのが「そよ風のように希薄な」蝶の発話でした。
 「実念論」については、後期の「ゲーム芸術論」でゲーム作品 Renaissance に焦点を当てて考察する予定です。

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